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カメラを止めるな!

●「カメラを止めるな!」
2018 日本 ENBUゼミナール 96分
監督・脚本・編集:上田慎一郎
出演:濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、秋山ゆずき、細井学、市原洋、山口友和他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
現在(2018年8月)日本の邦画界を席巻しているといっていい作品を、こうした映画はあまり観ない
私だが、まずはともあれ観てみないと論評も出来ないと、シネコンへ出かけた。入りさすがにいい。
こうした形でヒットしてきた作品としては「この世界の片隅に」以来の邦画界の騒ぎ、と言えよう。

なぜにこの映画がかくも大衆の心を掴んだのかを確認する意味もあっでの鑑賞だった。本来私は
ホラーとかオカルトは観ないのだが。しかし、これはホラーという形を借りたコメディなので、怖くは
無い。むしろ後半では客席から笑い声が上がっていた。そしてラストのエンドロールの頃には、なぜ
この映画が客を呼ぶのか分かるような気がした。

まず、低予算を逆手に取った企画の勝利。前半37分のワンカットワンシーンのホラー(らしき)映画の
計算された「大学映研並みの、素人くささと、間の悪さ、出来の悪さ」。そして前半の作品に埋められた
伏線という爆弾が、素晴らしい爆発を魅せる後半の仕掛けの上手さ。これに尽きるのではないか。
殆ど名前を知らない役者が上手いなあ、とも思わせない演技が活きていいる。こんな映画はこれまで
なかったから、評論家を初めとして絶賛されるのだろう。

この映画だけはネタバレは出来ないので、是非映画館に行ってほしいし、その価値はあると思う。
但し、前半37分のワンカットワンシーンの「出来の悪い」オカルトには敢えて辛抱してもらわないと
いけない。そのカタルシスは後半にどっと来るのだから、我慢のし甲斐はあると断言できる。
そして映画好きの映画愛が画面に溢れるのだ。

こうした映画は絶対好きだろうなあ、と思っていた町山智浩氏も、やはり大絶賛。年末に「キネ旬」や
「映画芸術」「映画秘宝」がどういうランキングにしてくるかが見ものだ。「秘宝」は絶対に上位だろう
なあww。

本作はENBUゼミナールという演出家・俳優養成スクールの7作目の作品で、監督の上田慎一郎氏は、舞台で
同様の仕掛けを観て着想し、12人の役者をオーディションなどで招集、俳優からも資金を集めて(250万から
300万)製作。セリフは役者が決まってからの当て書きの部分が多く、前半37分のワンカットもシナリオと
トラブルがないまぜになったできとなっているという。で上田監督は大のホラーファンで、ホラーには映画の
いろんな要素がはいっているでしょ?とのたまっている。その愛や、良し!やりすぎのホラーはお笑いになる
ということをよく知っている人だ。低予算映画あるある、俳優&事務所あるあるも、くすぐったい。

当てた上田監督には大手から大金を注ぎ込んだ作品のオファーが来るだろう。でも絶対にこのいい意味で
チープでアイデアと映画愛に溢れた作品を忘れてほしくない。

だんだん中身が漏れてくる時期になるが、あえてネタバレはしない。それほどこの映画はアイデアがキモ
なのだ。96分、あっという間。
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<ストーリー>
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018ゆうばりファンタランド大賞を受賞したサバイバル・コメディ。
山奥の廃墟に来た自主映画クルーはゾンビ映画の撮影を開始。やがて本物のゾンビが現れクルーを襲撃しても、
監督は嬉々として撮影を続行するが……。
ワンシーン・ワンカットで描かれる思わぬ事態に直面する撮影隊の様子と、その裏側をコミカルに描写。
監督・俳優養成スクールENBUゼミナール主催のシネマプロジェクト第7弾として制作された。
監督はオムニバス映画「4/猫 ねこぶんのよん」内の1編「猫まんま」を手がけた上田慎一郎。
劇中内の作品「ワン カット オブ ザ デッド」は、ゆうばり叛逆映画祭2018特殊効果賞、優秀作品賞を受賞した。

ゾンビ映画撮影のため、山奥にある廃墟にやってきた自主映画のクルーたち。監督は本物を求めてなかなかOKを
出さず、ついに42テイクに至る。と、本物のゾンビが現れ撮影隊に襲いかかった。次々とクルーの面々はゾンビ化
していくが、監督は撮影を中止するどころか嬉々として撮影を続行。
37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイブムービーを撮った彼らとは……。
(Movie Walker)





by jazzyoba0083 | 2018-08-17 13:20 | 洋画=か行 | Trackback(1) | Comments(0)

●「荒野の用心棒 Per Un Pugno Di Dollari」
1964 イタリア・スペイン・西ドイツ uncredited 100min.
監督:セルジオ・レオーネ(ボブ・ロバートソン名義) 音楽:エンリオ・モリコーネ
出演:クリント・イーストウッド、ジャン・マリア・ヴォロンテ、マリアンネ・コッホ、ヨゼフ・エッガー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
大のイーストウッドファンなのだが、この時期の西部劇(マカロニ)は敬遠していた。たまたまNHKBSで
放映の機会があり、観ておかないと、ファンだと言い切れないかも知れない、と割り切って観てみた。

制作上にいろいろと逸話がある映画で、まず有名ななのは黒澤明の「用心棒」をレオーネが丸パクリして
東宝映画に訴えられて、負け、興収の15%を支払うことになったこと。(まあ、黒澤の当該映画がもともと
西部劇の要素を取り入れているので、なんと言って良いものやら。ただ黙ってやっちゃあいけません。)
さらに、イタリアで製作され、アメリカよりも日本の公開のほうが先で、アメリカでの公開は1967年に
なってから。その際には監督などはアメリカ人ぽい名前のクレジットにしている。

いわゆる「マカロニウエスタン」の嚆矢となる作品で、そのあとイーストウッドやジュリアーノ・ジェンマらの
作品が次々と作られたが、意匠が同様なものが多く、10年間程度で次第に飽きられていった。

改めて本作を鑑賞してみて、その後に本国の評価サイトや、日本の映画サイトなどでの高評価に驚いた。
私としては、そこまで高評価に値する作品なのか、と思ったからだ。本ブログでも何回も書いているが、私は
西部劇というジャンルを好んで観ないので、その系譜に理解が足りないのかも知れない。この映画の革新性と
いうものに理解が行かないのかも知れない。イーストウッドに関して言えば、その後「許されざる者」などの
更に革新性を帯びた西部劇でさらに成長していくのだが、そこは分かる。

