ドレッサー The Dresser

●「ドレッサー The Dresser」
1983 イギリス Columbia Pictures.118min.
監督:ピーター・イェーツ  
出演:アルバート・フィニー、トム・コートネイ、エドワード・フォックス、ゼナ・ウォーカー、アイリーン・アトキンス
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
脚本家ロナルド・ハーウッドの舞台劇を映画化したもの。ハーウッドはサー・ドナルド・
ウィルフィットの付き人をしており、ハーウッドの実体験を脚本化したものだそうだ。今年の
始めには、本作のテレビ映画版がアンソニー・ホプキンスとイアン・マッケランの共演で
制作されると報道されている。日本でもこれまで数々のキャスティングにより舞台劇化されて
いるという。そいういう話を私は今回本作を観て初めて知った。
ストレート・プレイとしてはかなり有名なんですね。

両優あい打つ、という感じか。サーを演じるアルバート・フィニーとドレッサー(衣装係兼付き人)を
演じるトム・コートネイの丁々発止のやりあいは、さすがは本来舞台劇、という感じで
見応えがある。舞台上での主役であるサーと、世俗上の主役?である付き人ノーマンの
ところを変えてのやりとりは迫力満点だ。アップの多用も含めイギリス人ピーター・イェーツの
解釈の上手さを感じる。バックステージドラマなので、舞台裏や楽屋場面が多いのは仕方の
ないこととして、ドイツ軍の空襲が苛烈になる1942年のロンドンという時代設定の上手さも
手伝い、駅頭や街中のシーンも挿入され、飽きること無く観ることが出来る。

シェイクスピアを心から愛するイギリス人ならでは、の舞台劇に対する愛情や、劇団員たちの
愛憎も加わり、主役二人を始めとする人生の一面を切り出して観せている。
見どころはやはりラストに繋がるシーンであろう。227回めの「リア王」を演じきったサーが
楽屋で絶命するのだが、それまでのトピックスを収斂させる主張が繰り広げられる。
16年間の人生をサーに奉仕することに生きてきたノーマンが、サーが書き始めた自叙伝の
謝辞に自分の名前がないことに驚愕し、サーを罵る。しかしサーはノーマンはもはや
自分の一部であり、特に意識をする存在ではなくなっていたわけだ。舞台だけが人生だった
サーにすれば、満足な人生を全うしたといえるのだが、翻って長年の奉仕が報われなかった
(と本人は思っている)ノーマンはどうするのだ? 奉仕しつつも「たった一人の友人」でも
あったとラストに独白するのだが、ノーマンにとってサーは人生そのものになっていたのだ。

前段では、俗世間ではまるで子供のようなサー、しかし一旦袖から舞台に入れば人が変わった
ようになるサー、そんな老優を母になり嫁になり時に叱責もし、支えているノーマン。
ノーマンにはそんな名優を支えているというプライドが人生を支えていた。その対比がいろんな
エピソードで綴られるのだが、先に書いたようにラストでの老優の「退場」とノーマンの
周章狼狽は、人生の側面を物語っている。また長年独身で老優を想いながら舞台監督を
務めてきたマッジとサーに常に感謝されながらも、最後では極めて「冷静」な奥方の対比も
面白かった。その奥方に対抗しようと色仕掛けに来る劇団の若手女優のからみもまた
面白い挿話である。
しかしながらこの映画の最大の見所はサーとノーマンの掛け合いの醍醐味であろう。
1980年にこの本を書き上げたハーウッドは本作でも映画化の脚本を手がけているが
けだし才人であろう。面白い作品に巡りあった。あの「ブリット」のイェーツである。
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<ストーリー>
1942年l月。第二次大戦下のイギリス、ロンドン郊外のある劇場。出しものは『オセロ』。
演じるのはシェイクスピア劇団の座長(アルバート・フィニー)。そして、その舞台裏では
ドレッサー(衣裳係兼付き人)のノーマン(トム・コートネイ)がせわしなく動き回っている。

この座長は、サーの称号が与えられているほどの名優だが、全て目分の思い通りに
ならないと気がすまない文字通りワンマン座長だ。翌日、劇団は次の公演地である
ブラッドフォードへと旅立った。その日の午後、一行は目的地に到着するが、座長は、
有名なグランド劇場が空襲にあい焼け落ちてゆくのを目のあたりにして、精神錯乱の
状態に陥った。通りがかったノーマンが、座長の異常に気づき病院に送る。今夜、何と
しても『リア王』を上演しなければならない……。ノーマンは焦った。刻々と迫る開演時間に、
コーデリア役である座長夫人(ゼナ・ウォーカー)は茫然となった。
そして、二十年近く劇団に打ち込んできた舞台監督のマッジ(アイリーン・アトキンズ)らは
協議の結果、公演中止という結論を出した。とその時、病院をぬけ出して来た座長が
そう白な顔で現われた。必死になって『リア王』の仕事をさせようとするノーマン。
しかし座長は、虚脱状態から抜け出すことができず、空襲におびえる哀れな老人のままだ。

団員たちは不安をつのらせ、特にオクセンビー(エドワード・フォックス)は、座長が最も
苦手とする男で、冷ややかな視線を座長になげかけていた。相変わらず不安定な状態が
続き、座長はまちがえて『オセロ』の扮装をしてしまう始末。開演30分前。ノーマンは
孤軍奮闘で、どうにか準備をすませ、あとは開演のべルをまつばかりとなる。遠くで鳴り
ひびく空襲警報のサイレン。やがて『リア王』の幕が上がる。それは座長にとっては
二二七回目の『リア王』だ。いざ舞台に立った座長は、全身の力をふりしぼって、いつになく
力のこもった『リア王』を演じきるのだった……。」(Movie Walker)

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by jazzyoba0083 | 2015-03-02 22:40 | 洋画=た行 | Comments(0)