●「パンズ・ラビリンス Pan's Labyrinth 」
2006 メキシコ・スペイン・アメリカ Estudio Piccaso and more. 119min.
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ
出演:イバナ・バケロ、セルジ・ロペス、マリベル・ベルドゥ、ダグ・ジョーンズ、アレックス・アングロ他
e0040938_12225662.jpg
              <2006年アカデミー賞 撮影賞 美術賞 メイクアップ賞 受賞作品>

<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>

久々の★9。大層面白かった!振り返ってみればこの監督の作品は「パシフィック・リム」を見て
びっくりした以来のこと。もっとこの人の作品を見たいと思った。イリニャトゥといいキュアロンと
いい、メキシコの監督ってこのところ凄いな、と今更ならが驚いた次第。

「ダーク・ファンタジー」とは言うけど、そういうジャンルを超えた面白み、映画が与えてくれる
観客個人の深読みの楽しさを満喫出来る、いわばジャンルレスな作品ということが出来よう。
残酷なシーンも出てくるのでお子様というより、大人の映画である。そこには様々なメタファーが
潜んでいる。それを読む解く面白みは先程書いたとおりだ。

個人的には2つの大きなメタファーを感じる部分が有った。主人公オフェリアは、ある日見つけた妖精に
案内され、牧神パンに出会うが、彼女こそ争いも貧富もない地底の王国の王女であるに違いない、ついては
3つの試練をパスすれば、王女と認め、王国に案内しようと誘われるのだが。
一つ目は、パンに「決して食べてはいけない」と言われた主人公の少女オフェリアは、我慢たまらずブドウを
2粒口にしてしまい。手のひらに目の付いたお化けに追いかけられる。なんとか逃げたが、約束を破ったことに
激怒したパン(所詮、オフェリア王女の下僕であろうに)が激怒し、王国の世界にはもう行けない!!と
オフェリアに告げる所。(ここでは私は、オフェリアのだらしなさを呪った)これは人の欲に対する弱さ、
ひいては人間の弱さの提示。

二つ目は、ラストシークエンス、
王子となるべき異父弟を連れ出してラビリンスに連れて来たのはいいのだが、パンから、王子の血を、と
いわれると拒否するオフェリア。するとそこに後を追ってきた異父の大尉が追いつき、オフェリアを撃つ。
弟は異父の手に。瀕死のオフェリアは地底の国で父や母(異父弟の出産時に死亡)が笑っていて、彼女が
歓迎させるようすが見られた。一瞬、あ、彼女の魂は救われ、王国へ行けたのか、と思うと画面は血を流し
倒れるオフェリアの姿に再び戻る。そして彼女は息を引き取る。(この時は、彼女の見た王国に彼女の魂は
行けたに違いないと思わずにはいられなかった)
地底の王国など存在していたのか?スペインのひどい内戦に疲れた少女の妄想が作り上げたのではないか、
しかし、残酷な戦争を繰り広げるフランコ軍の大尉(オフェリアの義父)は、人間の一方の悪という
メタファーであり、オフェリアと地底の王国は善のメタファーなのだ。これがベースとなり物語が構築され
ている。

だから、悪側の大尉と軍人たちは非道この上なく、捕虜に対する残酷な仕打ち、人の命をへとも思わない
極悪に描いておけば、後のカタルシスがより大きくなることは必定。それにしても残酷さの描き方は
半端ないのでお子様は見てはいけない。ゲリラを支援する大尉付きの女メルセデスの反撃に会い、口を
切り裂かれた大尉は、自分で口裂け女みたいになった口を縫うのだが、痛いよお!!
大尉に対する観客の憎しみを最大化しておいて、ラスト、自分の息子を奪い返し、迷宮を出てくると
待っていたのはレジスタンスたち。大尉「頼みがある。この子に生まれた時間を教えてやってくれ」
(大尉は時間フェチだった)メルセデス「お前の名前すら教えないさ」 メルセデスの弟が銃で
一発!このあたりのカタルシスがすごく生きてくるのだ。この引っ張り方はなかなかだ。
(映画の冒頭からこの大尉はいずれは地獄に落ちる目に合うのだろう、とは分かるのだが、その方法は、
と見ている方の期待値が次第に高まる構造になっているのだ)

過酷なスペイン内戦を舞台とし、そこにファンタジーの要素を入れた「戦争と平和」の構造を作り上げた
監督の脚本に唸る。終わり方も「所詮、現実からの逃避などは人間の頭の中でしかできやしないのだ」と
言われているようで、重い気分にもなる。パンや、安産を祈るための植物みたいなやつや、ナナフシ
みたいな虫など、おおよそ、お子様向けのファンタジーに出てくるような代物ではなく、むしろおどろ
おどろしく作り上げられている。そういう姿をした王国、というものにも意味を感じることが出来るだろう。

見てハッピーになる映画ではない。何か人生の実相を「ダークサイド」から眺めるような、暗さを
感じる。が、映画の出来としては極めて完成度の高いものといえる。
e0040938_12232988.jpg
<ストーリー>
「ブレイド2」「ヘルボーイ」のギレルモ・デル・トロ監督が「デビルズ・バックボーン」に続いて再び
スペイン内戦を背景に描く哀切のダーク・ファンタジー。再婚した母に連れられ、山中でレジスタンス
掃討の指揮をとる冷酷な義父のもとへとやって来た空想好きの少女は、やがて残酷な現実世界から逃避し
森の中の不思議な迷宮へと迷い込んでいくが…。
イマジネーションあふれるヴィジュアルと深いテーマ性が高く評価され、いわゆるジャンル映画であり
ながら数々の映画賞を席巻する活躍で大きな注目を集めた話題作。

 1944年のスペイン。内戦終結後もフランコ政権の圧政に反発する人々がゲリラ闘争を繰り広げる
山間部。内戦で父を亡くした少女オフェリアは、臨月の母カルメンと共にこの山奥へとやって来る。
この地でゲリラの鎮圧にあたるビダル将軍と母が再婚したのだった。冷酷で残忍な義父に恐怖と
憎しみを募らせるオフェリア。
その夜、彼女は昆虫の姿をした不思議な妖精に導かれ、謎めいた迷宮へと足を踏み入れる。
そこでオフェリアを出迎えたパン<牧神>は、彼女が地底の魔法の国のプリンセスの生まれ変わりで、
満月の夜までに3つの試練を乗り越えれば、魔法の国に帰ることが出来ると告げる。オフェリアはその
言葉を信じて、与えられた3つの試練に立ち向かう決意を固めるのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★8.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:95% Audience Score:91%>


この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=326294#1こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-20 22:50 | 洋画=は行 | Comments(0)

●「13時間 ベンガジの秘密の兵士 13 Hours」
2016 アメリカ Paramount Pictures and more.144min.
監督・(共同)製作:マイケル・ベイ
出演:ジョン・クラシンスキー、ジェームズ・バッジ・デール、パブロ・シュレイバー、デヴィッド・デンマン他
e0040938_14252241.png
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

あのマイケル・ベイの作品が劇場で公開されなかったのだな。迫力あるドンパチだったけど、事件が
起きた当時のリビア、ベンガジの構造がよく分からず(冒頭に字幕で解説は多少あるが)、領事館が
攻められてくるまでは誰が何をどうしようとしているのか、とっても分かりづらかった。事態が動き
出すのは先述のように領事館襲撃、そして続くCIAなどが入る情報部隊への襲撃が始まってからだ。

現地で起きている事をペンタゴンやワシントンは見て見ぬふりをする、他のアフリカや欧州にいる
アメリカ軍は建前を突き崩せず、動けない、現地の指揮官はどうも保身に走っているようだし。
しかも、リビアでアメリカに味方している現地勢力、だれが味方で誰が敵か分からない!

