●「マグニフィセント・セブン The Magnificent Seven」
2016 アメリカ MGM,Columbia Pictures.133min.
監督:アントワーン・フークア
出演:デンゼル・ワシントン、クリス・ブラット、イーサン・ホーク、ヴィンセント・ドノフリオ、
   イ・ビョンホン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、マーティン・センスマイヤー、ヘイリー・ベネット
   ピーター・サースガード他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
よく出来た活劇である。黒澤「七人の侍」、これにインスパイアされた「荒野の七人」の
リメイク作品で、アメリカ人(でなくても)が大好きな、勧善懲悪西部劇だ。
ありがちなストーリーでは有るけれど、登場人物それぞれにまつわるエピソードやキャラ付けも
上手く、(下手に作ると黒澤明やジョン・スタージェスに失礼だろう)質の良い西部劇に仕上がった。
エンディングロールの音楽は「お!」と思う仕掛けがある。

現在のトランプ大統領時代に見ると、作品の構図が一段と際立つ。村を守る7人は、黒人、インディアン、
東洋人、アイルランド系、メキシカンなど、アメリカが成立してきた過程の人種の集まりである。
片や、ラスボスは金採掘で悪どく儲け、村の土地を奪おうとする成り上がりの白人資本家。まるで
トランプだ。
見どころはもちろん、7人が村人と組んで、悪人どもと一大決戦をし、死者けが人も多数でるが、最後は
勝利するというところ。7人の内4人も命を落とす結末だ。その悲劇性が物語を一層劇的に仕上げる。
村人組は悪人側のガトリング銃(機関銃)の登場で、被害甚大となるのだが、これの粉砕に臨む
ファラデー(クリス・プラット)の仕掛けに快哉を叫ぶ。もちろん全員が銃の名手なのでガンファイトは
見応え充分だ。なかでもグッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク)はワケアリのスナイパーで
またその活躍も見どころ。彼とコンビを組む謎の東洋人ビリー(イ・ビョンホン)はナイフの名手だ。

悪党らに旦那を殺され、正義と復習のためサム・チザム(デンゼル・ワシントン)に助けを求める女性
エマのヘイリー・ベネットが儚げなのだが芯が強い女性を演じて、一服の清涼剤的存在。
彼女まだ29歳なんだね。もっと大人にみえた。

監督のアントン・フークアとデンゼルは「トレーニング・デイ」「イコライザー」でコンビを組んでいた。
また個人的にはこの監督の「ザ・シューター/極大射程」が大好きだ。全般に活劇の作劇が上手い人。
本作においても伏線の回収も含め手堅く上手く纏めてある。デンゼル・ワシントンの秘密がラストで
明かされるが、まあ、こうだろうなあ、という納得の展開だ。
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<ストーリー>
黒澤明監督による不朽の名作「七人の侍」を西部劇に翻案した「荒野の七人」をデンゼル・ワシントン、
クリス・プラット、イーサン・ホークら豪華キャストでリメイクした西部劇アクション。
監督は「トレーニング デイ」「イコライザー」のアントワーン・フークア。
 
開拓時代の小さな田舎町。そこでは冷酷な悪徳実業家バーソロミュー・ボーグが町の資源を独占しようと
荒くれ者たちを従え、傍若無人の限りを尽くしていた。ある日、ボーグに夫を殺されたエマは、サムと
名乗る賞金稼ぎの銃の腕前を見込んで、町を救ってほしいと住民からかき集めたなけなしの全財産を
差し出し懇願する。最初は興味を示さなかったサムだったが、この依頼を引き受けることにし、
ギャンブラーのジョシュをはじめ腕利きの男たちのリクルートを開始する。こうしてワケありの
アウトロー7人が小さな町を守るために雇われ、やがて彼らはボーグ率いる200人超の悪党軍団に
無謀とも思える戦いを挑んでいくのだったが…。(allcinema)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=357279こちらまで。


by jazzyoba0083 | 2017-02-05 15:30 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)

