ハングリー・ハーツ Hungry Hearrs

●「ハングリー・ハーツ Hungry Hearts」
2014 イタリア Wildeside,Rai Cinema.109min.
監督・脚本:サヴェリオ・コスタンツォ  原作:マルコ・フィランツィーゾ
出演:アダム・ドライヴァー、アルバ・ロルヴァケル、ロバータ・マクスゥエル、アル・ローフェ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
本作の感想の前に、欧州映画のことについて触れておきたい。この作品で、主役の二人は
2014年度のヴェネチア国際映画祭で最優秀男優、女優賞に選ばれている。作品全体の
出来が良くなければこうしたことはないので、一定の評価は受けているのだろう。
他の作品のブログでも触れたが、私はいわゆる世界三大映画祭と言われる「ヴェネチア」
「カンヌ」「ベルリン」で賞を獲るタイプの映画があまり好みではない。どういう映画かというと
精神的、内向的、形而上的、哲学的とでもいうのか、非常に神経質な映画という風にとらえて
いて、いかにエンターテインメントのふりかけが掛けてあっても、どうも好みに合わないのだ。

そうした映画を好む人を非難しようというのではない。それはそれで立派な嗜好であるし、
イタリアやフランスで綿々と続いている「精神的社会を描く」作風の良さを認められる人であるから。
私はそれはそれで羨ましいと思う。私も三大映画祭の作品の中でも面白い!と思うものがある。
だが、個人的な嗜好はハリウッド・エンターティンメントに向いているのだ。先日の「パターソン」
(これもアダム・ドライヴァーだった)のジャームッシュ、スパイク・リー、アルトマンらの描く世界の
ほうが同じ精神的な側面を取り上げてあっても好きなのだ。賛同いただけるかどうかの問題では
なく、そうした嗜好を持っている映画好きもいるということをご理解頂いて本作の感想を
お読みいただきたい。アメリカの映画評価サイトでは評価が低く出るのある意味仕方がないの
だろう。

この映画には原作がある。書籍的に評価されたものを映像化してそれと同程度の良いものが
出来るか、あるいは原作を凌駕できるものになるかは題材による。本作のように精神世界を
描いたものは、なかかな原作に迫るのは難しいのではないか。たとえば村上春樹の「1Q84」を
映画化することを思ってみると良いかもしれない。

イタリア映画だがオールNYロケで、日本での配給元によればジャンルは「サスペンス」である。
そして、「満たされない心」とでも訳すのか、心が複数形になっていることに注目すべきであろう。
出だし。NYの中華料理店の男子用トイレ。下痢で飛び込んだジュード(ドライヴァー)が
用を足している所に間違って入ってきてしまったイタリア大使館勤務のイタリア人?ミナ。
間違って入ってきてしまったがドアがスタックして出られなくなってしまう。そこが主人公たちの
出会いである。トイレは10分以上の長回し。なかなか面白い出だしであり、その後、何を間違ったか?
(演出に決まっているが)映画「フラッシュダンス」のテーマ「What a feeling」に乗せての
結婚披露宴とテンポも良い。そしてミナに起きる転勤話、望まぬ出産・・・。
このあたりからホラーのテイストさえ帯びてくる。ミナは非常に神経症的というかサイコパスとでも
言えるような性格で、占いを信じ、自分の子は「インディゴ」(選ばれた子)であると信じ、
超音波を嫌がり医師を拒絶、屋上に作った温室で育てた野菜しかたべないビーガンなので、胎児は
育たず、更に本人の栄養不足もあり自然分娩もムリといわれる。が頑として聞き入れない。

そして男の子が生まれるのだが、子供にも野菜しか与えず、外に出さず、誰にも合わせず、
日光に当てず、という育て方をしていた。あまりのことにジュードは医師に相談するが、
動物性の蛋白を取らせないとダメだ、危険だ、と言われる。ジュードはミナがいない時
ベビーフードなどをこっそり与えるのだが、ミナは吸収を阻害するオイルを与えてしまう。

発育不足は明らかだった。しかし、ミナは自分の子供は特別だと言い、絶対に言うことを
聞かない。困り果てたジュードはケースワーカーに相談し、ミナから子供を奪って母親のところに
預けた。しかし、ミナはやってきて、変なオイルを与えている。やがて子供の取り合いから
ミナが転倒し怪我をする。ミナはこれを警察に訴え、親権を警察の手により奪ってしまう。
しかし、これを不幸とみたジュードの母親に猟銃で射殺されるのだ。

手早く言うとそういう話なのだが、とにかくミナを演じたロヴァルケルの演技がもう天然の
サイコパスではないか、と思われるくらい不気味でイラつく。母親の気持ちもわからない訳では
ないのだが、子供のことを思え!と怒れてくる。どうオチを付けるのかと思っていたら、これが
ちょっと味気ない幕切れ。おばあちゃんの心も分かる。子供に名前をつけないとはどう言うこと?

ミナ(ロヴァルケル)は登場した時から何かしら精神的にやばい感じを醸し出していた。これは
ほぼ精神的にやられた悪い母の話なのか、そうした境遇に追い込んだジュードのせいなのか、
ハーツ、と複数形であるように、おばあちゃんも含め、満たされぬ心(たち)の話なのだろうか。
とても欧州的、イタリア的なアプローチの映画だと感じた。

加えれば、画作りがとても凝っていて、ちょっと見られないアングルとか、魚眼を使ったショット
ジャンプカット気味の編集とか心理を表そうとする映像面の工夫は買いたい。
ただ、なにせ、観終わって、とても気分がスッキリしない、なんか映画の闇を引きずってしまうような
作品。心の調子が悪いときに観るものではありません。ご注意を。
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<ストーリー>
ニューヨークで運命的に出会い、恋に落ちたジュードとミナ。やがて結婚し、2人の間には
可愛い男の子が産まれる。それは幸せな人生の輝かしい始まり――のはずだった。
しかし息子の誕生後、独自の育て方にこだわり神経質になってゆくミナは、息子が口にするもの、
触れるものに対して次第に敵意と恐怖心を露わにし始める。やがてその攻撃の矛先は、
医者や友人そしてジュードの母親、更にはジュード本人にまで向けられてゆくが、彼はそんな
妻の異常とも取れる頑なな愛情を、何とか理解し、支えようとする。
しかしその結果、息子の体が徐々に変調をきたし始めたことで、ジュードは遂にある決断を迫られる。
果たして、その答えの先に、彼らを待ち受けるものとは―。(日本配給:クロックハーツHP)

<IMDb=★6.4 >
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:64% Audience Score:53% >







by jazzyoba0083 | 2017-10-08 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)