●「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦 Anthropoid」
2016 チェコ・イギリス・フランス LD Entertainment,22h22 and more. 120min.
監督・(共同)製作・脚本:ショーン・エリス
出演:キリアン・マーフィー、ジェイミー・ドーナン、シャルロット・ル・ボン、アンナ・ガイスレロヴァー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
WOWOWの終戦記念企画、2本めの鑑賞。この事件は割と有名でご存知のかたも多いと思うし、プラハに
行いった折、最期の闘いになった教会に立ち寄った人もおられるのでは無いか。映画化も既に本作を入れて4回目と
なる。折に触れて、こうした歴史上で忘れてはいけない事件を映画化することはとても意味があることだと思う。
日本でも「日本のいちばん長い日」などが何度か作られるのも私は意義深いと思う。ただ、往年の帝国軍のカッコ
良さだけが浮き上がって来てしまうようなものは排除しなくてはならないが。

邦題に使われているハイドリヒとは、ドイツがチェコスロバキアを、チェコとスロバキアに分割し、ナチス
ドイツがチェコ(ベーメン・メーレン保護領)を管轄させたドイツ軍の最高司令官でナチスのナンバースリーとも
いわれ、その容赦ない弾圧の手法から「金髪の野獣」「絞首刑人」などと云われ市民から恐れられていたラインハルト・
フリードリヒ親衛隊大将のことである。彼はユダヤ人ホロコーストを最先鋭的な考えで指導した人物としても
重要である。

歴史的にはナチスの横暴を許した1938年の英仏独伊のミュンヘン会議(結果的にナチスにチェコの割譲を許して
しまう)の結果とか、チェコにはドイツ系の市民が多かったとか、軍事を支える重要な工業地帯であったこと
などの背景がある。それとフリードリヒはナチスに抵抗するインテリ階級には容赦ない即決裁判と射殺で応じる
一方、労働者階級には労働保険を認めるなど融和策もとってアメとムチを使い分けていた。彼は「市民に愛される
総督」を振る舞うため、移動も単独のオープンカーですることが多く、ヒトラーはこれに対し、しばしば苦情を
伝えたが、ハインリヒは言うことをきかず、結果的にこれが彼の命取りになった。

さて、本題。欧州をヒトラーに蹂躙されてしまった1941年、大英帝国とチェコのロンドン亡命政府は、7人の
若者をチェコスロバキア人を選び、パラシュートで侵入させ、ハイドリヒを暗殺するという「anthropoid」
(類人猿作戦)というコード名の作戦を決行した。最期の二名が夜間、チェコに降下してくるところから本作の
物語は始まる。彼らは、地元の抵抗勢力の協力を得て、プラハに入り仲間と合流、ハインリヒ暗殺の計画を
練り始める。

この作戦は相当無茶苦茶で、暗殺のタイミングややり方、後の自分たちの逃げかたなどは全部7人任せであった。
それとこれは映画の中でも、地元のレジスタンスらが主張するのだが「ハイドリヒ」を殺した後、ナチスが必ず
してくるだろう「予測もつかない報復」のことがあった。まだナチス・ドイツの勢いが衰える前で、その時期に
ナンバー3を暗殺したら、ヒトラーは一体どういう行動にでるのか、その辺りをチャーチルや亡命政府首相は
考えなかったのだろうか。この件に関しては今でも論争があり、映画の中では、これで良かったかどうかに
ついての判断は話題にしていない。

パラシュート部隊はハイドリヒの動きがどのようなものか、どのタイミングでどのような武器で暗殺するのか
地元の協力者たちと情報を収集する。そして、決行の日は来た。クルマの前に立ちはだかった男のマシンガンは
弾が詰まってしまい動かない。敵はハイドリヒと運転手の二人だけだ。仲間が必死で投げた対戦車手榴弾が
ハイドリヒのベンツの下で爆発し、彼は重症を負う。作戦は失敗か、と落胆したものの、数日後、ハイドリヒは
負った傷のため死亡した。そこからは頭に血が登った親衛隊やゲシュタポによる壮絶なスパイ刈りが始まり、
一方で、報復として、2つの村の16歳以上の男が銃殺され、女子供は収容所に送られた。結果的には、
チェコ人5000人から1万人以上が報復のために生命を落としたという。
そしてついに地元の一人が捕まり口を割ってしまう。

最後のクライマックスは、7人のパラシュート部隊の、隠れたプラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の
地下納骨堂を取り囲んだ700人のドイツ軍との壮絶な銃撃戦だ。袋のネズミの彼らは最後の一発を自決のために
とっておき、たった7人で果敢に戦った。しかし所詮多勢に無勢であった。この作戦部隊のメンバーは青酸カリ
のような毒薬を渡されていて、地元の協力者を含め捕まる前に自害するメンバーも多かった。

こうした映画の中には殺伐さを削ぐために男女のことが入ってくることが多いのだが、本作でもそれがある。
あまりにも凄惨な事件だけに、そんな話でもないとやりきれない。パラシュート部隊に協力した一家の最後
(バイオリン弾きの少年アタの一家)などは、正視出来ないほどの残虐性で、ナチの本性としてもかなりきつい
画面であった。

役者さんは存じ上げない方が多いが全体として引き締まっていたと思うし、ナチスの横暴さと、無鉄砲な
作戦に応じた7人の勇気と胆力はよく理解できた。ナチが酷いことは分かっていたが、そもそもの暗殺作戦が
適切であったかどうか、そして実行計画もけっこうずさんなこの作戦に驚きを禁じ得ないのだった。

銃撃戦のあった教会には今でも花束が絶えず、ドイツ軍の重機関銃による弾痕もそのままにされている。
そして地下の納骨堂は当時の形を残し記念室となっている。
先日のハンガリーのユダヤ人といい、チェコスロバキア(この国は既に存在すらしない)の悲劇といい、
さらに言えば、つい最近までいや今も混乱が続いている旧ユーゴスラビア、クリミア半島など、東欧の
悲劇にまで思いを致した映画だった。
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<ストーリー>
ナチス・ナンバー3と言われたハイドリヒ暗殺の史実を基に映画化。1942年。イギリス政府とチェコ
スロバキア亡命政府は、ユダヤ人大量虐殺の実権を握るハイドリヒ暗殺を計画。ヨゼフ、ヤンら7人の
部隊を、パラシュートによってチェコ領内に送り込むのだが……。

第二次世界大戦下の1942年。ナチスがヨーロッパのほぼ全土に占拠地域を広げていくなか、ヒトラーの
後継者と呼ばれ、その冷酷さから“金髪の野獣”と渾名されたナチス第三の実力者であるラインハルト・
ハイドリヒは、ユダヤ人大量虐殺の実権を握っていた。

イギリス政府とチェコスロバキア亡命政府はハイドリヒ暗殺計画を企て、ヨゼフ(キリアン・マーフィ)、
ヤン(ジェイミー・ドーナン)ら7人の兵士による暗殺部隊を、パラシュートによってチェコ領内に送り込む。
二人はプラハの反ナチス組織や家族と接触、暗殺計画を着々と進め、やがてそのミッションは実行される。
だがハイドリヒ襲撃に憤慨したナチスは、常軌を逸する残虐な報復を始めるのだった……。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:65% Audience Score:70% >



# by jazzyoba0083 | 2018-08-18 23:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

カメラを止めるな!

●「カメラを止めるな!」
2018 日本 ENBUゼミナール 96分
監督・脚本・編集:上田慎一郎
出演:濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、秋山ゆずき、細井学、市原洋、山口友和他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
現在(2018年8月)日本の邦画界を席巻しているといっていい作品を、こうした映画はあまり観ない
私だが、まずはともあれ観てみないと論評も出来ないと、シネコンへ出かけた。入りさすがにいい。
こうした形でヒットしてきた作品としては「この世界の片隅に」以来の邦画界の騒ぎ、と言えよう。

なぜにこの映画がかくも大衆の心を掴んだのかを確認する意味もあっでの鑑賞だった。本来私は
ホラーとかオカルトは観ないのだが。しかし、これはホラーという形を借りたコメディなので、怖くは
無い。むしろ後半では客席から笑い声が上がっていた。そしてラストのエンドロールの頃には、なぜ
この映画が客を呼ぶのか分かるような気がした。

まず、低予算を逆手に取った企画の勝利。前半37分のワンカットワンシーンのホラー(らしき)映画の
計算された「大学映研並みの、素人くささと、間の悪さ、出来の悪さ」。そして前半の作品に埋められた
伏線という爆弾が、素晴らしい爆発を魅せる後半の仕掛けの上手さ。これに尽きるのではないか。
殆ど名前を知らない役者が上手いなあ、とも思わせない演技が活きていいる。こんな映画はこれまで
なかったから、評論家を初めとして絶賛されるのだろう。

この映画だけはネタバレは出来ないので、是非映画館に行ってほしいし、その価値はあると思う。
但し、前半37分のワンカットワンシーンの「出来の悪い」オカルトには敢えて辛抱してもらわないと
いけない。そのカタルシスは後半にどっと来るのだから、我慢のし甲斐はあると断言できる。
そして映画好きの映画愛が画面に溢れるのだ。

こうした映画は絶対好きだろうなあ、と思っていた町山智浩氏も、やはり大絶賛。年末に「キネ旬」や
「映画芸術」「映画秘宝」がどういうランキングにしてくるかが見ものだ。「秘宝」は絶対に上位だろう
なあww。

本作はENBUゼミナールという演出家・俳優養成スクールの7作目の作品で、監督の上田慎一郎氏は、舞台で
同様の仕掛けを観て着想し、12人の役者をオーディションなどで招集、俳優からも資金を集めて(250万から
300万)製作。セリフは役者が決まってからの当て書きの部分が多く、前半37分のワンカットもシナリオと
トラブルがないまぜになったできとなっているという。で上田監督は大のホラーファンで、ホラーには映画の
いろんな要素がはいっているでしょ?とのたまっている。その愛や、良し!やりすぎのホラーはお笑いになる
ということをよく知っている人だ。低予算映画あるある、俳優&事務所あるあるも、くすぐったい。

当てた上田監督には大手から大金を注ぎ込んだ作品のオファーが来るだろう。でも絶対にこのいい意味で
チープでアイデアと映画愛に溢れた作品を忘れてほしくない。

だんだん中身が漏れてくる時期になるが、あえてネタバレはしない。それほどこの映画はアイデアがキモ
なのだ。96分、あっという間。
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<ストーリー>
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018ゆうばりファンタランド大賞を受賞したサバイバル・コメディ。
山奥の廃墟に来た自主映画クルーはゾンビ映画の撮影を開始。やがて本物のゾンビが現れクルーを襲撃しても、
監督は嬉々として撮影を続行するが……。
ワンシーン・ワンカットで描かれる思わぬ事態に直面する撮影隊の様子と、その裏側をコミカルに描写。
監督・俳優養成スクールENBUゼミナール主催のシネマプロジェクト第7弾として制作された。
監督はオムニバス映画「4/猫 ねこぶんのよん」内の1編「猫まんま」を手がけた上田慎一郎。
劇中内の作品「ワン カット オブ ザ デッド」は、ゆうばり叛逆映画祭2018特殊効果賞、優秀作品賞を受賞した。

ゾンビ映画撮影のため、山奥にある廃墟にやってきた自主映画のクルーたち。監督は本物を求めてなかなかOKを
出さず、ついに42テイクに至る。と、本物のゾンビが現れ撮影隊に襲いかかった。次々とクルーの面々はゾンビ化
していくが、監督は撮影を中止するどころか嬉々として撮影を続行。
37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイブムービーを撮った彼らとは……。
(Movie Walker)





# by jazzyoba0083 | 2018-08-17 13:20 | 洋画=か行 | Trackback(1) | Comments(0)

●「ウォーキング・ウィズ・エネミー/ナチスになりすました男 Walking with the Enemy」
2018 アメリカ・カナダ・ルーマニア・ハンガリー Liberty Studios  113min.
監督・原案・(共同)製作:マーク・シュミット
出演:ジョナス・アームストロング、ハンナ・トイントン、ベン・キングスレー、サイモン・ダットン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆-α>
<感想>
NHKは8月15日に「ノモンハン事件」についての特集を組んだ。民放はTBSがニュース23で筑紫哲也の時代
から継続している綾瀬はるかによる「戦争を聞く」シリーズを放送している。他はどうだ。戦争を知らない
世代が殆どとなった日本で、メディアの役割は大きいのだが、悲しいかな、日本のテレビメディアに、戦争の
悲惨さや愚かさの継承を期待するのは虚しくなっている。
こうした折、WOWOWが毎年終戦記念日前後に洋邦取り混ぜながら、先の戦争にまつわる映画を連続上映する
意味は大きい。

本作もその一連のひとつであり、実話に基づいた話である興味も手伝って、鑑賞した。ハンガリーが舞台の
大戦ものを見るのは恐らく初めてで、一つ勉強をさせてもらった思いだ。こうした事実を知るということは、
映画が面白いかそうでないかはひとまず置いておいて、とても貴重な、特に遠く離れた日本人にとって貴重な
追体験となる。(物語がちょっと松原千畝に似ている点があることも共感できるのではないか)
話は少しそれるがドレスデンが英国空軍による必要以上な空爆で破壊された事実も、映画で知った。日本も
アメリカによる東京空襲や、終戦間近の無差別じゅうたん爆撃のことなどを映画にして世界に知らしめれば
いいのにと強く思う。

ハンガリーはナチスドイツの圧力のもと、第二次世界大戦時には枢軸国側にあった。またナチスのシンパ、
別働隊たる「矢十字党」という国内のファシストたちも存在した。ハンガリーの悲劇はアイヒマンが
ハンガリーに駐在し徹底的なユダヤ人狩りを指揮したため、アウシュビッツでの犠牲者はハンガリー系
ユダヤ人が一番多かったという事実。そうした歴史的事実の中で、多数の同胞ユダヤ人を地下や教会に匿い、
スイス領事館の協力を得て、ユダヤ人にスイスの保護下にある証明書を乱発し、さらに殺したナチス将校の
衣装を着てナチスになりすまし、連行されるユダヤ人を決死で救い出す男がいた。彼は映画ではエレクと
名付けられているが、ピンチャス・ローゼンバウムという実在の人物と彼の仲間たちであった。

その行動は大胆というより無謀。ナチの将校たちのパーティーに潜入、すると談笑するうちに上官の名前を
聞かれたりするわけだ。当然のことながら。ウソも次第に通じなくなってくる。その辺りの緊張感はなかなか
良かった。(すれすれの緊張感が演出されるとさらに映画としては確固たるものになったと思うのだが)
話としてはスイスとのからみ、枢軸国ながら戦火を免れていたハンガリーが連合国側特にソ連に通じようと
する動きがバレてドイツ軍の国内侵攻を許してしまう事態、首相親子を中心としてなんとか枢軸国から
抜けようとする動きなども興味深く観ることが出来た。
またハンガリー人ながらドイツに同調するファシスト「矢十字党」の動きも良くわかった。