こうした状況では、頼りになるのは自分とその仲間たちだけじゃないか!なんとかやりぬくしかないぜ!
しかも本土には帰国を待つ家族がいるというのに・・。という、そこはありがちで分かり易いが。
イーストウッドの「アメリカンスナイパー」、ビグローの「ハートロッカー」、「ゼロ・ダーク・サーティ」
など同様に実際に起きた事件を元に描かれた作品は、主人公を絞り安いのだが、本作の場合は
事件そのものが主人公のような体裁。かといってベン・アフレックの「アルゴ」ほど事件を上手くまとめ
切れているか、というとそうでもない、というこのあたりのどっち付かずが、一般受けしないと判断され
映画館での上映を見送られたのかもしれない。映像は成功していても作劇は失敗しているという・・・。

私としてはこの映画を見ていて唯一頭に浮かんだのは「みんな自分の事ばっかり考えて・・・。」と
いうこと。まあ、総じて戦争というのはそういうものなのだけれど。マイケル・ベイがこの映画を通して
言いたかったのはそればかりではなく、アメリカのために果敢に戦った少数の勇気ある男たちの話、だった
のじゃないか。もちろんその背後に言いたいことは山ほどあろうかと思うけど。それが描き切れていない
ところに本作の蹉跌があるといえよう。玄人受けはしないけど、素人さんには受ける、というRotten
Tomatoesの評価が、的を得ているようだ。
e0040938_14255082.jpg
<ストーリー>
「トランスフォーマー」シリーズなどのヒットメーカー、マイケル・ベイ監督が、2012年にリビアで
発生したイスラム過激派によるアメリカ領事館襲撃事件を映画化したアクションドラマ。
事件を取材したジャーナリストのミッチェル・ザッコフによるノンフィクションをもとに、支援を
絶たれた6人のCIA警備兵が繰り広げる13時間の激闘を臨場感たっぷりに描き出す。

12年9月11日、リビアの港湾都市ベンガジにあるアメリカ領事館が、イスラム過激派の武装集団に
占拠された。領事館のほど近くにあるCIAの拠点アネックスは救援要請を傍受するが、アネックスの
存在自体が極秘であるため手を出すことができない。アネックスに派遣されていた軍事組織GRSの6人の
警備兵たちも待機命令を受けるが、領事館を取り巻く状況が緊迫していくのを見過ごすことができず、
任意で救援活動に乗り出す。
出演は「プロミスト・ランド」のジョン・クラシンスキー、「ザ・ウォーク」のジェームズ・バッジ・デール
(映画.com)

<IMDb=★7.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:50% Audience Score:83%>


この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=357056#1こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-18 23:20 | 洋画=さ行 | Comments(0)

ズートピア Zootopia

●「ズートピア Zootopia」
2016 アメリカ Walt Disney Pictures.108min.
監督:バイロン・ハワード 共同監督:ジャレド・ブッシュ
声の出演:ジニファー・グッドウィン、ジェイソン・ベイトマン、イドリス・エルバ、J・K ・シモンズ他
e0040938_15252711.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>

今年(2016年度)のアカデミー賞長編アニメ賞を獲得した作品。トランプ大統領登場を予見したかのような
内容なのだが、テーマとしてはアメリカに普遍的に横たわる根の深い問題なのだろうな、ということは良く
判った。お子様が見ても勿論面白いが、これは基本的には大人のアニメだ。思わず、あれが誰で、と実在の
人物に当てはめたくなってしまう。日本語吹き替えで観れば、画の楽しさをたくさん味わえるのだろうが、口の
動きを確認したくて、またオリジナル版の声も確認したくて、日本語字幕で鑑賞した。

田舎の正義感溢れるウサギが警官試験に合格し、「誰でも何にでもなれる」という夢見る街、ズートピア警察に
着任する。しかし、実際の街は、差別や偏見にあふれているわけで・・・。ウサギの苦労が始まる、という出だし。
良さそうな人がそうでなかったり、怖そうな人が優しかったり。草食動物と肉食動物の確執があったり・・。

たくさんの魅力的な動物が、その動物が持つわかりやすいキャラクターを持って登場するが、私の一番の
お気に入りは狐のニック。小さい頃から「ずる賢い」という烙印を押され、ひねくれて生きてきたし、実際
ずるい商売をしていたりする。しかし、このニックが本作の重要な(ワタシ的には主人公といってもいいと
さえ思う)役割を演じ、映画の主題を体現もしている。アニメ化された表情がまた実にキュートでいい。
警官のボス、水牛のボゴもなかなか味のあるキャラクターで好きだ。

ウサギ警官との間の信頼するのしないのという関係から、ある捜査を二人で暴き、真の黒幕を暴き出すのだった。
狐のニックも警官となり、ウサギ警官とコンビを組むことになったのだ。

動物間の偏見はつまり人間社会のそれであり、多様性を認めあってこそ、というのは人間界以上に動物界では
重要なテーマ性を帯びてくるわで、アニメではあるが、動物たちがこうやってやって行けているんだから
人間が出来て当たり前じゃないか?と問われている気分になるのだ。
ズートピアとはアメリカそのものに他ならない。あるいは地球全体と見ても良いかもしれない。

しかし、今のアニメ技術は凄い。質感といい動きといい、アニメのほうが表現手段は豊富なんじゃないか。
今回感心したのは、背景に描かれる街並や大道具小道具、そして車などの質感が、リアルであって、
あんまりアニメを観ている、という気がしてこなかったのだった。
e0040938_15255611.jpg
<ストーリー>
高度な文明が発達した動物たちの楽園ズートピア。そこは、誰もが夢を叶えられるところだった。
田舎町バニーバロウで育ったウサギのジュディは、幼い頃から、世界をより良くするために警察官に
なりたいと思い描いていた。サイやカバといった大型動物だけが警察官になっているものの、ジュディは
警察学校を首席で卒業。ウサギとして初めて警察官になり、ズートピアに赴任する。

しかし、動物たちの連続行方不明事件が発生し、捜査に向かうのはサイやゾウといった大型の同僚たちばかり。
スイギュウの署長ボゴはジュディの能力を認めようとせず、駐車違反の取締りを命じる。そんな中、
街で困った様子のキツネの親子を助けたところ、彼らは詐欺師だった。だまされショックを受けるジュディに、
詐欺師のニックは、何にでもなれると思っていても無理だと言い放つ。
落ち込むジュディだったが、諦めずに、未捜査のままになっているカワウソのオッタートンが行方不明に
なっている事件の捜査に名乗り出る。ジュディを応援するヒツジのベルウェザー副市長の後押しもあり、
ボゴは期間は2日間のみであること、失敗したらクビにすることをを条件に、やむなく捜査を任せる。

チャンスを掴んだものの、手がかりは皆無だった。そこでジュディは、街に精通しているニックに協力を
依頼。秘密を握られているニックは、渋々彼女の捜査に付き合うことにする。ニックの情報網を駆使し
聞き込みを続けるうちに、ついにツンドラ・ラウンでオッタートンの痕跡が残る車を見つける。
しかしその車はツンドラ・タウンの闇のボス、ミスター・ビッグのものであり、ジュディとニックは
捕まってしまう。何とかこの危機を切り抜けたジュディとニックは、新たな手がかりを掴むとともに、
ズートピアに何かが起ころうとしていることに気付く……。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<RottenTomatoes=Tomatometer:98% Audience Score:92%>


