2008年 01月 03日
アラバマ物語 To Kill A Mockingbird
1962年 アメリカ Universal Pictures 129min.
監督:ロバート・マリガン 製作:アラン・J・パクラ 脚本:ホートン・フート
撮影:ラッセル・ハーラン 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:グレゴリー・ペック、メアリー・バダム、フィリップ・アルフォード、ロバート・デュバル他
<1962年度アカデミー賞主演男優賞、脚本賞、美術監督・装置賞受賞作品>

映画「カポーティ」に登場する彼とともに名作「冷血」の取材に当たった、カポーティの幼馴染み
ハーパー・リー。この映画の中に彼女のピュリッツアー賞受賞の小説「マネシツグミを殺すために」を映画化した「アラバマ物語」のプレミア試写会の様子があり、その中でカポーティは
「騒ぐほどの映画じゃないね」と嘯くシーンもあったりもする。その為このハーパー・リーが
書いた小説「マネシツグミを殺すために」を映画化した「アラバマ物語」も是非観てみたいと思っていた。
正月休みに新星堂に行くと、なんと500円でDVDが売っているじゃあありませんか!速攻
購入し鑑賞しました。500円ていい時代だなあと思う反面、ちょっと安すぎじゃないか?
ま、ライツフリーになってしまったためなんだけど。だからこのDVDには冒頭のパラマウント
映画のロゴが省略されている。こっちにはライツがあるからだな。
閑話休題。この映画や原作を調べていくといろんなことが判って面白かった。
・1960年に発表されたこの「マネシツグミを殺すために」は、ハーパー・リーの幼いころを
ベースにした話。
・アメリカでは大ベスセラーになり、聖書の次によく読まれた本と云われている。様々な教科書
にもたくさん採用されているという。
・ハーパー・リーはこの小説でピュリッツアー賞を獲得した。
・隣に夏の間だけくる男の子は、カポーティがモデル。(そっくりじゃないかな。)
・映画「アラバマ物語」は、最初メジャーな映画会社が興味を持たなかった。
×いち弁護士のさえない話など、恋もなし、活劇もなしでは大衆受けしないというのが理由。
・アメリカ映画協会(AFI)が2003年に実施した「もっとも偉大な映画のヒーロー」で
インディ・ジョーンズやジェームズ・ボンドを抑えて、この映画の主人公アフィカス・フィンチが
堂々の1位になった。
・更に最近「アメリカ脚本家協会」が選出した、脚本化された映画のベスト100を選んだが、
「風と共に去りぬ」などを押さえ、1位となったのがこの映画である。
・アフィカス・フィンチのモデルになったのはハーパー・リーの実際の父親アマサ・リーで、
グレゴリー・ペックは、アマサに会い、いろいろと吸収した。アマサはこの映画の完成を
見ずして他界。ハーパー・リーは亡き父の形見の時計をグレゴリーに進呈したのだが、
この映画で生涯唯一のアカデミー主演男優賞を獲得したグレゴリーは授賞式のこの時計を 着けて登壇。「オスカーを貰うより、この時計を貰ったことのほうが嬉しかった」と語った。
・ユニバーサル映画は、最初ハーパー・リーに映画の脚本化を願い出たがハーパーが断った
ため、劇作家のホートン・フートが脚本を担当することになった。
・舞台となったアラバマ州モンロービルは、ロケをしようとするにはあまりにも近代化されて
いたため、ユニバーサルは屋外に1932年当時のモンロービルのセットを作ってしまい、
当時の南部の町並みの雰囲気を出すことに成功した。
・映画でハーパー・リーのモデルといわれるスカウトを演じたメリー・バーダムはオーディション
で選ばれた。「サタデー・ナイト・フィーバー」「バード・オン・ワイヤー」などの監督ジョン・
バーダムは、彼女の実兄である。
・隣に住む精神障害者ブーを演じた名優ロバート・デュバルは、この映画がデビューとなる。
以上は、この映画や原作をよく知る人には当たり前のエピソードだろうが、私にとっては
ヘエーの連続でした。
1932年、恐慌の傷跡癒えないアラバマ州の田舎町。やもめの弁護士アティカス・フィンチ
(グレゴリー・ペック)は、穏健な長男ジェルと活発な長女スカウト(ハーパー・リーがモデル)
と黒人のメイドの4人暮らし。街の人のための仕事なら、農作物での謝礼にも不平を言わない
正義の人であり、二人の子供は、ちょっと歳をとった父を遊び相手としては不満ながらも
弁護士としては尊敬していた。二人は父親のことをファーストネーム、アティカスと呼んでいた。