ナチスドイツが劣勢になりソ連赤軍がハンガリーにもやってくると、ナチ親衛隊に化けたエレクたちは
ソ連軍に狙われるという事態になるわけだ。そんな中でも彼らは同胞を救うことを止めない。
そして悲劇的な最期が待ち受ける。エレクの最期がなんともやりきれないのだが、その辺りの演出、もう少し
丁寧に出来なかったかなあ。

事実がどう脚色されているか知る由もないが、全体の事実は非常に重く受け止めた。だが、作劇としてはどうも
薄っぺらいと云うか、ベン・キングズレー以外の芝居が平坦(悪くいうと下手)なので、インパクトが今ひとつ
なのだ。そこが残念だった。こまかい戦闘描写など丁寧に描いてはいたが、せっかくの素材がもったいないことを
したなあという感じ。それと主人公たちは英語で話していたがハンガリーの庶民が英語で話すわけはないので、
その辺りもアレレ??という感じだった。
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<ストーリー>
1944年。ドイツと同盟を結んでいるハンガリーは戦禍を免れていたものの、戦況は連合国側に傾き、国民を
守るためハンガリーの執政ホルティ(ベン・キングズレー)は連合国との講和を模索する。しかしその動きを
察知したドイツはブダペストに侵攻、アイヒマンの指揮の下、ユダヤ人一掃作戦を開始した。

ナチスの思惑を読んだ青年エレク(ジョナス・アームストロング)は収監されていた労働収容所から抜け出し、
ナチスに移動させられ散り散りになった家族や仲間の捜索を決意。愛するハンナも彼に協力。ナチス将校の制服を
入手したエレクはナチスになりすまし、ドイツ軍の活動を阻止するためある一手に出る。(Movie Walker)

<IMDb=★6.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:46% Audience Score:59%>



# by jazzyoba0083 | 2018-08-14 22:40 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

エヴァの匂い Eva

●「エヴァの匂い Eva」
1962 フランス Paris Film Productions,Interopa Film. 117min.
監督:ジョセフ・ロージー 音楽:ミシェル・ルグラン 衣装:ピエール・カルダン
出演:ジャンヌ・モロー、スタンリー・ベイカー、ヴィルナ・リージ、リザ・ガストーニ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
WOWOWのフランス映画特集のおかげで、普段は観ないようなフランス映画を観ている。先日のトリュフォーの
「突然炎のごとく」に続きジャンヌ・モロー主演ものを鑑賞。ジャンヌ・モローのフィルモグラフィー的に言えば
「突然~」の翌年の作品である。それにしても、ジャンヌ・モローという女優さんは一流の監督にとって魅力のある
女優だったのだなあ。ルイ・マルを初め、トリュフォー、ロジェ・ヴァディムなどなど。
私個人としては、そう美人でもないし、特に演技が上手いわけでもないし、ジャズ好きとして観た「死刑台のエレベーター」
での存在感以外は琴線に触れる女優ではなかった。「死刑台~」でも「本作」でもそうだが、「雰囲気」を上手く
出せる人なんだな。そういう点が女優として評価の対象になるのなら、優れた女優ということも出来るのかも知れない。

そうした面でこの映画を観てみる。話は難しいものではない。新進気鋭の炭鉱夫出身の作家ティヴィアン(ベイカー)を
手玉に取る「悪女」を演じているのがモローのエヴァである。本作はイギリスの推理小説家の原作があるので、その
テイストを監督なりに演出しているのだろう。後半、実はティヴィアンが書いた小説は実は兄が書いたもの
(というか兄の語ったものを書き上げた)のであり、すべて本人の作、というのはウソであった、というあたりから
やっと話が動き出す感じだ。
映画化もされヒットして富も名声も手に入れたテヴィアンだったが、次作を作れる訳もなく、かなり精神的に追い詰め
られていたという背景がある。そうした中でのエヴァの登場であった。

もう、全編エヴァがティヴィアンを振り回しまくる。それはモローの「悪女」という存在が浮き上がってくるという
より、個人的にはティヴィアンの「ヘタレぶり」が痛々しいくらいに描かれていたという印象。エヴァは男性に束縛され
たくない自由人として、男に寄生するというタイプの女であり、もろに手玉にとってやろうという意志は感じられ
なかった。とにかく「自由人」としての生き方。他人の恋愛や結婚は興味がない。
私が感じたのは、エヴァは「猫」だ。ツンデレの。しかも性格としては冷たく孤高であり人を信用せず、懐かない。
ティヴィアンは許嫁さえほっぽりだして、エヴァを追い、捨てられ、許嫁に自殺され、破滅の道へと進む。

こうした描かれ方を観ていると、一律的にモローを「悪女」を好演した、と言い切ってしまうのはどうなのかな。
本作のモローは「悪女」ではなく、(結果論としてそうであっても)エヴァの生き方を生きていただけのことで。
自分に寄ってきた男を自分のスタイルに取り込んで面白がっているという。エヴァの目的が最終的に金でないことは
口では「金が好き」とはいうが、ティヴィアンが投げつけた金の束や貴金属は受け取っていない。
それより、エヴァの生き方をクローズアップさせていたのはディヴィアンの自信のない男の生きざまだ。その投影と
してエヴァが悪く見えているだけのことではないのか。エヴァがティヴィアンを身勝手を言って振り回していること
は確かだが、美しい許嫁がいるティヴィアンが確固たる愛情をもっていれば、なんてこと無い話。
まあエヴァにそれだけの魅力があったから、そういう事になったわけだが、蠱惑的な行動はさすがであるが、女性と
しての魅力は許嫁のヴィルナ・リージのほうがよっぽど良い女性と思ったけど。リージのほうが若いし。

嘘で固めた自信の無い男が「ちょいと小悪魔的な」女性に心を奪われた、というだけの話だったんじゃないかという
印象を受けて観終えた。エヴァ自身は自分が悪いことをしている「悪女」であるという自覚なんて微塵もなかった
のではないか。「金」と「贅沢」が好きな女であり、男を破滅させてやろうなどという野心は感じない。むしろ
男は自滅していくのだ。それが「悪女」というものだよ、という定義をされる方は私とは意見を異にするということ
だろう。

ジャズ好きとしてはビリー・ホリディの音楽は印象的ではあったが、これは監督とモローがふたりともビリー・
ホリディが大好きだったということに尽きるし、音楽が当時欧州映画でジャズが好まれたという背景があったからで
あり、それほど、なぜ「柳よ泣いておくれ」をエヴァが好むのかは隠れたメタファーかも知れないが、よくわからない
選曲であった。

やはり私には昔のフランス映画は「難しい」。それにしても開巻のベネチアのパーンの映像、ガタガタだったけど
(その他のパーンの映像もスムーズでない)、狙いだったのか、カメラマンが単に下手だったのか。

<ストーリー>
雨にけむるヴェニス。一隻のゴンドラが静かに水の上をすべる。そのゴンドラから過ぎゆく景色を眺めている
ひとりの女。エヴァ(ジャンヌ・モロー)--それがこの女の名前。彼女の住む家はどこともきまっていない。
また夫がいるかどうか誰もしらない。ただわかっているのは、幾人もの男がこの女のために身を滅していったと
いうことだけ。

ティヴィアン・ジョーンズ(スタンリー・ベイカー)もそのひとり。彼は処女作が大当りをとり、一挙に富も
名声も獲得した新進作家だった。そして、あとはフランチェスカ(ヴィルナ・リージ)と結婚するばかり。

ある雨の降る夜だった。ティヴィアンの別荘にずぶぬれになった男と女が迷いこんできた。エヴァと彼女の客
だった。それがティヴィアンとエヴァとの最初の出会いだった。
が、その夜以来、ティヴィアンの脳裡にはエヴァの面影がやきついて離れなかった。ある夜、彼はローマの
ナイト・クラブで黒人の踊りを放心したように眺めているエヴァに会った。その時を契機とし彼はエヴァの
肉体におぼれていった。

ある週末、彼はエヴァをヴェニスへ誘った。が、彼女は拒絶していた。このことからティヴィアンは
フランチェスカとの婚約にふみきった。そのレセプションの席上、エヴァからの電話が鳴った。
「ヴェニスへ行きましょう、今すぐ……」。ティヴィアンはすべてを捨てヴェニスへ走った。酒とエヴァとの
愛欲の日々。そんな関係におぼれたティヴィアンは口走った。小説は自分が書いたのではないことを……。
ティヴィアンはフランチェスカのもとに帰った。二人の結婚式はゴンドラの上で行われた。が、エヴァから
また呪わしい電話がかかってきた。ある夜、エヴァがティヴィアンの別荘へやってきた。そのくせ彼に
指一本ふれさせないエヴァだった。その光景をみたフランチェスカは絶望のあまり自殺した。

二年たった。いまは乞食同然のティヴィアン。が、彼はいまだにエヴァの面影を求めている。今日も
ヴェニスは雨にけむり、ゴンドラが漂っている。(Movie Walker)

<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:64% Audience Score:58% >




# by jazzyoba0083 | 2018-08-12 16:00 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「オーシャンズ8 Ocean's Eight」
2018 アメリカ Warner Bros.Pictures. 110min.
監督・原案・(共同)脚本:ゲイリー・ロス  (共同)製作:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:サンドラ・ブロック、ケイト・ブランシェット、アン・ハサウェイ、ミンディ・カリング、サラ・ポールソン、
   アウクワフィナ、リアーナ、ヘレナ・ボナム=カーター他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
このシリーズは好きで、11からずっと観てきた。毎回豪華スターがずらりと並び、痛快な盗みのテクニックを
披露してくれる楽しさを堪能してきた。「オーシャンズ13」から11年経ち、拵えもガラリと変わり、主人公は
全員女性。監督もソダーバーグから「ハンガー・ゲーム」のゲイリー・ロスに変わった。だが、ソダーバーグが
プロデューサーに入っていることから、全体の雰囲気は前作までのものを残している。華麗で大胆、計算された
盗み。全体におしゃれ。

本作では、昨今のハリウッドの政治的な潮流も製作側の頭にあったのか、主人公チームが全員女性で、男性を
ギャフンと言わせる構造だ。前作までの流れとしてはジョージ・クルーニーが演じていたダニー・オーシャンの
妹デビー(サンドラ・ブロック)が今回も、兄貴並のリーダーシップを取ること。作中、どうやらダニーは
墓の中らしいのだが、実際はどうなのかは分からない。墓石にには死亡年が2018としてあったっけど。
(どうでもいいけど、サンドラ・ブロックってだんだんマイケル・ジャクソン顔になってきたんだけど、大丈夫
かな)

現実の世界ではシリーズで活躍していたバーニー・マックが難病で2008年に急死したため、ソダーバーグは
もう「オーシャンズ」シリーズは作らないと宣言していた。が、今回別形態を取りリブートしたわけだ。

【ネタバレしていきますのでご注意ください】
で、前作のようにメンバーには豪華スターがずらりと並び、盗むものはお金ではなく宝石と、女性主人公方向に
嗜好を振っている。ともかく、盗んだ宝石をバラバラにして売りさばく役まで老婦人たちだから徹底している。
元カレの罠で刑務所にぶちこまれていたダニーの妹デビーが出所した。真面目に地味に暮らします、とか
言っちゃて。その足で早速万引きや窃盗をして身の回りのものを揃え、友人ルー(ケイト・ブランシェット)と
会い、さっそく大仕事の計画を練る。

目標にしたのは、カルチエの持つ1億5000万ドルのダイヤモンドのネックレス。これがNYのメトロポリタン
美術館で開催される世界最大のファッションイベント、「メットガラ」に招待されたハリウッド女優の
ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)が身につけるのだが、これをいだだこうというものだ。

ダニーとルーはさっそく仲間を集める。仲間にはハイテクの専門家も当然必要だし、警戒されずに女優に
近づける人物もいる。一方、盗んだネックレスを3Dプリンターにかけてジルコニアの偽物を作り、当座
ばれないようにするためには宝石を加工する技術を持った人物も必要だ。彼女が本物のネックレスに
飾られているダイヤをバラバラにして、チームの参加者7人で分けるというのが報酬だった。

こうしてチームによる「全世界監視のイベントの中での超高級宝飾の窃盗計画」がスタートしたのだ。
それぞれの役割はしっかりと描かれているのだが、デビーが刑務所にぶちこんだ元カレに復讐をする
ことも加味されたため、事態が若干ややこしくなり、強奪は成功するのだが、元カレも御用となる
筋書きが並行して進むので、その辺りはしっかり筋を追うことが大事になる。

とにかくその華麗で計算された(でもよく考えるとツッコミどころもあるのだけれど)盗みの手口と、
デビーの元カレに対する復讐というカタルシスも加えて、観終わって、ちょっと筋が分かりづらい部分も
あるが、「面白かったね」と席を立つことは出来るだろう。だがちょっと小ぢんまりかなあ
それと、8とあるのに窃盗を始めるのは7人。結局、誰かさんも最初から(結果論ではあるけど)仲間
だった、というオチなんだね。

さらにオーシャンズシリーズの醍醐味であるオールスターキャストも大いに楽しめる。オスカー女優がずらり。
サンドラの気の強さ、ブランシェットの落ち着き、冷静、ヘレナ・ボナム=カーターのとぼけた味わい、
音楽界からはリアーナがハイテクの天才として、警備網やメンバーの連絡を司る。
加えて、アン・ハサウェイである。あまりの完璧さに、アメリカでは逆にアンいじめのハシュタグが出来る
くらいで、その理由が美しすぎる、ボディが完璧すぎる、歌が上手すぎる、目が大きすぎるとかだら、まあ
やっかみだな。完璧な美人も楽ではないということだ。このネットの時代。

女性大活躍のこの作品、肩の力を抜いて楽しみに行ったらいいんじゃないでしょうか。楽しめます。
女優たちのファッションも見ものだし、カメラワークや編集もなかなか凝っている。
この映画の中で一番可愛そうなのは「CARTIER」でしょう。間違いなく。
それにしてもダニー(クルーニー)は本当に死んじゃったのなあ。この続編が出来るとすると、その
あたりの謎も明らかになってきそうだ。
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<ストーリー>
5年の刑期を終え、晴れて刑務所を出所したデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)。
かつて“オーシャンズ”を率いたダニー・オーシャンを兄に持つ、生粋の強盗ファミリーの一員だ。

