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切腹

●「切腹」
1962 松竹映画 108分 
監督:小林正樹 脚本:橋本忍 原作:滝口康彦『浪人異聞記』撮影:宮島義勇 音楽:武満徹
出演:仲代達矢、三國連太郎、丹波哲郎、石浜朗、岩下志麻、稲葉義男、三島雅夫、中谷一郎、佐藤慶他
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<★★★★★★★★★☆>
<感想>

すごい映画を観た。小林正樹監督の作品はこれまでさして興味もなく未見だったのだが、先月WOWOWで
何本か放映する機会があり、内容お面白そうだったので、録画して鑑賞に及んだ。
人生の中でインパクトある映画に遭遇する機会は何回かあるけど、本作はまさにそれだ、と思った。

もう、出足からグイグイとストーリーに引き込まれる。宮島のキャメラも、多彩なが画角と奥行きを深くとり
陰影を強調しつつ全面の人物に語らせる、など映像表現上においても優れた作品といえ、かつ武満徹の音楽が、
ある種陰鬱な映画にフィットして見事である。更に、仲代、三國、丹波、といった日本を代表する名優たちの
鬼気迫る演技も素晴らしいとしか言いようがない。
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まず驚いたのが、ストーリーの骨格をなす、「名家の庭先での切腹の申し出」ということ。こんなことがホントに
あったのだろうか、とその「新鮮さ」にまず驚いた。これは関ヶ原から間もない1600年代中盤、浪人が沢山
生まれてしまい、仕官もままならず、家族を抱えて食い詰めていた。
そこで出てきたアイデアが、名家を訪ね、「拙者は元〇〇家家臣、〇〇と申すもの。主家廃絶の折から、生活は
困窮、仕官もままならず、これから生き恥を晒すより、武士として腹かっさばいて本分を尽くしたい。
当家に置かれては是非、庭先をお借りしたい」と語りる。当然訪ねられた家は大迷惑。かつては仕官がかなった
人物もいたため、浪人たちの間で「切腹を語った小銭稼ぎ」が横行していたが、訪ねられた家は、そこそこの
金子を与えて引き取って貰っていたのだった。

近江の赤備えで武勇名高い、「井伊家」。この江戸屋敷に、千々岩求女(石浜朗)が、同様の言上を語り
やってきた。この手の武士の風上にも置けない廃れ浪人に対し、井伊家家老斎藤勘解由(三國)は、一旦は
「なかなか見上げた心持ち、主君にお目通りを」と騙し、「そこもとの切腹の意思は固いと見える。ならば
見事本懐を遂げさせて差し上げよう」と、切腹実行へと事を運ぶのだった。
千々岩としては、全然そのつもりもなく、金子の少しでも貰って帰ろうとしていたところ、何と、ほんとに
切腹の儀式が始まってしまったのだ。武士に二言は有りえず、進退窮まった彼は数日猶予を頂きたい
(家に帰って病身の母子に別れを告げたかったのだろう)、必ず帰ってくるから、というも、家老らは
聞き入れない。「さ、見事切腹を」と、中庭の白洲に準備一切を整えた。しかし、千々岩が切腹に使う脇差しは、
中身をカネに変えたため、竹光だった。
家老らは、千々岩に竹光で切腹せよと言い募る。覚悟を決めた千々岩は、竹光で腹を切ってみるものの切れる
ものではなく、遂には腹に竹光を突き立て、悶絶した。介錯人は沢瀉彦九郎(丹波)。こいつも意地悪いやつで
千々岩に「介錯を!」と懇願されても、「いや、十分に切られめされよ」と言って苦しめる。千々岩の
体力も尽き果てる際に、沢瀉はやっと介錯しクビを落としたのだった。

そんなことがあった後、また井伊家に、今度は芸州福島家元家臣津雲半四郎(仲代)と称する浪人が
現れた。井伊家では、彼を招じ入れ、再び見せしめに切腹させるつもりで準備した。津雲自身も、
「拙者、僅かな金子を所望に来たのではない。切腹するつもりでやってきたのだ」と正々堂々としている。
そこで井伊家では千々岩のときと同じように中庭に場を設け、切腹の段取りを勧めた。
そこで津雲は、介錯人に沢瀉彦九郎を指名する。だが、かれは今日は出仕していない。しばらくは出仕できない
という。それでは、と指名したふたりとも、病気を理由に出資していなかった。使用人が沢瀉の家に出仕を命じに
出かける間、津雲は、家老に是非お聞き頂きたいことがある。死に行くものの話として聞いてくれと、
自分の出自を話し始めた。

それによると、津雲は、先日井伊家で壮絶な詰め腹を切らされた千々岩求女の義父であった。津雲は娘美保(岩下)を
困窮する千々岩の気持ちを押し切って2人を夫婦とした。しかし、生まれた子供は病気勝ちで、美保はどうやら
労咳にかかっているらしい。そうした中で、千々岩は井伊家に何がしかの金子を「押し売り切腹」を仕掛け
せびるつもりで出かけたのだが、なんとホントに切腹する羽目となり、家族にも会えず憤死してたのだった。

それを受けた義父津雲半四郎は、井伊家のあまりのやりように、半ば復讐として、半ば武士の沽券の問題として
命を賭してやってきたのだった。事の顛末に驚く井伊家の面々。さらに、津雲は沢瀉ら、千々岩に残酷な所業を
した3人の馬廻り役を懲らしめ、命を奪われると同じ、という曲げを切り取り、白洲の上で懐から3つの切り取った
曲げ老中に放り出してみせたのだった。

「狼藉者が!切って捨てよ」という老中の掛け声で屋敷中の家臣が出てきて、剣戟の一幕となった。存分に
斬り結んだ津雲は、井伊家の象徴である赤備えの甲冑を抱えて畳に叩きつけたところに、火縄銃で射殺されたの
だった。老中斎藤勘解由は、家臣に、「津雲は見事本懐を遂げた。殺された家臣や沢瀉らはあくまで病死である。
怪我をしたものは篤く手当せよ」と命ずる。つまり、津雲の騒動は無かったことにしたのだ。武家の対面として。
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さて、本作から何を受け止めるべきだろうか。タイトルは「切腹」。この言葉に、武家社会のテーゼとアンチテーゼが
内包されている、と思う。「建前・体面」と「本音・実質」、さらに突き詰めると、「武士・武家はどうあるべきか」と
いう命題へと収斂されよう。