では「荒野の用心棒」の面白さとはなにか。それ以前のゲイリー・クーパーやジョン・ウェインが出ていた
インディアンや騎兵隊を映画いたもの、マリリン・モンローが出ていたものと比べると(私が観た少ない西部劇
からの話で的を得ないかも知れないが)、ストーリーが明快で単純、善悪が分かりやすく、エンタメに徹していて、
とにかくヒーローがカッコいい。そこには「シェーン」のような人間性の描写は薄いが、別の「さすらい者」と
してのカッコよさがある、ガンファイトに容赦がなく、たくさんの人間がいとも簡単に死ぬ。が、あまり悲劇性
は感じない。時間の折りたたみ方や、銃弾はどこで用意したのか、とか弾切れじゃないのか?とかのツッコミ
どころはたくさんあるが、それを乗り越えたエンタメに徹している、というようなことか。

思想性を追い求めない全くのエンタメとして娯楽に振り切った潔さの面白み、が評価されたのかもしれない。
それは冒頭の赤と黒をアニメチックに使ったタイトルバックにも表れているし、コヨーテの遠吠えを模したと
言われているエンリオ・モリコーネのマカロニウエスタンのトレードマークのようになった音楽もまた、
エンタメ的要素の色彩を濃くしているように感じたのだった。

イーストウッドが世の中にでるキッカケを掴んだ映画として鑑賞したが、二度目はないかなあ。
若きイーストウッドは確かにカッコいいけど。
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<ストーリー>
「ローマの旗の下に」のボブ・ロバートソン(セルジオ・レオーネの変名)がシナリオを執筆、自から監督した
西部劇。ただし、黒沢作品「用心棒」の盗作であることを川喜多氏が発見、東宝は著作権の侵害で告訴して
勝つなどの、いわくつきのもの。

無法者の横行する一八七二年のニュー・メキシコ。ある日ジョー(C・イーストウッド)という、腕利きの男が
現われ、この町を二分するロホ兄弟の方に身を寄せることになった。もう一方の旗頭モラレスの手下四人を
鮮やかに片づけたからだ。彼は酒場の亭主からこのニつの勢力が町の皆から煙たがられていることを知り、
その厄病神どもを始末しようと考えた。

一計を案じて両派を反目させることに成功、ロホ兄弟はモラレス家に殴り込みの準備をした。兄弟の弟ラモン
(J・ウェルズ)がマリソル(M・コッホ)という子持ち女を自分のものにしようと監禁しているのを知った
ジョーは、見張りの手下を始末し、母子を逃がした。
これをモラレスの仕業と見せかけたつもりだったが、ラモンに見破られ、マリソルの行方を自白させようと激しい
リンチを加えられたが、口は割らなかった。夜、半死半生のジョーは、スキを見てロホ家をぬけ出し、棺桶屋の
オヤジの手引で安全な隠れ家に身を寄せた。その隠れ家に、棺桶屋のオヤジがロホ一家の手下をだまして手に
入れた拳銃をもってきてくれた。傷つけられた身体で、ジョーは拳銃の早射ちの業をみがいた。傷ついた左手が
利かぬ以上、右手で勝負するほかない。

彼の失踪にあわてたラモンたちは酒屋の亭主を捕えて居所を教えろと迫ったが果さず、ついにモラレス家に
殴り込みをかけ、不意を襲われたモラレスは簡単にやられてしまった。ラモンは酒屋の亭主を通りの真中で
リンチを加えた。ジョーをおびきよせるためである。静まりかえった町に姿を現したジョーは、待ちかまえた
ラモンから続けざまに銃弾を浴びた。が、平然としているジョーに、ラモンはうろたえる。
彼は胸に鉄板を入れていたのだ。ラモンはジョーの銃に倒れ、ジョーを背後から狙ったロホも、酒屋の亭主が
仕止めた。ジョーは再び静かに町を去って行った。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:98%  Audience Score:91%>





by jazzyoba0083 | 2018-07-26 23:10 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「かくも長き不在 Une Aussi Longue Absence」
1960 フランス Procinex,Societé Cinématographique Lyre,Galatea Film.98min.
監督:アンリ・コルピ
出演:アリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウィルソン、ジャック・アルダン、シャルル・ヴラベェット他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
ずっと観たいと思いながら作品に触れる機会がなかったところ、WOWOWで放映してくれたので鑑賞。
欧州大戦が終わって16年。製作された年の頃の話であが、まだまだ戦争の傷跡を引きずって市民は生活して
いた。街の人のたまり場となっているカフェの女主人テレーズ。映画の前半では彼女の素性は明らかに
されない。やがて店の前をオペラ「セビリアの理髪師」の一節を口ずさむ男が行き来するようになる。
みなりは卑しく、今で言うホームレスのような格好だ。帽子を目深に被り、表情は分からない。

やがて彼女は、その男が、ひょっとしたら16年前に二人で暮らしていた田舎でゲシュタポに連れて行かれた
夫なのではないか、と思い始める。口ずさんでいた歌は夫がよく歌っていた歌だし、背格好も顔つきも
忘れられるものではない。ある日、彼女は男の後を付けていき、あばら家で暮らす男とついに対面する。
しかし、その表情にはなんの変化も起きなかった。記憶が無いのだ。

彼女や家族、街の人も見守る中、夫アルベールを店に入れ、いろいろと話しを聞くが、どうやら自分が
誰か、周りにいる人が誰かの記憶が無くなっっている。彼いわく医師も戻ることはないだろうと言って
いるという。手料理を振る舞い、一緒に食事をし、ダンスを踊る・・・。テレーズの必至の努力の甲斐なく
男の記憶は戻らない。

観ている方は、何かのキッカケで記憶が戻るんじゃないかと期待しつつ物語からいっときも目を離せない。
テレーズの夫を思う気持ちが辛く辛く胸に迫る。そして見つける男の後頭部の大きな傷跡。ゲシュタポに
よる拷問の傷跡に違いない。テレーズの心中はどんなものであっただろうか、私たちの切なさは、
テレーズの必死さに比例して、いや勝ってくる。この辺りのシーンは息するのも辛いくらいだ。

ラストシークエンス、河原の小屋に引き上げる男に向かって、街のみんなが「アルベール!」「アルベール・
ラングロワ!」とその背中に声を掛ける。男は一瞬、ホールドアップのように両手を挙げた。次の瞬間、
前から走ってきたトラックにぶつかっていった・・・。

警官はテレーズに、男は「大丈夫だったよ。またどこかへ行ったよ」と説明する。
大丈夫なはずはないのだ。テレーズは「冬を待ちましょう。寒くなればきっと戻ってくるわ」と独り言つ。
そこにはある種の達観が見える。
このシークエンスは見事だ。男が名前を連呼されホールドアップするのは記憶喪失していても、戦争で受けた
心の傷は忘れられないものになっているという戦慄すべきシーンであった。それに対し、これからまた夫が
いない暮らしが(永遠に)続くテレーズにとって、(冬の到来」とは何を指すのだろうか。戦争が生み出した
ある夫婦の悲劇はまだ終わらないのだ。 トラックにぶつかった拍子にアルベールの記憶が戻るのじゃないか、
と思った私には作者がこの映画を通して伝えたかった戦争の悲劇を分かっていなかったということだ。

