砂の器 デジタルリマスター版(名画再見シリーズ)

●「砂の器 デジタルリマスター版」(名画再見シリーズ)
1974 日本 松竹映画・橋本プロダクション 143分
監督:野村芳太郎   脚本:橋本忍、山田洋次  撮影:川又昂 音楽:芥川也寸志
出演:丹波哲郎、加藤嘉、加藤剛、森田健作、春日和秀、島田陽子、山口果林、緒形拳、佐分利信、笠智衆、渥美清他

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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
大好きな作品で、何度目の鑑賞であろうか。その割にはこのブログへの記載をしてこなかった。今回改めて観て、
今更私ごときがあれこれいうべき映画ではないのだが、感想を書き留めておきたい。

日本映画史に残る傑作である本作は、原作が書かれた1960年から翌年に掛けての新聞連載の時期を制作当時の
1970年代前半に置いて、原作にはないさまざまな改変が行われている。原作も読んだが、松本清張文学はミステリが
主であり、映画は人間の、親子の情に焦点を置いた人間ドラマとして仕上げている。

そして、これこそ映画史に残るシークエンス、事件の全容を合同捜査会議で説明を始める丹波哲郎と、加藤剛が精魂を
込めて作曲した「宿命」初演コンサートの模様のカットバックの構成だ。個人的に「宿命」を聞いていて、流れてくる
音楽の旋律の中に「出奔」「放浪」「別れ」「三木巡査」「再会」「事件」「赦し」「懺悔」そして「宿命」を感じて
いた。1974年に「らい病=ハンセン病」を正面切って取り上げたことの重大性も原作の持つニュアンスを壊すことなく
内包し見事だ。制作当時、ハンセン病患者団体から制作中止のクレームが付いたが、ラストに「「ハンセン氏病は、
医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残って
いる非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を出すことを条件と
して制作が続行されたという。
その後テレビで何回かリメイクがあったが、ハンセン病を取り上げたものは無い。だが、個人的には原作に描かれた
世界観がなければこの「砂の器」というデリケートなミステリ&人間ドラマは成り立たないと信じている。

羽後亀田~出雲の亀嵩、石川県から、伊勢、と丹波と森田のコンビの捜査が続くのが前半。次第に殺人事件の端っこが
分かるようになる。そして、森田が発見する中央線から女がばらまいたという布切れから出てくる被害者と同じ血液型の
血痕、加藤剛の愛人、島田陽子の突然の流産による死亡、あたりからじわじわと本線が浮かび上がり、そして後半の
先述した合同捜査会議とコンサート会場のカットバックシーンへと続くのだ。

脚本を担当した山田洋次は、長編でデリケートな部分を含み、映像に馴染みづらいこの小説を脚本化することは無理だ
と橋本に言ったそうだが、橋本は後半の会議とコンサートの多層的な構造を着想したことにより、成功を確信した
ようだ。さらに、人間ドラマ、親子の愛情にスポットを当てるため、原作にはない、亀嵩駅での加藤嘉と息子の泣きの
別れのシーン、まだ生きていた加藤嘉を療養所に訪ねた丹波哲郎が加藤剛の写真を見せ、この写真に見覚えは?と
やるシーンなどは原作にはなく、脚本の段階で加えたのだそうだ。そうすることにより、原作よりずっと人情ドラマの
色彩が濃くなった。松本清張はこの作品を文字では表せない世界だ、と絶賛したそうだ。
一方、黒澤明はこの脚本を読んでケチョンケチョンにけなし、あれこれアドバイスをしたが橋本は一切無視し、結果
映画は大ヒット。黒澤はその後、この映画については口をつぐんだ、とか。黒澤も納得出来ないほどのユニークな脚本
だったのだ。また川又昂の時として乱暴にも思えるズームやパンを含むキャメラは、四季の移り変わりの色彩と
相俟って作品に潤いと緊張を与えいる。

映画では加藤嘉が重要なポジション。進行上は丹波哲郎だが、加藤嘉がいなければ本作の出来はこれほどには仕上がら
なかったと信じている。そしてこの映画のほかは消息が分からない、英雄(幼い頃の和賀英良)を演じた春田和秀の
存在。戦争中の子供としてはやや肉付きがいいのが難点だが、あの目の演技は見る人に深い印象を与える。

映画の中では蒲田で三木の遺体が発見されたのが昭和46年4月。これは私が東京の大学に入学した年だ。映画の中の
ファッションはまさに70年代バリバリ。当時の風俗を観る上でも面白みのある映画ではある。

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<ストーリー>
六月二十四日早朝、国鉄蒲田操車場構内に扼殺死体が発見された。被害者の年齢は五十~六十歳だが、その身許が
分らず、捜査は難航をきわめた。警視庁の今西栄太郎刑事と、西蒲田署の吉村正刑事らの必死の聞き込みによって、
前夜、蒲田駅前のバーで被害者と酒を飲んでいた若い男が重要参考人として浮かび上った。そしてバーのホステス
たちの証言で、二人の間に強い東北なまりで交わされていた“カメダ”という言葉に注目された。

