⚫「ノッティングヒルの恋人 Notting Hill」(再見)
1999 アメリカ Polygram Filmed Entertainment,Working Title Films and more. 123min.
監督:ロジャー・ミッシェル 製作総指揮・脚本:リチャード・カーティス
出演:ジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラント、リス・アイファンズ、ジーナ・マッキー、ティム・マキナニー他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
11年ぶりの鑑賞。その時のブログは下にリンクを張っておきますが、感想としてはあまり変わりがない。
凄いストーリーではないのにすごく「居心地の良い」作品。ほのぼのとする、というか心が暖かくなると
いうか。初見も冬だったが、寒い季節に見たくなるような映画なのだろう。

やはり脚本が良いのだと思う。リチャード・カーティスというイギリスの(生まれはニュー・ジーランド)
脚本家、監督は、「ラブ・アクチュアリー」、「フォー・ウェディング」「アバウト・タイム」「ブリジット・
ジョーンズ」シリーズ、「Mr.ビーン」シリーズなどを手がけている。それぞれ観ているが、イギリスの風味を
上手く活かした手堅い作品を創っている。ヒュー・グラントとも数作共にしており、彼の使い所のツボを心得て
いる感じだ。そこに当時勢い最高潮の典型的なアメリカ生まれのハリウッド女優ジュリア・ロバーツを
女優という役柄で放り込む。周りをシュアな演技をするイギリスの俳優たちで固め、舞台も全てロンドンだ。
こうしたシチュエーション(ドラマの設定)とロケーション、イギリス流ヒューモアとウィットそして
配役の妙が、「逆シンデレラの王道的」ストーリーを、観る人に心地よいものにしていると感じる。

この映画を観ていると、「一目惚れ」「住む世界の、価値観の違い」などを感じる。ロンドンにやってきた
ハリウッドの人気女優はロンドンの旅行書専門店を訪れるのだが、その店主(ヒュー・グラント)に
一目惚れ。作品の経過と共に分かるのだが、彼女が置かれた不自由な生活の反動もあったのだろう。
権謀術数渦巻くハリウッド生活で心が荒んでしまった女優にとって、ロンドンの普通な心地よい男性は
心に空いた穴にすっぽりハマったのだろう。

そして気はいいが、ハリソン・フォード似の男に女房を寝取られた、結構チキンな男。住む世界も、持っている
物差しも全然違う女性に恋し、傷つき、悩む。一方の女優も、男を好きになるのだが、周囲の事情がなかかなか
彼女を好きにさせず、その状況が男を傷つけ、また自身をも傷つけてしまう。

初デートが妹の誕生祝いをする友人宅のディナーで、男はそこで結構自分のことを女優に教えるのだが、彼女は
ラストまで、ハリウッド女優としか分からない(観ている人は)。ということは、この映画はどちらかというと
男性側の目線の映画である、といえるのだろう。

男女の抱える落差からお互いが悩む、ぞれぞれの心境に観客はシンパシーを感じつつ、もどかしさを感じたり
共感を覚えたりしていく仕組みだ。さらに、男を取り巻く家族や友人たちが、サイドストーリーを展開しつつ
男を支え、あるいは男に愛情が如何にあるべきかを教え、それがまた心を暖かくしているのだ。ラストには
ちゃんと彼らの幸せも示唆されているところがニクい。

女優は2度めの男のとのすれ違いの後に、オスカーを獲るという設定だが、ジュリア・ロバーツ自身も翌年の
作品「エリン・ブロコビッチ」で主演女優賞を獲得する。
個人的にはあまり得意でない女優さんだが、所見のときも書いたが、本作ではいい味が出ている。キャスティングの
妙、ということかもしれない。イケメン、ヒュー・グラントは彼の持ち味はこうでしょ、という良い側面が
出ている。両者とも年齢を重ね、それぞれベテラン中のベテランになっているが、主役を張るというより、
主役級が集まる映画のメンバー的ポジションとなっている。

女優は、最初のデートの時、老いた女優の惨めさを切々とみんなに披露するのだが、それが現実となりつつある
ジュリア自身、今、どう思うのだろうか。

本作で触れておかなければならないのは音楽だろう。主題歌でありエンディングで効果的に使われる"She"。
冒頭は作者自身でもあるシャルル・アズナブール、ラストはエルビス・コステロが歌い上げる。
また男の心を表現する手段として、ビージーズ「傷心の日々」のアル・グリーンバージョン、などなど
いい曲がいいタイミングで(別の言葉で言うと「ベタな感じで」)効果的に使われている。

また映像の構成としてみた場合、屋内と屋外、アップとロングのリズムがいい。またドローンが無かった時代に
俯瞰のズームバックをどうやって撮ったんだろう?というショットなど、画の方もなかなか魅せた。

ジュリアの役どころが女優なので、デミ・ムーアやパトリック・スウェイジ、メグ・ライアンなどが実名で
出てくるところもニヤリポイント。

ところで、この映画を観た方はみなさん気がつくと思うけど、ヒュー・グラントのアパートの玄関に置かれた
振り袖女性の等身大パネル。誰でしょう?ネットを調べてみると、当時の富士フィルムの「お正月を写そう!」
の宣伝でカメラ屋さんの店頭に置かれたパネルらしく、女性はスティーヴン・セガールの娘さん、藤谷文子さん
らしいですね。それにつけてもこの映画では、サボイホテルのなかなかセンスの良いフロントマンのおじさんの
頬にキスをする「タキヤマ」なる日本人らしき人物も描かれていますが、脚本家は何を意図して日本を
入れ込んだのか、マーケティングなのか、そのあたりはよくわからなかったですね。
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<ストーリー:結末まで触れています>
アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)はハリウッドの大女優。そんな彼女がロンドンのノッティングヒルに
ある書店に足を運ぶ。店主のウィリアム(ヒュー・グラント)は突然のことにびっくり。さらに彼は買物の
帰りに偶然アナとぶつかり、ジュースをかけてしまう。慌てた彼は服を乾かすよう申し出て、アナを家に招く。