この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=354239#1こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-16 22:40 | 洋画=さ行 | Comments(0)

●「ブラックボード 戦火を生きて En mai, fais ce qu'il te plaît」
2015 フランス・ベルギー Nord- Ouest Porductions.114min.
監督・(共同)脚本:クリスチャン・カリオン  音楽:エンリオ・モリコーネ
出演:アウグスト・ディール。オリヴィエ・グルメ、マルディド・セリエ、アリス・イザーズ他
e0040938_15304430.jpg
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
第二次世界大戦の欧州戦線において、ドイツ軍のフランス侵攻により、「20世紀最大の民族移動」と
言われた、フランス国内難民が発生した。本作ではそれを舞台に、ベルギーの親子がフランスに逃げ込む
のだが父は逮捕され、男の子と別れ別れとなる。男の子はある村の村民たちと一大移動をする中に入り、
若い女の先生に面倒を見てもらいながら、父親との再会を目指す。フランスで別れた場所にまた必ず
帰るという約束を信じて・・・というお話だ。日本未公開。WOWOWでの鑑賞。

パリ周辺の市民(農民)が南部へと、いわば疎開したという事実は冒頭でもエンディングでも実写の
写真を使って示しているが、浅学ながらこうした事実を知らなかったので、その点は面白く見た。
またベルギーのドイツ語圏に反ナチスの組織があったというのも新しいことだった。

ただ、丁寧に描いているようで、結構粗っぽい作りもあり、そのあたりが残念だった。タイトルの
ブラックボードとは黒板の事で、息子が行く先々で自分の行く場所を学校の黒板に書いていき、
それを父が見つけて再会、という仕組みなのだが、2回しかそのシーンはないし、とか。

ハイライトたる再会も割りと淡々と描かれる。途中でのイギリス兵の登場、撮影隊を抱えたドイツ軍との
やりとり、息子が直面する瀕死のドイツ兵とのやりとり、先に逃げた村民が惨殺されている光景を
見せたくなくて、子どもたちを集めて詩を朗読させながら移動するシーン、などなど各シークエンスの
描写も悪くないのだが、なにせ父子の再会という大テーマの周りにいろんな事を並べすぎたウラミが
残った。エンリオ・モリコーネの情感たっぷりの音楽もいいのに、物語を移動の苦労とするのか父子の
再会にするのかどちらかに重心をおいたほうが締まったのではないか。

父子役も少し単調であったと感じた。ドイツ軍があまり悪く書かれていないのもなんだかな。
ただ、ドイツ軍、フランス軍(人)、イギリス軍はそれぞれちゃんと母国語を喋っていたのは
流石に欧州の映画であるな、と感心(あたりまえか)した。

<ストーリー>
1939年、ドイツ。ベルギー人である父子、ハンスとマックスはナチスドイツから逃れようとフランスに
引っ越すが、ハンスは不法滞在とされて地元警察に逮捕され、マックスはフランスのパ=ド=カレー県の農村に
住む女性教師スザンヌに引き取られる。翌年、ナチスドイツの侵攻開始を受け、パ=ド=カレー県の住民たちは
疎開を開始。偶然から脱獄に成功したハンスは疎開した人々を追って、息子マックスとの再会を目指すが……。
(WOWOW)

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=359511こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2017-03-13 22:40 | 洋画=は行 | Comments(0)

この世界の片隅に

●「この世界の片隅に」
2016 日本 Mappa,Genco.126min.
監督・脚本:片渕須直  原作:こうの史代
声の出演:のん(能年玲奈)、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世他
e0040938_16022668.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
良かったのだが、何が良かったのか自分として今ひとつ腹に落ちていないので、下記のように
とりとめのない感想になってしまった。恐らく私にとってこの映画は一度観たくらいじゃ
その良さが真に分からないのでしょう。また観ることにする。

「クラウドファンディング」「数少ない上映館」「口コミ」➤大ヒット!というこアニメ映画。
「君の名は。」との相乗効果もあったと思うのだけれど、あちらの超大ヒット、一大ブームに
比べれば地味な内容だったが、特に玄人筋に評判がよく、主要な賞は本作が獲得した。
映画館で観ようか、DVDが出るまでまてばいいか、迷っていたのだが、昨日時間が出来たので
まだ午前中に上映してくれているシネコンに出かけた。

本作は広島市と隣の軍港呉市を舞台にした、北條すず、という一人の女性を通じで、昭和10年代前半から
終戦、そして終戦直後までの時代の空気といったものを描いている。もっと「原爆」がフィーチャーされ、
悲惨な涙流れる映画か、と思ったのだが、さにあらず。原爆については、すずさんの実家がやられるのだが、
本人は呉市にいて、「あ、今なんか光った?」「うん、光ったね、なんだろう」くらいで、やがて大きく
なるきのこ雲が現れるくらいで、イメージとしての悲惨なカットはあるけど、それがメインではない。

「その時代の「ごく普通の庶民の生活」を「普通に」切り取ることによって、逆に「普通でいられることの
ありがたさ」「普通が一変してしまう恐ろしさ」が、映画を観終わってからじわじわと胸に迫る。」
(上記の感想が一回観た段階での私が総括出来る感想だ。まだ足りてないような気がする)
「戦争をしているのはいつも政治や軍人たちであり、庶民はそれに振り回されつつもなんとか暮らしを
楽しもうと工夫している」という見方も出来るかもしれない。

本作を観た多くの人が、いい映画だった、と声を高らかに言っているわけだが、(評論家も素人も)
何がそんなに良いんだろう、という気分もあった。エンディングあたりで鼻をすする音も聞こえたが、
私は胸が一杯になることはあっても涙が流れる、というところまではなかった。
感動が無かった、ということでは全然ない。個人的な受け止め方の問題であろう。

北條すず、は、のほほんとしていておっちょこちょいで慌て者、天然。でも気がよく周囲からは嫌われる
ことのないタイプ。彼女を取り囲む広島の家族。そして嫁ぎ先の呉市の北条家の人々。特に北条家の兄嫁
径子とのやりとりなどを、その時代を覗いているかのようなリアルな庶民の生活を活写することにより
生き生きとした暮らしが目の前に広がる。食事はどんどん粗末になり配給は途絶え勝ち。そんななかでも
庶民は力強く「普通の生活」をしようと工夫し頑張る。
すずの兄が石ころ一つになって帰ってきたり、径子の娘とすずが散歩中、アメリカ軍の落とした時限爆弾で
娘が爆死し、自分も右腕の肘から先が吹き飛ばされるのだが、すずは泣きわめいたり誰かを恨んだりは
はしない。戦争だから、というどこか諦観のようなものは感じる。だが義姉の娘を殺してしまったことに
ついては自分を責めるのだった。それが時代のリアリティなのだろう。

原作を含めた主なスタッフに当時を知る人はいないから、そうとう時代考証し、現地を調査したのだろう。
まるで当時のその世界に自分が立っているような気にさえなる。軍事に関することも詳しい点まで調べてある。
家の中にある小物、衣服、などもキチンと嘘の無いように描かれている。それがないと物語全体が生み出す
リアリティは出ないのだ。片淵監督は、「最近の戦争映画は記号的になってしまい、当時のありのままの
世界を見せてくれる作品が少なくなっている」とし、さらに

「(『この世界の片隅に』の舞台となる)戦時中から終戦直後の混乱期にかけての世界が、あまりにも
自分たちの接している日常的な空間とは異質だからです。異質だからこそ、そこに説得力を持たせる必要が
あって、その日常的な空間を想像力で埋めてはいけないだろうな、と思った
。「私たちはこの時代のことを
こんなふうに想像しました。だから、この異質なものを受け止めてください」というのは、途中で理屈が
ねじ曲がっている。