●「沈黙ーサイレンスー Silence」
2016 アメリカ Cappa Defina Productions and more.162min.
監督:(共同)製作・脚本:マーティン・スコセッシ 原作:遠藤周作『沈黙』
出演:アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、窪塚洋介、イッセー尾形、浅野忠信、塚本晋也
   加瀬亮、リーアム・ニーソン他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
2時間40分を超える長編であったが、眠くなったり、ダレたりは一切なく、緊張感の中で
濃密な時間を過ごせた。原作は未読であるし、現実のキリスト教徒や西欧の人たちが観たら
別な感想もあるだろう。私は、もっと小難しい宗教論を描こうとしたのか、と身構えたが、
後段に進むに連れ、エンディングに向かうに連れ、心の中の疑問は個人的に氷解していったのだ。

スコセッシは幼い頃から宗教に興味を持ち、司祭になろうとしたこともあったそうだ。成長し
映画人となってからも、宗教に根ざす考えは変わらず、傑作「タクシードライバー」の主人公
トラヴィスの根っこにも宗教性を感じるしスコセッシはそう描いたのだろう。
「人間は善か、悪か、また両方か」という自ら終生持ち続ける監督にしてみれば、本作に
触れた瞬間、映像化が自分の仕事だと思ったに違いない。原作に出会ってから28年、映画人と
して50年の時間を経て、その時がやってきたわけだ。

話は単純。江戸初期、キリシタンがご禁制となった時代に、棄教した、と伝えられた先輩司祭で
恩師である神父を追って長崎にやってきたポルトガルの若き司祭2人。彼らが目にしたのは苛烈な
隠れキリシタン迫害とそれでもひたむきに信仰に生きる日本の農民たちの姿だった。我が村の司祭として
迎え入れられた2人だったが、長崎奉行井上筑後守の手が伸び、囚われ拷問を受ける信徒と、苦しむ
彼らを助けるため棄教せよ、と迫られる。神への忠誠を守るべきか、信徒の命を守るべきか、
神は「沈黙」したままだった・・・。

<ここから先は、結末まで触れていますので、未見の方はお気をつけください>

徳川家がキリスト教を禁じ鎖国に転じたのは、西欧列強からの侵略を防ぐためで、当時の政策と
しては良し悪しは別として理解は出来る。故に、井上筑後守が「キリシタンは日本では育たんのだ。
日本は沼で、苗を植えても腐るだけだ。」とパードレを説得する。さらに通詞(浅野)が言う
「踏み絵は形だけだ。踏み方も自由で良い。そっと触るだけでも良いのだ。それで自由の身だ」と
いうセリフも極めて日本的である。「形だけ」、役人のセリフである。大方の日本人の観客は
その時点で、こう思うだろう。「踏み絵を踏んでも、心の中で信仰を捨てなければ良いのだ。
何も命まで奪われることはなかろう。そもそもイエスは全ての罪深い人のために十字架を
背負ったのではないか」と。
事実、作品の中でも神の声(だと思う)は踏み絵を躊躇する信徒を見つめるパードレの心に
「踏め、踏んで良いのだ」と語るのだ。

結局、若き2人の司祭のうち一人は、信徒を助けようとし殉教し、もう一人の司祭(ガーフィールド)は
信徒を守るべく棄教した。行方不明になっていた恩師とも長崎の寺で会うことになる。
彼はキリスト教は欺瞞であるとの本さえ書いていた。日本ではキリスト教は育たない、彼もそう
悟ったという。
若き司祭は日本名を貰い、江戸で妻子を得て日本人として暮らし死んでいく。葬式も仏教式で。
だが、棺桶の中の手の中にあったのは、最初に上陸した村のモキチから貰った木彫りのクロスで
あったのだ。彼は転んでからその後、一切宗教的なことを口にせずキリスト教徒は縁を切った
生活をしていた。だが、それは外見だけ。だれも覗けない心のなかでは、固いキリスト教信者で
あったのだ。ラストにもこの司祭を許す神の声(だと思う)が流れるが、キリスト教信者はこの段の
受け止め方には賛否有るだろう。