何とか彼女を送り出して間もなく、彼女が戻って来てウィリアムにキスをして立ち去る。夢のような時が
過ぎて数日後、ウィリアムに電話があったとルームメイトのスパイク(リス・エヴァンス)から聞かされる。
早速アナが宿泊しているホテルに向かい、雑誌記者と偽り部屋に入る。ウィリアムは妹の誕生日パーティーに
アナを誘い、彼女も誘いに応じる。その後もデートを重ねる二人。

ところがある晩二人がアナの部屋に行くと、有名俳優の恋人が彼女の帰りを待ち構えていた。彼氏の存在に
ショックを受けたウィリアム。そして半年後。マスコミのほとぼりが冷めるまで家に置いて欲しいとアナが
突然やって来る。だがそれも同居人スパイクが口を滑らせたことでマスコミが殺到。アナは二度と会わないと
言い残し、雑踏の中へ消える。
一年後。アナの撮影現場を訪れたウィリアムは気持ちを伝えられない。彼女が店に来てもつれない態度を
取ってしまう。それを見かねた友人たちは一丸となってウィリアムをホテルに送り届ける。記者会見場に
もぐりこんだ彼は、再び記者になりすまし彼女に告白。アナもプロポーズに応え、会場は結婚会見に早代わり。
二人はロンドンでゆったりと時を過ごすのだった。

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:83% Audience Score:79% >





by jazzyoba0083 | 2018-02-15 22:55 | 洋画=な行 | Trackback | Comments(0)

●「アラビアの女王 愛と宿命の日々 Queen of the Desert」
2015 アメリカ・モロッコ Benaroya Pictures,H Films,Raslan Company of America. 128min.
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
出演:ニコール・キッドマン、ジェームズ・フランコ、ダミアン・ルイス、ロバート・パティンソン、ジェイ・アブド他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
「アラビアのロレンス」ことT.E.ローレンスが活躍していた同時期に同じ場所に、こういう英国女性がいた
ということを初めて知った。オスマン・トルコ帝国の衰退と欧米列強による蚕食、それからの現在の中東の混乱の
歴史に興味があるものとしては、とても面白いお話だった。
もっと女傑が登場するのか、とも思ったが、恋愛譚に振った構成は、映画の出来としては興味は薄かったが。
中東の歴史やアラブ世界のことに興味がないと2時間を超える映画は退屈かもしれない。
主人公ガートルード・ベルがものすごく危険な目に遭うとか、その手の活劇的魅力より、二人続けて愛する人を
失うと言う悲恋の人の側面が大きく描かれ、アラビアの砂漠の奥深くで女1人で頑張るさまは大したものだ、とは
思うけど、本当は最後のシークエンス、アラブの部族の様子をイギリス政府に連絡したように政治的側面が大きの
ではないか。本作は叙情的、ハーレクイン的性格に振ったのだね。ヘルツォーク監督起用はプロデュースサイド
からみて当たったのだろうか?ニコール・キッドマンの起用も含めもう少しアクティブであってもいいかな、と
感じる。
wikiなどによればローレンスのより20歳年上でアラブでのキャリアも長いベルの活動は、もっともっと政治的な
側面が大きいことが分かる。

個人的には、映画の中に出て来るT.E.ローレンスとの絡み、アラビア砂漠の部族間の揉め事による混乱と
英仏独の介入の様子が面白かった。イスラムの世界に女性が立ち入ることの難しさを考えれば、その当時としては
彼女の活動は、特異なものであったのだろう。アラブの世界には同じイスラム教でもスンニ派とシーア派が
対立していて、その上にクルド人、ユダヤ人、キリスト教徒などと一筋縄では行かないところに、細かい部族が
多数対立、オスマン・トルコの存在がどうにかそれに蓋をしていたところ、これが衰退しそこに
英仏独が植民地政策として乗り込んでくる。有名な英国の三昧舌外交に代表されるように、第一次大戦前後に
開かれた中東のパンドラの箱はいまだに閉じることがない混乱のままである。
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<ストーリー>
ニコール・キッドマンがイラク建国の立役者で、イラクとヨルダン両国の国境線を引く偉業を成し遂げた女性、
ガートルード・ベルを演じる実話を基にした人間ドラマ。アラビアの砂漠をひとりで旅し、度重なる危険にも
ひるまずに現地の人々と交流を重ねる勇敢なベルの人物像に迫る。ドイツの巨匠ヴェルナー・ヘルツォークが
監督を務める。

イギリス鉄鋼王の家に生まれた才女ガートルード・ベル(ニコール・キッドマン)は、イギリス上流階級の
生活を捨てて各地を旅してまわり、砂漠の民を研究する考古学者として、そして諜報員として活躍。
2 度の悲恋をはじめ度重なる困難が立ちはだかり運命に翻弄されながらも、砂漠に魅せられた彼女はアラビアの
和平を目指し、各地の部族と交流を続ける。やがて時代は大きな転換期を迎え、彼女はイラク建国の立役者と
して尽力していく。(Movie Walker)

<IMDb=★5.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:17% Audience Score:36% >



by jazzyoba0083 | 2018-02-13 22:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「素晴らしきかな、人生 Collateral Beauty」
2016 アメリカ New Line Cinema 97min.
監督:デヴィッド・フランケル
出演:ウィル・スミス、エドワード・ノートン、キーラ・ナイトレイ、マイケル・ペーニャ、ナオミ・ハリス
   ジェイコブ・ラティモア、ケイト・ウィンスレット、ヘレン・ミレン
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
凄いタイトルと凄い出演者。名作「素晴らしき哉、人生!」は1946年に製作されたフランク・キャプラの
作品。それと同じタイトルを戴くとは、どんな映画か、という邦題でハードルを上げすぎて損した形。
さりながら、原題をそのまま日本語にするのは難しかったとは思う。英語の世界での成句であり、日本語には
しづらい。セレンディピティーを訳すみたいに。映画の中では「幸せのオマケ」と訳されている。
子どもの死に苦しむ母に、誰かが語りかけた言葉で、「どんな辛く苦しい状況でも、いいことがある。
絶望するな」というニュアンスで使われる。この言葉が映画全体のキーワードになるので、邦題は全く難しかった
だろう。しかし、つけるに事欠いて、という感じは残ってしまう。