出所早々、刑務所の中で考え抜いたプランを実行に移すべく、右腕のルー・ミラー(ケイト・ブランシェット)と
共に、個性豊かな犯罪のプロたちに声を掛け、“オーシャンズ”を新結成する。
集まったのは、いずれも一流の才能を持ちながら、冴えない生活を送るハッカーやスリ師、盗品ディーラー、
ファッションデザイナー、宝飾デザイナーといった面々。彼女たちのターゲットは、世界最大のファッションの
祭典“メットガラ”でハリウッド女優ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)が身に着ける1億5000万ドルの宝石。

しかしその前には、網の目のように張り巡らされた防犯カメラに加え、屈強な男たちという世界一厳しい
セキュリティが立ちはだかる。たった1秒の狂いが命取りになる。しかも、この祭典は世界中に生配信される予定と
なっていた。世界中が見守る前で宝石を盗み取るという前代未聞かつ型破りな犯罪。
果たしてその計画は成功するのか……?そして、その裏に隠された更なるデビーの思惑とは……?
(Movie Walker)

<IMDb=★6.4>
<Rotten Tomatoes=Tomotometer:67% Audience Score:47%>




# by jazzyoba0083 | 2018-08-10 11:10 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「ショウ・ボート Show Boat」
1951年 アメリカ Metro-Goldwyn-Mayer 108min.
監督:ジョージ・シドニー 製作:アーサー・フリード 
音楽:リチャード・ロジャーズ、オスカー・ハマースタイン二世
出演:キャスリン・グレイソン、ハワード・キール、エヴァ・ガードナー、ジョー・E・ブラウン、アグネス・ムーアヘッド
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
本作を初めとしてMGMミュージカル全盛時代の映画は、当ブログを開設する以前に観ているため、記事がアップ
されていない。というわけで、最近折にふれて見る機会が多いこの時期のミュージカルについても書き留めて置く
ことにする。

MGMミュージカルを代表するプロデユーサー、アーサー・フリードに、監督ジョージ・シドニーの組み合わせ。
安定の出来である。本作は1927年から500回以上も公演されたブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、これが
3度め。エドナ・ファーバーの原作にリチャード・ロジャーズが曲をつけ、作詞と脚本をオスカー・ハマースタイン
二世が担当した。本作は曲はそのままに、映画用に脚色を加え、コレオグラファーもつけ味わいを出している。

配役はMGMのお馴染みのミュージカルスター、キャスリン・グレイソンとハワード・キールが主役を務めるが、陰で
二人の愛を身を引きつつ見守る美味しい役にエヴァ・ガードナーが配されている。彼女はデビュー以来、なかなか芽が
出ず、苦労していたところ、この配役でブレイクし、後はみなさんご存知の通りの大女優の道を歩むことになる。

「オールマンリバー」を初めとして、歌われる美しかったり楽しかったりしっとりしたりした名曲はさすがに
名手の手になる佳曲ぞろいだ。残念ながらガードナーの歌声は吹き替えである。本人も頑張って自分が歌おうと
練習したのだが、叶わなかった。でもよく映像にマッチした歌声である。

ショウ・ボートとは、ミシシッピ川を行き来し、途中の街街で、船を停めて興行を打つ。時代は19世紀の後半に
設定されている。芸人は船上で生活をと共にしている。そんな芸人たちの愛と恋と家族の話である。船の上の芸人は
家族だという船長は、芸人の父親をもって任じる。彼の存在も暖かく家族を見守る役割として重要である。
色彩はテクニカラーで美しい。

開巻、ショウ・ボートがやってきたぞ、という声で綿摘みの黒人も街の白人もウキウキする様子がすでに楽しい。
「他人の幸せのためには自分は身を引く」ガードナーが美味しい所をもっていくしかけとなっている。
MGMミュージカルの古き良きこころがここにはある。
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<ストーリー>
24年間にわたるヒット・ミュージカル・プレイ「ショウ・ボート」は、エドナ・ファーバーのベスト・セラー
小説に基づいて、ジェローム・カーン=オスカー・ハマースタイン2世のコンビの作によるものだが、
その映画化はこの作品が3度目。
「アニーよ銃をとれ」と同じくアーサー・フリードが製作しジョージ・シドニーが監督したテクニカラー版
1951年度作品。

ミシシッピーの流れを行くショウボート。アンディ船長と継母パーシィ(アグネス・ムーアヘッド)に育てら
れたマグノリアは、美しい娘盛りを迎えていた。彼女と仲良しのジュリーは、ショウボートの主演女優だが、
ハーフ児の身で白人俳優スティーブンと結婚していることが法に触れて、去って行かねばならなかった。
入れ替わりに、粋なバクチ打ちのゲイロードが、スティーブンの後釜として乗り込んで来た。マグノリアは
たちまち彼と恋に落ち、駈け落ちしてシカゴで愛の巣を営んだ。

だが幸福は1年と続かず、ゲイロードはバクチに凝って財産を失い、マグノリアが妊娠していることも知らずに、
姿を隠してしまった。悲しみのマグノリアは、昔ショウボートにいたダンサー・チーム、エリーとフランク
(マージ&ガワー・チャンピオン)の世話で、ナイト・クラブに歌手として職を求めた。偶然そこには、
スティーブンに捨てられ酒浸りになっているジュリーがスターとしていた。ジュリーはマグノリアの不幸な姿を
垣間見て、彼女に職を与えようと、ひそかにそこを立ち去って行った。

やがてマグノリアは父と再会し、ショウボートに帰ってキムという女の子を生んだ。そして5年、ゲイロードは
ある船の中でジュリーと会い、キムのことを知った。彼は矢も楯もたまらずショウボートに帰って行った。
今はすっかり地道に帰ったゲイロードを、マグノリアは心から迎えるのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:89% Audience Score:70% >



# by jazzyoba0083 | 2018-08-09 11:50 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「幸せなひとりぼっち En man som heter Ove」
2015 スゥエーデン Tre Vänner Produktion AB. 116min.
監督・脚本:ハンネス・ホルム  原作:フレドリック・バックマン『幸せなひとりぼっち』(早川書房刊)
出演:ロルフ・ラスゴード、イーダ・エングヴォル、バハール・パルス他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
冒頭の頃は、わけあって意地悪爺さんになった男の再生の話か、と思ったら、さにあらず。
英語のタイトルが「オーヴェと呼ばれた男」となっているように、ある男の一生を描いたものだ。
2時間以内にコンパクトに原作をまとめ上げた監督の手法が光る。しかも、私など主人公と歳がほぼ
一緒なので、言い知れぬ、寂しさと感動が胸にこみ上げてきた。2016年のオスカー外国語映画賞の
ノミニーである。

度を超した頑固さ、時に礼を失しているのではないかとさえ思う意固地さ。映画を観ていると分かって
来るしかけなのだが、生来の性格もある。だが、最近の頑なさには、最愛の理解者であった妻を亡くし、
なおかつ59歳で、43年間勤めてきた会社をクビになるという運命に、苛立っていたのだ。

これ以上生きていて何になろうか、早く妻のそばに行きたい、と天井からロープを下げて自殺を図ろうと
したり、クルマの排ガスを車内に引き入れて自殺を試みたりするのだが、そのたびに何らかの邪魔が
入って全うできない。その辺りの機微が面白い。主たる要因は近隣に引っ越してきた妻がイラン人の
一家。そして、若い頃、まだ新しかったアパート群のルール作りを頑張った仲間(今は車椅子生活だが)の
存在だった。

オーヴェという男、一見頑固で意地悪なように見えるが、言っていることは一応筋が通っている。
若い頃から口下手で、自分をうまく説明することが出来ないというか上手くない。つまり世渡りベタな
真面目な男だったのだ。偶然列車の中で出会ったソーニャという女性。彼女のほうが彼に惚れてしまい、
ギクシャクはするが、学校の先生をしている彼女の包容力の大きさに助けられ、幸せな生活を送って
いた。待望の赤ちゃんも出来、二人でスペインへバス旅行をした帰路、バスが谷底に転落し、妻は
赤ちゃんを流産、自分も植物状態になってしまったのだが、奇跡が起き、車椅子での生活を送れるように
なった。オーヴェはバス会社や運転手など手当たり次第に裁判に持ち込むがことごとく退けられてしまう。
一方、ソーニャは特殊学級の教師の口はあるのだが、バリアフリーでない事情からどの学校からも採用を
断られてしまう。そこでオーヴェは持ち前の器用さを発揮し、ある学校に木材でスロープを作ってしまう。
妻はそれにより採用されたのだった。生徒にも信頼が厚く、不器用な付き合いベタの自分とも上手く歩調を
合わせてきてくれた片腕の妻がガンで亡くなり、彼が生きる目的を亡くしたのは痛いほど分かる。

片や近くに引っ越してきたパルヴァネは、周りの人たちが「変わり者」として敬遠するオーヴェに壁無く
接し、二人の小さい子どもたちもなついていた。彼らとの付き合いの中で、また、オーヴェを取り囲む
人々とのふれあいを通して、オーヴェは、「だだの変人」ではなことが分かってくる。心優しい、人の
為なら火の中にだって飛び込む勇気を持っている男、ただ、人生なかなか運がない。

本作は一旦は自殺を決めたオーヴェという初老の男の再生の話であると同時に、彼が折に触れて語る昔の
様子をカットバックすることにより、オーヴェという人物の性格をあぶり出し、不器用な男が精一杯
生きてきた足跡をたどることが出来る仕掛けになっている。そして、自殺を決めたものの、自分がまだ
必要とされていることが分かってくるのだった。 野良猫とゲイと施設に強制的に入れられそうになる
今は口も利けない親友。そんなガジェットのやりとりを観ていると熱いものがこみ上げてくる。
ネタバレだが、結局、ある雪の朝、パルヴァネがオーヴェの家を見ると雪かきがしていない。8時には
町内のパトロールに出るはずなのにおかしい、と思い、オーヴェの家に急行すると、猫が胸の上に乗った
状態でオーヴェは息を引き取っていた。まだ60になるやならずの人生だった。だが、映画を観ている人は
不器用でお金にも縁がなかった一人の男を、不幸だったとは絶対に言えないはずだ。精一杯生きた、妻を
一杯愛した、そんな男がいたんだよ、でいいんじゃないか。なんか書いていて涙が出てきそうだ。

スゥエーデンにはまだこうした人間関係が生身で触れ合える、いい意味でのおせっかいな地域社会が
あるのだとすれば、日本に比べたらなんと幸せなことだろうか。人間は社会的な生き物であることが
よく分かる作品だ。

オーヴェは鉄道会社に勤めていた父の影響か、クルマにとても興味があり、頑固者らしく、自分の国の
サーブしか乗らない。親友と喧嘩になったのも、彼がボルボばかりにのり、仲直り出来たかと思えた時には
BMWに乗り始めたのが原因だったり、AUDIに乗っている女性には「ゼロが4つもついたマークのクルマに
なんか乗りやがって」と毒づく。このクルマを巡る騒動もオーヴェの頑固さを表すいいエピソードだったと
思う。この映画が優れているのは、脚色が上手いこと。監督が脚色を兼ねているので、いい味がそのまま
出た結果となった。
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<ストーリー>
スウェーデンのアカデミー賞にあたるゴールデン・ビートル賞で主演男優賞と観客賞に輝いた人間ドラマ。
気難しいオーヴェは妻に先立たれ、生きる希望を失う。しかし隣りに引っ越してきたパルヴァネ一家から
次々に厄介事を持ち込まれるうちに、心を開いていく。
世界 30 ヶ国以上で刊行されるフレドリック・バックマンの小説をベースに、人の生き方について問いかけて
いく。監督は「青空の背後」(スウェーデン映画祭2014にて上映)のハンネス・ホルム。隣人との交流の中で
変わっていく主人公を、「アフター・ウェディング」のロルフ・ラスゴードが演じる。

妻に先立たれたオーヴェは、これから一人で生きていくことに希望が持てず、哀しみにくれていた。
しかし隣りにパルヴァネ一家が引っ越してきたことから、彼の暮らしは一変。一家は車の駐車やハシゴの貸し出し
、病院への送迎、娘たちの子守りなど、オーヴェに罵声を浴びせられても次々に厄介事を持ち込んできた。
やがてオーヴェは隣人に心を開いていき、愛する妻との思い出を話し始める。(Movie Walker)

<IMDb=★7.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:91% Audience Score:87% >




# by jazzyoba0083 | 2018-08-04 23:10 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「ミッション:インポッシブル/フォールアウト Mission:Impossible-Fallout」
2018 アメリカ Paramount Pictures,Skydance Media,TC Productions,Bad Robot. 147min.
監督・脚本:クリストファー・マッカリー
出演:トム・クルーズ、ヘンリー・カヴィル、ヴィング・レイムズ、サイモン・ペッグ、レベッカ・ファーガソン
   ショーン・ハリス、アンジェラ・バセット、ミッシェル・モナハン、アレック・ボールドウィン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
いやあ、56歳のトム・クルーズ、頑張ってますねえ。吹き替えなしのスタント、ヘリの操縦、7000メートル
からのHALOジャンプ(High Altitude Low Opening)、実際に骨を折っちゃった高さ70メートルのビルの
屋上からのジャンプ、パリの中の全力疾走、カーチェイス、バイクチェイスと、いつのまにやら「M:I」
シリーズは、トムの生身のアクションを愉しむ映画になっていたのだなあ。

上映を終えて、それなりの満足感の中、一緒に行ったトムファンの奥さんに「スジ、分かった?」と尋ねた
ところ、「全然」と。私も、どうも話の内容が頭に入ってこなかった。で、家に帰りネットのまとめサイトで
あらすじの全貌を再度読んでみたけど、それでもよく分からないのだ。

で、こういう時は敬愛する町山智浩氏が何を語っているか、チェックしてみようとTBSラジオ「たまむすび」の
町山さんの映画コーナーで本作を取り上げている回の聞き起こしを読んでみて、「なるほど!」と膝を叩いた
次第だ。

以下、町山さんの私見も入っているだろうが、カリフォルニアに住み、関係者へのインタビューもある彼の
話は説得性があるので、それを私の感想に重ねて考えてみたい。
本作の分かりづらい点の第一は、「トムがやりたいアクションをまず先行させ、それを撮影してからシナリオを
書いていく」という映画の作り方がある。トムが7000メートルから飛び降りたい、ヘリを操縦して追跡シーンを
撮りたい、ビルの間をジャンプしたい、そういうアクションのパーツを取っておいて(もちろん主要な
キャスティングと大きな流れは決まっているのだろうけど)、細かい話は後から「こじつけていく」という
スタイルだ。昔ジャッキー・チェンがやっていたやつ。

