誰のせいでもない Every Thing Will be Fine

●「誰のせいでもない Every Thing Will be Fine」
2015 アメリカ Neue Road Movies,Montauk Productions.118min.
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、マリ=ジョゼ・クローズ、
   レイチェル・マクアダムズ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
独特の味わいを持つ作品。ヴィム・ヴェンダースの作品は12年前に「ランド・オブ・
プレンティ」を観たきりなので、これ一作を持って彼の作風を物語ることは出来ないが、
こと,この作品に限って言えば、音楽と映像はピカイチ。演者も悪くない。ただ、北欧系の
脚本家の物語を据えたことで、どこか終始「寒さを感じる後味のさっぱりしない映画」と
なった感じだ。監督はドキュメンタリーも良くする人で、そのような感覚が入っている
ような気もした。

先程、「後味がさっぱりしない」と書いた。何に起因するか、というと、主人公の
小説家トマス(ジェームズ・フランコ)の、どんな行動にも「自分の内面」しか
見ていないのではないか、人に対する思いやりを持っているのか、最低人として
他人と接し得る人物か、という疑問が拭いきれないからだ。

最初のうちに言っておくが、これは3D用に撮られた作品で、それを意識したパースペク
ペクティブを生かした映像が多用される。ヴェンダースは奥行きのある映像で心象に
おいても奥行きをだそうという試みをしたのだろうか。それが成功しているのかどうかは
観てみないと判断できないが、映像、キャメラは非常に美しい。(色彩、構図、ズーム、
パン・フォーカス、緩やかに流れれるようなパン、ドリーやトラックショット、溶暗など
全てのカットが柔らかい一連の流れとして繋がるように撮影・編集されていて、それはそれ
で美しい。

一方音楽は、今年度オスカー作曲賞を「シェイプ・オブ・ウォーター」で獲得した
名匠アレクサンドル・デスプラの手に依るのだが、弦楽を主体とし、かつ主人公や
登場人物の不安を象徴するように、低音を担うチェロやコントラバスの音が強調され
通奏低音のように流れている。それと映像のマッチもよく出来ていると思う。

さて、肝心のストーリーだが、最近伸び悩む小説家のトマスは、恋人サラ(レイチェル)
ともギクシャクしている。そんな折、サラの元に向かうクルマを運転していたトマスは
雪道で急に飛び出してきた子供のソリとぶつかってしまう。放心の子どもクリストファーの
手をつないで近くの家に連れて行くと、母ケイト(ゲンズブール)は、弟はどうしたの!
と慌ててクルマのところへ走っていく。(作中、事故にあって死亡したのが弟であるとか
車の下に入ってしまって死亡したとかは説明されない。弟だったことは後半分かる)
取り調べをした警察もトマスに「事故なんだから御自分を責めないように」と言われる
ように、トマスには不可抗力で、弟は亡くなったらしい。がその詳細は説明されない。

しかしトマスの心には子どもを殺したという大きな心の傷が残り、酒浸りとなり自暴自棄
の生活に溺れてついには入院する。サラとやり直そうとはするが、トマスは一方的に
サラとの縁を切ってしまう。一方、子どもが亡くなった母ケイトは売れないイラストレーター
なのだが、彼女はとトマスを責めず、自分を責めるのだった。あの時外に出さなければ
良かったのに、と自責の念に潰されながら行きていくことになる。

ここにおいて映画の主題が「心の傷と癒やし・赦し」なのだろうな、と理解出来てきた。
作品は、それから2年、4年、4年とどんどん物語を畳んで先に進む。トマスは編集者で
アン(マリ=ジョゼ)と結婚。連れ子の娘とも上手くやっていた。ある日遊園地で遊ぶ
3人の近くで遊具が壊れ何人かが下敷きとなる事故が発生。近くにいたトマスは落ち着いて
救助に当たる。その夜、アンは本を読んでいるトマスに「あんな事故があったのにあなたは
なぜそんなに落ち着いていられるの。私の手は今でもこんなに震えているというのに」と
半ば責める口調で不満を口にする。トマスにしてみれば、かつての自動車事故から立ち直る
過程において、非常時に自分を落ち着かせるという強みをリハビリを通して獲得したのかも
しれない。

一方、トマスは子どもを亡くしたケイトと会い、一度夜を通してさまざまなことを話し合う。
「なんでもする」とトマスは贖罪を申し出るのだが、ケイトはことさらトマスを非難する
ようなことはしない。そして宗教本のようなものを渡すが、トマスは読むことはなかった。

