グレイ・ガーデンズ 追憶の館 Gray Gardens

●「グレイ・ガーデンズ 追憶の館 Gray Gardens」
2009 アメリカ テレビ映画 HBO Films,104min.
監督・原案・脚本:マイケル・サシー
出演:ドリュー・バリモア、ジェシカ・ラング、ジーン・トリプルホーンほか
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<感想とストーリー>
2009年のゴールデングローブ テレビ映画部門賞、エミー賞6部門受賞に輝いた
HBO製作によるテレビ映画。しかし、ドリューとジェシカという2大女優を使い、実在した
母娘を描くことにより、スクリーンで観る映画のような厚みのある作品に仕上がっていた。
ジャクリーン・ケネディの父方の叔母にイーディス・ブーヴィエ・ビールという女性がいた。
彼女の娘は同名で、母をビッグ・イーディ、娘はリトル・イーディと呼ばれていた。

時代は大恐慌前からスタート、ビール家は父の家業がまだ隆盛であり、ニューヨーク州ロング
アイランドに2400坪の自分の家を建ててもらい、夜な夜なの社交界で、娘にいい旦那を
探すことに奔走する華やかにして虚飾に満ちた生活を送っていた。娘は、結婚より歌手で
ダンサーになることを夢見ていたが、母は許さず、結局、結婚も出来ず、そのうち大恐慌で
父の事業は傾き、たくさんいた雇い人もクビにせざるをえなくなる。さらに父が亡くなるという
悲劇が重なり、グレイ・ガーデンズと名付けられた邸宅とイーディ母娘の消息も時代の移り
代わりのなかで人々の記憶から消えていった。

そのイーディ母娘が再び注目を浴びたのは、いまでいうゴミ屋敷のように荒れ果てた家から
流れる異臭に風下の人々から苦情が出て、州の保健所が立ち入り検査に入っってからだ。
さらに、彼女らの暮らしを追ったドキュメンタリー「グレイ・ガーデンズ」が公開されたのと、
二人がジャクリーン・オナシスの縁者であることが、一躍ゴシップ世界に火をつけた。

映画は、ドキュメンタリー映画を撮られる二人を、ベースに描きながら、華やかだった時代の
暮らしぶりから、何もできないセレブがゴミ屋敷の住人になるまでを描いて行く。
何と言ってもドリュー・バリモアの老女のスペシャルメイクと、母を演じるジェシカ・ラングの
怪演ぶりが光る。娘を自分のそばに縛り付けてしまった母と、一時は芸能界を目指した娘も
母の虜となり、独身を通してゴミ屋敷の住人になってしまったのは、働くことでお金を儲けた
ことのない女性の皮肉と悲劇であった。ビッグ・イーディには二人の男の子もいて立派に成長
し、いろいろと忠告してくるのだが頑として聞かない。父の信託遺産が底をつく、ということも
さんざん言われていたが、判っていて放置していた。

原題でもイーディ母娘のようなことになる可能性を持った人間はたくさんいるだろう。一時、
破たんしたリーマン・ブラザーズのセレブ妻たちが、自分たちも破産したにもかかわらず、
あぶく銭にまみれた生活が忘れられず、時分からは絶対に働かない、と口にするケースが多かった
とロイターが伝えていたが、まさにそんな感じなんだろう。

時代から置いて行かれた、ということを認識することを拒否する女たち。こういう女性たちも
いた(いる)んだな、ドキュメンタリーの制作者たちの狙いもそういうところにあったのだろう。
この映画の詳細は「海外ドラマNAVI」に詳しいので参照いただきたいが、消去されることも
あるので、キモだけを引用させていただく。ルポはニューヨーク在住のジャーナリストほりうち
あきこ氏であるこちらからどうぞ。
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■イディ母娘の足跡を辿って…イーストハンプトンからマンハッタンまで
<イーストハンプトン>
グレイ・ガーデンズ Grey Gardens
ドラマの主人公であるエディス・ブーヴィエ・ビール母娘が人生の大半を過ごした、ニュー
ヨーク州ロングアイランドのイーストハンプトンにある屋敷。19世紀末に建てられた2エーカー(約2400坪)の邸宅で、ビッグ・イディの夫フィラン・ビールが、1923年に妻のために購入した。当初は、使用人やビッグ・イディの歌のために伴奏者を雇い、セレブの集うパーティ三昧を
していたものの、大恐慌の影響で贅沢な暮らしを維持できなくなる。夫婦は1946年に離婚し、1948年のビッグ・イディの父親の死後、働く術を知らない母娘は20年余りもの間、世間と
隔絶し、限られた遺産での貧困生活を余儀なくされる。

いつしか住み着いたネコやアライグマ(!)にエサを与えても、掃除や家事をしないライフ
スタイルから、屋敷は経年と共に荒れ果て、山積したゴミが近所迷惑になるほどの異臭を放つ。
近所の通報によって1971年に保健所の立ち入り検査が入り、この出来事は母娘がジャクリーン・
ケネディ・オナシスの父方の叔母と従姉妹だったことから、全米が知るニュースとなる。
不祥事を知ったジャクリーンから32,000ドルの寄付を受けて屋敷の掃除や修理を行うことができ、母娘は屋敷の取り壊しと強制退去を免れた。

