●「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ A Street Cat Named Bob」
2016 イギリス Shooting Script Films, Prescience,Iris Productions. 103min.
監督:ロジャー・スポティスウッド  原作:ジェームズ・ボーエン「ボブという名のストリートキャット」
出演:ルーク・トレッダウェイ、ルタ・ゲドミンタス、ジョアンヌ・フロガット、アンソニー・ヘッド、キャロライン・グッドール他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
いい映画を見させてもらった。じんわりと心が温かくなる。実話なのだが、実話が持つ下駄を履いた感動とは
ちょっと違う感動だった。猫が主人公?だからだろうか。

ジェームズ・ボーエンと彼の愛猫ボブは、ロンドンに実在する「コンビ」であり、ジェームズはドラッグ中毒から
抜けようとメタドンという代用薬を服用することを義務付けられた再生プログラム中のストリートミュージシャンだ。
もし、これが創作であったなら、希望のないジェームズの元にやってきた迷い猫は、「なんらかのメタファーに
違いない」と深読みしてしまい、結果面白くなくなってしまうのだろう。だからこれが実話で良かったし、感動した
のだと思う。

両親は離婚、父親はいるのだが、再婚し、ジェームズの姿を見て見ぬふりをしている。ジェームズ自身、プロを
目指しなんとか薬を断ってまともな生活に戻りたいとあがいていた。これを助ける福祉事務所のヴァルと言う女性と、
近所に住み、その後、ジェームズの人生に深く関わってくる、兄を薬物中毒で失っているポップなビーガン娘
ベティ、この二人の支えと理解が大きかった。こうしたジェームズがヴァルの好意であてがわれたアパートの部屋に
迷い込んできたのが、ボブと名付けた茶トラの猫だった。

猫という動物は犬と良く比較されるのだが、人間との距離を置き、自由で孤高なツンデレな存在。そんなボブは
もちろん喋らないが、ジェームズの事は全部分かっているよ、という雰囲気。このボブが怪我をして来たので、
ジェームズは自分の食い扶持をはたいて動物病院で治療をさせる。すると、ボブはジェームズに心を許したのか、
ストリートの演奏にバスを追いかけて乗り込みついてくるようになった。肩に止まる猫のミュージシャンはたちまち
人気者になりチップも俄然増えてきた。雑誌売をバイトにすると、猫目当ての客が次々と雑誌を買ってくれる。
更には新聞がニュースにし、出版社は本にしようと目論んでいた。

そうした間にも、父親との問題や友人バズの薬物死、ボブの突然の失踪などいろいろと事件は起きる。
ジェームズは、ボブと二人なら薬物を断てる、とメタドンを止めることを決意する。ヴァルからはヘロインを
止めるより辛いわよ、と言われるが、ジェームズはベティの協力も得て、数日の断薬にのたうち回りながら
成功する。ボブはそっと寄り添うだけ。すり寄ったり励ましたりとい風情も見せない。(これが猫のいいところ
なんだろう)ジェームズは断薬に成功、出版社からの申し入れを受け、やったこともない原稿書きにも挑戦した。

そして完成した「ボブという名のストリートキャット」は大ベストセラーとなり、ジェームズは家を買うことも
出来たという。そしてジェームズとボブは今でも一緒に暮らしているという。ただジェームズが音楽家として
成功した、というニュースは聞いていない。ジェームズが書店でサイン会を開くのだが、その際のスピーチで
誰でもセカンドチャンスに挑戦できる」と語るが、ボブという味方がジェームズには大きな力になって
くれたし、ベティとヴァルという二人の強力な味方もいたことは彼にとってとてもラッキーだった。だから
挑戦は出来るけど、しかし・・・という感じもしてしまうのだった。

ジェームズは断薬に成功し、しかも書いた本が大ベストセラーになり、相当のお金が入ったに違いない。
そんな幸運を招いたボブではあったが、それはあくまでジェームズが努力した部分が大きい事も確かだし、
猫とコンビを組んだ、という状況は確かに幸運だったこともまた確かだ。こんなラッキーもあるのか、と
どこか羨んでいる自分が居ることも確かだ。世の中、ジェームズとボブのように上手くは行かない
上手く言ったから映画にもなったのだろう。

ボブは本人が出演している。おりこうな猫だなあ。猫には演技を付けられない、としたものだが、おとなしく
肩に止まったり、大した猫だ。ギャラもいらないし。またジェームズの作った実際の歌が映画にも使われて
いるのだが、確かにこれはヒットしそうもない曲だなあ、と思わせる。詩はジェームズの心の叫びなので
共感できるのだが、曲がいまいち。でも、それがこの映画には幸いしている

さらに気がついたのだが、この映画には携帯電話のシーンが一つもない。最近の映画では珍しいのではないか。
もちろん猫は携帯を使わないし、ジェームズには携帯を買う金もないのは確かであるが、基本、会話は対面だ。
これが人間臭くて良かったと思う。狙ったのかどうかは分からないけど。

ブロックバスターな映画では無いけど、こういう映画もいいなあ。レンタル屋に行ってこの映画が目についたら
お借りすることを強くお勧めします。
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<ストーリー>
どん底のストリート・ミュージシャンと一匹の野良猫の驚きと感動の実話を綴った世界的ベストセラーを映画化
したハートウォーミング・ストーリー。
主演は「タイタンの戦い」のルーク・トレッダウェイ、共演にルタ・ゲドミンタス、ジョアンヌ・フロガット、
アンソニー・ヘッド。また、猫のボブ役にはボブ本人が起用され、映画初出演とは思えない見事な演技を披露して
いる。監督は「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」「シックス・デイ」のロジャー・スポティスウッド。

 イギリス、ロンドン。プロのミュージシャンを目指すも、夢破れてホームレスとなった青年ジェームズ。
薬物依存からも抜け出せず、父親にも見放されて、その日の食事にも事欠くどん底の日々を送っていた。
そんなある日、茶トラの野良猫と出会ったジェームズ。ケガをしていたその猫を、なけなしの金をはたいて
助けてあげると、すっかり懐いてジェームズから離れようとしない。
野良猫はボブと名付けられ、ジェームズの肩に乗ってどこへでもついていくようになる。すると、これまで
ストリートで演奏しても誰も立ち止まってくれなかったジェームズの周りに人だかりが出来るようになる。
そんな一匹の猫とストリート・ミュージシャンのコンビは、たちまち世間の注目を集めるようになるのだったが…。
(allcinema)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:77%  Audience Score:76%>
<KINENOTE=74.7点>








# by jazzyoba0083 | 2018-10-20 23:15 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ナチスが愛したフェルメール A Real Vermeer」
2016 オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ Rinkel Films and more. 115min.
監督:ルドルフ・ヴァン・デン・ベルフ
出演:ユルン・スピッツエンベルハー、リゼ・フェリン、ルーラント・フェルンハウト他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
折しも上野の森美術館では、世界中から8点もの作品を集めて「フェルメール展」開催中。
この画家が好きな私も、先日行ってきた。アムステルダム国立美術館に展示されている
ものに日本で再会したり、なかなか魅力的な展覧会だった。
世界に真贋が決定していない2点を含めても37点しかその画の存在が知られていない
フェルメールは「光の魔術師」と称され、日本にも多くのファンを持つ。

本作はそのフェルメールの物語ではなく、彼の贋作を制作し、戦後世界中を驚かせた男、
ハン・ファン・メーヘレンの物語である。
映画は、彼がフェルメールの画をナチスに売った罪で告発された裁判から始まる。彼は
「あの画はフェルメールではない。私が描いた。私は贋作者であっても売国奴ではない」と
無罪を主張、検察は国家反逆罪で死刑に持っていきたいところ。そのあたりに興味を置きつつ
話は過去に戻っていき、その後法廷と過去と時制が行き来しながら進んでいく。

当時は今ほどフェルメールは有名ではなく、知られた画以前に彼が描いた、と称してメーヘレンは
主に宗教画を中心に贋作を描き、フェルメール好きで有名なナチスのゲーリングに高価な対価で
売ったのだった。その他、「エマオの食事」(1936年)は、当時のフェルメールの研究家たちから
「本物」と認められ、ロッテルダムのボイマンス美術館が54万ギルダーで買い上げたという。
この画は、贋作への戒めとして、今でもボイマンス美術館に展示されている。

映画はメーヘレンがいかにして贋作者となったか、また彼を応援してくれていた画廊経営者の妻を
横取りした色恋沙汰も含め、史実に忠実に描いていく。大きな破綻なくなかなか上手く描かれて
いると思う。惜しまれるのは、忠実過ぎるという点と、画廊経営者の妻との恋愛がいささかクローズ
アップされすぎで、売国奴と言って責められる彼が、法廷で実際にフェルメールの贋作を描いて
見せるまでのドラマチックな展開に、水を指した感じがした。色恋沙汰もメーヘレンの一生の一部で
あったことは確かだけど、ちょっと大きなテーマ2つを追いすぎたのではないか。

メーヘレンは裁判後ほどなくして心臓発作で亡くなり、あまり話題に上らなくなってしまうのだが、
フェルメールの贋作を作るとは、よほど自分の腕に自身があったに違いなく、また17世紀の画に見せる
ため、科学的な処理をしたり芸術面だけではなく、「贋作者」として天才・一流であった。

裁判は結局、確かにメーヘレンがフェルメールの画を描いたということがレントゲン写真の判定なども
あり証明され、詐欺罪(国やナチスから多額の売買代金を詐取した)でも訴追されたが無罪となり、
フェルメールの署名を偽造した罪のみ問われ懲役1年を言い渡された。世論も「売国奴」から一転、
「ナチスを騙した英雄」となったのだった。

映画はこうした数奇な人生を歩いたメーヘレンについて知るにはいい参考書であろう。ただ映画としての
出来は、先述のようにいまひとつな感じ。実際、日本では封切られておらず、ビデオスルーになっている。
フェルメールがお好きな方は一度見てみるといいかもしれない。

<ストーリー>
自分の画家としての才能を認めない母国オランダに復讐すべく、フェルメールの名画を何度も贋作した実在の
画家ファン・メーヘレンの数奇な半生を、“真実に限りなく近い”とうたって再現した異色の伝記ドラマ。
実は贋作であるフェルメールの絵画をナチスドイツの高官たちに売ったことで訴えられたファン・メーヘレンの
実像に、ふんだんな回想場面を駆使して肉薄。ファン・メーヘレンと愛し合った人妻、ヨーランカ役の
L・フェリンがとても美しく、彼女のヌード姿も大きな見ものだろう。WOWOWの放送が日本初公開。

1945年、オランダ。画家ファン・メーヘレンは戦時中、ゲーリングらナチスの高官たちにフェルメールのものと
される絵画を売ったことを問題視され、反逆罪と詐欺罪の両方で訴えられる。
1920年代、若かりし日のファン・メーヘレンは才能をなかなか認められず、フェルメールなどの贋作で生計を
立てる。一方、そのころ出会った貴族の妻で女優でもあるヨーランカの美貌に魅了され、彼女をモデルにし、
彼女との関係を深めていく。(WOWOW)

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<IMDb=6.1>




# by jazzyoba0083 | 2018-10-19 22:30 | 洋画=な行 | Trackback | Comments(0)

●「インクレディブル・ファミリー Incredibles 2」
2017 アメリカ Pixar Animation Studios,Walt Disney Pictures. 117mi.
監督:ブラッド・バード
(声の)出演:クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サラ・ヴォーウェル、ハック・ミルナー、サミュエル・L・ジャクソン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
アメリカで公開直後から大ヒットしていたことは知っていたが、1作目を見ていないので、敬遠していたが
ハワイから帰ってくるJAL機内で観るものがなかったので、気楽な気分で観始めた。

PIXARのフルCGアニメは「トイ・ストーリー」を全作観ていて、劇場公開から随分経ってから何気なく観始め
たら面白くてハマってしまい、シリーズを全部観たという「前科」が私にはある。
このデンで行くと、一作目の「Mr.インクレディブル」も機会があれば観ることになるだろう。そのくらい
面白かった。アニメーションの世界なので、描かれる世界はなんでもありなので、要はストーリーがどのくらい
面白いか、が評価の大きなポイントとなると思うのだが、本作はその点、老若男女、誰にでも受け入れられる
ように設計されている。
かつ家族ものとしての愛情と結束など、心に訴えかけるもの、一方、家族あるある、赤ちゃんあるある、などに
基づいたギャグもふんだんにまぶしてあって、アメリカ映画の基本である、勇気と愛情の典型として優等生的な
出来上がりとなっている。逆に言えば「尖った」物語ではないということだ。そうしたステレオタイプな内容を
「退屈」と見る人もいるだろうことは想像に固くない。が、私は面白く観た。

1作目はどういう物語かは知らないが、故あって超能力を禁止されているボブ一家。そこに世界を電波で洗脳し支配
しようとする悪が登場し、ボブ一家の、中でもママであるイラスティガールの活躍が中心に描かれる。と同時に、
赤ちゃんジャック・ジャックの超能力が明らかにされる。(これがまた半端ないものだったりするのだが、いかんせん
まだ使い方が分からないのがコミック的) 超能力の使い手の集まりの活躍はアヴェンジャーズやジャスティス・
リーグなどで既視感はあるが、エキセントリック具合はアニメの得意とするところで、更に家族というアイデアが
上手く機能して面白く見せている。今回は子守に徹しなくてはならないパパのボブ、娘のヴァイオレットは学校で
デートの約束を取り付けた子にスーパーガールの姿を見られてしまった上、ボーイフレンドが怪電波の力で
ヴァイオレットの事を頭から消されてしまったりで、日常的なことをネタに危機を描いてみせるところがPIXAR
らしいというかディズニーらしい。

また1作目から存在したらしいフロゾンの活躍も目覚ましい。そしてさまざまな超能力者が出てくるから、三作目は
アヴェンジャーズみたいなものになるのかもしれない。とにかくプロットを構成するアイデアが秀逸でアニメと
侮れないPIXARの実力が発揮された、優秀なフルCGアニメ、ということが出来るだろう。それは「トイストーリー」
の製作思想に通底している。
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<ストーリー>
スーパーパワーで世界の平和を守るヒーロー家族の活躍を描く、ディズニー/ピクサーによる人気アニメーションの
続編。スーパーヒーローの復権のため、家事を夫のボブに任せて謎の敵と戦う妻ヘレンがトラブルに巻き込まれ、
家族総出で困難に立ち向かっていく。末っ子の赤ちゃん、ジャック・ジャックの能力が覚醒し、大騒動に!

