ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago

●「ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago」
1965 アメリカ・イタリア Metro - Goldwyn - Mayer,Carlo Ponti Production.197min.
監督:デヴィッド・リーン
出演:オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、トム・コートネイ、アレック・ギネス、ジュラルディン・チャプリン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
歴史的文芸ドラマがあまり得意でなく、「そうは言ってもこの映画くらいは」と、この
超有名な映画を2016年の鑑賞一作目に選んでみた。今では作れない(作らないだろう)
長い大作だ。
個人的にはイージーリスニングにハマっていた高校生の頃、ポール・モーリアや
101ストリングスなどが演奏する「ラーラのテーマ」がとても印象に残っている。
モーリス・ジャールの作品で、この年のオスカー作曲賞に輝いている。この人、今で
いえばハンス・ジマーやジョン・ウィリアムズばりの多作で、しかもレベルが高く、「アラビアの
ロレンス」などで3回もオスカーを獲っているだな。

そういうわけでテーマ音楽から入ったものの映画そのものは今回まで観ずに来てしまった。
原作が革命ソビエトから睨まれたのも分かるような、革命の人間性を否定したかのような描き
っぷりは、雄大な自然も美しいロケ地にソ連が許可をだすはずもなくスペイン、フィンランド、
カナダで撮影されたものだそうだ。監督デヴィッド・リーンは言わずと知れた文芸大作監督で、
「アラビアのロレンス」「戦場にかける橋」などでオスカーの常連となっている。受賞作品の
音楽は3作ともモーリス・ジャールである。オマー・シャリフとも縁が深い。

原作は未読であるが、ジバゴの生涯というよりロシア革命という「人間性が弄ばれる時代」を
背景にしてラーラの生涯を描いていると言える作りだ。
このラーラを演じたジュリー・クリスティは今も現役の女優さん。デビュー間もない本作で
主役級を任されたのだからよほどリーン監督に見込まれたのだろう。ハリウッド女優とは
違うどこか陰のある美人で、本作でも17歳から初老までを演じる。(あまり若くも老けても見えない
けど) オマー・シャリフはどうしても「アラビアのローレンス」の族長のイメージが強く、中東の
感じを受けてしまうのだが、それも映画が進むにつれて忘れていく。

さて、本作は帝政ロシアからロシア革命を過ぎるまでのロシアにあって、医者で詩人のジバゴと
ラーラという女性の数奇な運命、歴史の中で揉まれていく二人の愛情を描く一大叙事詩とも
いえる作品で、雪景色を中心として描かれるロシア(ではないけど)の風景も美しい。これが
テーマ曲と相まって作品の叙情性も持ち上げていく。 詩人としてかなり有名であるように
描かれるが、どんな詩を書いたのかは明らかにされない。ただし、反革命的な、人間味が濃い
作品であろうことは分かるが。
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映画は後日談から始まる。ジバゴの義兄エフグラフ(ソ連軍の将軍)が、ラーラとジバゴの
娘をダムの労働者の中から探すという光景。一人の若い女性を前に、ラーラとジバゴの話を
始める。

ジバゴとラーラの出会いは、ラーラの母(ジバゴの亡父の共同経営者で財産を殆ど持って
行ってしまったブルジョワジー、コマロフスキーの愛人であり、母は最近彼の気持ちが娘の
ラーラに行ってしまったのではないか、と悩み自殺に及んだ)の自殺未遂の現場に医者の
助手と訪れた時であり、次は、このコマロフスキーを射殺しようとしに来たクリスマスパーティー
の会場であり、(この時は後に結婚する若き革命家パーシャが彼女を救い出したが)、
後、第一次世界大戦の野戦病院で、志願看護師として働くラーラと医師のジバゴがまたまた
出会い、恋に落ちる。ジバゴは結婚して子供もいる。ラーラもパーシャと結婚しているという
ダブル不倫だったわけだ。そこで別れる。戦争は終わったが革命が置き、赤衛軍に追われ
生まれ育った故郷に移動、しかし、幸せは続かず、ジバゴはパルチザンに捕まり、その間に
一家は追放されてしまう。家に戻ったジバゴはその事実を知るが、ラーラとはまたまた出会う
運命に。ラーラの子供と3人で、雪原の小屋に移動、そこに三度コマロフスキーが登場し、
自分を頼ってくれれば極東経由で逃げられると言われるが断る。が、ラーラと子供は
コマロフスキーと去っていった。ラーラの体にはジバゴの子供が宿っていた。