だとしたら、すずさんを通じて、ここで描かれている世界も自分たちが今いる世界の一部なんだと認識し
直してほしい。71年前の世界を、自分たちのいる世界の一部として描かなければいけないと思ったわけです。
それはもう想像力を廃したところで成立しなければいけなかった。」(以上、引用「KAI-YOU」

まさに「想像力を廃したところ」での力強さがこの映画の身上だといえるだろう。それによって、観た人の
多くの心に「そのひとのすずさん」が生まれたのではないか。
原作のマンガが有ったとは言え、このような力強い作品を創り出した片淵監督の今後にも期待したい。
最後になったが声優、のん の存在はこの映画にとってとても大きなものであった。すずをすずたらしめた
功績の大きな部分は彼女の声にある。家族で観に行って鑑賞後語り合っていただきたい映画である。
e0040938_16025708.jpg
<ストーリー>
 戦時下の広島の軍港都市・呉を舞台に、この街に嫁いできたのんびり屋のヒロインが、物がなく苦労が
絶えない日々の中でも持ち前の明るさとしなやかさで、つましくも心豊かな生活を送っていくさまと、
そんなささやかな幸せが徐々に戦火に呑み込まれていく残酷な現実を、丁寧な日常描写の積み重ねで
描ききった、こうの史代の傑作漫画を「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督が長編アニメ映画化
した珠玉の感動作。TV「あまちゃん」で一躍国民的人気女優となった能年玲奈が“のん”名義でアニメ
映画に初挑戦し、ヒロインの声を好演。

 1944年(昭和19年)2月。絵を描くことが好きな18歳のすずは、急に縁談話が持ち上がり、あれよあれよ
という間に広島市から海軍の街・呉に嫁にやってくる。彼女を待っていた夫・北條周作は海軍で働く文官で、
幼い頃に出会ったすずのことが忘れられずにいたという一途で優しい人だった。
こうして北條家に温かく迎えられたすずは、見知らぬ土地での生活に戸惑いつつも、健気に嫁としての仕事を
こなしていく。戦況が悪化し、配給物資が次第に減っていく中でも、すずは様々な工夫を凝らして北條家の
暮らしを懸命に守っていく。
そんなある日、道に迷っていたところを助けられたのがきっかけで、遊女のリンと仲良くなっていく
すずだったが…。(allcinema)

<IMDb=★8.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:---- Audience Score:94%>

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=348641#1こちらまで。



# by jazzyoba0083 | 2017-03-12 13:20 | 邦画・新作 | Comments(0)

●「ピュア・純潔 Till det som är vackert (Pure)」
2009 スウェーデン The Vanner Productions AB 96min
監督・脚本:リサ・ラングセット
出演:アリシア・ヴィカンダー、サムエル・フルーレル、 ジョセフィーヌ・バウワー、マルティン・ヴァルストロム他
e0040938_14354174.jpg
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

日本未公開の映画を放送する、WOWOWの「ジャパン・プレミア」にて鑑賞。「アリスのままで」で
オスカー助演女優賞を射止めた、現在ハリウッドでも勢いのある女優さんの一人であるヴィカンダー。
そのヴィカンダーが21歳の時に撮影された初主演作である。これがいい作品なんだな。

新人にしてこの演技!終始手持ちのカメラのなかで、揺れていく主人公カタリナの心をその豊かな表情で
描いていくのだが、その社会の底辺で育った20歳(劇中の設定)の女性の「闇」「悩み」「歓び」「希望」
「絶望」そして「愛情」「再生」という表情(特に顔)を実に上手く演技する。。もちろん顔の表情だけ
ではないが、しぐさの自然な感じとか、これがほんとに一本目か?と思うくらいの「老練」さすら感じる。

主人公カタリナは、母は薬中、高校卒業後、定職にもつかず自堕落な生活をし、売春みたいたものにすら
手を出していた。そういうスウェーデンの底辺で育ち、生きている女性だった。彼女、音楽は好きで、
ある日ネットでモーツアルトに出会う。そこでコンサートホールに出かけ、リハーサルを覗き見していると、
面接を受けに来た女性と間違えられ、嘘八百を並び立てて、(母が天才ピアニストだったけどガンで死んだとか)
インタビューを受け、仮採用として、受付業務にありつけた。

そこで出会ったのが、指揮者のアダム。アダムとの会話は、音楽や美術や詩にしても、自分の知らない知的な
世界を見せてくれてとても魅力的だった。彼の仲間のセレブたちと一緒にいる時間も、自分のステイタスにも
束の間の満足を与えていてくれたのかもしれない。アダムの奥さんがイタリアに行って留守の間だけの不倫関係となる。

故にこの一気の恋愛芝居はあっという間に終わるのだ。所詮、アダムにとってカタリナは遊び相手、妻がいない間の
性のはけ口、くらいにしか見ていなかったのだ。あっさり振られるカタリナ。しかし、カタリナの心の占める
アダムお存在は大きくなりすぎてしまっていた。知的レベルの違いすぎるボーイフレンドとは喧嘩別れし、
アダムに逢いたくてストーカーまがいのことをする。すると、アダムの圧力で、劇場の受付係を解雇されて
しまう。
やさぐれていたカタリナが、この劇場で職を得たことで、人が変わってきた、人生に目的が出来たのだ。仕事も愛も。
それはとてもカタリナの新しい希望を刺激するもであった。アダムに勧められキルケゴールを読んだりするように
もなったりしていたのだった。

カタリナにとって、アダムと劇場との出会いは、底辺の荒んだ生活からの大転換として希望に繋がっていたのに
違いない。受付業務は評判も良く、本採用も近いという噂も聞いた。そんな折の、アダムからの決別宣言だった。

再び底辺の荒んだ生活に戻るのか、と思ったらさにあらず。彼女は演奏会を終わったアダムの部屋で待ち構え、
付きまとわないから職に戻して、と哀願するが、アダムは「君の髪の毛がソファにあったといって妻と激論に
なり、遂に離婚することになったよ」と語る。そしていつものように大きな開き窓を開け、タバコを吸い始めた。
この窓はカタリナが彼のクセを知っていて開けておいたものだ。案の定、窓辺に腰掛けてタバコを吸う。
カタリナはアダムを突き落とす。

アダムが死んだかどうかは明らかにされないが、ほとぼりが冷めた頃、劇場にカタリナの仕事をしている姿があった。
しかも、受付じゃなくて、イベントディレクターのような仕事をしている。その表情は豊かで明るく自信に満ちて
いた・・・・。

ラスト、アダムの最後の捜査はカタリナにも当然向いただろう。タダの転落死とは見えないんじゃないか。とか
アダムの圧力で、受付をクビになった時、それを「上からの指示」と言っていた女マネージャー、彼はアダムの死に
カタリナが関わる可能性あるのじゃないか、と思うはずだし警察らも訊かれたろう。別れたボーイフレンドだって
カタリナが指揮者と付き合っていることは知っていた訳だから事情を訊かれている筈だ。スウェーデンの警察、詰めが
甘いんじゃないか。ラストのカタリナの独白で「アダムとの関係は誰も知らない」というには無理があるんなないかな。