ヒーローたちの驚異的なパワーは人々の生活にダメージを与えてしまうことがあるため、今はその活動を禁じられ、
能力を隠して生活していた。かつてのヒーロー界のスター、Mr.インクレディブルこと怪力パパのボブ
(声:クレイグ・T・ネルソン)もその一人で、彼の家族もスーパーパワーを持つヒーロー一家だった。

妻ヘレン(ホリー・ハンター)はゴムのように伸縮自在のボディを持つイラスティガール、長女ヴァイオレット
(サラ・ヴァウエル)は身体を透明にしたり鉄壁のバリアを張ることができ、長男ダッシュ(ハック・ミルナー)は
ハイスピードで走ることができる。そして、能力未知数の赤ちゃんジャック・ジャックもいた。そんなある日、
地底からアンダーマイナーが出現。活動禁止のルールよりも人々を守ることを優先したMr.インクレディブルと
イラスティガールが街を救う。
しかし、戦闘中にビルを破壊したため、感謝されるどころか警察で事情聴取されてしまう。現実の厳しさを知った
ヘレンは、仕事を見つけて家計を支えようと決意する。一方ボブは、ヒーロー復活の夢を追い続けていた。
そんなとき、復活をかけたミッションが舞い込む。しかし任されたのは、建物などを破壊する恐れのないヘレン
だった。ボブはショックを隠し、ヘレンの代わりに家庭を守ることを約束するが、慣れない家事や育児に悪戦苦闘。

おまけにジャック・ジャックのスーパーパワーが覚醒し、振り回されたボブは疲労困憊に。そのころ、イラスティ
ガールは“ある事件”に遭遇していた。リニアモーターカーが暴走したかと思えば、テレビ番組がジャックされる。
乗客たちを救った彼女は、人々を操る、スクリーンスレイヴァーと名乗る謎の存在に辿り着く。そこには、世界を
恐怖に陥れるさらなる驚愕の陰謀が待っていた。ヘレンの身にも危険が迫り、異変に気づいたMr.インクレディブルが
駆けつける。さらに、両親の危機を知ったヴァイオレットとダッシュも、ジャック・ジャックを守りながらある
決意をする。(Movie Walker)

<IMDb=★8.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:94% Audience Score:87% >
<KINENOTE=75.2点>



# by jazzyoba0083 | 2018-10-09 14:50 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「デス・ウィッシュ Death Wish」
2018 アメリカ Cave 76,Metro-Goldwyn-Mayer (MGM). 107min.
監督:イーライ・ロス  原作:ブライアン・ガーフィールド『狼よさらば』(早川書房刊)
出演:ブルース・ウィリス、ヴィンセント・ドノフリオ、エリザベス・シュー、ディーン・ノリス、カミラ・モローネ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
1974年にチャールズ・ブロンソン主演で製作された「狼よさらば」を現代風にアレンジしたリメイク。原作は同じ
だが、オリジナルとはストーリーがやや異なる。今週末から日本でも劇場公開されるが一足先にホノルル便(帰国)
機内にて鑑賞。この手の映画は機内で観るには頭を使わなくていいから見やすい。

さて、オリジナルは今でもテレビで何度も再放映されるが、あの頃と今ではアメリカ社会のありようも少しく変化して
いて、それに伴い物語も変化している。ヴィジランテものであるには違いないし、「主人公が次第に街の英雄と化して
いく様は、警察組織の無能力ぶりと大衆の曖昧さを痛烈に皮肉っている」(出典:allcinema「狼よさらば」解説)
ことを主眼としているのも同じだ。だが、チャールズ・ブロンソンのものがその後シリーズいなっていくように、
ヴィジランテものというコンセプト自体が今日ではあまりインパクトを持たなくなっているので、その辺り、本作の
弱みとなってしまった。またブルース・ウィリスのキャスティングも「ダイ・ハード」等のイメージが強いので
これで良かったのかな、と疑問に思った。

本作での主人公は医師である。本来人間の命を守らなくてはいけない職業の人物が、「死神」と云われる存在になる、
そんな提示も今日的なものを意識したのであろう。(オリジナルのカージーは設計士)

家に忍び込んだ強盗に妻を殺され、大学入学を控えた優秀な娘も重傷を負わされた医師ポール・カージーは、シカゴの
膨大な犯罪に対して警察の無力さを知り、みずから犯人の処刑に乗り出す。まああとのストーリーは推して知るべし
なので省略するが、その後の「ダイ・ハード」ばりの容赦ない銃撃と暴力は、最愛の人を失った男に対するカタルシスと
しては十分過ぎるだろう。救いは娘が回復すること。当然頭のいい主人公と、自分らの無力さを知ってしまっているシカゴ
市警の思惑も有り、自由のみのままであることはご想像の通りである。これまで銃を扱ったこともなく、最初の襲撃で
遊底のスライドで手を怪我してしまうような男が短期間でマシンガンを的確に連発するというのは、どうみても早すぎ
じゃないか? さりながら、先述のように暇つぶしに頭空っぽにして観る分にはまあまあいいかな。
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<ストーリー>
かつてチャールズ・ブロンソン主演で映画化された『狼よさらば』を、イーライ・ロス監督&ブルース・ウィリス主演で
リメイクしたサスペンス・アクション。救急救命医として人命救助に当たる外科医が、妻を殺し、娘を昏睡状態に陥れた
犯人に復讐するため、銃を手に取る。主人公が銃の扱い方をYouTubeで学んだり、現代的な要素が盛り込まれている。

犯罪が多発し、シカゴの街は警察の手に負えない無法地帯と化す中、外科医ポール・カージー(ブルース・ウィリス)は
犯罪に巻き込まれた救急救命の患者を診ている。
患者の生死に立ち会い続ける彼にとって、幸せに満ちた家庭だけが唯一の平穏の地だった。しかしポールの留守中に
何者かが家を襲撃し、妻を失い、娘は昏睡状態に陥ってしまう。警察の捜査は一向に進展せず、怒りの限界を超えた
ポールは自らの手で復讐を果たすべく、銃を取り危険な街へ繰り出していく。(Movie Walker)

<IMDb=★6.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:17% Audience Score:74%>



# by jazzyoba0083 | 2018-10-09 07:40 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「アドリフト Adrift (原題・邦題未定)」
2018 アメリカ Lakeshore Entertainment and more.96min.
監督:バルタザール・コルマウクル
出演:シャイリーン・ウッドリー、サム・フランクリン、ジェフリー・トーマス、エリザベス・ホーソーン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
日本では未公開。おそらくはビデオスルーになっちゃうかなあ、と言う感じの作品。ホノルル線JAL機内での
鑑賞。レベル以上の出来ではあったけど、この手のヨット遭難実話ものはこれまでも何作か見てきていて、
VFXも含めてストーリーに新鮮さが無かったことが難か。女性が主人公、という点が新しいといえば新しい。

実話に基づいているので、突っ込みづらいのだが、長距離の航海に出たヨットが嵐に遭遇、同僚は怪我をし、食料や
水もそこを付く。自ら雨水を集め、サカナを捉えて食料とし、ときに大きな船や飛行機が近くに来るも、発見されず、
しかし、主人公は心を挫くことなく、ついに救助される、という出来上がったようなシノプシスに乗っかり、その上に
乗り組んだ二人の愛情物語が加わるのだ。 
この事件の後の今もヨットで世界の大洋を航海し続けているというタミ・オールダムさんの強い意志には頭が下がるが
映画としては、平均作と言わざるを得ない。主演のシャイリーン・ウッドリー、決してすこぶるつきの美人ではないが
この過酷な逆境を上手く演じていた、そこは評価の対象だ。

遭難する二人はいずれも自由を愛する人物で、リチャード・シャープ(サム・フランクリン)は、自らヨットを作り
世界の海を自由に航行し、人生を謳歌していた。一方のタミーは、船の調理人を勤めていたが、新しい地平を求め
タヒチにやってきた。その二人が出会い、たまたま当地で出会った大型ヨットの持ち主からサンディエゴにヨットを
回送してくれないか、とお金と帰りのファーストクラスのチケット込みで依頼され、引き受ける。それが事件の始まり
だった。早々に大型の嵐に遭遇し、船は破壊され、タミーは相棒で婚約者となっていたリチャードがいないのに気がつく。

彼は海に放り出されていたのだが、幸い木片に掴まって近くを漂流していて、タミーは泳いで彼を助ける。しかし、彼が
負っていた傷は深かった。そこから先に述べたような、遭難ものにはついて回る過酷な現実が次々と襲って来るのだ。

物語としては遭難し救助される現在と、二人が出会う前のタヒチの描写がカットバックされながら進行していく。
実話とはいえ、この話を知らなかった私は、リチャードとともに助かると思っていたのだが、そうではなかったのだな。
短い時間でサバイバルとラブストーリーをきっちりまとめてあったし、遭難シーンに嘘くささもなく上手く仕上がって
いたし、ハラハラもある。しかし、くどいが「平均」レベルを脱してはいないのが残念だ。結局どこの島に着いたのかも
分からないままだった。
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<IMDb=6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:71% Audience Score:66% >




# by jazzyoba0083 | 2018-10-08 13:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「LBJ ケネディの遺志を継いだ男」
2016  アメリカ Castle Rock Entertainment and more. 96min.
監督:ロブ・ライナー
出演:ウディ・ハレルソン、マイケイル・スタール=デヴィッド、リチャード・ジェンキンス、ビル・プルマン、ジェフリー・ドノヴァン他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
JFK暗殺を受けて急遽アメリカ第36代目大統領に昇格した男、ベトナム戦争を泥沼化させた男、といった割と
ステレオタイプの人間像として知られるリンドン・ジョンソンだが、実は、「公民権」に関する法制化に
ついては、ケネディの遺志を次いで、南部の実力政治家を説き伏せて実現させたことは意外と知られていない。

民主党院内総務まで努め、議会でも信頼感のあったジョンソンだが、大統領指名選挙では若きセンセーショナルな
JFKに負けてしまう。ケネディの弟ロバートとは仲が悪く(この下りは映画にも描かれる)JFKが大統領在任中は
南部を抑える影のような存在に終始し、印象が薄かったのだ。そんなジョンソンがJFK暗殺という大事件で
自分の意志とは関係のないところで大統領に付き、ケネディ人気のプレッシャーや、引き継いだ政策の実現に苦労する
模様が描かれる。

「スタンド・バイ・ミー」のロブ・ライナーはなぜ今この映画を撮ったのだろうか。今リンドン・ジョンソンに
光を当てることが何か意味があったのだろうか。あるいは彼がずっと温めていた素材だったのだろうか。
ジョンソンの苦悩を通して「公民権法」に焦点を当てたかったのだろうか。

映画は派手さもなく、事実に従って粛々と進む。ジョンソンは南部出身で、JFKには南部の抑えとして副大統領に
起用された部分、院内総務として議会にある程度の押さえが効くことなど、ケネデイ側の戦略に従っての起用で
あった部分が描かれ、(そうした中でロバート・ケネディのジョンソン嫌いが出てくる)そしてケネディ暗殺を
キッカケにしたジョンソンの苦悩、反人権派の南部議員との交渉、などジョンソン個人の苦悩が描かれていく。

やはりハイライトとして取り上げられるのは南部の実力者を抑えて公民権に関する法律を成立させたことだ。
一方で彼はベトナム戦争を泥沼化させた人物としての低い評価もあるのだが、それはオミットされている。
ともかく、JFK暗殺、政権からのロバートの離脱、公民権法を成立させたことに焦点が当たり、そこから
リンドン・ジョンソンの人間性をあぶり出そうとしたのだろう。だが、時間も短く、一点突破としては
あの時代のケネディ~ジョンソン時代の政治的状況を描き出すことは物足りない。むしろ誤解を生む恐れさえ
あるかもしれない。

ジョンソンを演じたウディ・ハレルソンは悩ましい男の一時期を上手く演じていたとは思うが、印象に
深く残るほどでもなく、全体として「普通」の作品となったといえよう。
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<ストーリー>
暗殺されたケネディの後を継ぎ、第36代アメリカ大統領に就任したジョンソンの知られざる一面にスポットを
当てたドラマ。大統領予備選挙でケネディに敗れ、副大統領に就任したジョンソンだったが、その職務が国政の
蚊帳の外に置かれていることに気付く……。
主演は「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」のウディ・ハレルソン。メガホンを取ったのは「スタンド・
バイ・ミー」のロブ・ライナー。