リトル・イディは母親の死後、1979年に元ワシントンポスト紙の編集者であるベン・
ブラッドリーとジャーナリストの妻サリー・クィンに、屋敷を取り壊さないことを条件に
220,000ドルで売り、夫妻は修復を約束する。修復した屋敷は現在、人に貸しており、
イーストハンプトン歴史協会の主催する見学ツアーやイベントに利用されることもある。
名前の由来は、近くのビーチの砂と海風から発生する霧、ガーデンを囲む塀の色から。

・イーストハンプトン East Hampton
マンハッタンから車で約3時間の、ニューヨーク州のロングアイランドの東端近くにある高級
リゾート地。20世紀初頭から富裕層が豪奢な夏の別荘を建てるようになり、その多くはグレイ・
ガーデンズのような建築様式の屋敷だった。
ジャクリーン・ケネディ・オナシスがこの地で幼少期を過ごしたことは有名。また、画家の
ジャクソン・ポロックも1940~50年代に住んでおり、その時代のことを描いた映画『ポロック
2人だけのアトリエ』(2000年)はイーストハンプトンで撮影された。今なお豪邸の立ち並ぶ、
セレブの夏の避暑地として知られ、不動産価格は非常に高い。

・ジョージカ・ビーチ Georgica Beach
ドラマの中で度々登場するのは、イーストハンプトンの大西洋に面したジョージカ・ビーチ
という設定。グレイ・ガーデンズから1ブロック、徒歩5分のところにあるこのビーチには、
リトル・イディがよく1人で訪れた。現在は、メモリアル・ディ(5月の最終月曜日)から
レイバー・ディ(9月第1月曜日)まで海水浴できる。ビーチ周辺にセレブの別荘も少なくない。

・モスト・ホーリー・トリニティ・カトリック・セメタリー 
Most Holy Trinity Catholic Cemetery
ドキュメンタリー映画『Grey Gardens』が公開された1年後の1977年にビッグ・イディが
死去。イーストハンプトンにあるこの墓地で、父母や兄(ジャクリーン・ケネディ・オナシスの
父)の近くに眠る。2002年にフロリダで亡くなったリトル・イディは、母の隣に埋葬されるよりも、火葬してその灰が海にまかれることを希望。灰の残りは、ニューヨーク州ロングアイランドの
ローカスト・ヴァレー・セメタリーに埋葬されている。

<マンハッタン>
・ピエール・ホテル The Pierre Hotel
リトル・イディが、1936年元旦に華々しく社交界デビューを飾る場所。セントラルパーク
東南の入口の向かいに位置し、世界大恐慌直後の1930年に建設された格式ある5つ星ホテル。
そのラグジュアリーなボールルームは、上流階級の社交界デビュー、ウエディング・パーティなど
のイベントに使われてきた。1959年に上層階部分が居住用アパートとなり、エリザベス・
テーラーもその住人となった。今年の6月には2年に渡る1億ドルかけた改装工事が完成し、
再オープンしたばかり。

バービゾン・ホテル・フォー・ウィメン The Barbizon Hotel for Women
リトル・イディが1947年からグレイ・ガーデンズに“連れ戻される”1952年まで住んでいた
女性専用のホテル。キャリアを求めてニューヨークに出てきた良家の子女が安心して暮らせる
居住地として利用されていた。当時はドレスコードや規則が厳しく、男性は1階ロビーまでしか
入ることはできなかった。2002年に改装されて「メルローズ・ホテル」と改名するも、
2005年にコンドミニアムになり現在に至る。セレブの居住者には、グレース・ケリーやライザ・
ミネリもいた。

■ドキュメンタリー『Grey Gardens』を製作したメイズルス兄弟とは…
オリジナルのドキュメンタリー映画の監督であるデイビッドとアルバート・メイズルス兄弟は、
ビートルズの来米4日間を追った『What’s Happening? The Beatles in the USA』(1964年)
やローリング・ストーンズの伝説のライブを記録した『Gimme Shelter』(1970年)などで
知られるドキュメンタリー作家。アーティストを追った作品が多く、クリスト&ジャン・
クロード(美術作家で作品は「梱包されたポン・ヌフ」など)やホロヴィッツ(20世紀を代表
する天才ピアニスト)、小沢征爾(日本の高名な指揮者)などがその対象となっている。
1973年に撮影を開始した『Grey Gardens』(1976年)では、弟のアルバートが16ミリ
カメラを回し、兄のデイビッドが録音を担当するシネマ・ヴェリテの手法(演出トリックなしで
取材者とその対象の関係をそのまま記録するドキュメンタリー手法、真実映画)で製作。兄弟が
ビールス親子と築いた親密な関係により、2人の素の姿をとらえてその浮世離れした生活と愛憎
入り交じる関係を浮き彫りにした。
アルバートは後に、ビールス母娘のふるまいは自然で、オンカメラとオフカメラ時の差がない
と語り、リトル・イディと手紙での交流は、映画が公開された後もずっと続いたという。
2006年に未公開のシーンを編集した『The Beales of Grey Gardens』を発表し、オリジナルの
ファンを喜ばせた。同作品では、オリジナルには入りきらなかった母娘それぞれの貴重な発言が
見られ、特にリトル・イディの独自の思想とオリジナリティ溢れるファッションがふんだんに
フィーチャーされている。
by jazzyoba0083 | 2010-03-18 22:55 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)