大阪夏の陣から16年、武士としての心構え、心情、武士の情けに象徴される人間味、そした戦場の実践から生まれた
武家の作法というものが、平和な世界になり次第に形骸化、様式化され、武家も刀を抜かなくって長い年月が経過する。
時代は次第に文化が花咲く時代へと変質していくのだ。

こうした時代の移ろいのなか「武家の本分」といったものが、曲がっていってしまった時代に、津雲半四郎は、
敢然と立ち向かい、武士とはそういうもんじゃないだろう、と訴えた。

一方、お家大事、主家大事となれば何万という家臣が露頭に迷うことにつながる不名誉は老中としては絶対に
避けなければならない。だから、ラストで老中が全てを無かったこととして葬り去ろうとしたことは、これはこれで
この時代、誰が非難出来たであろうか。

本作を「社会派」と称し、現代でのメタファーを求める方もいらっさるだろう。
それはそれで否定はしないが、小林正樹がここで描きたかったのは「切腹」という象徴的な事象を通し、江戸時代初期の
「武士道の有りよう」を独特の人間性と物語性をもってして提示したのではないか、私はそう思った。
しかし、生死感、人間の残酷性などなどいろんな意味合いが受け取れる、よく出来た映画である。
ただ、多くの方が指摘されているように、最後のチャンバラは、もう少しなんとかならなかったかな。物語性の濃さを
減じる効果しかない。

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=140556#1こちらまで。

by jazzyoba0083 | 2016-12-03 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

お早よう

●「お早よう」
1959 日本 松竹映画 94分
監督・(共同)脚本:小津安二郎
出演:佐田啓二、久我美子、笠智衆、三宅邦子、杉村春子、設楽幸嗣、島津雅彦、沢村貞子、東野英治郎
   長岡輝子、三好栄子、大泉滉、泉京子、高橋とよ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>

「彼岸花」「秋日和」の姉妹編。タイトルの演出なども含めて、小津監督のなかでは1958、59、60、の
三連作という括りなのだろう。内容は親子の人情ではなく、いわば群像劇ではあるが本作では家にテレビが
欲しい兄弟が狂言回しとして登場、おでこを弾くと「ぴよ~ん」と音が出たり、おならだったり(うんちが
もれちゃう)、コメディ色が強い。林家の弟を演じた島津雅彦は、黒澤映画「天国と地獄」で、三船敏郎の
家の運転手の息子を演じていたんだな。なかなか達者である。「アイ・ラブ・ユー」という掛け声が良い!
私の昭和34年が丁度このくらいの子供だった!

 小津監督が赤の発色が良いからと使ったドイツのアグファフィルムが本作でも使われ、画面の中で、朱色の
存在をさりげなく主張する。それは味の素やキッコーマンの容器の頭部分であったり、住宅の壁に掛けられた
フラフープだったり、兄弟の着るセーターに入ったラインであり、住宅の廊下の消化器や、脚立の天板であり、と
基本的にはどのフレームにも朱色や赤が置かれ、動かない画面の重心を取っているとともに、アクセントにも
なっている。また小津映画の特徴である短いセリフのオウム返しはここでも子役まで含めて健在である。
「いい天気ですねえ」「ほんといい天気」「ほんとにいい天気です」。という具合。タイトルの「おはよう」は
もちろん挨拶であるが、ここでは大人による無駄な言葉の代表選手として登場している。林家の兄弟は
お父さんから「無駄口をたたくな」と叱られ、だんまり作戦に出るが、彼らは大人こそ挨拶など無駄なことを
いってるという。だが佐田啓二は「挨拶が無くては味気ない。そういう言葉は生活の円滑剤だ」と喝破する。
本作の主題がそこにある。

「文化住宅」「14インチの白黒テレビ」「フラフープ」「普段は着物姿の主婦」「55歳定年」「押し売り」
「月賦」などなど昭和半ばの文化史を保存する上でも立派な史料となりうるものとなっている。
 林家の兄弟は中学と小学生なのだが、そのわりには笠智衆がおじいさんのようだと思うのだが、笠智衆、この
映画の時、まさに55歳。昔の人は年取っていたなあ。そしてもう定年なんだな。

引き戸を開ければ同じ間取りの文化住宅というとある街角。奥様同士は近所の噂話に余念がない。子どもたちは
勉強も上の空で、ある家にあるテレビの相撲中継が気になって仕方がない。そのうちの林家の兄弟は家に
テレビがない、「買っておくれよ~」とせがむが、両親はうんと言わない。まだ贅沢品なのだ。
そんな住宅街の人々が織りなす人生模様を「あいさつ」ということをキーワードに纏める。
 河原の土手の道を子供らが「有楽町で逢いましょう」を歌いながら下校してくるところから映画が始まる。
小津映画の特徴である、市井の人々が繰り広げる普通の人生の中に、豊かな人間模様を浮かび上がらせると
いうタッチが本作でも展開される。「家族」というテーマも重要である。男女の仲は「惻隠の情」である。
こうした作品は激しい感情を突き動かすものではないが、悪人が出てこない、ほのぼのとした世界で感じる
情感の豊かさ、を私たちは受け取ることが出来る。これは平成ではなく、やはり昭和の半ばならではのテイストで
あろう。小津作品のいいところが出た佳作である。
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<ストーリー>
東京の郊外--小住宅の並んでいる一角。組長の原田家は、辰造、きく江の夫婦に中学一年の子・幸造、それに
お婆ちゃんのみつ江の四人暮し。原田家の左隣がガス会社に勤務の大久保善之助の家。妻のしげ、中学一年の善一の三人。
大久保家の向い林啓太郎の家は妻の民子と、これも中学一年の実、次男の勇、それに民子の妹有田節子の五人暮し。
林家の左隣・老サラリーマンの富沢汎は妻とよ子と二人暮し。右隣は界隈で唯一軒テレビをもっている丸山家で、
明・みどりの若い夫婦は万事派手好みで近所のヒンシュクを買っている。