本作には二段の「そうだったのか!」が用意されていて、考え落ちだったり、伏線回収だったりするわけだが、
言いたいことは、そう大げさなことじゃないけど、これだけの名優をたんまり使ってまでやるか、という
too much感は漂う。しかし、嫌な映画ではない。見て損した、という類でもない。清々しい思いをするものでも
ないのだが、それぞれ心に響くものはあるのではないかという映画だ。

広告代理店のカリスマ的共同経営者ハワード(ウィル・スミス)が、難病で娘を失い、人生に絶望する中、
会社の同僚たちが、3人の俳優を使い、ハワードがいつも主張していた「愛」「時間」「死」をそれぞれ
演技させ、彼が抽象概念で悩むのなら、抽象概念で当たってみるしかないと考えた末の行動だったのだ。

さて、その3人は1人2万ドルで仕事を引き受けるのだが、なかなか難しい立場を気の利いたセリフでハワードに
対峙する。役者の登場から最後まで、様々な伏線は張られていて、冒頭キーラ・ナイトレイの登場にしても
彼女が赤い帽子を被っていて、ハワードの大親友にして共同経営者ホイット(エドワード・ノートン)が
追いかけやすくしてたな、とか、取締役会でハワードの経営統治能力が欠如している証拠のビデオには
3人の役者と会話しているハワードが1人だけしか写っていなかったり(これは友人らが撮って編集したのかな
と最初は思った。高等技術だななんてね)、役者のセリフが脚本家がいないのによく出来過ぎているな、とか。

つまり、この三人の役者は、本当にそれぞれが「愛」「時間」「死」であったわけだ。それはラストあたりに
ネタバラシが用意されている。それにしても、その作戦を思いついたエドワード・ノートン、ケイト・
ウィンスレット、マイケル・ペーニャの仲間3人は、その事実を知っていたのだろうか、あるいはある時点で
知ったのだろうか、そのあたりが分からなかった。

メインにハワードの再生の話を据え、脇にホイットと幼い娘との再生、更に、同僚サイモン(マイケル・
ペーニャ)の不治の病、精子バンクで子どもを得ようとする同僚クレア(ケイト・ウィンスレット)の
ことが加わっていく。

お話としてはよく出来ていると思うし、繰り返すが悪い映画ではない。しかし評価はあまり高くはない。
思うに、ストーリーを物語るには役者が重量級過ぎて、本来重い話が更に重くなってしまい、見ている方が
疲れてしまうというデメリットが生まれたのではないか、と考えてみた。
名優たちは声を掛けられこの本を読んでみれば、特に舞台を経験している役者であれば、やりたくなるんじゃ
ないだろうか。抽象的概念の演技は魅力であると思う。
配役では久しぶりにしっかり観たエドワード・ノートンが魅力的であった。

観る人によって凄く心を突き動かされるか、疲れてしまうか、受け止め方が異なる映画であろう。
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<ストーリー>
ウィル・スミスが最愛の娘を失い絶望の淵に立たされた男を演じる異色のヒューマン・ドラマ。深い喪失感から
すべてを投げ出してしまった会社経営者が、自分の前に現われた奇妙な3人の男女との交流によって立ち直って
いくさまをミステリアスな語り口で綴る。
共演はエドワード・ノートン、マイケル・ペーニャ、ケイト・ウィンスレット、キーラ・ナイトレイ、ヘレン・
ミレン。監督は「プラダを着た悪魔」のデヴィッド・フランケル。

 ニューヨークで広告代理店を経営するハワード。彼の手腕で会社は業績を伸ばし、公私ともに順風満帆な
人生を送っていた。ところが突然、6歳の愛娘が不治の病でこの世を去る。ハワードは深い悲しみで自暴自棄と
なり、仕事を放り出して自宅に閉じこもる日々。
ハワードに頼り切りだった会社は急速に傾き始める。残された同僚役員ホイット、サイモン、クレアはそれぞれの
事情も相まって、ハワードをどうにかして救わなければと思っていた。そんな時、ある奇策を思いつく。
やがてハワードの前に、性別も年齢もバラバラな3人の奇妙な舞台俳優が現われるのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:14% Audience Score:64% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-12 22:50 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「くたばれ!ヤンキース Damn Yankees」
1958 アメリカ Warner Bros. Pictures. 111min.
監督・製作:スタンリー・ドーネン、ジョージ・アボット 脚本:ジョージ・アボット 振り付け:ボブ・フォッシー
出演:タブ・ハンター、グゥエン・ヴァードン、ロバート・シェファー、レイ・ウォルストン、シャノン・ボーリン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
市民会館で月イチ開催される「映画鑑賞会」にて。この下期は「ミュージカルコメディシリーズ」と銘打って
1940~50年代のMGMやWarnerの作品が無料で上映される。平日なので客はほぼリタイヤ組。

さて、このイベントの先回の上映作が「パジャマゲーム」であったが、本作はスタッフが「パジャマ~」と
全く同じ。スタンリー・ドーネンと言えばMGMでは「踊る大紐育」「恋愛準決勝戦」「雨に唄えば」
「掠奪された七人の花嫁」「いつも上天気」「パリの恋人」そして「シャレード」と、私にとっては神様の
ような存在だ。そのドーネンと名コンビを組んでいたジョージ・アボットが、野球を舞台にして製作した
ミュージカルコメディの傑作だ。グウェン・ヴァードンの踊りが売りなのだろうけど、踊りのボリュームとしては
他のミュージカルと比して若干少なめ(バリエーションも含め)かもしれない。

