カテゴリ:洋画=た行( 254 )

●「突然炎のごとく Jules et Jim」
1962 フランス Les Films du Carrosse,Sédif Productions. 107min.
監督・(共同)脚本:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボア、サビーヌ・オードパン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
トリュフォーの映画は「映画に愛をこめて アメリカの夜」くらいしかみてなくて、「勝手にしやがれ」は
DVDは購入したものの、開封には至ってない。ここでも何回も書いているのでくどくなるが、私は欧州系、特に
ネオリアリスモのころのイタリア映画やヌーベルヴァーグの頃のフランス映画は、どうも理屈ぽくて、
メタファーの塊のような先入観があり、敢えて観てこなかった。映画を趣味とし、コラムも書いている身として
これではいけないと、最近ではヴィスコンティなどを作品を選んで観ているのだが、どうも私の感性はハリウッドに
向いているようだ。
そなんな私でも大学時代は「雨の訪問者」とか「マノン・レスコー」などは観ていたのだが。更に言えば原題の
仏伊など欧州の映画は、タイトルによっては好んで見るようになっている。ただ、今から40年50年ころのものは
理屈と形而上的感性が先走りした頭でっかちの觀念映画のような気がして、近づく気になれていないのだ。

邦画でいえば、「デルズウザーラ」「影武者」「乱」時代の觀念的様式美の世界にに落ち込んでしまった黒澤作品に
魅力を感じえないのと同じような感じかな。

閑話休題。トリュフォーである。ヌーベルヴァーグの騎手として、その名前は当然昔から知っていた。が、初期の
作品に触れたのは今回が初めてである。WOWOWがフランス名画シリーズを放映してくれて、これはちょいと
勉強しておかなくてはならないかなあ、と録画して挑戦してみたのだ。

ネット上の批評も絶賛から、訳がわからん!まで好悪が分かれている。トリュフォー、これを作ったのは若干29歳。
確かに、觀念が先走り、どちらかというと映画の観客を置いて走り去ってしまっている観が私にはある。ウディ・
アレンもかくやというようなセリフの嵐。字幕を追うので必死で、映像を楽しんでいる暇が無かったくらいだ。

しかし、29歳にしてこの感性は!という驚嘆はあった。私のような凡人では、というていこのような設定とセリフの
あてがいは不可能だ。もちろん多くの普通の人はそうであろう。そこがトリュフォーのトリュフォーである所以であり
ヌーベルヴァーグの騎手ともてはやされた才能なのであろう。

赤の他人だったジュールとジム。時は第一世界大戦前のパリである。意気投合し親友以上の存在となる。そこに
登場するカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という美しい女性。ジュールとジムは同時に彼女を好きになってしまう。
カトリーヌはジュールと結婚するが、ジムも愛している。更にそこにアルバートという男性とジルベルトという
女性が登場してくる。基本はジュールとジムとカトリーヌの三角関係なのだが、お互いにそれぞれを愛し合うことを
認め合うという極めて文学的高踏的な恋愛観が示される。

モノクロ映画の最初のうちは我慢してみている、という感じであったが、話が劇的に動き出す後半は、見入って
しまった。恋愛抒情詩を観ている、聞いているが如しであり、1960年代前半にあって、自由恋愛の姿を文学的
高踏的ではあるが、特に感じる愛のままに行動するカトリーヌの自由な存在は当時の社会においては刮目された
のであろう。その辺りアンリ=ピエール・ロシェの原作があったとは言え、お見事な描写であったと言わざるを
得まい。この邦題がどういう理由で付けられたかは知らないが、恐らくはカトリーヌの恋愛観を表現したもの
なのではないか、と感じた。
不思議な三角関係を描いた映画は少なくないが、時代は異なるとは言え、かなり衝撃的な物語であった。

優秀な映画だとは思うけど、観ていて疲れた。ハリウッドのシリアスな重い映画とは違う感じの重さを感じた
からだ。万人に向く映画か、というと「若さが才走った鼻につく才能」みたいなものも感じない訳ではないので、
嫌いな人も多いだろうと思う。
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<ストーリー>
オーストリアの青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)はフランス青年のジム(アンリ・セール)と知り合い、
友達になった。2人とも詩や小説を書いている文学青年だった。2人はある時、幻燈を見て、アドリア海の島に
ある美術公園の女の顔に魅了された。
それからしばらくして、2人はカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、胸をときめかせた。
彼女は島の彫像の女と瓜ふたつだったからだ。ジュールは彼女との結婚を熱望して求婚し、2人はパリの同じ
アパートに住んだ。 ジムは出版社と契約ができて作家生活の第1歩をふみ出しだ。3人で芝居見物に行った帰り、
ジュールが芝居の議論に熱中すると、カトリーヌは突然セーヌ河に飛び込んだりして2人を慌てさせた。

やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて
祖国へ帰った。歳月は流れる。ライン河上流の田舎に住む山小屋にジムは招待された。その頃、ジュールと
カトリーヌの間には6つになる娘もいたが、2人の間は冷えきっていた。ジュールはジムに彼女と結婚してくれと
頼むのだったが、自分も側に置いてもらうという条件だった。3人の奇妙な共同生活が始まった。