そして、この小住宅地から少し離れた所に、子供たちが英語を習いに行っている福井平一郎が、その姉で自動車の
セールスをしている加代子と住んでいる。林家の民子と加代子は女学校時代の同窓で、自然、平一郎と節子も好意を感じ
合っている。
このごろ、ここの子どもたちの間では、オデコを指で押すとオナラをするという妙な遊びがはやっているが、大人たちの
間も、向う三軒両隣、ざっとこんな調子で、日頃ちいさな紛争はあるが和かにやっている。ところで、ここに奥さん
連中が頭を痛める問題が起った。相撲が始まると子供たちが近所のヒンシュクの的・丸山家のテレビにかじりついて
勉強をしないのである。民子が子どもの実と勇を叱ると、子供たちは、そんならテレビを買ってくれと云う。
啓太郎が、子供の癖に余計なことを言うな、と怒鳴ると子供たちは黙るどころか、「大人だってコンチワ、オハヨウ、
イイオテンキデスネ、余計なこと言ってるじゃないか」と反撃に出て正面衝突。ここに子供たちの沈黙戦術が始まった。

子供たちは学校で先生に質問されても口を結んで答えないという徹底ぶり。この子供たちのことを邪推して近所の
大人たちもまた揉める。オヤツをくれと言えなくて腹を空かした実と勇は原っぱにおヒツを持出して御飯を食べようと
したが巡査に見つかって逃げ出し行方不明となった。間もなく子供たちは駅前でテレビを見ているところを、節子の
報せで探しに出た平一郎に見つかった。家へ戻った子供たちは、そこにテレビがおいてあるのを見て躍り上った。
定年退職した富沢が電機器具の外交員になった仕事始めに月賦でいいからと持込んだものだった--。」(Movie Walker)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=138821こちらまで。

by jazzyoba0083 | 2016-09-23 22:40 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

続・社長外遊記

●「続・社長外遊記」 
1963 日本 東宝映画  96分
監督:松林宗恵
出演:森繁久彌、小林桂樹、フランキー堺、加東大介、三木のり平、新珠三千代、草笛光子他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
この手の映画がこのブログに載ることはほとんどないのであり、事実、この東宝の社長
シリーズをまともに見たのも初めてである。当時は若大将シリーズと並んで東宝のドル箱
シリーズだったのだな。我が家のブルーレイレコーダはキーワード録画が出来、個人的に
好きな「ハワイ」を入れてあるので、解説にハワイがという単語が入っていると、この手の
映画やら、「トラ!トラ!トラ!」「ファイナルカウントダウン」などのハワイが舞台になった
映画が新旧録画されるわけ。で、先日録画された作品を観てみたら、本作がBSフジで
放送されていたものが釣れていたのだった。前編にあたり「社長外遊記」も。

ただし、ハワイ度は続編のほうが強く、今から半世紀ほど前のホノルルは一体どうなって
いたのだろうか、というその一点で観てみた。そしたら結構映画にも引き込まれたという
塩梅だ。昔の人たちは、この映画の森繁やのり平の演技で笑っていたのだろうか。
思えば幸せな時代だった。

さて50年前のホノルル(ヘリに乗るシーンもあるので空撮!がある)は、ピンクパレスと
モアナサーフライダー、シェラトンハワイアンビレッジ以外に高いビルは目立たず、
今は一方通行のカラカウアやアラワイは当時は対面通行。
どこかは分からないがショッピングセンター(というより商店街)も今からでは想像出来ないほど
鄙びている。空いた土地もあちこちにあり、今日のビルたちすぎのホノルル・ワイキキより
のどかでよろしい。まあ、今のほうが便利っちゃあ便利だけど。

映画のほうだけど、森繁あたりは相当アドリブをかましている風。娯楽はまだテレビよりは
映画の時代、年に4本も作られていた本作などは、今で言えばテレビドラマのように消費されて
いたのだったのだろう。
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<ストーリー>
丸急デパートのハワイ進出を計って風間社長、大島常務、珍田部長の首脳部は中村
秘書課長が待つハワイへ向った。現地に着いた一行は早速関係者を集めて日本料理屋
“さくら亭”でパーティを開き、珍芸を披露して一世、二世達の喝采を博した。

その夜以来風間はさくら亭のマダム紀代子にぞっこん参ってしまい、昼はハワイ名所で
デイト、夜はさくら亭に入りびたりでご奉公という始末。肝心の敷地買収は日系三世の
ジョージ・沖津にまかせっきりという無責任さ。

一方珍田は中村をガイドにしてもっぱら穴場めぐり、フラダンス大会に女装で出場しては
見事一位になって国威発揚した。ミス・ハワイ丸急コンテストにはジョージの経営する
雑貨店の看板娘キャサリンが文句なく選ばれた。
一人ホテルに残された大島は洗濯に大忙し、ある日、風に飛ばされたふんどしを拾って
くれた松本老人と親しくなり、それからは碁盤を挟んで対局の毎日となった。

買収をまかせたジョージはキャサリンを口説くのに懸命で、たまりかねた圭之助がやっと
交渉をはじめたが時すでに遅く、目指す土地は他人に売約済み。あわてて地主の所へ
乗り込んでみると、地主というのは松本老人だった。かねてからの親交で大島が聞き
出したところ、新しい持主は意外にも紀代子と判った。早速紀代子のもとへかけつけたが、
一足違いで東京へ発ったあとだった。しかもハワイに来ていたライバル福助屋の
水谷社長と一緒に出かけたという。大あわての一行はすぐに日本へ帰ることになった。
東京での仕事と恋の成果はいかに。(Movie Walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-06-18 11:00 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

