2017年 03月 08日 ( 1 )

●「ピアノ・レッスン The Piano」
1993 オーストラリア CiBy 2000,Jan Chapman Productions.121min.
監督・脚本:ジェーン・カンピオン  音楽:マイケル・ナイマン
出演:ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、サム・ニール、アンナ・パキン、ケリー・ウォーカー他

e0040938_17094551.jpg

             <1993年アカデミー賞主演女優賞、助演女優賞、脚本賞 受賞作>
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

悪く言う人の少ない映画だが、う~ん、評価が難しい作品だなあ、私には。だってまともな人が一人も出て
こないんだもの。そりゃ、ピアノ曲は確かに美しいし、このニュージーランドの女流監督の描く世界って、
表現する愛情の形態ってこのようなものであろうか、とは思うのだけれどね。
例えば、allcimemaの批評には「激しい心情を内に秘めたエイダ役を演じるH・ハンターと、そんな彼女の
心の垣根を一枚一枚剥がしてゆくH・カイテルとの“純愛”には、観るものの胸を打つものがある」とあるが、
主人公が口を利かない女性とはいえ、そんな大層な事だったのかなあ、そこまで「胸を打」たなかった。
だって全員変なんだもの。

1800年代半ばの事であります。娘が言うには前の夫はスコットランドで雷に打たれ死亡、それを見ていた母は
驚愕の余り話せなくなってしまったらしい。(子供らしいウソ)主人公エイダは耳はちゃんと聞こえている。が
何らかの心的外傷を受けて、口を利かない、利けなくなった。娘フローラの父である前の夫との間にトラウマが
あるのかもしれない。本作の主人公の女性が「口を利かない」事にこの映画の大きなポイントが有る。

彼女と一人娘フローラは写真見合いで当時イギリスの植民地であったニュージーランドの新しい夫スチュワート
(ニール)の元にやってきた。グランドピアノを船便で持ってくるとは貧乏じゃ出来ないと思うぞ。
で、新しいダンナはピアノは大きくて邪魔だからと家に運ばず、浜辺に放置。するとマオリ族崩れの地元の白人男
バーンズ(カイテル)がやってきて俺の土地と交換で、ピアノをくれ、という。そしてエイダに黒鍵の数だけ俺を
レッスンしてくれというのだ。バーンズさんてば、ホントにピアノが弾けるようになりたいという事ではないのは
お立ち会い、ご想像の通り。そしてスチュワートがエイダの抗議を受け付けず、ピアノを浜辺に置き去りにした、と
いうのが彼女のスチュワートに対する心の大きな傷のメタファーとして存在するのだな。だって、このピアノ
バーンズの家に据えられて、レッスンと称する愛を育む場となるわけだから。

まあ、これから美しい?不倫の始まりだ。かわいそうなのは旦那のスチュワートだ。結構優しくしてくれている
のに、フローラも一応なついているのに、間男バーンズに惹かれていく。お母さんと間男の房事を目撃してしまう
フローラ。そしてスチュワートも自分の前では女性らしい姿にならないエイダが、バーンズと裸で抱き合っている!
とう光景を覗いちゃう。なおかつ、ピアノの部材を抜き出して、焼いた針で、愛のメッセージを作りバーンズに届け
ようとする。メッセンジャー役のフローラが、新しい父ちゃんを裏切れない、とそれをスチュワートに見せちゃうのだ。
するってーと、激怒したスチュワートは斧でエイダの人差し指を切り落としちゃうんだよね。痛そうなんだけど、
顔色一つ変えないエイダ。ええ、何かい、痛みよりバーンズへの愛が強いってか?それでも、「俺を愛してくれ」とか
いうスチュワート、そして彼の腕の中にいるエイダの表情は氷のようだ。
ピアノの一部をバーンズに届けるというのもわかりやすいメタファー。自分はもはやあなたのもの、てな感じだ。

エイダの強い思いを知り、二人してどこかへ行っちゃえ、と大人なスチュワート。(いやあ、びっくりするほど寛容
じゃないか。変な人だよ)知らない島へもグランドピアノを連れて行くのだが、途中で海に捨ててしまう。縛って
あったロープの端がエイダの足に絡み、ピアノと一緒に沈んじゃうんかい、と思ったらさにあらず。エイダは助かった
のであります。

そしてエンディング、どこかの島で、義足ならぬ義指でピアノを引くエイダ。バーンズと娘との幸せな生活が
あったのだ。しかし、時々エイダは沈んでいくピアノの夢を見るのだった。このシークエンスのみに外光がそそぐ
明るいシーンがある。その他は全編雨や曇りの陰鬱な場面ばかり。その明るさもエイダの心情を表出しているし、
海に沈んだピアノ、というのも、わかりやすいメタファーだと思った。自分の過去の暗い闇がピアノと一緒に
沈んだのだね。

全体として暗く、しかし純愛を描いているそうだけど、確かに斧で指を切っちゃったスチュワートは悪いけど、
原因を作ったのはエイダでしょ?旦那は、そりゃピアノを放置させたけど、DVだったの?子供を殴ったり
意地悪したの?そうじゃないでしょう?フローラはなついていたじゃないの。結構いい人だったじゃないの? 

