ダーク・スター Dark Star

●「ダーク・スター Dark Star」
1974 アメリカ Bryanstone Pictures and more.83min.
監督・製作・音楽・(共同)脚本:ジョン・カーペンター
出演:ブライアン・ナレル、ドレ・ビハッチ、カニ・カニホルム、ダン・オバノン、ジョー・サウンダース
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

味わいと癖のあるカルト向きの映画を作り、ファンも多いジョン・カーペンターの諸作の中でも、名前の
知れた作品である。宇宙モノが好きな私だが、彼の作品は「遊星からの物体X」「スターマン・・」は
観ているが、本作は彼のそうした宇宙モノの原点となるデビュー作。大学時代に製作したもののリメイクだ
そうで、低予算でたしかにチープであるが、AI機能を持った爆弾との会話、などなどシュールな部分と
「8時だヨ!全員集合」真っ青なギャグがないまぜとなった独特の味わい、個人的に好きである。
1968「2001年宇宙の旅」1977「スターウォーズ」(第四部)とは比べるものの種類ではないと思う。

地球軌道に害を及ぼす不安定衛星を高性能の爆弾を持ってパトロールし、発見しては爆破して地球を守る、
という至高な任務を遂行している割には基地からはないがしろにされ、クルーもゆるゆるグズグズである。
ビーチボールで作ったのがまるわかりのエイリアンとの追いかけっこ、エレベーターの底にぶら下がって
のトラブル、タメ口でかつ人を小馬鹿にしたような女声のメインコンピュータ。これらはギャグなんだろう。
地球を遠く離れ郷愁を感じている乗組員たちの精神状態を表しているようだ。
 
一方で、指令を受けて爆発しようとするAI型爆弾を、なんとか説得(機会を相手に論理や哲学論を吹っかける!)
して納得させるところとか、結局その爆弾が哲学に目覚め自爆をするという結末。さらに生き残った飛行士が
破片でサーフィンをして星を目指すという・・・そのバックにはカーペンターオリジナルのなんとも味わい深い
「ベンソン・アリゾナ」が流れる・・・。

まともな宇宙モノファンが観たら激怒というか呆れるような作りだし、宇宙にいるという物理的なお約束事が
かなり無視されているから、突っ込もうとすれば簡単である。B級おバカスペース喜劇とは割り切れない味わいを
感じる。通受けするけど一般受けしないというような映画かなあ。26歳カーペンターの若さが爆発した
「シュールで哲学的」(アプローチの方法にこそ味わい有り)な映画。ただ、エイリアンとの追っかけっこと
エレベーター宙ぶらりん事件はシークエンスが長すぎ。好きな人にはたまらない、そうでない人は途中で挫折する
事間違い無し!(笑)だいたい、宇宙船の名前に「ダーク・スター」なんて縁起の悪い名前を付けるはずもなくww
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<ストーリー>
21世紀半ば。人類は、銀河系を越え、新天地を求めていた。その役目を担った光速航行の探査船ダーク・スター号は、
そのすぐれたコンピューター統括により、邪魔になる不安定惑星を爆破し続けていた。
乗つているのはドゥーリトル(ブライアン・ナレル)、タルビイ(ドレ・パヒッチ)、ピンバック(ダン・オバノン)
それにボイラー(カル・ニホルム)の4人だ。

しかし、小惑星群の嵐に遭遇し、レーザーに異常が起こった。この事態に気がついた者はいない。そして爆破作業の
途中で、事件が起きた。20号爆弾が指令を無視して動き始めたのだ。20号はレーザーの故障で船体から離脱できない
状態なのだ。隊員の1人が探査船の底に外から回り、爆発に備える20号に説得する。1度出された命令を徹回する
ことはできない、とはじめは言うことをきかない20号もやっと思いとどまった。

しかし、これが2度、3度と繰り返され、遂に20号は爆破を決行することにする。タルバイは、以前から信じている、
いずれ蘇るといわれるフェニックス星をめざし、ダーク・スターから離れ、ドゥーリトルは、サーフボードのような
鉄きれをつかんでフワフワと浮遊し、他の2人は爆破と共に塵と化するのだった。(Movie Walker)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=13390#1こちらまで。




# by jazzyoba0083 | 2016-12-08 22:40 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

上意討ち 拝領妻始末

●「上意討ち 拝領妻始末」
1967 日本 東宝・三船プロダクション 128分
監督:小林正樹 脚本:橋本忍 音楽:武満徹
出演:三船敏郎、仲代達矢、加藤剛、司葉子、神山繁、松村達雄、山形勲、三島雅夫、市原悦子、大塚道子他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>

傑作「切腹」から4年。製作会社を松竹から東宝に変え、さらに三船プロが加わった座組となり、
「切腹」がもつ独特の緊張感と武家社会のおぞましさに比すと、いささか「情感」とかエンタメ方向に
振った感じを受けた。
原作となった滝口康彦の物語性は、あいかわらず尋常ではないに冒頭から引き込まれていく。さらに
橋本忍の脚本が相変わらず見事。カメラがやや「切腹」に比べると弱いが、神山繁のやりすぎ感もある
目の周りのメイク、照明、そして大道具小道具の美術も総じて完成度は高い。

会津藩の話なのだが、結果、悪行を極めた殿様になんの御咎めがないのが、観終わって釈然としないところだ。
三船の情が篭ったラストのセリフも、言っていることは正しいが、そこまで観てきた人が感じたいカタルシスの
レベルを示せていない。後半、隠居となった三船が、息子もその嫁も亡くしてしまい、残された孫を抱えて
「情」の表現部分が多くなるのだが、個人的には、もっとハードボイルドであっても良かったと感じた。

城下の剣術使いとして三船と並び称される仲代の役どころも、いささか中途半端。殿様の悪行を江戸表に
伝え、大目付から、殿様に対し、蟄居、所領替えなどの罰が降りるとすっきりしたんだが。
「切腹」のラストもそうだったが、結局は火縄銃でやられるのであるが、ならば追手は最初から鉄砲を使え、
と突っ込みたくなる。そのあたりの緊迫感の薄い剣戟も、後半の三船のクサいセリフと並び、残念な部分であった。
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殿様が、正式の世継ぎになにかあった場合、家を継ぐものがいなけれがお家断絶という時代、それを避けるため、
所謂スタンバイ要員としての世継ぎを産ませるため、お市という妾を、奥に入れた。お市は男児を産むが、
しかし殿の寵愛はすぐに若い妾に移り、市は気に入らないと手放された。
そして馬廻り300石の井原伊三郎が倅、与五郎に下しおかれると側用人からの伝言。その妾も実は婚約者が
いたのを引き剥がされたのだ。殿といっても50歳過ぎの爺である。聞けばお市はすこぶる性格が悪いという。

