●「日本のいちばん長い日」(1967年・岡本喜八版)
1967 日本 東宝映画 157分
監督:岡本喜八  脚本:橋本忍 音楽:佐藤勝
出演:笠智衆、三船敏郎、山村聡、志村喬、黒沢年男、中丸忠雄、高橋悦史、宮口精二、戸浦六宏、
   小杉義男、井上孝雄、田崎潤、天本英世、久保明、藤木悠、加東大介、伊藤雄之助、松本幸四郎他
e0040938_11162684.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
岡本版は複数回の鑑賞となる。毎度のことながらすごい迫力だ。一昨年、原田版を観てこれはこれで
いい出来だな、という感想を持ち、機会があればまた岡本版も観てみたいな、と思っていた。
WOWOWでは終戦記念日あたりにこの手の映画を毎年何本か放送するのだが、今年はこれが含まれて
いたので録画して鑑賞した。

原田版の人物に焦点を当てたものと違い、時系列的なイベントを丁寧に追い、長い映画にはなったが
主に軍部の馬鹿さ加減が良く出ていたと感じた。当時の政治家の無能ぶりや、軍部の狂気は、定説に
なっているが、引くべきタイミングを逸して、広島、長崎を許した当時の日本の主導者のどうしようも
なさが、事実の中から浮かび上がって来る。

岡本は、「独立愚連隊」などの戦争ものでも分かる通り、先の大戦の体験から独特の戦争感を持ち、
アイロニカルに斬ったものを作っていたが、本作では半藤一利の原作に橋本忍の脚本を得て、
狂気に正面から向き合った作品となった。特に黒沢年男を中心に描かれる「本土決戦組」の狂気を
時間を追って丹念に描き、またカットのスピードやアングル、ズームの工夫など作画にもアイデアを
注入し、二時間半の8月14日から15日にかけてを一気に見せる。現状に至るまでの戦局は冒頭から
20分間くらいかけてナレーションで説明される。そしてタイトルというアイデアである。
さらに岡本版の優れているのは、狂気を描きつつも、映画というエンターテインメントに仕上がっている、
という点。しかつめらしく見終わるのではなく、面白かった、という気分を持てる点である。
東宝映画のオールスターが次から次へとたくさん出てくるが、個人的には歴史の流れとして整理されて
いるのか、ごちゃごちゃ感と言うものは全くなかった。ただ横浜警備隊長天本英世の絶叫が何言って
いるのか聞き取り辛かったが。

半藤一利が描いた陸軍省の実戦を知らない若手参謀の、一体開戦からいままで何を見てきたのか、
と頭を抱えたくなるような馬鹿さ加減には本当に今更呆れる。挙げ句の果てが「運を天に任せるのだ」と
いう、国民に取っては絶望的な精神論。これは横浜警備隊長の天本英世、(鈴木貫太郎首相を襲う)
終戦を知りつつ、部下に出撃を命ずる厚木航空隊の田崎潤や、伊藤雄之助らにも一貫として描かれる
精神論である。阿南陸相の自害も、まさに武士道の精神論そのもの。青年たちの本土決戦論を
「純粋なる愛国精神」などと、この期に及んで口にする首脳部がいた不幸を思う。ここまで狂気が
進むと「冷静な現状分析」などは出来なくなるのだろうか。

戦争という狂気に国ごと引きずり込まれると、こういう風になるのだなあ、と改めて感じる。
最近の世界を見ていても、非寛容で嘘をつき、精神論をぶち上げるという、トランプにせよ、欧州の
右翼にせよ、日本の右派にせよ、70年経っても、いや70年たって忘れたのか、同じような気配を
感じるのだ。マスコミが黙るというのも同じような流れだ。

本作を見ながらWikipediaで「宮中事件」を読んでいると、ほぼ同じ流れが書かれている、というか
こっちが半藤一利の著作をフォローしたんじゃないか、と思うほどだ。敢えてモノクロにしたトーンが
ドキュメント性をクローズアップさせて迫力にさらにチカラを加えていた。

おそらくこの岡本版、何年後かにはまた観るのだと思う。終戦に向けた日本の動きのスタンダードと
なり得たのだろう。
e0040938_11165690.jpg
<ストーリー>
大宅壮一名義(実際の著者は当時編集者だった半藤一利)で当時の政治家宮内省関係、元軍人や
民間人から収録した実話を編集した同名原作(文芸春秋社刊)を、「上意討ち -拝領妻始末-」の
橋本忍が脚色し、「殺人狂時代」の岡本喜八が監督した終戦秘話。撮影は「喜劇 駅前競馬」の村井博。

戦局が次第に不利になってきた日本に無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言が、海外放送で
傍受されたのは昭和二十年七月二十六日午前六時である。直ちに翌二十七日、鈴木総理大臣官邸で
緊急閣議が開かれた。
その後、八月六日広島に原爆が投下され、八日にはソ連が参戦、日本の敗北は決定的な様相を呈して
いたのであった。第一回御前会議において天皇陛下が戦争終結を望まれ八月十日、政府は天皇の大権に
変更がないことを条件にポツダム宣言を受諾する旨、中立国のスイス、スウェーデンの日本公使に
通知した。
十二日、連合国側からの回答があったが、天皇の地位に関しての条項にSubject toとあるのが
隷属か制限の意味かで、政府首脳の間に大論争が行なわれ、阿南陸相はこの文章ではポツダム宣言は
受諾出来ないと反対した。
しかし、八月十四日の特別御前会議で、天皇は終戦を決意され、ここに正式にポツダム宣言受諾が
決ったのであった。この間、終戦反対派の陸軍青年将校はクーデター計画を練っていたが、阿南陸相は
御聖断が下った上は、それに従うべきであると悟した。
一方、終戦処理のために十四日午後一時、閣議が開かれ、陛下の終戦詔書を宮内省で録音し八月十五日
正午、全国にラジオ放送することが決った。午後十一時五十分、天皇陛下の録音は宮内省二階の
御政務室で行われた。

同じ頃、クーデター計画を押し進めている畑中少佐は近衛師団長森中将を説得していた。一方厚木
三〇二航空隊の司令小薗海軍大佐は徹底抗戦を部下に命令し、また東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉も
一個大隊を動かして首相や重臣を襲って降伏を阻止しようと計画していた。
降伏に反対するグループは、バラバラに動いていた。そんな騒ぎの中で八月十五日午前零時、房総沖の
敵機動部隊に攻撃を加えた中野少将は、少しも終戦を知らなかった。

その頃、畑中少佐は蹶起に反対した森師団長を殺害、玉音放送を中止すべく、その録音盤を奪おうと
捜索を開始し、宮城の占領と東京放送の占拠を企てたのである。しかし東部軍司令官田中大将は、
このクーデターの鎮圧にあたり、畑中の意図を挫いたのであった。
玉音放送の録音盤は徳川侍従の手によって皇后官事務官の軽金庫に納められていた。午前四時半、
佐々木大尉の率いる一隊は首相官邸、平沼枢密院議長邸を襲って放火し、五時半には阿南陸相が遺書を
残して壮烈な自刃を遂げるなど、終戦を迎えた日本は、歴史の転換に伴う数々の出来事の渦中にあった
のである。
そして、日本の敗戦を告げる玉音放送の予告が電波に乗ったのは、八月十五日午前七時二十一分のこと
であった。(Movie Walker)




by jazzyoba0083 | 2017-08-18 23:30 | 洋画=な行 | Trackback | Comments(0)