秋日和

●「秋日和」(デジタル修復版)
1960 日本 松竹映画  128分
監督・脚本:小津安二郎 共同脚本:野田高梧 原作:里見弴
出演:原節子、司葉子、佐分利信、岡田茉莉子、佐田啓二、中村伸郎、北竜二、笠智衆、沢村貞子他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
NHKBSで放映中の小津作品デジタル修復版シリーズの1つ。姉妹編のような「彼岸花」
から2年後の作品で、中身はよく似たようなもの、出演者もほぼ同じ、特に、佐分利、中村、
北のトリオはまるで変わらないし、飲みに行く店の女将も同じ配役だ。デジャヴを覚える。
タイトルクレジットの一部を赤文字にしたり、ベースの茶色の布模様まで一緒。つまり
小津は、連作のように捉えていたのだろう。また画面の中にさりげなく置かれた「赤」「朱」の
嗜好も同様だ。 セリフ回しも誰が喋っても小津節となり、画面はローアングルで構えた
カット編集のみ。

シーンの切り替えに使われる山やビル群の中途半端なサイズは、その後に続く、ふすまが
重なる和室のシーンやオフィス、など構図に凝った極めて安定的なシーンが連続することに
より起こるマンネリ感を、一旦敢えて「不安点な構図」で崩す、というような意図があるのでは
ないかと思えてくる。冒頭の東京タワーのサイズからしてそうだ。そういえば「彼岸花」の
冒頭の東京駅のサイズも気持ち悪い構図だった。

この映画にはエピソードがいくつかあり、本作と同様な筋立てだった「晩春」で、嫁に行く
行かないでファーザーコンプレックスのような立場の娘を演じた原節子が、今度は
未亡人の身で娘を嫁にやる母親の立場になる。そして、佐分利の秘書役でちょこっと
出てくる岩下志麻が本作で見出され「秋刀魚の味」では主役に抜擢されるのだ。
同名異曲のような「彼岸花」とはコミカルな要素が岡田茉莉子の存在で強調され、彼女の
「おきゃん」な存在が本作のマンネリっぽさを薄める重要な要素となっている。
当時26歳だった司葉子が美しい。ちなみに原節子は40歳、佐分利51歳、佐田34歳、
岡田26歳、笠56歳、北54歳、中村52歳である。

さて、小津監督がここまで嫁ぐ娘と親(父であり母であり片親の場合多し)の関係をたくさん
描こうとしたのは何故だろうか。同じような展開になるのは見えているのに、である。指摘
されている方も多いだろうが、一番近い血縁者が、自分のところから離れていく、また子は
親を残して他人と生活を始める、というシチュエーションに着目すべきであろう。
昭和30年代の日本ではまだまだ多くの国民の一代関心事であり、本作のセリフの中でも
出てくるが「今時の娘は」「いいんだよ、ああいうのがいても」という節目の時期に当り、
そうした変化していく風潮の中で変わらない美しい日本人のメンタリティの有様を描く事に
強い興味を覚えたのに違いない。別に小津監督の評伝を読んでいるわけでもないので
外れているかもしれないが。

毎度のことだが、佐分利、中村、北のトリオは重役や大学教授であり、暮らしに何の心配も
なく、家にはまだ放送が始まって数年しかたっていないテレビがあり、ゴルフをたしなみ、
銀座のバーに行く。昼はうな重だ。まだまだ庶民には憧れの生活であり、一方で原節子の
暮らしはアパートの2DK。テレビもないし着ている着物は地味だ。そんな対比もまた
観客を映画の世界に遊ばせる設定としてはこの時代、良かったのだろう。若大将シリーズも
そうである。
しかし、似た話、でも観ていると何だかほんわかとしてくる小津作品。私は大好きである。
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<ストーリー>
亡友三輪の七回忌、末亡への秋子は相変らず美しかった。娘のアヤ子も美しく育ち
すでに婚期を迎えていた。旧友たち、間官、田口、平山はアヤ子にいいお婿さんを
探そうと、ついお節介心を起した。が、アヤ子がまだ結婚する気がないというので、
話は立ち消えた。

秋子は友達の経営する服飾学院の仕事を手伝い、アヤ子は商事会社に勤めて、
親子二人郊外のアパートにつつましく暮している。たまの休みに街に出て一緒に
過すのが、何よりのたのしみだった。母も娘も、娘の結婚はまだまだ先のことのように
思えた。

或る日母の使いで間宮を会社に訪ねたアヤ子は、間宮の部下の後藤に紹介された。
後藤はアヤ子の会社に勤める杉山と同窓だった。土曜日の午後、間宮は喫茶店で、
杉山や後藤と一緒にいるアヤ子を見た。後藤とアヤ子の間に恋愛が生れたもの、
と間宮は思った。
ゴルフ場で田口や平山に話すとアヤ子は母親への思いやりで結婚出来ない、という
結論になった。秋子の再婚ということになった。候補者はやもめの平山だった。
息子まで極力賛成されてみると、平山もまんざらではない。秋子を訪ねた田口は、
亡夫への追慕の情たちがたい秋子にとっても再婚の話はもち出せない。アヤ子を
呼んで説得したところ、アヤ子は母は父の親友と再婚するものと早合点して、
母と正面衝突した。

アヤ子は親友の百合子に相談した。百合子は田口、平山、間宮を訪ねると、その
独断を責め立てたので、三人もいささか降参し、アヤ子は、一時は誤解したものの、
母の知らない話だと分ってみれば、和解も早い。これから先、長く一人で暮す母を思って、
二人は休暇をとって、思い出の旅に出た。伊香保では三輪の兄の周吉が経営する
旅館があった。周吉は秋子の再婚にも、アヤ子の結婚にも賛成だった。その旅の夜、
秋子は娘に自分がこれから先も亡き夫とともに生きることを語った。アヤ子と後藤の
結婚式は吉日を選んで挙げられた。間宮も、田口も、平山も、ほっとした。
ひとりアパートに帰った秋子は、その朝まで、そこにいたアヤ子を思うと、さすがに
さびしかった。(Movie Walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-04-25 22:15 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「彼岸花(デジタル修復版)」
1958 日本 松竹映画 118分
監督:小津安二郎  脚本:小津安二郎、野田高梧
出演:佐分利信、田中絹代、有馬稲子、佐田啓二、北龍二、中村伸郎、笠智衆、浪花千栄子、山本富士子他
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<評価:★★★★★★★★☆>
<感想>
NHKBSで放送された、小津作品のデジタル修復版。やはり画が綺麗だ。人物や建物などの
輪郭がくっきりはっきり。それはトップカットの東京駅駅舎のアップですでに分かる。
小津作品としては初のカラー。しかも、全編を通してキーになっている彼岸花の色、赤、朱が
生きるようにと、ドイツのアグファフィルムを使ったという。そのことは冒頭のクレジットでも
明示されている。