物語の構成もテンポよくまた計算されたものとなっている。パリの郊外のカフェ、やって来たバカンスシーズン、
人々は浮かれて地中海を目指す、残されたテレーズ。現れる男、正体を探ろうとする、接触してカフェにつれて
来てなんとか記憶を回復させようとする。しかし絶望・・・。94分のモノクロの映画全編に渡る緊張感と悲劇性は
その年のカンヌのパルム・ドールを獲得するのに相応しい。
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<ストーリー:ラストまで書かれています>
テレーズ(アリダ・ヴァリ)は、セーヌの河岸に近い、“古い教会のカフェ”の女主人。貧しい人々の憩の場である。
しっかりものと評判高かったが、女盛りを独り身で過したのだ。運転手のピエール(ジャック・アルダン)の親切に
ほだされるのも無理からぬことだった。
彼女が、朝と夕方、店の前を通る浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)の姿に目をとめたのは、そんなある日だった。
十六年前、ゲシュタポに捕えられたまま、消息を絶った夫アルベールに似ているのだ。彼女は不安の混った期待で
その男の通るのを待つようになった。

ある暮れ方、手伝の娘に男を導き入れさせ、物陰で男の言葉に耳を傾けた。男は記憶を喪失したのだという。彼女は
男の後をどこまでも尾けて行った。セーヌの河岸のささやかな小屋。その夜、そこから離れなかった。
翌朝、男と初めて言葉を交した。彼女はもしや……という気持が、もう動かせない確信に変っていった。何日か後、
アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、記憶を呼び戻すような環境を作ってその結果に期待したが、彼の表情に変化は
認められなかった。叔母は否定的だったが、彼女は信じて疑わなくなった。

ある夜、男を招いて二人だけの晩さんをした。ダンスをした。それは幸福な記憶に誘う。彼女の眼にはいつしか涙が
光っていた。夫の記憶を取り戻す術はないのか。背を向けて立ち去ろうとする男に、思わず叫んだ。「アルベール!」
聞えぬげに歩み去る男に、それまでの一部始終を伺っていた近所の人たちも、口々に呼びかけた。瞬間、男は立ち止った。
記憶が甦ったのか?一瞬、彼は脱兎の如く逃げ出した。その行く手にトラックが立ちふさがった。あっという間の
出来事であった。
目撃者のひとり、ピエールのなぐさめの言葉に、テレーズは一人言のように呟いた。「寒くなったら戻ってくるかも
しれない。冬を待つんだわ」(Movie Walker)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=No Data>



by jazzyoba0083 | 2018-07-23 23:15 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「ゲティ家の身代金 All the Money in the World」
2017 アメリカ Scott Free Productions,TriStar Pictures and more.133min.
監督:リドリー・スコット
出演:ミシェル・ウィリアムズ、クリストファー・プラマー、マーク・ウォルバーグ、
   チャーリ・プラマー、ロマン・デュリス、ティモシー・ハットン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
この事件は、私が大学生の時に発生し、リアルタイムの報道に接していたので細部は
ともかく大意はだいたい把握していて、記憶によく残っている。ロスのマリブにある
ゲティ美術館にも行ったことがあり、個人の収集物としてはエジプトやギリシア時代の
ものから近代のものまでものすごい所蔵品なのと、庭などの造作が素晴らしかったのを
覚えている。ここが映画にそのアイデアが出てくる「マリブの別荘」だったのだろう。

閑話休題。リドリーの作品は大体映画館で観るようにしている。私にとっては当たり
ハズレの大きな監督で、今回も、大丈夫かなあ、といささかの不安はあったが、実話もの
だったので、大外れはしまいと予想はしていた。
本作、大向うを唸らせるようなケレン味があるわけではないが、しっかりと纏まって
できの良い作品だと思う。やはりクリストファー・プラマーの存在が圧倒的だった。
聞けば、ゲティの役はケヴィン・スペイシーで、既に撮影は終了していたのだが、例の
セクハラ問題で公開が出来なくなり、急遽プラマーで最初から撮り直した、しかも9ヶ月で
完成させたというから驚きだ。これでプラマーはオスカーの助演男優賞候補になったのだから
大したものだと言わざるを得ない。結果論だがプラマーで良かった。

原作モノを脚色してあるので、石油の大富豪ゲティ家の孫がイタリアで誘拐され、多額の
身代金を要求されたが、老ゲティは身代金の支払いを拒否。そのため犯人から誘拐された
孫の切り取られた右耳が送りつけられた、などの大きなイベントは事実に即していると
思うけど、ウォルバーグやロマン・デュリスのチンクアンタの存在は創作なのではないかと
感じた。

主人公と位置づけられるのは老ゲティの三男の嫁(老ゲティにしてみれば義理の娘)
アビゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)。夫(三男)はイタリアに住みドラッグまみれの
怠惰な生活をしていて、子どもの3世が誘拐される時点では既にアビゲイルとは離婚していた。
こうした状況下で、アビゲイルには犯人から要求された1700万ドルなど到底払えるわけも
なく、老ゲティに頼んだのだが、他の孫にも同じようなことが起きると拒否される。
老ゲティは父親の石油業を継ぎ世界一の石油王、大富豪となった人物であるが、ケチで有名
で、身代金は払えないという片方で高価な美術品を買い漁っていた。

そこで元CIAで老ゲティの会社に雇われているチェイス(ウォルバーグ)という男が
アビゲイルの手助けをすることになる。次々と電話がかかってくるが、支払いが出来ない。
最初に誘拐した犯人らは、犯罪を投資と考える男に3世を売った。チェイスは身代金の
値切りを要求、すると犯人側も次第に値段を下げてきた。
アビゲイルはかつて老ゲティから買えば20万ドルはするだろうという古代の彫刻を
貰っていたことを思い出し、身代金の一部にでもとサザビーズへ持ち込むが、鑑定員から
これは美術館で15ドルで売っているお土産ですよ、と言われ愕然。老ゲティが真からの
守銭奴であることを再認識する。

そうこうしているうちに業を煮やした犯人らは3世の耳を切り取り新聞社に送りつけ、
もうこれ以上は待てない。次は足を切るぞ、と脅してきた。ここに及び老ゲティは
身代金の支払いを承諾。しかし、それを節税対策に使おうとし、吝嗇も極まれりという
状況に。値切りに根切り倒したドルはリラに換算され犯人に手渡り、3世は開放される。
そうしたなかで老ゲティは寿命を終える。