エイダ、覚悟を持って地の果て(当時)に来たのだろうに。バーンズに純愛を覚醒させられたのね。
家事をしている姿も見えなかったけど、過去に辛い愛情生活を送ってきたか知らないけど、原因を作ったのは
エイダ自身でしょ。(だから指を切られても表情を変えなかったのだろうが)
バーンズとエイダの間が(純愛?が)どうしようもなくなってしまうほどの時間の流れが描き切れていたかと
いえば不満が残る。この映画の何処がいいんだ!とキレるつもりはないし、★7ほどの魅力は確かにあるでしょう。
でも女流監督(こういうと性差別者といわれそうだが)が同性の愛や恋をねちっこく描くとこうなるんだろうな、と
いう「湿っぽさ」「割り切れなさ」「意地悪さ」に溢れた作品であると私は思った。何度も言うけど出てくる人、
みんな変なんだもの。エイダはバーンズという自分の愛情の決定的な収まり場所を見つけてしまったのだね。
それが全部の不幸と全部の幸せの元である、と。ピアノはエイダの化身であったか、エイダがピアノの化身であったか。
天下の名作をボロカスにいいおって、とお怒りの方、すんません。私にはどうしても上記のようにしか見えなかったので。
邦題はみなさんご指摘のように原題のままのほうが映画の意味がよく出ていたのでは、と思う。

e0040938_17105151.png

<ストーリー>
19世紀半ばのニュージーランドを舞台に、ひとりの女と2人の男が一台のピアノを媒介にして展開する、三角関係の
愛のドラマ。「スウィーティー」「エンジェル・アット・マイ・テーブル」に続くニュージーランド出身の女流監督
ジェーン・カンピオンの長編第3作。音楽は「髪結いの亭主」のマイケル・ナイマンで、演奏はミュンヘン・フィル
ハーモニック(ピアノ・ソロはホリー・ハンター)。
主演は「ザ・ファーム 法律事務所」のホリー・ハンター、「ライジング・サン」のハーヴェイ・カイテル、
「ジュラシック・パーク」のサム・ニール。共演はオーディションで選ばれた子役のアンナ・パキンほか。
93年度カンヌ映画祭パルムドール賞(オーストラリア映画として、また女性監督として初)、最優秀主演女優賞
(ハンター)受賞作。93年度アカデミー賞脚本賞、主演女優賞(ハンター)、助演女優賞(パキン)受賞

スコットランドからニュージーランドへ、エイダ(ホリー・ハンター)は入植者のスチュワート(サム・ニール)に
嫁ぐために、娘フローラ(アンナ・パキン)と一台のピアノとともに旅立った。口がきけない彼女にとって、
ピアノはいわば分身だった。だが、迎えにきたスチュアートはピアノは重すぎると浜辺に置き去りにする。
スチュワートの友人で原住民のマオリ族に同化しているベインズ(ハーヴェイ・カイテル)は、彼に提案して自分の
土地とピアノを交換してしまう。
ベインズはエイダに、ピアノをレッスンしてくれれば返すと言う。レッスンは一回ごとに黒鍵を一つずつ。
初めはベインズを嫌ったエイダだったが、レッスンを重ねるごとに気持ちが傾いていった。2人の秘密のレッスンを
知ったスチュワートは、エイダにベインズと会うことを禁じる。彼女はピアノのキイにメッセージを書き、
フローラにベインズへ届けるように託す。それを知って逆上したスチュワートはエイダの人指し指を切り落とす。
だが、彼女の瞳にベインズへの思慕を読み取った彼は、ベインズに2人で島を去るがいいと言う。
船出してまもなくエイダはピアノを海に捨てた。エイダ、ベインズ、フローラの3人は、とある町で暮らし始めた。
エイダは今も時々、海中に捨てられたピアノの夢を見る。(Movoie Walker)

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90% Audience Score:86%>

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=18876#1こちらまで。


by jazzyoba0083 | 2017-03-08 23:35 | 洋画=は行 | Comments(0)