与五郎は一旦は断るが、藩主の命である、とのことで、お市(司葉子)を嫁に取ることにする。
お市は性格が悪いのではなく、正義の人で気が強いだけ、よく出来た嫁であった。2人には女の子が誕生、
与五郎は市を深く愛し、義父の伊三郎も大変気に入っていた。幸せな生活であった。

だが、江戸表のお世継ぎが急逝するという事態になる。お市が産んだ男の子が俄然世継ぎとなり、井原家に
お市を、お世継ぎ様のご母堂となるのだから大奥に戻せ、と命が下る。
ここに及んで、伊三郎、与五郎親子は、まるで人形のように女性をやり取りする殿様の所業に激怒。
絶対にお市を大奥には戻さない、と言い張る。しかし上役や親戚らは、井原家が取り潰され、2人は切腹と
なるぞ、と脅される。市も大奥には絶対に戻らない、と心に決めていた。しかし、与五郎の弟文蔵に
騙され、お市は大奥に拉致されてしまう。

事態がここまで至ったので、井原親子は腹を決め、井原家断絶も構わないからと家を砦として、籠城し、
一戦構え、上役共に一泡吹かせ、またこの凶状を江戸の大目付に訴えようと決めた。
藩の上役の中でも腹黒い側用人高橋外記(神山繁)は、井原家にお市の方を伴って現れ、お市自身が
井原と縁を切り、大奥に戻るといえば、井原一族の咎めは軽くなるであろう、一方、あくまでも井原の
嫁だ、と言い募るのなら、この場で2人は斬り殺さなくてはならない、と迫る。市の返事は否であった。
市も与五郎を深く愛していたのだ。彼女は幼い娘を残し、そばにいた用人の槍を自分に突き立てて果てた。
もう自分を理由に井原家を争いに巻き込みたくないと、覚悟を決めたのだった。そばに駆けつけた
与五郎も、藩の追手の手にかかり絶命。鬼とかした父伊三郎は、居並ぶ追手を全滅させ、高橋外記も
屠った。
そして娘を脇に江戸表にこの非道を訴えに出かけようとしたが、藩の境界で、待っていたのは
剣術の仲間で剣豪の浅野帯刀(仲代)であった。役目として木戸を通すわけには参らぬ、と主張。
浅野と井原の一騎打ちが始まる。浅野は負ける気でいたように思える。激しく斬り結んだ結果、井原が勝ち、
笹の原に置いた幼い娘のところに駆けつけようとしたところ、追手の鉄砲が火を噴く。それでも多くを斬殺し、
必死の応戦をしたがなにせ多勢に無勢。
ついに伊三郎は絶命する。娘に対し「母のようなおなごになれよ、そして父のような婿を見つけろよ」と
声を掛けたのが最後の言葉だった。
娘はかけつけた、乳母(市原悦子)に抱かれて眠るのだった。
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さて、本作をどう捉えるべきか。お家大事、家門大事、武士の名誉大事、という幕藩体制の中で、個人や家族という
単位は、そうした体制の元では、押し殺されていく、という理不尽。片やそれを守り保身を図る(藩の存続を
考えば役目柄やむを得ないというのは「切腹」と同じだ。
 権力の前に、基本的人権などありえない世の中では、権力者の言うことは絶対。嫁を寄越せといえば差し出し、
切腹せよ、と言われればどんな理不尽であっても腹を切らなくてはならないという、武士道の持つ(今から見れば
歪んだ)体制、非道、理不尽と、それに翻弄される特に女性の悲劇に焦点を当てたもの、というべきだのだろうか。

これまで全く観たことが無かった小林正樹作品。「切腹」「上意討ち」の二本は、黒澤、小津に並ぶ私の中の
ベスト映画となった。

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=142086#1こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-12-05 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「マダム・フローレンス!夢見るふたり」
2016 イギリス Qwenty Films,Pathe Pictures,BBC Films.111min.
監督:スティーヴン・ステアーズ
出演:メリル・ストリープ、ヒュー・グラント、サイモン・ヘルバーグ、レベッカ・ファーガソン、ニナ・アリアンダ 他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>

実に心温まる映画であった。富豪がカネにモノを言わせての酔狂、と断じるのは容易い。しかし、本作の底流に
流れるのは、お金があるかないか、は別として、「愛情物語」なのである。私も冒頭の付近では、「イタい勘違い
おばさんのコメディ」と思っていたのだが、フローレンス(メリル)と、夫(二番目の)シンクレアの愛の物語、
次第にウルウルとさえ来てしまったのだった。(夫には公認の愛人がいるのだが、梅毒という重い病に侵されている
フローレンスは、知って観ぬふりをしていたのだった。だからといって二人の愛情がウソである、とは思えない)
そして、最初は迷惑顔だった伴奏者コズメ(サイモン・ヘルバーグ)との間にも、信頼と愛情で結ばれるように
なっていくのだ。(このコズメがいい役どころでスパイスとなっている)

実在の迷歌手、フローレンスは、確かにお金にあかせて自分の歌に文句を言わないファンを集めてコンサートを
開いたり、夫は新聞記者を買収して、コンサートに好意的な記事を書かせたりはしていた。
ときは1944年。太平洋戦争も末期のころだ。そうした時代に現れた彼女の存在は、正統派クラッシック歌手の姿が
求められていたのではなく、エンターテナーとしてのそれが時代のニーズにあったような気がする。
フローレンスの純粋な心は、本当に歌うのが好きなんだな、それは上手いとか下手とかを超越しているんだな、と
愛おしくさえなるのだ。当時、カーネギーホールを満員にした(招待された引き上げ軍人が多くいたけど)、観客
たちは、そんな彼女の純粋な姿に、滑稽さを通り越した、一途な純粋な熱意みたいなものを感じたのではないか。
たとえは正しくないかもしれないが、安西水丸や、蛭子能収の絵を見る味わい、というようなところか。
フローレンスの歌は今でもCDで聞くことが出来る。キワモノ、怖いもの見たさ、というのは簡単だろう。
だが、本作を観終えると、そういう簡単な単語で言い切れない、不思議な何かが彼女の歌にはあることが分かる
のだ。実際がどうかは分からないが、映画としての表現は確固として提示されている。