そうするとどういうことが起きるかと言うと、話の展開に無理と分かりづらさが出てくる。実際、出演者の中には
「自分がやっている役はいい人なのか悪い人なのか、分からなくなった」と語る人も出るくらい。それと、いくら
大金と危険を投入して撮影した大掛かりなアクションシーンも、ストーリーにどうしても入らなくなるものは
カットしなくてはならい事態となる、ということ。(実際、予告編で出来て来たシーンがいくつか消えていた)
だから、この映画はBlue-ray版が出た時の特典映像こそ面白いのではないか、と町山氏は指摘している。
私も誰が誰が味方で誰が敵なのか分からなかった。
加えて2つ目の分かりづらい点は、この映画が前作「ローグネーション」の続編のような展開だから、
前作を見ていない人、または観ても内容を忘れていた人(←私みたいな)には、話が見えづらい。

結局、つじつま合わせのストーリー(監督が脚本を書く、というのはその辺りの自由度がないと映画にならない
からだろう)が「雑」で分かりづらくなる。見どころはなんと言ってもトムの危険を顧みない生身のアクションだ。
この映画を見に来る人はそれを楽しみに来るんだろうと思うから、それはそれでいいし、トムの命がけのアクションや
この際、ヘリの操縦免許さえ取得し、山岳エリアで錐揉み操縦をしてしまうというような努力と勇気は大いに
買いたいし、ウソがないからそれらのシーンはやはり「迫真」であり、面白く、息を飲む。
(ちなみにトムじゃないけど、プルトニウムを素手でつかんじゃダメだよww)
そうしてみると、この映画はIMAX 3Dで観たほうが絶対にいいということだろう。そういう手の映画だから。

結局、この映画は面白かったのか?と聞かれれば面白かったと答えたい。それはトムのアクションの評価に尽きる。

本国でもヒットし、専門家の評価も高い。それもこれも、56歳になったトムの役者魂というのか、迫真のアクションの
評価に尽きるのだろう。これは次作があるとすれば、アクションはますます激しいものになり、スジはますますわかり
辛くなるだろうなあ。

役者的には変装の名人サイモン・ペッグと、天才ハッカーにして電子のエキスパート、ヴィング・レイムズが良かった。

さて、これから本作を見に行かれる方も多いだろう。是非トムのアクションに刮目されたい。筋はまあ、分からなくても
あなたのせいではないですから。
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<ストーリー>
スゴ腕エージェント、イーサン・ハントの活躍を描く、トム・クルーズ主演の大人気スパイ・アクションシリーズ第6弾。
何者かに盗まれたプルトニウムによる同時核爆発を未然に防ぐというミッションに、イーサンとIMFのチームが挑む。
前作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』に引き続き、クリストファー・マッカリーが監督を務める。

何者かが複数のプルトニウムを強奪する事件が発生。その標的になったのは、世界各地の三都市。イーサン・ハント
(トム・クルーズ)とIMFのチームは、“同時核爆発を未然に阻止せよ”とのミッションを命じられる。猶予は72時間。
だが、手がかりは少なく、名前しか分からない正体不明の敵を追うミッションは困難を極める。刻一刻とタイムリ
ミットが迫る中、IMFの前に立ちはだかるCIAの敏腕エージェント、ウォーカー。ウォーカーとの対決を余儀なく
されたイーサンに迫る危機の数々。果たして彼らは、絶体絶命の危機を乗り越え、核爆発を阻止することができる
のか……?(Movie Walker)

<IMDb=★8.4 >
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:97% Audience Score:92% >




# by jazzyoba0083 | 2018-08-03 17:05 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)

●「突然炎のごとく Jules et Jim」
1962 フランス Les Films du Carrosse,Sédif Productions. 107min.
監督・(共同)脚本:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボア、サビーヌ・オードパン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
トリュフォーの映画は「映画に愛をこめて アメリカの夜」くらいしかみてなくて、「勝手にしやがれ」は
DVDは購入したものの、開封には至ってない。ここでも何回も書いているのでくどくなるが、私は欧州系、特に
ネオリアリスモのころのイタリア映画やヌーベルヴァーグの頃のフランス映画は、どうも理屈ぽくて、
メタファーの塊のような先入観があり、敢えて観てこなかった。映画を趣味とし、コラムも書いている身として
これではいけないと、最近ではヴィスコンティなどを作品を選んで観ているのだが、どうも私の感性はハリウッドに
向いているようだ。
そなんな私でも大学時代は「雨の訪問者」とか「マノン・レスコー」などは観ていたのだが。更に言えば原題の
仏伊など欧州の映画は、タイトルによっては好んで見るようになっている。ただ、今から40年50年ころのものは
理屈と形而上的感性が先走りした頭でっかちの觀念映画のような気がして、近づく気になれていないのだ。

邦画でいえば、「デルズウザーラ」「影武者」「乱」時代の觀念的様式美の世界にに落ち込んでしまった黒澤作品に
魅力を感じえないのと同じような感じかな。

閑話休題。トリュフォーである。ヌーベルヴァーグの騎手として、その名前は当然昔から知っていた。が、初期の
作品に触れたのは今回が初めてである。WOWOWがフランス名画シリーズを放映してくれて、これはちょいと
勉強しておかなくてはならないかなあ、と録画して挑戦してみたのだ。

ネット上の批評も絶賛から、訳がわからん!まで好悪が分かれている。トリュフォー、これを作ったのは若干29歳。
確かに、觀念が先走り、どちらかというと映画の観客を置いて走り去ってしまっている観が私にはある。ウディ・
アレンもかくやというようなセリフの嵐。字幕を追うので必死で、映像を楽しんでいる暇が無かったくらいだ。

しかし、29歳にしてこの感性は!という驚嘆はあった。私のような凡人では、というていこのような設定とセリフの
あてがいは不可能だ。もちろん多くの普通の人はそうであろう。そこがトリュフォーのトリュフォーである所以であり
ヌーベルヴァーグの騎手ともてはやされた才能なのであろう。

赤の他人だったジュールとジム。時は第一世界大戦前のパリである。意気投合し親友以上の存在となる。そこに
登場するカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という美しい女性。ジュールとジムは同時に彼女を好きになってしまう。
カトリーヌはジュールと結婚するが、ジムも愛している。更にそこにアルバートという男性とジルベルトという
女性が登場してくる。基本はジュールとジムとカトリーヌの三角関係なのだが、お互いにそれぞれを愛し合うことを
認め合うという極めて文学的高踏的な恋愛観が示される。

モノクロ映画の最初のうちは我慢してみている、という感じであったが、話が劇的に動き出す後半は、見入って
しまった。恋愛抒情詩を観ている、聞いているが如しであり、1960年代前半にあって、自由恋愛の姿を文学的
高踏的ではあるが、特に感じる愛のままに行動するカトリーヌの自由な存在は当時の社会においては刮目された
のであろう。その辺りアンリ=ピエール・ロシェの原作があったとは言え、お見事な描写であったと言わざるを
得まい。この邦題がどういう理由で付けられたかは知らないが、恐らくはカトリーヌの恋愛観を表現したもの
なのではないか、と感じた。
不思議な三角関係を描いた映画は少なくないが、時代は異なるとは言え、かなり衝撃的な物語であった。

優秀な映画だとは思うけど、観ていて疲れた。ハリウッドのシリアスな重い映画とは違う感じの重さを感じた
からだ。万人に向く映画か、というと「若さが才走った鼻につく才能」みたいなものも感じない訳ではないので、
嫌いな人も多いだろうと思う。
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<ストーリー>
オーストリアの青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)はフランス青年のジム(アンリ・セール)と知り合い、
友達になった。2人とも詩や小説を書いている文学青年だった。2人はある時、幻燈を見て、アドリア海の島に
ある美術公園の女の顔に魅了された。
それからしばらくして、2人はカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、胸をときめかせた。
彼女は島の彫像の女と瓜ふたつだったからだ。ジュールは彼女との結婚を熱望して求婚し、2人はパリの同じ
アパートに住んだ。 ジムは出版社と契約ができて作家生活の第1歩をふみ出しだ。3人で芝居見物に行った帰り、
ジュールが芝居の議論に熱中すると、カトリーヌは突然セーヌ河に飛び込んだりして2人を慌てさせた。

やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて
祖国へ帰った。歳月は流れる。ライン河上流の田舎に住む山小屋にジムは招待された。その頃、ジュールと
カトリーヌの間には6つになる娘もいたが、2人の間は冷えきっていた。ジュールはジムに彼女と結婚してくれと
頼むのだったが、自分も側に置いてもらうという条件だった。3人の奇妙な共同生活が始まった。

カトリーヌには、ほかにも男がいた。ジムは瞬間しか人を愛せない彼女に絶望し、パリへ帰って昔の愛人とヨリを
戻した。数ヶ月後、カトリーヌは自分の運転する車にジムを乗せて疾走させ、壊れた橋から転落して行った。
ジュールは2つの棺を火葬場に運ばせた。これでカトリーヌは永遠にジュールのものとなった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatomete:97% Audience Score:89% >





# by jazzyoba0083 | 2018-08-01 22:50 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「ウィンド・リバー Wind River」
2017 アメリカ Acacia Filmed Entertainment. 107min.
監督・脚本:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン、ジョン・バーンサル、グレアム・グリーン、ケルシー・アスビル他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
映画好きの間ですこぶる評判がいいので、昨日都心の「ネットで予約が取れない」映画館に行ったら、なんと
初回の上映は満員札止め。諦めて本日、クルマで40分以上も離れたシネコンに行ってきた。入ってましたね。

ジェレミー・レナー、このところの作品では「ハート・ロッカー」に次ぐいい演技。しかし、これ本国でも
極めて少ない映画館での上映でスタートし、あっという間にスマッシュヒットになったという。日本でも
例えば愛知県で言えば、県内で4スクリーンくらいでしか上映していないから、観たくても遠方まで出かけ
なくてはならないので大変。観たい人はたくさんいるだろうに。

で、どこか良かったか。アメリカのシリアスな現実を突きつけられた衝撃、ということかな。とにかくトランプに
見せたい。(トランプが直接の原因ではないけど) そして思ったのはこの映画、本国での捉えられ方とその他の
国では相当の開きがあるだろうな、ということだ。黒人問題もそうだけど、自分の身の回りの事件として肌感覚で
理解できたら、もう少し、映画の理解も感想や感動も違ったものになっただろう。まあ、これは根源的なことなので
嘆いてもしょうが無いと思う。故に観終わった後、アメリカ先住民が置かれてきた歴史を勉強し、感想を自分の
手で肉厚にする作業が必要だろう。

まず、タイトルの「ウィンド・リバー」という名前。これはアメリカは北西部、ワイオミング州にある先住民
居留地の名称。(山の上なので冬は非常に低温になる)主人公のコリー・ランバートは連邦職員として
合衆国魚類野生動物局のハンターを努めている。
増え過ぎたり獣害をもたらすオオカミやコヨーテやピューマなどを公的に射殺する権利を持っている。
奥さんは先住民。子供が二人いた。今は離婚している。その離婚の理由も悲しい。

コリーがパトロールの雪の山で、若い女性の遺体を発見する。先住民の娘だ。裸足。額に大きなキズがある。
コリーは警察ではないので、まず居留地警察(先住民)署長に連絡する。検視の結果、どうやら死因は極寒の
空気を吸って肺胞から出血し、それで窒息したものということで、レイプはされていたが、殺人でないと
いうことに。居留地は連邦管理下にあるので、殺人事件が起きると連邦捜査局(FBI)が乗り出す。
乗り出すものの殺人事件ではないので、後述するジェーン捜査官は上司に適当なことを報告し(これが
とやかく言われないところも居留地での事件の実態を物語っていると思うのだが)、捜査を続ける。
一方でレイプは州法により罰せられる犯罪なので、連邦監督下の居留地で起きた事件には州警察は手を
出せない。捜査がすくんでしまっている真空地帯のようなエリアがアメリカにはあるのだという事実。
(これでは警察官の数の少なさと相俟って、殺人があって行方不明があっても遺体も出てこないという
事実はよく分かる)
シェリダン監督は2012年にニューヨーク・タイムズに、この「ウィンド・リバー居留地」で異常にレイプや
女性の行方不明事件が多発するという記事を読んで、興味を持ち、自分で調べて脚本にしたという。

因みにこのウィンド・リバー居留地は九州ほどの広さがあるのに、警察官は6人しかいないという。

そこでやって来たのが、極寒の地にベガスの支局からレンタカーでたった一人でやってきた薄着の女性捜査官
ジェーン・バナー(オルセン)だった。殺された娘はどこからか、かなりの距離を歩いて逃げてきて、冷気を
吸いすぎて死亡したが、直接の死因は殺人でないにしても、死に至る原因を作ったことを考えると殺人と
同義であった。遺体はコリーの娘でやはり雪山で無残な遺体で発見されたエミリーの親友のナタリーだった。
だからコリーは遺体をみてすぐに身元は分かった。しかし、殺人事件でないとなると、FBIの所管では
無くなってしまう。そこでジェーンは支局にはいい加減な報告をしておいて、コリーの力を借りて二人で
ナタリーを殺したのは誰かの捜査を始めた・・・。

捜査の過程で犯人は割れ、どうやらコリーの娘を毒牙の掛けたのも同一グループらしいところまでいく。
最期の詰めでジェーンは撃たれて重症を負う。

私たちは、この捜査の過程で浮かび上がってくる、先住民居留地の闇を思い知ることになる。150年以上も
前から、このような荒野に押し込められ、開拓民の犠牲になってきた先住民たちの現状は、アメリカの大きな
闇の一部であり、白人たちの一部には、未だに先住民を見下している風土が残っている。それが故のこの映画で
描かれているレイプ殺人事件だ。 
本作の最大の山場である犯人グループの巣窟ではないかという工事現場の仮設住宅での銃撃戦は、その動機も
描き方も近年の映画で観たことがない衝撃的なものであった。(ある意味カタルシスでもあるのだが) 
町山智浩氏が「この映画は西部劇」と言った意味合いがこの辺りにあるのだろう。全員武装し、相手が警察で
あろうが、FBIであろうが、身を護る為なら発砲を厭わない。この銃撃戦の中でハンター、コリーのライフルの
威力が炸裂するわけだが、これは、殺された娘やナタリーの復讐の銃弾のような気がしてならなかった。 
こうした無法地帯に先住民は暮らさざるを得ない状況が続いているわけだ。

シェリダン監督はインタビューでこう語る「世の中には語られるべき物語というのがある。映画は 皆が知らない
世界を鏡に映し出しそこで何が起きてるのか人々に考えさせることができる。うまくいけば変化も起こせるはず。
それもエンタメを通じてね」(本作の公式Twitterより転載)

事件は一応解決するが、アメリカの先住民の問題はなんら解決していない。最期に字幕で解説されるが、居留地に
おいては犯罪率や失業率も高い、10代の自殺率が高い、などなど。映画の冒頭で牧羊を狙うオオカミを射殺する
コリーの姿があるが、こんな痩せた土地では大掛かりな農作業もままならず、牧羊にたよるくらいしかない状況が
見えていた。アメリカはアメリカンドリームの国ではあるが、その深いところには黒人問題や移民問題、帰還兵士の
PDSDの問題そしてこの先住民問題など、まだまだ深い闇は到るところにある。それをこうして映画にしてみせる、
それがまた上質な映画となり、みんなが見る、知る、こうした風土もある。我が国ではどうだろう?