民主党の院内総務として精力的に活動していたリンドン・B・ジョンソン(ウディ・ハレルソン)は、1960年の
大統領予備選挙でライバルの上院議員ジョン・F・ケネディ(ジェフリー・ドノヴァン)に敗北。
党の大統領候補に選出されたケネディの副大統領候補になることに同意する。だが、ケネディの大統領就任後、
副大統領の執務が国政の蚊帳の外に置かれていることに気付く。

その運命が一変したのは、1963年11月22日。ケネディが暗殺されたことで、ジョンソンは突如、第36代アメリカ
大統領に就任することになったのだ。国民がケネディの死を嘆く中、ケネディの遺志を尊重して公民権法支持を
表明するジョンソン。だがこれを機に、長い間敵対していた司法長官のロバート・F・ケネディ
(マイケル・スタール=デヴィッド)ばかりでなく、師弟関係にあるジョージア州の上院議員リチャード・ラッセル
(リチャード・ジェンキンス)とも争うことに……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:57% Audience Score:56%>
<KINENOTE=75.3点>





# by jazzyoba0083 | 2018-09-27 23:55 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「告発のとき In the Vallery of Elah」(名画再見シリーズ)
2007 アメリカ Warner Independent Pictures. 121min
監督・脚本・(共同)製作・原案:ポール・ハギス
出演:トミー・リー・ジョーンズ、シャーリーズ・セロン、スーザン・サランドン、ジョナサン・タッカー、ジェームズ・フランコ、
   ジョシュ・ブローリン、フランシス・フィッシャー、ジェイソン・パトリック他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
このところ、映画館に行きたい映画がないので、家で過去の気になる作品を観ている。本作は「名画」というには
ややこぶりであるが、好みであるポール・ハギスの作品で、派手さはないけど、好きな一遍だ。

2009年に初見。その時の感想は下記のリンクをお読みいだだけると幸甚だが、今回見た感想と殆ど変わらない。

製作された年代を考えると、イラクの闘いが泥沼化してきて、アメリカの欺瞞が明らかになり、派兵される
兵士は疲弊し、帰国後もPTSDを発症するなど大きな社会問題になっていた。そうした現場や帰国後の兵士の
苦悩を描いた作品はその後たくさん作られ、今も作られ続けている。
あの戦争が、いかに「国民を欺いた無益な闘い」で、戦場では以下に非人間的な闘いが繰り広げられていたか、
を映画の世界で告発し続けている。

最近の作品で印象深かったのは「ハート・ロッカー」「アメリカン・スナイパー」「アイ・イン・ザ・スカイ 
世界一安全な戦場」などであろうか。

本作では、戦場から一時帰国後の息子が休暇を過ぎても部隊に戻らず、やがて無残な遺体となって発見される、
という事件を中心に、誰が殺したか、なぜ殺したか、を、元軍警察軍曹で父親のトミー・リー・ジョーンズが
明かしていく。(明らかになっていく)これに陰ながら協力するのが地元警察の刑事シャーリーズ・セロンで
ある。

物語に派手さはない。むしろ、イラクの戦闘シーンしても、抑制された作劇により、むしろ「戦争の狂気」が
あぶり出される構造になってくる。ハギスといえばオスカーを獲った「クラッシュ」が最高作と思っている
私だが、それに通底する製作的精神構造を感じる。

「狂気は内に向かう」そして「怒りは外に向かう」それぞれの扱い方が、ハギス自身の脚本で上手く
描かれていて、「静かな進行」(銃声一つ聞こえない)が続く。父であるトミー・リー・ジョーンズが息子の
死を調べれば調べるほどに、この戦争の現場で行われている軍務の狂気、そして担当する兵士たちの精神の崩壊が
じわじわと迫ってくる。息子の兵士仲間、警察、軍、そして家族、それぞれの「イラク戦争」の関連性を上手く
まとめて物語ることで、この戦争を告発しているのだ。長男も既に戦死し、加えて次男も殺される、という事態に
その父母の怒り、疑問を観ている人は共有することが出来るだろう。

原題の由来は初見の時のブログを参照してもらいたいが、映画全体のメタファーの役割を担っているといえる。
そうして見ると、邦題のイージーさからは、何のインパクトもない

ストーリーについても初見のブログを参照頂けると幸甚だ。
2009年に初めてみたのだが、アメリカの現状は10年ほど経ってもなんら改善されていない。トランプになって
からその狂気は上積みされたさえいえるだろう。

初見の時は映画評論サイトの採点を書いていなかったので、下記に記す。
<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:73% Audience Score:77% >
<KINENOTE=71.0点>

実際に戦争を行ったアメリカでの評価と肌身で分からない日本では捉え方にずれや受け止めの温度差が出ることは
いたしかたのないことだ。

# by jazzyoba0083 | 2018-09-27 11:54 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「ダイ・ハード Die Hard」(名画再見シリーズ)
1988 アメリカ Twentieth Century Fox.131min.
監督:ジョン・マクティアナン 撮影:ヤン・デ・ボン 原作:ロデリック・ソープ「Nothing Lasts Forever」
出演:ブルース・ウィリス、アラン・リックマン、ボニー・ベデリア、アレクサンダー・ゴドノフ、レジナルド・ヴェルジョンソン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
1970年台中頃から、「ロッキー」、「ジョーズ」「スター・ウォーズ」などの登場により、それまでのサブカル的
文化に裏打ちされた「アメリカン・ニューシネマ」の時代が終わり、「努力は報いられる」「正義は勝つ」「恋愛は
成就する」という以前のハリウッドの映画語法に先祖返りした作品が作られ、家族で見られる、娯楽の王道としての
映画が復活してきた。そうした中の一つの傾向として「ロッキー」のスタローンに見られるように肉体の優位さを
「正義のありようの一形態」として見せつける、「筋肉は裏切らない系」の作品も次々と作られた。それらに出演
していたのがシュワルツネッガーであり、スタローンであった。その系譜に本作も位置すると言っていいのではないか。

「ランボー」シリーズや、「ターミネーター」シリーズも1980年代前半にシリーズがスタートしている。
本作がそれらと異なるのは、特殊なマッチョではない、ということだ。自らの筋肉で隘路を打開していくのは同じだが、
人物的には「世界で一番ついていない男」と云われる、ニューヨーク市警の殺人課の刑事であるにすぎないが、その
スーパーマンぶりは、はやり普通ではない。(物語の設定や進行内容もそうとう荒唐無稽ではあるが)
同時期に登場する「リーサル・ウェポン」シリーズ、本作の4年前に封切られた「ビバリーヒルズ・コップ」などと
比較するとやはり「筋肉系」というところで一つ線が引かれる。

そう考えると本作は、独自の立ち位置を主張した、近年の刑事映画の中でも出色な作品ということが出来るであろう。
その後続編も作られたが、やはり初作の印象が一番強い。(ついてないのはいつも一緒だが)

それは「普通の刑事が、自らの手ひとつでなんとか状況を打開していく一方、見守る仲間の黒人警官とのやりとりが
加点となり、さらに、アラン・リックマンやアレクサンダー・ゴドノフ演じる悪役のしぶとさが魅力」となっている。
加えて、状況をわきまえないテレビクルー、上から目線の市警本部、さらにその上から目線のFBIといった権力側には
ラストに向かって、観客の溜飲を下げさせる役割(道化)を演じさせる。

この映画で有名なのは割れたガラスの上を裸足で走って足が血だらけになるにもかかわらず、奮闘するマクレーン刑事の
姿なのだが、なぜ裸足だったのかの伏線は開巻のシーンに埋め込まれている、という念の入れよう。

正義は苦労するけど、最後には勝ち、愛は復活し、友情は守られ、悪は徹底的に悪いのだが最後には滅び、警察上層部や
マスコミは嘲笑される、サスペンスのアイデアも満載で、という刑事ものストーリーの王道を行く物語ではあるが、その
相互の駆け引きが良く出来ている。131分が全く長く思えない。
映画史にしっかり足跡を残した作品といえる。娯楽作品として一級である。
そしてクリスマスイブの一晩の出来事なのが作劇の見事さである。エンディングテーマの「レット・イット・スノウ」も
味わい深い。また後年「スピード!」の監督を務めるヤン・デ・ボンのカメラにも注目したいところだ。また「ジャパン
アズナンバーワン」の頃のアメリカにおける日本の立ち位置も分かりやすい。
アラン・リックマンのビルからの墜落シーンでのびっくり顔が印象的だが、あれは本物らしい。予定より早く落下が
始まったため、ほんとにビックリしたのだそうだ。
wikiによれば「2010年には「エンパイア・マガジン」によって「最高のクリスマス映画」に選ばれた」のだそうだ。

しかし、悪役の双頭、アラン・リックマンとアレクサンダー・ゴドノフはもうこの世にいないのだなあ。
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<ストーリー:結末まで書かれています>
ニューヨークの刑事ジョン・マックレーン(ブルース・ウィリス)は、クリスマス休暇を妻ホリー(ボニー・
ベデリア)と2人の子供たちと過ごすためロサンゼルスへやってきた。ホリーは日本商社ナカトミ株式会社に
勤務し、夫と離れこの地に住んでいるのだった。

ジョンは、クリスマス・イヴの今日、ナカトミの社長タカギ(ジェームズ・シゲタ)の開いている慰労パーティに
出席している妻を訪ね、現代ハイテク技術の粋を極めた34階建ての超高層ナカトミビルに向かうのだった。
ホリーは単身赴任によって、結婚と仕事の両立に苦しんでいたが、再会したジョンを目にすると改めて彼への愛を
確認するのだった。

ところがパーティも盛りあがりをみせた頃、13人のテロリストがビルを襲い、事態は混乱を極める。リーダーの
ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)は金庫に眠る6億4000万ドルの無記名の債券を要求するが、タカギが
それに応じないのを見てとると、彼を射殺してしまう。そしてその現場をジョンが目撃したことにより、彼と
テロリストたちの息詰まる戦いの火ぶたが切って落とされるのだった。

ジョンは機転をきかせ、パトロール中のパウエル巡査部長(レジナルド・ヴェルジョンソン)に事件の重大さを
知らせ、援軍を求める。その頃テロリストの一味であるテオ(クラレンス・ギルヤード・ジュニア)が金庫の暗号の
解読に成功し、債券はハンスたちの手に握られた。また彼は、ホリーがジョンの妻であることをTV放送によって
知り、彼女を人質にビルからの脱出を企てる。愛する妻を捕えられたジョンは、2発しか残されていない銃を
片手に決死の覚悟でハンスと対決し、一瞬のアイデアの巧みさで彼を撃ち倒す。しかし安堵するジョンとホリーを、
1度は彼が叩きのめしたはずのテロリストの1人、カール(アレクサンダー・ゴドノフ)が執念に狙い撃つ。1発の
銃声が響き、地面に倒れたのは、しかしカールであった。彼を撃ったのは、かつてある事件で誤射して以来、
拳銃を放つことができなかったパウエルだった…。事件は終結し、ジョンは今、彼との友情に、そして何より
妻との愛に包まれ、クリスマスの朝を迎える喜びを噛みしめるのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★8.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:94%>
<KINENOTE=82.2点>


   

# by jazzyoba0083 | 2018-09-23 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「ラブ・アクチュアリー Love Actually (名画再見シリーズ)」
2003 イギリス・アメリカ Universal Pictures (presents),StudioCanal (presents) ,Working Title Films. 135min.
監督・脚本:リチャード・カーチス
出演:ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソン、アラン・リックマン、コリン・ファース、ローラ・リニー
   キーラ・ナイトレイ、ローワン・アトキンソン、ビル・ナイ、キウェテル・イジョフォー、ジョアンナ・ペイジ他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
本作について原稿を書く必要があり、Blue-rayを買って再見。
初見の時の感想は以下のリンクにて。2006年に観ているのだな。今回まるで新作を観るような新鮮さで味わうことが
出来た。あれから13年も経っているのだから。

脚本も書いてメガフォンを取ったリチャード・カーチスには「アバウト・タイム~愛おしい時間について」という
贔屓にしている作品もある。もともと「Mr.ビーン」のTVシリーズっで名前を上げ、映画でも彼とまた、
ヒュー・グラントの作品を手がける事が多い。直近では「マンマ・ミーア/ヒア・ウィ・ゴー」の原案、製作総指揮を
務めるなど、フィルモグラフィーを観ても、コメディタッチのヒューマン・ドラマの作劇に上手さがある人だ。

本作はクリスマスの時期を上手く物語に取り入れ、その中で繰り広げられる19人9組の「愛」について描いていく。
ばらばらに語られていたそれぞれの「愛情」の物語は、やがて一つの場所に収斂していく。アルトマンの群像劇の
ような手法だ。しかしこれだけの登場人物をよくつなぎ合わせて物語を紡いだものだ。その辺りの労苦が映画の
面白さに報われている。クリスマスの5週間前から1週間づつ区切ったのが分かり易さに繋がった感じだ。

しかし、この映画を観て、悪く言う人がいるだろうか。いや、「生ぬるい」という批評もあろう。が、「性善説」に
基づくリチャード・カーチスの作劇は、「愛情にまつわる人の悩み、そして優しさ、勇気、理解、赦し」それぞれに
優しい目線と(画作りも含め)イギリスらしいユーモアを加え、暖かく、暖かく描いていていく

