奇跡のひと マリーとマルグリット Marie Heurtin

●「奇跡のひと マリーとマルグリット Marie Heurtin 」
2014 フランス Escazal Films  94min.
監督・(共同)脚本:ジャン・ピエール・アメリス
出演:イザベル・カレ、アリアナ・リヴォワール、ブリジッド・カティヨン、ジル・トレトン、ロール・デュティユル他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ヘレン・ケラーと同時代のフランス。同じように多重苦の娘が修道院にやってきた。彼女は
生まれながらに盲目で聾唖である。つまり物語の構造はアン・バンクロフトとパティー・デュークの
「奇跡の人」と全く同じである。

やってきた少女マリーは両親の手に負えず、聾唖の治療院でもあるマルグリットら修道女が
いる修道院に連れてこられたのだ。入所を断ろうとする院長に「天啓があったのです」と
自らマリーの治療に当たろうとするのがマルグリットという修道女。彼女は肺病を病んでいて、
あまり先の長い人生ではなかった。想像だが、このことが、マリーに自分の命の続きを
生きて欲しいと強く願ったのではないか。

健常者は闇と無音の人生を想像出来まい。つまり教育が出来ないから野生動物のように
なってしまったマリーを責められないのだ。マルグリットは神に仕える身でもあるのだが、
マリーに教育を施すことに残りの人生の光を見出すのだ。だから、どんな困難にあっても
ヘコタレない。(一度投げ出そうとしたことはあったけど)
入所して8ヶ月たっても良くなるどころか、悪くなるマリー。しかしマルグリットは周りが
呆れるくらい辛抱強く、愛情を以ってマリーに接する。

マリーが幼い頃から大切に持っていたナイフを「これはナイフ!」と手話で教えることから
スタート。(その前髪の毛をとかしたり風呂に入れたり、まともに食事をさせたりという苦労は
当然あった)アン・バンクロフトが喧嘩をしながらヘレン・ケラーを教育した光景が重なる。
そしてついにヘレンは「ナイフ」という単語を指で示せるようになった。すると、マリーの知識欲が
爆発、周りにあるものをどう手話で表現するのか、学びたくなってたまらなくなったのだ。
そうして、マリーは、安定した心と、学びの心をおぼえたのだ。

しかし、病魔はマルグリットを確実に蝕んでいた。彼女は倒れてしまい、院長の勧めもあり
マリーと離れ、山の中のサナトリウムで治療に当たることになった。しかし、マリーは
マルグリットがいなくなったことで大荒れとなり、また元に戻ってしまったようになった。

治療中であったマルグリットは仲間のシスターから手紙を貰い、当時肺病は死病であった
ことから、このままここで死ぬのを待つよりマリーと残りの人生を過ごそう、できるだけの知恵を
マリーに残そう、と覚悟を決め、修道院に戻ってくる。大喜びするマリー。ついに両親と対面
することが叶ったのだ。娘の変わり具合の驚き喜ぶ両親。そんな折、シスターの一人が急死
する。マルグリットはこれをいい機会と思い、人間が死ぬということをマリーに教える。
マリーは再び倒れたマルグリットの看病をよく見た。しかし、マルグリットはついに帰らぬ人と
なった。マリーはマルグリット自身が死を受け入れる前に、マリーの死を受け入れていたのだった。

そしてラストシーン。修道院の庭にある多くの十字架の中からマルグリットのものに花束を捧げ
自分をここまでにしてくれたマルグリットに感謝を捧げ、今日、修道院にやってきた自分のような
多重苦の少女の教育に手を貸します、と約束するのだった。(エンディングはうるうるきちゃうなあ)

そんなお話です。まあ、ストーリーは読めてしまうようなものですが、やはり人知を超えた
マルグリットの献身的な愛情のありようこそ、刮目すべき点であろう。人のためにこそ生きて
人生の喜びを感じる、出来ないことです。本作をみる人はすべてそう思うでしょう。
秋篠宮紀子さま佳子さまがご鑑賞されたそうだが、きっと紅涙を絞られたのではないでしょうか。
自分の不甲斐ない人生に反省のひとときを与えてくれる映画でもあります。
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by jazzyoba0083 | 2016-07-05 22:40 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)