ブロードウェイの作品をキャストごと持ってきて制作、日本で人口に膾炙したビッグネームこそいないが、
みな芸達者、歌も踊りも上手い。それよりもこの映画の特徴は、「パジャマ~」と同様、色恋沙汰が
メインではないお話が異色で面白いのだ。ただのノーテンキな映画で終わらず、悪魔に魂を売り、大リーグの
人気選手になったものの、はやり妻の所がいい、とする設定は、いかにもアメリカ人好み。
深く結びついた夫婦の間には悪魔も魔女も入る隙間がないのだよ、というオチである。
悪魔もヤンキースのあまりの強さに業を煮やしたのだが、約束破りの男を決定的な瞬間に元に戻すという
オチとそれに繋がる夫婦愛の描写が実に心地よい。夫人もいい演技(歌も唄う)だ。


ボブ・フォッシーの振り付けも楽しい一風変わったミュージカルコメディとして楽しめる作品である。
テクニカラーの発色は現在のDVDやBlu-rayでみても十分に美しい。
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<ストーリー>
「パジャマゲーム」でミュージカル映画に新風を吹きこんだスタンリー・ドーネンとジョージ・アボットが、
再び共同で製作・監督した音楽映画。ダグラス・ウォールップの小説「ジャイアンツがペナントを失った年」を
もとに、ジョージ・アボットとウォールップ自身が、「ダム・ヤンキース」としてブロードウェイでミュージカル・
ドラマ化したヒット舞台劇の映画化。
シネリオはジョージ・アボット。撮影監督を「白人部隊撃滅」のハロルド・リップステインが担当した。
野球ファンの中年男が、ひいきチームを優勝させるため、悪魔に魂を売って超人選手になるという物語が
音楽入りでくりひろげられる。
音楽と作詞を「パジャマゲーム」のリチャード・アドラーとジェリー・ロスのコンビが書き、美術はスタンリー・
フライシャー。振付はこれも「パジャマゲーム」のボブ・フォッシー。

野球狂の実業家ジョー・ボイド(ボブ・シェイファー)は大のワシントン・セネタースのファンである。今日も
ニューヨーク・ヤンキースにごひいきチームが負けそうなのをテレビで見て、気がきではない。
妻メグの心配をよそに、「俺がホームラン王になれたらなあ、たとえ魂を売っても…」と1人ごとを言った。
すると悪魔のアプルゲイト(レイ・ウォルストン)が忽然と登場した。ヤンキースの馬鹿げた強さに反感をもつ
この悪魔は、ジョーを中年から青年にもどして、ホームラン王にしてやろうというのだ。

9月24日に彼が望めば元の姿にもどれるとういう条件つきで、若返ったジョーは名もジョー・ハーディ
(タブ・ハンター)と改めて、たちまちセネタースと契約した。彼の猛打によってセネタースは全勝への道を
突進して、ヤンキースをおびやかすようになった。
しかし、球場ではヒーローになったジョーも、家庭をもたぬ淋しさから、元の自分の家に下宿して、妻と話を
するのを楽しみにした。この契約違反に怒ったアプルゲイトは、179歳の妖女ローラ(グウェン・ヴァードン)
を美しい娘にしてジョーを誘惑させた。
ところがローラはかえってジョーにすっかり参ってしまった。ますます怒ったアプルゲイトは約束の条件に
より9月24日深夜にジョーを元にもどすと宣言した。ところが、その翌日の25日の試合に勝てば、セネタースは
優勝する機運にあるのだ。ローラはアプルゲイトに睡眠剤をのませるというトリックを用いた。

アプルゲイトが眼を覚した時、試合は9回の裏、1対0でセネタースがヤンキースをリード中だった。ヤンキース
打手がフライを放ち、ジョーがバックした瞬間、アプルゲイトがジョーを元の中年にもどした。
しかし、変った肉体条件によろめきながら、ジョーの一心は球を見事にキャッチした。セネタース優勝決定の
一瞬、顔をかくすようにしたジョーはダッグアウトから姿を消した。久しぶりの夫をメグは喜んで迎えた。
悪魔のアプルゲイトが、またジョーを栄光の世界にさそいにきたが、しっかり抱きあった2人の姿には、退散の
ほかなかった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:76% Audience Score:70% >



by jazzyoba0083 | 2018-02-08 11:45 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ Maggie's Plan」
2015 アメリカ Freedom Media,Hall Monitor and more. 98min.
監督・脚本:レベッカ・ミラー
出演:グレタ・ガーウィグ、イーサン・ホーク、ジュリアン・ムーア、ビル・ヘイダー、マーヤ・ルドルフ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
この監督さん、始めてその出自を知ったけど、アーサー・ミラーの娘にしてダニエル・デイ=ルイスの奥さん
なんですね。だからどうってことないのだけど、この映画、出演者がほとんど全員大学の教授などの学術肌の
人たちで、高邁な会話に意味の理解がついていけないところがある。まあ、そうしたアカデミックな暮らしと
日常生活の男女、親子のドタバタ、どろどろの落差が面白さとして追求されている所もあるのだろうけど。

マギーを演じたグレタ・ガーウィグという女優さん、失礼ながらあまりお目にかかったことはないけど、
昭和な顔立ちで、ハリウッドの美人女優、というタイプじゃないけど、理知的な雰囲気を持ち、個人的には
好きなタイプ。

閑話休題。そんなアカデミー的一家で繰り広げれれる極めて下世話な恋愛話。マギーという主人公を通して
彼女の迷いや決断に観客は己の姿を投影し、いろいろと思う仕掛けになっている。

マギーは大学の研究者。アラフィフなのだが結婚はしていなくて、でも子どもが欲しい。数学の天才で
いまはピクルス製造で成功しているガイという独身男に精子を貰い人工授精をしようとしていた。
頭のいい家系を残したかったのだ。しかし、その頃、文化人類学者のジョン(イーサン・ホーク)と
出会い、二人は恋愛関係に落ちる。だがジョンには大学教授のジョーゼット(ジュリアン・ムーア)という
妻がいた。しかし二人の間は学者同士の故か、二人の子どもがいるにもかかわらず冷めていた。
ジョーゼットの個性が強すぎで、マギーと出会ったジョンはまるで母親に包まれているような温かさを
感じ、ジョーゼットと離婚したいという。その頃マギーは人工授精をしていたのだ。

