戦場にかける橋 The Bridge over the River Kwai

●「戦場にかける橋 The Bridge over the River Kwai」
1957 アメリカ Horizon Picture 161min.
監督:デヴィッド・リーン
出演:アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン、早川雪洲、ジャック・ホーキンス、
   ジェームズ・ドナルド、アンドレ・モレル他

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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
このような映画を今頃観ている。終戦記念日が近づくと、WOWOWやNHKBSなどでは戦争映画を
数多く放映するようになる。今回もNHKBSでの放映をきっかけに、未見の本作を鑑賞。

デヴィッド・リーンは大作、寡作な人だが、世に出てからのハズレが少ないと感じる。
このアカデミー賞を7部門で獲った本作の後に「アラビアのロレンス」(同7部門受賞)「ドクトル・
ジバゴ」(同5部門受賞)を撮るんだから恐れ入る。
後者2作は観ていて、本ブログにも感想を掲載しているが、何故か本作は未見であった。

さて、本作。私が5歳の時の作品だと思うとシネマスコープで撮られたアナログの作品の出来に
まず驚かされる。リーン監督の演出もさることながら、脚本(ストーリー)の出来の良さ、
アレック・ギネスらの俳優陣の熱演、口笛で演奏されるテーマソング、CGなどない時代のアナログ
美術の圧倒的なパワーに打ちのめされた。ラストシークエンスのアレック・ギネスが倒れて
爆弾のスイッチがオンになるカットはクサイ感じがしたし、またラストカットの二羽の鳥は余計じゃ
ないか、と感じたりもした。その前に狂気だ、狂気だと叫ばせているのだけでも十分過ぎると
思うのだけれど。

さて、どなたかが書いているが「騎士道」(英国紳士)vs「武士道」(侍)vs「ヤンキー」の
プリンシパル(原理原則)のぶつかり合いの中で、戦争の愚かしさを描く、とでもいうべきものだろう。
戦争の愚かしさの中で展開する名誉や尊厳の意味が迫ってくる。

捕虜となっても士官の土木作業への就労をジュネーブ協定に基づき拒否する英国軍捕虜のトップで
あるニコルソン大佐(アレック・ギネス)。これに対して捕虜になった時点で兵士ではなくなった
のだと主張する、生きて虜囚の辱めを受けずの武士道精神に則る収容所長の斎藤大佐(早川雪洲)、
これに、後で階級詐称をしていると分かるアメリカ海軍のシアーズ(ウィリアム・ホールデン)が
加わり、ヤンキー魂を発揮する。ラストではこの三人は誰も生きてはいない。

前半の捕虜士官の作業を巡るニコルソン対斎藤大佐の戦い、中盤では、その後の英国魂(西洋技術)
を以て日本軍から礼を言われるような橋を作るという行動、自分の名誉のために日本軍を協力させる
斎藤大佐の葛藤、そして終盤には脱走に成功したシアーズらが橋を爆破する命令を受けてやってくる、
この前まで自分の仲間らが作り上げた鉄橋を完成と同時に爆破しなくてはならないという矛盾。

ニコルソン大佐は軍医から、橋を作ることは利敵行為だ、と言われるが、プリンシパルに縛られる
ニコルソンは拒否し素晴らしい鉄橋(ではないな、木製の橋だ)が完成する。

そして開通の日、近づく列車と爆破隊、ニコルソン大佐と自決を覚悟した斎藤大佐。この辺りの緊迫感
は素晴らしい演出だと思う。完成した橋を分かっていて爆破しなくてはならない駆け引きは、
ドライなヤンキーの登場も相まって、観客に迫る。よって、改めて狂気だ!と叫ばせることも、
ラストカットの二羽の鳥も画竜点睛を欠くと感じたのだ。
ちなみに原作は「泰緬鉄道」の敷設にイギリス人捕虜が多数駆り出され過酷な労働を強いられたと
いう事実に基づくが、本作の橋のデザインや爆破事件はフィクションであることは要チェック。