そして数年後、モスクワで街を歩くラーラの姿を市内電車の中から見つけるジバゴ。慌てて
下車し、後を追うが、持病の心臓病発作で急死してしまう。著名だったジバゴの葬儀にラーラも
やって来た。ジバゴの義兄エフグラフ(ソ連軍将軍)と会って庇護を受けるようになり義兄もラーラを
愛するようになるが、やがてラーラは強制収容所に送られ(自殺した夫の罪に連座させられた)
その後は行方不明になってしまったのだ。

そしてラストシーン。また冒頭のシーンに戻り、その娘はラーラとジバゴの娘らしいと分った。
彼女の背中にはバラライカが。これはジバゴが子供の頃、母の形見として貰ったがその後
自分は弾くことはなかったものの大切にしていた楽器だった。そのものではないが、義兄は
ラーラがバラライカの名人だったと知っていて、血は争えないと、彼女がラーラの娘である事を
確信するのであった。
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分かりやすい人物配置と長い割には分かりやすいストーリー。歴史の荒波に翻弄される
ジバゴとラーラの人生が大自然をバックに迫ってくる。どなたかも指摘されているように
自由な詩人ジバゴ、愛に生きるラーラ、革命を通じて冷血人間と化すラーラの夫パーシャ、
ブルジョワジー、コマロフスキー、それぞれが、革命時ロシアの自由、革命、恋愛、世俗の
メタファーであるということなのだろう。二度目の鑑賞があるか、といえばおそらくは無いだろうが、
一度は見ておくべき映画史の佳作であることは確かであろう。
なかんづく、プロダクションデザインが見事である。

この作品の詳細はこちらまで。
Commented by mirage at 2023-07-02 18:59 x
このデヴィッド・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」では、ロシア革命という激動の時代を背景として、多様な人生が交錯しながら描かれています。
だが、その中で観ている私の心に一番強烈に迫ってくるのは、主人公のジバゴ(オマー・シャリフ)ではなく、むしろ数奇な運命を情熱的に生きるラーラ(ジュリー・クリスティ)の人生です。
ジバゴがたどる人生も厳しいが、ラーラのそれは、もっと激しく、波瀾に満ちている。
母の情人である中年男コマロフスキー(ロッド・スタイガー)に処女を奪われ、彼を嫌い、憎みながらも理性が情熱を制御しきれない女。
その情熱が、ジバゴの豊かな感情に出会った時、初めて人生の至福とも言うべき結実をとげる。
ラーラは、精一杯生き、命のある限り生きた女だと言っていいだろう。
だが、それならば、ラーラと対照的な女トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)は、精一杯生きなかったか?
彼女の命のかぎり生き抜かなかったか?-----その答えは否だ。
トーニャもまた、ロシア革命の激動期を精一杯生きた女だ。
ただ、ラーラの情熱が外に向かって激しく迸るのに対して、トーニャの情熱は内に深くたたえられる。
ラーラは激しく、トーニャは強い。ラーラは「恋」に生きる女性。トーニャは「愛」に生きる女性だ。
二人の女性が対照的であるように、この二人の女性を愛するジバゴと私の大好きな俳優トム・コートネイ演じるパーシャの生き方もまた対照的だ。
ジバゴは、急激に移り変わる時代の流れの中で、あくまでも自己を守り、自分の内部を見つめ続けようとする、内省的な思索型の人間だ。
パーシャは、革命の渦中に飛び込んでいき、行動することに全てを傾ける人間だ。
しかし、この二人は、ともに理想主義者であるという点では共通したものを持っていると言えるだろう。
ただ、ジバゴは人間的な理想主義者であり、パーシャは政治的な理想主義者なのだ。
そして、この二人に対比される存在として、名優ロッド・スタイガーの演じるコマロフスキーが、時には大きく、時には卑屈に立ち現われる。
コマロフスキーは、明らかに現実主義者の典型だ。
時代は、歴史の巨大な転換期。
その滔々たる流れの中で、それぞれ典型的な人物たちが、それぞれの正しいと信じた人生を貫く、まさにこれは、人生の大河を見る思いの豊かな叙事詩だと言えるだろう。
Commented by jazzyoba0083 at 2023-07-03 14:00
mirageさん

長文の考察、ありがとうございました。私のような表面ヅラの感想ではなく、人間心理に言及する鑑賞眼に敬服します。お書き頂いた内容は、私も異議なく共感できるところであります。
by jazzyoba0083 | 2016-01-04 22:50 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(2)