話は3年くらい飛ぶ。ジョンとマギーの間には女の子が出来、ジョンは目標だった小説家を目指し頑張って
いた。しかしマギーは子育てや家事で自分の時間が取れず次第にストレスが溜まっていく。そしてついに
自分のこれからの幸せはここにはない、というかジョンの幸せはジョーゼットと一緒にいてこそ、と確信し
ジョンをジョーゼットに返そうと決める。(こういう行動もマギーの個性なんだな)

ジョンも、カナダでの学会でジョーゼットとの焼けぼっくいに火がついて、一夜を一緒に過ごす。ジョーゼットは
ジョンが書いた小説の原稿を読んで即座に焼いてしまう。
才能がないのだ。彼女は彼に「あなたは研究者になるべきよ」とアドバイス。やはりジョンのことを一番
知っているのはジョーゼットのようであった。ジョンもジョーゼットも深いところでは愛し合い理解しあって
いるのだ、とマギーは理解したのだった。マギーはジョーゼットとも親しく話が出来る間柄を保ち、ジョンを
あなたに返すわ、と、ジョンにも私と分かれてジョーゼットと再びやり直したほうがあなたの幸せよ、と
宣言するのだった。ちょっといい人すぎるかな。

かくしてジョンとジョーゼットは元の鞘に戻り、マギーは娘と二人の生活を始めた。しかし、その娘、
やたら数字に明るいのだ。(見ている人は相当前からこの娘が数学オタクのガイの精子を受けた娘であろうこと
はわかると思う)スケートをしているマギーと娘のところにピクルス屋のガイがやってきた・・・・。
余韻を残して映画は終わる。

自分の目指す幸せはどこにあるのか、マギーは考える。不倫もし、子どもも出来たが思うように人生は進まず、
こんなはずじゃなかったと思い、また別の道を考える。誰にでも起きるであろう、人生の大きな転換点の
模様を、この女流監督は、マギーというごく普通にいる女性を主人公にして「自分探し」をさせてみているのだ。

さて、男性はなかなかシンパシーの湧きにくいストーリーだが、マギー、ジョーゼット、それぞれの生き方に
鑑賞者は何を思うのであろうか。そんな映画である。 普通に面白かった。
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<ストーリー>
子供は欲しいが彼氏のいないマギー(グレタ・ガーウィ)は、NYの大学で働いている。ある日、妻子持ちの
文化人類学者・ジョン(イーサン・ホーク)と出会ったマギーは、彼と恋に落ちる。
ジョンの妻ジョーゼット(ジュリアン・ムーア)は、教授として働くバリバリのキャリアウーマン。家庭を
顧みない妻に疲れ果てたジョンは離婚を決意、自分の小説を好きだと言ってくれるマギーと再婚する。

数年後。娘も授かり幸せに見えた二人だったが、仕事も辞め小説家の夢を追い続けるジョンとの結婚生活に
マギーは不安を感じていた。そんななか、忙しいジョーゼットの子供たちの面倒を見るうちにマギーは
彼女とも親しくなり、ジョーゼットが“鬼嫁”ではなく知的で魅力的な女性であり、さらに今でもジョンを
深く愛していることに気付く。
ジョンはジョーゼットと一緒にいた方がきっと幸せになれる。そう思ったマギーは、夫を前妻に返すという
とんでもない計画を思いつくのだが……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.3 >
<Rottentomatoes=Tomatometer: 86% Audience Score:52% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-07 22:50 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)

デトロイト Detroit

●「デトロイト Detroit」
2017 アメリカ Annapurna Pictures (presents)  142min.
監督・(共同)製作:キャスリン・ビグロー
出演:ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイソン・ミッチェル、ジャック・レイナー他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
ポスターには「本年度アカデミー賞最有力」と謳ってあったが、蓋を開ければ、ノミネートなし。
「ゴールデングローブ」でも同様。一体どういうことだろう。と思いつつシネコンに足を運んだ。

キャスリン・ビグローはこれまで社会派の優れた作品を作ってきてオスカーも獲ってきた。その期待値が
大きすぎたのか、おおそれながら、私が観ても、先日観た「スリー・ビルボード」や「「ダンケルク」に
比べると、力がないと感じた。それは何故か。

取り上げたテーマは良いし、時宜にもかなっている。但し、ドキュメントに重きを置いてしまったが故に
人間を描く部分が弱かったのじゃないかと感じたのだ。取り敢えずジョン・ボイエガと白人警官代表の
ウィル・ポールターが主人公級ということなんだろうけど、登場人物の重みというかポジションもバラバラになり
焦点がボケてしまった。

例えば「ハートロッカー」ならばジェレミー・レナーであり、「ゼロ・ダーク・サーティ」であれば、ジェシカ・
チャスティンにより、個人的な懊悩や希望を通して社会に訴えるものが優れていたと思うのだが、本作は
「デトロイト騒乱」という事象そのものが「主人公」になっていて、それにからむ群像を通して「事象」絡む
人間を描こうとしたのだろう。それはそれで狙い目なのだろうけど、作劇のフォーカスとしては、ぼやけてしまった
のでは無いか。(日本に住む日本人がアメリカの黒人問題を肌身で感じることは不可能だろうとはいえ、だ)

ビグロー監督は、デトロイト騒乱の中でも悲劇的だった「アルジェ・ホテル」の惨劇を極めて克明に描き、
(おそらく関係者への取材などは半端じゃなかったと思う。また存命の人も多いので、法的に注意する
事柄も多く、脚色を余儀なくされる場面も多かったと聞く)さらに、裁判の過程では白人警官が無罪になって
行くさまを通して、この時代の黒人が置かれた理不尽さを訴えている。1960年代の黒人公民権運動については
毎年といっていいほどさまざまな映画で描かれていくが、今も黒人に対する被差別的なアメリカの国内事情は
変わっていない、と言いたかったのだ。それはそれで分かる。

それならば、実際の映像を使用してのドキュメンタリーを作ってしまったほうがパワーがある場合もあるのだが、
ビグローが敢えて、映画の世界で挑戦しようとした目論見は、騒乱に関わった人間模様を通して訴えようと
したのだろう。が、その目論見は事実を忠実になぞることに力点を感じさせる作品となってしまっているようだ。