莫大な老ゲティの遺産は、結局アビゲイルしか手を付けられないことが判明し、彼女は
ゲティの石油会社の責任者に就任することになったのだった。そして何くれと無く
協力してくれたチェイスはアビゲイルの、残って、という誘いを断り、ゲティ家を
出ていったのだった。

物語の中で目立ったことは、老ゲティの金に対する考え方、富豪はケチと言われるが
実にそうであったし、彼の興味は美術品の収集にしか向かなかったのだ。美術品は
裏切らないからであろうか。人間は信じられないからであろうか。その結果が現在
ロスのマリブにあるゲティ財団が運営する「ゲティ美術館」となるわけだが。
そしてもう一つは、母として圧倒的な強さを示すアビゲイルの行動力。心配もするが
現実を直視、出来ることを直ちに行動に映し、結果的に息子を救い出すことが出来た。
母は強し、である。
そして映画にアクセントを与えている役回りとしてウォルバーグと、最初の誘拐犯の
メンバーで、3世に同情的なチンクアンタの存在。彼ら二人がギスギスしがちな物語の
なかで潤滑油のような役割を上手く果たしていた。それは演出側の作戦勝ちということも
出来る。

調べればゲティは結婚離婚歴も多く子どもも孫も多い。愛人もたくさんいただろう。
遺産相続の際には相当もめたようだ。そしてその一族は呪われたように悲惨な亡くなり方を
している。耳を切られた3世ももうこの世にはいない。因果は巡る、である。
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<ストーリー>
1973年にローマで起きた石油王ジャン・ポール・ゲティの孫の誘拐事件を、巨匠リドリー・
スコット監督が映画化した人間ドラマ。孫が誘拐されるも、身代金の支払いを拒否する
ゲティと誘拐犯に戦いを挑む母親の姿が描かれる。
息子を助けようと奮闘する母親をミシェル・ウィリアムズ、大富豪ゲティをクリストファー・
プラマーが演じる。

“世界中のすべての金を手にした”と言われた世界一の大富豪、石油王のジャン・ポール・
ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐され、1700万ドルという
破格の身代金を要求される。
しかし、大富豪であり稀代の守銭奴でもあるゲティは、その支払いを拒否する。ポールの
母ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)は離婚によりゲティ家を離れ、一般家庭の人間に
なっていた。彼女は息子のために誘拐犯だけでなく、ゲティとも戦うことになる。
警察から狂言誘拐を疑われ、マスコミに追い回され、ゲイルは疲弊していく。

一方、身代金が払われる様子がないことに犯人は痺れを切らし、ポールの身が危なくなって
いた。ゲティはそれでも頑なに身代金を支払おうとしない。ゲイルは愛する息子のため、
一か八かの賭けに出る。(Movie Walker)

<IMDb=★6.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:78% Audience Score:67% >




by jazzyoba0083 | 2018-05-29 12:00 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「午後8時の訪問者 La Fille Inconnue」
2016 ベルギー・フランス Les Films du Fleuve and more.106min.
監督・製作・脚本:ジャンー=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
出演:アデル・エネル、オリヴィエ・ボノー、ジェレミー・レニエ、ルネ・カミラ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
好悪の分かれる、いかにも、の、あるいは独特のフランスタッチの映画。私にはどちらかと
いうと苦手な範疇の作品。だが作り手の狙いが監督なりの作風できちんと完成させられ
ている良作であることは分かる。

音楽が一切ない。キャメラは終始手持ち。ドキュメンタリー風な進行、独特なカットの間、
時間の流し方。ロングをあまり使わず、診療所の中と彼女がクルマに乗り降りするところ
くらいが広めのショットの限界。全体にかなりタイトな画作りであった。それがつまり
主人公の心の動きに焦点を当てる演出に役立っていたと感じた。

この監督さんの作品は初見で、みんなこんな風なのかはわからないが、作らんとしている
方向はこれなんだろう。結局何が言いたいの?と思われる方も多かろう。

しかし、思うに監督が目指しているのは、主張を全面にださず、ある種のメタファーを
通して言わんとする所を描こうとしたのではないか。
それが日常の生活に潜んだサスペンスの、解決に向かって進む過程で流れる主人公の心の
動きを捉えた人間ドラマとなり、更に主題へと収斂されいく。
地元フランスでは、この映画の中で起きる事件を通して見えてくるものが、私達日本人に
比べてはっきり異なって見えてくると思う。

女性医師を巻き込んだ事件は彼女の心の動きを通して、それ以上に社会が抱える病理を
浮かび上がらせている。
深夜に診療所を訪ねてきた黒人女性を時間が遅いからと言って断ったのだが、その女性が
その夜他殺を疑わせる遺体となって発見される。女性医師は自分がドアを開ければ
女性は殺されずに済んだ、と「医師としての良心の呵責と罪の意識」から彼女の正体と
探ろうとする。その過程と結末で社会の病理が浮かび上がってくる仕掛けだ。

主人公の若い女性医師を演じたアデル・エネルは演出の意図を汲んでの上手い演技だと
感じた。
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<ストーリー>
「サンドラの週末」のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督によるヒューマン
サスペンス。診療時間外に鳴ったドアベルに応じなかった女性医師ジェニー。
翌日、ベルを押していた少女の遺体が発見され、ジェニーは後悔の念から彼女の足取りを
探り始める。

診療時間を過ぎた午後8時。小さな診療所のドアベルが鳴らされるが、若き女医ジェニー
(アデル・エネル)はそれに応じなかった。翌日、診療所近くで身元不明の少女の遺体が
見つかり、診療所の監視カメラにはその少女が助けを求める姿が収められていた。
彼女は誰なのか。何故死んだのか。ドアベルを押して何を伝えようとしていたのか……。
あふれかえる疑問の中、亡くなる直前の少女の足取りを探り始めるジェニー。
彼女の名を知ろうと必死で少女のかけらを集めるジェニーが見つけ出す意外な死の真相
とは……(Movie Walker)

<IMDb=★6.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:70% Audience Score:44% >




by jazzyoba0083 | 2018-04-25 23:05 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「クリミナル 2人の記憶を持つ男 Climinal 」
2017 イギリス・アメリカ Lionsgate,Millennium Films and more. 113min.
監督:アリエル・ヴロメン
出演:ケヴィン・コスナー、ゲイリー・オールドマン、ガル・ガドット、トミー・リー・ジョーンズ
   マイケル・ピット、ライアン・レイノルズ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
出演者のギャラだけで制作費が破裂しそうな豪華スターが並んだスパイもの。本国の評価はあまり
芳しくないが、私は結構面白く観させてもらった。ご贔屓のガル・ガドット(ワンダー・ウーマン)が
出ている、ということもあるのだけれど。まあ、MARVEL並みに突っ込みどころ満載のストーリーで
グダグダ感がないわけではないが、演技のしっかりした人がやるとそこそこ観られるものになるのだね。