この映画の中で好ましく思ったのはウィリアム・ホールデンのセイロンでのシークエンス。看護婦を
口説いて、アメリカに帰ろうとする階級詐称のヤンキー野郎が、映画のチェンジオブペースに大いに
貢献していると感じ、リーンの作劇の上手さを大いに感じたのだった。

まあ今更私などが、あーだこーだというようなものでもなかろうと思うのだが、長い映画だがきっと
観た人には何かを与えずにはおかない名作であることは揺るがせない事実だろう。リーンの戦争
大作三部作では私は本作と同じような矛盾を抱えた一人の男を描く「アラビアのローレンス」が
一番好きだな。

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<ストーリー>
巨匠D・リーンが、第二次大戦を背景に戦争の愚かさと人間の尊厳を描き出した不朽の名作。
タイとビルマの国境近くにある日本軍の捕虜収容所では、連合軍捕虜を使って、国境に流れる
クワイ河に橋を架ける準備が進められていた。
だが、英軍大佐(ギネス)はジュネーヴ協定に反するとして、所長(早川雪洲)と対立。

一方、米軍捕虜の海軍少佐(ホールデン)は脱走を試み、辛くも収容所を後にした。英軍大佐の
気骨に共感した所長は、捕虜の恩赦を条件に再度協力を要請。捕虜たちに生きがいを与えようと考えて
いた大佐はこれを承諾し、こうして建設工事が始まった。
だが同時に、生き延びた米海軍少佐の手引きによって、連合軍による架橋爆破作戦も開始されようと
していた……。

 戦後50年を過ぎ、次第に明らかになってきた戦中当時の証言によれば、日本軍の行った捕虜を
使っての労役にはもっと非人道的なものがあり、この映画で描かれているような事は絵空事でしか
ないのだろうが、その事実とこの作品の良さは別次元で語られるべきであろう。
我々にはもはやこの“戦争映画”は寓話としてしか観る事ができないかもしれないが、その寓話は非常に
感動的で、人間ドラマとしての素晴らしさ、スペクタクルの醍醐味を持っているのだ。
アカデミー作品・監督・脚色・主演男優(A・ギネス)・編集・撮影・音楽賞受賞。
脚本のM・ウィルソンとC・フォアマンは当時赤狩りの疑いをかけられていたためクレジットを削除
されていたが、1984年のアカデミーで改めてこれを表彰、後に製作されたドルビー改訂版では
クレジットも復活した(C・ウィリンガムは元々クレジットされていない)。
(allcinema)

<IMDb=★8.1>
<Metascore=88>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:96% Popcornmeter:93%>
<KINENOTE=76.6点>
<映画com=4.1/5=Alltime Best>





Commented by オーウェン at 2025-08-05 14:54
ようやく完成した橋が爆破されるクライマックスは、サスペンスに満ちていて、その有様を見た軍医が「狂気だ、狂気の沙汰だ」と呟くあたりに、デヴィッド・リーン監督の姿勢が感じられますね。
単に戦争スペクタクルには終わらせていなく、誇り高いイギリス人、命令に絶対服従の日本の職業軍人、要領のいいアメリカ人水兵たちの気質をしっかりと描き込み、戦争が人間を狂気に走らせる恐ろしさ、虚しさを訴えていますね。
捕虜収容所に送られてくるイギリス軍の捕虜たちが、高らかに口笛で吹く「クワイ河マーチ」が心に残ります。
Commented by jazzyoba0083 at 2025-08-19 11:28
オーウェンさん

コメントありがとうございます。
>単に戦争スペクタクルには終わらせていなく
まさにおっしゃる通りと思います。
スペクタクルとしても面白いし、戦争を通して日英米三種の軍人のスタンスと、戦争の愚かしさが伝わってきます。
by jazzyoba0083 | 2025-08-01 23:35 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(2)