カトリーヌには、ほかにも男がいた。ジムは瞬間しか人を愛せない彼女に絶望し、パリへ帰って昔の愛人とヨリを
戻した。数ヶ月後、カトリーヌは自分の運転する車にジムを乗せて疾走させ、壊れた橋から転落して行った。
ジュールは2つの棺を火葬場に運ばせた。これでカトリーヌは永遠にジュールのものとなった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatomete:97% Audience Score:89% >





by jazzyoba0083 | 2018-08-01 22:50 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「ダウン・バイ・ロー Down by Law」
1986 アメリカ・西ドイツ Black Snake,Grokenberger Film Produktion,Island Pictures. 107min.
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ 音楽:ジョン・ルーリー
出演:トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、エレン・バーキン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
ジャームッシュという映画作家は、私にとってはタフな存在だ。独特のスタンスでの映像・物語制作は
なまじの感性を受け付けないような気がする。よく分かりもしないのに、ジャームッシュ作品を褒め上げる、
ということはつまり「オレは映画ってものが分かっているんだもんね」というような雰囲気も受けてしまう。
本当にジャームッシュ表現している所が分かって褒めているのか、周りがいいと言うから良いらしい、と
大勢に流されているのか。

繰り返すが、私にはジャームッシュはタフな存在だ。特に、長編第一作だった「ストレンジャー・ザン・
パラダイス」とその翌年に作られた本作あたりは、「分かりづらい」と言っておく。
ただし、昨年観た「パターソン」は、個人的に年間ベスト2位に上げるくらいに、自分の心にヒットした
作品だった。わかりやすかったのだ。いわゆる普通の映画ではない。癖モノの作品ではあるが、「パターソン」
からは「普通であることの幸せ」をストレートに表現出来たものとして、とても感心した出来の映画だ、と
思ったのだった。こうした「パターソン」のような作風を評して、こんなん、ジャームッシュじゃないよ、
軟派に堕落しやがったな、というハードでコアなジャームッシュファンもいるだろう。

私は彼の作品を全部観たわけではないので、断定的なことは言えないのだが、本作と「パターソン」の
ジャームッシュとどちらが好きか、と問われれば、はっきり後者と言える。私が年を取ったのかも知れない。
ジャームッシュも年を取り感性の方向が若干変わってきたのかも知れない。

さて、そんな私のジャームッシュを取り囲む環境の中で、本作を観た。なぜ観たのか、と問われれば、やはり
ジャームッシュは気になるからだ。

モノクロ、脱力感、退廃の中で、人生を斜めに(とっても斜めに)切り取って見せる。所詮人生なんて、と
いう、どこか投げやりな中に、ジャームッシュ的な人生の地平を見せようとするところも覗える。そんな
良い点も感じてしまったりするので、余計に彼のこのころの映画は難しいのだ。オフビート、ということは
出来るが、そんな軽い言葉で言い切れる彼の作品ではない。ジャームッシュ的人生の視座を、一体この映画を
通してどのくらいの人がクリアに理解できるだろうか、いや理解しなくてもいいのだ、登場するキャラクターが
強烈に人生を主張してくるのではなく、逆に、なにかグダグダな人生の中に、「観客のみなさん、こいつらの
人生に何を感じます?」と投げかけているような。そこから何かしら、ひょっとしたらポエムでもいいかも
しれない、そんなものが受け止められれば。

冒頭でトム・ウェイツの歌声に乗せて、クルマの窓から右へ、左へと流れる。3往復くらいこれが続くのかな。
このシーンがこの映画の骨子を物語っているような雰囲気もある。「右往」「左往」。

ニューオリンズ。ポン引きと元DJが罠にハマって刑務所に。そこで英語がよくしゃべれないイタリア人と
出会い(こいつは殺人を犯している)、3人揃って脱獄する。沼にハマって出口がわからなくなったり、
ウロウロしているうちに道に出て、一軒のレストランを見つける。そこでは若いイタリア人女性が経営して
いて、イタリア人男は即恋に落ち、ここで身を固めるという。あとの二人は東部と西部に分かれて自分の
人生を見つけると言って去っていく。さてY字路に来たが、どっちがどっちへ行く道か分からない。

ポン引き、DJ、イタリア人、刑務所、脱獄、沼(人生の縮図)、女の家、分かれ道。キリコやダリの
アブストラクトのように織りなす光景は、やはりある種の光を放っていることは確かなのだなあ。

握手を嫌って、取り敢えず、二人分かれて自分の道を歩んでいく。人生「右往」「左往」だ。これが
冒頭の映像に結びついていくのだろう。そして女と留まったイタリア人の生き方が対比される塩梅。

それだけの話なのだが、結構有名なDJだったのに今やすっかり自信喪失している男、片やポン引きは上昇
志向が強い。これにケセラセラのイタリア人が加わるが、彼が結局人生に対して一番マトモなアプローチを
していたのだ。「取り敢えず」の人生だって良いじゃないか、と言われているような気もする。
この頃のジャームッシュは確かに「パターソン」の彼と比べると尖っていたとは思う。「パターソン」は
カラーだし。
シーンを強引な暗転で折りたたんでしまったり、セリフの独特の間は、ジャームッシュ流で嫌いではない。