正式なクラッシックの独唱のレッスンをしっかり積んでから、下手を演技した、というメリルは、フローレンスと
いうキャラクターの純粋無垢な所も併せて、実にチャーミングだ。梅毒の治療で頭髪も、眉毛もない風体も含めて。
唯一、メリルの素晴らしい歌唱がフローレンスの夢の中で出て来る。本来歌のうまい人なので、ちゃんと歌うと
素晴らしいものだ。
イギリスのプレイボーイ、ラブコメの帝王も、お顔にシワが増えて、愛する妻を支える心温かい夫を熱演。
ただ、映画は全般に平板となり、起伏が乏しいのが残念だった点だ。
ちなみにIMDbでは7.0、rottentomatosでは87%の評価を受けている。
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<ストーリー>
 “音痴の歌姫”として知られるフローレンス・フォスター・ジェンキンスの驚きと感動の人生をメリル・ストリープ
主演で映画化した音楽伝記ドラマ。筋金入りの音痴でありながら、ヒロインの音楽に対する純粋な気持ちがいつしか
人々の心を捉えていくさまと、そんな彼女の夢のために奔走する夫の深い愛をユーモラスなタッチで綴る。
共演はヒュー・グラント、レベッカ・ファーガソン。監督は「クィーン」「あなたを抱きしめる日まで」の
スティーヴン・フリアーズ。
 1944年、ニューヨーク。社交界の大物マダム・フローレンスは、持病を抱えながらも音楽を愛し、莫大な
遺産を音楽家のために惜しみなく使ってきた。そんな彼女がある時、ソプラノ歌手になるというかつての夢を
再び取り戻し、レッスンを再開することに。ところが彼女は自分では気づいていないが、歌唱力に致命的な
欠陥を抱えていた。それでも愛する妻から夢を奪いたくないと、夫のシンクレアはすぐにレッスンの手配を進める。

しかし伴奏者として雇われたピアニストのコズメは、フローレンスの歌声に呆然としてしまう。シンクレアは
そんな周囲の否定的な反応を懸命に封じ込め、フローレンスが気持ちよく歌える環境を整えるべく奔走する。
おかげでますます自信を深めていくフローレンスだったが…。(allcinema)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=358011#1こちらまで。



# by jazzyoba0083 | 2016-12-04 12:10 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)

切腹

●「切腹」
1962 松竹映画 108分 
監督:小林正樹 脚本:橋本忍 原作:滝口康彦『浪人異聞記』撮影:宮島義勇 音楽:武満徹
出演:仲代達矢、三國連太郎、丹波哲郎、石浜朗、岩下志麻、稲葉義男、三島雅夫、中谷一郎、佐藤慶他
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<★★★★★★★★★☆>
<感想>

すごい映画を観た。小林正樹監督の作品はこれまでさして興味もなく未見だったのだが、先月WOWOWで
何本か放映する機会があり、内容お面白そうだったので、録画して鑑賞に及んだ。
人生の中でインパクトある映画に遭遇する機会は何回かあるけど、本作はまさにそれだ、と思った。

もう、出足からグイグイとストーリーに引き込まれる。宮島のキャメラも、多彩なが画角と奥行きを深くとり
陰影を強調しつつ全面の人物に語らせる、など映像表現上においても優れた作品といえ、かつ武満徹の音楽が、
ある種陰鬱な映画にフィットして見事である。更に、仲代、三國、丹波、といった日本を代表する名優たちの
鬼気迫る演技も素晴らしいとしか言いようがない。
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まず驚いたのが、ストーリーの骨格をなす、「名家の庭先での切腹の申し出」ということ。こんなことがホントに
あったのだろうか、とその「新鮮さ」にまず驚いた。これは関ヶ原から間もない1600年代中盤、浪人が沢山
生まれてしまい、仕官もままならず、家族を抱えて食い詰めていた。
そこで出てきたアイデアが、名家を訪ね、「拙者は元〇〇家家臣、〇〇と申すもの。主家廃絶の折から、生活は
困窮、仕官もままならず、これから生き恥を晒すより、武士として腹かっさばいて本分を尽くしたい。
当家に置かれては是非、庭先をお借りしたい」と語りる。当然訪ねられた家は大迷惑。かつては仕官がかなった
人物もいたため、浪人たちの間で「切腹を語った小銭稼ぎ」が横行していたが、訪ねられた家は、そこそこの
金子を与えて引き取って貰っていたのだった。

近江の赤備えで武勇名高い、「井伊家」。この江戸屋敷に、千々岩求女(石浜朗)が、同様の言上を語り
やってきた。この手の武士の風上にも置けない廃れ浪人に対し、井伊家家老斎藤勘解由(三國)は、一旦は
「なかなか見上げた心持ち、主君にお目通りを」と騙し、「そこもとの切腹の意思は固いと見える。ならば
見事本懐を遂げさせて差し上げよう」と、切腹実行へと事を運ぶのだった。
千々岩としては、全然そのつもりもなく、金子の少しでも貰って帰ろうとしていたところ、何と、ほんとに
切腹の儀式が始まってしまったのだ。武士に二言は有りえず、進退窮まった彼は数日猶予を頂きたい
(家に帰って病身の母子に別れを告げたかったのだろう)、必ず帰ってくるから、というも、家老らは
聞き入れない。「さ、見事切腹を」と、中庭の白洲に準備一切を整えた。しかし、千々岩が切腹に使う脇差しは、
中身をカネに変えたため、竹光だった。
家老らは、千々岩に竹光で切腹せよと言い募る。覚悟を決めた千々岩は、竹光で腹を切ってみるものの切れる
ものではなく、遂には腹に竹光を突き立て、悶絶した。介錯人は沢瀉彦九郎(丹波)。こいつも意地悪いやつで
千々岩に「介錯を!」と懇願されても、「いや、十分に切られめされよ」と言って苦しめる。千々岩の
体力も尽き果てる際に、沢瀉はやっと介錯しクビを落としたのだった。

そんなことがあった後、また井伊家に、今度は芸州福島家元家臣津雲半四郎(仲代)と称する浪人が
現れた。井伊家では、彼を招じ入れ、再び見せしめに切腹させるつもりで準備した。津雲自身も、
「拙者、僅かな金子を所望に来たのではない。切腹するつもりでやってきたのだ」と正々堂々としている。
そこで井伊家では千々岩のときと同じように中庭に場を設け、切腹の段取りを勧めた。
そこで津雲は、介錯人に沢瀉彦九郎を指名する。だが、かれは今日は出仕していない。しばらくは出仕できない
という。それでは、と指名したふたりとも、病気を理由に出資していなかった。使用人が沢瀉の家に出仕を命じに
出かける間、津雲は、家老に是非お聞き頂きたいことがある。死に行くものの話として聞いてくれと、
自分の出自を話し始めた。