斯様に、ツッコミどころもあるのだが、なにせ若いまだどこか少女を思わせるヴィカンダーの、まさに「女の魔性」
の素晴らしい顔芸七変化、とでもいうべきものの凄さに圧倒されるのだった。
e0040938_14361029.jpg
<ストーリー>
スウェーデンのヨーテボリ。20歳のカタリナは母親ブリジッタが飲んだくれであるなど家庭環境に問題が多く、
けんかっ早かったり売春をしたりと、恵まれない少女時代を過ごした。現在はマチアスという恋人がいてやや落
着いたが、モーツァルトの音楽を好きになったカタリナはコンサートホールで受付係として働きだし、人生を
再出発させようと目指す。
そこで出会った知的な指揮者アダムに魅了されたカタリナは彼と肉体関係を結ぶ。
(wowow)

<IMDB=★7.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:---- Audience Score:72%>

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=359210こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-09 23:15 | 洋画=は行 | Comments(0)

●「ピアノ・レッスン The Piano」
1993 オーストラリア CiBy 2000,Jan Chapman Productions.121min.
監督・脚本:ジェーン・カンピオン  音楽:マイケル・ナイマン
出演:ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、サム・ニール、アンナ・パキン、ケリー・ウォーカー他

e0040938_17094551.jpg

             <1993年アカデミー賞主演女優賞、助演女優賞、脚本賞 受賞作>
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

悪く言う人の少ない映画だが、う~ん、評価が難しい作品だなあ、私には。だってまともな人が一人も出て
こないんだもの。そりゃ、ピアノ曲は確かに美しいし、このニュージーランドの女流監督の描く世界って、
表現する愛情の形態ってこのようなものであろうか、とは思うのだけれどね。
例えば、allcimemaの批評には「激しい心情を内に秘めたエイダ役を演じるH・ハンターと、そんな彼女の
心の垣根を一枚一枚剥がしてゆくH・カイテルとの“純愛”には、観るものの胸を打つものがある」とあるが、
主人公が口を利かない女性とはいえ、そんな大層な事だったのかなあ、そこまで「胸を打」たなかった。
だって全員変なんだもの。

1800年代半ばの事であります。娘が言うには前の夫はスコットランドで雷に打たれ死亡、それを見ていた母は
驚愕の余り話せなくなってしまったらしい。(子供らしいウソ)主人公エイダは耳はちゃんと聞こえている。が
何らかの心的外傷を受けて、口を利かない、利けなくなった。娘フローラの父である前の夫との間にトラウマが
あるのかもしれない。本作の主人公の女性が「口を利かない」事にこの映画の大きなポイントが有る。

彼女と一人娘フローラは写真見合いで当時イギリスの植民地であったニュージーランドの新しい夫スチュワート
(ニール)の元にやってきた。グランドピアノを船便で持ってくるとは貧乏じゃ出来ないと思うぞ。
で、新しいダンナはピアノは大きくて邪魔だからと家に運ばず、浜辺に放置。するとマオリ族崩れの地元の白人男
バーンズ(カイテル)がやってきて俺の土地と交換で、ピアノをくれ、という。そしてエイダに黒鍵の数だけ俺を
レッスンしてくれというのだ。バーンズさんてば、ホントにピアノが弾けるようになりたいという事ではないのは
お立ち会い、ご想像の通り。そしてスチュワートがエイダの抗議を受け付けず、ピアノを浜辺に置き去りにした、と
いうのが彼女のスチュワートに対する心の大きな傷のメタファーとして存在するのだな。だって、このピアノ
バーンズの家に据えられて、レッスンと称する愛を育む場となるわけだから。

まあ、これから美しい?不倫の始まりだ。かわいそうなのは旦那のスチュワートだ。結構優しくしてくれている
のに、フローラも一応なついているのに、間男バーンズに惹かれていく。お母さんと間男の房事を目撃してしまう
フローラ。そしてスチュワートも自分の前では女性らしい姿にならないエイダが、バーンズと裸で抱き合っている!
とう光景を覗いちゃう。なおかつ、ピアノの部材を抜き出して、焼いた針で、愛のメッセージを作りバーンズに届け
ようとする。メッセンジャー役のフローラが、新しい父ちゃんを裏切れない、とそれをスチュワートに見せちゃうのだ。
するってーと、激怒したスチュワートは斧でエイダの人差し指を切り落としちゃうんだよね。痛そうなんだけど、
顔色一つ変えないエイダ。ええ、何かい、痛みよりバーンズへの愛が強いってか?それでも、「俺を愛してくれ」とか
いうスチュワート、そして彼の腕の中にいるエイダの表情は氷のようだ。
ピアノの一部をバーンズに届けるというのもわかりやすいメタファー。自分はもはやあなたのもの、てな感じだ。

エイダの強い思いを知り、二人してどこかへ行っちゃえ、と大人なスチュワート。(いやあ、びっくりするほど寛容
じゃないか。変な人だよ)知らない島へもグランドピアノを連れて行くのだが、途中で海に捨ててしまう。縛って
あったロープの端がエイダの足に絡み、ピアノと一緒に沈んじゃうんかい、と思ったらさにあらず。エイダは助かった
のであります。

そしてエンディング、どこかの島で、義足ならぬ義指でピアノを引くエイダ。バーンズと娘との幸せな生活が
あったのだ。しかし、時々エイダは沈んでいくピアノの夢を見るのだった。このシークエンスのみに外光がそそぐ
明るいシーンがある。その他は全編雨や曇りの陰鬱な場面ばかり。その明るさもエイダの心情を表出しているし、
海に沈んだピアノ、というのも、わかりやすいメタファーだと思った。自分の過去の暗い闇がピアノと一緒に
沈んだのだね。

全体として暗く、しかし純愛を描いているそうだけど、確かに斧で指を切っちゃったスチュワートは悪いけど、
原因を作ったのはエイダでしょ?旦那は、そりゃピアノを放置させたけど、DVだったの?子供を殴ったり
意地悪したの?そうじゃないでしょう?フローラはなついていたじゃないの。結構いい人だったじゃないの? 

エイダ、覚悟を持って地の果て(当時)に来たのだろうに。バーンズに純愛を覚醒させられたのね。
家事をしている姿も見えなかったけど、過去に辛い愛情生活を送ってきたか知らないけど、原因を作ったのは
エイダ自身でしょ。(だから指を切られても表情を変えなかったのだろうが)
バーンズとエイダの間が(純愛?が)どうしようもなくなってしまうほどの時間の流れが描き切れていたかと
いえば不満が残る。この映画の何処がいいんだ!とキレるつもりはないし、★7ほどの魅力は確かにあるでしょう。
でも女流監督(こういうと性差別者といわれそうだが)が同性の愛や恋をねちっこく描くとこうなるんだろうな、と
いう「湿っぽさ」「割り切れなさ」「意地悪さ」に溢れた作品であると私は思った。何度も言うけど出てくる人、
みんな変なんだもの。エイダはバーンズという自分の愛情の決定的な収まり場所を見つけてしまったのだね。
それが全部の不幸と全部の幸せの元である、と。ピアノはエイダの化身であったか、エイダがピアノの化身であったか。
天下の名作をボロカスにいいおって、とお怒りの方、すんません。私にはどうしても上記のようにしか見えなかったので。
邦題はみなさんご指摘のように原題のままのほうが映画の意味がよく出ていたのでは、と思う。

e0040938_17105151.png

<ストーリー>
19世紀半ばのニュージーランドを舞台に、ひとりの女と2人の男が一台のピアノを媒介にして展開する、三角関係の
愛のドラマ。「スウィーティー」「エンジェル・アット・マイ・テーブル」に続くニュージーランド出身の女流監督
ジェーン・カンピオンの長編第3作。音楽は「髪結いの亭主」のマイケル・ナイマンで、演奏はミュンヘン・フィル
ハーモニック(ピアノ・ソロはホリー・ハンター)。
主演は「ザ・ファーム 法律事務所」のホリー・ハンター、「ライジング・サン」のハーヴェイ・カイテル、
「ジュラシック・パーク」のサム・ニール。共演はオーディションで選ばれた子役のアンナ・パキンほか。
93年度カンヌ映画祭パルムドール賞(オーストラリア映画として、また女性監督として初)、最優秀主演女優賞
(ハンター)受賞作。93年度アカデミー賞脚本賞、主演女優賞(ハンター)、助演女優賞(パキン)受賞

