シェーン Shane

●「シェーン Shane」
1953 アメリカ Paramount Pictures. 118min.
監督・製作:ジョージ・スティーブンス
出演:アラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサー、ブランドン・デ・ワイルド、ジャック・パランス他
e0040938_19294837.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
古い時代の西部劇映画は、個人的に趣味の範疇ではない。とはいえ、幼い頃、「ララミー牧場」とか「ガン・
スモーク」などはよく観ていたわけで、嫌い、というほどでもない。ジョン・フォードも当然彼の有名な作品の
名前は知っているが、たぶんほとんど観たことがないと思う。あえて観てみようと思わないという感じでいままで
来た。

しかし、映画好きを自認するものとして、名作と言われるものは、何が理由で名作なのか、ある意味「研究対象」と
して見る必要はあるな、と感じ、今回、NHKBSで連続して西部劇を放映したので録画して鑑賞してみた。

今更この映画になんの論評や感想を加えるのか、というくらい特にラストシーンに代表されるように西部劇映画の
歴史に残る名作として評価が定まった作品だ。先日観た「Logan/ローガン」のラストでも本作へのオマージュが
描かれていたように、アメリカでは知らない人のいない作品。

私は初見。ネタバレも何もこの期に及んでにあったものではないので中身をガンガン書きますが、私はラストは
ジョーイ少年が「シェーン!カムバーック!」と言って終わっているのかと思ったら、その後に「シェーン!
グッドバーイ!」というセリフがあったのだな。思い込みとは恐ろしい。このセリフには実は色んな捉え方が
出来る秘密があるんじゃないだろうか、と理解出来た。

しかし、本作のファンには申し訳ないが、この映画、スキのない絶賛映画なのかなあ?というのが正直な感想。
まず演出的に、各シーンの間延びが目立つ。それぞれのシークエンスが無駄に長いと思うのだ。それはシェーンが
一宿一飯の世話になるスターレット一家とのそれぞれの家族との向き会いでのエピソード、街の酒場での乱闘や
にらみ合いのシーンなど、テンションが下がる間延びを感じてしまう。そう思われる人、いませんか?
それと地主であるライカー一家は、おそらく先住民を追い出して開墾し、自らの土地とし、スターレットの
ような入植者を小作として牛や農業を広めていたのだが、ライカーらがスターレットに言うことに一理あるのが
こまっちゃうんだよなあ。だからといって牛の大軍を入植者の畑に入れてめちゃくちゃにしたりするのは許される
ことではないのだが。いいところもたくさんある映画だけど、両手を上げて★10個とはいいづらいものがある。

それとシェーンはほとんど演技していないですよね。それがこの映画のスタンスなのだろうけど、スターレットと
木株を2人で切り倒すところとか、ジョーイ少年に銃の撃ち方を教えるところくらい?あとは黙って立っている。
だいたいシェーンて誰? 流れ者なんだけど、その素性は全く語られない。あの拳銃ホルスターは何?予備弾丸も
入れられない。ということはリボルバー5発か6発で全て自分の身は守れるということの現れなのかな。いや、
後述するが、かつてのガンマン、シェーンも銃の時代は終わったのだ、くらいの気持ちで銃を腰にしているという
主張なのだろうか。

本作を観ていて私は「木枯し紋次郎」を思い出した。ふらっとやってきた宿場町。とある一家や人物のトラブルに
巻き込まていながら「あっしには関わりのないこって」とニヒルを決め込む。しかし最後には敵をバッタバッタと
切り捨てる。そんなイメージが重なって見えた。しかし、ひたすらクールでニヒルな紋次郎に対し、シェーンには
より重い「心の動き」が描かれている。

おそらく西部時代の、個人が銃を持つ時代の最後あたり。銃の早打ちのシェーンも出来れば銃のない生活で
穏当に暮らしたいと思って流離っていたのかもしれない。しかし、世話になったスターレット一家のトラブルに
距離を置いていたが、黙ってみているわけには行かなくなってしまうのだ。ウィルソンの決闘において、本作中
シェーンはたった一回、人に向けて銃を放つ。それは、ウィルソンを倒しスターレット一家やその仲間を救うと
いうニュアンスより、映画全体のトーンとしては、シェーンの銃に対する決別のような気がしてならない。