もう一回観たら受け取るものも変わるのだろうか。
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<ストーリー:結末まで書かれています>
ルイジアナ州ニューオリンズ。ジャック(ジョン・ルーリー)は、チンピラでポンびき。情婦ボビー(ビリー・
ニール)にあいそづかしされているところへ、縄ばりをはり合っているギグ(ロケッツ・レッドグレア)に
騙されて投獄されてしまう。

一方、ザック(トム・ウェイツ)は、リー・ベビー・シムズの名でディスク・ジョッキーとして結構売れて
いたこともあるが、ジャガーを一時間運転するだけで1000ドルの報酬という話にのって、ワナにかけられて
逮捕される。
こんな2人が、OPP(オリンズ・パリッシュ・プリジン)の同じ獄房に入れられた。むっつりとしたザックと
態度の大きいジャックは、初対面からうまくいかない。そこにロベルト(ロベルト・べニーニ)という変な
イタリア人旅行者がぶち込まれてくる。彼はカタコトの英語で2人に話しかけ、3人はスクリーム(叫ぶ)と
アイスクリームをかけ合わせたジョークを発しながら騒ぎたてる。ロベルトは殺人で投獄されたのだという。

ロベルトの発案で、3人は堂々と脱獄してしまい、川を渡り野や森をぬけてようやくボート小屋にたどりついた。
そこでジャックとザックは、これからミシシッピーに向かうかテキサスに向かうかでいがみ合う。翌朝ボートで
川をのぼる3人。ボートは、しばらくすると同じ風景に戻ってしまい、浸水して沈んでしまう。先導した奴が
悪いと口論が始まり、とっくみ合う彼ら。ザックはDJ調に森の観察をしゃベりつづけ、ジャックは人生を
ぼやき、ロベルトは母が得意だったといううさぎ料理の話を夢中でする。

数日後に蜃気楼のような道に出て、夜ルイジの店と書かれた一軒屋の前に出る3人。偵察に行ったロベルトが
なかなか戻ってこない。びくびく近づく2人。中には暖かい料理とワインでもてなされているロベルトの姿が
あった。彼の前で話を聞いているのは、ニコレッタ(ニコレッタ・ブラスキ)で、ロベルトは彼女に恋をしたと
宣言する。彼はここに残ることに決め、翌日、ジャックとザックは、ニコレッタとロベルトを残して、再び
出発する。相手が右へ行くといえば自分は左に行くというジャックは、ぴったりと分かれ道で別れそれぞれの
道を進むのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90% Audience Score:94% >



by jazzyoba0083 | 2018-07-16 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「デッドプール 2 Deadpool 2」
2017 アメリカ Marvel Entertainment,20th Century Fox and more.120min.
監督:デヴィッド・リーチ
出演:ライアン・レイノルズ、ジョシュ・ブローリン、モリーナ・バッカリン、ジュリアン・デニソン、ザジー・ビーツ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
一作目をWOWOWで観て、こういうMARVELもあるのか、とその面白さに感激し、続編が作られるというので
楽しみにしていた。公開早々いそいそとシネコンに。今回も面白かった!笑った!

「おふざけ指数」は一作目を上回る。他の映画やヒーローをおちょくったり、ヒーローがカメラ目線で監督や客に
語りかけたり。だいたい、冒頭のスタッフクレジットからして、真面目ではない。実際の名前を挙げず、ジョーク
一杯だ。例えば、監督は「『ジョン・ウィックで犬を殺したヤツ』とかいう感じ。
アクションがかなり過激なので、バランスを取っているのだろうが、かなり大人向けのMARVEL作品(R指定)。
また、1作目で、主人公がなぜあのような容貌になったのかとか、今回、悲劇的な結末となるヴァネッサとの
関係などが語られているので、観ていないとわからない部分はある。観ているひとは、面白さが倍加される。

さて、CG満載のMARVEL作品、つい最近までは、大量に出演者を出したり、ありえない組み合わせの対決を
したりとそのストーリー性に不満があったのだが、最近はシンプルさが戻ってきて、物語性の重要視と分かり
やすさが心がけられていると思われ、その点は少し安心ではある。が、本作でも恒例の自作に関する予告みたいな
ものがあるわけだが、本作で「Xフォース」なる超能力集団を作ったデッドプール、XーMENたちとの乗り入れが
気になるところ。彼の独特の「おふざけ」が他のXーMENたちとどう融合するのか、いささか心配でもある。
まあ、アヴェンジャーズがガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとコラボしたことを思うと、正々堂々とやって
くるだろと推測は簡単だろうけど。

今回のデッドプールの物語上の肝は、ヴァネッサの悲劇と未来からやってきたケーブル(ブローリン)という超人、
また彼が抹殺しようとするミュータントの少年ファイヤフィストことラッセルの存在。そしてデッドプールが
ケーブルに対抗すべく集める「Xフォース」という集団。(この中の”バニッシャー”という常に見えていない超人が
実はブラッド・ピットで、ワンカットだけ顔が出てくる)また、公募した「Xフォース」のあっけない末期も
見どころだ。ww
1作目の単純さからすると、登場人物も増えて、話が複雑になりかかっているが、現段階ではまだまだ単純な範疇に
はいる。デッドプール自身が他のMARVELのヒーローや特にミュータント系のXーMENを意識しているので、彼らに
まつわるセリフが多く出てくる。また様々な映画のオマージュも含まれていて、それらがこの映画の魅力の一つでも
あるので、字幕や、ストーリー進行上の工夫を見逃さないことだ。
主役を務めるライアン・レイノルズはプロデューサーと脚本にもタッチしているところを見ると、このキャラクターが
相当気に入っていると見える。

