生きる

●「生きる」
1952 日本 東宝 143分
監督:黒澤明
出演:志村喬、日守新一、田中春男、千秋実、小田切みき、左卜全、山田巳之助、
藤原釜足、小堀誠、金子信雄、中村伸郎、渡辺篤、木村功、清水将夫、伊藤雄之助ほか。
e0040938_20125591.jpg

<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
新年早々に選んだ映画は、重いテーマの「生きる」。今の私の時代年齢に相応しい。
自分が生まれた年にできた映画でもあるし。ということは今から60年前の作品である。
見たことのない人でも黒澤映画の代表作としてその名前と、雪のブランコで志村喬が
「ゴンドラの唄」を歌うシーンは知っている、という人は多いだろう。

「生きる」という大上段に構えたタイトルではあるが、描かれている風景は誠に俗であり
観る人に、難しく捉えるのも良いし、そうでなく感じてもらえてもいいよ、という黒澤映画の
懐の深さを十分に感じることが出来るのである。

昨年鑑賞を始めた黒澤作品、実は年明けて既に3本見ているのだが、個人的には、どち
らかというと時代劇エンターテインメントな作品が好みかな、と感じていたが、本作を鑑賞
するに及び、改めて黒澤明という人のオールラウンダーとしての力を見せつけられた気
がする。
彼の映画に一本通った筋はぶれず、それがエンターテインメントになったり、社会告発的
な味付けになったり、戦時中の国策映画になったりしているだけに過ぎないのだ。
それでも今の所「どですかでん」とか「デルス・ウザーラ」はまだ見る気にはならないのだ
が・・。

さて本作である。役所の市民課長の渡辺はガンに罹っている。前半3分の1は、それを
自覚していくまでの心境を渡辺篤らの表現も借りながら描く。いわゆる「ことなかれ主義」
が蔓延する「役所仕事」を表出しつつ。
その後、1週間ほど役所を休み、呆然としながら市中を徘徊する姿がある。三文文士の
伊藤雄之助と飲み歩く、キャバレーで怪訝な顔をされながら「ゴンドラの唄」を歌う・・。
そして辞表を出すために彼を探していた市役所の女事務員小田切みきと出会い、
数度デート?を重ねる。彼女に「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」
と言われるに及び、渡辺は、自分は「生きた」と言えるのかということに覚醒する。

その後の彼は、悪疫の巣窟となって市民から苦情が絶えなかった黒江町のドブ池を
歓楽街にしようと目論むヤクザも振り切って市民公園として生まれ変わらせることに
命の炎を燃やしたのだった。
そして完成した公園で、雪の朝、死んでいるのが発見された。

後半3分の1は、その葬式での、市役所の面々の自己保全やお追従、酒が入ると見境
もなく渡辺を持ち上げ、自分もあとに続くぞなどと気炎を上げる。しかしそこに見えるの
は所詮小役人の姿なのである。

私は渡辺とて市民のため、と思ってやったかどうかは判らないと感じた。それは結果論
であり、つまりは渡辺個人の「生きた」証を残したかったに違いなく、自分として手段が
残されているとしたら、公園を作ることしかない、と感じたのではないか、と。
自分が死んでも公園は残る、と。あの雪の夜の「ゴンドラの唄」は、葬式に来た警官が
言っているように、あんな説得力のある歌を聞いたことがない、というほど、渡辺に
とっては、人生に対する郷愁、でななく、「喜びの唄」だったのではないか。
ただ、それにしては犠牲にした年月はあまりにも長い。だから「命短し恋せよ乙女」
なのだ・・

あれだけ死にたいし恐怖していた人間が、公園の完成こそが、人生そのものであり、それ
までの30数年間は、時間の無駄遣いであったと悟った瞬間だったのだ。
小役人渡辺は「生きた」。だが、今の時代にしたところで、どのくらいの人間が渡辺の
感じた「生きた」感動を味わって死んでいけるのか、その突きつけられているものは大きい
のだ。
e0040938_20133460.jpg

e0040938_20133893.jpg

本作の詳細なストーリーなどはこちらのWikipediaをご参照ください。
トラックバックURL : http://jazzyoba.exblog.jp/tb/19459901
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by jazzyoba0083 | 2013-01-02 23:00 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)