そう、神は沈黙はしていなかったのだ。信徒や司祭の心に必死に語りかけていたのだ。だが、それが
聞こえるか聞こえないかは、信仰の温度や深さによるのだろう。殉教を神の国(パライソ=パラダイス)
への昇華と信じて死を受け入れる信者や司祭もいたのだ。それが神の御心に沿うものかどうかは私には
分からない。
映画の結末としては腑に落ちるのだが、信仰とは何か、人間にとって神の存在とは何か、という点に
ついては、観客それぞれに問われているのだった。正解はない。

本作では、2人の司祭をマカオから長崎に案内し、その後ずっと関わり続けるキチジロー(窪塚洋介)と
いう存在が重要である。彼こそ、一般人、映画の観客の投影であり、神を信じている一方、極めて人間的な
欲求のままに動く。キチジローは江戸まで出てきて棄教したはずの司祭に告解を受けてくれ、と
迫る(このシーン、彼が幕府の回し者となり、棄教が本物が仕掛けて来たのではないかと疑ったが)。
彼の揺れ動く心に私たちは自分を見るのであろう。彼が司祭に向かって言う「わしらのような
弱い者はどこへ行けばいいのか」という慟哭は今の私達の胸を打つ。

本作鑑賞を機に日本のキリスト教の割合を調べてみた。1%である。なぜもっとキリスト教が
根付かないのか。キリスト教の中でもこの分析が行なわれているが、この映画の中で長崎奉行
井上筑後守が縷縷説明しているように「神道、仏教という完成された宗教がある日本に、
西欧的な思想によって完成されたキリスト教という考えが入り込む隙間は小さく、キリスト教と
いう大木を沼に植えても育たない」と。こういう分析は現在の日本のキリスト教内部でも
行なわているようだ。本作から窺い知れる日本のキリスト教布教の過酷さが窺い知れる。
私もカソリック系ミッション・スクールの出身であるが、卒業生が全員キリスト教徒に
なるわけでは全く無いのだ。

時間を掛けた映像は迫力があり、説得力がある。日本側の出演者も良い。しかし、長崎の
役人からキリシタンまで、当時英語があんなに上手かったとは驚きだ。

個人的には極めて満足できる映画と出会った。
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<ストーリー>
遠藤周作が信仰をテーマに、世界の不条理と人間の本質に深く迫った日本文学の金字塔『沈黙』を、
長年映画化を熱望してきた巨匠マーティン・スコセッシ監督が、原作との出会いから28年の時を経て
遂に撮り上げた渾身の歴史ヒューマン・ドラマ。
非情なキリシタン弾圧が行われている江戸初期の長崎を舞台に、自らの信仰心を極限まで試される若い
ポルトガル人宣教師の壮絶な葛藤の行方を力強い筆致で描き出す。
主演は「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールド。共演にアダム・ドライヴァー、
リーアム・ニーソン。また浅野忠信、窪塚洋介、塚本晋也、イッセー尾形はじめ日本人キャストも
多数出演。
 
17世紀、江戸初期。日本で布教活動を行っていた高名なポルトガル人宣教師フェレイラが、キリシタン
弾圧を進める幕府の拷問に屈して棄教したとの知らせがローマに届く。さっそく弟子のロドリゴとガルペが
真相を確かめるべく日本へと向かい、マカオで出会った日本人キチジローの手引きで長崎の
隠れキリシタンの村に潜入する。
そして村人たちに匿われ、信仰を通じて彼らと心を通わせていく。やがてロドリゴたちの存在は、
狡猾にして冷酷な手段を駆使して隠れキリシタンをあぶり出しては、彼らに“転び(棄教)”を迫る
長崎奉行・井上筑後守の知るところとなり…。(allcinema)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=358205#1こちらまで。


by jazzyoba0083 | 2017-02-05 12:25 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)