スコットランドからニュージーランドへ、エイダ(ホリー・ハンター)は入植者のスチュワート(サム・ニール)に
嫁ぐために、娘フローラ(アンナ・パキン)と一台のピアノとともに旅立った。口がきけない彼女にとって、
ピアノはいわば分身だった。だが、迎えにきたスチュアートはピアノは重すぎると浜辺に置き去りにする。
スチュワートの友人で原住民のマオリ族に同化しているベインズ(ハーヴェイ・カイテル)は、彼に提案して自分の
土地とピアノを交換してしまう。
ベインズはエイダに、ピアノをレッスンしてくれれば返すと言う。レッスンは一回ごとに黒鍵を一つずつ。
初めはベインズを嫌ったエイダだったが、レッスンを重ねるごとに気持ちが傾いていった。2人の秘密のレッスンを
知ったスチュワートは、エイダにベインズと会うことを禁じる。彼女はピアノのキイにメッセージを書き、
フローラにベインズへ届けるように託す。それを知って逆上したスチュワートはエイダの人指し指を切り落とす。
だが、彼女の瞳にベインズへの思慕を読み取った彼は、ベインズに2人で島を去るがいいと言う。
船出してまもなくエイダはピアノを海に捨てた。エイダ、ベインズ、フローラの3人は、とある町で暮らし始めた。
エイダは今も時々、海中に捨てられたピアノの夢を見る。(Movoie Walker)

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90% Audience Score:86%>

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=18876#1こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-08 23:35 | 洋画=は行 | Comments(0)

●「ロック・ザ・カスバ Rock the Kasbah」
2015 アメリカ Covert Media,Dune Films,QED International.106min.
監督:バリー・レビンソン
出演:ビル・マーレイ、ケイト・ハドソン、ゾーイ・デシャネル、ブルース・ウィリス、リーム・リューバー他
e0040938_16353207.jpg
<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>

冒頭中東っぽい女性が洞窟でカラーテレビの画面を見つめている。テレビではアラビア語で歌番組が
放送されている。娘の目つきは憧れで一杯・・・。一方、カリフォルニアのどこか。モーテル?の
小さな部屋でデブッチョの女性の上手くない歌を聴いているビル・マーレイ。どう見たって聴いたって、
ダメでしょ、というこの女性を褒めちぎってマネジメントを契約し、1000ドルほどを預かる、という
尾羽打ち枯らしたマネージャーが詐欺をやらかすという所。セリフもどことなくロックぽく、オフビート感
漂う雰囲気。

「レインマン」でオスカー監督賞を獲得したレビンソン監督がビル・マーレイ他のビッグネームを演出する、と
いうので観てみたが、なんとも勿体無いなあと感じた。どなたもお感じになると思うのだけれど、
発想はいい。(宗教的な部分でデリケートかつ難しい処理を要求されるところもあろうが)。だが、
女性を独特の宗教観でしか観られないイスラム原理主義者との対峙の中で、エンディングに向けての
物語の展開が、「あれ?こういう風に終わっちゃうわけ」、「もっと深い映画になるか、と思ったのに」
という風になっちゃう。ま、事実をベースにしているのだそうだが、そこは脚色はあっても良かったの
ではないか。(前述のように宗教に横たわる微妙な事柄が影響しているのか)
シュールなブラックユーモアも笑うに笑えない感じだ。ブルース・ウィリスのポジションも中途半端で
勿体無い。

所属する最後の歌手ロニー(デシャネル)を連れてアフガニスタンの米軍慰問に来たリッチー(マーレイ)。
ドサ回りの多いリッチーが娘に今度はカスバ、とか言うが、幼い娘に「カスバは北アフリカ」とかダメ
出しされている・・・。
異文化の地の不穏な雰囲気の中に登場する案内役のバーンズ二等兵もどこかピントがずれている。
慰問のショー直前に、ロニーに逃げられ、リッチーはパスポートも現金も持ち逃げされる。この解決に
現地で知り合った悪党2人に誘われて、パシュトゥーン族にニセの弾薬を届ける役を引き受ける。
道中、車列が地雷を踏んでクルマが吹っ飛んだり、しかし族長に歓迎され、夕食には現地の楽器を使って
「Smoke on the water」なんか歌っちゃったり。(これがなかなか渋い)
で、宴も終わって外に出るとどこからともなく歌声が。探して歩くと洞窟で若い娘が歌っていた。
娘はリッチーに見つかると逃げていくが、後にはカブールで人気のオーディション番組「アフガン・スター」の
雑誌が。リッチーは、彼女をテレビに出して優勝させることが自分の天命と悟り、彼女と契約し、
テレビに出そうとするが、イスラム教では女性が歌うこと踊ることなど論外。この番組でも女性が出たことは
なかったのだ。娘を口説き、テレビの司会者やスタッフを口説いて、なんとかテレビ出演にこぎつけたが、
案の定、世間は「恥知らずな娘だ」と非難轟々。視聴者からの電話で決勝進出者を決定する方式では
難しそうな雰囲気。歌は素晴らしかったけど。しかしリッチーは、大衆は支持しているはずと、宣伝カーを
走らす、空からビラを撒くなどして、PRにこれ努めた結果、娘は決勝に進出、バックコーラスもつけたりと
リッチーのプロデュースでキャット・スティーヴンスの「Peace Train」を熱唱したのだった。
e0040938_16355845.jpg
すごく端折ってストーリーをご紹介したが、この本筋に、カブールの娼婦ケイト・ハドソンとの、傭兵なのか
用心棒なのか、のブルース・ウィリスとの、戒律を破ろうとする娘と父親との、通訳を務めることになる
タクシー運転手との(個人的にはこの運転手、結構大事な役どころで気に入った)カラミで映画に厚みが
つく体裁となっている。

ビル・マーレイはさすがに監督が気に入っての出演だけあり、お見事。ロックな感じは出ていた。
特に、ラスト近くで麻薬を売りさばいてカネにしようという現地の一味に肩を撃たれるのだが、倒れた際に
見せる笑顔が多くを物語っていて良かった。
ケイト・ハドソンも、マーレイと交わす会話がなかなか含蓄深く面白かった。(脚本がいいのだろう)
一方、深みに欠けてしまったのは、一方の主役であるパシュトゥーン族の娘が、戒律を破って英語の歌を
テレビで歌う、という事態をどう理解し、自分で結論付けたのだろう、とその辺りの描写が不足だった点。
それとブルース・ウィリスの役どころも大事なところだと思うのだけれど、中途半端だった。あと15分でも
長くしても、それらにエピソードを加えてもらえればすごくいい映画になったのじゃないかなあ。
作品全体で見ても、セリフの中に結構気の利いたもの、含蓄深いものなどあって面白いのに。
娘が決勝で歌うキャット・スティーヴンスは、事実に即したんであろうか。選曲について聞いてみたかった。

