空飛ぶタイヤ

●「空飛とぶタイヤ」
2018 日本 松竹、「空飛ぶタイヤ製作委員会」 120分
監督:本木克英 原作:池井戸潤「空飛ぶタイヤ」(講談社文庫、実業之日本社文庫刊)
出演:長瀬智也、ディーン・フジオカ、高橋一生、笹野高史、岸部一徳、ムロツヨシ、阿部顕嵐、寺脇康文、深田恭子、
   升毅、佐々木蔵之介、六角精児、大倉孝二、柄本明他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆-α>
<感想>
大ベストセラーになり池井戸の名前を一躍世に知らしめた原作は未読。ただし、「半沢直樹」「下町ロケット」
(WOWOW版、TBS版)「陸王」など池井戸原作テレビドラマは熱心に観ていた。(本作をWOWOWで
ドラマ化された時は見逃してしまった。)故に、池井戸ワールドの持つ魅力は、多少なりとも分かっている
つもり。

で、本作も、池井戸得意の経済小説を脚色、テレビドラマなら10話ほどになる話のボリュームを2時間に仕立てた。
正直、ストーリーの持つ力なのだろう、2時間緊張感を保ちつつ面白く観ることが出来た。よくこの長編を2時間に
纏めたな、という脚本(脚色)のちからと、監督の演出は評価されていいと思う。

しかし、である。どこかテレビドラマを観ているような感覚から抜けきれず、面白いし、池井戸作品の特徴としての
「倍返しだ!」的勧善懲悪的カタルシスは健在。観終わって、満足感のレベルは高いと思うが、何か、心のどこかに
「映画的充足感」の不足さを感じてしまった。あくまでも個人的レベルであることをお断りしておかなくてはならないが。

色々と考えた。まず昨年の映画「怒り」の感想ブログでも書いたが、日本の役者のキャスティングシステムがテレビと
映画の境目が殆ど無いという点。洋画と比べると、茶の間に日常的にあるものがスクリーンに現れても、共感が盛り
上がりづらいのではないか。いつも観ている顔ぶれが並ぶ映画でのドラマは、ましてやあるパターンを持った池井戸
原作ものは原作未読といえども、経過結末を予想することは簡単で、それだからこそ、役者の非日常世界にあっての
インパクトが必要になってくるのではないか。逆の意味での好例は安藤サクラだ。彼女はここ5年ほど特に民放の
ゴールデンのテレビにはほぼ出ないので、映画スクリーンでの登場人物としての共感度が極めて高い。(これからも
映画中心でお願いしたいものだ)
男優であれば、佐藤浩市とか役所広司、渡辺謙は割とテレビには出ないが、逆に彼らは映画にたくさん出てくるので、
キャラクターが重なり合い、それはそれで私には良いとは思えない。それらは役者が悪いのではなく、日本の映画と
テレビが持つ構造的な問題。映画館に来る客がテレビドラマを観るようなスタンスで映画を楽しみに来る時代だ、と
いうのならそれはそれで良いのかも知れない。しかし、映画は映画の魅力を放っていて欲しい。
本作でも、テレビや他の映画でもいつも出てくるメンバーが重要な役目を果たす。主役級の三人(長瀬、ディーン、
高橋)はハンサムすぎ。(原作では長瀬役の赤松社長はずんぐり型らしい) 長瀬の妻役の深田恭子は明らかに
浮いていた。(深田が悪いのではなく、キャスティングミス)

つまり映画世界における感動の盛り上がりに損しているということ。これは役者や監督が悪いわけではなく、日本の
映画製作の文化的、システム的マイナス点といえると個人的には思っている。

もう一つ、映画づくりのシステムとは別に、池井戸作品の持つパターン化したカタルシス。中小企業の(金銭的)苦闘、
その会社内での対立と最後には孤立無縁ながら奮闘する社長を中心に結束する「仲間」たち。(ここは極めて浪花節的
である)そしてその中小企業に立ちふさがる大企業の傲慢さ、更に銀行の冷酷さ(理解する銀行マンの存在も必ず登場)
中小企業では解決出来ない事案をサポートする結果となる雑誌や新聞の登場、大企業(や巨大銀行)にも必ずいる善人
たち。こうした流れは、本作でも全く同様に展開していく。
観客は最後には巨悪が倒れ、中小企業の社長以下に凱歌が上がる、というシーンを観て快哉を叫び、溜飲を下げ、
自分の日常では起きないカタルシスを感じ、満足するのだ。そうしたパターン化(「水戸黄門」化とでも云うのか、
「勧善懲悪」というのか、「弱者が強者を打ち負かす普遍的な快感」というべきか)は、ハズれない面白さは提供するが、
さらなる感動へとはなかなか結びつきにくいのではないか。

