ベニスに死す Morte a Venezia

●「ベニスに死す Morte a Venezia」
1971 イタリア Alfa Cinamatografica,Warner Bros.119min.
監督・製作・(共同)脚本:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ、ロモロ・ヴァリ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
私のここ12年間に約2300本の映画を観てきた私ですが、食わず嫌いの監督や作品というもの、
あるいは全く興味のない範疇の作品は、無理してまで観ることもなかろう、ということで
観てこなかった作品もたっくさんあります。その中の筆頭がイタリア人巨匠と呼ばれる諸監督に
よる作品群です。
つまり、ヴィスコンティも、フェリーニも、アントニオーニも、ベルトリッチもデ・シーカも、
パゾリーニも、ベニーニも、その作品を観たことがないのです。いけませんかね?

おそらくは先入観だと思います。彼らの映画というのは「高踏的、抽象的、形而上的」という
印象が何かを観た折についちゃったんだろうと思います。何かウラミがあって、ということでは
もちろんありませんし、現代のイタリア映画は観ます。食わず嫌いなのは「名匠・巨匠」と云われ
「なんだ、それを観てなくちゃ映画を語る資格はないよ」と云われそうな作品です。

というわけで、ヴィスコンティ。先日「夏の嵐」を30分で脱落。WOWOWで放映して録画して
あった本作も、実は奥様が観たいと言って、録ってあったものを間違えて観始めてしまったのです。

もちろん、トマス・マンの原作による本作の名前は知っていましたが、内容や時代設定など全く
予備知識なしで観たわけです。冒頭、ベニスに船で近づいてくるボガード(何を職業にしている
か不明)。船頭にああだこうだと云われ、着岸してからも、何を言いたいドラマがどういう風に
展開するんだろう、という具合に、話が見えてこない。

後からネットでいろんな感想や評伝を観たのですが、私にとってこの手のこのくらい評価が
定まった映画は、内容をある程度知っておいたほうがいいな、という感想をまずもちました。

主人公アッシェンバッハ(ボカード)は作曲家なんですね。(マンの原作ではグスタフ・マーラーを
イメージした前衛作曲家らしい)作品中終始自信なさげで、音楽生活に煮詰まっていたのかもしれま
せん。そんな彼が静養のためにイタリアはヴェニスにやってきます。時代は第一次世界大戦が始まる
やは前、という設定です。

あとはもう、終始、アッシェンバッハが当地で見初めた美少年タジオへの思いを如何せん!?という
ストーリー。おもったより後半戦で話が動いたので、面白くなってきました。終始流れるマーラーの
交響曲第5番第4楽章「アダージェット」の調べと、狂気にも似たアッシェンバッハの美少年タジオへの
恋慕。「少年愛」と髪を染め、口紅を塗り、白塗りにして、タジオへの歓心を買おうとする老作曲家。
もう、痛々しいというか、正気でないというか。だからといって何かを言ったり行動するまでには
ならない。大人としての自制であろうか。ラストシーンは長回しのおそらくファンの間では名シーンと
されるところであろうが、老作曲家からの思慕を知っているタジオのじらせっぷりも含めて、しまいにゃ、
笑えてきてしまうレベルだ。

タジオの「若さ」に何か優れている点が具体的に有るわけではないのだ。それなのに一方的にその
輝かしい若さに、恐らくは芸術家ならではの「憧憬」と、自らの絶望的な「老い」を引き比べ
悶々とするという・・。先日観た「ヤング・アダルト・ニューヨーク」や「ドリアングレイの肖像」に
通底する、芸術の永遠のテーマなのであろう。

タジオの美少年ぶりはさて置くとしても、ボカードの鬼気迫る演技。ほとんどピエロと化してもなお、
純粋に若さに憧れ続けるその「哀れ」。ベニスには当時疫病(コレラ)が蔓延していて、周りの友人らに
はベニスを去るようにいうのだが、ついには自分も罹患してしまい、あの浜辺で絶命するわけだ。
その瞬間もタジオは夕日の中で煌めいていた・・・。

