ヒトラーへの285枚の葉書 Alone in Berlin

●「ヒトラーへの285枚の葉書 Alone in Berlin」
2016 ドイツ・イギリス・フランス X-Filme Creative Pool,Master Movies,FilmWave and more.103min.
監督:ヴァンサン・ペレーズ  原作:ハンス・ファラダ『ベルリンに一人死す』(みすず書房刊)
出演:エマ・トンプソン、ブレンダン・グリーソン、ダニエル・ブリュール、ミカエル・パーシュブラント他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
ヒトラーにリーダーを任せたドイツが、熱狂の中、国中で発狂してしまったような状況下、ごく普通の
ブルーカラーの初老夫妻が、地味に体制に抵抗する。思想的なもの、ではない。大事な一人息子が戦死し、
今の体制のおかしさに覚醒、絵葉書の裏にヒトラーや体制を批判する文章を書いて、ベルリン中に一枚づつ
置いて歩く。指紋が出ないように手袋をし、筆跡もばれないように、敢えて活字のような字で書く。途中から
妻も配布に協力する。

全体主義の同調圧力が強く、警察だけではなくナチスの秘密警察も厳しい統制に当たっていた当時、住民
同士が疑心暗鬼となり、長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰、触らぬ神に祟りなし、的な状態で、
自分が助かりたいがゆえに平気で他人を密告するような社会だった。
日本にも同じような状況があったわけだが、人の感性というものは洋の東西を問わず不変なものなのだ。
この映画の台本で舞台を日本に置いて日本人が演じたとしてもまったく不思議はない。そうした大きな流れに、
大声を上げるのではなく、静かに黙々と抵抗する。出来そうで出来ることではない。事実、主人公オットー・
クヴァンゲルが置いて歩いた285枚の葉書のうち、警察が回収できなかったのはわずか18枚に過ぎない。
それ以外は、市民が進んで警察に届け出ている。「私はハイル・ヒトラーなのだよ!」と言わんばかりの
行動だ。そうした中で、彼と妻アンナは黙々と行動する。警察は犯人を特定できず、ナチスから圧力を掛けら
れる。

国防婦人会みたいなおばさんたちや、「私はナチの大佐夫人だから勤労奉仕などへはいかないわ」と平然と
言い放つ女。それに対し、あの奥さんのご主人はナチで苦労されているからいいのよ、と忖度する婦人会。
私も苦労してるわよ、というアンナに、謝りに行きなさいよ、とまで言う状況。

警察やナチスにへつらい、顔色を伺う男。彼を誰が非難できようか。彼は葉書を置き歩く男に似ていると
いうことで逮捕される。警察は彼ではないと断定するが、ナチスは許さない。犯人を挙げないと自分が
危ないからだ。ナチスの保身の犠牲になった警察は無実の例の男を湖畔で射殺し、自殺したことにする。
しかし、葉書の発見は続いたのだ。

自分たちへの包囲網が狭まってきていることを知りつつ止めることをしないオットーは、ある日、職場で
ポケットに入れた葉書を落としてしまう。オットーは棺桶を作る工場の(もともとは家具屋かなんかだった
のだろう)職長という立場で、拾った男と共に上司のところに行き、警察に届けるべきだと主張する。
しかし、駆けつけた警察はオットーの勤務状況や、最近息子が戦死したことなどからオットーを疑い
逮捕する。アンナも逮捕される。

まだナチスドイツの戦争も端緒についたばかりの快進撃のころで、こうした事件もまだ裁判に掛けられていた。
この事件を担当していた警部は、ナチスからの圧力を受け、例の男を射殺した男だ。だが、彼は犯人を逮捕
出来ないことで、ナチスの大佐から殴る蹴るの暴力を受け、軍の理不尽さに思うところがあった。
オットーは自分は罪を全面的に認めるし、全部自分ひとりでやったことだから、妻は逮捕するな、と懇願
する。了解されたかに見えたが、軍の圧力や警察上層部の圧力はそれを許さなかった。結局、夫妻は反論
することもなく、法廷で声高に反ナチスを叫ぶこともせず(描かれないのでおそらく、だが)罪を認め
ギロチン台の露と消えていった。その後のドイツの転落状況はご存知の通りだ。
そして、この映画の白眉というシーンが、オットーとアンナを逮捕した警部が、285枚のうち18枚を除き
警察に届けられた全部を読み、それを窓から外にばら撒いた上、自らの頭を銃で撃ち抜いて自殺するところだ。
この国の未来に絶望したのだろう。自分の居場所は無いと判断したのだろう。
そこにこの映画の良心、救いを見る思いだった。

この話は実話だという。熱狂の大勢の流れに一人で棹さすことの勇気と虚しさが胸に迫る。今のこの時代
だからこそ作られた映画だという感じがする。オットーやアンナのように覚悟を決めて権力に逆らうことが
どのくらい難しいかということは、戦争の時代でない現代でも全く通じることだ。

地味で重い映画だが、その訴えるところ、観ている人に迫るものは小さくない。全般に平板な映画なのは
原作がそうだから仕方のないことであるし、それが狙いな面のもあるのだろうが、ナチスと警部の間に
もう一つのやりとりがあると、私が白眉だといったシーンが更に生きるのではないかなと感じた。
そしてこの映画の最大の欠点はドイツの話を英語でやっている、ということだ。書いている字はドイツ語
なのに。これなら吹き替えで観たほうが釈然とするだろう。エマ・トンプソンとブレンダン・グリーソンの
抑えた演技が良かっただけに、残念だ。
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<ストーリー>
ドイツ人作家ハンス・ファラダがゲシュタポの文書記録を基に執筆した小説『ベルリンに一人死す』を映画化。
1940年、恐怖政治に凍てつくベルリン。ヒトラーの忠実な支持者だった平凡な労働者夫婦が、一人息子の
戦死をきっかけにナチス政権へ絶望的な闘いを挑む。
「王妃マルゴ」「インドシナ」などの俳優として知られるヴァンサン・ペレーズによる長編監督第3作。

フランスがドイツに降伏した1940年6月。戦勝ムードに沸くベルリンの古めかしいアパートで質素に暮らす
労働者階級の夫婦オットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のもとに一通の封書が届く。
それは最愛の一人息子ハンスが戦死したという残酷な知らせだった。心のよりどころを失った二人は悲しみの
どん底に沈むが、ある日、ペンを握り締めたオットーは「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺される
だろう」とヒトラーへの怒りのメッセージをポストカードに記し、アンナとともにそれを密かに街中に置く。
夫婦はささやかな活動を繰り返すことで魂が解放されていくが、それを嗅ぎ付けたゲシュタポの捜査が二人に
迫りつつあった……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:59% Audience Score:47%>




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by jazzyoba0083 | 2018-07-04 22:55 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)