この「赤」がキーポイントになっていて、物語を追いかけていくうえで非常に面白いガジェットに
なっている。主人公平山(佐分利信)家の居間の赤いホーロびきと思われる赤いやかんの位置。
最初のうちは画面左の隅、その次は茶舞台の向う、そして娘節子の結婚が決まった席では
茶舞台の前のセンターにと、節子の心理を表現するように移動してくるのだ。

その他にも「朱」は効果的だ、先ほどの居間では、手前の和テーブル、水屋の上のラジオ、
湯のみの受け皿、母清子(田中絹代)の帯。(帯の朱はいろんな登場人物が反復して付ける)
更に、平山の会社の消火器ケース、廊下のカーペット、平山のネクタイの色、料亭では七味入れ、
味の素のキャップ、おわん、椅子にさりげなく置かれた赤いセーターやひざ掛け、などなど
小津が、赤いものの設定に人の心の有様をさり気なく置いている演出が分かる。物語が
動いている時に「朱」が使わているようだ。

また、相変わらずではあるが、小津映画の日本美を強調した画作りは、今更ながら一幅の
画を観るかのようだ。特に日本間の画面では、ふすまや屏風が上手く使われ、奥行きを出し、
ナメの構図を使い、ピントをどこに置くかによって、人物にスポットの当て方に変化を出す、
一部、セイムサイズのカットを繋げる箇所も見られたがそのあたり、小津がこれまでの映画の
語法を破って自らの美学を押し出した箇所として注目した。
セリフは誰が喋っても小津節になるんだなあ・・・。好きだけど。

クルマ好きとしては昭和33年頃に走っていたプリンス、ヒルマン、ダットサンなどの綺麗な
車が出てくる。

さて、映画の本論に戻ろう。昭和33年、東京タワーが出来た年、戦後日本が高度成長に
向けてひた走るスタートラインに立った頃だ。このころ私は小学校に入学。デジャヴを
観ているような光景だ。まだテレビは無く、平山家ではラジオを聞いている。
ただ人間ドックという言葉がこの当時からもうあったとは驚いた。
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小津映画の大きな主題である、嫁に行く(行かせたい)娘と父親との相剋を描いた作品。
他人には自分の好きなように結婚すればいいんだよ、とかいいながら、いざ自分の娘
(有馬稲子)が好きな人と結婚する、という事態になると、俄然頑固になり、式にも
披露宴にも出ない!と「昭和のオヤジ」丸出しの「封建」さ。とりなす母(田中絹代)の
優しさ、支える妹(桑野みゆき)。娘節子はあくまでも自分の意見を通して男(佐田啓二)の
元に嫁ぐが、これには京都在住で家族ぐるみの付き合いの娘佐々木幸子(山本富士子)の
一世一代の大芝居の成果があったのだ。騙されたように娘の結婚を承諾する父、出ないと
言っていた式にも出ることになった。
嫁入りのシーンなどはない。蒲郡での佐分利の中学の同窓会のシーンから京都へ、
そしてオヤジはついに広島の娘の所に行く決意をした・・・。遠ざかる列車の姿で映画は
終わる。余韻を残しながら・・・。

いやあ、いい映画だった。画は綺麗、物語は分かりやすく、昭和生まれには郷愁を呼ぶ
物語、そして豪華なキャスティング。蒲郡の旧蒲郡プリンスホテルの姿も写っていた。
冒頭での友人の娘の結婚式に参加しての帰り、料亭で、佐分利、北、中村と三人で
一杯やるシーンは、「秋刀魚の味」にそっくりなシーンがある。例のひょうたん(東野英治郎)
を呼ぼう相談するところ。この料亭、同じものじゃないかな。唯一、小津らしくなかったカットが
ある。佐分利のオフィスに急に訪ねてきた佐田啓二、最初、前髪が垂れていたのが、
次のアップでは綺麗に撫で付けられていた。あれはちょっと・・・。

小津作品の中でもまた好きな作品が増えた。Blu-rayで永久保存、決定!!

この作品の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-04-11 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

晩春 

●「晩春」(デジタル修復版)
1949 日本 松竹映画 108分
監督:小津安二郎  脚本:野田高梧、小津安二郎  音楽:伊藤宣二
出演:笠智衆、原節子、月丘夢路、杉村春子、三宅邦子、三島雅夫、青木放屁、宇佐美淳他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
名匠小津安二郎の記念碑的作品。原節子を初めて起用した「紀子三部作」の1作目。
遺作「秋刀魚の味」まで続く野田高梧との共同脚本の1作目、いわゆる小津スタイルの
確立、などなど話題に事欠かない作品で、海外での評価も高い。

私は世の中に数多(あまた)いる小津信者でもなく、映画芸術評論家でも無いので、
あまり突っ込んだ感想を書くとハレーションが起きそうなので控えめに(苦笑)するが、
好きな作品で今回で数回目の鑑賞とはなると思う。
ただ、個人的には「東京物語」や「秋刀魚の味」の方が好きだが。

小津の作品の大きなテーマである「結婚」と「老いゆく父」というテーマのキッカケともなった
作品。個人的には「ファーザーコンプレックス」という言葉が脳裏を横切った。
特に、父と能を観劇するシーンで、父が再婚してもいい、と言っている相手の三輪未亡人
(三宅邦子)を見つけ、睨めつけるような視線を送るシーンはこの映画の白眉ともいえ、そこ
には、紀子の父性コンプレックスを強く感じるのだ。敢えて原節子の顔のテカリを出し、
油切った顔つきは、横でニコニコと能を楽しむ父とは対照的に、能面の下に隠された鬼面性を
表出していると確信したのだ。