こういうのがヴィスコンティの作風なのでしょうか。いささかタルい感じの流れではあったが、確かに
アッシェンバッハの存在感は圧倒的であった。音楽と映像がここまでマッチした作品もあまり知らない。
ワンカットワンカットが計算されつくした画角、意味深いズーミング、そしてプロダクションデザイン。
好きか、と言われれば、好きだとは言えない映画の有り様では有るが、「映画芸術」としての不朽の
名作、であろうことは認めなくてはなるまい。「ルードウィヒ/神々の黄昏」「地獄に落ちた勇者ども」
あたりは観てもいいかもしれない、と思うに至りましたけど。

1940年代から70年代のイタリア映画と私のソリの悪さ、とはどこに有るのだろうか。エンタテインメント性の
ありようがハリウッドとは全然違うから、だろうか。あまりにも「高踏的」「芸術世界」だから、
だろうか。描かれる世界が「貴族的」とかそういうことではなく。相性の悪さ、というのはあるんじゃないか
なあ。ヴィスコンティの良さが分からないって、本当の映画見ではないぜ、と言われてしまうと身も蓋も
ないのですけど。
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<ストーリー:最期まで触れています>
純粋な美の具現と思えるような美少年に、魅入られた芸術家の苦悶と恍惚を描いた作品。製作総指揮は
マリオ・ガッロ、製作・監督はルキノ・ヴィスコンティ、脚色はルキノ・ヴィスコンティとニコラ・
バダルッコ、原作はトーマス・マン、撮影はパスカリーノ・デ・サンティス、音楽はグスタフ・マーラー(
第3・第5交響曲より)、衣装デザインはピエロ・トージが各々担当。

1911年のヴェニス(ヴェネチア)。グスタフ・アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は休暇をとって、
ひとりこの水の都へきたドイツ有数の作曲家・指揮者である。蒸気船やゴンドラの上で、さんざん不愉快な
思いをしたアシェンバッハは避暑地、リドに着くと、すぐさまホテルに部屋をとった。

サロンには世界各国からの観光客があつまっていた。アシェンバッハは、ポーランド人の家族にふと目を
やった。母親(シルヴァーナ・マンガーノ)と三人の娘と家庭教師、そして、母親の隣りに座った一人の
少年タジオ(ビヨルン・アンデルセン)にアシェンバッハの目は奪われた。すき通るような美貌と、
なよやかな肢体、まるでギリシャの彫像を思わせるタジオに、アシェンバッハの胸はふるえた。
その時からアシェンバッハの魂は完全にタジオの虜になってしまった。

北アフリカから吹きよせる砂まじりの熱風シロッロによってヴェニスの空は鉛色によどみ、避暑に
きたはずのアシェンバッハの心は沈みがちで、しかも過去の忌わしい事を思い出し、一層憂鬱な気分に
落ち込んでいった。ますます募るタジオへの異常な憧憬と、相変らず、重苦しい天候に耐え切れなくなった
アシェンバッハは、ホテルを引き払おうと決意した。
出発の朝、朝食のテーブルでタジオを見た、アシェンバッハは決意が鈍った。だが駅に着いたアシェンバッハは、
自分の荷物が手違いでスイスに送られてしまったと知ると、すぐにホテルに引き返した。
勿論アシェンバッハの心は、タジオとの再会に、うちふるえていた。タジオへの思いをアシェンバッハはもう
隠そうともしなかった。タジオの行く所、いつも、アシェンバッハの熱い眼差しが後を追った。
タジオも、ようやく気づき始めているようだ。

しかしこの頃、ヴェニスには悪い疫病が瀰漫しはじめていたのだ。街のいたる所に、消毒液の匂いが立ちこめ、
病い冒され、黒く痩せ衰えた人々が、行き倒れになっていた。しかし、観光の街ヴェニスにとって旅行者に
疫病を知られることは死活問題であり、それをひた隠した。何とか聞き出したアシェンバッハはそれが、
真性コレラであることを知った。アシェンバッハは、それでも、ヴェニスを去ろうとはしなかった。
ただ、タジオの姿を追い求めて、さまよった。精神的な極度の疲労の中、肉体もコレラに冒されて、浜辺の
椅子にうずもれたアシェンバッハの目に、タジオのあの美しい肢体が映った。海のきらめきに溶け込んで
ゆくかの如き、タジオの姿にアシェンバッハの胸ははりさけんばかりとなり、最後の力をふり絞って差し
のべた手も、遂に力尽き、ガックリと息絶えた。(Movie Walker)

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometr:76% Audience Score:82%>



by jazzyoba0083 | 2017-08-21 23:20 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)