2015年 01月 27日
ハンナ・アーレント Hannah Arendt
2012 ドイツ・ルクセンブルグ・フランス 114min.
監督:マーガレーテ・フォン・トロッタ
出演:バルバラ・スコヴァ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ他
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
WOWOW「W座」で鑑賞。今年は奇しくもアウシュビッツ開放70周年。更に日本政府の
一連のきな臭い戦争モードに、岩波ホールは連日の超満員だったそうだ。
結構難解な映画で、私はたてづづけに2度見た。登場人物のポジションなども結構複雑で
理解するには苦労した。しかし、つまる所はラストの8分間の講義の内容であろう。
やはりここでの彼女のセリフは今の心ある日本人ならぐさりと胸に突き刺さるものがあるのでは
ないか。自分だってアイヒマンになりうるのだ、と。
モサドによりアルゼンチンで逮捕された元ナチSSでユダヤ人をガス室に送り込んだ
司令官として名高いアイヒマン。彼がイスラエルで裁判にかけられるのだが、当時
ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授であり、既に評判の高かった
哲学書「全体主義の起源」で一流の哲学者として認められていた彼女は、雑誌
「ニューヨーカー」に寄稿するために、特派員として単身裁判の行われるエルサレムに旅立つ。
大体、アルゼンチンの主権を無視して逮捕し、勝手に国際裁判でもないエルサレムの
法廷に立たせることが合法なのか、疑問な中、裁判は始まる。
アイヒマンの悪事を立証させるべく、次々と証人がたち、中には思い出したことに対し
耐え切れず失神する人もでるという裁判だった。
しかし、ハンナの目に映るアイヒマンは、「上の命令に従っただけだ」と主著する。
彼女はそこに「根源的な悪」ではなく、「人間として考えることを止めた小役人」の
姿しか見えてこなかったのだった。こうした内容をまとめた『イエルサレムのアイヒマン
-悪の陳腐さについての報告』は、「ナチ擁護」だとして大論争を巻き起こす。
最後の8分の講義の中で、彼女は明確にする。彼女はアイヒマンを擁護などする気も
なく死刑判決に賛成している。彼女は、ヒトラーやゲッペルス、ヒムラーのような
「根源的な悪」ではなく、「人間として正義とか慈悲とかを考えることを止めた、いわゆる
思考停止になった小役人に過ぎず、彼の行ったガス室へユダヤ人を送った行為は
理解し分析すれば、「人間的思考を放棄したつまらない小役人」の「作業」に過ぎないと
したのだ。
また収容所の中にはユダヤ人の指導者階級があり、彼らの存在が処分の速度を
早めた、とも指摘。彼らも「思考停止」「人間として考えることを止めた」人たちなんだ、
と分析した。
これがユダヤ人から激しい反論を食らい、「ナチの擁護者」と避難されることになった。
彼女は「擁護するとか、避難するとかではなく、分析し理解したのだ」というが哲学的
過ぎて感情で動く一般人には受け入れがたいものであった。「処刑された600万ユダヤ人
を侮辱するのか」と。そうではないのだが、それを受け入れられないことに彼女は
苦しむ。大学からは辞職を勧告される。
彼女自身もユダヤ系ドイツ人であり、迫害の経験を持つ。フランスに亡命、フランスが
占領されるとアメリカに亡命し、研究を続けた。彼女の出自や経験からもアイヒマンの
理解が生まれているのだ。
現在の日本。政治家たちのしていることに対し、私達は「思考停止」していないだろうか、
国民が考えることを止め、政治家のなすがママにさせることの恐怖・犠牲は先の軍部暴走で
日本人はいやというほど体験したはずだ。「考えないことの罪」・・・。
今、彼女のアイヒマンの分析と理解に対する1つの答えは、私達一人一人がアイヒマンに
なりうるという警告を発している。
「ものごとの表面に心を奪われないで、立ち止まり考える事」。今の世界はどうしても
二元論として白黒を付けないと収まらない風土だが、そうではいけないと個人的にも
思いを致した次第だ。
ただ、日本人はユダヤ人とナチズム、シオニズムとイスラエル建国などの微妙なスタンスは
血肉として理解し難いので、そこらまで絡めると、更に難しくなってしまう。とにかくラストの
8分の講義は、繰り返し繰り返し見てみることをお勧めしたい。
<ストーリー>
「ドイツに生まれ、ナチスの台頭により始まったユダヤ人迫害の手を逃れアメリカに亡命した
ユダヤ人ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)は、第二次世界大戦後に全体主義や
全体主義を産んだ政治思想に関する考察を発表、哲学者として敬愛されていた。
1960年代初頭、何百万人ものユダヤ人を強制収容所へ送致したナチス戦犯アドルフ・
アイヒマンが逮捕され、イスラエルで裁判が行われることになる。
特別な裁判権もなくイェルサレムの地方裁判所で行われたこの裁判に正当性はあるのか、
イスラエルはアイヒマンを裁く権利があるのか、アイヒマンは極悪人ではないなどといった、
ハンナがこの裁判を通しての考察をまとめたレポート『イェルサレムのアイヒマン』を
『ザ・ニューヨーカー』誌に発表するやいなや、ナチズムを擁護するものではないかと
大バッシングを受ける。
逆境に苦悩しながらも、ハンナは、考えることで人間は強くなるという信念を持ち続けた……。」
(Movie Walker)
重く難解な映画ですが、是非一度ご覧になっておく宜しいと思いました。
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