それは、京都観光で二人でマクラを並べて寝るところでも感じる。小津のアップとセリフの
シナジーの真髄のような気がする。原節子のバタ臭い顔がまた非常にモノを言っているのだ。
京都では有名な「壺」論争があるが、私はこれは父性コンプレックスのメタファーと思っている。
いかん、小津信者様がたを刺激する方面に突っ込んでしまった!
わかりやすいメタファーと云えば、ラストシーンでの、父親が紀子が嫁に行った晩、一人で
りんごを剥くところ。この凸凹に剥けるりんごの実と皮こそ、父親の今後のメタファーであろう。

ローアングル手法、パーン、ドリー、トラック、ズームなどを使わないフィクスカットの連続、
カメラ目線の正対でのセリフの切り返し、独特のセリフ構造、効果的なハイライトの使い方、
などこれからの小津映画のメソッドを確立した作品として、観るべきところは多い。

ネットを検索すると、本作に対する熱い思いを綴ったブログは枚挙に暇がないので、興味が
ある方はそちらを読まれると、「小津映画芸術論」が理解出来ると思う。
大筋についてはこちらのWikipediaを参照ください。

今回はNHKBSで放映されたデジタル修復版を鑑賞したが、画像は輪郭が明確になるなどの
改善はあったが、音声が聞き取れない部分があって、特に杉村春子や月丘夢路のセリフは
聞き取りにくかった。これはこの時期の黒澤映画でも言えることなのだが。
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by jazzyoba0083 | 2016-04-04 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

波の数だけ抱きしめて 

●「波の数だけ抱きしめて」
1991 日本 東宝配給 フジテレビジョン・小学館 104分
監督:馬場康夫   音楽:松任谷由実
出演:中山美穂、織田裕二、別所哲也、松下由樹、阪田マサノブ、勝村政信他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆
<感想>
時代の雰囲気だけを確認したくて観始めたホイチョイ三部作。本作はそのラスト。
やっぱり「ワタスキ」は超えていない。「水着」よりはマシだが、ラストの織田の叫びは
とても恥ずかしい。

ファンのかたには申し訳ないが、そもそも中山美穂も織田裕二も好みの外の人たち
なので、思い入れも出来ない状況での鑑賞、先にも言った用に制作された1991、あるいは
舞台となっている1982年の時代の雰囲気を味わいたかっただけの鑑賞だから、
ストーリーがあってないようなものでも、そんなもんか、と苦にはならなかった。
唯一緊張したのが100の中継局を繋いだFM KIWIが無事に開局できるかどうか、と
いうシチュエイションのみ。 大体若い俳優たち、滑舌が悪すぎで何を喋っているか
聞き取れないシーン多数。特に阪田マサノブは早口で滑舌が悪いので聴きとるのに
苦労した。

トレンドであった湘南で大学生が奮戦するミニFM局を舞台にダブル三角関係とでも
いうのかな、そんな愛憎模様が軽いタッチでユーミンの音楽などヒット曲をバックに
繰り広げられる。

時代の雰囲気として、真っ黒け(小麦色?)の女性陣、博報堂のAEである別所哲也と
いう存在。広告代理店がブイブイ言わせていた頃だよね。その役所の車である
黄色いワーゲンのカブリオレ。織田の乗るヘビーデューティーな日産のピックアップ
トラック、そして1982年ごろから関東を中心に生まれ始める第二FMがブームアップに
チカラを貸したJ-POPブーム。J-WAVE,Bay FM ,FM Yokohama, FM802などが
続々と開局していく。そのトレンドをベースにしたのはいいけど、中山美穂、DJ下手すぎ。
まあ、当時は「モアミュージック・レストーク」というのが合言葉ではあったけど。
(作中、中山美穂のプロフィールに出身大学が上智としてあったけど、まあトレンドと
いえばトレンドなんだろうけど、自分の出身校なのであんまりいい気分ではなかったなあ)

それとオンエアするレコードなんかタワーレコードで買ってたけど、学生の小遣いで
ガンガン買えるほどLPは安いものじゃなかったはず。

そして極め付きはみんなが期待していた開局の日、織田が、中山に対しこれまでの
思いをぶつけるとて、FMのマイクを通じて「好きだー、お前が好きだー」と叫び続ける
のだが、それがとても恥ずかしい。作中、織田は徹底的にヘタレなんだけど、エンドで
これかよ、お前はカーナビーツか!とツッコミを入れたくなるのだ。ww

映画がジングルで閉じるのは洒落た工夫だと感じたが、当時流行っていた英語のジングル、
アメリカに発注して作るんだけど、ミニFMが作れるような金額じゃないはずだ。ww
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<ストーリー>
1991年11月。東京の教会で行われた真理子の結婚式に、旧友の小杉、芹沢、裕子、
吉岡の4人が集まった。式の帰り、小杉と芹沢はクルマを飛ばして横横経由で長柄の
トンネルを抜け、134号線を茅ヶ崎に向かう。

1982年5月。大学4年生の小杉、芹沢、裕子、真理子の4人は、真理子のバイト先の
サーフショップを拠点にノンストップ・ミュージックのミニFM局Kiwiを運営していた。
彼らは学生生活最後の夏休みに何か大きなことをやりたいと無線マニアの芹沢の
発案でFM局を始めたのだった。

自分たちの放送が湘南じゅうの海岸で聞けるようになることを夢見る彼らにとって、
真理子のDJとしての才能は不可欠だったが、その真理子はロスアンゼルスにいる
両親から航空券を送りつけられており、7月にはロスの大学に編入しなければならない。
真理子は小杉に引きとめてほしいのだが、シャイな小杉は「好きだ」の一言が言えない。

そんなある日、彼らの前に若い広告マンの吉岡が現れる。真理子に一目ぼれした吉岡は、
FM放送局の計画を知り、真理子を取り入れる為に中継局作りに積極的に協力しはじめる。
そしてKiwiは二人の男の真理子への思いをエネルギーにして、国道134号線沿いに
江ノ島方向へ急速に伸び始める。

そんな時、吉岡は会社の上司から専売公社が森戸にひと夏オープンするアンテナショップで
行うイベントの企画を命じられ、茅ヶ崎から森戸まで湘南の海辺をカバーするFM放送局
「FM湘南」の設立を提案。Kiwiは森戸を目指してさらに伸びていく。