映画の根本として、「記憶の移植」ということが大きなポイントとなる。その「技術」がポッと出てくるのが
評価の分かれ目の一つ。(手がける博士がトミー・リージョーズ) また重要な秘密を抱えたまま死んでしまった
CIAのスパイ(ライアン・レイノルズ)から、秘密を取り出すために、そのレシピエントとされたのが
最悪の囚人ジェリコ(ケヴィン・コスナー)。まあ、死んじゃってもいい奴を使ったのだろうけど、ならば
体内にGPS発信機も埋め込む位のことをして、どこに行ってしまったのだ!とか言わせないようにしなければ、
というツッコミもありますね。

死んじゃうCIAのエージェント、ビル・ポープの奥さんジルがガル・ガドットなわけだが、記憶の移植を受けた
ジェリコはまだら模様の記憶のまま、ジェリコ半分ビル・ポープ半分な性格から次第にビルの性格に支配され
て行くようになる。そのあたりのジェリコと妻ジルの間に信頼や愛情の端くれみたいなものが生まれてくる
過程は興味深かった。

世界革命を目論むハイムダールという男が、全世界の軍事システムを自由に操れるハッカー、ダッチマンの
技量とソフトを巡り、CIA(ロンドン支部の親分がゲイリー・オールドマン)と争うのがメインストーリー。
その中でダッチマンから要求されたパスポートと1000万ドルを入れたカバンを持ったビルがハイムダール側に
捕まり拷問の果に殺される。CIAはビルの記憶を取り出すことで、カバンとダッチマンの行方を追おうと
試み、まだネズミでしか成功していない記憶の移植を実行することになるわけだ。

全体のストーリーとしては分かりやすく、テンポも悪くない。(先述のようにツッコミどころはあるけど)で、
何がこの映画の一番の魅力か、というと、ビルの記憶を移植されたジェリコがビルの家族を守るために
死を厭わずハイムダールと対決するのだが、その過程、結果での「ジェリコによるビルのための復讐」の
「やっちまえ!」的カタルシスだろう。社会生活も営めず、善悪の区別さえつかず、犯罪という意識もなかった
男が、ビルの記憶でまともになっていく。そして展開される自己犠牲に基づく復讐劇で観客は溜飲を下げるのだ。
その一点に収斂される作品だろう。それとケヴィン・コスナーの、悪人から人が変わっていく過程の演技が
注目点か。
冒頭でのシーンはラストシーンと繋がっているとすれば冒頭で「俺の頭になにかしようとした奴らを許さない」と
語ったジェリコは、まだ完全にビルにはなっていないという、恐ろしさを少し残した、という感じかな。
ビッグネームがたくさん出ている割には完成度はいまいち。脚本の完成度が低かった。でも私は面白く見ることが
できた。しかしガル・ガドットはやっぱり綺麗だったなあ。
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<ストーリー>
ケヴィン・コスナーが死亡したCIAエージェントの記憶を移植され、壮絶な戦いに巻き込まれる死刑囚を演じる
スパイ・アクション。道徳心のかけらもなく、人を愛した事がなかった男が、別人の記憶の影響を受けて変わって
いく姿をコスナーが繊細に体現。ゲイリー・オールドマン、トミー・リー・ジョーンズといった名優が共演する。

CIAロンドン支局のエージェント、ビリー(ライアン・レイノルズ)が、極秘任務中に非業の死を遂げた。彼は
米軍の核ミサイルさえも遠隔操作できる恐るべきプログラムを開発した謎のハッカー“ダッチマン”の居場所を
知る唯一の人物であった。
“ダッチマン”を探し出し、世界の危機を救うための最後の手段は、禁断の脳手術によってビリーの記憶を他人の
脳内に移植すること。その移植相手に選ばれたのは死刑囚ジェリコ・スチュアート(ケヴィン・コスナー)だった。
記憶が失われるまでのタイムリミットは48時間。ジェリコは凶悪犯である自分自身とCIAエージェントである
ビリーというふたつの人格に引き裂かれながら、テロリストとの壮絶な闘いに巻き込まれてゆく……。
(Movie Walker)

<IMDb=★6.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:30% Audience Score:47% >



by jazzyoba0083 | 2018-04-03 23:10 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス Guardians of the Galaxy Vol.2」
2017 アメリカ Marvel Studios,Walt Disney Pictures.136min.
監督・脚本:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デイヴ・バウティスタ、マイケル・ルーカー
   カレン・ギラン、ポム・クレメンティエフ、エリザベス・デビッキ、カート・ラッセル
   シルベスター・スタローン、(ロケットの声)ブラッドリークーパー
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
面白かった!前作も、MARVEL作品としては異色の範疇にはいる「ノリ」のテイストで
大いに楽しませて貰ったし、だいたい、アライグマとか木の妖精?が喋って出てくると
いう設定が面白い。コミックなんで何でもありといえばそれまでだが、語弊を恐れずに
言えば、良く出来た「男の子」映画だ。初作を超えた面白さだった。MARVELの中の
大人のヒーロー物とも言えるだろう。喋っている言葉も汚いし、アライグマ、「ロケット」
のやること言うことは、大人受けを狙っているとしか思えない。

親子、姉妹、仲間、などの、ほとんど浪花節かよ!といいたくなるような「愛情」や
「友情」「絆」「自己犠牲」が大きなテーマとなっていて、加えて「勇気」と「冒険」と
いうMARVELに欠かせない要素が入れば、盤石だ。本作のラストシーン、まさか
MARVELの映画で目頭が熱くなるとは想像しなかった。このメンバー、今度は
「アヴェンジャーズ」の新作に登場するとか。どうなるだろう。メンバー多すぎになって
話がとっちらからないといいけど。

さて本作は前作からの続きの流れで、宇宙人と地球人母のハーフであるピーター・クイル
(クリス・プラット)と、エゴの支配者で全宇宙を制覇しようとする不死身の父との
対決が最大の見どころとなる。これに銀河の守護者(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)
の仲間、ガモーラ、ドラックス、ロケット、グルートが加わり、今回はガモーラと妹の
ネビュラとの姉妹の愛憎も描かれていく。加えて、クイルの育ての親とも云うべきヨンドゥ
(マイケル・ルーカー)との関係も色濃く描かれる。ヨンドゥの属する一族(親分が
シルベスター・スタローン)が任侠深くて面白い。故にヨンドゥが最後に取る行動も
義理人情の世界における自己犠牲と思えてしまうのだ。(泣かされるんだけどねえ)