アカデミー賞受賞が全てではないが、最近のアカデミー会員が作品賞にかける思いというものは、いかに
人間が描かれているか、という点のような気がする。話が回りくどくなったが、そういうことならば、今回の
オスカーにノミネートされなかったのも分かる。本作HPで姜尚中が行っているように、この騒乱の中において
黒人にもいろんなポジションの人がいて、白人にもいろんな立場の人がいて、それが群像劇のように描かれて
いたのが良かった、とする指摘もある。(確かに州兵の中には黒人を逃がす兵士もいるし、救助する兵士も
描かれる)なるほどと思うが、私の目には、登場人物のキャラクターが散ってしまい主張が薄れたと思えて
ならないのだ。

ただ、作品全体の出来としては決して悪くはない。長い映画だが緊張は続くし、手持ちカメラと固定カメラの
使い方も効果的だ。キャストでは、暴行を主導する若い白人警官を演じたウィル・ポールターが断然光った。
白人の(失礼だが)教育もそれほどでない差別主義者の若い警官のおぞましさを好演。
それにしても不思議なのは、事件の発端となった、ホテルの窓から撃ったのがスターター用のおもちゃの銃だと
いうことを、警官に捕まり暴行を受ける黒人たちはなぜ説明しなかったのだろうか。映画からはそこが今ひとつ
理解しきれなかった。
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<ストーリー>
キャスリン・ビグロー監督が「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」に続いて再び脚本にマーク・
ボールを迎え、1967年の“デトロイト暴動”のさなかに起きた衝撃の事件を映画化し、今なお続く銃社会の
恐怖と根深い人種対立の闇を浮き彫りにした戦慄の実録サスペンス。黒人宿泊客で賑わうモールを舞台に、
いたずらの発砲騒ぎがきっかけで、警察官に拘束された黒人宿泊客たちを待ち受ける理不尽な悲劇の一部始終を
圧倒的な臨場感で描き出す。
主演は「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のジョン・ボイエガと「メイズ・ランナー」のウィル・ポールター、
共演にアルジー・スミス、ジョン・クラシンスキー、アンソニー・マッキー。

 1967年7月、デトロイト。黒人たちによる暴動が激化し、鎮圧に乗り出した軍や地元警察との衝突で街は
まるで戦場と化していた。そんな中、運悪く暴動に巻き込まれ身動きできなくなった人気バンド
“ザ・ドラマティックス”のメンバー、ラリーが宿泊していたアルジェ・モーテルで銃声が鳴り響く。
それは黒人宿泊客の一人がレース用の空砲をふざけて鳴らしたものだった。しかし、それを狙撃手による発砲と
思い込んだ大勢の警察官がモーテルになだれ込んでくる。やがて、偶然居合わせただけの若者たちが、
白人警官のおぞましい尋問の餌食となっていくのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:84% Audience Score:79%>





by jazzyoba0083 | 2018-02-05 14:20 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「スリー・ビルボード Three Billboards Outside Ebbing,Missouri」
2017 イギリス・アメリカ Blueprint Pictures,Film 4,Fox Searchlight Pictures (production). 116min.
監督・脚本・(共同)製作:マーティン・マクドナー
出演:フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル、アービー・コーニッシュ他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
一年間にそうそう出会わないであろう秀作に、この早い時期に出会ったようだ。今年のオスカーの
6部門にノミネートされている話題作ではあるが、それだけの評価を受ける価値のある力作であった。
私見であるが、オスカー「脚本賞」は獲るんじゃないかという予感がする。

とにかく「物語のチカラ」が凄い。マーティン・マクドナーという人、イギリス出身で劇作家が出自。
今年47歳と油が乗り切った年齢だ。すでに1回オスカーの脚本賞の候補になってはいるが、作劇の
しっかりした舞台劇を見ているような人間性のぶつかり合いは、さすがはイギリスの舞台育ちという
感じだ。だいたい原題の名付け方からしてそんな感じを受ける。「三枚の道路看板、ミズーリ州エビング
郊外」だもの。

終わり方に異論がある人もいるだろうけど、ああいう終わり方を含めての本作であろう。物語の主要な
テーマは「怒り」と「赦し」だと受け取めた。オスカー主演女優賞にノミネートされているマクドーマンドの
演技、というか存在感は圧倒的であるが、署長のウディ・ハレルソン、そしてダメ警官ディクソン役の
サム・ロックウェルの演技も素晴らしい。出てくる人が多くないので分かりやすいし、ストーリーも明快。

そして、「怒れる母親」、主役のミルドレッドを演じたマクドーマンドに、至言を言うのが、誰あろう
別れた夫のそう賢そうにも見えない19歳の彼女。曰く「怒りは怒りを来(きた)す」。
そう、娘をレイプされ焼殺された母の怒りは、南部の田舎町の警察官らしく、黒人を差別して喜んでいるような
ダメなやつらで、ちっとも捜査は捗らないことで爆発。
怒った母は、道路端の3枚の大型広告板に、警察に対するメッセージを掲載する。しかし名指しされた署長は
膵臓がんで余命幾ばくもない。娘を殺されたことに町の人は同情するが、メッセージに関しては署長に同情的
であった。ミルドレッドの狙いだったのかマスコミにも取り上げられ、忘れ去られそうになった事件に再び
光が当たったことは当たった。

しかし、事態はミルドレッドが目論んでいたものとは違う方向に進み始めてしまう。

本作を見ている人は、娘を無残な事され方をしたミルドレッドの怒りに同情しつつ、真面目な、しかも死期が
迫る署長にも同情してしまう。ミルドレッド、やりすぎじゃないか、とも。ここで登場するのがダメ警官の
ディクソン(サム・ロックウェル)だ。彼の心の動きが、ミルドレッドに大きな影響を与える。ミルドレッドの
心のありように大きな影響を与えたのは署長ではあるのだが。