ラスト近くには、観ている人の多くは涙せずにはいられないだろう。基本的には「成就する」愛を描くので、先程も
書いたように「生ぬるい」と感じる方もいるだろう。それはそれでいいと思う。が、私は過去の評価より今回観た
ことで、この映画の評価を上げたのだった。製作された時すら、白人と黒人、人種、ゲイ、いじめ、働く女性など
今に通じるテーマを、硬い言葉で言ってしまえば「平等な自由と人権」を平易な物語にしたリチャード・カーチスの
脚本を買いたい。9.11の直後だったから公開当時は余計にそう感じた人が多かっただろう。
(ヒュー・グラントの首相のチャラさは如何なものか、という感じもするが、権力者とて、愛は必要だ。それは
畢竟、政治の世界にも繋がっていくのだから)

製作された2003年は、アメリカの同時多発テロから2年というまだ生々しい時期。アメリカはイラクに侵攻を
始めていた。そういう時期に、空港が多くの出会い、愛の世界が繰り広げられる場所としてファーストシーンに
持ってくるのは勇気が必要だったろう。それは逆に憎しみ合いより「愛」こそは全て、という主張に違いないのだ。

出演陣はオールスターがずらりと並び、それぞれの演技についてはまったく問題はない。加えてポップな音楽の
使われ方がとても上手い。ジョニ・ミッチェルやベイ・シティー・ローラーズ、マライア・キャリー、ビートルズ
などの歌が効果的に使われる。

浮気、片思い、身分の違い、両想いの結婚、男同士の友情、最愛の人の喪失、そして子供ごころの「恋心」=この辺、
泣かせどころなんだろうなあ。こどもが出てくるとみんな持っていってしまうからずるいんだけど、個人的には
コリン・ファースがお手伝いさんをポルトガルまで追いかけて(ポルトガル語を勉強して)求婚するカップルが
ご贔屓だったかな。あ、キーラ・ナイトレイに片思いの男がイブにドアの前で紙を読み上げ告白し去るところの
シーンも良かったなあ。
「クリスマスくらい自分の正直な気持ちをブツケてみよう」。こういう気分って西欧にはあるんだね。それがまた
たくさんの映画の題材を提供しているんだけど。このあと書く「ダイ・ハード」(初作)もそうだった。

とにかくあまたあるラブコメ系のドラマでも、多くの人が「好き」と挙げる、観て損をしないではなく、誠に心が
暖かくなる観て得をする映画の最右翼ではないか。批評家は「詰め込みすぎ、表層的、甘すぎ」と辛口だが、
多くの大衆にはしっかり支持されている作品だ。原題はLove actually is all around.(愛はいたるところにある)
から取られた。
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<ストーリー>
 「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」の製作スタッフが、クリスマスを目前にした
ロンドンを舞台に、男女19人が織りなすさまざまな恋愛模様を同時進行で描く心暖まる群像ラブ・コメディ。
「ノッティング~」「ブリジット~」などの脚本を手掛けたリチャード・カーティスが本作では脚本のみならず
監督デビューも果たす。
ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソンをはじめ、新旧の人気英国人スターを中心に豪華共演。
 12月のロンドン。クリスマスを目前に控え、誰もが愛を求め、愛をカタチにしようと浮き足立つ季節。
新たに英国の首相となったデヴィッドは、国民の熱い期待とは裏腹に、ひと目惚れした秘書のナタリーのことで
頭がいっぱい。一方街では、最愛の妻を亡くした男が、初恋が原因とも知らず元気をなくした義理の息子に気を揉み、
恋人に裏切られ傷心の作家は言葉の通じないポルトガル人家政婦に恋をしてしまい、夫の不審な行動に妻の疑惑が
芽生え、内気なOLの2年7ヵ月の片想いは新たな展開を迎えようとしていた…。(allcinema)

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:63% Audience Score: 72%>
<KINENOTE=79.7点>



# by jazzyoba0083 | 2018-09-22 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「美しき諍い女(いさかいめ) La belle noiseuse」
1991 フランス Pierre Grise Productions (presents),George Reinhart Productions (presents). 237min.
監督・(共同)脚本:ジャック・リヴェット
出演:ミッシェル・ピッコリ、ジェーン・バーキン、エマニュエル・ベアール、マリアンヌ・ドニクール、ダヴィッド・バーンスタイン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想:作品の核心に触れています>
その名前はしっていたが、作品に触れたことが無かったリヴェット監督。映画人生の長い割にには制作本数は
多くなく、本作は一番名前の知られた作品だろう。1991年のカンヌでグランプリを獲っている。ちなみに
パルムドールはコーエン兄弟の「バートン・フィンク」。不肖、私でもそういう順序にすると思う。

バルザックの「知られざる傑作」をベースにリヴェットらが脚色、画家とモデルという形而下の状況で、表現
されるものは形而上的、理念的、哲学的なので、分かりづらさは狙いだろう。というか、多くのメタファーも
含め、分かりそうで分からない、理念と説明のスレスレを表現することによって、観客にカタルシスを与えず、
むしろ「もやもや感」を残して去っていく。つまるところ、多くの謎を残すことによって、考え方を客に投げて
終わるという形を敢えて監督は選んだのだろう。それに要する時間が4時間だった、ということだ。
それは理解出来るから長い!といって責めるつもりはない。75%以上は老画家のアトリエでの展開。
そしてその大部分はボカシは入っているが全裸の女性との対峙である。10年振りに「美しき諍い女」という画を
描いて見ようと決意させたその女性との。

主たる登場人物は5人。若き画家ニコルとその恋人で新進作家のマリアンヌ(ベアール)、ニコルのパトロンで
化学者の富豪(将来金になる画なら何でもいいという俗物)、そして同じパトロンに抱えられる老画家
フレンフォーフェル(ピッコリ)、彼のかつてのモデルを長く努め、今は妻となっているリズ(バーキン)。
フレンフォーフェルは、パトロンに紹介されたマリアンヌに、ただならぬ創造力の復活を予感させられる。
すでに峠を超えた、と妻さえ思っていた老画家は、マリアンヌにモデルになってくれるように頼む。彼女は恋人
ニコルの許可も得ず承諾する。それは全裸のモデルであったにも関わらず。

老画家のアトリエの中、最初はペン画でスケッチブックに、次はカンバスへと、マリアンヌに様々なポーズを
取らせ、そこから何かを絞り出すかのように熱心にスケッチと作画に勤しんだ。だが、なかなか自分として
得心の行く作品に届かない。一方、マリアンヌは老画家によって、裸を描かれしんどいポージングをし、ペンと
筆の音しかしない世界の中で、自分が何者であるかが暴かれていくような気分になる。それすなわち、老画家と
しては10年ぶりの「美しき諍い女」という描画に、彼女の精神を移し取る、描きとることに成功しているような
感覚となるのだ。また思うように作画できない老画家に対し、マリアンヌは挑発さえしていくのだった。

かつてモデルを勤めていたリズに老画家は「君を取るか、画を取るかだ」と言って、リズを取り、愛しては
くれたが画家としての情熱は停滞してしまった。リズはそれを望んでいたのだろうか、いやそうではなさそうだ。
そうした状況で、彼女は身近にいる野生動物の剥製をアート作品とする作家となっていた。まさに剥製の動物は
形而下の象徴であり、前に進まなくなった老画家のメタファーなのではないかと感じた。
またマリアンヌの全裸が映画の殆どを占めるわけだが、客体化してしまうヌードは猥褻感などまったく感じなく
なってしまう。だから逆にボカシが卑猥さを出してしまう。

ラストで老画家は仕上がった「美しき諍い女」を壁に埋めてしまう。完成品を観たマリアンヌは、これが皆の目に
触れたら私は自分の正体が晒されてしまう、と恐怖し、リズは、カンバスのフレームに黒の絵の具で十字を書き
入れた。

そして画を所望していたパトロンには、一晩で書き上げたありきたりの画を見せた。マリアンヌもリズもなぜか
納得の表情。老画家曰く「私の遺作の第一号だ」と。パトロン「将来高く売れるな」。たちまち現出する形而下の
世界。

老画家は満足の行く結末を得(リズはそれがフレンフォーフェルの復活であることを確信したに違いない)、
そしてマリアンヌは自分の内面をきっちり描かれた画が永遠に外に出ないことに安心したに違いない。
果たしてその画はどんな画だったのか。それは明かされることはない。そして、ニコルにスペインでも回って
帰ろう、と誘われるものの、(あれだけ帰りたいと言っていたのに)、「もう少しここに居る」とその表情も
物言いも変わったのだった。老画家との対峙の中で自分の外面を剥がしてもらう結果となった彼女もまた再生
したのだ。

35ミリのフレームをローキーで使い、色彩の妙(柄は無地の使い方)、奥行きと高低の使い方など、画作りも
スムーズで非常に美しかった。味わいと深みのある映画であることは分かるけど、対峙するには相当の覚悟を
もってしなくてはならない映画だろう。とても気楽に楽しめるものではない。演者陣も適役であった。
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<ストーリー:結末まで書かれています>
画商ポルビュス(ジル・アルボナ)は彼の旧友でかつての恋仇だったフレンフォーフェル(ミシェル・ピッコリ)の
邸宅に新進画家ニコラ(ダヴィッド・ブルツタイン)とその恋人マリアンヌ(エマニュエル・ベアール)を招待した。
フレンフォーフェルは10年ほど前、妻のリズ(ジェーン・バーキン)をモデルに描いた自らの最も野心的な未完の
傑作「美しき諍い女」を中断して以来、絵を描いていなかった。

「美しき諍い女」とは17世紀に天外な人生を送った高級娼婦カトリーヌ・レスコーのことで、フレンフォーフェルは
彼女のことを本で読み、彼女を描こうと試みたのであった。ポルビュスの計らいでニコラとマリアンヌに出会った
フレンフォーフェルは、マリアンヌをモデルにその最高傑作を完成させる意欲を奮い起こした。

最初はモデルになることを嫌がったマリアンヌは、ニコラの薦めもあって5日間で完成させることを条件にしぶしぶ
了承する。だがフレンフォーフェルの要求は彼女の考える以上に苛酷なもので、肉体を過度に酷使する様々なポーズを
要求され、さらには彼女の内面の感情そのものをさらけ出すことを求められる。
だが、フレンフォーフェルは描き続けるうちに自信をなくしはじめ、逆にマリアンヌが挑発して描かせるようにも
なっていく。画家とモデル、2人の緊張関係は妻のリズやニコラを含めた2組のカップル全体に微妙な緊張をもたらし、
ニコラのもとにやって来た妹ジュリアンヌ(マリアンヌ・ドニクール)も加わりさらに拍車がかかる。

やがて長い闘いの果てにフレンフォーフェルはついに絵を完成させるが、誰の目にも触れさせないように壁の中に
埋め込んでしまい、代わりの絵を一気に描き上げた。真の「美しき諍い女」を見たのはフレンフォーフェル以外には、
アトリエを覗いたリズだけであった。
次の日、代わりの「美しき諍い女」のお披露目が行われた。緊張感も和らぎ、2組のカップルにポルビュス、
ジュリアンヌも加わり祝いのワインが開けられた。それぞれの思いを永遠に胸に秘めながら…… 。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100%  Audience Score:84%>
<KINENOTE=71.8点>





# by jazzyoba0083 | 2018-09-22 15:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「インビジブル Hollow Man」(再見)
2000 アメリカ  Columbia Pictures,Global Entertainment Productions GmbH & Company Medien KG.112min.
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
出演:ケヴィン・ベーコン、エリザベス・シュー、ジョシュ・ブローリン、キム・ディケンズ、ジョーイ・スロトニック他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
直近で同監督の「Elle」を観て、たまたまWOWOWで本作を放映していたので、観てみた。昔、一度観たのだが、
20年ほど前のヴァンホーヴェンの作風とは一体どんなものだったのか確認したかったので。

この頃の監督は「視覚効果イノチ」の傾向があった。しかし、「(特に性の部分での)理性が外れた人間の行動
エキセントリックな残虐、スプラッタな描写で描き出す」という「本性」は変わっていないのだな、と確認出来た。
確かにこの映画の人間や動物が消えたり元に戻ったりする光景の特殊効果は、見どころだと思う。お、お、とは
思う。人間を量子レベルで透明化する軍事実験を、自ら体験し、狂気を発散しまくるのが、ケヴィン・ベーコン。
でも、男のやりたいことは、隣家の美人の部屋に乗り込み、裸を眺め、透明なままレイプする、とか、居眠り
している同僚のシャツを開けて、胸を晒して揉んでみたり、透明人間になったら男は何をしたいのかを率先垂範
しちゃうのだ。変態サイコパス?(苦笑)

開巻、ネズミが見えざる手で、つまみ上げられ、見えない口(血だらけになってその形が浮き上がるのだが)で
噛み切られるシーン、そして前半のシークエンスで透明化してあったゴリラが元に戻るところで行ったり来たり
する映像などは、よく見せているが、ケヴィン・ベーコンのスケベ全開に及び、「B級臭」が漂ってくるのだ。

後半の展開は「ロボコップ」の展開と似ている。自ら透明化の人体実験に挑戦したものの、元に戻れなくなり、
しばらくはそれを楽しんでいたのだが、本当に戻れなくなるとなると、自分は神であるという狂気を発し、
元カノとその彼氏や同僚を残虐な殺し方で殺害し始め、研究所を爆破し、施設から逃亡しようと試みるのだ。
だが、結局元カノと彼氏(エリザベス・シューとジョシュ・ブローリン)にやられてしまうという結末。