それによると、津雲は、先日井伊家で壮絶な詰め腹を切らされた千々岩求女の義父であった。津雲は娘美保(岩下)を
困窮する千々岩の気持ちを押し切って2人を夫婦とした。しかし、生まれた子供は病気勝ちで、美保はどうやら
労咳にかかっているらしい。そうした中で、千々岩は井伊家に何がしかの金子を「押し売り切腹」を仕掛け
せびるつもりで出かけたのだが、なんとホントに切腹する羽目となり、家族にも会えず憤死してたのだった。

それを受けた義父津雲半四郎は、井伊家のあまりのやりように、半ば復讐として、半ば武士の沽券の問題として
命を賭してやってきたのだった。事の顛末に驚く井伊家の面々。さらに、津雲は沢瀉ら、千々岩に残酷な所業を
した3人の馬廻り役を懲らしめ、命を奪われると同じ、という曲げを切り取り、白洲の上で懐から3つの切り取った
曲げ老中に放り出してみせたのだった。

「狼藉者が!切って捨てよ」という老中の掛け声で屋敷中の家臣が出てきて、剣戟の一幕となった。存分に
斬り結んだ津雲は、井伊家の象徴である赤備えの甲冑を抱えて畳に叩きつけたところに、火縄銃で射殺されたの
だった。老中斎藤勘解由は、家臣に、「津雲は見事本懐を遂げた。殺された家臣や沢瀉らはあくまで病死である。
怪我をしたものは篤く手当せよ」と命ずる。つまり、津雲の騒動は無かったことにしたのだ。武家の対面として。
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さて、本作から何を受け止めるべきだろうか。タイトルは「切腹」。この言葉に、武家社会のテーゼとアンチテーゼが
内包されている、と思う。「建前・体面」と「本音・実質」、さらに突き詰めると、「武士・武家はどうあるべきか」と
いう命題へと収斂されよう。

大阪夏の陣から16年、武士としての心構え、心情、武士の情けに象徴される人間味、そした戦場の実践から生まれた
武家の作法というものが、平和な世界になり次第に形骸化、様式化され、武家も刀を抜かなくって長い年月が経過する。
時代は次第に文化が花咲く時代へと変質していくのだ。

こうした時代の移ろいのなか「武家の本分」といったものが、曲がっていってしまった時代に、津雲半四郎は、
敢然と立ち向かい、武士とはそういうもんじゃないだろう、と訴えた。

一方、お家大事、主家大事となれば何万という家臣が露頭に迷うことにつながる不名誉は老中としては絶対に
避けなければならない。だから、ラストで老中が全てを無かったこととして葬り去ろうとしたことは、これはこれで
この時代、誰が非難出来たであろうか。

本作を「社会派」と称し、現代でのメタファーを求める方もいらっさるだろう。
それはそれで否定はしないが、小林正樹がここで描きたかったのは「切腹」という象徴的な事象を通し、江戸時代初期の
「武士道の有りよう」を独特の人間性と物語性をもってして提示したのではないか、私はそう思った。
しかし、生死感、人間の残酷性などなどいろんな意味合いが受け取れる、よく出来た映画である。
ただ、多くの方が指摘されているように、最後のチャンバラは、もう少しなんとかならなかったかな。物語性の濃さを
減じる効果しかない。

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=140556#1こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-12-03 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「ヒトラー暗殺、13分の誤算 Elser」
2015 ドイツ Lucky Bird Pictures.クリスティアン・フリーデル、カタリーナ・シュットラー、ブルクハルト・クラウスナー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ヒットラー暗殺に関わる作品は好きなので、「ヴァルキューレ作戦」をベースにしたものを始め、見逃さない
ようにしている。本作は、趣が少し異なり、たったひとりで独裁者の暗殺を企てた、実在した信念と勇気の
家具職人の男の話だ。1939年11月にミュンヘンのビアホールで予定通りの演説をしたヒトラーを暗殺すべく、
時間をかけて演説台近くに穴を掘り、大量の爆薬を仕掛け、お得意の時計じかけで爆発させる予定だった。

しかし、その日のヒットラーは早くベルリンに帰る必要があり、13分演説を早めに切り上げた。その為に彼は
難を逃れたが、無垢の8名が命を落とした。
この男、ゲオルク・エルザーは、選挙では共産党に投票するなど共感していたが、共産党員ではなく、
一方でユダヤ人迫害を主張する国家社会主義者のヒトラーを嫌っていたのだ。13分の誤差でヒトラー暗殺を
失敗したエルザー。彼は設計図などを持っていたので、たちまち怪しまれて捕まってしまう。
ゲシュタポなどは、彼の背後に必ず黒幕がいる、と信じ、またヒトラー自身も、自らの命を狙った組織に対し
鉄槌を食らわそうとしていた。

しかし、総統の指令とは言え、エルザーの人生を調べるにつけ、背後関係は見えてこず、不倫を楽しんだり、
アコーディオンを楽しんだり、ごくごく普通の家具職人の姿しか見えてこなかったのだ。刑事警察の長官は
「単独犯行としか思えない」と確信するが、総統やゲシュタポがそれを許すわけもない。
(このネーベ長官は作中ピアノ線でクビを括られて殺されるのだが、これは「ヴァルキュール作戦」への加担を
疑われたようだ。)かように自分の信念を持っていないとそう疑われるかわからない暗黒の世界であり、付和雷同
していないと命が危ない、という一般市民の感情は理解できる)
「真実は我々が作るのだ」と。エルザーの周りがどんどんとヒトラーバンザイに染まっていき、やたらと
「ジークハイル!!」という腕を斜め45度に上げるナチス型の敬礼になっていく。人々が疑心暗鬼になり、
告口をし、自分さえ良ければ、という雰囲気になっていくなか、エルザーは自分の考えるところをただ進むの
だった。それがたまたま反ナチズムだったのに過ぎないと・・・。