「怒りは怒りを来(きた)す」のだ。「赦しは赦しをもたらしもする」のだ。

私が映画から受け取った上記の思い、まさに今のアメリカが国として想いを致さなければならない問題なのだ。
「怒りは怒りしか呼ばないし、相手を理解し赦すことから得られる心の平穏こそ大切なのだ」ということ。
その象徴として登場するのが、ビルボードをミルドレッドに貸す広告会社の若社長レッドだ。彼は
ディクソンにボコボコにやられた挙句二階から突き落とされたにも関わらず、ディクソンを赦すのだ。

若干丸めすぎるのが早かったか、と感じたのが、ディクソンが署長からの手紙を見ての心変わりが早すぎかな
と感じたこと。レッドのいい人加減がちょっとな、と感じた。そのあたりが弱点かなあ。

しかし、冒頭にも言ったが、「物語の持つチカラ」の凄さ、強さには目を見張った。そしてそこから流れ
出て来る主張、人間の持つ嫌らしさと良さの提示は実に分かりやすく、南部の田舎の警察と娘を殺され
犯人が見つからない怒れる母親のありようは、そのままアメリカが抱える闇の深さを訴えている。
「差別」「被差別」も含めて。

見るべし。けだし傑作である。「ファーゴ」でオスカー主演女優賞を獲得したマクドーマンドだが、
あれで受賞なら、こちらで受賞しても当然と思えるだろう。「庭の千草」を使った音楽もいい。
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<ストーリー>
「ファーゴ」のフランシス・マクドーマンドが娘を殺された母親の怒りと悲しみを体現して絶賛された衝撃の
サスペンス・ドラマ。
アメリカの田舎町を舞台に、主人公がいつまでも犯人を捕まえられない警察に怒りの看板広告を掲げたことを
きっかけに、町の住人それぞれが抱える怒りや葛藤が剥き出しになっていくさまを、ダークなユーモアを織り
交ぜつつ、予測不能のストーリー展開でスリリングに描き出す。
共演はウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル。
監督は「ヒットマンズ・レクイエム」「セブン・サイコパス」のマーティン・マクドナー。

 アメリカ、ミズーリ州の田舎町エビング。ある日、道路脇に立つ3枚の立て看板に、地元警察への辛辣な
抗議メッセージが出現する。それは、娘を殺されたミルドレッド・ヘイズが、7ヵ月たっても一向に進展
しない捜査に業を煮やして掲げたものだった。
名指しされた署長のウィロビーは困惑しながらも冷静に理解を得ようとする一方、部下のディクソン巡査は
ミルドレッドへの怒りを露わにする。さらに署長を敬愛する町の人々も広告に憤慨し、掲載を取り止めるよう
ミルドレッドに忠告するのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★8.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:87%>



by jazzyoba0083 | 2018-02-04 11:40 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「ブルーに生まれついて Born to Be Blue」
2015 アメリカ New Real Films,Lumanity Productions,Black Hangar Studios and more. 97min.
監督・脚本:ロバート・パドロー
出演:イーサン・ホーク、カーメン・イジョゴ、カラム・キース・レニー、トニー・ナッポ、ケダー・ブラウン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ウェストコーストの白人モダンジャストランペットプレイヤー、シンガーのチェット・ベイカーの物語である。
つい先日、ドン・チードルがマイルス・デイヴィスを演じた「マイルス・アヘッド」という作品を観たが、
出来としてはこちらのほうに軍配があがる。主人公はジャズプレイヤーではあるが、恋人を中心とした
人間模様がよく描かれているし、結局ドラッグを断ち切ることができなかったチェットの哀しさ、(憐れさ)も
上手いこと描かれていた。
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チェット・ベイカーは、色男で女性に人気があり、マイ・ファニー・バレンタインを歌ったチェットを聴いた
ことがある人も多いのではないか。中性的な歌声で、上手いとは言い難いが味があった。トランペットも
いわゆるバッパーのような火の出るようなアドリブが持ち味ではなく、叙情的な味わいが魅力であった。
ジェリー・マリガンらと並びウエストコーストジャズの重要なプレイヤーであり、この映画にも登場するが
「パシフィック・ジャズ」レーベルから多くのLPを出している。

ただ、人気絶頂の頃にヘロインに手を出し、欧州へ渡ったりイタリアで逮捕されたり(映画の冒頭)、NYに
帰ってきた1970年代40歳のときにはヘロインの金が元で殴られ、前歯と顎に重傷を負った。周囲も再起は
無理だろうと思っていたし、ヘロインのため保護観察官がついてまわる生活だった。
これをささえたのが、ヘロイン騒動で撮影が打ち切りになったが、チェットの映画で妻役をやったジェーン
だった。ハリウッドで本格的にデビューしたい夢を持ちつつチェットを温かく見守っていた。チェットも
苦労して、入れ歯状態で何とかトランペットを吹けるようになり、是非復帰したかったNYの「ハーフノート」にも
友人のディジー・ガレスピーの力添えで一夜限りの公演が出来るようになった。

ステージを目の前にして弱気になったチェットは、あれほど遠ざけていたヘロインに再び手を出し、演奏に
臨む。しかし、その模様を見つめていたジェーンは彼の元を去っていったのだった。

彼はその後欧州に永住したが、結局チェットは終生ヘロインと手を切ることができず、1988年、アムステルダムの
ホテルの窓から転落して死亡した。部屋にはヘロインがあったという。58歳であった。
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20歳代で成功の甘い味を味わってしまったことや、ヘロイン中毒のために療養所生活があったことや、前歯を折ら
れる前に欧州にいたことなどは端折られるが人間チェット・ベーカーの特に弱さ、ナイーブさがイーサン・ホークの
好演により、味わい深く描かれていた。また話の中核に恋人ジェーンとのやりとりを据えたのも話がわかりやすく
チェットの人間性を浮かび上がらせることに成功していたといえる。チェットは女性の出入りが激しく結婚も数度
繰り返したが、映画の中のジェーンほどのきちんとした付き合いをした女性はいない。だからジェーンは創作上の
人物と言えよう。だがそのためにチェットの(作劇上の)キャラクター作りに成功している。
実際のチェット・ベイカーは、この映画より遥かにハチャメチャで破滅型の人間であったようだ。天は二物を与えず、
といったところだろうか。
ジャズファンでなくても興味深い映画ではないか。
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<ストーリー>
「ビフォア・ミッドナイト」「6才のボクが、大人になるまで。」のイーサン・ホークが伝説のトランペット
奏者チェット・ベイカーを演じて高い評価を受けた感動の音楽伝記ドラマ。50年代のジャズ・シーンで一世を
風靡するも、麻薬でどん底へと転落したチェットが、愛する女性に支えられて再起を目指す苦闘の日々を見つめる。
共演はカーメン・イジョゴ。監督は、これが長編2作目となるカナダの新鋭、ロバート・バドロー。