ヴァーホーヴェンの魅力は、しかし、こういう映画にこそある、その洗練?されたものが「エル」になったと
思えるのだ。ストーリーに評価する点は無いけれど、(大方の評価サイトも同様)ヲタクファンには楽しい
ホラーっ気もある作品である。ビジュアル全体としては評価出来ると思う。
邦題は「見ることが出来ない」だが、原題は「空っぽの男」。こっちのほうが奥が深いタイトルだ。
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<ストーリー:省略気味ですが、結末まで触れています>
国家最高機密の研究プロジェクトのリーダーである天才肌の科学者、セバスチャン・ケイン(ケヴィン・
ベーコン)は、人間を透明にすることを目標にしている。彼は元恋人のリンダ(エリザベス・シュー)、
現在彼女と恋仲になっているマット(ジョシュ・ブローリン)、獣医のサラ(キム・ディケンズ)ら
研究メンバーと共に、既に動物実験を成功させていた。
しかしその程度で満足できないセバスチャンは、皆の反対を押し切って自ら人体実験の被験者となり、
透明人間になってしまう。

しかし元の姿に戻れず、苛立ってきたセバスチャンは、勝手に外出し、女性にいたずらしたり国防総省の
老人を殺したりしていくうち、自由と神の感覚に目覚めていく。そしてついには、同僚の研究メンバーを
次々と殺していく。なんとか生き残ったリンダとマットは、必死に抵抗。リンダがセバスチャンを火の中へ
突き落とし、ようやく事態は収拾した。(Movie Walker)

<IMDb=★5.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:27% Audience Score:27% >
<KINENOTE=64.7点>



# by jazzyoba0083 | 2018-09-17 14:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

エル Elle

●「エル Elle」
2016 フランス France 2 Cinéma and more. 131min.
監督:ポール・ヴァーホーヴェン  原作:フィリップ・ディジャン『エル ELLE』(早川書房刊)
出演:イザベル・ユペール、ロラン・ラフィット、アンヌ・コンシニ、シャルル・ベルリング、ヴィルジニー・エフィラ
   ジュディット・マーレ、クリスチャン・ベルケル、ジョナ・ブロケ、ヴィマーラ・ポンス他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
昨年の公開時には世間を賑わした作品。癖、アクの強い作品を作らせたら天下一品のヴァンホーヴェン監督。
確かに予期せぬセリフ、予期せぬ展開、予期できる犯人(苦笑)と、見て面白い映画ではあるが、二度三度見る
名作か、と言われると、う~む、と言わざるを得ない。「視覚効果イノチ」だったヴァンホーヴェン、「ブラック
ブック」あたりを観ても、最近は人間のむき出しの本性、みたいなものをストレートに描こうという方向に転換
したのかな、という気がしている。血が出る痛さの表現は相変わらずだけど。

ヴァンホーヴェン監督は、「氷の微笑」「ロボコップ」「トータル・リコール」「スターシップ・トゥルーパーズ」
「インビジブル」などは観ていて、なおかつ、「映画秘宝」の町山&柳下コンビのサカナになることの多い人で、
史上最低映画とも言われる「ショー・ガール」も手がけるなど、何かとその作品に話題が多い人だ。

本作は原作があるとは言え、基本的に「人間から理性のタガを外してしまうとどういうことになるのか」という
命題を追い求めているような気がしている。本作では「セックス」に関する「理性のタガ」を外し、フランス映画に
仕立てると、ヴァンホーヴェンはこんな映画を作りますよ、という感じだ。主演のイザベル・ユペールの熱演が
ヴァンホーヴェンの作品につきまとう「B級臭」を消す効果を生み、またソフトフォーカスっぽい紗がかかった
ような手持ちカメラの映像の上手さと相俟って、原作の面白さ(未読だけど)加味され、観ている分にはなかなか
面白い作品となったのではないかと思う。だが、私の「いい映画」範疇からはやや外れている。

台本を読んだアメリカの女優から総スカンをくらい、ユペールが演じることになったのだが、やはりこの映画は
フランスを舞台にしてフランス人が演じて正解だったのだ。観はじめてしばらくして、原作が「その女アレックス」
のピエール・ルメートルかと思った。そんな雰囲気を持つ作品だ。ルメートルの方がずいぶんと出来はいいけど。

この映画を一人で支えているといってもいい、ユペール、この時63歳。びっくりだな。衰えぬ肢体。その年令で
レイプされ胸を出し、卑猥なセリフを物ともしない。大量殺人者の娘にして今はコンピュータゲームの会社の共同
経営者、(大量殺人者の娘という)出自からして「父性に対する屈折した視線」、それは男全般に及ぶ。また
親全般に及ぶ。
あまり理屈を掘り下げてしまうとこの映画は面白くなくなるのかもしれない。とにかく「性に対する理性、自律、
躊躇、恥の概念など一切とっぱらってしまうと、人間こんなになるのか」という表現のオンパレード。
その「むき出しっぷり」に驚きつつ愉しめばいい作品だ。もう出ている人間の不倫などという言葉が軽く感じる
ほどの、やりたい放題。ひたすら「ヤリたいだけ」。エイヤといってしまえば「変態」たちの生態をナマナマしく
描いたという、ある意味、ある面、ヴァンホーヴェンの面目躍如の映画であろう。
だいたいレイプされた後に、寿司?の出前に電話するかね。「ホリデー巻き」って。冒頭のこの辺りで、
「変態サスペンス」の香りプンプンだ。

イザベル・ユペール、本作でオスカーの主演女優賞にノミネートされたが、それはとても納得できるが、受賞は
出来なかったのは、やはり「ヤリたいばっかりの映画」ではイカンともし難かったのだろう。この作品に「意義」
や「意味」を見出したい評論家受けし、一般客からは「いまひとつやな」と評価されるのはよく理解できる。
ストーリーなんかはどうでもいいようなもんだ。が、「穿った見方」をしたい人にはそれなりの答えは出てくる
のだろう。でも個人的にはこの映画あまり深掘りしないほうが面白いと思う。とにかく「理性のない世界とは」だ。
この「変態ワールド」をキチンと演じ切ったイザベルは、やっぱり凄いと言わざるを得ない。

でもこうした「みんな、なに気取ってんだよ!」というヴァンホーヴェンの作風、嫌いではない。新作が出て
きたら観に行くだろうな、きっと。
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<ストーリー>
第74回ゴールデン・グローブ賞で主演女優賞と外国語映画賞をダブル受賞した、ポール・ヴァーホーヴェン
監督によるエロティックなサスペンス・スリラー。イザベル・ユペールが会社社長のヒロインを演じ、
ある事件をきっかけにその恐ろしい本性が明らかになり、周囲を巻き込んでいくさまがつづられる。

新鋭ゲーム会社の社長ミシェルは、1人暮らしの瀟洒な自宅にいたところ、覆面の男の襲撃を受ける。
その後も、差出人不明の嫌がらせメールが届き、留守中に何者かが侵入した形跡が見つかるなど、
不審な出来事が続く。自分の生活リズムを把握しているかのような犯行に、周囲に疑惑の目を向ける
ミシェル。父親にまつわる過去の衝撃的な事件から、警察との関わりを避ける彼女は、自ら犯人を探し始める。
だが、次第に明らかになっていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性だった……。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:91% Audience Score:72%>
<KINENOTE=73.2点>




# by jazzyoba0083 | 2018-09-15 23:20 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

二十四の瞳

●「二十四の瞳」
1954 日本 松竹映画 156分
監督・脚本:木下恵介  原作:壺井栄『二十四の瞳』(光文社 刊)
出演:高峰秀子、笠智衆、天本英世、夏川静江、浦辺粂子、明石潮、小林豊子、清川虹子、田村高廣、東山千栄子 他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
市の名画鑑賞会、午後の部は、久しぶりの邦画だった。名作の極み?「二十四の瞳」。80席、満席。
製作は昭和29年、小豆島のロケだ。壺井の小説には小豆島の名前は出てこないが、この映画が舞台を
小豆島に設定したため、以降、「二十四の瞳=小豆島」という図式が出来上がっった。

さて、映画にまつわる雑事は後述するとして、作品では昭和3年から21年の、日本の軍国主義が最高に苛烈に
なった時期、田舎の小豆島にもその影は大きく落ち、主人公の大石先生は、公私共に苦労、苦悩する、という
のがメインストーリーだ。
先生との師弟愛、大石先生自身の家庭のことなど、貧乏で豊かではなかったが、楽しい島の生活を一変させた
戦争の悲惨さと平和の尊さを、静かに訴えて涙を誘う。あの頃の日本人は純粋だったのだあ、とつくづく思う。

二十四の瞳、とは新任で岬の分教場で最初に担任となった大石先生の教え子12人のことである。彼ら、彼女らの
貧困ゆえの苦悩、軍人に憧れたものの悲惨な戦争に出征し、次々と戦死していく男の子の教え子たち。
小豆島の(モノクロではあるが)海と山の自然に恵まれた風景と対照的に描かれる物語は辛く悲しい。
そしてそれを一層情緒的にしているのが、多数使われる「唱歌」「軍歌」である。木下恵介の実の弟、
木下忠司の選んだ曲は全部、既存の歌だ。しかも「カラスの歌」「浜辺の歌」「仰げば尊し」は繰り返し
使われる。それはあたかも、物語の主張のメタファーかのように。

物語そのもの、凝り性というか完璧症の木下らしい、水平線を活かしたロングの構図、トラックの画像、
教科書のようなフレームイン、フレームアウト、ゆったりとしたパーンなど、凝ったキャスティングも含め、
この年、「七人の侍」を抑えて、「キネ旬」年間ベスト1位になっただけの演出、演技ではあった。

だが、私としてはいささかの異議を感じるのだ。だいたい上映時間が長すぎる。18年間の物語なので
それなりの長さは必要だろうが、フルコーラスでしかも連続して聞かせる多数の唱歌、また12人を丁寧に
描いているといえばそうだろうが、いちいちアップを個々に使い、男子生徒の戦死した3人の墓標の
アップでのパンアップは不要だと感じた。全編、もう少しカットできるシーンがあったと感じた。
そうすると156分が130分くらいになり、もう少し、締まった映画になったのではないか、もったいない、
と感じたのだ。(私より先輩の映画ファンにこれを話したら、制作当時の社会の雰囲気がこうさせたの
ではないか、と語っていた)
ラストシークエンス、昭和21年の大石先生、少し老けすぎなメイクだ。師範高女を出て新米教師として
赴任してから18年として、行ってても、40歳そこそこだと思われるのだが、おばあさんの風貌。
まあ、旦那も戦死し、娘は空腹に耐えかねて柿を取ろうとして木から落ちて死亡、教え子の相次ぐ不幸と
大変な苦労を表したのだろうか。
また、この映画は壺井栄の原作を出だしのフレーズからほぼ全編忠実に再現しているが、なぜかラスト
大石先生の歓迎会でマスノが涙ながらに歌うのが「浜辺の歌」なのだが、原作では「荒城の月」。
なぜ変えたのだろうか。修学旅行の船の上で美声を聞かせたマスノが歌ったのが「浜辺の歌」だった
から整合性を取ったのだろうか。曲としては、どっちの曲がラストシークエンスにマッチしただろうか。

太平洋戦争で中国戦線に赴き、負傷して帰国した木下監督、平和の尊さ、戦争の愚かさは十二分に理解
しているわけで、壺井の原作もあるのだろうけど、映画のなかでも、「反戦」とは言わないが、市民に
わかりやすい形での戦争の、国家の暴走の恐ろしさを抑えが効いた表現の中に描いていた。それがまた
観ている方の心にじわじわと来るのだ。日本国民、今の時代は特に、みんな(再度)見るべき映画であろう。

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<ストーリー:超省略版ですがラストまで書いてあります>
昭和三年四月、大石久子は新任のおなご先生として、瀬戸内海小豆島の分校へ赴任した。一年生の磯吉
、吉次、竹一、マスノミサ子、松江、早苗、小ツル、コトエなど十二人の二十四の瞳が、初めて教壇に
立つ久子には特に愛らしく思えた。
二十四の瞳は足を挫いて学校を休んでいる久子を、二里も歩いて訪れてきてくれた。しかし久子は自転車に
乗れなくなり、近くの本校へ転任せねばならなかった。
五年生になって二十四の瞳は本校へ通う様になった。久子は結婚していた。子供たちにも人生の荒波が
押しよせ、母親が急死した松江は奉公に出された。修学旅行先の金比羅で偶然にも彼女を見かける久子。
そして、子供たちの卒業とともに久子は教壇を去った。軍国主義の影が教室を覆い始めていたことに
嫌気がさしてのことであった。
八年後。大東亜戦争は久子の夫を殺した。島の男の子は次々と前線へ送られ、竹一等三人が戦死し、
ミサ子は結婚し、早苗は教師に、小ツルは産婆に、そしてコトエは肺病で死んだ。久子には既に子供が
三人あったが、二つになる末っ子は空腹に耐えかねた末に柿の実をもごうとして落下し死んだ。

終戦の翌年--久子は再び岬の分教場におなご先生として就任した。教え児の中には、松江やミサ子の
子供もいた。一夜、ミサ子、早苗、松江、マスノ、磯吉、吉次が久子を囲んで歓迎会を開いてくれた。
二十四の瞳は揃わなかったけれど、想い出だけは今も彼等の胸に残っていた。数日後、岬の道には元気に
自転車のペダルを踏む久子の姿があった。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:60% Audience Score:85% >
<KINENOTE=一般投票=82.7点>