タイトルのRock the Kasbah(Casbah)はイギリスのバンドThe Clashの1982年の歌がそもそもだけど、
時代が下ってホメイニ時代の窮屈なイランの自由を求める人々の背景にあったとも言われている。
最初に書いたように、カスバが本作に出てくるわけではなく、象徴的なタイトルとなっていると思われ。
私の時代のカスバといえば「ここは地の果てアルジェリア・・・」(カスバの女)だけど(爆)。
e0040938_16354744.jpg

<ストーリー>
かつては栄光を手にしながら、今ではすっかり落ちぶれてしまった音楽芸能マネージャーのリッチー
(ビル・マーレイ)。未だ一攫千金を夢見る彼は、嫌がる所属歌手のロニー(ゾーイ・デシャネル)を
無理やり引き連れてアメリカ軍の慰問コンサートに参加することに。辿り着いたのは、アフガニスタンの
首都カブール。未だ紛争の絶えない危険地帯にも関わらず、高額のギャラに釣られてリッチーのテンションは
上がりっぱなし。しかしふと目を離した隙にロニーが彼の荷物を持って行方をくらましてしまう。

コンサー トはキャンセル、金もパスポートもなく途方に暮れるリッチーは、仕方なく現地で知り合った
胡散臭い武器商人の仕事を手伝うハメに。幾多の死線をくぐり抜けてきた最強の用心棒ボンベイ(ブルース・
ウィリス)とともに、危険な砂漠の真ん中にある集落に武器を届けることになったリッチーは、そこで美しい
歌声をもつ少女に出会う。歌手を夢見る彼女に類まれな才能を感じたリッチーは、少女を現地で話題の
オーディション番組「アフガ ン・スター」に出演させることを思いつく。
しかし厳格なイスラム教の戒律を重んじる人々からすれば、女が人前で歌をうたうなど万死にも値する行為。
リッチーは自らの栄光 のため、そして少女の夢のため、命の危険を感じながらも彼女のデビューに向けて
奔走し始めるのだが…。(Filmark)

<IMDb=★5.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:9% Audience Score:28%>

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=356870こちらまで。

# by jazzyoba0083 | 2017-03-06 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Comments(0)

●「マン・オン・ワイヤー Man on Wire」
2008 イギリス Discovery Films,BBC Storyville,UK Film Council.95min.
監督:ジェームズ・マーシュ
出演:フィリップ・プティ他
e0040938_15582394.jpg
         <2008年度アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞受賞作品>
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
1974年8月7日朝、一人の男が完成間近の今は無きワールドトレードセンターの2つのビルの間に
渡したロープを渡る光景が見られた。25歳の誕生日を数日後に控えた若きフランス人、フィリップ・プティ
である。この男、45分間に渡りロープ上で踊り、ジャグリングをし、膝をつき、横たわって見せた。

本作はプティの「偉業」を捉えたドキュメンタリーである。このイベントに付いては後年、ロバート・
ゼメキスの手で3D映画化された。WOWOWでは映画化版を放映するに際して、本ドキュメンタリーも
放映しれた。こういうのがWOWOWのいいところだ。これを観ると「ザ・ウォーク」がいかに
事実に忠実に作られていたかを確認出来て、その点でも良かった。一つだけ、再現映像とドキュメント
フィルムの両方の出来が良かったので、再現ドラマなのか記録映像なのか分かり辛かった。

本作に長所は、世紀の大イベントに対し、当事者を含め「共犯者」たちの証言を加え、さらに
再現ドラマも加えるという多角さの演出にあると思う。さらに全部で10人にもなろうという仲間がいなくては
なし得なかった「狂気」の驚くべき裏側がリアルに描かれる点もあろう。
加えて、400メートル上空での命綱なしの綱渡りという、ありえない事態が映画の緊張感を加速させている
という「ゲタ」はあると感じたが。
いずれにせよ、プティという、我々が及びもつかない「特殊能力」を授かった男の、文字通り
「綱渡り」な人生を綴っていく。と言っても、24歳になるまでに彼はパリのノートルダム寺院、
シドニーのハーバーブリッジでも信じられないような綱渡りを決行しているのだった。彼はパリの歯科医の
待合室にあった新聞で、6年後に完成するWTCの存在を知り、もう渡るしかない!と確信する。そこから周到な
準備が始まったのだ。まだ十代であったことを思う時、プティの狂気のモノ凄さが分かるような気がする。
WTCの場面は写真しかないが、ノートルダムや彼の綱渡りの光景はちゃんと動画で残っていて、その
リアリティにも圧倒される。

プティの思い込んだら命がけの行動力は、常人には想像が難しい。ただただ、凄い!と言って見守るのみだ。
何かに憑かれたようにとことん取り組んでみる、そういう事が人生であっただろうか、そんなことに思いを
致してしまう。彼自身「人生は綱渡り(タイトロープ)だ。」と発言しているが、分かるように、このセリフは
ダブルミーニングになっている。

今はもうないWTCへのトラウマが軽くなる2008年頃まで、原作となる本の出版をプティは待っていたので
あろうか。そして逮捕されたプティを待っていた裁判所の粋な対応とビルの大人な対応を思う時、今はもう
コンプライアンスだのガバナンスだのと称してこういう「誰も傷つかない美しい犯罪」に対する懐の深い対応は
望むべくもないのだろうか。
e0040938_15585392.jpg
<ストーリー>
1974年8月7日、24歳のフランス人フィリップ・プティは、ワールド・トレード・センターのツインタワーの
間に張られた地上411mの綱で綱渡りを披露する。6年前、ツインタワー建設計画の雑誌記事を目にした彼は、
1971年6月、ジャン=ルイ・ブロンデューとジャン=フランソワ・ヘッケルに支えられ、パリのノートルダム
大聖堂の2つの尖塔の間の綱渡りを行う。また1973年、オーストラリアの友人マーク・ルイの助けで、シドニーの
ハーバー・ブリッジ北側の鉄塔で、2度目の違法綱渡りを敢行する。

1974年1月、ニューヨークにやってきたフィリップは、ジム・ムーアの協力を得て、何度もツインタワーを訪れる。
ジャン=ルイ、マーク、恋人アニーが彼の仲間だった。計画の日、ワールド・トレード・センターの屋上は工事中
だった。フィリップとジャン=フランソワは南タワーに、ジャン=ルイとアルバートは北タワーに、工事作業員と
ビジネスマンに変装して入る。南タワーの82階にある保険会社で働くバリー・グリーンハウスが装置の運搬を許可し、
さらに、エレベーター作業員のミスで104階まで上がることができた。
フィリップたちは道具を隠し、自分たちも身を潜めた。闇夜の中、作業が始まる。ジャン=ルイはフィリップの
合図で綱をつけた矢を放つ。しかし重い鉄のワイヤーが、固定される前に落ちてしまう。

ジャン=ルイとアルバートは素手でケーブルを引っ張るが、アルバートが途中で諦めて去る。ジャン=ルイの尽力で
何とか綱を固定することはできたが、理想的ではなかった。それでもフィリップは綱の上に足を踏み出す。
そして45分間8往復の綱渡りの後、フィリップは不法侵入と治安紊乱行為の罪で逮捕される。
しかしその後の裁判で、セントラルパークで子供たちにジャグリングを見せるという条件で容疑は撤回される。
港湾管理委員会はフィリップに、永遠に有効と記されたワールド・トレード・センター展望デッキへのVIP
許可証を贈呈する。(Movie Walker)

<IMDB=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audience Score:87%>

この映画の詳細はhttp://movie.walkerplus.com/mv38139/こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-04 23:10 | 洋画=ま行 | Comments(0)