さて、おふざけ度が高いとはいえ、ヒーロー物ではあるので、物語として語らんとしている点はしっかりと感じ取って
やるべきだろう。町山智浩氏も指摘しているように、デッドプールが最後にまとめて語っているのだが、この映画から
受け取れることは「多様性に対する寛容」であり「暴力の否定」(かなり無理があるけど)であり、「友情や愛情への
信頼」であるのだ。おバカ度が高いこそ、逆に人間性に訴える部分がクローズアップして感じられるのは他のMARVEL
群とちょっと違う点であると感じるのだ。

上半身と下半身が真っ二つに裂けてしまっても死なないデッドプール、(足の再生シーンは笑える)MARVELの中でも
お気に入りのキャラクターであるので、ぜひ次作も、洗練されたおバカ度の向上と、わかりやすくシンプルな
ストーリーを期待したい。ラストの予告カットを見ると、どうやら時制をコントロールする道具がキーになりそうな
感じがする。
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<ストーリー>
マーベルの中でも異色ヒーローとして人気のデッドプールの活躍を描くアクションの第2弾。未来からやってきた
マシーン人間ケーブルからミュータントの少年ラッセルを守るため、デッドプールが特殊能力を持つ仲間と共に
戦いを挑む。前作に引き続き、X-MENのメンバーが登場するほか、デッドプールにひけをとらない強烈キャラクターも。

最愛の恋人ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)を取り戻し、お気楽な日々を過ごすデッドプール(ライアン・
レイノルズ)。そんな彼の前に未来から来たマッチョな機械人間ケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れ、謎の力を
秘めた少年の命を狙う。
ヴァネッサの希望もあり少年を守ることにしたデッドプールは、ケーブルに立ち向かうため、仲間を集めることに。
特殊能力を持つ者たちとスペシャルチーム『エックス・フォース』を結成するが……。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:83% Audience Score:86%>





by jazzyoba0083 | 2018-06-02 16:20 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「たかが世界の終わり Juste la fin du monde 」
2017 カナダ・フランス  Sons of Manual 99min.
監督・製作・脚本・編集:グザヴィエ・ドラン 
原作:ジャン=リュック・ラガルス『まさに世界の終わり』
出演:ギャスパー・ウリエル、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ナタリー・バイ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに次ぐグランプリを獲得した作品だが、いかにもカンヌ好みの作風で
フレンチの香りプンプン。本作を殆ど全てに渡って手がけたグザヴィエ・ドランという監督、欧州映画に
疎い私として初めての接触だった。

被写界深度の浅いクロースアップ多用やフォーカス移動を多用した画作りに監督の趣味性というか演出の好みを
感じる。また久々に観ていて息の詰まるような方向性の見えないストーリー。怒涛のセリフ劇。
邦題は原作のママ「まさに世界の終わり」の方がニュアンスが見えて私は良かったのじゃないかと思った。

ある若き作家(であるとは映画中で判ったのだろうか。私は妹が壁に兄の新聞切り抜きを貼ってあったり、
一家での食事中に父親が「業界のゴシップを教えろよ」とかいうセリフで著名人であることは分かったが
人気作家であるとは分からなかった)が、死期の迫った病に冒され、長年疎遠だった家族に会いに行く
飛行機の中から始まる。

ともかくヴァンサン・カッセル演じる長兄アントワーヌの、ここまでやるか、という皮肉と中傷に満ちた
弟に投げかけるセリフが圧倒的。どうしてこうも弟に辛く当たるの?という。作家はゲイなのだが、それが
嫌なのか。
対して妹シュザンヌは、家を出て自分の好きな道を歩んでいる次兄が羨ましくて仕方がない。自分もいつか
家を出たいと思っているので、長兄や母と半目しあっている。
一方初対面だったアントワーヌの嫁カトリーヌ(コティヤール)は、夫と義弟の言い争いに驚きながらも
物静かな義弟に対し客観的な目線を投げかける。母親はゲイであった次男に対し心に澱を持ってはいるが
そして、いろいろと言うがやはり母親だ。
こうした父親のいない4人と一人の嫁が、作家が帰ってきたことで積年、心に溜まっていたものが噴出、
99分間ひたすら言い争う。

カンヌ的に見れば、家族のそれぞれに対する屈折したり素直だったり、愛だったり皮肉だったりする感情の
交換を圧倒的なセリフ劇の中で描いて魅せる、というようなことなのだろう。自分の死期が近いことを家族に
伝え、暇乞いをしに来た作家が、自分の不在の時間に生まれた様々な家族の感情の中で、結局大事なことを
言い出せないまま、再び帰っていくことになる。ラストカット、鳩時計から飛び出して家の中を暫く飛び回って
いた小鳥が死んでひっくり返っているカットと作家が家を出るカットが重なって映画が終わるのだが、
これは何のメタファーか。鳩時計の小屋は作家の家で、家の中を飛び回り最後には死んでしまった小鳥は
作家の姿の投影か。「まさに世界の終わり」ということなんだろう。作家は家族に絶望して帰っていったのだ
ろうか?自分を責めて家を後にしたのだろうか。それは観た人の感想に任されているのだろう。