# by jazzyoba0083 | 2018-09-13 16:35 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「トゥルー・ロマンス True Romance」
1993 アメリカ Morgan Creek Entertainment Group and more. 121min.
監督:トニー・スコット 脚本:クェンティン・タランティーノ 音楽:ハンス・ジマー
出演:クリスチャン・スレイター、パトリシア・アークエット、デニス・ホッパー、ゲイリー・オールドマン、
   ブラッド・ピット、クリストファー・ウォーケン、サミュエル・L・ジャクソン、トム・サイズモア他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
いや、久しぶりに痛快な映画らしい映画をみたぞ。ちょっと時代を感じてしまうのは仕方がないとしても、
何本かある、悪の男女ものの中でも上にランクされるものではないか、と思う。何がいいか、ヒップでポップで
とても映像的で、テンポが良くて、男女の愛情を斜に構えて観ているタランティーノ節炸裂な痛快さに溢れて
いるからだ! 加えて出演者の豪華さとハンス・ジマーの画面とは対照的なのんびりした音楽も良い!
タランティーノだから、痛いし、血が出るけど、それを了解して面白がれる人には堪らん作品といえるだろう。
タイトルの純粋イメージのアイロニーとしての立ち位置が痛快の根っこ。タランティーノは翌年「パルプ・
フィクション」で一躍名前を売ったが、前年の本作はやや影が薄くなったか。

おバカだけど、徹底的に純情。やることは危ないけど、思い込んだら命がけ、そこらへんのストレートな愛情と
これに絡むサスペンスとバイオレンスが、飲み物で言えば「濃い炭酸」的役割を果たしている感じを受けた。

お馬鹿な二人にハラハラ、スレイターが奪った大量のヤクの処分や行方にハラハラ。二時間ハラハラしっぱなし。
ラストもギャング、警官、スレイターと映画関係者三つ巴の大銃撃戦という映画の教科書みたいな持って行き方と
ツッコミどころもあるけどハッピーエンドなお馬鹿な二人。
こう書いてきて、なんか理屈で楽しむ映画ではないな、と感じてきた。とにかく観ている時間を楽しむ作品。
その後にはなんにも残らない。突き抜けた痛快さ以外にね。デビュー間もないブラピ、ヤク中のラリラリの役だが、
本当にそんなんだった、という説あり。

「映画秘宝」、町山智浩氏は絶対好きだろうな、この手の映画。「ヲタク野郎の純情恋物語」って。
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<ストーリー:一応結末まで書かかれています>
デトロイトのコミック・ブック店で働くクラレンス(クリスチャン・スレイター)は、プレスリーとクンフー映画に
夢中の若者。誕生日の夜、場末の映画館で千葉真一の映画3本立てを観ていた彼は、アラバマ(パトリシア・
アークェット)というキユートな女の子と知り合う。ベッドの中で彼女は、実はクラレンスの店のボスから、
「誕生日のプレゼントに」と頼まれたコールガールであることを明かす。だが、2人は激しく愛し合い、翌日には
結婚した。
クラレンスは、アラバマの元ヒモであるドレクセイ(ゲイリー・オールドマン)に話をつけに行くが殺されかかり、
逆に相手を殺してしまった。あわてて持ち帰ったスーツケースには、大量のコカインが入っていた。

翌日、クラレンスは元警官の父、クリフォード(デニス・ホッパー)に会い、妻のアラバマを紹介すると共に、
警察の捜査状況を聞く。2人がロサンゼルスに向かった後で、ヴィンセンツ(クリストファー・ウォーケン)と
名乗る男がクリフォードの元へ現われ彼を拷間し、2人とコカインの行方を突き止めようとした。シラを切る
クリフォードを殺した男は、クラレンスたちの後を追う。クラレンスはヤクの取引きの話をまとめる。取引きの
当日、ダイムス刑事(クリストファー・ペン)ら捜査陣と、デトロイトから追ってきた組織の男たちが現場の
ホテルに向かう。一同が会し、激しい銃撃戦が展間したが、クラレンスとアラバマは生き延びた。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.9 >
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: Audience Score:>
<KINENOTE=77.4>
<キネ旬1994年外国映画ベスト20位>



# by jazzyoba0083 | 2018-09-12 23:20 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「巴里のアメリカ人 An American in Paris」(名画再見シリーズ)
アメリカ 1951 MGM 113min.
監督:ヴィンセント・ミネリ 音楽:アイラ&ジョージ・ガーシュイン
出演:ジーン・ケリー、レスリー・キャロン、オスカー・レヴァント、ニナ・フォック、ジョルジュ・ゲタリ他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
この所、市の上映会もあり、MGMの名作ミュージカルを月1本は大画面で見られるチャンスがある。
今月はジョージ・ガーシュインの交響楽「巴里のアメリカ人」を「マイ・フェア・レディ」を書いた
脚本家、アラン・ジェイ・ラーナーが脚本を担当し、ガーシュインの名曲をたくさん楽しめるMGMの中
でも音楽性の強いミュージカルになっている「巴里のアメリカ人」だった。その分、ストーリーがやや
平板というか雑な感じもする。
だが、本作、この年のオスカーで作品賞、脚本賞を始め、美術系など8部門を独占してしまったのだった。
確かに、コレオグラファーとしても参加したジーン・ケリーの踊り、タップは良いし、なにせ、ガーシュイン
の音楽がいいので、派手目な感じの作品に仕上がっていることは確かだ。

ブログでの評価には辛いものも多い。特にラスト18分の歌のないダンスシーンは、長すぎ、とか、
ジーン・ケリーの自己満足の世界、とか指摘される方も多くいる。なんでこれがオスカーを8つも獲った
のか分からない、それほど名作か?との声も聞こえる。

確かに先に述べたように、ジーン・ケリーの踊り、ガーシュインの歌ありきの世界であることは分かる。
物語性が弱い事も分かる。だが、私はそれを凌駕する、ジーン・ケリーとレスリー・キャロン(美人とは
言えないよねえ)の踊りと、プロダクションデザイン、またオスカー・レヴァントが一人複数役をこなす
ガーシュインの交響曲のシーンなどの映像効果、などを加味すると、やはり歴史に残るミュージカル映画と
いうべきではないか、と感じるのだ。

レスリー・キャロンは出っ歯だし、およそハリウッド系の美人ではない。が、何故か(スマヌ)良作に
恵まれ『足ながおじさん』ではフレッド・アステアと、『恋の手ほどき』ではモーリス・シュヴァリエと
共演し、評価を高め、更に『リリー』ではオスカーにノミネートもされている。
「巴里のアメリカ人」のクラッシックバレエシーンのためにジーン・ケリーがフランスでスカウト、本作が
デビュー作となる。確かにクラシックバレエシーンでは上等な踊りを披露している。現在87歳。お元気だ。

さらに、特殊効果で一人でピアニスト、指揮者、バイオリニスト、打楽器奏者、シロフォン、など何人
もの役をこなすオスカー・レヴァントの活躍と、彼のカフェでのコメディ役者としての演技など見る所が
多い。
イギリスで活躍のクラシック系の歌手ジョルジュ・ゲタリも独特の唱法だが、ジーン・ケリーと歌う
「ス・ワンダフル」は見ものの1つだ。

そしてラスト18分の「巴里のアメリカ人」を表現する踊り。アンサンブルダンサーも含め踊りの質の
高いことはもちろん、背景をフランスの画家、デュフィ、ルノワール、ユトリロ、ルソー、ゴッホ、
ロートレックを使い、これに美しい色彩を配して踊り、見応えは十分だった。長い!とお思いの方も
多いのだが、私は十分堪能させていただいた。これぞ、この映画の白眉であった。
とにかく観ていて平和な気分になれるのが一番いいところだ。

毀誉褒貶する作品ではあるが、アメリカミュージカルを代表する傑作であることは間違いない。

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<ストーリー:結末まで書かれています>
パリに住むアメリカ人ジェリー・ミュリガン(ジーン・ケリー)は、気ままな感じ易い青年だ。
パリに留まって一1人前の絵描きになることが宿望だが、絵の勉強は一向に進まない。だが友達は
たくさんできた。米国人のピアニスト、アダム・クック(オスカー・レヴァント)やフランス人の
歌手アンリ・ボウレル(ジョルジュ・ゲタリ)たちである。

ジェリーの絵はさっぱりパリジャンにうけなかったが、モンマルトルで開いた個展を訪れた金持ちの
米国婦人ミロ・ロバーツ(ニナ・フォック)は、彼の才能を認め保証人になってくれた。
どうやらミロは絵よりもジェリーに思し召しがあるようだ。ミロと一緒にキャバレーにいったジェリーは、
愛くるしい清楚なパリ娘リズ(レスリー・キャロン)を見染めて一目惚れ、強引に彼女の電話番号を
聞き出した。あくる日から、ジェリーとリズは逢いびきを重ね、お互いに愛し合う仲となった。

だがリズはアンリと内々に婚約していることをジェリーにかくしていた。リズは戦争中両親を亡くして
からというもの、アンリの献身的な世話を受けてきたので、彼を愛してはいなかったが深く恩義を感じて
婚約したのだった。やがてアンリはアメリカへ演奏旅行に出発することになり、彼はリズに結婚して
一緒に行こうと申し出た。リズはこれを承諾し、ジェリーにすべてを打ち明けた。ジェリーが落胆した
ことはもちろんである。だがミロは却って喜んだ。そのミロを連れて美術学生の舞踏会に出かけた
ジェリーは、そこでリズとアンリに会った。人影ないバルコニーで、ジェリーとリズは最後の別れを
惜しむのだった。アンリは偶然、2人の話を立聞きし、2人が愛し合っていることを知った。
彼は自ら身を引き、ジェリーとリズは晴れて結ばれたのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:95% Audiece Score:79%>





# by jazzyoba0083 | 2018-09-10 22:45 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「光をくれた人 The Light Between Oceans」
2016 アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド DreamWorks,Participant Media,Reliance Entertainment.133min.
監督・脚本:デレク・シアンフランス  原作:M・L・ステッドマン『海を照らす光』(早川書房刊)
出演:マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィカンダー、レイチェル・ワイズ、ブライアン・ブラウン、ジャック・トンプソン他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
全体に丁寧に作られた作品。原作があるので脚色しづらかったのだろうけど、いささか強引というかご都合主義的な
展開もあり、せっかくの良い物語が画竜点睛を欠いた形となり、残念だった。またローキーな映像やオーストラリアの
海や島の自然なども含め、撮影監督の手腕が生きた綺麗な画作りではあった。

この物語に横溢するのは「光」。開巻の年代は1918年。そもそも、第一次大戦の欧州西部戦線で4年間も過酷で
衝撃的な時間を過ごし帰国、自分を失ってしまった主人公トム・シェアボーン(ファスベンダー)が臨時職員と採用
されるのが、人と接しないで暮らせる孤島の灯台というのがまず持って象徴的。そしてトムの心を再生させ「光」を
もたらすイザベル(ヴィカンダー)も、トムにとって「光」。
更に熱愛の末、結婚し、孤島の灯台に正式採用され赴任するトムとイザベルだったが、二度に渡る流産で、打ち
ひしがれていたことろに流れ着くボート。そこに奇跡的に生きていた女の赤ちゃんも、イザベルにとっての「光」。

こうして、物語の中で「光」をメタファーにした構成が展開されていく。その語りは多分に原作に基づいた文学的な
描写となり、(光には影が付きものだったり)キリスト教的「赦し」の主張へと収斂していく。
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流れ着いたボートに乗っていた男性は既に死亡、赤ちゃんは元気だった。すぐに本土に連絡して、赤ちゃんを本来の
お母さんに戻そう、とする正直者のトムに対し、妻イザベルはこの赤ちゃんは天が私たちに下さった宝物。自分は
二度目の流産をする前には妊娠していたわけだから、トム夫妻に赤ちゃんがいることはなんら不思議ではない、
だから、お願い、手元に置かせて、と懇願してくる。悩みに悩んだトムだったが、二度の流産を経て精神的にも
参っているイザベルの主張についに折れ、自分たちの手元で育てることにし、死亡した男性は島に丁寧に埋葬した。

本土に戻り、ルーシーと名付けた娘の洗礼式に臨む。そこの教会の墓地で、トムは、ドイツ人の男性と幼い娘が
2年前にボートで海に出かけ行方不明になった旨記載された墓を見つける。(この辺りも、偶然が過ぎる感じ)
トムは衝撃を受け、やはり娘は本来の赤ちゃんに返すべきと考え、匿名で、本来の母の女性に「娘さんは元気。
ご主人は安らかに神の身元に」という手紙を出し、赤ちゃんが持っていた、特徴のある小さいガラガラのような
玩具もポストにいれておく。本来の母ハナ(レイチェル・ワイズ)は地元の名士の娘。警察に届け出て捜査が
始まる。そして玩具の写真が新聞に掲載され、ハナの両親からは情報提供者には2000ギニーの賞金が提供される
旨が謳われていた。洗礼式でトム夫妻が同じ玩具を持っていたことを覚えていたトムの知人(あまり良いやつでは
ない)は張り出されたその記事をまじまじと見つめていた。

結局、トムは全部自分の罪として被り、逮捕投獄される。さらにルーシーを(4歳になっていた)自分に黙って
本来の母に戻したトムを許さないイザベルは、ボートが漂着した時、男は死んでいたのか、トムが赤ちゃん
欲しさに殺したのかについて、証言をしなかったため、トムはドイツ人殺害容疑でも逮捕された。トムは反論せず
甘んじて罪を受け止めていた。トムはイザベラに獄中から手紙を書くが、彼女は読まない。
一方、本来の母のもとに戻されたルーシーは4歳に成長していたため、ハナには懐かず、イザベラを求め続け、
ハナを困惑させていた。