以上、本作を観ての2つの大きな感想。「総じて映画的な深みには欠ける」。
そこに私の評価のマイナスαの意味がある。

更に、池井戸ドラマは、人間が何かアクションをする映画ではない。本作で言えば、赤松運送の事務所であり、ホープ
自動車の社内、ホープ銀行の行内、港南署の署内、そしてレストランや喫茶店の店内が舞台となり、セリフが重ねられ
ていく。一番動きが有ったのが、赤松社長が、自分のところの事故と同じような事故のリストを、事件を追っていたも
のの社内の圧力で記事がボツになった「週刊潮流」の記者(小池栄子)から貰い、それに従って、日本全国の運輸会社を
尋ね回るシークエンスくらいか。恐らく本木監督も、その辺りは苦労したに違いない。カメラを手持ちにしたり、カット
割を短くしてみたりと工夫は感じられた。が、やはり演出、演技というよりもどうしてもストーリーの展開に引っ張られ
登場人物の心の動きというものがいささか感じづらいな、と感じたのだった。それはテレビドラマにすれば10話にも
なる(WOWOWですら45分×5話だった)ボリュームをテンポよく二時間以内のしかもエンタメ性を持った作品に
求めるのは酷かもしれない。

全体として良かったのか、悪かったのか、と問われると、「良かったし面白かった」と答えたい。ただ、以上のような
事柄から、「今日的日本のテレビドラマ的面白さ」として、という条件が、私の場合は付いた、ということだ。
二時間は短く感じられ、ストーリーの面白さからぐいぐいと引き込まれることは間違いない。それはそれで「ある意味」
面白い映画の証左、ということなのだろう。

さて、本作は2000年代に入った頃に社会を賑わせた三菱自動車のリコール隠しと、横浜で実際に起きた三菱製トレーラー
のタイヤ脱輪事故で母子3人が死傷した事件をベースに、主に、「財閥系」企業の「企業統治」のお粗末さと、
そこから派生する「怖さ」を、そしてこれに潰されまいと勇気を奮い立たせる中小企業の社長らの活躍を描いている。
三菱自動車はこうした「隠蔽体質」が社長が何代代わってもつい最近の排ガス偽データ報告事件に至るまで解決されて
おらず、ついに三菱自動車は日産グループに組み込まれてしまった。
それは財閥参加にあって、「銀行」「重工」などの支援が手厚く、甘やかされた体質が未だに抜けきれいないということ
なのだろう。
そうした自動車メーカーを相手に、脱輪は運輸会社の整備不良ではなく、トラックの欠陥に由来するのではないか、との
信念で、事故の真相を見つけようとする運輸会社社長赤松(長瀬)、トラックを製造したホープ自動車の良識派社員
(ディーン、ムロら)、これまでホープ自動車を甘やかした融資を繰り返してきたホープ銀行の良識派(高橋)らと
それぞれに係る家族だったり、友人だったり、警察だったりが、絡んでドラマを織りなしていく。
実際に起きた事件や事故がベースになっているので完全に作りものでない面白さが感じられた。

三菱系の方は辛い映画だろうなあ。かつてゼロ戦を作り、パジェロという名車を作り、日本を代表する自動車メーカー
の一つでもあった三菱自動車は今や日産グループ傘下で再起を図っている。果たしてあの「隠蔽体質」は直ったのだろうか。
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<ストーリー>
 WOWOW製作の連続ドラマ版も好評を博した池井戸潤の傑作企業小説を長瀬智也主演で映画化した社会派ヒューマン
・サスペンス大作。ひとつのリコール隠し事件を題材に、事故原因が自社の整備不良だと疑われ窮地に陥った弱小運送
会社社長が、その汚名をそそぐべくたった一人で真相究明に奔走する中で、やがて思いも寄らぬ大企業の巨大な闇に
直面していくさまを豪華俳優陣の共演で描き出す。
共演はディーン・フジオカ、高橋一生、深田恭子、笹野高史、岸部一徳。監督は「超高速!参勤交代」の本木克英。

 ある日、1台のトレーラーが脱輪事故を起こし、歩道を歩いていた子連れの母親が外れたタイヤの直撃を受け死亡
する。製造元のホープ自動車は、事故原因を所有者である赤松運送の整備不良と決めつける。社長の赤松徳郎は世間や
マスコミの激しいバッシングを受け、取引先を次々と失った上、銀行にも冷たくあしらわれ会社は倒産寸前に。
それでも自社の整備担当者を信じて独自に調査を進め、ついに車両自体に欠陥があった可能性に辿り着く赤松
だったが…。(allcinema)




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by jazzyoba0083 | 2018-06-16 16:30 | 邦画・新作 | Trackback | Comments(0)