同時に吉岡は真理子に9月までアメリカ行きを延ばすよう頼み込み、真理子もそれを
了承するのだった。7月、中継局が葉山まで伸び、いよいよ明日はスポンサーが試験放送を
聞きにくるという晩、小杉は真理子に気持ちを打ち明けようと決心し、真理子を呼び出すが、
ふとした行き違いから真理子の気持ちが完全に吉岡に移ったものと誤解。一方真理子も
小杉に思いを寄せていた裕子が小杉と抱き合っているのを目撃して、深く傷つきアメリカへ
の旅立ちを決心する。

芹沢と裕子は、真理子と小杉の仲を取り持つ為、試験放送を犠牲にして、小杉の「愛してる」と
いう言葉を電波に乗せ、真理子のクルマに乗せようとする。だが、この放送が失敗すれば
吉岡は会社をクビになるのだ。悩んだ末、小杉はマイクに向かうが、間一髪で真理子の
クルマは長柄のトンネルに入り、その思いは伝えられなかったのだった。」(Movie Walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-02-16 22:40 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

彼女が水着にきがえたら

●「彼女が水着にきがえたら」
1989 日本 東宝・フジテレビジョン 103分
監督:馬場康夫  原作:ホイチョイ・プロダクション  音楽:サザンオールスターズ
出演:原田知世、織田裕二、伊藤かずえ、竹内力、田中美佐子、谷啓、伊武雅刀、安岡力也他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
あまり邦画を観ない方の私も佳作と認める「ワタスキ」から2年。まだバブルの真っ最中の
1989年に、ホイチョイシリーズ第二弾として、二匹目のドジョウを狙って製作された。
電通が仕切ったということでタイアップの嵐。エンドロールでの協力企業の多いこと。
まあ、それも時代の雰囲気なのだが。当時ハイラックスサーフのウィンドウにPADIだの
SASだののステッカーを貼って走っている光景をよく観たものだが、そういうクルマ、本作に
も当然出てくる。ガジェットもジェットスキーだのアクアラング装置だの、携帯電話!だの、
色々と用意はされている。此の頃って男はみんなタバコをすったのだねえ。
個人的には当時流行っていた腰のあたりまで切れこむハイレグ水着のお姉さんたちを
もっと見たかった・・。みんなウェットスーツなんだもの・・・。

「ワタスキ」に比べたら、人物設定、時代の雰囲気の出し方、男女の恋愛を軸とした
物語、どれをとっても一作目を凌駕できていない。壮大なサザンオールスターズの
PVと言うことも出来る。朝鮮戦争当時になぞのDC3が韓国から大量の宝石を積んで
飛び立ち、湘南沖に沈んだ、というお宝さがし譚も、嘘っぽく、安っぽく、まったく頂けない。
相模湾でダイビングしたら海の底は白い砂・・・なわけないだろ!!っつwww
本作についでホイチョイ第三作「波の数だけ抱きしめて」も見る予定だが、どんなことに
なっちゃっているのか。

本作を観ると「ワタスキ」の出来の良さが今更ながら分ってしまうという・・・・。
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<ストーリー>
マリン・スポーツが好きなOLとヨットマンの恋と冒険を描く。ホイチョイ・プロダクションの
原作を元に「ほんの5g」の一色伸幸が脚本を執筆。監督は「私をスキーに連れてって」の
馬場康夫、撮影は同作の長谷川元吉がそれぞれ担当。
主題歌は、サザンオールスターズ(「さよならベイビー」)。

朝鮮戦争時、ある韓国人富豪のチャーター機「ドラゴンレディ」が、宝石を積んだまま
相模湾上空で墜落し海底に沈んだ。22歳のOL・田中真理子(原田)と同僚の恭世(伊藤)は
ゴールデンウィークに金持ちのプレイボーイ・山口(伊武)に誘われ、豪華クルーザーの
アマゾン号に乗り込んだ。目的はスクーバ・ダイビングである。

翌日二人は三戸浜沖の海底でドラゴンレディを見つけたが、深く潜りすぎて、ヨットの
ツバメ号を操る年輩の大塚(谷啓)と若い吉岡(織田)に助けられた。
その晩、アマゾン号のパーティで二人は突然襲ってきた大塚らに連れ去られるが、
これはアマゾン号とツバメ号の恒例の女の子争奪ゲームだった。ふとしたことから真理子が
海底の飛行機のことを話すと皆はびっくり、山口と大塚はその宝探しのライバルだったのだ。

真理子と吉岡はお互いに好意を持つが、なかなか素直に心を打ち明けることができない。
大塚が何者か怪しいパワーボートに襲われて入院。その間に飛行機も引き上げられてしまった。
真理子と吉岡は「山口の仕業に違いない」と腹を立てるが、犯人は恐るべき第3の敵だった。
しかし、宝の箱は流されて別の場所にあり、その韓国人グループの手にも渡っていなかった。
宝が見つからず腹を立てた一味は海に潜った真理子と吉岡が奪ったとにらみ、二人を
追いかけ始めた。ジェット・スキーなどで逃げる真理子と吉岡は、間一髪のところで、裕子の
ヘリコプターに無事救出されたのだった。(Movie Walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-02-08 22:50 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「Winds Of God  ウィンズ・オブ・ゴッド」
1995 日本 Team Okuyama  松竹映画配給 97min.
監督:奈良橋陽子 原作・脚色:今井雅之
出演:今井雅之、山口粧太、菊池孝典、六平直政、小川範子、別所哲也、藤田朋子他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
昨年、ライフワークである本作を舞台上演中に帰らぬ人となった今井雅之作の
「ウィンズ・オブ・ゴッド」。全編英語版もあるようだが、舞台も映画も未体験。
これはやはり舞台で観るべきもの、と感じた。今井の云わんとしたいところはよく
分かるし、戦争や特攻の非人間性を表現したい、という気持ちは伝わるが、
映画としての出来はどうか、と問われると、残念ながら、褒められるレベルではない。