暖かい家族を描いたものではないので、観終わって心に重いものが残る。マリオン・コティヤールが一服の
清涼剤的存在。
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<ストーリー>
愛しているのに傷つけあう家族の姿を描き、第69回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた、グザビエ・ドラン
監督による人間ドラマ。愛と葛藤を描き続けてきた監督が、ギャスパー・ウリエル、ヴァンサン・カッセル、
マリオン・コティヤールといったフランスを代表する俳優たちを集め、家族の物語を描き出す。

12年ぶりに故郷に帰ってきた34歳の作家ルイ(ギャスパー・ウリエル)。それは、死期が迫っていることを
家族に伝えるためだった。母(ナタリー・バイ)はルイの好きな料理を用意し、妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は
いつもより着飾り、そわそわしながら彼の帰りを待っていた。そんな二人とは対照的に、兄のアントワーヌ
(ヴァンサン・カッセル)は彼をそっけなく迎える。
アントワーヌの妻カトリーヌ(マリオン・コティヤール)は、ルイとは初対面だった。ぎこちない会話が続く中、
ルイはデザートの頃には打ち明けようと決意。しかしアントワーヌの激しい言葉を皮切りに、それぞれの胸の
内にあった感情が噴出する。(Movie Walker)

<IMDb=★6.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:44% Audience Score:53% >







by jazzyoba0083 | 2018-05-28 23:00 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「トランスフォーマー/最後の騎士王 Transformers:The Last Knight」
2017 アメリカ Paramount Pictures,Huahua Media. 149min.
監督:マイケル・ベイ
出演:マイケル・ウォルバーグ、ローラ・ハドック、ジョシュ・デュアメル、イザベラ・モナー、スタンリー・
   トゥッチ、ジョン・タートゥーロ、アンソニー・ホプキンス他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
★は6.5。複雑すぎ。長すぎ。前作の「ロストエイジ」の方がナンボか良かった。歴史のスパンを長く取り過ぎ、
物語が複雑に(ただでさえ、ロボットの世界がややこしくなっているのに)なって、結果上映時間も150分と
なってしまった。マイケル・ベイ、この後2作どうするよ。最初の頃の単純なトランスフォーマーが懐かしい。
VFXの出来は確かに良いが、これでもかこれでもか、と繰り出される同じ様なシーンには観ていて飽きが来る。
この年のラジー賞にたくさんノミネートされたのも頷けてしまうのが悲しい。

少女イザベラや過去の秘密を守るバートン教授のアンソニー・ホプキンスなど個性の強いキャラクターが登場し
余計に物語が複雑かつ散漫になる。我慢して何かを切らないと、こういうことになるんだな。私の好きな
バンブルビーやオプティマスプライムといったオートボットたちの本来の活躍の影が薄くなりつつあるという
危惧さえ浮かんできてしまう。
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<ストーリー>
マイケル・ベイ監督が「トランスフォーマー」シリーズの最終章3部作の第1弾として贈るアクション超大作。
ダークサイドに堕ちたオプティマスによって危機を迎えた地球を救うべく、再び立ち上がった発明家ケイドが、
バンブルビーたちとともに繰り広げる過酷な戦いの行方を描く。
主演は引き続きマーク・ウォールバーグ、共演にローラ・ハドック、ジョシュ・デュアメル、アンソニー・
ホプキンス、イザベラ・モナー。

 地球に秘められたエネルギーを求めて、トランスフォーマーの故郷サイバトロン星が地球に急接近し、衝突まで
あと12時間と迫っていた。しかも人類の守護神オプティマス・プライムまでもが敵側に堕ち、人類は絶体絶命の
危機を迎える。そんな中、オートボットの新たなリーダー、バンブルビー、遥かな昔から秘かに地球で活動して
いたトランスフォーマーの秘密を守り続けていた謎の英国紳士エドマンド・バートン卿、オックスフォード大学の
教授ヴィヴィアンらとともに、地球の運命をかけた戦いに身を投じていくケイドだったが…。(allcinema)

<IMDb=★5.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:16% Audience Score:45% >




by jazzyoba0083 | 2018-05-26 23:15 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「ダウンサイジング Downsizing」
2017 アメリカ Paramount Pictures,Ad Hominem Enterprises.135min.
監督・(共同)脚本:アレクサンダー・ペイン
出演:マット・デイモン、クリストフ・ヴァルツ、ホン・チャウ、ジェイソン・サダイキス
   ローラ・ダーン他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
好きなマット・デイモンの作品にこのような★を付けるのは悲しい。人口爆発、食料不足に
当たり、人間を小さくしてしまい、効率化するという思想は理解出来るし、それを
実現している社会を観るというのは面白い。当然そこにはそれなりの困惑と、普通サイズ人
との対立みたいなものもある。そこは予想の範囲だ。小さくなるに当たり、歯の詰め物を
取っておかないと、詰め物の相対的な大きさが巨大となり頭が爆発してしまうので、
ダウンサイジングにあたっては全員歯医者で詰め物を外す、なんてのも、なるほどね、と
思った。縮小化した結果出てくるであろう社会的問題点も抜かり無く提示されてはいる。