配役のジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン(アベンジャーズのお仲間だけど)、いいキャスティングだと
思った。映画を覆う雪とモノトーンな色調。手持ちのカメラ。冷たさが伝わってくるような画作りも良かったと
思う。

※本ブログを書くにあたり一部TBSラジオ「たまむずび」内にて町山智浩氏が本作を解説されいる箇所を参考・引用
させて頂いています。
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<ストーリー>
第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞に輝いた、新鋭テイラー・シェリダン監督によるクライム・
サスペンス。アメリカ中西部・ワイオミング州のネイティブアメリカンの保留地で起きた少女の殺人事件を追う
新米女性捜査官の目を通し、現代のアメリカに渦巻く闇をも浮かび上がらせる。
捜査に協力する白人のハンターをジェレミー・レナーが演じる。

厳寒の大自然に囲まれた、雪深いアメリカ中西部ワイオミング州にあるネイティブアメリカンの保留地“ウインド・
リバー”で、突如女性の死体が発見される。FBIから単身派遣された新人捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・
オルセン)は、遺体の第一発見者で地元のベテランハンターであるコリー・ランバート(ジェレミー・レナー)に
協力を求めるが、不安定な気候と慣れない雪山の厳しい条件により捜査は難航する。隔離されたこの地では多くが
未解決事件となる現状を思い知るも、不審な死の糸口を掴んだコリーと共に謎を追うが、思いもよらなかった
結末が待ち受けていた。

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:87% Audience Score:90% >




# by jazzyoba0083 | 2018-07-31 12:10 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「ジーサンズ はじめての強盗 Going in Style」
2017 アメリカ New Line Cinema,Village Roadshow Pictures,Warner Bros. and more. 96min.
監督:ザック・ブラフ
出演:モーガン・フリーマン、マイケル・ケイン、アラン・アーキン、アン=マーグレット、マット・ディロン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
本編とは関係ないけど、映画会社のクレジットが冒頭で出てくるのだが、ワーナーのロゴがバラバラに
なって断片がニューライン・シネマのロゴに変化するCGがカッコよかった。それと、この邦題、確かに
原題は難しいが、邦画のパクリのようなセンスのないタイトルで、名優がたくさん出ているのに対して不敬だ
とすら思った。

さて、映画には実話に基づいたシリアスな社会告発型から、本作のような起きるはずのないことが起きると
いう夢物語の大きく2つのサイドに分かれるんじゃないかと個人的には踏んでいるのだが、本作は、典型的
後者タイプ。私など、年齢的に身につまされるので、背景のリアリティには苦笑しつつ、「小粋な夢物語」は
観ていて決して不快ではなく(おそらく名優たちの効果だと思う)、むしろ、「ほんとにこんなことが出来たら
いいのになあ」と思ってしまう。
脚本を手がけたのはオスカーノミニーにもなった「ドリーム(Hidden Figure)」の監督・脚本を担当した
セオドア・メルフィなので、面白さのツボを心得たストーリーが見事なのであろう。これに、全部足したら
オスカー何本になるの、という名優たちが集まっての演技なので、間違いない。
本国での評価が今ひとつなのは、実際はセレブな俳優たちが、実現不可能な夢物語を演じていることが、
「ありえないし、ばかばかしい」、と感じてしまうのではないか。現実はこんなに上手く行くもんか!と。
そういう気持ちでこの手の映画をみちゃ、本作は面白くない。

さて、ストーリーは金欠の年金ぐらし、健康も若いほどのことはない、じいさん3人が銀行強盗をしちゃうと
いう話。特に冒頭登場し、物語のきっかけづくりをするマイケル・ケインが、家のローンの、いわゆる
「ステップローン」というやつの低金利時期が終わり、急に返済金額が増加したため、支払いが滞り、
このままいくと家を差し押さえられ没収されてしまう、そのため、銀行に行き、なんとかならないか、と
交渉するところからスタート。と、そこに覆面を被った3人組の強盗が銃を乱射しながら飛び込んできて、
見事に大金をかっさらっていく。

一方、マイケル・ケインの親友、アラン・アーキンとモーガン・フリーマンは同じ製鉄所に通い、間もなく
年金生活に入る年齢の親友だった。その製鉄所が合併で工場をベトナムに移し、他の会社と合併するため
これまでの年金が消えてしまうという。激怒したケインはモーガンを誘い、例の銀行強盗のように、
自分たちの貰うべき年金がある銀行を襲い、3人分の年金を奪い返そうじゃないか、と計画する。
最初は嫌がっていたアーキンも同行することになる。

そこで、3人は手始めに近くのスーパーで万引きをしてみて実験をする。これがもう大爆笑のトンチキを
やらかしてしまい、結局警備員に捕まるのだが、年寄りだからということで大目に見てもらえる。
本番は相当に計画を綿密に練らねばならないな、とプロのワルを仲間に入れることを画策する。

本番では、銃は空砲にしたり彼らなりの礼儀?を持って臨むのだが、モーガンが途中で気分が悪くなり
倒れた所を客として来ていた母子連れの娘の方に覆面をめくられそうになったり、足が付きそうなこと
をたくさんやらかしてしまった。一応230万ドルの強奪は成功したのだが・・・。

短い映画ではあるが、じいさんたちのアリバイ工作の仕掛けや、強盗を主導するプロのワルの伏線など
ガジェットを含めた伏線とその回収の面白さ、年寄りならではの病気ネタ、アーキンとスーパーの
店員のアン=マーグレットの恋の行方、そして、捜査を担当する刑事マット・ディロンとの駆け引きなど
なかなか濃い構成となっていて、思わずニヤリとしたり、ハラハラしたり、騙されたり、楽しい
一時だった。ラストはアーキンとアン=マーグレットの結婚披露宴で大団円。一方で老人クラブには
パイの下に札束が入った箱を、いつも小銭のチップばかりと嘆いていたいきつけのダイナーのウエイト
レスには札束のチップをと、義賊ぶりを発揮する。

銀行は強盗に入られても、強奪金に保険を掛けてあるから、結局損はしないんだよ、という理屈に
なんか納得しちゃって、3人のじいさんたちの活躍とその結末に、「よかったねえ」と心の中で声を掛けて
いた。でも、実際にこんな美味しい事が世の中で起きるわけもなく。96分間の夢を見させてもらった、と
いう心地よさでいいのではないか。愛すべき一編である。

ところで老人クラブの爺さんの一人が、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのドクを演っていた
クリストファー・ロイド。なぜ分かったかというと、パイに下にあった札束に目を向いた顔が、あの
ドクそのものだったからだ。
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<ストーリー>
モーガン・フリーマン、アラン・アーキン、マイケル・ケインというベテラン・オスカー俳優3人の豪華共演で
贈るクライム・コメディ。1979年のコメディ映画「お達者コメディ/シルバー・ギャング」を基に、真面目に
生きてきた老人3人組が、突然の年金打ち切りに怒りを覚え、自分たちのお金を取り戻すべく銀行強盗を企てる
大胆不敵な計画の行方をユーモラスに描く。
監督は「終わりで始まりの4日間」「WISH I WAS HERE/僕らのいる場所」のザック・ブラフ。

 同じ会社で40年以上も真面目に働き、定年後は慎ましくも不安のない年金生活が送れるはずだったジョー、
ウィリー、アルの親友3人組。しかし会社が買収された途端、年金の支払いが一方的に打ち切られてしまう。
おまけにジョーは、住宅ローンの理不尽な仕組みのせいで自宅差し押さえの危機に直面していた。

そんな時、偶然にも銀行強盗の現場に居合わせた彼は、その手際の良さに感心し、自分たちも奪われた年金を
取り戻すべく、銀行強盗を決行しようとウィリーとアルに持ちかける。そしてまずは腕試しにと、行きつけの
食料品店で万引きを試みる3人だったが…。(allcinema)

<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:49% Audience Score:57%>





# by jazzyoba0083 | 2018-07-30 23:10 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ Yankee Doodle Dandy」
1942 アメリカ Warner Bros.126min.
監督:マイケル・カーティス  音楽:ジョージ・M・コーハン
出演:ジェームズ・キャグニー、ウォルター・ヒューストン、ジョーン・レスリー、ローズマリー・デキャンプ
   ジーン・キャグニー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
この時代のニュージカルは大好きで、よく観ている。本作も何回か観ている。いわゆるMGMやコロムビアの
エンターテインメントの作品とは趣を異にしていて、「ブロードウェイの父」と云われる演出家、作詞作曲家、歌手、
ダンサー、振付師、であったジョージ・M・コーハンの伝記映画という形を借りた、国威発揚、国民奮起増進型映画。

今でもアメリカ軍でよく歌われている「Over There」を作った人物としても知られる。コーハンは1878年に生まれ
1942年、つまりこの映画の完成の年にガンにより没している。一家そろって軽演劇に出演し、舞台を主な活躍の
場として、ボードビルやミンストレル、の要素を取り入れたショーを得意としていた。つまり幼い頃から舞台経験が
あり、一時期は「てんぐ」になっていて「嫌な奴」だった時期もあったようだが(その下りは映画に出てくる)、
両親の指導で、ギヤチェンジし、天才の花が開いた。

作品は1937年に10年ぶりで舞台に復帰したコーハンがフランクリン・ルーズベルト大統領を時に辛口に、時に
持ち上げて観衆を沸かせるショーを公演して当たっていたのだが、それを聞いたルーズベルト大統領本人から
ホワイトハウスに招かれ、自分の生い立ちを語りは始める・・・という形で始まる。

少年時代、妹が生まれ成長すると、親子と兄妹で、「コーハン4人組」を結成し、ジョージの作品と曲で構成された
ミュージカルを持って全米を公演して歩いたのだ。そのステージの出来の良さは評判となり、やがて伴侶となる
メアリーとの出会い、コーハンの良き理解者で優秀なプロデューサーとなったはリストの出会い、さらにコーハンの
曲を有名にしてくれた女性舞台歌手との出会い、そうした一連のサクセスストーリーで物語が進んでいく。

やがて両親も妹も亡くなり、一人になり、引退。妻メアリーと世界旅行をして、農場に引きこもっていた。そこに
冒頭で書いたルーズベルトを主役とした舞台の声がハリスからかかったのだった。ルーズベルトは「Over There」の
作曲などにより国に貢献してれたとして話を聞き終わった時に、コーハンに勲章を授けたのだった。時あたかも世界は
二度目の大戦に飲み込まれようとしていた。

実際はこの映画を作っている最中に真珠湾攻撃が起き、国民に対する戦意高揚の色彩がぐんと増した作品となった。
映画の中で打ち振られる星条旗の数は尋常ではない。この映画の本国での評価が高いことは映画の出来とは関係ない
ところの愛国者としての加点があるのではないか、と想像するのだ。
だからといってコーハンの業績が腐される筋合いのものでもないが。当時はこうした映画が沢山作られ、MGM映画や
コロムビア映画とて大同小異であった。

面白いのはこの映画、コーハン役を最初フレッド・アステアに持っていったところ断られ、ボードビリアン出身で
あるキャグニーにお鉢が回ってきて、映画会社の縛りの関係で、監督を、あの「カサブランカ」「ミルドレッド・
ピアース」「ホワイトクリスマス」のマイケル・カーティスが担当することになったのだという。
キャグニーのステージでのダンスはいかにもボードビリアン的でアステアと比較すると泥臭い。ステージの展開も
そうだ。だが、結果的にこれはアステアでなくて正解だった。

ここでコーハンの生涯とアメリカの戦争を時系列的に並べてみると、彼が生まれたときが1878年。
南北戦争が1861~65、米西戦争が1898、ハワイ併合も1898、第一次世界大戦が1914、ベルサイユ条約が1919、
(初のトーキー長編映画の上映は1927)ナチスのポーランド侵攻が1939、そして真珠湾が1942と、コーハンの
人生には何かしら戦争が付いて回っていたような時期だった。こうした中でアメリカが第一次世界大戦に参戦した
1917年に作られた「Over There」は、勇ましい戦意高揚の歌として国民に膾炙されるようになった。
この歌が大きなキッカケとなり、先に述べたように、コーハンは1940年、ルーズベルトから勲章を貰ったのだ。
芸人として「議会金勲章」を貰ったのは彼が初めてだった。

我々がアメリカのミュージカルと言うと、アーヴィング・バーリンとかリチャード・ロジャーズとか、
コール・ポーターとかという作曲家の名前が口について出てくるわけだが、映画でヒットした作品もほとんどが
元を正せばブロードウェイの舞台の成功作。この先鞭を付けてきた(pathfider)がジョージ・M・コーハン
だったのだ。彼の作った曲は日本ではそうポピュラリティを獲得たわけではないが、舞台においてミュージカル
ショーの原型を完成させた広い才能は、アメリカではパイオニアとして当然のこととして理解されているのだろう。

NYのタイムズスクエアには作詞家オスカー・ハマースタイン二世らが寄贈したコーハンの銅像が建っている。

作られた時期や彼が作った国威発揚歌などからプロパガンダの匂いがする映画になったことは仕方がないとして、
コーハンの業績は永遠なのだ。

因みに「ヤンキー・ドゥードゥル」とは、アメリカの独立戦争の時に歌われた作曲者不明の歌で、日本では
「アルプス一万尺」として知られている。「ドゥードゥル」とは「間抜け」というほどの意味らしい。
この歌は現在コネチカット州の州歌となっているという。

というわけで、本作はアメリカのミュージカル史に興味がある人にはとても面白く、そうでもない人には
モノクロだし、ちょっと、かもしれない。キャグニーは本作でオスカーの主演男優賞を獲得している。
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<ストーリー:結末まで書いてあります>
1937年、ジョージ・M・コーハン(ジェームズ・キャグニー)はほぼ10年ぶりに舞台にカムバックした。
この作品でコーハンはフランクリン・D・ルーズベルト大統領を演じたが、何とその大統領自身から
ホワイトハウスへの招待の電報が届いた。そこでコーハンは大統領と対面し、自分が歩んだ道を回想する。