やがてトムは裁判のために大きな町に移送されることになった。この時期になってイザベルはトムからの手紙を
読んでみた。そこには、自分はイザベルを妻にする資格など無い男だった。イザベルを間違った人生に連れて
来てしまったことを詫びる内容があった。だが、これから100年生きてもイザベルほど愛する人とは巡り遭わない
だろうと、永遠の愛を誓ってもいた。イザベルは「自分を生かすために、本当は自分が反対するトムを押し切って
手元に置いたのに、その罪を、さらに無かった殺人の罪まで問われ、裁判に送られようとしている。」と悟った。
イザベルはトムが移送される船着き場へ走り、トムと抱き合い、黙っていろ、これでいいんだよ、というトムを
押切り、近くにいた警察に、「悪いのは全部自分であって、嘘をついていた。ドイツ人は死んでいた」と告白
したのだ。

だが二人が赤ちゃんを無届けて隠し置いた罪は免れず、二人は獄中の人にならざるを得なかった。そのころ
ルーシーはようやくハナに懐き始めていた。シロツメクサで花冠を作るシーンではルーシーの頭に光の輪が
出てくる。これは、ルーシーがハナの元に帰ってきたことを暗示している。
更にハナは常々夫が言っていた、一度は赦す、という言葉を実践し、トムとイザベルの減刑を警察に嘆願した。
(このあたりの展開もちょっと都合が良すぎた感じ)だが、二人がルーシーと合えることは出来なくなった。

そして1950年。一台のクルマがある家にやってきた。既にイザベルはこの世になく、トムだけが暮らす家で
あった。現れたのは母親になったルーシー・グレース(二人の親から付けられた名前を合わせた名前)で
あった。何十年ぶりで会う、あのルーシーであった。彼女はトムにクリストファーという男の赤ちゃんを見せる。
彼女はトムに育ててもらったことを感謝している、と告げる。トムはイザベルが生きていたら、孫の
顔を喜んでみただろうと感慨深く語った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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映画の前半と後半の物語としての重さのバランスがやや良くなかった。冒頭に書いたように、肝心なところでの
「都合の良い展開」が目についた。配役の演技や、映像は良いと感じた。
後日談としてファスベンダーとヴィカンダーはこの映画をキッカケとしてホントの夫婦になってしまった。
良い映画だけど、今一歩と言う感じ。それにしてもオーストラリアも英連邦として第一次大戦に参戦し、多数の
犠牲者を出したのだな、といことを改めて感じた映画だった。

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:60% Audience Score:61% >



# by jazzyoba0083 | 2018-09-08 23:00 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ジェイソン・ボーン Jason Bourne」(再見)
2016 アメリカ The Kennedy/Marshall Company and more. 124min.
監督・(共同)脚本:ポール・グリーングラス
出演:マット・デイモン、ジュリア・スタイルズ、アリシア・ヴィカンダー、ヴァンサン・カッセル、トミー・リー・ジョーンズ他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
実は、公開されたときにシネコンに見に行って、それなりの評価を下しているが、このシリーズは好きで、
ずっと観ているということもあり、どのくらい面白かったんだっけ、という確認の気分もありWOWOWで
放映されたのをきっかけにして録画して鑑賞してみた。


以下は初見の時の感想だ。

「007」や「M:I」シリーズまたはアメコミのシリーズなどでもいいのだが、続編が続いたり
シリーズ化されると、過去のストーリーが重なってくるので、ストーリーが重層化されてきて、
観ている方としては分かりづらい、というのがこのところの正直な気持ち。ハリウッドもそれが
分かったのか、最近のシリーズ物はストーリーを単純にして分かりやすくする傾向にあると
感じている。

本作はそもそも、ラドラムの小説を映画したものが最初で、次にラドラムのボーンシリーズの
別物を原作としていたのだが、途中で、ラドラムが関係ないスピンオフ(ジェレミー・レナー主演
「ボーン・レガシー」などが作られ、さらに話が見えづらくなっていた所、本作は、この
シリーズの根本の作戦である「トレッドストーン作戦」の顛末の構図を分かりやすく描いていた
ので、私としては二度目の鑑賞で更に良くわかった
第1作でなぜジェイソン・ボーンが記憶を亡くしていたのか、彼は誰なのか、何をミッションとして
いるのか、が謎のままだったけど原作を受けて面白く出来上ていた。本作はそれの総まとめ、とも
言うべき謎明かしの映画でもあった。

故にやや説明的になり、話の綾とか、アクションの駆け引きの面白さからするとわかり易さに
重きを置いたためか、過去のシリーズと比して、単純だったかな、という感じはするだろう。
だだハリウッドのカーチェイスとかの見せ場はあったし、ヴァンサン・カッセルとの因縁の
闘いも見どころだった。だが、やはりちょっと背景が単純だから、インパクトが弱い感じなんだ
なあ。初見の時感じた、カットの短さは今回は慣れたのか、あまり感じなかった。
前半にやや平板なストーリー展開(分かりやすかったといっておいてなんだが)になった点がマイナス
なのかもしれない。でも面白い映画であることは間違いない。が、初見のブログにも書いたように、
ドレッドストーン作戦とかベイルートでの事件など基本が分かってないと辛いかもしれないのは
間違いない。
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<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:54% Audience Score:56%>


# by jazzyoba0083 | 2018-09-07 23:10 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「アリスのままで Still Alice」
2014 アメリカ Lutzus-Brown,Killer Films and more. 101min.
監督・脚本:リチャード・グラツァー  原作:リサ・ジェノヴァ『静かなアリス』(講談社刊)
出演:ジュリアン・ムーア、アレック・ボールドウィン、クリスティン・スチュワート、ケイト・ボスワース、
   ハンター・パリッシュ、シェーン・マクレー他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
この年のアカデミー賞主演女優賞を獲ったジュリアン・ムーアの佳作。当然、観ている、と勘違いしていた。
本作が製作されたころは、この手のテーマの映画が多くあったから何かと勘違いしていたのかもしれない。
で、自分のブログや、ネットで映画の概要を調べてみたら、観ていないことが判明。この度、NHKBSで放映
してくれたので、鑑賞できた次第。

監督のリチャード・グラツァーは、製作の翌年の3月に、ALSの合併症で亡くなってしまったわけで、
そのことも含め、心に重くのしかかる作品となった。本作は、演出も上々なのだが、やはり、主演の
ジュリアン・ムーアに尽きる、ということに異論はないだろう。

この物語は、主人公が若年性アルツハイマーに冒され、次第に自分が壊れていく様子が描かれる訳だが、
それが分かっているだけに、観ていて辛いものがある。更に、50歳の誕生日、家族に囲まれて祝われる
主人公アリスの表情がまだまだ輝いているだけに、次第にその顔から表情が消え、艶が無くなり、目から
光が失せていく。そのジュリアン・ムーアの時間を追った変化は、見事なのだが、見事すぎて痛々しく
辛く、この映画の趣旨を十二分に観客に伝えることが出来たと感じた。

もちろん、主人公アリスだけではなく、夫(ボールドウィン)や、3人の大きな子どもたちの、次第に
壊れていく母を見つめる目、感慨といったものもビシビシと伝わってきて、息が苦しくなるほどだ。
ただ、上映時間を観ても分かるように最近の映画としては短めだ。ここは家族の葛藤、妻が、母が
壊れていく家族の感情をもう少し厚めにしたらどうだっただろう。若年性アルツハイマーは遺伝する、
という事も出てくるのだから。映画全体としては綺麗かつストレート過ぎたかな、という気がしない
でもない。ジュリアン・ムーアの熱演一本道という感じの作品になった。
(狙いだったのかもしれない。主張を絞るために,、あるいは主演を主張として浮き上がらせる
ために)

コロンビア大学教授で言語学分野の権威とも言えるアリス。ある日、講義中に単語が出てこなくなったり、
約束を覚えていなかったり、自分が少しおかしいと気づく。生徒が授業の評価を書くのだが、それを上司が
読み、アリスに、何か合ったのか、問いただす。彼女は、すぐに医者に行くのだが、名医らしく、特に
現状異常はないし、MRIの所見に変化は見られないが、口頭のテストで、若年性アルツハイマーが疑われると
診断する。遺伝子レベルでの精密検査が必要とも。そしてやはり病名確定。
この病は、教育レベルの高い人ほど進行が早いのだという。しかも彼女は言語学の権威なのだ。

そうは言っても病状が急激に進行するわけでもない。だが、自覚がありながら、自分が少しづつ記憶が
無くなっていくことに恐怖する。夫や家族にも打ち明ける。自分なりに病気と折り合いを付ける勇気を
持っている女性なのだ、アリスは。「ガンなら良かった」とは本音としては分かりすぎる。
やがて子どもたちを誰が誰だか間違えるようになる。もちろん教壇に立つことはもう出来ない。
アリスはアルツハイマー病の人たちの集まりで講演をするのだが、それもパソコンを使い書いてプリント
アウトし、それを見ながら同じところを読まないようにマーカーペンでなぞりながらの講演だ。
彼女のスピーチは来ていた家族や聴衆の涙を誘う。自分が自分で無くなっていくことを冷静に見つめ、
自分は、夫や家族や知人にたくさん愛されているという一瞬一瞬を愛おしく生きることを宣言する。
それでいいのだと。やがて自分が何者かわからなくなる日が来るだろう、でも自分は愛され尊敬される
人間だったのだ、という誇りを胸に一秒一秒を生きる、と。

さぞかし怖いことだろう。薬もなくなすがままにしているしかない。やがて自分で何も判断が出来なく
なるときが来るのだろう。その時は悩みすら知覚しない体となっているだろう、彼女はそれを受け入れて
生きる。自分が生きているということの大切さを家族に発信しながら。

ラストシークエンスは、一番心配を掛けた2女が母の面倒を見ると決め二人で暮らし始める所なのだが、
誰が世話をしているのか分からないのだろう。だが、アリスはアリスだ。表情の無いその顔からは何も
汲み取ることは出来ないが、発症知覚からここまで、アリスは実に「アリスのままで」(still Alice)
生きて来た。映画を観ている人はそれに気がついた時、彼女の人生は不幸だった、可愛そうだ、と同情は
出来ないはずだ。ここまでやってきたアリスに心の中で涙ながらに拍手を送るべきなのではないだろうか。
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<ストーリー>
若年性アルツハイマーと診断された50歳の言語学者の苦悩や葛藤、家族との絆を描いたベストセラー小説を
ジュリアン・ムーア主演で映画化した人間ドラマ。妻を必死に支えようとする夫をアレック・ボールドウィンが
演じる。
監督はウォッシュ・ウエストモアランドとALS(筋委縮性側索硬化症)と戦いながら撮影に挑んだリチャード・
グラッツァー。

ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をふるう50歳の言語学者アリス(ジュリアン・ムーア)は、キャリアを
積み学生たちから慕われる一方、家族にも恵まれ、まさに円熟期を迎えていた。
しかし物忘れが顕著に現れるようになったため受診したところ、若年性アルツハイマー病だと診断される。
日々記憶が失われる中、アリスは懸命に自分の運命と戦っていく。(Movie Walker)

<IMDB=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:87% Audience Score:85% >



# by jazzyoba0083 | 2018-09-06 22:55 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

海よりもまだ深く

●「海よりもまだ深く」
2016 日本 フジテレビジョン、バンダイビジュアル、AOI Pro、ギャガ 117分
監督・原案・脚本・編集:是枝裕和
出演:阿部寛、真木よう子、小林聡美、リリー・フランキー、池松壮亮、吉澤太陽、小澤征悦、高橋和也、
   橋爪功、樹木希林他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
是枝監督作品鑑賞シリーズ、第5作目。是枝組の俳優さんたち、固定している人が多数いるので、
(黒澤、小津などなどもそうなんではあるけど)、続けてみて後から感想を書こうと思うと、誰がなんの
役だったかな、と分からなくなることがある。連続もよし悪しだな、といささか反省。
本作、「キネ旬」2016年度ベストテン11位。「映画芸術」ベストもワーストも10位内にはランクされず。

コミカル度が強いほうに属する作品であるが、描いている世界は毎度の是枝ワールドだな、と分かるように
なってきた。描かれる世界は毎回異なれど、監督の主張の根っこというものは変わらないんだなあと。

本作の主人公良多(阿部寛)は15年前に文学賞を獲ったものの、その後は鳴かず飛ばずで、妻響子
(真木よう子)とは離婚し一人息子真悟(吉澤太陽)とはひと月に1回会えるという生活。
で、執筆のリサーチと称して探偵事務所(所長リリー・フランキー、後輩池松壮亮)で、素行調査など
しつつ調査費をちょろまかしては競輪に精を出すという、自堕落な生活を送っている。団地に一人暮らしの
母淑子(樹木希林)の年金や貯金に手を出すというダメ男に成り下がっている。淑子の夫、良多の父は
最近亡くなったらしい。

真悟から響子が新しい男(小澤征悦)と付き合ってることを聞き、響子とその男が真悟の野球の試合を
応援している様子を探偵さながらに望遠鏡で覗いたりして未練はたらたら。気が気ではない。