組織での犯行を信じて疑わないナチ、片や自分の信念だけで、第三帝国を相手にしたエルザー。そして
組織暴力に恐れをなし、体制を支えてしまっていく国民。まるで、今の何処かの国を見ているようだった。
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<ストーリー>
 「ヒトラー ~最期の12日間~」のオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督が、1939年11月8日にミュンヘンで
起きたヒトラー暗殺未遂事件の知られざる真実の物語に迫るドラマ。主演は「白いリボン」のクリスティアン・
フリーデル、共演にカタリーナ・シュットラー、ブルクハルト・クラウスナー。
 1939年11月8日、ドイツ。ミュンヘンのビアホールでは、ヒトラーによる毎年恒例のミュンヘン一揆記念演説が
行われていた。やがて悪天候のため、ヒトラーは予定より早く演説を切り上げ退席する。

その13分後、会場に仕掛けられた時限爆弾が爆発し、8人の犠牲者を出す。実行犯として逮捕されたのは、
ゲオルク・エルザーという36歳の平凡な家具職人だった。ヒトラーは、エルザーの背後に何らかの大がかりな
組織があると確信し、秘密警察ゲシュタに徹底した捜査を指示する。ところが、どんなに過酷な取り調べにも、
単独犯との主張を曲げないエルザーだったが…。(allcinema)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=353510#1こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-11-30 22:40 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「クライム・ヒート The Drop」
2015 アメリカ Foxserchlight Pictures. 107min.
監督:モヒャエル・R・ラスカム   原作:デニス・ルヘイン『ザ・ドロップ』
出演:トム・ハーデイ、ノオミ・ラパス、ジェーズムズ・ガンドルフィーニ、ジョン。マシアス・スナーツル他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>

評価が難しいタイプの作品。ちなみにIBDbでは7.1、Rottentomatoesでは78%の支持を受けている。
しかし、日本では劇場未公開作品。

一言で言うと「暗い」。「テンション低め」、なんだけど、これは「狙いとして」こう作られている。
日本人にはなかなか理解しがたいアメリカ東部の暮らしなのだが、私がこの映画をみていて想起した言葉は
「日常の洋服を着た狂気」、あるいは「誰にでもある深層心理としての狂気」。(または怒りの
沸点の低さというか) 」
 
主人公ボブ(トム・ハーディ」が、隠された正体(というか性分・気質)を露わにして、観ている人を
びっくりさせるのは、お終いの方である。全般においてボブや、彼の従兄弟である、バーの主人公
カズン・バーヴを、どちらかといえば小心の平凡な市民というふうに強調しようとする展開に終始するので
ハイライトまでダレる。原作はどういうふうに引っ張ったのであろうか。

とにかく劇は太陽も出ない、暗い映画。ブルッリン?の底辺に生きている人々の、一見何気ない生活の
中で、チェチェン人のボスたちが稼いでくる汚いお金を、ロンダリングを主目的するバーが舞台となる。

そこで悪事から足を洗いバーテンをしているベン。彼は 大人しくて喜怒哀楽を外にださない。オーナーは
従兄弟(と称しているが実際はどうだか)で経営を任されている「カズン・マーブ」。この店も何年か
前に、チェチェンギャングに乗っ取られていた・

ある日、覆面をした強盗がバーに入り、現金を強奪していく。その犯行と、半年前に酒場で見られたのを
最後に姿を消したニック、さらに、捨ててあった子犬の件で知り合う女性ナディア(ノオミ・ラパス)、
加えて彼女の元カレで精神がオカシイ、エリックが、ボブの拾った子犬は俺のものだ、ベンに接近してくる。
こういたた登場人物で構成されるが、基本的に「まともな人がだれもいない」

それぞれの登場人物に、「実は」と言うエピソードがあり、それが時間を経るごとに相関関係を帯びて
きて面白くなっていく。特にボブとエリックの、金庫のカネを巡る対決は、なかなかスリリングだ。

日常ごく優しく普通の青年が、銃を至近からぶっ放して殺すことに、なんら躊躇しない(その前にはゴミ箱
から見つかった、強盗腕をラップでぐるぐる巻きにして平然と冷凍庫に投げたな)。
そした人間の深層心理の解析できない(映画ではそういう手のシーンもない)不気味さ。
普通の人に見えていてい、何かの拍子に頭をもたげる「狂気といか自制心の崩壊」という不気味さが
「ローテンション」(悪い意味ではない)の中でひしひしと感じてた。
主役のトム・ハーディは、こいうそこらにいる青年なんだけど、よく分からん、というタイプにはとても
いい。テンション低めのノオミ・ラパス、過去を引きずり結果それを抜け出ず殺されるマーヴと、
キャラクターも揃っていた。
ナディアに危害を加えようとし、ベンに瞬殺されたエリックの姿を見て、ナディアが言う「あなたも
同類じゃないの」と。普通の人はそう思うよね。

とにかく独特の雰囲気をを持った、私もこんなタイプの映画をあまり見ていないので、ショックでは有った。
「普通の服を着た狂気」という言葉だでけでは到底言い表せないのがもどかしい。一見普通の人場が出てくる
狂気のサスペンスとして、何度も言うけど「テンション低め」に終わって行った。(何度も言うが狙いだね・
面白くないわけじゃないし)エンディングのバッサリ具合も余韻たっぷりだ。
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<ストーリー>
作家D・ルヘインが自身の「ザ・ドロップ」を脚色した犯罪ドラマ。多民族が暮らすニューヨーク郊外の町
ブルックリンで、犯罪者たちおよび彼らと関係する面々が織り成す、予測不可能な事態を活写。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「レヴェナント:蘇えりし者」などで人気上昇中のハーディが
主演し、「ミレニアム」3部作でリスベット役を演じたN・ラパスが共演。
ベルギー出身で、「闇を生きる男」が第84回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされたM・R・ロスカム
監督が、みごとな演出を見せた。

ブルックリンのある一角ではチェチェン系マフィアが暗躍し、違法な大金が日々変更される“ドロップ・バー”と
呼ばれる酒場に集まり、チェチェン系組織の手に渡る。そんな“ドロップ・バー”として使われることがあるマーヴの
店で働くマーヴのいとこボブは、偶然からナディアという女性と出会うが、彼は元恋人であるエリックにつきまとわれて
困っていた。そんなマーヴの店を2人兄弟の強盗が襲って約5000ドルを持ち去るが……。(WOWOW)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=356018こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-11-28 22:25 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

ザ・ガンマン The Gunman

●「ザ・ガンマン The Gunman」
2015 アメリカ・スペイン・イギリス・フランス StudioCanal. 115min.
監督:ピエール・モレル 原作:ジャン=パトリック・マンシェット「眠りなき狙撃者」
出演:ショーン・ペン、イドリス・エルバ、レイ・ウィンストン、ジャスミン・トリンカ、ハビエル・バルデム他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>

