2019年 07月 13日 ( 1 )

●「キリング・フィールド The Killing Fields」
1984 イギリス Goldcrest,International Film Investors,Enigma (First Casualty) .141min.
監督:ローランド・ジョフィ 原作:シドニー・シャンバーグ
出演:サム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール、ジョン・マルコヴィッチ、ジュリアン・サンズ他

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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
恥ずかしながら、今頃観ています。ジョン・レノンの「イマジン」が、こういう風に使われていたのを
今日まで知らなかった。恥じ入るばかりだ。もっと「地獄の黙示録」っぽい観念的な作品かと、思い込んで
いた。こんな史実をベースにしたハードな作品だとは知らなかったなあ。もっと早くに見れば良かった。
何故今になってから、というと先日、韓国映画の「タクシー運転手 約束は海を超えて」という実話物を
観た時(ブログは後日アップします)、感想の一つに「韓国版キリング・フィールド」というのがあり、
そうだ、と思った時にWOWOWで放映してくれたので録画して鑑賞した次第だ。

ベトナム戦争時のカンボジアの出来事を、NYタイムズのシドニー・シャンバーグ記者と現地記者で通訳を
努めてくれたカンボジア人プランの苦闘を描く実話ものだ。前半はカンボジアから米英仏などの欧米軍が
撤退し、クメール・ルージュが支配するまで。ここでシャンバーグ記者はプランを伴えず、帰国する。
プランはクメール・ルージュに捉えられ、洗脳の日々。しかし収容所から脱走し、国境を超えて米軍の
キャンプに駆け込み、二人が再会するまでを描いている。シャンバーグはピュリッツァー賞を受賞している。

本作のハイライトはなんと言ってもクメール・ルージュに捕らえられたプランの地獄の日々の描写だろう。
これは再会後にシャンバーグがプランから取材して纏めたものだろうが、狂気の集団のカルトな恐怖が
支配する洗脳の世界。まさにオーム真理教の世界だ。特に純真な子供らは簡単に狂気に染まり、躊躇なく
殺人に手を染めていく。それが後に全世界に知られる大量虐殺の一部なのだろう。

映画は米軍の知らないふりしたカンボジア爆撃から、特派員たちの苦闘、さらに現地住民のありさまを
丁寧に描き、さらにクメール・ルージュの恐怖支配も細かく描写した。目を覆いたくなるような光景も
出てくる。描かれる世界のリアルさとドラマ性が相まって迫力のある、説得性のある作品となったと
感じた。ポル・ポトのジェノサイドの全貌を明らかにしていないという批判もあるが、この映画を作った
ことだけでも凄いことだと思う。

冒頭からキャメラの塩梅がとてもいいなあ、と思っていたら、やはりオスカーの撮影賞と編集賞を獲って
いた。またプランを演じたカンボジア人ニョールは助演男優賞を獲ったのだった。産婦人科医だった彼は
実際に4年間クメール・ルージュに捕らわれた経験を持つ。その後アメリカに移った。本作以降、数々の
映画に出演したが、96年、LAの自宅近くでコカイン代欲しさの黒人3人組に銃で撃たれて死亡してしまう。
クメール・ルージュから生き抜いたのに、新天地でヤク欲しさの賊に殺されるとは、何という皮肉というか
悲劇なんだろう。そう思う時本作がいっそう重く感じられる。
実際のプランはベトナム軍がポル・ポト派を一掃するまでの4年間、収容所の暮らしを耐え、80年に渡米、
NYタイムズの報道カメラマンとして活動したという。
シャンバーグは2016年に亡くなっている。

なんとも重いテーマだが、観なければいけない作品だろう。

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<ストーリー:結末まで書いてあります>
1973年8月。ニューヨーク・タイムズの汽車シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、特派員
としてカンボジアの首都プノンペンに来た。
当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・
ルージュとの闘いが表面化した時期でもあった。カンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョール)が、
現地で彼の通訳・ガイドとして仕事を助けてくれることになった。

翌74年に入って、革命派のプノンペン進攻は目前に迫った。外国人や政府関係者は、必死に国外へ出ようと
かけずりまわり、プランの家族も、シャンバーグの手を借りて、無事にアメリカへ旅立った。
同年4月、プノンペン解放、ロン・ノル政権はついに崩壊、新しくクメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が
誕生した。シャンバーグ、プラン、そしてアメリカ人キャメラマンのロックオフ(ジョン・マルコヴィッチ)、
イギリス人記者のジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)は、病院に取材に行くが、クメール・ルージュの
兵士に逮捕される。プランは三人の命の恩人となったのである。

四人は最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、やがて、カンボジア人であるプランだけが、クメール・
ルージュに引き立てられ、どこかへ連行されていった。数日後、シャンバークたちは無事、国外へ避難することが
できた--。

ニューヨークに戻ったシャンバークは、プランの身を案じながらも、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を
受賞した。この栄誉はすべてプランのおかげだった。受賞式の日、ロックオフがシャンバーグを訪れ「あの賞が
欲しくてプランを脱出させなかったんだな」となじるのだった。--

その頃、プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で労働していた。町の住人たちは農村で強制
労働させられ、子供が親をスパイするという惨状の中で、数え切れないほどの人々が殺された。
やがて、辛くも脱走したプランは累々たる屍を踏み越えて、とある村にたどりつき、村の長の家でハウスボーイと
して働くようになる。しかしその主人もクメール・ルージュに殺されたため、託された少年とともに村を脱出。
途中、地雷で少年は死に、プランが死ぬ思いをしながら、タイの難民キャンプにたどりついたのは、79年も秋に
なったころだった。
プラン生存の連絡を受けたシャンバーグは、タイの難民キャンプへ飛んだ。「許してくれ」とシャンバーグ。
「許すことなどないよ」とプラン。抱き合う二人をカーラジオから流れるジョン・レノンの“イマジン”が優しく
つつみ込んでいた。(Movie Walker)

<IMDb=★7.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:92%>
<Metacritic=No Data>
<KINENOTE=76.9点>



by jazzyoba0083 | 2019-07-13 23:15 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)