彼の父ジェリー・コーハン(ウォルター・ヒューストン)、母ネリー(ローズマリー・デ・キャンプ)は
ともにボードヴィルの芸人だった。やがて妹ジョニーも生まれ、一家はコーハン4人組として巡業を続けた。

旅から旅の暮らしでコーハンも大人になり、あるとき白髪の老人役をやった。その舞台を見ていたのがのちに
結婚することになるメーリー(ジョーン・レスリー)だ。コーハンは彼女の歌を認め、劇場主に無断で自作の
歌をうたわせたことが原因で劇場主と大ゲンカ、完全にほされてしまう。そこで作詞・作曲の仕事に活路を
求めるが、買ってくれるところもなく失意のドン底をはい廻るが、のちに製作者としてコンビを組むことになる
サム・H・ハリス(リチャード・ウォーフ)とめぐり会いついに「リトゥル・ジョニー・ジョーンズ」の上演に
こぎつけた。これは初期のコーハンの代表作となり、彼はスター街道を歩み始める。

そして2年後の「ブロードウェイから45分」でも成功を納め、ブロードウェイにはジョージ・M・コーハンの
時代がやってくる。やがて第2次世界大戦が始まった。コーハンは入隊を志願したが年齢オーバーではねられ、
代りに前線慰問に情熱を注いだ。1920年代のブロードウェイは以前にも増してコーハンの時代になり、いくつもの
劇場で彼の作品が上演された。仕事の上では絶頂期を迎えたが、代りに次々と家族の死に見舞われた。
プロデューサーのサム・H・ハリスとも長年のコンビを解消、1928年の「ビリー」で引退。
妻のメーリーと世界旅行に出て、帰国後は農場で暮らすようになった。10年もたつと彼の名前すら知らない
若い人が出てくる、そんな時代になった。その頃、旧友サム・H・ハリスからカムバックの要請が来た。
それが「私はむしろ正しくありたい」だった。長い回想が終わったとき、大統領は彼に名誉勲章を授けた。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:92% Audience Score:83%>






# by jazzyoba0083 | 2018-07-29 11:50 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「ザ・ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ The Founder」
2017  アメリカ The Weistein Company and more. 115min.
監督:ジョン・リー・ハンコック
出演:マイケル・キートン、ニック・オファーマン、ジョン・キャロル・リンチ、リンダ・カーデリーニ、
   パトリック・ウィルソン、ローラ・ダーン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
世の中には知らないことが多いのだなあ。だからこうした映画も出来る訳だが。シネコンに行きそこねた
作品で、WOWOWでの放映を待っていた。事実に基づいた話は、「小説より奇なり」なので、面白さは
下駄を履いているとするのが私の信条ではあるが、本作はマイケル・キートンの怪演も含めて、なかなか
見せ所の多い映画だった。というか結構衝撃的だった。
この映画、良くマクドナルドが作らせたな、と思ったのが正直な所。だって、田舎の真面目なマクドナルド
兄弟のシステムをパクって、あまつさえ名前まで盗っちゃって、まあ企業として大きくした功績はあるに
しても、「えげつなさ」が全面に出ていたの物語は、普通に見れば「マクドナルド」が嫌いになると思うのだが。

調べてみると、本作で繰り広げられている、クロックという男の顛末はほぼ事実に即している。彼に
才能と、自身で言うところの「執念」が有ったことは認めるけど、そのプロセスについては、特に日本人で
ある我々には受け入れがたい部分が多いのではないか。ぶっちゃけていえば「乗っ取った」わけだから。

マクドナルドの経営譲渡の際に兄弟と口約束した売上の利益の1.5%を受け取る、ということも結局守る
ことはなかった。フランチャイジーに土地を与えず、その土地を本部が持ちフランチャイジーをコントロール
する、というやり方は確かに効果的ではあったろう。

「ビジネスで成功するためには手段を選ばない」というマキャベリストであるレイ・ロック(キートン)は
52歳の野心家ではあるが成功にはなかなか手が届かず、5本シリンダーを持つミルクシェイクマシーンを
車に積み売り歩くも売れない日々。そこに1つの店で6個も注文をしてきた店がカリフォルニアにあると
いうニュースがもたらされる。
さっそくクルマで長駆駆けつけると、そこには長い行列と見たこともない「ハンバーガーが出るまで30秒」、
紙に包んだバーガーとポテトと飲み物しか扱わない見たこともないシステムに、ウェイトレスさえいない
革新的な店の姿だった。その店こそ、マクドナルド兄弟が苦心の末に繁盛させたハンバーガー屋だった。
これを見てレイの人生が変わっていく。

それまではクルマにローラースケートを履いたお姉ちゃんが注文を取りに来て、また品物が乗ったトレイを
ドアに引っ掛けて置いていく、という「アメリカン・グラフィティ」に出てくるようなシステムだったのだ。

それをこのマクドナルド兄弟は全く違ったものに変えて繁盛させていた。だが、兄弟は味の品質を守るために
大規模なフランチャイズ化をしていなかった。レイはそこに目を付けた。友人や銀行などさまざまなルートで
融資を募り、フランチャイズを嫌がる兄弟を説き伏せ、一号店を出すところまでに漕ぎ着けた。

その後、レイがやったことと言えば、兄弟をいかにたらしこんでマクドナルドの名前を兄弟から取り上げて、
使えなくさせ、自分のやりたい方式で全米に、全世界にマクドナルドチェーンを拡大することだった。

この映画で描かれるレイの一番イヤな所は、創業者であり、名前の持ち主であるマクドナルド兄弟から初期の
システムと名前を盗んだ(法律的に不法ではないのだが)こと。兄弟にビジネスを拡大する野心も執念も
知恵もない、そこをレイが上手く吸い上げMacを大発展させた、ということもできよう。だが、私はレイの
やり方が気に入らない。人を騙してまで成長を遂げたMacにいい印象を持てるはずがない。仁義なき闘いだ。

レイは自分の会社をマクドナルとし、ロゴの入った封筒を作り、「創業者(ファウンダー)」と肩書を入れた
名刺を持つようになった。兄弟の自慢であったゴールデンアーチ(今の黄色いMマークはMacのMではなく、
店がすぐに分かるようにと兄弟が考えた黄色いアーチだ)さえ、横取りする。

確かに現在のMacのシステムを作ったのはレイであろうが、そこには真の創業者であるマクドナルド兄弟に
対する尊敬の念もなにもあったものではない。兄弟は結局自分の店にマクドナルドという看板を上げることが
できなくなり、「ビッグM」と命名して新たな出発を図ったが、あっという間に潰れてしまった。
その頃、マクドナルドは揺るぎのないブランドに成長していたからだ。

レイは、苦労をともにしてきた妻(ローラ・ダーン)とも離婚し、友人の妻を盗んで再婚した。そういう男だ。
マクドナルドの社史には、レイのことをどう書いてあるのか興味がある。
個人的にはレイ・クロックという男、ビジネスの世界では天下を獲った大成功者であろうが、人間的には
認めない。品性卑しい男だ。

そうやって思うと、マクドナルドの「中国に於けるナゲット事件」最近の「ローストビーフ形成肉」事件など
を見るにつけ、消費者は客ではなく、金儲けのコマに過ぎないと思っている企業風土が根強く残っているので
はないか、と感じる。表面は取り繕っても、(Macは社会貢献としてもかなりの金額を寄付しているがそれも
この映画をみたあとだと方便としか見えない)内部では「大衆にはこの程度のものを食わせておけばいい」あとは
利益率だ!儲けだ!と考えているのではないか、という猜疑心が頭をもたげたのだった。

人間性を無視して経済的に成功を収める、これをグローバリズムというのだとしたら、やはり現在進行している
金融資本主義は、人間にとって不幸なシステムなのかも知れない。強いものだけが生き残れる、その結果として
金を持ったものだけが幸せになれる、という事でいいのだろうか。

タイトルの「ファウンダー」とは大いなる皮肉なのだと思う。

そうして考えると、本作は私にとってとても教育的覚醒的な意味があったといえよう。マイケル・キートンが
まあこのえげつないレイを好演しているから余計に腹が立つんだな。ラストシークエンスでレイ本人の
インタビューが出てくる。セクハラをして永久追放されたWeinstein、いい映画を作っていたのに残念だ。

さあ、みなさんはこの映画を見て、Macを更に好きになるのか、嫌いになるのか、どっちだろうか。
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<ストーリー>
カリフォルニア州南部の小さなハンバーガーショップ、マクドナルドを世界最大のファーストフードチェーンへと
成長させた男、レイ・クロックの実話を描く人間ドラマ。創業者であるマクドナルド兄弟とミキサーのセールスマン
だったレイとの出会いから、両者の対立まで、成功の陰にあったダークな側面までも映し出す。
レイをマイケル・キートンが演じる。

1954年、アメリカ。52歳のレイ・クロック(マイケル・キートン)は、シェイクミキサーのセールスマンとして
中西部を回っていた。そんなある日、ドライブインレストランから8台ものオーダーが入る。どんな店なのか興味を
抱き向かうと、そこにはマック(ジョン・キャロル・リンチ)とディック(ニック・オファーマン)の兄弟が経営する
ハンバーガー店“マクドナルド”があった。
合理的な流れ作業の“スピード・サービス・システム”や、コスト削減・高品質という革新的なコンセプトに勝機を
見出したレイは、壮大なフランチャイズビジネスを思いつき、兄弟を説得、契約を交わすのだった。

フランチャイズ化は次々に成功していくが、利益を追求するレイと兄弟との関係は急速に悪化。やがてレイは、
自分だけのハンバーガー帝国を創るため、兄弟との全面対決へと突き進んでいく……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:83% Audience Score:82% >






# by jazzyoba0083 | 2018-07-27 23:15 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「荒野の用心棒 Per Un Pugno Di Dollari」
1964 イタリア・スペイン・西ドイツ uncredited 100min.
監督:セルジオ・レオーネ(ボブ・ロバートソン名義) 音楽:エンリオ・モリコーネ
出演:クリント・イーストウッド、ジャン・マリア・ヴォロンテ、マリアンネ・コッホ、ヨゼフ・エッガー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
大のイーストウッドファンなのだが、この時期の西部劇(マカロニ)は敬遠していた。たまたまNHKBSで
放映の機会があり、観ておかないと、ファンだと言い切れないかも知れない、と割り切って観てみた。

制作上にいろいろと逸話がある映画で、まず有名ななのは黒澤明の「用心棒」をレオーネが丸パクリして
東宝映画に訴えられて、負け、興収の15%を支払うことになったこと。(まあ、黒澤の当該映画がもともと
西部劇の要素を取り入れているので、なんと言って良いものやら。ただ黙ってやっちゃあいけません。)
さらに、イタリアで製作され、アメリカよりも日本の公開のほうが先で、アメリカでの公開は1967年に
なってから。その際には監督などはアメリカ人ぽい名前のクレジットにしている。

いわゆる「マカロニウエスタン」の嚆矢となる作品で、そのあとイーストウッドやジュリアーノ・ジェンマらの
作品が次々と作られたが、意匠が同様なものが多く、10年間程度で次第に飽きられていった。

改めて本作を鑑賞してみて、その後に本国の評価サイトや、日本の映画サイトなどでの高評価に驚いた。
私としては、そこまで高評価に値する作品なのか、と思ったからだ。本ブログでも何回も書いているが、私は
西部劇というジャンルを好んで観ないので、その系譜に理解が足りないのかも知れない。この映画の革新性と
いうものに理解が行かないのかも知れない。イーストウッドに関して言えば、その後「許されざる者」などの
更に革新性を帯びた西部劇でさらに成長していくのだが、そこは分かる。

では「荒野の用心棒」の面白さとはなにか。それ以前のゲイリー・クーパーやジョン・ウェインが出ていた
インディアンや騎兵隊を映画いたもの、マリリン・モンローが出ていたものと比べると(私が観た少ない西部劇
からの話で的を得ないかも知れないが)、ストーリーが明快で単純、善悪が分かりやすく、エンタメに徹していて、
とにかくヒーローがカッコいい。そこには「シェーン」のような人間性の描写は薄いが、別の「さすらい者」と
してのカッコよさがある、ガンファイトに容赦がなく、たくさんの人間がいとも簡単に死ぬ。が、あまり悲劇性
は感じない。時間の折りたたみ方や、銃弾はどこで用意したのか、とか弾切れじゃないのか?とかのツッコミ
どころはたくさんあるが、それを乗り越えたエンタメに徹している、というようなことか。

思想性を追い求めない全くのエンタメとして娯楽に振り切った潔さの面白み、が評価されたのかもしれない。
それは冒頭の赤と黒をアニメチックに使ったタイトルバックにも表れているし、コヨーテの遠吠えを模したと
言われているエンリオ・モリコーネのマカロニウエスタンのトレードマークのようになった音楽もまた、
エンタメ的要素の色彩を濃くしているように感じたのだった。

イーストウッドが世の中にでるキッカケを掴んだ映画として鑑賞したが、二度目はないかなあ。
若きイーストウッドは確かにカッコいいけど。
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<ストーリー>
「ローマの旗の下に」のボブ・ロバートソン(セルジオ・レオーネの変名)がシナリオを執筆、自から監督した
西部劇。ただし、黒沢作品「用心棒」の盗作であることを川喜多氏が発見、東宝は著作権の侵害で告訴して
勝つなどの、いわくつきのもの。

無法者の横行する一八七二年のニュー・メキシコ。ある日ジョー(C・イーストウッド)という、腕利きの男が
現われ、この町を二分するロホ兄弟の方に身を寄せることになった。もう一方の旗頭モラレスの手下四人を
鮮やかに片づけたからだ。彼は酒場の亭主からこのニつの勢力が町の皆から煙たがられていることを知り、
その厄病神どもを始末しようと考えた。

一計を案じて両派を反目させることに成功、ロホ兄弟はモラレス家に殴り込みの準備をした。兄弟の弟ラモン
(J・ウェルズ)がマリソル(M・コッホ)という子持ち女を自分のものにしようと監禁しているのを知った
ジョーは、見張りの手下を始末し、母子を逃がした。
これをモラレスの仕業と見せかけたつもりだったが、ラモンに見破られ、マリソルの行方を自白させようと激しい
リンチを加えられたが、口は割らなかった。夜、半死半生のジョーは、スキを見てロホ家をぬけ出し、棺桶屋の
オヤジの手引で安全な隠れ家に身を寄せた。その隠れ家に、棺桶屋のオヤジがロホ一家の手下をだまして手に
入れた拳銃をもってきてくれた。傷つけられた身体で、ジョーは拳銃の早射ちの業をみがいた。傷ついた左手が
利かぬ以上、右手で勝負するほかない。