そんなアティカスにある日、農夫の娘を強姦した黒人トムを弁護するよう依頼が来る。
誰かがやらねばならない仕事だ。アティカスは引き受けることにする。
普段は尊敬のまなざしを向けている街の人たちも、たちまち彼と家族を白眼視するようになる。
学校では子供同士のいじめも受ける。
一方、隣に住むディルは夏の間にだけ来る友達(カポーティがモデル・顔がそっくり!)。
子供たちの興味は、近所に住むブーを云われる不思議な男のこと。ジェムはディルに
「ブーは身長2メートルを超え、猫やねずみを捕らえて生で食い、歯は黄ばんで、目は
飛び出ている」と言って脅す。
そうこうしているうちにトムの裁判が始まる。黒人を誘惑した女がその事実を消すために
彼を陥れようとウソをついていることは明白なのだが、白人だらけの裁判ではアティカスが
どんな雄弁を振るおうとも、有罪は免れなかった。失望するアティカス。傍聴に来ていた
ジェムとスカウトも、がっかりする。アティカスはトムに対し、控訴するから決して絶望するな
と言い聞かせた。


自宅に帰るとシェリフがやってきて、トムは刑務所に送られる途中、逃亡。保安官補佐の
制止を聞かなかったため、威嚇射撃を受けたのだが、それが致命的なところに当たり
死亡した、というのだ。
愕然としながら、トムの家族に事実を告げに行った。そこに強姦された娘の父が酔っ払って
やってきてアティカスにつばを吐きかけた。だまってその父を睨み、顔についた唾を拭き、
毅然として現場を去るアティカス。見つめるジェム。
そしてその年のハロウィン。ジェムとスカウトが変装して会場に向かおうとするものの、
いったん家に帰ろうとした。後から、強姦を受けたと証する娘の父親が、二人の子供に
ナイフを持って襲い掛かった。危機一髪の彼らを誰かが救った。
男は大怪我を負ったジェムを家まで送り届けた。駆けつけた保安官に、スカウトは、
「あの人が助けてくれたの」と説明、あの人とは誰なのか、と問う保安官。するとドアの陰に
隠れていた男を指差し、あの人よ!と。
そこにはブーの姿が。ブーはジェムやスカウト、ディルと遊びたかったのだ。
ブーの家の庭には大きい節穴がある木があるのだが、そこには二人の兄妹を模して
刻んだ木の人形や、壊れた懐中時計、ナイフなどが隠されていた。これらもブーからの
二人へのプレゼントだったのだ。そして兄妹は命も救われたのだった。
保安官は、アティカスに「まさか自分の息子を容疑者として裁判にかけるつもりでは
ないだろうな」という。
「ユーエル(強姦されたとウソをついた娘の父)は転んで自分で自分を刺したのだ。
これは応報だよ。罪のない男を死に追いやったんだ。誰かが罪を背負わなくてはいけない」と。
正義感あふれるアティカスだが、今回は保安官の言葉に従うのだった。
1962年だから、当然カラーで撮れたのだが、1932年の雰囲気を出すために敢えて
モノクロとしたが、この目論見は当たっていて、ふっと本当に1932年の映画を観ている
ような気になっている。
パクラ=マリガンコンビの作風は、スカウトの視点で全体を描くことにより、より確かな
客観性を獲得している。映画は後半からぐっと締まってきて、裁判でのアティカスの長い
台詞からトムの死亡、唾をかけられるアティカス、ハロウィンの出来事、ブーの登場と
面白さを増していく。

子供の視点から、アティカスの行動を描き、人種差別、博愛精神、行われなければ
ならない正義などを訴える。また、ブーや子供のころむやみに怖かった暗闇を通して、
大人になり知識を得ていくにしたがって、人間として形成されいくところを描いた。
つまり人種差別もブーも暗闇も「無知が故、教育を受けていないが故の不幸」であると
云いたかったのではないか?
今の世にこういう父親像を描いてもウソっぽくなってしまうが、’62当時は理想の父親として
すべてのアメリカ人に受け入れられたのだろう。それはアメリカ人にとって今も。そこには
キリスト教的博愛主義が貫かれているような気がする。それが重要なバックボーンに
なっていると思う。
誰が見てもグレゴリー・ペックのアティカスは素晴らしい。ぜひ日本でも中学で見せてほしい。
(高校生ではひねていて正面から捕えてくれないだろう。今の日本では)
「今でもジェム、ディル、ブーそしてアティカスがいた時代を思い出す」という云うラストの台詞は
単なるノスタルジーだけではない何かを感じさせるのだ。
なおこの映画の詳しい情報は
こちらまで。
こちらでも詳しいストーリーが見られます。
一年前に書いた記事なんですがトラックバックさせて頂きました。グレゴリー・ペックさんはハマり役でしたね。

