メランコリア  Melancholia

●「メランコリア Melancholia」
2011 デンマーク/スウェーデン/フランス/ドイツ 135min.
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:キルステン・ダンスト、シャルロット・ゲンズブール、アレクサンダー・スカルスガルド他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
ラストは身もふたもないんでだけど、(ある意味素晴らしい)こういう映画なんで、
悲しいんだけどそれなりの感動というより味わいがある。鬱病を病んでいた(いる)
トリアー監督が、躁鬱、憂鬱の世界を映像化した、といわれると、何となく
全体が分かりやすくなる。
気分が落ち込む映画を作らせたら天下一品というトリアー監督面目躍如と
いったところだ。
ある人も書かれているが、冒頭で地球と惑星メランコリアは激突し、地球は
滅ぶという姿がやや心象的に描かれる。故に、それ以降の作品の世界は
「無」なのだ。

とにかく不思議なファンタジーともいうべき作品で、最初の内は、主役の
キルステン・ダンストの我儘な花嫁の話か、と思ったら左に非ず、だったのだ。
なぜ、ジャスティン(ダンスト)があいいう自暴自棄というか投げやりというか
明るくないのか、それはこの映画の大前提は何か(惑星衝突で地球が滅ぶ)
という背景が説明してくれることになるのだ。 つまり「躁鬱玉」だな。

映画は妹のジャスティンと姉のクレア(ゲンズブール)の2つのパートから成る。

しかし、惑星メランコリアは人間の奥に潜むその名の通り、憂鬱のメタファーで
あり、俗物は消え、精神病み的な美しさが浮かび上がる。
「人間いつかは必ず死ぬ」という絶対的真理の中で、ジャスティンとクレアと
いう姉妹の人類滅亡という壮大な中に、すべては無批判的にあるいは
超美的に許容されていくのだ。音楽がまた憂鬱をよく表していて作品にマッチ
していたと思った。とにかく感想が書きづらい映画ではある。
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<ストーリー>
<第1部 ジャスティン>新婦ジャスティン(キルスティン・ダンスト)は、新郎
マイケル(アレクサンダー・スカースガード)とともに結婚パーティーの行われる
姉夫婦の家に向かっていた。
ところが、2人の乗るリムジンが立ち往生し、大遅刻。姉のクレア(シャルロット・
ゲンズブール)とその夫ジョン(キーファー・サザーランド)が出迎えて、ようやく
パーティーが開始される。

義兄のジョンが私財を投じて開いてくれた盛大なパーティーだったが、母ギャビー
(シャーロット・ランプリング)の悪意に満ちたスピーチなどを目にして、
ジャスティンは次第に虚しさを覚えてゆく。“バカなマネはしないように”とクレアから
釘を刺されたものの、会場を離れて情緒不安定な行動を繰り返した後、霧が立ち
込める早朝の道を愛馬で駆ける。
橋のたもとで空を見上げたジャスティンは、そこにさそり座の赤い星アンタレスが
存在しないことに気付く。

<第2部 クレア>7週間後。別荘の窓から木々のざわめきを眺めていたクレアは、
アンタレスを遮って地球に異常接近する惑星メランコリアが気になっていた。
ジョンは、“惑星は5日後に通過するので、地球に衝突することはない”と妻を
なだめる一方で、非常時の用意も整えていた。
そんな中、憔悴しきったジャスティンがやって来る。支えられなければ歩くことも
できないジャスティンだったが、夜には外出し、小川の辺で月よりも大きくなった
惑星にうっとりと微笑みかける。
後を追い、その姿を目撃するクレア。惑星の接近を心待ちにする息子レオ
(キャメロン・シュプール)とは反対に、ネットで地球と惑星の軌道が交わる画像を
発見してぼう然とするクレア。
“地球は邪悪よ。消えても嘆く必要はないわ”とクレアに淡々と語るジャスティンは、
惑星の接近につれて心が軽くなってゆく。いよいよ惑星が通過する夜、ジャスティン、
クレア、ジョン、レオの4人はその瞬間をテラスで待ち構える……。」(MovieWalker)

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by jazzyoba0083 | 2013-07-03 23:40 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)