ダウト~あるカトリック学校で~ Doubt

●「ダウト~あるカトリック学校で~ Doubt」
2008 アメリカ Goodspeed Productions,Scott Rudin Productions,105min.
監督:ジョン・パトリック・シャンリー 原作戯曲:ジョン・パトリック・シャンリー(脚本も)
出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムズ、ヴィオラ・デイヴィス他
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<感想>
もともと舞台劇なので、これは3人の役者(加えれば、黒人少年の母を演じたヴィオラ・
デイヴィスも居れて4人)の火花散る台詞の応酬を堪能すべき作品だろう。
特にオスカー主演賞のメリルとフィリップの、ラスト近くの応酬はスリリングだ。
それとメリルに黒人少年の母として抗議するヴィオラの長台詞もまた驚嘆に
値する。
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狭いカトリック学校の中での神父に対する同性愛疑惑、何らの確信もないが
そう信じた校長は、彼の追放を画策する。そして、神父は栄転という形で教会
(学校)を去る。
ラスト、シスター・ジェイムズ(エイミー)に対し、涙しながら「I have doubts」と
告白する意味は何か?
はっきりとした結末を提示しないまま終わっていくが、これが気持ち悪いと感じる
か、観客それぞれに、「どう思いますか」という問いを突きつけて終わっているな
と感じるかは、観る人による。

allcinemaの書き込みには最後の校長の台詞は、自分は何の確証もなく心証
だけで神父を追い出してしまった、しかし自分にもシスター・ジェイムズに対する
同性愛的な気持ちがある、という告白に他ならない、という指摘もあったが、
果たしてそれが正解だろうか。
前任地に電話して、神父の性癖を確認した、などとウソをついてまで神父の
同性愛疑惑を許せなかった校長であるが、神が許すわけの無い方法で
しかも心証だけで、人を追いやるということは、校長の心の中でも葛藤が
あったろう。そうだから「私にも疑惑がある」と告白したのだろうか。

神父は自分は無実だ、というが、ならば何故教会を去ったのだろうか。それに
栄転という形での異動は、教区の偉い人たちの中に、神父の性向を暗に認め
つつも、進歩的な彼の存在を捨てがたく思っている勢力がある、ということを
示しているのではないか。

黒人少年の母との「人情」対「真理」対決のあと、俯瞰で枯葉舞う中に立ち
つくす校長の姿、など台詞劇だけではない演出が効いていた。

<ストーリー>
「劇作家ジョン・パトリック・シャンリィが9.11の衝撃とその余波が大きな影と
なって人々の心を覆ってしまった世情を背景に書き上げ、2005年のトニー賞、
ピュリッツァー賞をダブルで受賞した名作戯曲『ダウト 疑いをめぐる寓話』を、
シャンリィ自らメガフォンをとり、実力派俳優陣の豪華競演で映画化した心理ドラマ。

60年代のカトリック学校を舞台に、少年に対する性的虐待の疑いを掛けられた
進歩的な男性聖職者と、心証のみで彼を執拗なまでに追いつめていく厳格な
女性校長の息詰まる言葉の攻防がスリリングに展開していく。

主演は「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープと「カポーティ」のフィリップ・
シーモア・ホフマン、共演にエイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス。
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 前年のケネディ大統領の暗殺や公民権運動の高まりなど激動と変革の
真っ只中にある1964年。ニューヨークのブロンクスにあるカトリック学校でも、
厳格な校長シスター・アロイシアスに対し、進歩的で生徒の人望も篤いフリン
神父はより開かれた校風にしていくべきとの持論を展開していた。
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そんなある日、新人教師のシスター・ジェイムズは学校で唯一の黒人生徒
ドナルドを呼び出したフリン神父の不可解な行動に不審を抱きシスター・
アロイシアスに相談する。シスター・アロイシアスは2人が“不適切な関係”に
あるのではと疑い、フリン神父を厳しく問い詰める。一方シスター・ジェイムズの
ほうはきっぱりと否定したフリン神父の説明に納得し、反対になおも頑迷に
フリン神父への疑惑を深めていくシスター・アロイシアスの態度にこそ違和感を
覚え始めるが…。」(allcinema)

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by jazzyoba0083 | 2010-08-02 23:15 | 洋画=た行 | Comments(0)