原作があるので、ストーリー展開を難ずることはあまりしたくないが、ショーン・ペンを起用しながら
全体としては残念な出来となってしまった。現実として厳しい状況のコンゴを舞台にしたのだが、
豊富な地下資源を巡る西側各国の陰謀、というベースはこれまで何作かあったので目新しい感じはなかった。

これに女性関係と仲間の裏切りという更によくあるパターンが加わり、主人公が瀕死となるが最後は助かると
いうエンディングも既視感がある。要するに見どころはタイトルにもあるとおり、ガンファイトなんだろう。
それも思い切りの良さがないし、ラストは闘牛の活躍という、昔の007に出てきそうなネタ。ラスボスも容易に
想像が出来よう。もっとハードボイルドさを強調したほうが面白くなったと思う。
ショーン・ペンの演技は流石に問題はないし、渋めのキャスティングも悪くないので、勿体ないなあと思う。
そこそこは楽しめます、というくらいの映画かな。逃走に使われるアルファロメオのビンテージカーを見ていて
「これを壊すことはしないよなあ」と変なことに心配した。新車のBMW4シリーズは壊しているので・・。
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<ストーリー>

2度のアカデミー賞主演男優賞に輝く名優ショーン・ペンが、元特殊部隊の暗殺者を演じるサスペンス・
アクション。
暗殺者としての過去を捨て、ひっそりと生きていた男が、何者かに命を狙われ、再び危険な世界に足を踏み
込んでいく姿を描く。監督は『96時間』で演技派リーアム・ニーソンをアクションヒーローに仕立てた
ピエール・モレル。


 アフリカ・コンゴ民主共和国。鉱山利権に絡む極秘の大臣暗殺作戦に参加した元特殊部隊のジム
(ショーン・ペン)は、完璧な狙撃で任務を遂行。だがその後、愛する恋人も何もかも捨ててジムは姿を
消した……。
それから数年後、血塗られた過去を贖うようにひっそりと暮らしていたジムだったが、ある日突如として
何者かに命を狙われる。コンゴでの暗殺作戦に参加したかつての仲間たちが次々に殺されていることを
知ったジムは、自分を襲った敵が何者なのかを突き止めるため、そして自ら生き残るために過去と
向き合い再び銃を手に取るのだが……。(Movie Walker)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=354781こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-11-27 22:40 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「リチャード・ギア/人生の特効薬 The Benefactor」
2015 アメリカ Celerity Pictures,TideRock Media and more.93min.
監督・脚本:アンドリュー・レンツィ
出演:リチャード・ギア、ダコタ・ファニング、テオ・ジェームズ、シェリル・ハインズ、ディラン・ベイカー他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>

日本劇場未公開作品。(だろうねえ)WOWOWの「ジャパン・プレミア」で放映したものを鑑賞。
まあ、こういう男がいてもいいけど、映画にするまでのことか、って事ですよ。せっかくのキャスティングが
勿体無い。交通事故の不意打ち、というのは最近良くみるパターンだけど、確かにびっくりはするけど、
あざとい手法だと思う。出だしはまずまず。お、これは結構いい映画か?と思ったのも束の間、次第に
グダグダとなり、タダのわがまま金持ちオヤジの話になってしまった。事故から5年後、高級ホテルの一室で
執事を従えた暮らしであるものの、髭も髪も伸び放題で、モルヒネ中毒の自堕落生活。この間病院の経営は
大丈夫だったのか?ダコタの登場で一気にハイテンションになるあたりから怪しい映画となる。
ラストのヒゲを綺麗に剃るカットがエンドロールに重なるのだが、何かのメタファーにしたい(まあ、
この男の再生の象徴だろう)のだろうが、初老オヤジの髭剃りを延々見せられる方もたまらない。

要するに、こども病院を設立したいと熱意を持った男(医師ではない)が、親友夫婦と協力し、建設の
めどがたった所で、クルマの座席で自分がフザケたばかりに、交通事故に会い、親友夫婦を殺してしまった
のだが(もともと金持ちだったのか、病院が成功して金持ちになったのかは明かされないが、事故から
5年の暮らしっぷりが半端ない金持ちなので、もともと資産家だったんだろうな)、事故の後遺症に
なやまされつつ、モルヒネ依存症になり、その治療を嫌がって、当時も大好きだった親友の娘とその夫を
溺愛し、罪滅ぼしのつもりだろうが、迷惑を掛けまくり、自滅の一歩手前で、娘の赤ちゃんの誕生で
再生を果たす、というもの。

偏愛する親友の娘と、その夫で医師である青年を自分の経営する病院に雇入れ、なおかつ独断で法人の取締役に
してしまい、親友夫婦が住んでいた家を買い戻すわ、彼らが今住んでいる家のローンは返済しちゃうわで、
金持ちパワー全開。わがままやり放題で、次第に嫌なオヤジと化す。
モルヒネが欲しいばかりに自分の指を切って、病院に運び込まれ、モルヒネを要求するなんて、ありえんな。
どうせ医者に行くなら担当医に行けば済むことなのに、分からんやつだ。
親友夫婦の面影を、その娘夫婦に追い求めたのだが、ラストまでその傾向は治らない。迷惑なやつやん!
娘夫婦が不憫でならない。その赤ちゃんも偏愛されるんだろうなあ。原題はズバリ「恩人」。
ダコタ・ファニング、妊婦さんの役をやるようになったんだなあ、と感慨深い人も多かろう。ただ、私には
どうしても安達祐実が重なるんだなあ。
劇場未公開でDVDスルーな訳だけど、よほどのリチャード・ギアファンは別として、どうしても見なくちゃ
ならない映画では無いなあ。
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<ストーリー>
フィラデルフィア。ある病院を経営する大富豪フラニーは5年前、親友夫妻と交通事故に遭って以来、
ひそかにモルヒネに依存するようになっていた。そんなフラニーだが、夫妻の娘オリビアが結婚して
妊娠していると知り、その夫である医師ルークを自分の病院で雇うことに。
フラニーはオリビアのためにと一軒家を彼女とルークにプレゼントするが、フラニーがモルヒネに
依存していると知ったルークはフラニーを責めるようになり……。 (WOWOW)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=358621こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-11-24 22:40 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

