風とライオン The Wind and the Lion

●「風とライオン The Wind and the Lion」
1975 アメリカ Metro-Goldwyn-Mayer 119min.
監督・脚本:ジョン・ミリアス
出演:ショーン・コネリー、キャンディス・バーゲン、ブライアン・キース、ジョン・ヒューストン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ジョン・ミリアスって数えてみたら監督は7本だけなんだ。これと「ビックウェンズディ」くらいでしか
花が咲かなかったんだなあ、今のところ。本作も今はVFXでやるだろう馬を使ったアクションシーンは
彼が尊敬する黒澤明色たっぷりでそれなりに観られるものなのだが、物語としては弱いと言わざるを得ない。
脚本も手がけているが、原作があるので脚色といったほうがいいだろう。それにしても、何の前知識も無しに
観はじめて、風がセオドア・ルーズベルト大統領で、ライオンがライズリ(コネリー)だとは最後の最後まで
分からなかった。

 ライズリの一代記でありアメリカの大統領が片方の主人公とは。後半にルーズベルトの扱いが大きくなる
のだが、バランスに欠け全体に締まりのない映画となってしまった。誘拐した婦人イーデン(バーゲン)との
愛情物語も入って、それぞれのプロットは理解できるのだが、一本の映画となると、まとまりに欠けた
印象が強い。またライズリの人となりが十分に浮き彫りになっていたか、というとそうでもなく皮肉なことに
ルーズベルトの考え方の方がよく分かったりした。一つ勉強になったのは、北アフリカ、モロッコを巡る
(というかアフリカ全体の)欧米列強の帝国主義姿勢が勉強になった。20世紀初頭、1904年というと日本では
日露戦争が開戦となり翌年にポーツマス条約で終戦となったころ。モロッコでは領土拡大を目指すルーズベルトと
欧州列強の衝突前夜であった。これに対抗し腰砕けのスルタンを動かして列強を排除しようとしたのが実在した
ベルベル人のリーフ族首長ライズリであった。(ルーズベルトはポーツマス条約締結の労を認められノーベル
平和賞を受賞している)

彼はアメリカ人一家を誘拐し、これをネタに実兄であるものの列強のいいようにやられている太守(サルタン)
を苦境に陥れる作戦に出て、サルタンの目を覚まさせ民族自決の施策を希望していたのだった。
しかし、この誘拐事件は急激に軍事大国化したアメリカに介入の理由を与え、次期選挙対策と領土的野望を
胸に秘めたルーズベルト大統領の思う壺にはまったのだった。

第一次世界大戦(1914~)第二次世界大戦(1939~)でも、非介入姿勢を基本としていたアメリカが、
この時代に北アフリカでこんなえげつないことをしていたのか、という事実を知ったことはショックだった。
タンジールに軍艦多数を入港させた米軍はライフル部隊2個中隊をサルタンの館に侵入させ、一方的な攻撃で
サルタンを捕縛するという、まあ帝国主義丸出しな姿勢。ミリアス監督、何か思いがあったのかこのシークエンスは
異常に長い。結末としてライズリがルーズベルトに出した手紙で幕が閉じられるのだが、ライズリが自らを
ライオンになぞらえ、ルーズベルトを風と称した詩のような手紙は、一見カッコイイけどこの事件の背景を、
また映画が背負っている歴史的意味を正確に伝えているとは思えない。

テディベアで知られるテディというニックネームのセオドア・ルーズベルト大統領は、「ナイトミュージアム」に
出て来る狩猟の衣装を来たあのテディそっくり。グリズリーこそアメリカの国を象徴する動物であることを
信じている人だった。アメリカ歴代大統領の中でも人気の上位にくる大統領であるが、こんなこともあった
のか、とちょっと意外な感じもした。

いずれにせよ、ライズリのパート、誘拐された未亡人イーデン(と二人の子供)のパート、そしてルーズベルトの
パートと大きく3つのプロットからなるのだが、有機的な結びつきが弱く物語性に重みが無くなってしまったと
いうことを言いたかったわけだ。故にショーン・コネリーがカッコイイだけの演技になってしまい、バーゲンが
気丈な女性なれど、次第にライズリに心を寄せていくさまが、今ひとつという演技も、彼らの能力に帰すると
可哀想な気がするのだ。 なんかもう少し考えて作ればいい映画になったと思うのだが。似たような状況の傑作に
「アラビアのロレンス」があるだけに。
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<ストーリー>
コロニアル風の建物を覆う白壁が地中海の光を照り返す正午の港町。街中を疾走する馬群は隘路(あいろ)を
見事な手綱捌きで抜けると、高台の豪邸に侵入し容赦なく家人を殺してまわる。賊はアメリカ人である邸の
女主人と子供2人だけは殺さずに連れ去ると素早く去っていく。
1904年、モロッコの港町タンジールでの出来事である。

鉄道と電信と砲艦が世界を席巻した20世紀に登場した「海賊」たちの頭領はリーフ族(英語版)の首長ライズリで
ある。預言者ムハンマドの血を引く砂漠の王者を自認するライズリは、列強が自治国であるモロッコへ介入する
現実に我慢ができず、国際紛争を誘発させ、甥であるモロッコの太守に外国勢力排撃の号令を出させようと
目論んでいた。

ライズリの世界観は、男同士は面子の絡んだ喧嘩には命を懸けるというものであった。人質の女主人が危険な
火遊びの果てには破滅が待っていると忠告するが、自信家のライズリの耳には入らない。プライドの高い男に
呆れる女だが、共に生活する中で別の感情を持ちはじめていく。

一方、アメリカ国内では世論に押される形をとりながら、自国の勢力伸展をもくろむ野心家達の策謀が動き
始める。アメリカ大西洋艦隊がモロッコに派遣され、海兵隊がタンジールを占領する。
そして、イーデン母子の釈放と引き換えにライズリの免責が約束されたため、ライズリはイーデンを釈放するが、
彼は太守の裏切りによってドイツ軍にとらわれてしまう。裏切りに怒ったイーデンは、アメリカ海兵隊の協力を
得て、ライズリを救出すべくドイツ軍の駐屯地へ向かのだった。互いの流血の末、非情な国際社会の力学は
ルーズベルトを勝者とする。賞賛の嵐の中、一人となった大統領は顔を合わせずに終わった好敵手からの
書簡を読みはじめる。

『あなたは風のごとく、私はライオンのごとし。あなたは嵐をまきおこし、砂塵は私の眼を刺し、大地はかわき
きっている。私はライオンのごとくおのれの場所にとどまるしかないが、あなたは風のごとくおのれの場所に
とどまることを知らない』 -ライズリの声に、何かを考え込むように立ちつくす大統領- 
ラスト、砂漠に落ちていく夕陽を背に不敵に笑うムスリムの族長二人。バックを勇壮なテーマが流れて映画は
幕を閉じる。(wikipedia)

<IMDb=★7.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:75% Audience Score:70% >










by jazzyoba0083 | 2017-12-26 22:40 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)