2014年 07月 12日
汚れなき祈り Dupa dealuri
2012 ルーマニア・フランス・ベルギー 152min.
監督・脚本・製作:クリスティアン・ムンジウ
出演:コスミナ・ストラタン、クリスティナ・フルトゥル、ヴェレリウ・アンドリウツァ、ダナ・パタラガ他
<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
評価はあくまで個人的なものであり、世間的な評価はもっと高い。が、私の好みの
問題なので、そうさせてもらった。確かに監督が訴えたいところが、重く胸にのしかかる
ような重厚なテーマを持った作品で、まるでモノクロ映画を観たかのような感覚、
手持ちのワンシーンワンカットの長回し、固定アングルなど、計算された作風も、映画
作品としては高い評価を受けてしかるべきものであろう。カンヌで評価されている、という
のも分かる気がする。
最後の30分以外は冒頭から淡々とした会話が続き、私は2度ばかり寝落ちしてしまった。
そのくらい緊張感がないもの。しかし,これはラストに向かっての序章に過ぎず、後半への
盛り上げに無くてはならないものなのだ。そのあたりが個人的に好みでないのだ。
物語は2005年にルーマニアで起きた実話を元にしているが、どこまで脚色されているの
かは判らない。大胆に括ってしまうと、神と二人の少女の三角関係を描いた、という感じ。
それぞれが純粋であるがゆえに、他人の愛情を受け入れられない頑迷さが悲劇を生んで
しまう。宗教観の薄い日本人には分かりづらい話ではあるが、ムンジウが訴えたかったのは
教会そのものではなく、そこから抽象される、「自分の領域」「他人の領域」の有り様を
読み取って欲しかったのではないかと思った。
電気も水道も使わないルーマニア正教の厳格な教会にやってきた、一人の少女が
「異教徒は立ち入るな」と自らの殻にこもるのはいいが、自ら以外の価値を認めない
教会と、友人を教会から連れだそうとする、これもまた純愛故に「他者を受け入れない」
少女の対立が先鋭化する。教会に入り、神との生活に安らぎを見出した友人は、こちらは
こちらで「他者を受け入れない」領域で生き始めていた。神を中心として、かつて親友が
自らの世界に来て欲しい気持ちの中で、やがて引き裂かれていく。
教会も自らの価値観の中で生活している分にはいいのだが、神を信じぬものに「悪魔祓い」
をして、殺してしまっては、過剰のそしりを免れない。
個々の登場する、神(教会)、少女と友人、だれも悪気を持った人はいないのだが、詰まる
ところ、自分の事しか考えられない状況に陥っていることを、それぞれが気が付かない。
その「純粋さ」の恐ろしさ、「純粋」故の苦悩、また「他人の領域」をいかに理解していくか。
現代における「文化の多様性」への「寛容」というものの重要性を、私個人は読み取った。
こうして、重厚なテーマの中で人間の深層心理にあるものをあぶりだし、さまざまな
メタファーを通して、また映像表現をもってして主題を訴えるムンジウの手法は、ラストの
警察車両のフロントウィンドにかかる泥はねに象徴される。これは誰に掛けられたドロなのか。
映画はここでカットアウトされるのだ。
息苦しいまでのストイックな作り方で、観客の主観を排除する手法を取りつつ、客観視された
シーン・構成から自らのテーゼを提示する。見事、と言わざるをえない。
が、この息苦しい展開、カンヌ好みのエンディング、観客にある種の弁証法を持って作品
鑑賞の答えを要求する感覚が、ハリウッド映画大好きなものとしては、乗り切れないもの
があります。見る人を選ぶ映画でしょう。こういう思索的な作品が好きな人は、たまらないと
思います。
<プロダクションノート&ストーリー>
「2005年にルーマニアで起きた事件を元に、人里離れた修道院で悪魔祓いの犠牲となった
2人の若い女性の悲劇を描く。監督は「4ヶ月、3週と2日」のクリスティアン・ムンジウ。カンヌ
国際映画祭では、本作が映画初出演となったクリスティーナ・フルトゥルとコスミナ・ストラタン
がともに女優賞に輝いたほか、脚本賞を受賞。
ルーマニアの孤児院で育った後、国を出てドイツで暮らしていた若い女性アリーナ
(クリスティーナ・フルトゥル)は、孤児院で一緒に育ったヴォイキツァ(コスミナ・ストラタン)に
会うために、ルーマニアを訪れる。世界でただ1人愛するヴォイキツァと一緒にいることを
願っていたアリーナだったが、修道院の暮らしで神の愛に目覚めたヴォイキツァは、今の
生活に満足していた。彼女を取り戻そうとするアリーナだったが、次第に心を病んでゆく。
人里離れた修道院で、深い絆で結ばれていたはずの彼女たちに一体何が起きたのか……?」
(Movie Walker)
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