一番納得が行かなかったのは、小さくなった世界にある家、家具から自動車飛行機電車、
衣服や食器に至るまで、小さくなった人用のものが必要になるわけで、それが(そのまんまの
実写だから精巧に出来ているのはあたりまえだが)実によく出来ていて、映画の終盤に
「ダウンサイジング化した人間は10%(前後だと思った)しか達成できなかった」と
いうセリフが出てくるが、そんなボリュームで小さくなった人間用のあれこれをサプライ
するのは非常に効率が悪いと思ってしまったのだ。ビジネスにならないんじゃなかろうか。
その当たりにフィクションの嘘くささを感じてしまったのだ。

それとベトナム難民で片足のない掃除人ノク・ランと出会い、主人公が惹かれていくのは
小人化がある種の障害とみなされてきた風なのか、とか、更に北欧でノアの箱舟みたいな
ものが作られてフェイドアウトしていくのは、結局なんだったのか良く分からなかった。
その割には120分を超える時間は長すぎだし。佳作が多いペイン監督、どうしたんだろう。

テーマが面白いだけに、脚本を何とか出来なかったのか残念。
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<ストーリー>
「ファミリー・ツリー」「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」のアレクサンダー・ペイン
監督がマット・デイモンを主演に迎えて贈るヒューマン・コメディ。人口問題解決の切り札
として、人間を小さくする技術が開発されたことから巻き起こる悲喜こもごもの人間模様を
ユーモアと社会風刺を織り交ぜ描き出す。
共演はクリストフ・ヴァルツ、クリステン・ウィグ、ホン・チャウ。

人口が増え続けることで環境問題や食糧問題が深刻化していく中、その解決策として人間を
1/14に縮小する画期的な技術が発明される。小さくなることで誰でも豪邸に住むことが
でき、大金持ちにもなれるのだった。
低収入にあえいでいた平凡な男ポールは、現在の苦境を脱するため、妻のオードリーと
ともにこのダウンサイズ化を受けることを決意するのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★5.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:52% Audience Score:22% >



by jazzyoba0083 | 2018-05-11 15:29 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

大砂塵 Johnny Guitar

●「大砂塵 Johnny Guitar」
1954 アメリカ Repubulic Pictures Co. 109min.
監督:ニコラス・レイ 主題歌:"Johnny Guitar" sung by Peggy Lee
出演:スターリング・ヘイドン、ジョーン・クロフォード、スコット・ブラディ、アーネスト・ボーグナイン
   デニス・ホッパー、ジョン・キャラダイン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
先日、NHKBSで連日放映されていた西部劇から、「シェーン」のブログでも書いたように、このジャンル
食わず嫌いじゃなかったのか、と思い鑑賞に挑んでみた。

「シェーン」も私には不思議な映画だったが、本作は更に不思議なテイストを持った西部劇だ。西部劇と言うと
おおよそ、ガンファイトを主軸とする、あるいは先住民との戦いを描くヒーローや男気の作品という個人的な
イメージだったが、一言で西部劇、と言ってもいろんな作品があるのだなあ、と感じた。まあ、モンローの
「帰らざる河」なんかも(これはモンローファンという事で鑑賞済み)そうだが、日本で言えば「まげもの、
時代劇」と言ってもその幅はたいそう広いわけだから、これは私として、不覚にも完全に捉え方を間違えていたと
懺悔せざるを得ない。この歳になって恥ずかしい限りであるが。

閑話休題。で、本作である。先日「ミルドレッド・ピアース」を観て、その存在感を確認したジョーン・
クロフォードのほぼ10年後の姿を拝むことが出来るとはその偶然にびっくり。相変わらず、決して美人では
ないが、独特の存在感を漂わせ、ここでも強い女(の中にも女性らしい乙女心を内包している)を演じる。
この映画で、彼女と同等に存在感があるのが、流れ者ダンシング・キッドを巡っての恋敵エマを演じる
マーセデス・マッケンブリッジである。(1949年の「オール・ザ・キングスメン」でオスカー助演女優賞を受賞
している演技派ではあるが)彼女の憎たらしさと言ったら、観ている画面に向かって「こいつだけは簡単に
殺さないでくれよな」とお願いしたくなるくらい、憎々しさ溢れる演技である。

ジョニー・ギターが、かつての恋人ヴィエンナ(クロフォード)の前に5年ぶりに現れた。今や腰に銃はなく
ギターを片手にシンガー?としてヴィエンナの経営する賭博場で雇ってもらおうというのだ。最初ジョニーに
ツレナいそぶりのヴィエンナだったが、焼けぼっくいに火がつくように、ジョニーに対する恋心に再び
火がつく。ジョニーが去ったあと、一時ヴィエンナは荒くれ者ダンシング・キッドと付き合っていた頃もあった
ようだが、そのキッドを町の有力者の娘?エマも好いていた、この2人の恋心がこの映画の全てといっていい
だろう。ヴィエンナは町に鉄道が来て人が来れば賑やかになるし雇用も増えるだろう、とする一方、エマは
あくまでも牧場を守り、よそ者が流れてくるのはごめんだった。そんな考え方が2人のベースにある。
しかし、分からないのはそのキッドはエマの父親の乗った駅馬車を襲って、父親を殺しているんだよね。
つまり、父を殺し、キッドもヴィエンナに盗られたエマの地獄の炎のごとくの嫉妬と復讐心!凄い!
父は殺したけど、恋人を奪った女に対する嫉妬の怨念は父の死を超えるという物凄さ!