カメダ……人の姓の連想から東北各県より六十四名の亀田姓が洗い出されたが、その該当者はなかった。しかし、
今西は「秋田県・亀田」という土地名を洗い、吉村とともに亀田に飛ぶが、手がかりは発見できなかった。
その帰途、二人は列車の中で音楽家の和賀英良に逢った。和賀は公演旅行の帰りらしく、優れた才能を秘めたその
風貌が印象的だった。

八月四日、西蒲田署の捜査本部は解散、以後は警視庁の継続捜査に移った。その夜、中央線塩山付近で夜行列車
から一人の女が白い紙吹雪を窓外に散らしていた。その女、高木理恵子を「紙吹雪の女」と題し旅の紀行文として
紹介した新聞記事が、迷宮入りで苛だっていた吉村の触角にふれた。窓外に散らしていたのは、紙なのか? 
布切れではなかったか? 早速吉村は、銀座のクラブに理恵子を訪ね、その事を尋ねるが、彼女は席をはずした
まま現われなかった。だが、その店に和賀英良が客として現われた。和賀英良。和賀は音楽界で最も期待されて
いる現代音楽家で、現在「宿命」という大交響楽の創作に取り組んでいる。そしてマスコミでは、前大蔵大臣の
令嬢田所佐知子との結婚が噂されている。

八月九日。被害者の息子が警視庁に現われた。だが被害者三木謙一の住所は、捜査陣の予測とはまるで方角違いの
岡山県江見町で、被害者の知人にも付近の土地にもカメダは存在しない。しかしそれも今西の執念が事態を変えた。
彼は調査により島根県の出雲地方に、東北弁との類似が見られ、その地方に「亀嵩」(カメダケ)なる地名を発見
したのだ。なまった出雲弁ではこれが「カメダ」に聞こえる。そして三木謙一はかつて、そこで二十年間、巡査
生活をしていたのだ……。
今西は勇躍、亀嵩へ飛んだ。そして三木と親友だった桐原老人の記憶から何かを聞きだそうとした。一方、吉村は
山梨県塩山付近の線路添いを猟犬のように這い廻って、ついに“紙吹雪”を発見した。それは紙切れではなく布切れ
で、被害者と同じ血液反応があった。その頃、とある粗末なアパートに理恵子と愛人の和賀がいた。
妊娠した彼女は、子供を生ませて欲しいと哀願するが、和賀は冷たく拒否するのだった。和賀は今、佐知子との
結婚によって、上流社会へ一歩を踏み出す貴重な時期だったのだ。

一方、今西は被害者が犯人と会う前の足跡を調査しているうちに、妙に心にひっかかる事があった。それは三木が
伊勢の映画館へ二日続けて行っており、その直後に帰宅予定を変更して急に東京へ出かけているのだ。
そして、その映画館を訪ねた今西は重大なヒントを得た……。
本庁に戻った今西に、亀嵩の桐原老人から三木の在職中の出来事を詳細に綴った報告書が届いていた。その中で
特に目を引いたのは、三木があわれな乞食の父子を世話し、親を病院に入れた後、引き取った子をわが子のように
養育していた、という事だった。その乞食、本浦千代吉の本籍地・石川県江沼郡大畑村へ、そして一転、和賀英良の
本籍地・大阪市浪速区恵比寿町へ、今西は駆けめぐる。今や、彼の頭には、石川県の片田舎を追われ、流浪の旅の末、
山陰亀嵩で三木巡査に育てられ、昭和十九年に失踪した本浦秀夫と、大阪の恵比寿町の和賀自転車店の小僧で、
戦災死した店主夫婦の戸籍を、戦後の混乱期に創り直し、和賀英良を名乗り成人した、天才音楽家のプロフィルが、
鮮やかにダブル・イメージとして焼きついていた。

理恵子が路上で流産し、手当てが遅れて死亡した。そして、和賀を尾行していた吉村は理恵子のアパートをつきとめ、
彼女こそ“紙吹雪の女”であることを確認した。今や、事件のネガとポジは完全に重なり合った。伊勢参拝を終えた三木
謙一は、同地の映画館にあった写真で思いがけず発見した本浦秀夫=和賀英良に逢うべく上京したが、和賀にとって
三木は、自分の生いたちと、父との関係を知っている忌わしい人物だったのである。和賀英良に逮捕状が請求された。
彼の全人生を叩きつけた大交響曲「宿命」が、日本音楽界の注目の中に、巨大なホールを満員にしての発表の、丁度
その日だった。(Movie Walker)

<KINENOTE=82.6点>




by jazzyoba0083 | 2019-04-13 23:15 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)