暴力脱獄 Cool Hand Luke

●「暴力脱獄 Cool Hand Luke」
1967 アメリカ Warner Bros. 128min.
監督:スチュワート・ローゼンバーグ  原作:ドン・ピアース
出演:ポール・ニューマン、ジョージ・ケネディ、ルー・アントニオ、ストローザー・マーティン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<評価>

ポール・ニューマンの諸作の中でも傑作の呼び声が高い本作。既に様々なシーンで物語られて
いるので、いまさらな感じもあろが、思うところを綴りたい。

1960年代後半から70年代にかけてムーブメントとなった「アメリカン・ニューシネマ」の一つと
数える向きもある。確かに体制への反抗とか、自由の希求、そしてアンハッピーエンディングと
要素は確かに揃っているが、「俺たちに明日はない」や「イージー・ライダー」、「卒業」などなどに
比べると、どこか若干ニュアンスが違うような気もする。が、大きなくくりでいえば、アンチヒーロー
ものとして、それらのジャンルに属するものと捉えてよかろう。
「イージー・ライダー」を大学1年の入学式あたりに観たまさに同世代人であっても、アメリカに
住んでいなければ分からない映画が作られた背景を読み解くのはなかなか難しいことである。

原作の(脚本も手がけている)ドン・ピアースが自らの刑務所経験を舞台として借りてきて、ルーク
(ポール・ニューマン)という男を通して言いたいことはなんで有ったろう。またローゼンバーグ監督が
映像を通し表現している様々な暗喩は何を主張したいのだろう、といろんなことが読み取れる作品で
ある。
ルークの反体制的な姿勢、自分の人生を自分の行き方で歩むという姿勢、でも神の存在を何処かで意識して
いる姿勢、そして自由への飽くなき希求、と、ざっと観てもそのくらいは感じ取れる。
そして基本的にいつも笑顔のルークが、母と会った時、母の死の報に接した折に歌を歌う時、三度目の
脱走に失敗し刑務所の看守らに徹底的にいびられる時、そして最後に教会で追い詰められた時に
見せる顔は、誠に人間らしく、苦悩や悲しみに満ちていて、クールどころか、人間臭い。その人物に
観ている人は強く惹かれるのだ。そういう点ではポール・ニューマンとジョージ・ケネディの存在が
極めて大きい。中でも牢名主的存在のケネディが日本人にとっては浪花節的にあるいは任侠的に、
対立するルークを次第に認め大好きになっていき、最後まで行動を共にする様が魅力的に映るのではないか。

刑務所という世間、受刑者仲間という世間の人々、刑務所長や看守という体制、そこから自由を求めて
脱獄する自分という置き換えが容易であり、他人事としてもまた自分の事として観てもシンパシーを感じ
つつ観ることが出来るので、本作は時代を超えて皆に愛されるのであろう。

特にこだわって表現されているのが「神」との関わりであろう。ルーク自身映画の中で、神に対して
こんなに信じているのに、どうしてこのような仕打ちを・・、というふうなセリフを吐いたり、
ラストでは自ら教会へ入り、神に対して「どこにいる?」と叫んでみたり、おそらくは当時のアメリカに
おける、大衆の、神とのあるいは教会との関わりに対する疑問を提示しているのではないか。神の存在を
肯定しつつも疑問視せざるを得ない世相を反映しているようである。ラストカット、再び捉えられ
道路の草刈りをしているケネディら囚人からのズームバックは、十字に交わる道路を写し、それが両脇に
女を抱えたルークの写真と重なり、更に彼の目のズームアップで終わる、というシーンに繋がるが
十字に交わった道路は十字架そのもの、とも見られ、それに重なるルークの存在は、死こそ真の自由と
表現していると捉えることも出来なくはない。聞く耳を持たない体制の象徴たる看守のサングラスが
最後にはクルマで踏まれて割れる、というカットには大いに意味があると思うのだ。

<追補:本作はアメリカ映画唯一の「実存主義映画」とも云われるそうだ。で、「実存主義」とは何か、を
調べると、「Yahoo!知恵袋」の「実存主義を分かりやすく解説してください」という質問に、easy_all_easy
さんの下記が分かりやすく、なるほど、本作のバックボーンと重なるな、と理解出来る。以下引用。

「生まれたままの、欲望に駆られて生きる人間→『現存在』(現にあるがままの姿)
自己にめざめ、自己実現する人→『実存』(あるべき人、真に存在すべき人の姿)

現存在は、事物だけの世界の内に存在し、他人を、道具として扱って、欲望に駆られ、
「いつか自分が死ぬ」ことから目をそらし、ごまかして生きる。
現存在の時間は、過去→現在→未来、と流れ、時間に流されて、今・今の欲望を満たすために、
現存在は生きる。

そんな空虚さを、実存は知って「いつか自分は死ぬ」と自覚し、ならば『有限な人生で、何をなすか?』と
生きる意味に覚醒する。
実存の、時間性。それは、到来(未来)→既在(過去)→現前(現在)だ。
到来する未来に、私はどうあるべきか → 既にある過去により、どんな私となったか → では現在、私は
何をなすべきか
この、現存在→実存、時間性への覚醒は、個人の超越です。ここに個人の生きる意味があり、超越した人は、
永遠に人々の心に生きる。
民族は、歴史性に覚醒したとき、文化の伝統を築き、民族の生命は、永遠に歴史に生きる。」以上、引用。

本作の映画の中の重要かつ有名なセリフ、
"What we've got here is failure to communicate." (コミュニケーションが取れんやつだ!)
"Sometimes nothin' can be a real cool hand."(時には何もないというのが一番強い手さ)
は、極めて「実存主義」的香りのするもの、と言えるだろう。>


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<ストーリー:結末まで触れています>
酔ったあげくに街のパーキングメーターをやぶったルーク(ポール・ニューマン)は懲役2年の刑を
言い渡された。刑務所仲間はドラグライン(ジョージ・ケネディ)ほか強面の連中ばかりだったが、
それ以上に、彼らを見守る看守の面々も猛者ぞろいだった。
囚人と看守の間には絶えず反目と憎悪の空気が絶えなかった。新入りルークの仕事は、炎天下に雑草を
刈り溝を掘るという重労働だったが、彼の新入りらしからぬ図々しくて、容量のいい態度は仲間の反感を買い、
とくにボスのドラグラインは気に入らなかった。