彼の失踪にあわてたラモンたちは酒屋の亭主を捕えて居所を教えろと迫ったが果さず、ついにモラレス家に
殴り込みをかけ、不意を襲われたモラレスは簡単にやられてしまった。ラモンは酒屋の亭主を通りの真中で
リンチを加えた。ジョーをおびきよせるためである。静まりかえった町に姿を現したジョーは、待ちかまえた
ラモンから続けざまに銃弾を浴びた。が、平然としているジョーに、ラモンはうろたえる。
彼は胸に鉄板を入れていたのだ。ラモンはジョーの銃に倒れ、ジョーを背後から狙ったロホも、酒屋の亭主が
仕止めた。ジョーは再び静かに町を去って行った。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:98%  Audience Score:91%>





# by jazzyoba0083 | 2018-07-26 23:10 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「オペレーション・クロマイト Operation Chromite」
2016 韓国 Taewon Entertainment 110min.
監督・(共同)脚本:イ・ジェハン
出演:イ・ジョンジェ、イ・ボムス、リーアム・ニーソン、チン・セヨン、パク・チョルミン、キム・ヒジン他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
奇しくも、本ブログを書いている7月27日は、朝鮮戦争の休戦協定が締結され、戦争が「休戦状態」に入った
記念すべき日だ。その日にこのブログを書いているのも何か因縁を感じてしまう。

さて、朝鮮戦争を舞台にしたこの手の韓国映画(そもそも韓国映画は殆ど見ないのだが)は、基本、「愛国主義」的
な側面を持つもので、本作もその範疇にある。「オペレーション・クロマイト」とは「仁川上陸作戦」の軍事コード名
であり、私たちは後者としてその一部を知るのみであるが、その背後に、本作で描かれるような実話があったとは
寡聞にして知らなかった。

映画が面白い面白くない以前の問題として、この事実のありように見入ってしまた。知られているように、ソ連と
中国の後押しを受けた北朝鮮軍は、侵攻開始わずか1ヶ月で、南側の殆どを制圧、南の軍は釜山周辺に追い込まれた。
ここあたりまでは割と知られた史実である。この後にマッカーサーによる国連軍の起死回生のインチョン上陸作戦が
起動するわけだが、その裏にあった韓国軍諜報部隊の決死の活動を描くのが本作だ。

隊長チャン・ハスクを中心とする部隊は、人民軍に潜入し、韓国側に情報を送っていたのだが、インチョン上陸に
際して絶対に取り除かなればならない機雷の敷設地図が手に入らない。ハスクに命じられたのは、この地図の奪取
であり、連合国艦隊の目印となるインチョン港入り口の小島の灯台に灯を入れて、連合国艦隊を誘導することで
あった。これに対抗するのが人民軍のリム・ゲジンである。

ハスクの部隊は、人民軍を欺き、少数の味方の手を借りて、結局自分も含め全員死亡という中で、マッカーサーを
して「成功は5000分の1」と言わしめた、ギャンブル的作戦を成功に導いたのだった。

映画はおそらく人民軍のリムなどは創造されたキャラクターだと思うが、作戦の概要については大きくハズレていない
はず。朝鮮戦争を描いた作品を見る時はいつも思うのだが、大国の思惑に振り回され、民族を分断された国民の悲劇だ。
歴史的に北に中国とソ連、南に日本という強国に囲まれ、「高麗」として強くなれない環境で、結局現在も分断された
状態は続いている。
豊臣秀吉の時代から、落ち度のない韓半島に侵略を続けた日本は、今の韓国の頑なな態度にイラつくが、当人たちに
してみれば、長い歴史の中で受けてきた所業からすれば、簡単に「未来志向」といわれて、ハイそうですか、とは
なりづらいのではないか。一方、北朝鮮は共産中国とソ連の南進の橋頭堡・あるいは自由主義の防御線とされ、彼らの
思惑からそう簡単に南北が手をつなぎ、あまつさえ自由陣営に行ってしまうことなどとうてい看過できないのだ。

本作で描かれるのはとにかく、自分の愛する人たちを守りたいと思う軍人の思いのみ。日本はといえば朝鮮戦争の
特需で景気は上向きとなり、高度成長のキッカケを作っていっくのだから皮肉なものだ。

インチョン上陸作戦はマッカーサーのいわば起死回生を狙った博打であったわけだが、ここで描かれる決死の男らの
努力もあって結果的に成功、またたくまにソウルを奪還したわけだが、戦争は膠着し、やがて中国人民義勇軍の
本格的介入により、マッカーサーは原爆の使用を進言し、ついには更迭されてしまうのだ。

繰り返すが、映画としての出来は大味と言わざるを得ないが、演出されたとは言え、分断された民族の悲劇を追体験
するためには私としてはそこそこ面白くみることが出来た。本国では熱狂を持って迎えられたことは想像に難くない。
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<ストーリー>
1950年、朝鮮戦争時の朝鮮半島。北朝鮮は南へと侵攻しソウルを陥落させ、1カ月ほどで朝鮮半島の大部分を支配下に
収めた。事態を重く見た連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(リーアム・ニーソン)は、戦局を打開するため
仁川への上陸作戦を計画するが、周囲からは不可能だと猛反対を受ける。作戦が成功するかは、北朝鮮軍に潜入した
諜報部隊のチャン・ハスク大尉(イ・ジョンジェ)に懸っていた。
チャンと部隊の精鋭たちは正体がバレれば即座に処刑されることが確実な極限の状況で、マッカーサー率いる連合軍艦隊を
仁川上陸へと導く命懸けの作戦行動を開始する。(Movie walker)

<IMDb=★6.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:33% Audience Score:50% >



# by jazzyoba0083 | 2018-07-26 16:00 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「ストリート・オブ・ファイア Streets of Fire (デジタル・リマスター版)」
1984 アメリカ Universal Pictures,A Hill-Gordon-Silver Production,RKO Pictures. 94min.
監督:ウォルター・ヒル  音楽:ライ・クーダー
出演:マイケル・パレ、ダイアン・レイン、ウィレム・デフォー、ニック・モラニス、エイミー・マディガン、リック・ロソヴィッチ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
シネコンでこんな旧作をデジタルリマスターで復刻上映してくれるとは思わなかった。キャストやスタッフに何かが
あったわけでもないのに。公開当時劇場鑑賞を逃していたので、私としては嬉しかったけど。

とにかく80年代の匂いがプンプンする映画だ。ストーリーの展開といい、演出といい、ちょっと気恥ずかしくなる
ようなオチの付け方といい、あの時代だから良かったのだな。良くも悪くも80年代している。その時代をリアルタイムで
生きてきた私のような輩にはたまらんわけです。「ダサかっこいい」とでもいうのかな。スタイリッシュ(風)ではある
けど、ツッコミどころも満載で、ハードボイルドならば一世代前に「イージーライダー」のような硬派で佳作はたくさん
あるのだが、なんといってもこの映画は、社会が緩んじゃった感じのところで作られた青春映画なので、そのゆるさ加減が
私なんかにはとても心地よく出ているのだ。

思えばこの頃は「フラッシュダンス」(1983)「フットルース」(1984)「ステイン・アライブ」(1984)など
音楽を広く取り入れた映画が盛んに作られていた。翻って日本を見てみるとバブル前夜で角川映画が全盛だったころ。
こうした時代の空気を体験して、本作を見るかどうかでその価値観はずいぶんと違ってくるだろう。今の若い人が
見たら、「たるい映画だなあ」と思うかも知れない。そして今、この脚本で映画を作ろうとしたら、本作のような
演出には絶対にならないだろう。 1984年の時代を切り取った価値が出来の良し悪しに関わらず本作にはある、と
いうことだ。

「ウェストサイド物語」のように対立する若者暴走グループ、これに音楽と恋愛をまぶして、渋い仕上がりとした、
そんな感じだ。この映画で一番演者的立場で一番光っていたのは、男勝りの女兵士マッコイを演じたエイミー・
マディガンであったろう。若きダイアン・レインはとにかく美しい。(歌は口パクだけど) 男側の主役トム・コーディ
を演じたマイケル・パレはボーッとして強いんだか弱いんだかわからないところが、この映画の一つの味であろう。
まるで西部劇の流れ者そのものだ。このキャラクターの設定も平和な感じだな。
そして「プラトーン」で名を馳せたウィレム・デフォー、白塗り?が少々痛いが、ストリートギャングの親玉らしいん
だかどうなんだか分からないところがまたこの映画の味なのだろう。そして幸いなるかな、本作の中では一人も死人が
出ないのがまたいいところだ。

アメリカの80年代ってどんな風?と聞かれたら、この映画はある一面を現している代表作といえるんじゃないかな、
音楽も含め。ラップ全盛のこんにちにあって、ライ・クーダーの作り上げた音楽世代は私たち世代にはとても心地よく
響くロックだ。
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<ストーリー:ラストまで書かれています
高架線と路地裏の多い街、リッチモンド。リッチモンド生まれのロック・クイーン、エレン・エイム(ダイアン・
レイン)がアタッカーズを引き連れて凱旋して来た。ロック・コンサート会場は熱気に包まれ、ピークに達しようと
していた。その時、ストリートギャングボンバーズのリーダー、レイヴェン(ウィレム・デフォー)が手下を指揮して
ステージに乱入、エレンを連れ去った。

その夜、レストランで働くリーヴァ(デボラ・ヴァルケンバーグ)は弟のトム・コーディ(マイケル・パレ)に手紙を
出した。トムはエレンのかつての恋人で、彼女の危機を知れば弟が街に戻ってくることをリーヴァは知っていた。
数日後、ロングコートに身を包んだトムが帰ってきた。彼はボンバーズの情報を得るため、かつての馴染みの酒場に
出かけていった。そこでトムはマッコイ(エイミー・マディガン)と名のる元陸軍の車輛係をしていた女兵士と出会い、
意気投合。その夜、宿無しのマッコイをリーヴァのアパートに泊めてやった。

翌日、トムは1人で武器を調達、組立式のウィンチェスター・ライフル、ポンプ式ショット・ガン、それに45口径
リボルバーで武装しエレン奪還の準備を整えた。その日の午後、エレンのマネージャー兼恋人のビリー・フィッシュ
(リック・モラニス)と会い、救出に成功したらトムとマッコイに賞金1万ドルを出させることを約束させた。

3人はボンバーズの根城であるバッテリー地区へ向かった。真夜中、バッテリー地区の根城の中では熱狂のロックが
渦巻き、外ではバイクを乗りまわすライダー達がたむろしていた。トムがそのライダーたちのオートバイを
ウィンチェスター・ライフルで破壊、その間隙をぬってマッコイが単身アジトに侵入しレイヴェンに拳銃をつきつけた。
トムとマッコイはエレンを救出、4人は作戦の成功を祝った。

だがトムが賞金目当てに自分を救い出しに来たことをビリーから聞いたエレンは、卜ムの心を計りかねた。リッチモンド
への帰路、警察の封鎖を突破するため、ドゥアップ・グループソレルズのバスを乗っ取り、封鎖線を強行突破した。
リッチモンドの人々はエレンたちを熱烈に歓迎した。トムが自分を救出してくれたのは金のためではないことを知った
エレンはトムの胸にとび込み、2人の間に昔の愛が甦えった。だが、メンツをつぶされたレイヴェンが黙っているわけが
ない。彼の仲間を集めトムを倒してエレンを奪おうと全面戦争の準備にとりかかった翌朝、ボンバーズがリッチモンドを
取り囲んだ。
迎えうつ住民たち。トムとレイヴェンの大型ハンマーによる死闘が始まった。数分後、その場に立っていたのはトムだった。
夜、エレンのロック・コンサート会場をあとに、トムとマッコイは街を去った。(Movie Walker)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:67% Audience Score:70%>



# by jazzyoba0083 | 2018-07-24 14:00 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「かくも長き不在 Une Aussi Longue Absence」
1960 フランス Procinex,Societé Cinématographique Lyre,Galatea Film.98min.
監督:アンリ・コルピ
出演:アリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウィルソン、ジャック・アルダン、シャルル・ヴラベェット他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
ずっと観たいと思いながら作品に触れる機会がなかったところ、WOWOWで放映してくれたので鑑賞。
欧州大戦が終わって16年。製作された年の頃の話であが、まだまだ戦争の傷跡を引きずって市民は生活して
いた。街の人のたまり場となっているカフェの女主人テレーズ。映画の前半では彼女の素性は明らかに
されない。やがて店の前をオペラ「セビリアの理髪師」の一節を口ずさむ男が行き来するようになる。
みなりは卑しく、今で言うホームレスのような格好だ。帽子を目深に被り、表情は分からない。

やがて彼女は、その男が、ひょっとしたら16年前に二人で暮らしていた田舎でゲシュタポに連れて行かれた
夫なのではないか、と思い始める。口ずさんでいた歌は夫がよく歌っていた歌だし、背格好も顔つきも
忘れられるものではない。ある日、彼女は男の後を付けていき、あばら家で暮らす男とついに対面する。
しかし、その表情にはなんの変化も起きなかった。記憶が無いのだ。

彼女や家族、街の人も見守る中、夫アルベールを店に入れ、いろいろと話しを聞くが、どうやら自分が
誰か、周りにいる人が誰かの記憶が無くなっっている。彼いわく医師も戻ることはないだろうと言って
いるという。手料理を振る舞い、一緒に食事をし、ダンスを踊る・・・。テレーズの必至の努力の甲斐なく
男の記憶は戻らない。

観ている方は、何かのキッカケで記憶が戻るんじゃないかと期待しつつ物語からいっときも目を離せない。
テレーズの夫を思う気持ちが辛く辛く胸に迫る。そして見つける男の後頭部の大きな傷跡。ゲシュタポに
よる拷問の傷跡に違いない。テレーズの心中はどんなものであっただろうか、私たちの切なさは、
テレーズの必死さに比例して、いや勝ってくる。この辺りのシーンは息するのも辛いくらいだ。

ラストシークエンス、河原の小屋に引き上げる男に向かって、街のみんなが「アルベール!」「アルベール・
ラングロワ!」とその背中に声を掛ける。男は一瞬、ホールドアップのように両手を挙げた。次の瞬間、
前から走ってきたトラックにぶつかっていった・・・。

警官はテレーズに、男は「大丈夫だったよ。またどこかへ行ったよ」と説明する。
大丈夫なはずはないのだ。テレーズは「冬を待ちましょう。寒くなればきっと戻ってくるわ」と独り言つ。
そこにはある種の達観が見える。
このシークエンスは見事だ。男が名前を連呼されホールドアップするのは記憶喪失していても、戦争で受けた
心の傷は忘れられないものになっているという戦慄すべきシーンであった。それに対し、これからまた夫が
いない暮らしが(永遠に)続くテレーズにとって、(冬の到来」とは何を指すのだろうか。戦争が生み出した
ある夫婦の悲劇はまだ終わらないのだ。 トラックにぶつかった拍子にアルベールの記憶が戻るのじゃないか、
と思った私には作者がこの映画を通して伝えたかった戦争の悲劇を分かっていなかったということだ。