日本でのタグラインが「銀河の運命は、彼らのノリに託された」というものだが、まさに
「ノリ」。80年代の音楽が大きくフィーチャーされ、だいたいクイルは初代のウォークマンを
まだ大事に?持っているし、宇宙船の中には80年代リミックスのカセットデッキがある。
普通は考えられない宇宙におけるアナログの存在が、80年代の音楽に乗ってどこか郷愁も
感じさせつつ、ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーなどの音楽とは違った「ノリ」を
演出する大事なガジェットとなっている。かの世界にはiPodがなかったんだねえ。

宇宙船や星の建物などはバロックを感じさせ、従来のMARVELとは一線を画す。本作での
ラスボスたるクイルの父親も含め心底憎い、という存在がいない上に、「友情」「絆」を
強調する作劇がなされているので、観終わっても誠に気分がいい。仲間の大男ドラッグスが
結構いいことを何げに喋っている。これぞMARVEL!
(Disneyも入っているけど)CGとモーションキャプチャーだろうけど、ロケットの
表情が好きだなあ。
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<ストーリー>
マーベル・スタジオのキャラクターの中でも最もユニークなヒーロー・チーム、ガーディ
アンズ・オブ・ギャラクシーの活躍を描く、人気シリーズの第2弾。
チームのリーダー、ピーターにドラックス、ガモーラ、ロケットといったおなじみの
キャラクターに加え、グルートの体から生まれたベビー・グルートら新たなキャラクターも
登場する。

“スター・ロード”ことピーター・クイル(クリス・プラット)をリーダーに、凶暴なアライグマの
ロケット、マッチョな巨漢ドラックス(デイヴ・バウティスタ)、ツンデレ暗殺者ガモーラ
(ゾーイ・サルダナ)など、偶然出会って勢いで結成された宇宙のはみ出し者チーム“ガーディアン
ズ・オブ・ギャラクシー”。

小遣い稼ぎに仕事を引き受けた彼らは、なぜか“黄金の惑星”の艦隊から総攻撃を受け、宇宙船
ミラノ号は壊滅寸前に。間一髪、ガーディアンズを救ったのは、“ピーターの父親”を名乗る謎の
男エゴ(カート・ラッセル)と、触れただけで感情を読み取れるマンティス(ポム・クレメン
ティエフ)だった。
仲間からの忠告にも関わらず、次第にエゴに魅了されていくピーター。その姿を目にしたチームの
間には、亀裂が生じてゆく。そこへ、ピーターの育ての親ヨンドゥ(マイケル・ルーカー)率いる
宇宙海賊の襲撃が。さらに、銀河全体を脅かす恐るべき陰謀が交錯してゆく。

果たして、ピーターの出生に隠された衝撃の真実とは?ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーは、
失われた絆を取り戻し、銀河を救うことが出来るのか? その運命の鍵を握るのは、チーム一
小さくてキュートな、ガーディアンズの最終兵“木”グルートだった……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:83% Audience Score:88% >




by jazzyoba0083 | 2018-03-19 23:15 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「グレイテスト・ショーマン The Greatest Showman」
2017 アメリカ 20th Century Fox,Chernin Entertainment,TSG Entertainment. 105min.
監督:マイケル・グレイシー
出演:ヒュー・ジャックマン、ザック・エフロン、ミッシェル・ウィリアムズ、レベッカ・ファーガソン
   ゼンデイヤ、キアラ・セトル他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
「地上最大のショウ」(The Greatest Show on Earth)という宣伝文句を付けて、「サーカス」を
大衆娯楽として定着させた、日本で言うと江戸末期から明治初期にかけてのアメリカの興行師
P・T・バーナムの物語。(同名の映画は1952年、セシル・デミル監督、チャールトン・ヘストン主演で
製作され、その年のオスカー作品賞他を獲っている)だが、調べてみると本作ではバーナムの人生が大胆に
翻案されていて、映画として起承転結に則ったサクセスストーリ&娯楽作として仕上げている。

日本での触れ込みは、「ラ・ラ・ランド」のチームが手がけたとしているが、スタッフの中で同じなのは
楽曲を手掛けたベンジ・パセックとジャスティン・ポールだけで、監督もプロデューサーも異なる。
なので、楽曲を比較することはいいが、映画全体を比較することは意味がないと思う。

実際のバーナムも見世物小屋からサーカスへと発展させた興行師だが、作品を通して気分的に引っかかりを
持ってしまったのだった。それは矮人や全身毛だらけの男や、髭の生えたデブの女性歌手など、人と違うことは
決して引け目ではなく、人間はそれぞれ異なっていて当たり前、いや違っていることを武器にしよう、社会は
それを受け入れる世界観を持つことこそ大切、とする主張は分かるけど、バーナムのやっていることは所詮
見世物小屋なんだよなあ、ということ。

現代でのアメリカの風潮に対する「寛容の精神」に対する警告とも受け取れるが、サーカスの団員らが作品中で、
自分に自信を持ち、仲間を家族として受け入れて活き活きと人生にぶつかる様は立派と思うけれど、彼らを
見る目が100%、尊敬の念ではなく、やはり怖いもの見たさ、奇異なもの見たさが自分のどこかにあるのでは
ないか、思うと、素直に喜べない自分もいるのだ。
またバーナムのパートナー、カーライル(エフロン)の、空中ブランコの名人である黒人女性との(あの時代とは
言え)障害の多い恋での苦労に対しても、これまで幾千と描かれてきた同様のシチュエーション以上に、自分への
問いかけが色濃く残ってしまったのだった。まるでリトマス試験紙にさらされているように。
ということは自分の中に、「非寛容」な部分が残っているということか。それがどうも居心地の悪さとなって
残ってしまった感が拭えない。それはもしかしたらRotten Tomatoesで、一般より批評家受けが悪い評価に
現れているのかもしれない。もちろんバーナムの史実とはかなり離れた「居心地良すぎる」物語に眉根をひそま
せる評論家も多いのだろうけど。

バーナム自身が、団員たちは所詮見世物で二流、一流の芸術に憧れ欧州からジェニー・リンドをアメリカに迎えて
興業を打ったことで団員たちと自分に距離を置いてみているシークエンスもあるので観ている方は余計に追い
打ちを掛けられるのかもしれない。
それなら団員たちを普通の空中サーカスや猛獣使い、ピエロなどでまとめ、その中での恋愛譚や技術譚に
仕上げれば良かったか、というと、それなら1952年の映画と変わりなく、「今」それを作る意味が失われる
だろう。そのあたりはプロデュースサイドの悩みでもあった想像する。

