顔のないヒトラー Im Labyrinth des Schweigens

●「顔のないヒトラー Im Labyrinth des Schweigens 」
2014 ドイツClaussen Wöbke Putz Filmproduktion,Naked Eye Filmproduktion.123min.
監督・(共同)脚本:ジュリオ・リチャッレッリ
出演:アレクサンダー・フェーリング、アンドレ・シマンスキ、フリーデリーケ・ベヒト、ヨハネス・クリシュ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
正直、驚き、ドイツ人がドイツ人を裁いた「アウシュビッツ裁判」の事を初めてといって
いいくらいに、今更ながらに知り得たことを深く恥じたい気分だった。

終戦後、1960年代の初頭くらいまで、西ドイツにおいては、ナチのことを語ることが「悪い意味で」
タブーとなっていて、かつてナチ党員だったりナチに協力した市民たちもどうどうと生活を
していた事実を知って、びっくりした。ドイツ戦犯を裁く「ニュルンベルク裁判」は「東京裁判」と
並びよく知られているが、ドイツ市民がナチに協力したドイツ人を告発し裁判に掛けるという
「アウシュビッツ裁判」というものがあったとは、うっすらとしか知らず、実態を本作で知ったことは
有意義であり、翻って、日本人の手で日本人を裁いていない我が国はどうなんだろう、と
考えないではいられ無かった。 本作にも出てくるが、「そんなことしたらドイツ人全員が戦争
協力者で有罪だろうよ!(意訳)」 

「アンナ・ハーレント」に出てくるアイヒマンに対する彼女の理解「思考の放棄による作為」。
50年代の西ドイツには中央地方を問わず官僚に元ナチス党員がいたり、若い娘は
「アウシュビッツなんて知らないわ」と嘯いたり、「臭いものに蓋をしたい」気分に溢れていた。
忘れたかったのだ、自分たちが犯した世界史的な犯罪を。

しかし、一人のジャーナリストが、元ナチ党員が学校の先生をしている風景を偶然目撃し、
それをきっかけに、戦争遂行者がまだ暮らしの中枢にいるおかしさを指摘する。これに応呼
する検事たち。南米に逃亡したといわれる生体実験の首謀者メンゲレなどがまだ捕まって
おらず、それはむしろモサドやユダヤ人たちの追跡機関のやること、と傍観していた傾向が
あったのだ。

若い検事は上層部も動かし、ついに1963年に「アウシュビッツ裁判」を始めることに成功、
市井に隠れていたナチ協力者を次々と摘発し、裁判にかけた。

この裁判は今のドイツが欧州でリーダーシップを獲得できるまでになった根幹を形成したと
いわれるほどの重要性を持つ。自国民の手で自国民の犯罪を告発し、他国(ユダヤ人)に
謝罪する、1979年にはナチ戦犯の追求をやめないため集団殺人に対する時効を撤廃した。
ことほどに、ドイツはユダヤ人に対する犯罪に対し、自国民に対して苛烈であったのだ。
それなくしてドイツの再スタートは切れないと考えていたのだろう。

The Huffinton Post の2015年10月4日掲載の熊谷徹氏の記事を紹介しておきたい。
「この裁判の最大の意義は、アウシュビッツでの残虐行為の細部を初めて西ドイツ社会に
広く知らせたことである。それまで大半の西ドイツ人は、アウシュビッツで何が起きていたかを
ほとんど知らなかった。
フランクフルトで行われた裁判では、収容所に囚われていた被害者たちが、ガス室による
大量虐殺や、親衛隊員らによる拷問、虐待の細部を証言し、メディアが連日報道した。
アウシュビッツ裁判は、虐殺に加担した犯罪者たちが戦後の西ドイツでビジネスマンや役人と
して、長年にわたり罪を問われずに平穏な暮らしを送っていた事実をも、白日の下に曝した
のだ。」

思考を停止し、上官の命令に従っただけだ、という論理はそこには通じない。「思考を停止した
作為」は厳しく断罪された。翻って日本はどうだったのだろう。「あの時代、誰が軍部に反対できた
だろうか、その考えは違うと指摘できただろうか」とはよく聞くことだ。しかし、そこには「思考を
停止した作為」の結果、「戦争遂行に加担してはいないのか」という断罪が迫られるのだ。
本人が出来たかどうかではなく。人間として問われなければならない真理だからだ。それは
当時軍部の中枢にいた軍人たちから市井の人々までに至る、という厳しさを持つ。

この映画、大学や高校の教材としてぜひ取り上げてほしいと思う。
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<ストーリー>
戦時中にナチスが犯した罪をドイツ人自ら裁き戦争責任に向き合う契機となった1963~
1965年のアウシュヴィッツ裁判開廷までの道のりを、事実に基づき描いた人間ドラマ。

戦後十数年が経ち戦争を過去のものとする雰囲気に包まれる中、ナチスの罪を浮かび
上がらせようとした検察官たちの苦闘に迫る。
監督は俳優としても活躍するイタリア出身のジュリオ・リッチャレッリ。
本作が長編映画初監督作品となる。

1958年、西ドイツ・フランクフルト。第二次世界大戦が終わってから十数年が経ち、
西ドイツは西側諸国との結びつきを強くして経済復興を成し遂げようとし、大半の人々は
戦争は過去のものとして当時の記憶も自分たちが犯した罪も忘れ去ろうとしていた。
そんな中、あるジャーナリストがかつてアウシュヴィッツ強制収容所にいた元親衛隊員が
規定を破り教職についていることを突きとめる。上司の制止も聞かず、新米検察官の
ヨハンはジャーナリストのグニルカや強制収容所の生き残りであるユダヤ人シモンとともに
調査を開始。様々な妨害にあいながらも、検事総長バウアーの指揮のもと、生存者の
証言や実証を得ながらナチスがアウシュヴィッツで犯した罪の詳細を明らかにしていく。
(Movie Walker)

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この映画の詳細は
by jazzyoba0083 | 2016-05-26 23:30 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)