物語の構成もテンポよくまた計算されたものとなっている。パリの郊外のカフェ、やって来たバカンスシーズン、
人々は浮かれて地中海を目指す、残されたテレーズ。現れる男、正体を探ろうとする、接触してカフェにつれて
来てなんとか記憶を回復させようとする。しかし絶望・・・。94分のモノクロの映画全編に渡る緊張感と悲劇性は
その年のカンヌのパルム・ドールを獲得するのに相応しい。
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<ストーリー:ラストまで書かれています>
テレーズ(アリダ・ヴァリ)は、セーヌの河岸に近い、“古い教会のカフェ”の女主人。貧しい人々の憩の場である。
しっかりものと評判高かったが、女盛りを独り身で過したのだ。運転手のピエール(ジャック・アルダン)の親切に
ほだされるのも無理からぬことだった。
彼女が、朝と夕方、店の前を通る浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)の姿に目をとめたのは、そんなある日だった。
十六年前、ゲシュタポに捕えられたまま、消息を絶った夫アルベールに似ているのだ。彼女は不安の混った期待で
その男の通るのを待つようになった。

ある暮れ方、手伝の娘に男を導き入れさせ、物陰で男の言葉に耳を傾けた。男は記憶を喪失したのだという。彼女は
男の後をどこまでも尾けて行った。セーヌの河岸のささやかな小屋。その夜、そこから離れなかった。
翌朝、男と初めて言葉を交した。彼女はもしや……という気持が、もう動かせない確信に変っていった。何日か後、
アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、記憶を呼び戻すような環境を作ってその結果に期待したが、彼の表情に変化は
認められなかった。叔母は否定的だったが、彼女は信じて疑わなくなった。

ある夜、男を招いて二人だけの晩さんをした。ダンスをした。それは幸福な記憶に誘う。彼女の眼にはいつしか涙が
光っていた。夫の記憶を取り戻す術はないのか。背を向けて立ち去ろうとする男に、思わず叫んだ。「アルベール!」
聞えぬげに歩み去る男に、それまでの一部始終を伺っていた近所の人たちも、口々に呼びかけた。瞬間、男は立ち止った。
記憶が甦ったのか?一瞬、彼は脱兎の如く逃げ出した。その行く手にトラックが立ちふさがった。あっという間の
出来事であった。
目撃者のひとり、ピエールのなぐさめの言葉に、テレーズは一人言のように呟いた。「寒くなったら戻ってくるかも
しれない。冬を待つんだわ」(Movie Walker)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=No Data>



# by jazzyoba0083 | 2018-07-23 23:15 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「静かなる叫び Polytechnique」
2009 カナダ Remstar Media Partners  77min.
監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:マキシム・ゴーデット、セバスティアン・ユベルドー、カリーヌ・ヴァッナス、エヴリーヌ・ブロシュ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
WOWOWでヴィルヌーヴ監督の初期の作品を何本か放映してくれたので、先日の「渦」に続いて鑑賞。
「渦」から9年が経過している。描く感性は「渦」ほど分かりにくくないが、さりとて明快に割り切れる分かり
やすさがあるかといえば、やはり「具象性」より「觀念性」が際立つ作品となっている。

本作のベースになっているのは1989年にモントリオールの理系大学で実際に起きた乱射事件。この不条理
極まりない事件をヴィルヌーヴの感性で切って取るとこうなるのか、という感じだ。犯人はひたすら女性
=フェミニストに対し、ネジが外れた考えを持っていて、大学に乗り込んで(理工系の大学の女子大生と
いうのに意味がある)銃を乱射、14名の女子学生を射殺してのち、自らの頭を撃ち抜いて自殺する。
自分も理系の学生で、かなり頭はいいようだ。だが、彼いわく7年前に、彼を否定するような女性からの
何かがあったようだ。それ以来、フェミニストを抹殺することしか念頭になくなった狂気にとりつかれた
男だ。

勝手な思想で不条理な死に見舞われた若い命に胸が痛むのだが、犯人がなぜフェミニストを唾棄するように
なったのか、その背景は描かれないが、どうやら映画の端々から、彼の母性コンプレックスのようなもの、
成長過程において母親との「何か」が、彼のネジを何本か外してしまったように見えた。
その最たる象徴は、自殺した男の頭から流れ出た血と、隣で撃ち殺されている女学生から流れた血が合流する
シーンだ。これは、この映画全体の最も大事なメタファーとなる部分であろう。

それと、本作では時制の移動のさせ方が上手い。一度見た(経験した)恐怖は、遡って再現されると倍加する
のだ。それと、女子学生を助けようとして助けられず、自責の念に囚われすぎた一人の男子学生は、実家に
戻り母の手料理を味わった後、空き地で排ガスをクルマに引き込んで自殺する。彼が直前に学校でみていた
ピカソの「ゲルニカ」のレプリカ、そして血まみれの姿で乗った地下鉄で、映画を観ている人に向ける目線。
そのあたりのシーンの切り替えの唐突さも、気に触る人は気に触るだろうが、私にはスパッとしていて見事だな、
と思えた。彼はコピー機のところで殺された女子学生が好きだったのだろうか。

そして、さらにこの短い映画の時間の中に、監督は、この混乱の中から助かり、希望通り航空会社の設計担当と
なった女性のその後も描く。当然大きな心の傷や自責の念(なぜ自分が助かってしまったのか、というような
いわばPTSDの一種)に駆られながらも、結婚して子どもが出来る。しかし子どもができたことが怖い。
どこかへつながる光の帯をラストカットとして映画は終わる。

ヴィルヌーブは事件を題材としているが、この映画に登場する被害に遭う側の学生は創作として作り上げ、
不条理の裏側にある主に一人の女と一人の男の、事件に対する思いを描いた。女性は大怪我を負いながらも
怖さを抱えながら生き抜く決心をし、男は、自責の念に耐えかねて自らの生命を断つ。犯人は勝手に自殺する。
犯人に唾棄された女性が希望を繋ぎ、犯人が男こそ、と思っていた男子学生は自殺する。人生の不条理の小さい
縮図がそこにも見えたような気がした。
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<ストーリー>
1989年12月6日、モントリオール。理工科大学に通い、就職活動中の女子学生ヴァレリー(カリーヌ・
ヴァナッス)とその友人ジャン=フランソワ(セバスティアン・ユベルドー)が、いつも通りの生活を
送っていたその日。平穏な日常が突然、恐怖に染まる。ライフル銃を手にした男子学生の1人が、女子
学生目がけて次々と発砲し始めたのだ。容赦ない銃撃に逃げ惑う学生たち。
犯人は14人もの女子学生を殺害した挙句、自殺を図る。重傷を負いながらも生き残ったヴァレリーと、
負傷した女子学生を救ったジャン=フランソワ。心に深い傷を負った2人は、その後も続く非日常の中で
もがき苦しみ、戦い続けるが……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:86% Audience Score:75%>





# by jazzyoba0083 | 2018-07-21 17:35 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「ビヨンド・ザ・トレック Teleios (Beyond the Trek)
2017 アメリカ Thousand Mile Media 90min.
監督:イアン・トゥルートナー
出演:サニー・メイブリー、ランス・ブロードウェイ、T・J・ホーバン、クリスチャン・ピトル他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
「スター・トレック」シリーズのスピンオフかと思った私が馬鹿でした。いろんな宇宙モノの映画や
「エクスマキナ」のようなアンドロイド系の作品を、味を薄~くして合成したような感じの映画だった。
これじゃあ、日本未公開も頷けてしまう。

地球の環境悪化への対応のため遺伝子操作から作られた「GCヒューマン」なる気質も知能も高い
「新人類」が環境悪化を改善するための物質を回収するというのがメインのお話だが、その物質を
運ぶ宇宙船には人間が一人と、アンドロイドの女性が一台いるだけだった。
その宇宙船に積まれた貨物はどこにったのか。またその貨物に隠された金の匂いのする陰謀とは。
そしてなぜ宇宙船には人間一人が残ることになったのか。

みなさんご指摘の通り、セットもチープ感丸出しで、アンドロイドは化粧と役者の表情でなんとか
形を整えているようえ、逆に気持ちが悪い。本来完璧なはずの「GCヒューマン」らに芽生える愛情や
憎しみなどの人間的後天的性格が顔を出してくる。アンドロイドもただのロボットではなくなり・・・。
既視感ありありのストーリーに安っぽい画面。ラストの方は話の筋さえ分かりづらくなる始末。

これ、見なくてもいいですよ。怖いもの見たさの人は別だけど。
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<ストーリー>
西暦2048年。遺伝子組み換えで誕生した、IQが高く、肉体のみならず気質まで完璧な“GCヒューマン”の
中から選ばれし5名が、深宇宙に飛び立った。その目的は、消息を絶ったアトロミトス号の救出だった。

しかしこの船は、気象条件の悪化が深刻化する地球の解決方法を見つけるために深宇宙へ派遣された後、
音信不通となり乗員の生存は絶望的と見られていた。
一方、精鋭5人に課せられた任務は、救出とは名ばかりで、船内のどこかに隠されている“謎の積み荷”の
回収こそが真の目的であった。やがてアトロミトス号を発見し、合流に成功した一行が船内へ侵入すると、
そこには残された唯一の乗員オニールと、ARTと呼ばれる人型ロボットが生き延びていて…。(fimarks)

<IMDb=★4.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:No data Audience Score:18%>






# by jazzyoba0083 | 2018-07-19 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

渦 Maelström (2000)

●「渦 Maelström (2000)」
2000 カナダ Max Films Productions,SODEC,Téléfilm Canada. 84min.
監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:マリ=ジョゼ・クローズ、ジャン=ニコラ・ヴェロー、ステファニー・モーゲンスターン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
「ブレードランナー2049」や「メッセージ」で一躍その存在が普遍的になったカナダの監督ドゥニ・
ヴィルヌーヴ。彼の作品は、これまでも「ボーダーライン」「複製された男」「プリズナーズ」を
観ている。具象的な作品と、観念的抽象的な作品、それぞれに旨味を出せる監督だと思うのだが、
彼の長編二作目、メジャーデビュー作としての「渦」は、ヴィルヌーヴ監督の思想の原典(原点)と
言える作品ではないか。それにしても読み解くのに苦労するタイプの映画だ。

観念的な作品は、メタファーだらけだったり、表現が抽象的だったりするので、読み解くのに苦労
する。一体何を言いたいのだろう、と。本作も、冒頭、身を削がれて殺される大きなグロテスクな
魚の喋りから始まるのにまず度肝を抜かれる。
物語は、大女優の娘で、25歳にしてチェーンブティックのオーナーであるビビアンという女性の
破滅と再生の話。カットインしてフェイドアウトしていく物語の構成だ。

冒頭の魚がナレーションを務めていくのだが、この映画全体を通してキーになっている映像が「水」
「海」だ。ビビアンが最初に登場するのは彼女の堕胎シーン。水子になって流れる世の中に
現れそこねた命が吸引パイプの中を液体となって通っていく。「海」に関連して登場する魚市場だったり
レストランだったり、イメージだったりのさまざまな「魚たち」、時々挿入される泡だった水のカット、
ビビアンが安寧を求められるという(魚がそういう)シャワーはお風呂のシーン、コーヒーの表面の
アップ、ビビアンがひき逃げで殺してしまう魚卸市場の中年の男、ひき逃げされたクルマを洗う洗車機の
泡と水、さらにそのクルマを自ら運転し海に捨てて脱出を試みる、ひき逃げの被害者の息子は潜水
ダイバーを仕事としている(これはなにかのメタファーくさい)、などなど、事あるごとに「水」がキー
映像として使われいる。

ビビアンと水の関係とはなにか。まだ若いビビアンの定まらない心のかたちのメタファーなのかどうか。

彼女は自分が轢き殺した男の葬儀に行き、その息子と話したばかりに、その男に好かれてしまう。殺した
男の息子から好かれるとは! 遺灰を持って故郷に引き上げる彼を飛行機に乗る手前で引き止めるビビアン。
「私にはまだあなたと寝るという忘れ物がある」と。その飛行機は彼を乗せずに飛び立ち、途中で墜落する。
彼は、ビビアンは天使だという。が、彼女は実は自分があなたのお父さんをひき逃げして殺した、と告白する。
しかし、二人の愛情はもはや揺るぎのないものになっていたのだった。

二人は息子の故郷へ帰り、その途中の船の上から遺灰を散骨したのだった。

観念的な物語の中にも、具体的な事象を埋め込み、たとえば、ビビアンとその殺した男の息子が、見知らぬ
男に「人を殺した」「親を殺した女に恋をしてしまった」と相談をするのだが、それが同じ男であったり。

薀蓄を語るグロテスクな死の直前の魚のいる場所はどこだろう。ラスト、「人間というやつは」と言いかけた
ところでこの魚は頭を切り落とされてしまう。そこでエンドだ。
「ビビアンの破滅と再生」といってしまうのは容易いのだが、若きヴィルヌーヴがこれで何を言いたかったのか、
ビビアンの観念的心象風景なのだろうか。原題は映画にも出てくるノルウエーの海の「大きな渦」のことらしい。

ヴィルヌーヴ33歳のときの作品。若さの勢い、尖った表現、向こう見ずな挑戦のような制作姿勢を感じる。
最近の新しい2作はこうした彼の原点ぽい観念性への回帰みたいな雰囲気を感じる。
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<ストーリー>
中絶手術をしたばかりのビビアン(マリ・ジョゼ・クローズ)は、大女優の娘に生まれ、25歳の若さにして
ブティックのオーナー。
しかし経営状態は思わしくなく、絶望を紛らわすために親友クレール(ステファニー・モーゲンスターン)
から慰めを受け、クラブに繰り出し酒をあおる。そして深夜、彼女は誤って、ある男をひき逃げしてしまう。

ビビアンは事故をひた隠すが不安に苛まれ、男との刹那的な関係で気を紛らわそうとするが、混乱は消えない。
やがて彼女は、自分が殺した男が年老いた魚の卸売り業者だと知る。せめてもの償いをしようと男の死体が
安置された場所に出掛けるが、そこで彼の息子であるエヴィアン(ジャン・ニコラス・ヴェロー)と運命的な
出会いを果たす。まもなく二人は恋におち、共にノルウェーの海に死んだ男の遺灰を撒くのだった。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:80% Audience Score:79%>




# by jazzyoba0083 | 2018-07-18 23:10 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)