戦う翼 The War Lover

●「戦う翼 The War Lover」
1962 イギリス Columbia Pictures Co,. 105min.black&white
監督:フィリップ・リーコック
出演:スティーブ・マックィーン、ロバート・ワグナー、シャーリー・アン・フィールド、マイケル・クロフォード他
e0040938_13223547.jpg
<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想:結末に触れています>

第二次世界大戦、イギリスに駐在したアメリカ空軍爆撃隊を舞台にした、マックィーンとワグナーの
男同士の、また恋人を巡る駆け引きをモノクロで描く。マックィーン主演作品で、この時代のものは
なかなか観る機会がなく、WOWOWで放映してくれたので録画して鑑賞した。

マックィーンは本作製作翌年にジョン・スタージェス作品「大脱走」に主演する。そういう時期だ。
優男ワグナーは人気が出るTVシリーズ「スパイのライセンス」まで、まだ6年を必要としていた。
二人は同じ年に生まれ、マックィーンは残念ながら他界しているが、ワグナーは健在である。
御年87歳になられるはずだ。ワグナーの恋人ダフニーを演じたシャーリー・アン・フィールドも
ご健在で、79歳。以上は映画の出来には関係ない余談。

本作は白黒映画であるが、当時はカラーと白黒が結構入り乱れていた時期のようだ。1962年製の映画を
表彰した第35回アカデミー賞(司会はフランク・シナトラ!)の各賞受賞作を見ると、作品賞の
「アラビアのローレンス」はカラーの大作、一方、主演男優賞に輝いたグレゴリーペック「アラバマ物語」は
白黒だ。美術賞も白黒部門とカラー部門に別れていた。それとこの時代はまだ先の大戦を描いた(特に戦闘)
作品も多かった。先に触れたように「大脱走」「史上最大の作戦」「ニュルンベルグ裁判」「ナバロンの要塞」
などなど。
故に本作も、白黒の欧州大戦もの、という当時としては製作されるべくして製作された作品といえる。
カラーでも良かったような気もするのだが、当時の映像を挿入したりすると白黒のほう粗が見えづらいという
ことでろうか。
内容は先に書いたような、空の男の相克と、恋の鞘当てという単純なストーリーで特に見るべきものはない。
ただ、まだ終戦後17年、「空の要塞」といわれた欧州戦線期待の爆撃機、B-17も沢山実機があったようで、
その編隊の迫力や、実物の胴体着陸などは、好きな人にはたまらないだろうし、実際迫力もある。
冒頭で米英空軍に対する謝辞が字幕で出るが、軍隊全面協力だったのだろう。

物語として一番の見どころは、1000機もの爆撃機編隊で実施したドイツ・ライプツィヒの合成燃料工場
爆撃作戦の帰りの事。迎撃機により6人の搭乗員が死亡し、残りは脱出した後、4発あるエンジンも2つ止まり
爆弾庫に不発弾を抱え、操縦席も機銃掃射でズタズタな愛機を操縦し、なんとかイギリスに着陸させようと
するマックィーン機長が奮闘するところだ。
ワグナーは、機長になる経験も位もある中尉なのだが、マックィーンの男気や腕前に惚れ込んで副機長に
甘んじているが、このマックィーンが、ワグナーの恋人を横取りしようとするのだな。失敗するんだけど。

要するにマックィーンの無頼な魅力が映画の魅力になっているわけ。傷だらけボロボロの期待で帰投する
機内で、マックィーンがワグナーに「死ぬのは怖いか?」と訊くと、ワグナーが「バズ(マックィーン)は
生きるのが怖いんだろう!」と返す。ここが一番のセリフだったな。つまりマックィーンには帰国しても
帰る故郷も家族もない。戦うことそのものが好きで、ワグナーの恋人からは「あなたは破壊し殺すのが
好きなだけよ!」というキツイ言葉を投げつけられる、そういう性格、男なのだな。ラストは有り勝ちな
もので、脱出を止め一人機内に残り、自力で機体をイギリスに戻そうとして、ドーバー海峡はなんとか
渡りきるものの、高度が足りず、イギリス側の岸壁に激突して非業の死を遂げるマックィーン機長。
彼は彼なりの落とし前を付けたのだな。そしてワグナーは恋人と二人で愛を確かめあい、歩き去ると
いうもの。しかしワグナーのイギリスでの恋人は、終戦したらアメリカに渡るのかどうかまでは描かれ
ていない。

マックィーンファンには永久保存作品なんだろうけど、そうでもない人には平凡な戦争&恋愛映画だ。

<IMDb=★6.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:--- Audience Score:48%>
e0040938_13230319.jpg
<ストーリー:結末まで全部書かれています>

アメリカ作家ジョン・ハーシーの「戦争を愛する者」を「女になる季節」のハワード・コッホが脚色し
「俺の墓標は立てるな」のフィリップ・リーコックが監督した戦争映画。

第2次世界大戦の2年目、1942年の冬のある朝。ここは英国にあるアメリカ第8空軍基地。早朝たたき起された
隊員たちは、作戦要領の説明に耳を傾けていた。この日の目標は北ドイツのキール軍港だ。
バズ・リクソン大尉(スティーヴ・マックィーン)を機長とする“女体”号にとっては、8回目の出撃だった。
25回目の出撃が終れば帰国できるのだ。リクソンの部下、副操縦士のリンチ中尉は健全な常識を備えた将校だが、
リクソンは歪んだ人生の持主だった。彼は殺戮と破壊の戦争に生き甲斐を感じていた。

エンジンが唸り、一機また一機、大空へ飛び立った。編隊は目標上空にさしかかったが、一面の密雲に覆われていた。
雲の上からの爆撃は正確を欠く。エメット大佐は帰投を命じた。が、リクソンはこれを無視、編隊を雲の下へ
と移動させた。高度8千5百、目標上空、爆弾室開扉、投下!爆風に機が震動した。

その夜、将校クラブでリクソンとボーランドは、ダフネ(シャーリー・アン・フィールド)という女を知った。
その時、一人の兵隊が飛び込んで来た。爆撃は正確、基地は破壊されていた。いよいよ“女体”号最後の出撃の日が
来た。目標はドイツ本土のライプチヒ石油工場。Bー17爆撃機の大編隊は目標へ飛んだ。途中うんかの如き
敵戦闘機が迎撃して来た。指令官エメット機は撃墜され、リクソンが全編隊の指揮をとることになった。
が、リクソン機もまた被弾、大破した。負傷者と戦死者を乗せ、リクソンは必死の操縦を続け、海峡に達した。

機は1分間に50フィートの高度を失いつつあった。しかも未投下の爆弾が一個ひっかかったままだ。着水すれば
機もろ共吹っ飛ぶことは明らかだった。高度は5百フィート、ドーヴァーの白い崖を越すことができるか…。
だが、リクソンはあくまで帰投するという。過去の自信が彼を半狂乱に追い込んでいた。緊急信号を送り、
救助船の出動を求めた。救助艇が眼下に見えて来た。隊員たちは次々に飛び降りていった。リクソンは
自動操縦装置に切り替えると、最後にボーランドを突き落し、再び操縦棹を握った。が、機首は上がらず震動は
ますます激しくなっていった。白い崖が眼前いっぱいに迫った。次の瞬間、機は絶壁に衝突しぐれんの炎と
化して粉々に砕け散ったのだった。(Movie Walker)
e0040938_13233451.jpg

この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14018こちらまで。


# by jazzyoba0083 | 2017-03-02 23:15 | 洋画=た行 | Comments(0)