そんな折、月イチ面会の日に台風が来て、響子と真悟が良多のいた淑子の団地に泊まっていくことに
なったのだ・・・。

いつもどおり、物語はいつ始まるのか?と思わせるようなスネークインのストーリー。冒頭は団地の部屋
での淑子の娘千奈津(小林聡美)と淑子との会話。千奈津は淑子の宛名書きバイトの手伝いをしている。
どこにもあるような、スキあらば母親が作るおかずを持って帰るような嫁に行った娘との会話だ。
殆どコントのような会話だ。そこからもう是枝ワールドは始まっている。
良多も淑子の年金や遺産を狙ってタンスをかきますようなことをしている。

是枝監督は「海街Diary」の春編と夏編の間に、本作を撮ったのだそうだが、キャストがまた上手く空いて
いたものだ。まあキャストはみんな是枝組なので、一旦走り出せば「あ・うん」の呼吸でプロダクションは
早いのだろう。団地で暮らしていた父母、父が死んで母が一人暮らしになったと、というのは監督の実体験だ
そうだ。

監督はインタビューにこう答えている・・・
「『海街diary』が終わったらもう一度、小さな話に戻してみようかな。自分の原点というかさ、立ち位置を
確認してみようかってね。いずれ社会派の大きなもの(恐らく「三度目の殺人」=筆者補記)をやってみたいと
思っているんだけど、このまま大きなものへストレートに行くよりは、今一度ここへ立ち帰っていくのは必要な
作業だなと思ったんです。そう思って書き始めたら、第1稿が思いのほか早く書けちゃった。書けちゃったら、
撮りたくなっちゃった。それで、プロデューサーに見せたら、『これならすぐに撮れるかもしれませんね』って。
阿部さんのスケジュールも確認取れたので、2班同時に走らせるのは勇気がいったんだけど、『海街』も本格化
していなかったから『これなら出来そうだな』と判断しました」。(映画.COMより転載 太字筆者)

監督がまず書いたのは「みんながなりたい大人になれるわけではない」という一言。
この映画に登場する人物は「なんでこんなことになっちゃったのか」という立場で、セリフもそのもの
ズバリを吐くシーンも有る。良多が雇われる素行調査をされるマダムも「私の人生、どこでどうまちがっちゃっ
たのかねえ」と長嘆息してみせて、一方で夫の浮気が分かると「これも含めて私の人生よ」と、さっさと去って
いく。
こうした、何気ないセリフの中に、観ている人に鋭く刺さる言葉が出てくる是枝ワールドはここでも健在だ。
樹木希林の「なんで男って今を愛せないのかねえ」「海より深く人を好きになったことなんてないから生きて
いける」などという、ちょっと作品的には「度の強い」セリフも、すっぽりとハマってしまうのだ。

それと是枝シリーズの要である、「家族」の肖像がしっかりと描かれていく。登場人物たちは家族の絆を
確認しつつも、それぞれの道に「なんでこうなっちゃったのかなあ」と言いながら前を向いていく。
そこには「希望と諦観がないまぜになった、人間を見る易しい是枝監督の目線を感じる」のだ。
「神は細部に宿る」っていうやつも当てはまるな。セリフや何気ない仕草の中に、ってことなんだけど。

印象的なのはタッパの高い阿部寛の居る映像が、駅のそばの立ち食いそば屋、バスの中、狭い団地の部屋
とか風呂場とか、公園のタコすべり台のトンネルの中とか、窮屈なシーンを選んでいるところだ。
まったく冴えない男の狭い世界を狭い映像世界で増幅させてみせる。

また宝くじが台風の風に舞ってしまい、良多と響子と真悟が嵐の中を集めるも、10枚が集まらない。
それを良多は真悟に「やるよ」と差し出す。全部揃っていない当たるか当たらないか分からない
宝くじに、良多一家の今が暗喩されていたような気がした。

是枝作品にしては、割と説明的なセリフの多い作品であったし、観念的な展開の表現の先に何があるのか、
今ひとつ釈然としないところはあった。
しかし、ここを経て監督は「三度目の殺人」「万引き家族」へと、宣言どおり進んでいき、ついにカンヌ
でパルムドールを獲る事になるわけだ。「(本作のような作品は)今回でやり切った感はあるんだよね。
しばらく、こういうホームドラマは離れようかな。もう出てこないよ」(映画.COM)と語っているから
是枝作品、次作はフランスが舞台でカトリーヌ・ドヌーブが出るそうだけど、社会派なのだろう。
本作や「海街」を確固たるジャンピングボードにして、パルムドールへと到達したのだろう。
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<ストーリー>
「そして父になる」「海街diary」の是枝裕和監督が、夢ばかり追い続けて妻子にも愛想を尽かされた甲斐性
なしのダメ男を主人公に贈るコメディ・ドラマ。冴えない人生を送る男が、ひょんなことから年老いた母の家で、
別れた妻子と一晩を過ごす中で織りなすほろ苦くも心沁み入る人間模様をユーモラスなタッチで綴る。
主演は「歩いても 歩いても」「奇跡」「ゴーイング マイ ホーム」に続いて4度目の是枝作品出演となる
阿部寛。共演に真木よう子、小林聡美、樹木希林。

 自称作家の中年男、篠田良多。15年前に新人賞を受賞したものの、その後は鳴かず飛ばず。ギャンブル
好きで、今は“小説のための取材”と称して探偵事務所で働く日々。当然のように妻の響子には愛想を尽か
され、一人息子の真悟を連れて家を出て行かれてしまった。
その真悟との月に1度の面会が何よりの楽しみでありながら、肝心の養育費はまともに払えず、おまけに
響子にも未練タラタラで、彼女に恋人ができたと知り、本気で落ち込んでしまう始末。
そんな甲斐性なしの良多にとって頼みの綱といえるのが母の淑子。夫に先立たれ、団地で気楽なひとり
暮らしをしている彼女の懐を秘かに当てにしていた。
そんなある日、真悟との面会の日を淑子の家で過ごす良多。やがて真悟を迎えに響子もやって来るが、
折からの台風で3人とも足止めを食らう。こうして図らずも一つ屋根の下で、一晩を過ごすハメになる
“元家族”だったが…。(allcinema)

<IMDb=7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:96% Audience Score:80% >
<KINENOTE=一般評価=78.0点>



# by jazzyoba0083 | 2018-09-04 22:30 | 邦画・新作 | Trackback | Comments(0)

奇跡 (是枝裕和2011版)

●「奇跡」(是枝裕和2011版)
2011 日本 白組、ギャガ、「奇跡製作委員会」 128分
監督・原案・脚本・編集:是枝裕和
出演:前田航基、前田旺志郎、大塚寧々、橋爪功、樹木希林、阿部寛、長澤まさみ、中村ゆり、りりィ、原田芳雄
   オダギリ・ジョー、夏川結衣、他。
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
是枝裕和作品鑑賞シリーズ、第4作目。製作順に見ていなので、比較的時代を遡る(今から7年前)
作品に、「三度目の殺人」や「万引き家族」を作った監督のイメージを重ねることがやや難しい部分も
あるというのが正直なところ。この年の「キネ旬年間ベスト」では24位、「映画芸術」では、ベストにも
ワーストにも入らず。評論家の先生方には、引っかからなかった作品ということだな。
だが、是枝家督の表現しようとしている根本はなんら変わっていない。(題材や表現方法は変化しているが)
それは「家族」であり「人への想い」だ。

本作の主役は子供。そしてそれを囲む大人たちの想いが重なり恐らくは見る人の殆どは大人だと思うけど、
相乗効果を生み出している。主役の大阪弁子供漫才、「まえだまえだ」の起用を好ましく思わない人も
いただろう。確かにクセのあるキャラクターだ。特に弟は。だが、幸いにして私は「まえだまえだ」を
詳しくは知らなかったので、バイアスなしで観ることができた。弟は確かにクサさが出ていて気になる所は
あるが。

さて、今回は父母の離婚で、離れ離れになった兄弟が、九州新幹線の一番列車の上下がすれ違う時、奇跡が
起きるという噂を聞き、マジで友人を巻き込み、これに挑戦する、というのがメインストーリー。
兄、航一は鹿児島の母(大塚寧々)の実家(営業を止めた菓子屋)に暮らす。祖父は橋爪功、祖母は樹木希林。
一方、博多でインディーズレベル程度のミュージシャンで食うや食わずの生活をしている父(オダギリ・ジョー)
と暮らす、お調子者の弟、龍之介。

航一は桜島の火山灰を「意味わからんわ!」と嘆きつつ、鹿児島の暮らしに今ひとつ慣れない。彼は奇跡の噂を
クラスメートから聞きつけ、「大阪で暮らしていたように家族四人がみんなで暮らせる」奇跡を夢見る。
一方、博多で暮らす弟龍之介は結構あっけらかんとしていて、けっこう女の子の友達が多かったりする。
時々電話でやりとりする兄弟だが、最初のウチ、弟は、また家族で暮らそうという兄の誘いに乗り気ではなかった。
しかし、それはあまり深く考えない龍之介、女の子3人に「奇跡がおこるんやて」と誘い込み、一番列車がすれ
違う、熊本は宇土あたりにでかけることにしたのだ。

本作においての子どもたちの落とし所は、すれ違う新幹線に願いをしたのではあるが、兄は結局、「家族が
再び一緒に暮らせますように」というものでは無かった。「世界を選んだわ」と弟に言う。ここにある。
これは以前、福岡の父と電話で話した際、一緒に暮らしたい、という航一に、父オダギリ・ジョーが「おまえ
にはさ、もっと、好きなことをやって欲しいな。音楽とか、世界とか」と云われていたことがあったからだ。
その時は「世界、って意味わからんわ!」と言っていた航一であったが、弟や旧友らと旅したことで、
(おじいちゃんが新しいカルカンに挑戦しようとしたことも含め)親子4人の、また人それぞれの向かう
世界を理解し始めたのだ、つまりひとつ成長した、という証左であったのだ。
それは、弟龍之介と一緒に熊本へ来た級友恵美(内田伽羅=本木雅弘の長女=樹木希林の孫)が上京し
女優を目指すという意志を固める宣言にも表現される。

子供ながら、周囲の大人や友人を見つつ、(兄の場合、カルカンを復活させようと努力はする祖父の姿であり、
スーパーのレジ打ちはいまさら嫌だな、といいつつレジを打つ母であり、フラダンスに精を出す祖母の
姿であり、愛犬の蘇生を願うも奇跡は起きなかった級友の存在であり、バンドをやりながらも夢は追っている
父の姿であり、福岡で級友と楽しくやっている弟の存在であったわけだが)、世間、社会、自分の生きる世界
とはどういうものなのか、それまでは「意味わからんわ」と言ってたのが、1つ階段を上がったということだ。
それは、ラストシーンで、あれだけ火山灰を嫌っていた航一が、「今日は積もらんな」と風向きから判断して
いる光景に端的に映像化され表現されている。

子供が主役の映画ではあるが、実は、レジ打ちの母、売れないミュージシャンの父、カルカン製造を一旦
止めたものの、一念発起して、もう一度作ってみようと挑戦した祖父、フラダンスの祖母、そして友人との
旅行、万事休すの場面で恵美が「おばあちゃんち」と警官を騙してお世話になった、高橋長英とりりィの
夫婦の存在というように大人たちの(大人たちへの)想いが、強く影響しているという姿を描き出している。
だから本作は子供が主役ながら、描かれている主張は、大人の感性に強く訴えるものとなった仕上がりなのだ。

さりながら、子供独特の世界観、たとえば図書担当の先生(長澤まさみ)の自転車のベルをガジェットに
した級友の、先生に対する淡い想い、それは保健の先生(中村ゆり)の存在でも言えること、だったり、
ドキュメンタリーディレクター出身の監督らしく、敢えてジャンプカットを使った子どもたちのインタビュー
映像、兄弟と級友らで繰り広げる冒険譚には、きちんと子供からの視点が描かれているところも是枝監督らしい
丁寧さ、表現のこだわりであると感じた。もう少し冗漫なシーンをカットしてあと10分ほど短くしたら
もっと締まったのではないか。「人への優しい視線」をたっぷり味わった映画であった。

しかし、たった7年前の映画ですら、原田芳雄とりりィは鬼籍に入ってしまった。時間は残酷だ。
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<ストーリー>
「誰も知らない」「歩いても 歩いても」の是枝裕和監督が小学生兄弟漫才コンビとしてお茶の間でも
人気の“まえだまえだ”を主役に大抜擢し、2011年3月に全線開業した九州新幹線をモチーフに紡ぐ感動の
家族ドラマ。両親の離婚で離れて暮らす兄弟を中心に、願いが叶うと噂される“九州新幹線の一番列車が
すれ違う瞬間”を目撃しようと、様々な思いを胸に奮闘する子どもたちの大冒険の行方を瑞々しいタッチで綴る。

 小学6年生の航一と小学4年生の龍之介は仲の良い兄弟。しかし両親が離婚してしまい、それぞれの親に
引き取られた2人は鹿児島と福岡で離ればなれに暮らしていた。
ある日、九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間を目撃すれば願いが叶うという噂を耳にした航一。再び家族
4人の絆を取り戻したいと願う彼は、龍之介と連絡を取り、一緒にすれ違う現場に行こうと約束する。
こうして兄弟は、それぞれの友だちや周囲の大人たちを巻き込みながら、奇跡を起こすための無謀な計画を
進めていくのだが…。(allcimena)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: 93%  Audience Score:84%>
<KINENOTE=一般投票=72.6点>








# by jazzyoba0083 | 2018-09-03 22:50 | 邦画・新作 | Trackback | Comments(0)