一方で「ショウほど素敵な商売はない」の楽曲を彷彿とさせ、「ラ・ラ・ランド」のジャジーなテイストとは
違った雰囲気を持つ楽曲たちの出来はいいし、現代的な踊りも見事である。
またストーリーも、バーナムの少年時代、幼馴染のお金持ちのお嬢さんを妻とし貧乏に堪えつつ
二人の娘とともに、見世物小屋を作る、そしてサーカスでの成功、そこからジェニー・リンドの興業と
夫婦の危機、結びは劇場の火災からテント小屋での再スタートと家族の再生、起承転結を教科書通りにまとめ上げ、
お子様でも分かりやすい展開と主張を絡めて105分という適切な時間内に収めたところはお見事である。

本来1952年のデミル監督作品のようにスペクタクルで表現されれば、底抜けの娯楽作として出来上がった
のかもしれないが、社会性を取り込んだため、それがある種の居心地の悪さを表出させてしまったとしたら
作品としてどこかチグハグな感じを残した、と評する人もいるだろう。
片や19世紀の時代性と現代的ポップな楽曲との落差は、本作を今の映画として位置づける大きな役割を担い、
作品表現の重要なファクターとなっている。それはそれで成功していると思う。

文句なしのエンターテインメント、と言い切れない部分に個人的にマイナス面が残るミュージカルであった。
(映画のTIPSとしては、ゼンデイヤの空中ブランコは吹き替えなし。冒頭の20世紀フォックスの古いロゴは
1958年の「長く熱い夏」から4Kデジタルで抜き出したもの。最後に出てくるサーカスの象の名前は
「ジャンボ」といい、バーナムが名付けた実在の名前。大きなものを「ジャンボ」というきっかけに。
ジェニー・リンドはメンデルスゾーンとかショパンと同時代の人。スゥエーデンではお札に描かれるほどの著名人)
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<ストーリー>
19世紀半ばのアメリカ、P.T.バーナム(ヒュー・ジャックマン)は幼なじみの妻チャリティ(ミシェル・
ウィリアムズ)を幸せにしようと挑戦と失敗を繰り返してきたが、オンリーワンの個性を持つ人々を集めた
ショーをヒットさせ、成功をつかむ。
しかし、バーナムの型破りなショーには根強い反対派も多く、裕福になっても社会に認めてもらえない状況に
頭を悩ませていた。

そんななか、若き相棒フィリップ(ザック・エフロン)の協力により、イギリスのヴィクトリア女王に謁見する
チャンスを得る。バーナムはレティ(キアラ・セトル)たちパフォーマーを連れて女王に謁見し、そこで美貌の
オペラ歌手ジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)と出会う。彼女のアメリカ公演を成功させれば、一流の
プロモーターとして世間から一目置かれる存在になると考えたバーナムは、ジェニーのアメリカ・ツアーに
全精力を注ぎ込むため、団長の座をフィリップに譲る。
フィリップは一座の花形アン(ゼンデイヤ)との障害の多い恋に悩みながらも、ショーを成功させようと奮闘する。
しかし、彼らの行く手には、これまで築き上げてきたものをすべて失うかもしれない波乱が待ち受けていた……。
(Movie Walker)

<IMDb=8.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:55% Audience Score:89% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-18 11:30 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「くたばれ!ヤンキース Damn Yankees」
1958 アメリカ Warner Bros. Pictures. 111min.
監督・製作:スタンリー・ドーネン、ジョージ・アボット 脚本:ジョージ・アボット 振り付け:ボブ・フォッシー
出演:タブ・ハンター、グゥエン・ヴァードン、ロバート・シェファー、レイ・ウォルストン、シャノン・ボーリン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
市民会館で月イチ開催される「映画鑑賞会」にて。この下期は「ミュージカルコメディシリーズ」と銘打って
1940~50年代のMGMやWarnerの作品が無料で上映される。平日なので客はほぼリタイヤ組。

さて、このイベントの先回の上映作が「パジャマゲーム」であったが、本作はスタッフが「パジャマ~」と
全く同じ。スタンリー・ドーネンと言えばMGMでは「踊る大紐育」「恋愛準決勝戦」「雨に唄えば」
「掠奪された七人の花嫁」「いつも上天気」「パリの恋人」そして「シャレード」と、私にとっては神様の
ような存在だ。そのドーネンと名コンビを組んでいたジョージ・アボットが、野球を舞台にして製作した
ミュージカルコメディの傑作だ。グウェン・ヴァードンの踊りが売りなのだろうけど、踊りのボリュームとしては
他のミュージカルと比して若干少なめ(バリエーションも含め)かもしれない。

ブロードウェイの作品をキャストごと持ってきて制作、日本で人口に膾炙したビッグネームこそいないが、
みな芸達者、歌も踊りも上手い。それよりもこの映画の特徴は、「パジャマ~」と同様、色恋沙汰が
メインではないお話が異色で面白いのだ。ただのノーテンキな映画で終わらず、悪魔に魂を売り、大リーグの
人気選手になったものの、はやり妻の所がいい、とする設定は、いかにもアメリカ人好み。
深く結びついた夫婦の間には悪魔も魔女も入る隙間がないのだよ、というオチである。
悪魔もヤンキースのあまりの強さに業を煮やしたのだが、約束破りの男を決定的な瞬間に元に戻すという
オチとそれに繋がる夫婦愛の描写が実に心地よい。夫人もいい演技(歌も唄う)だ。


ボブ・フォッシーの振り付けも楽しい一風変わったミュージカルコメディとして楽しめる作品である。
テクニカラーの発色は現在のDVDやBlu-rayでみても十分に美しい。
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<ストーリー>
「パジャマゲーム」でミュージカル映画に新風を吹きこんだスタンリー・ドーネンとジョージ・アボットが、
再び共同で製作・監督した音楽映画。ダグラス・ウォールップの小説「ジャイアンツがペナントを失った年」を
もとに、ジョージ・アボットとウォールップ自身が、「ダム・ヤンキース」としてブロードウェイでミュージカル・
ドラマ化したヒット舞台劇の映画化。
シネリオはジョージ・アボット。撮影監督を「白人部隊撃滅」のハロルド・リップステインが担当した。
野球ファンの中年男が、ひいきチームを優勝させるため、悪魔に魂を売って超人選手になるという物語が
音楽入りでくりひろげられる。
音楽と作詞を「パジャマゲーム」のリチャード・アドラーとジェリー・ロスのコンビが書き、美術はスタンリー・
フライシャー。振付はこれも「パジャマゲーム」のボブ・フォッシー。