銀行を襲ったダンシング・キッド一味を追いかけて来たエマと町の男たち。エマは恋敵ヴィエンナ(クロフォード)
がキッドの手引きをしたと勝手に決め込み、全員捉えて皆殺しにするつもりだった訳だ。
途中で、一味の若い奴とヴィエンナはエマ一派に捕らえられ若い奴は縛り首にされ、ヴィエンナも首にロープが
巻かれたところで、ヴィエンナの乗った馬にムチを食らわすのをためらう男たち。そこにジョニー・ギターこと
ジョニー・ローガンが現れ、ヴィエンナを救い、キッド一味の隠れ家に転がり込む。

面白いのは、エマが眼尻をけっしてヴィエンナを追い詰めるラストシークエンスで、エマと一緒にキッドらを
追いかけてきた男たちが「これは女の戦いだもんね」と、戦いから手を引いちゃうんだよね。なんだよ、こいつら。
初めからイヤイヤだったんだろう。縛り首になった若い奴こそ悲劇だ。
結局エマの放った銃弾はキッドの額を貫き、ヴィエンナの腕を傷つけた。しかし負けていないヴィエンナの
弾丸はエマを屠ったのだった。そしてジョニーとヴィエンナの苦いハッピーエンドとなる。
結局、名うての銃の名手らしいジョニー・ローガンは何をしていたのかな??ww 

聞けば、この時期はハリウッドに赤狩り旋風が吹き荒れていて、それが作品に反映されているという見解もある。
タイトルは「ギター弾きのジョニー」だけど、主人公はヴィエンナに他ならない。西部の女としての恋と意地の
ストーリーなのだ。もちろんペギー・リーの唄う「ジャニー・ギター」は美しいけど、その寂しい旋律は
ヴィエンナの心を表していると言って構わないだろう。それにしても不思議な西部劇だった。
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<ストーリー>
鉄道敷設が進行していた1890年代の西部。かつてはやくざだったが、思うところあって足をあらい、ギターを
弾いて生計を立てる男ジョニー・ギター(スターリング・ヘイドン)が、アリゾナの山奥のある賭博場へやって
来た。店の女主人ヴィエンナ(ジョーン・クローフォード)は金銭に執着する意志的な女性。ジョニーが着いた夜、
昼間起こった駅馬車襲撃の容疑者キッド逮捕に協力せよと、殺された男の娘エマや保安官たちが来た。

しかしヴィエンナはこれを拒絶し、折から現れたキッドとジョニーのギターで踊りはじめた。憤慨した保安官は
3人に24時間以内に退去を命じた。翌日キッド一味は銀行を襲ったが、エマはこの事件にヴィエンナとジョニーも
関係しているといいふらした。その夜、エマは自警団を組織してヴィエンナを追い、保安官以下双方に死者が出た。
自警団はヴィエンナの店に火をつけ、ヴィエンナは危いところをジョニーに救われてキッド一味の隠れ家に逃れた。

そして追って来たエマとヴィエンナの一騎打は一瞬早くヴィエンナの勝となった。退去猶予の24時間がきれようと
するころ、新生活を求めて谷を去るヴィエンナとジョニーの姿が見られた。(Movie Walker)
※ヴィエンナの賭博場に火を放ったのはエマ。

<IMDb=★7.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:95% Audience Score:85%>



by jazzyoba0083 | 2018-04-14 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

⚫「T2 トレインスポッティング T2 Trainspotting」
2017 イギリス TriStar Pictures ,Film4. 117min.
監督:ダニー・ボイル
出演:ユアン・マクレガー、ユエン・ブレムナー、ジョニー・リー・ミラー、リバート・カーライル
   ケリー・マクドナルド、シャリー・ヘンダーソン、アンジェラ・ネディヤルコーワ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α
<感想>
昨年、遅ればせながら鑑賞した前作に衝撃を受け、本作が見られるチャンスが来たら絶対に観ようと
思っていたところ、WOWOWで放送してくれたので録画して鑑賞。前作の感想は下にリンクを貼って
おきます。

さて、前作から20年が経過。最後に仲間でカッパラッた大金を一人でガメてトンズラこいたマーク・レントン
(ユアン・マクレガー)も中年のおっさんになった。開巻、ジムのランニングマシンで心臓発作を起こして
倒れるところからスタート。彼は逃亡先のオランダから、故郷のエディンバラに帰ってきた。20年前、ジャンキーで
どうしようもない仲間らも、いい年こいて全然変わってないなあ、というダメでクソな暮らしっぷり。
中年になっているから、若い時の無軌道という言い訳も立たず、むしろ痛々しい。ダニー・ボイル監督はそのあたりを本作で上手く突いている。