事故当時のクリストファーも成長し大学生になっていた。しかし弟を亡くすことによる
PDSDと思わる心の傷を負っていた。彼もトマスを恨んではおらず、むしろ彼の本の
ファンであり小説を書くようになっていた。学校のカウンセリング医は、クリストファーの
心の傷はトマスと会って話すことで癒やされるのではないか、と説明、それを受けて
クリストファーはトマスに「一度会って話を聞いて欲しい」と手紙を送った。

その頃、トマスは心の傷を克服し、優れた小説を発表していて有名な作家になっていた。
その最新作の詰めの段階であったため、「今は会えない」と返信したところ、母のケイト
から「なんで会ってくれないの。なんでもすると約束したのに」と詰め寄られる。

そこでトマスはクリストファーに会って話を聞く。一応聞くだけでけっこうおざなりの
感じがする対面であった。クリスはがっかりしたに違いない。彼はその後、トマスの家に
侵入し、夫妻のベッドにおしっこを掛けるという意志の表示をしたのだった。警察も
来たが、トマスは誰の仕業かは分かっていて、その夜更け妻子を実家にクルマで送り
だしたところへクリス現れ、二人でビールを飲みながら語るのだった。クリスは「あなたは
成功し、母は苦労している不公平だ」と。
その夜が明けクリスは別れたトマスを追いかけ持っていた多数の彼の著作にサインを頼んだ。
そして自転車で大学に向かおうとしたクリスをトマスは抱きしめたのだった。(←和解か?
わざとらしい。)"Every Thing Will be Fine!"(全部上手くいくさ!)と声を掛けて。
(←無責任だろう)

この映画の中で一番象徴的だったのは、結婚したアンとコンサートに出かけるが、心
ここにあらずで、一旦ロビーに出てくる。そこでばったり昔の恋人サラに出会う。
いろいろと言い訳めいたことをいうトマスに対し、頬にビンタを二発食らわすところだ。
その後、席に戻ったトマスは妻のアンにすり寄る行動を見せる。トマスという男の性格の
一端を垣間見た思いだ。この「自己中男」に不満を募らせていた観客はここで溜飲を下げる
に違いない。

つまりトマスという男、映画の冒頭でサラに対して自分から云うのだが、「これまでは
自分のことしか考えてこなかった。これからはすべて変わる」と。しかし、事故が
あったとはいえ、またそれによるPTSDで復帰に時間がかかったとはいえ、本質は変わって
いない、むしろ内向きに固くなってしまったのではないか。それが小説家としてはいい結果を
生んだのだが、周辺の人間たちとの関係は希薄となり、貝のようになって人生を送るのだ
ろうか。邦題の「誰のせいでもない」のではなくトマスのせいなのだ。そして彼が軽々しく
口にする ”Every thing will be fine"というのは、悟りでもなく、責任を天に任せた
便利な方便としか、私には映らなかったのだ。トマスは小説家のくせにあの事故や女性との
付き合いで人の人生をかくも変えてしまったことに気が付かないアホたれだと言われても
しかたあるまい。「誰のせいでもない」んじゃない、おまえよせいだよ、トマス!
 
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<ストーリー>
巨匠ヴィム・ヴェンダース監督によるサスペンスフルな人間ドラマ。ある雪の日に起きた
不幸な事故によって運命を狂わせてしまう人々の12年の月日を映し出す。
作家のトマスをジェームズ・フランコ、少年の母親ケイトをシャルロット・ゲンズブール、
トマスの恋人サラをレイチェル・マクアダムスが演じる。

カナダのモントリオール郊外に恋人サラ(レイチェル・マクアダムス)と住む作家トーマス
(ジェームズ・フランコ)は、仕事がうまくいかずサラとの関係もぎくしゃくしていた。
ある日ささいな喧嘩をしたトーマスが、大雪の中、目的もなく車を走らせていたところ、
車の前に何かが飛び出してくる。急ブレーキをかけ見に行くと、車の前に幼い少年が虚ろな
様子で座り込んでいた。怪我も見当たらず安心したトーマスは少年を家まで送るが、少年の
母ケイト(シャルロット・ゲンズブール)は息子の姿を見るや血相を変える。

一つの事故がトーマス、サラ、トーマスを担当する編集者アン(マリ=ジョゼ・クローズ)、そして少年の母ケイトの人生を変えていく。 (Movie Walker)

<IMDb=★5.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:28% Audience Score: 24%>



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by jazzyoba0083 | 2018-03-14 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)