野球狂の実業家ジョー・ボイド(ボブ・シェイファー)は大のワシントン・セネタースのファンである。今日も
ニューヨーク・ヤンキースにごひいきチームが負けそうなのをテレビで見て、気がきではない。
妻メグの心配をよそに、「俺がホームラン王になれたらなあ、たとえ魂を売っても…」と1人ごとを言った。
すると悪魔のアプルゲイト(レイ・ウォルストン)が忽然と登場した。ヤンキースの馬鹿げた強さに反感をもつ
この悪魔は、ジョーを中年から青年にもどして、ホームラン王にしてやろうというのだ。

9月24日に彼が望めば元の姿にもどれるとういう条件つきで、若返ったジョーは名もジョー・ハーディ
(タブ・ハンター)と改めて、たちまちセネタースと契約した。彼の猛打によってセネタースは全勝への道を
突進して、ヤンキースをおびやかすようになった。
しかし、球場ではヒーローになったジョーも、家庭をもたぬ淋しさから、元の自分の家に下宿して、妻と話を
するのを楽しみにした。この契約違反に怒ったアプルゲイトは、179歳の妖女ローラ(グウェン・ヴァードン)
を美しい娘にしてジョーを誘惑させた。
ところがローラはかえってジョーにすっかり参ってしまった。ますます怒ったアプルゲイトは約束の条件に
より9月24日深夜にジョーを元にもどすと宣言した。ところが、その翌日の25日の試合に勝てば、セネタースは
優勝する機運にあるのだ。ローラはアプルゲイトに睡眠剤をのませるというトリックを用いた。

アプルゲイトが眼を覚した時、試合は9回の裏、1対0でセネタースがヤンキースをリード中だった。ヤンキース
打手がフライを放ち、ジョーがバックした瞬間、アプルゲイトがジョーを元の中年にもどした。
しかし、変った肉体条件によろめきながら、ジョーの一心は球を見事にキャッチした。セネタース優勝決定の
一瞬、顔をかくすようにしたジョーはダッグアウトから姿を消した。久しぶりの夫をメグは喜んで迎えた。
悪魔のアプルゲイトが、またジョーを栄光の世界にさそいにきたが、しっかり抱きあった2人の姿には、退散の
ほかなかった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:76% Audience Score:70% >



by jazzyoba0083 | 2018-02-08 11:45 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「92歳のパリジェンヌ La dernière leçon 」
2015 フランス Fidélité Films. 106min.
監督・(共同)脚本:パスカル・プザドゥー 原作:ノエル・シャトレ『最期の教え』
出演:サンドリーヌ・ボネール、マルト・ヴィラロンガ、アントワーヌ・デュレリ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
重いテーマだ。それをヒューモアとウィットをまぶして、「どっぷり」暗くしないところが
フランス映画の持ち味と言えるだろう。
本作は、実話を元にして作られた「尊厳死」についての一遍である。

人は生まれた以上は誰でも死ぬ。これは「絶対」。安倍晋太郎も、石原さとみも、
トム・クルーズも例外ではない。当然私とて、あなたも。

本作では90歳を超えた1人の寡婦が、自分のカラダが思い道理にならなくなり、もう
自分の人生にけじめを付ける時、信念としてベッドでチューブだらけでは死にたくないと
考えていたため、92歳の誕生日に、自分は3ヶ月後に死ぬ、と宣言する。

さあ、子どもたち、まごたちを巻き込んで大騒動が勃発する。おばあちゃんはとにかく頑固。
言い出したら聞かないことはみな知っているが、肉親と死病でもないのに別れるなんて
到底受け入れがたい。孫も含めて一所懸命介護もしてあげているのに。息子は怒り、娘は
次第に母の思いを受け入れていく。

助産婦だったおばあちゃんは、病院にいた時、庭で産気づいた女性から赤ちゃんを取り上げ
るという事件があったたのだが、そんなこともあり、自分からクスリを飲んで自死すると
いっても、みんなの暖かい心に触れて自殺を思いとどまるのかと思いきや、そうじゃない。
おばあちゃんの意思はあくまで固かった。

本作の優れている点は、おばあちゃんの一貫したぶれない行動に、人生をしっかり幸せに
生きた、という確信を感じ、こういう気持ちに、自分はなれるのだろうか、泣きながら生に
しがみつくのではないか、と思わせる点。
さらに家族の右往左往が、観ている人に「そういう気持ちにもなるよなあ」という
シンパシーを上手く引き出させている点だろう。母親の自殺を幇助すれば犯罪になって
しまう。

おばあちゃんは30年前から病院では死にたくない、という覚悟を決めていて、いよいよ
この世にサヨナラを言うときが来た、と悟る。寝ていておねしょをしてしまう。服がちゃんと
1人で着られない、やることを忘れる、転ぶ、心臓だかのことでよく倒れる、そうした
状況が、人間としての尊厳を傷つける、自分の行き方とは違うと確信したのだろう。
もちろん家族との別れは辛いに決っている。しかし、自分が迷惑を掛けて生き長らえるより
きっぱりとサヨナラしたほうがいい、とおばあちゃんは覚悟したのだ。女性として美しく
ありたいという矜持もあったのだろう。

私は出来ないなあ。

やがて家族は、おばあちゃんの「尊厳死」を受けいれるようになる。最後は離れた場所との
電話で終わる。「Merci,Au Voir」。

この映画のおばあちゃんのように、いずれ絶対だれにでも訪れる「死」を、鷹揚として
受け入れるためには、後悔のない人生を生きる、生ききることしかないと、観客は思う
だろう。人生に未練を残さないこと。そのために今をどう生きるか、この映画の訴える
ところは深い。

おばあちゃん役を初め子どもたちや孫のキャラクターも上手く描かれていたと思う。
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<ストーリー>
自らの人生を終える日を決めて実行し、世間を騒がせたフランスのジョスパン元首相の
母親ミレイユの実話を基にした人間ドラマ。
信念を貫き、最後まで“美しい人生”であろうとする92歳のヒロインの姿を描く。
84歳にして舞台やテレビ、映画などで活躍するマルト・ヴィラロンガが主人公のマドレーヌ
を、その娘ディアーヌをサンドリーヌ・ボネールが演じる。

かつては助産婦として活躍し、今は子や孫にも恵まれ、ひとりで穏やかな老後を過ごして
いるマドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ)。まだまだ元気な彼女の気がかりは、数年前
からノートに書き記している“一人でできなくなったことリスト”の項目がどんどん増え
ていること。
そんな中で迎えた92歳の誕生日。お祝いに駆けつけた家族に、彼女は驚くべき決意を
打ち明ける。みんなに迷惑をかける前に、自らの手で人生に幕を下ろすことにしたと
いうのだ。絶対反対を主張する家族たち。
一方、マドレーヌの決意も全く揺るがない。限られた日々の中で、家族はマドレーヌの
想い、そして彼女の生きてきた人生と触れ合ってゆく……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.7>



by jazzyoba0083 | 2018-02-01 23:10 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)