 白人ジャズ・トランペット奏者のチェット・ベイカーは、その端正なルックスも相まって1950年代に一世を
風靡する。しかしドラッグに溺れ、たびたびトラブルを起こして、いつしか表舞台から姿を消してしまう。
そんな中、暴力沙汰に巻き込まれ、病院送りに。アゴを砕かれ、前歯を全部失う重傷で、トランペッターと
しては致命傷かに思われた。
それでも、恋人ジェーンの献身的なサポートのもと、ドラッグの誘惑を断ち、再起に向けて懸命に歩を進めて
いくチェットだった。((allcinema)

<IMDb=★6.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:88% Audience Score:73%>



by jazzyoba0083 | 2018-02-02 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「92歳のパリジェンヌ La dernière leçon 」
2015 フランス Fidélité Films. 106min.
監督・(共同)脚本:パスカル・プザドゥー 原作:ノエル・シャトレ『最期の教え』
出演:サンドリーヌ・ボネール、マルト・ヴィラロンガ、アントワーヌ・デュレリ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
重いテーマだ。それをヒューモアとウィットをまぶして、「どっぷり」暗くしないところが
フランス映画の持ち味と言えるだろう。
本作は、実話を元にして作られた「尊厳死」についての一遍である。

人は生まれた以上は誰でも死ぬ。これは「絶対」。安倍晋太郎も、石原さとみも、
トム・クルーズも例外ではない。当然私とて、あなたも。

本作では90歳を超えた1人の寡婦が、自分のカラダが思い道理にならなくなり、もう
自分の人生にけじめを付ける時、信念としてベッドでチューブだらけでは死にたくないと
考えていたため、92歳の誕生日に、自分は3ヶ月後に死ぬ、と宣言する。

さあ、子どもたち、まごたちを巻き込んで大騒動が勃発する。おばあちゃんはとにかく頑固。
言い出したら聞かないことはみな知っているが、肉親と死病でもないのに別れるなんて
到底受け入れがたい。孫も含めて一所懸命介護もしてあげているのに。息子は怒り、娘は
次第に母の思いを受け入れていく。

助産婦だったおばあちゃんは、病院にいた時、庭で産気づいた女性から赤ちゃんを取り上げ
るという事件があったたのだが、そんなこともあり、自分からクスリを飲んで自死すると
いっても、みんなの暖かい心に触れて自殺を思いとどまるのかと思いきや、そうじゃない。
おばあちゃんの意思はあくまで固かった。

本作の優れている点は、おばあちゃんの一貫したぶれない行動に、人生をしっかり幸せに
生きた、という確信を感じ、こういう気持ちに、自分はなれるのだろうか、泣きながら生に
しがみつくのではないか、と思わせる点。
さらに家族の右往左往が、観ている人に「そういう気持ちにもなるよなあ」という
シンパシーを上手く引き出させている点だろう。母親の自殺を幇助すれば犯罪になって
しまう。

おばあちゃんは30年前から病院では死にたくない、という覚悟を決めていて、いよいよ
この世にサヨナラを言うときが来た、と悟る。寝ていておねしょをしてしまう。服がちゃんと
1人で着られない、やることを忘れる、転ぶ、心臓だかのことでよく倒れる、そうした
状況が、人間としての尊厳を傷つける、自分の行き方とは違うと確信したのだろう。
もちろん家族との別れは辛いに決っている。しかし、自分が迷惑を掛けて生き長らえるより
きっぱりとサヨナラしたほうがいい、とおばあちゃんは覚悟したのだ。女性として美しく
ありたいという矜持もあったのだろう。

私は出来ないなあ。

やがて家族は、おばあちゃんの「尊厳死」を受けいれるようになる。最後は離れた場所との
電話で終わる。「Merci,Au Voir」。

この映画のおばあちゃんのように、いずれ絶対だれにでも訪れる「死」を、鷹揚として
受け入れるためには、後悔のない人生を生きる、生ききることしかないと、観客は思う
だろう。人生に未練を残さないこと。そのために今をどう生きるか、この映画の訴える
ところは深い。

おばあちゃん役を初め子どもたちや孫のキャラクターも上手く描かれていたと思う。
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<ストーリー>
自らの人生を終える日を決めて実行し、世間を騒がせたフランスのジョスパン元首相の
母親ミレイユの実話を基にした人間ドラマ。
信念を貫き、最後まで“美しい人生”であろうとする92歳のヒロインの姿を描く。
84歳にして舞台やテレビ、映画などで活躍するマルト・ヴィラロンガが主人公のマドレーヌ
を、その娘ディアーヌをサンドリーヌ・ボネールが演じる。

かつては助産婦として活躍し、今は子や孫にも恵まれ、ひとりで穏やかな老後を過ごして
いるマドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ)。まだまだ元気な彼女の気がかりは、数年前
からノートに書き記している“一人でできなくなったことリスト”の項目がどんどん増え
ていること。
そんな中で迎えた92歳の誕生日。お祝いに駆けつけた家族に、彼女は驚くべき決意を
打ち明ける。みんなに迷惑をかける前に、自らの手で人生に幕を下ろすことにしたと
いうのだ。絶対反対を主張する家族たち。
一方、マドレーヌの決意も全く揺るがない。限られた日々の中で、家族はマドレーヌの
想い、そして彼女の生きてきた人生と触れ合ってゆく……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.7>



by jazzyoba0083 | 2018-02-01 23:10 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)