ラストはライカー一家に雇われた用心棒ウィルソンと決闘し勝ち、ラストの有名なセリフを吐いて、去っていく
のだが、その時のジョーイ少年のセリフが「シェーン!カンバーック!」なのだ。だが、実はシェーンは決闘の
中で怪我をしてた。ジョーイ少年も気がつくのだが、去っていくシェーンにジョーイ少年がグッドバーイと声を
掛けるのは、実はシェーンはあの傷が実は致命傷になっていたのではないか、と受け取ることも出来る。去って
行く彼は、ジョーイ少年のいろんな掛け声に一回も振り向くことはないことは何かを暗示している気もするのだが。
しかし、開巻の頃のジョーイ少年とラストシークエンスのジョーイ少年の表情に成長が観られるのが素晴らしい。

ビクター・ヤングの名曲「遙かなる山の呼び声」と、普及し始めた「シネマスコープ」の映像は素晴らしい!
(今回のNHKBSはデジタルリマスターだったので余計に綺麗だった)
余計なことかもしれないが、本作はこの年のオスカーには作品賞監督賞にノミネートさえされていない。
ヤングの名曲すらだ。何か、この映画の当時の捉えられ方が透けて見えるような塩梅じゃありませんか?

西部劇といえば、「OK牧場の決闘」「真昼の決闘」「駅馬車」などなど、敵と正義の対比が明らかにされ、
正義が勝つプロセスと結果が観客のカタルシスとなるわけだが、「シェーン」について言えば、その範疇から
外れた、愛と思索に満ちた異色の西部劇ということが出来よう。見るべきは活劇ではなくジョーイ少年や
スターレット一家を中心とした人物描写、という作劇なのだ。そこに本作を名作たらしめている理由が
あることは良くわかった。
e0040938_19295921.jpg
<プロダクションノート>
 おそらく、西部劇史上、十指に数える事に異論はないであろう傑作。舞台は緑麗しいワイオミングの高原地帯。
縁あって開拓移民のスターレット一家に厄介となる、旅人シェーン。折しも、この地では開拓移民と牧畜業者の
間で土地をめぐる諍いが起こっていた。
やがて、スターレット一家にもその騒動が飛び火してきた時、世話を受けていたシェーンは、彼らの間に割って
入っていく……。

西部の股旅物としてはまことにオーソドックスな展開なるも、全てのスタッフ・キャストによる奇跡のコラボレー
ションがこの名作を造りあげた。風景描写・人物描写共に丹念かつリアルな演出を施した監督のG・スティーヴン
ス。J・シェーファーの原作を基に、あくまでも子供の視点から物語を構築させ、英雄譚と人情劇を融合させた
脚本。ワイオミングの美しい山間風景の中にキャラクターを確実に捉えた撮影。そして、主題曲『遥かなる山の
呼び声』の余韻も忘れ難い、調べの数々。シェーンに扮するA・ラッドは一世一代と言っていい快演を見せ、
その早撃ちシーンと相俟って観客に永遠に記憶されるであろう主人公となり、一家の父=V・ヘフリンと母=
J・アーサー、この映画の語り手でもある少年ジョイ=B・D・ワイルドも正に適役。そして、実は少ない
登場シーンながらも強烈なインパクトを残して消えていくJ・パランスの黒づくめのガンマン。

語るべき要素は枚挙に暇がない。優れた西部劇は少なくないが、ここまで多くの人に愛された作品はそうある
ものではない。大衆性と娯楽性の両方を持ち合わせているからこそポピュラーとなるのだ。それは10年以上
経ってから、同名のTVシリーズ(主演はデヴィッド・キャラダイン)になった事でも明らかであろう。
(allcinema)

<IMDb=7.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:97% Audience Score:81% >



トラックバックURL : https://jazzyoba.exblog.jp/tb/27198294
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by jazzyoba0083 | 2018-04-13 16:34 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)