ある日2人は命をかけての殴り合いとなり、ついにルークが勝った。囚人のリーダーはドラグラインから
ルークの手に渡ったのである。数日後、ルークの母(ジョー・V・フリート)が訪ねてきた。面会時間が
切れて、病に老いた母の後ろ姿を見送った時、ルークは、母に会うことはあるまい、と思った。
そして、母の死を知らせる電報が来た時、彼は泣いた。3日後、ルークは脱獄した。逃げに逃げたが結局は
捕まってしまった。ひどい懲罰を受けた。だか彼は再度脱獄。
そしてドラグラインに、“冷たい手のルークより”と署名した手紙さえ送ったきた。監房の連中は口惜しがったが、
ひとりとして怒るものはいなかった。自由になったルークこそ彼らの願望の体現者なのだから。
しかし皆の期待を裏切ってルークはまた再び捕まってしまった。厳重な足かせをはめられ独房にほうりこまれた。
それでも彼は反抗をやめない。そして、三度脱獄。今度はドラクラインも一緒だった。だが途中で2人は仲間割れ。
ドラグラインは1人になり急に恐くなった。死にたくない。ルークも死なせたくない。半分は親友への愛から、
半分は恐怖からルークの居場所を密告した。
瀕死の床でルークは、医学的な治療をすべて拒絶した。迫りくる死を待つ彼の表情は美しくさえあった。今日も
囚人たちは炎天下で働いている。言葉ををかわさない彼らの胸の中には権威に反抗し続けて、屈することを
知らなかった冷たい手のルークが生きている。(Movie Walker)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=21288#1こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2016-11-23 22:20 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「Re:LIFE~リライフ~ The Rewrite」
2015 アメリカ Castle Rock Entertainment,Rensnick Interactive Development.107min.
監督・脚本:マーク・ローレンス
出演:ヒュー・グラント、マリッサ・トメイ、ベラ・ヒースコート、J・K・シモンズ、クリス・エリオット他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

ヒュー・グラントとの作品が多いマーク・ローレンスが脚本を書いて監督も努めた。ラブコメ系のローレンス
監督の諸作品、大傑作というものは無いが、「トゥー・ウィークス・ノーティス」「ラブソングができるまで」
など割りと好きで観ている。ヒュー・グラントは、がっちり頼りになる男、ではなくどことなく頼りなく
でもハンサムで女性にはモテる、という役どころにはピッタリ。そういうキャラクターのイメージが付き
過ぎてしまっているのが気の毒だが、この際、そっち方面で極めて欲しいところだ。
メリル・ストリープと組んだ「マダム・フローレンス!夢見るふたり」の公開が間近。本作はオスカーに
ノミネートされるのでは?と評判の高い作品で楽しみである。

そんなヒューが今回組んだのは、マリサ・トメイ。コメディからシリアスものまで守備範囲は広く、
演技が確かなので、キャスティング側からは魅力的は女優さんなんであろう。本作ではヒューが
教師をすることになる大学に、年齢を重ねてから入学しシナリオの勉強をしている、大きな娘2人を
持つシングルマザーという役どころを魅力的にしっかりと演じ、彼女の存在がこの映画の芯を強くして
いると感じた。

軽いタッチの物語を、ラストのカタルシスまで上手くまとめてあり、うなるような出来ではないが、
観終わって心地よい作品に出来上がった。
またハリウッドでかつてはアカデミー脚本賞も獲った作家、と言う事で映画の事がたくさん出てくるので
映画好きとしては、一翻上がる。リアルな俳優の名前も出てくるし、ヒューが書こうとしている
賞を獲った作品の続編の妄想主人公はマット・デイモンである。ww
特に気にったのが大学での上司にあたる学科長のJ・k・シモンズの家にヒューが訪ねた時、一家では
映画を観ていたのだが、玄関先に出てきたシモンズが、続きは観たくないので、家族に
「後でスジだけ教えてくれ」ということころ。観ていた映画が「食べて、祈って、恋をして」という
2010年のジュリア・ロバーツ主演の作品で、私もこのブログに書いたけど、しょうもない観光映画で
シモンズが辟易するのがよ~く分かったからだ。映画のつくりてとしては「後からスジだけ教えて」と
いわれるのは最大の屈辱であろう。このあたりは、脚本も多くモノする監督ならではの味付けである。

本作の最大の魅力は、自信喪失の脚本家が、自分の教え子にインスパイアされ、人生を見つめ直す、と
いう、原題そのものの「リライト」(書き直し)のストーリーである。(邦題はなんで、分かりづらい
リライフなんて単語を持ってきたのだろう?)生徒の一人がマリサ・トメイであるわけだが。
本作の構造は、ハリウッド脚本家としての側面、大学教師として色仕掛けの女学生や仲間の教師を
含む先生としての側面(教師として目覚めていく過程も含め)、そして生徒の一人マリサ・トメイとの
愛情物語的側面と、更に18歳の長男の父親としての側面も加えて大きくは4つのプロットから成る。

ヒューの教える公立大学があるニューヨーク州ビンガムトンは、田舎だ、年中雨だ、とかいわれるが
映像に出てくる町は美しく魅力的。大学の講義などのシーンでいつも窓の外は雨、というのはニヤリと
する。町の名物として紹介されるハンバーガショップ、一度行ってみたくなった。
(※マーク・ローレンス監督はこの学校の出身。正確にはニューヨーク州立大学ビンガムトン校という
らしい。テレビ映画「トワイライト・ゾーン」の製作者・脚本家ロッド・サーリングも、この学校の
出身で、彼が舞台にした全米一古いといわれる回転木馬も本作に登場する。)
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<ストーリー>
脚本家のキース・マイケルズ(ヒュー・グラント)はアカデミー賞を獲得し栄光を掴むが、その後ヒット作を
生み出せないまま15年もの月日が経ってしまう。妻に逃げられ一人息子に会えず、ついには電気を
止められてしまい、キースはやむなくエージェントに紹介されたニューヨーク北部の田舎町ビンガムトンに
ある大学のシナリオコースで教鞭を振るうことにする。

ビンガムトンではまだ過去の栄光が通用し、調子に乗った彼は酔っぱらってウェルドン教授(アリソン・
ジャネイ)に暴言を吐いたり、受講者にカレン(ベラ・ヒースコート)ら好みのタイプの学生たちを
選んだりと好き勝手をして学科長のラーナー(J・K・シモンズ)に何度もたしなめられる始末。
しかしシングルマザーのホリー(マリサ・トメイ)をはじめ生徒たちは真摯に授業に臨んでおり、
彼女らの映画への情熱に触れたキースの中で何かが少しずつ変わり始める……。
(Movie Walker)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=353722こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2016-11-21 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)