極北のナヌーク : Nanook of the North

●「極北のナヌーク : Nanook of the North」
1922 アメリカ Les Frères Revillon. 87min. (B/W)
監督・製作・撮影:ロバート・J・フラハティ

極北のナヌーク : Nanook of the North_e0040938_16243964.jpg

<評価>★★★★★★★★★☆>
<感想>
本作は全くドキュメンタリー映画の勉強として鑑賞した。私は現役時代テレビでドキュメンタリーを
制作する立場にいたので、大変興味を持ったのだった。
「月旅行」も「大列車強盗」も「イントレランス」も「國民の創生」も未見の私には、恐らく人生で
一番古い映画鑑賞となった。もちろんサイレント。
音楽は後に付けられたものだ。 放送大学231オーディトリアムでの講義。

Wikipediaには「映画史」の項に以下のような記載がある。
「1922年、世界初のドキュメンタリー映画とされる『極北のナヌーク』が公開される。カナダ北部で
暮らすイヌイットの文化・習俗を収めた作品で、映画というものが記録・啓蒙にきわめて大きな役割を
果たしうると考えていたイギリスの映画プロデューサージョン・グリアソンが、その批評の中で
「ドキュメンタリー」という言葉を初めて用いたことが始まり」

というように本作を持ってドキュメンタリーの嚆矢とする、というのが定説のようだ。
今ではコンプライアンスとかで「やらせ」は厳禁だ。一方、本作はナヌークという名前も本名では
ないし、奥さんの名前も違う。大体この一家は本物の一家ではない。観ていると分かるが
「やってみて?」と製作側が頼んでやらせているシーンが沢山ある。当時はそれがあたりまえだったし、
イヌイットの生活の後を黙って付け回しているわけにもいかないし、彼らの暮らしに嘘があるわけでも
ないので、これをして果たして「やらせ」というのか、という感じがする。レコード盤を齧っている
のは彼らが本当に不思議に思ったのだろう。

この講義の中でゲストで出演していた人類学者である大村敬一教授は、カメラを通してドキュメン
タリーを作るということはフレーミングやアングル、などで現実を意図的に切り取っているわけで、
カメラを通して「現実を再構築」していると指摘する。誠にその通りで、現場で暮らしている人でない
「製作者」が対象者の行動や考えを切り取って(トーキーになれば音の編集もあるだろう)製作者は
再び編集という作業を通して違う世界を作り直しているとみるのが妥当なのだ。
フラハティはそれを良く分かって、本作を撮影している。

また大村敬一教授は「民俗誌」的アプローチから観ると対象者、人類学者(フィールドワーカー)と読者が
三つ巴に出会って生成されるものだと指摘し、しかも「未来に向けて投げかけられるヴィジョン」
(今は未だ無き、ありうべき現実)として構成されていて、フラハティの本作は映像の世界で初めて
その構造を成立させ映像化した作品と呼べるとした。

普通の暮らしをしている人々にとって北極圏に近いカナダの地でのイヌイットの暮らしなど知る
べくもなく、流氷の上を飛び歩く様、雪の塊で家を作る様子、アザラシやセイウチをモリ一本で
捕らえる様子は目を瞠るものだっただろう。
大量のホッキョクギツネの毛皮、シロクマの毛皮、また雪の家の中で裸で毛皮を被って寝る姿。
(風呂は入らないだろうし、生肉ばかり食べて野菜や果物は食べないわけで壊血病にならない
だろうか、髪の毛や爪はどうやって切るんだろうかとか)
また今や民俗学的にも貴重な映像となっているのはもちろんだ。

先にも書いた通り、ナヌーク一家はカメラの前で「演技している」ともいえる。が、それは
「やらせ」だろうか。カメラで切り取ることに既に演出が入っている状況なのに。

冒頭の画面でフラハティはこの映画のサブタイトルを「本当の北極の生活と愛の物語」
(A Story of life and love in the actual arctic)としているように、カメラで切り取られた世界で
初のドキュメンタリー映画はイヌイットの厳しい気候の中にも生き生きとした生活ぶりが
見られ、厳しい自然の中で生きるために狩りをし、食うために生きている、衣食住全部自前で
あつらえる生活。人間の原初的幸福のあり方を見事に提示して見せている。物質的に豊かになり、
過多な情報に囲まれた現代の私たちが観ると、感じることは多いのではないか。

この撮影はエイクリーカメラが使われた。1915年に米国人で探検家のポメロイ・イーストマン・
エイクリーがアフリカの猛獣狩りの撮影のために作った厳しい自然の中での使用が可能であるものだ
った。

87分にまとめられた(極寒の地で、撮影隊も大変だっただろう)この映画は、生き生きと「人生を
生きる」人間の生き様が生き生きと描いた秀作だ。しかしフラハティは最後のシーンで暴風雪の
中で雪に埋まるハスキー犬の様子を捉えつつ、「北国の憂鬱な精神  the melancoly spirit of the
Notrth」と締めている。なぜフラハティはそう締めくくったのか。
その意味するところを考察してみるのも興味深いだろう。

極北のナヌーク : Nanook of the North_e0040938_16245451.jpg

<プロダクションノート>
ドキュメンタリー映画の先駆的作品。その後の映像ドキュメンタリー作家に多大な影響を与えた。
ロバート・フラハティの名を、一躍有名にした作品でもある。
雪と氷の大平原を背景に、極地のイヌイット一家が生きるために苛酷な自然と闘っていく様を迫真
せまる映像で描く。フ
ラハティは探検家、人類学者でイヌイットを生涯にわたるテーマとしていた人物。
1939年にアメリカでサウンドトラック入りのヴァージョンが製作されている。
デジタル・リマスターされたサイレント(音楽付き)の78分版が2018年9月15日より特別上映。
他、55分版、65分版がある。別題「極北の怪異」

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audience Score:80%>
<KINENOTE=78.0点>
<映画com=3.6/5>
<Filmarks=3.7/5>





by jazzyoba0083 | 2024-03-12 16:25 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)