舞台劇というのは映画とはセリフやアクションの間に独特の差がある。戦争のリアリティを
結構シリアスに描こうとすると映画ではどうしても詰めが甘くなってしまう。舞台ならば
役者のインパクトやセリフ回しで強調出来るポイントも映画ではその通りには行かない。
本作も、現代からタイムスリップした漫才コンビが特攻部隊で憤慨したり苦悩したり喜んだり
するのだが、どうも粗というか、リアリティに欠ける面が出てしまい、「そうじゃないだろう」と
ツッコミを入れたくなるのだ。舞台劇をそのまま映画に持ってきても「作品」にはならないと
いうことだ。その点、脚色を今井本人が手がけてしまった事に難があったのではないか。
今井からの指名でメガフォンを取った奈良橋陽子とて、舞台の演出も手がけたとはいえ
映画のプロではない。その辺りのコンビネーションが、結果として残念なことになったのではないか。
今井自身を腐すつもりはさらさらなく、命がけでこの「反戦舞台」を続けた精神は大いに
買うわけだが・・・。
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>ストーリー・結末まで書いてあります>
平成のお気楽漫才師が、戦時中へタイムスリップ。そこで巻き起こる騒動を綴った
ファンタスティックなコメディ・ドラマ。監督は、舞台版の演出も手掛けた奈良橋陽子。
原作・脚色・主演をつとめたのは「右向け左! 自衛隊へ行こう」の今井雅之。
モントリオール国際映画祭出品。

いつかお笑い名人大賞をこの手にと思っている漫才コンビ・田代と金太は、実際は今夜の
食事にも事欠くような貧乏状態。それでもナンパだけはしたいと50ccの超おんぼろバイクを
駆って、亀有へと出掛けて行くのであった。
ところが、途中でトラックと接触事故を起こしてしまい、二人は病院へ担ぎこまれる。
だが、彼らが運ばれたのは、カミカゼ特攻隊の兵舎だった。なんと二人は事故のショックで
戦争の時代へタイムスリップしてしまったのである。しかも、田代は岸田、金太は福元という
優秀な特攻隊員と間違われていた。
二人はどうやら沖縄出撃途中に機械の不良から接触事故を起こしていた岸田と福元が、
丁度同じ頃別の時代で事故に遭った田代と金太の魂を自分たちの体の中に引き入れた
らしいことを知る。ショックを隠せない二人は脱走すれば銃殺刑という話を聞いて恐れおののくが、
どうせ飛行機の操縦の仕方も知らないのであれば特攻出撃もないだろうと、兵舎生活を
送ることにする。

だが、日一日と戦時状況が悪化する中、仲間の特攻隊員たちが次々とその若い命を
落としていくのを目の当たりにして、田代は何かと上官の山田に食ってかかるが、そのような
行為が通るような時代ではなかった。
そんなことがあってますますこの時代に嫌気がさした田代は、もう一度事故の時のような
ショックを得られれば平成時代に戻れるのではないかと考え、屋根から飛び下りたりして
みるが、どれも失敗に終わる。だが、事態はもっと悪い方へ向かっていたのだ。
金太の中にいる福元の魂がその顔を現そうとしていた。次第にニッポン男児としての意識に
目覚めて行く金太。彼は遂に特攻の命令をうけてゼロ戦に乗り込むことになってしまう。
どうにかしてそれを引き留めたい田代は、金太のゼロ戦を追って自分もゼロ戦に乗る。

だが、田代の説得に耳を貸さない金太は、敵艦に向かって突っ込んで行くのだった。
次に田代が目覚めたのは、平成時代の病院の中。横には息をひきとった金太が安らかに
眠っていた。その後、新しい相棒とコンビを組んだ田代は、今日も舞台に立ってお笑い名人
大賞を目指し、観客を笑いの渦に巻き込んでいくのであった。(movie walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-01-06 22:40 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

秋刀魚の味(4回目)

●「秋刀魚の味」
1962 日本 松竹映画 113分
監督:小津安二郎  脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:岩下志麻、笠智衆、佐田啓二、岡田茉莉子、三上真一郎、中村伸郎、加東大介、
   吉田輝雄、三宅邦子、東野英治郎、杉村春子、北竜二、岸田今日子、環三千代他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
NHKが松竹などと協力し、本作をデジタル・リマスタリングした。どんな映像に
なったのだろうか、そんな興味もあり、4度目の鑑賞。先回は2011年の秋に観て、
「また観るだろう」と書いてあるが、その通りとなった。小津作品でも好きな一品である。

テクニカルな感想・評価などは先回のこちらのブログを参照いただきたい。

デジタルリマスタリングされた映像は、まず冒頭の赤白の煙突の鮮やかさから既に明らかで
ある。ノイズが少なくシャープになった映像は、昭和37年の時代の雰囲気をリアルに映し出して
いる。女性の服のシワや顔の陰影など、映画の表情を豊かにしていると感じた。
それにしても岩下志麻は綺麗だ。
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昭和37年。東京五輪まであと2年。戦争の痕跡もまだ消えきらず、という時代の雰囲気が
私にはとても心地よい。自分、小学校4先生だった。女性は普段からまだ着物を着ていて、
紳士はソフト帽を被っていた。

そんな時代をバックに繰り広げられる「ほろ苦い」初老の男のお話。小津映画独特の
短いセリフの繰り返しは、非常にユニークだが、何故か心に温かく響く。
「そのクラブ、いいですよね」「マクレガーだからな」「マクレガーですものね」「ああ、マクレガー
だからな」。見方によってはクサイと思われてしまうが、小津の作品の中では格別の味わいを
持つ。特に笠智衆によって語られると堪らない・・・。
速度が早く、情報が溢れ、人々の心がカサつき、金、金と(この映画も金が1つのエピソード
にはなっているが)追い掛け回されている現代では描き得ない味わいが、心に沁みるのだろう。

ストレートな物語を語るのではなく、外側にある話からメインテーマを浮かび上がらせる手法。
それだからこそ、ラストの娘が嫁に行った後の台所で椅子に座る主人公の男の寂しさが
浮かび上がってきて切なく伝わるのだ。

このデジタルリマスター版、ブルーレイに永久保存だ。
by jazzyoba0083 | 2015-12-24 23:15 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)