前作の感想で「意味のない素材に意味を与えた」と評価させてもらったが、それはそのまま残り、20年の時間の
経過が、社会の底辺で生きる(その生き方しか知らない、出来ない)男たちの生き様を晒してみせる。相変わらず、
自分で努力をせず、他人にタカり、女を働かせる、ジャンキーは直らない、人様にまとわり付いて寄生虫のように
無様に生きている。でも彼らなりに必死であることは必死であるのだ。

20年ぶりに分け前を返された仲間の一人が、「今更なんだよ、20年間をどうしてくれるんだよ」というセリフは
切実だったなあ。人生のハイライトたる時間を棒に振ってしまったのにいまさら金を貰ってもあの若い時代は
決して返らないという思い、分かるなあ。この金で何をしろというのか、ということ。その金でクスリを買うのか、
今更、ということなんだよなあ。そのことに今気がついてもね、というシニカルな見方をする人もいるだろう。

中小企業の起業に対する補助金詐欺なんかはそれだけの頭があるならちゃんとやればいいのに、と思ってしまう
のだが、彼らは絶対そうはならないのだ。とにかく自分で道を開こうとすれば暴力か詐欺などの犯罪か犯罪すれ
すれのこと。そうした事例が面白く提示されていく。キャッシュカード窃盗でキリスト教徒からカードを巻き上げる
シーンでは暗証番号が1690年のボイン川事件(カソリックとプロテスタントの戦い)にちなんでほとんど1690
だったりの仕掛けもニヤリとさせられるし、ブルガリア人(だっけ)ベロニカの語る何気ない会話も結構示唆に
富んでいたりして面白い。そういう設定は、画面(カットの方法とか)構成も含め、前作と変わらずボイル監督の
冴えが感じられる。

そしてベグビーがホテル経営を学びに大学に行く、と息子がいうのに対し、最初は大学なんて、と怒っていたが
最後には「俺達の若い頃には選択肢が無かった。無学だったから。大学を出たお前には希望がある。俺を超えて
いけ」と励ます。こんなセリフを言うなんて!そして「無学な俺らは素手で人生を掴まなくてはならないのだ」とも。嗚呼、過ぎた20年はあまりにも長過ぎた。

人生の後半に差し掛かった男たちならではの思いは、前作と全く違った側面で提示されていく。故に私ら年配の
ものには含蓄深く耳に響くセリフが多いと感じた。そしてラストは、前作からは想像出来ないような終わり方を
していく。それはそれで気持ちがいいものだけど。

クソな奴らなりの20年後を描いて痛快だったし、最後の最後、シック・ボーイのメモ書きがまさか小説になると
はねえ。
前作を観ていないと内容の把握が出来ないので、本作を単独で見た人はなんのことだか分からないのじゃないのか
なあ。というか本作の良さが分かってこないと思うのだが。
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<ストーリー>
疾走感あふれる映像とポップな音楽に乗せて、スコットランドに生きる青年たちの破天荒な日常を描き、
大ヒットを記録したダニー・ボイル監督による青春ドラマの続編。前作から20年が経ち、中年となった
主人公たちのその後がつづられる。ユアン・マクレガー、ユエン・ブレンナーら前作のキャストがそのまま
同じ役で出演する。

スコットランド・エディンバラ。大金を持ち逃げし20年ぶりにオランダからこの地に舞い戻ってきたマーク・
レントン(ユアン・マクレガー)。表向きはパブを経営しながら、売春、ゆすりを稼業とするシック・ボーイ
(ジョニー・リー・ミラー)。家族に愛想を尽かされ、孤独に絶望しているスパッド(ユエン・ブレムナー)。
刑務所に服役中のベグビー(ロバート・カーライル)。モノ分かりの良い大人になれずに荒んだ人生を疾走する
彼らは20年の時を経て再会する。そんな彼らが選ぶ未来とは……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:79% Audience Score:78% >




by jazzyoba0083 | 2018-03-17 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「誰のせいでもない Every Thing Will be Fine」
2015 アメリカ Neue Road Movies,Montauk Productions.118min.
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、マリ=ジョゼ・クローズ、
   レイチェル・マクアダムズ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
独特の味わいを持つ作品。ヴィム・ヴェンダースの作品は12年前に「ランド・オブ・
プレンティ」を観たきりなので、これ一作を持って彼の作風を物語ることは出来ないが、
こと,この作品に限って言えば、音楽と映像はピカイチ。演者も悪くない。ただ、北欧系の
脚本家の物語を据えたことで、どこか終始「寒さを感じる後味のさっぱりしない映画」と
なった感じだ。監督はドキュメンタリーも良くする人で、そのような感覚が入っている
ような気もした。

先程、「後味がさっぱりしない」と書いた。何に起因するか、というと、主人公の
小説家トマス(ジェームズ・フランコ)の、どんな行動にも「自分の内面」しか
見ていないのではないか、人に対する思いやりを持っているのか、最低人として
他人と接し得る人物か、という疑問が拭いきれないからだ。

最初のうちに言っておくが、これは3D用に撮られた作品で、それを意識したパースペク
ペクティブを生かした映像が多用される。ヴェンダースは奥行きのある映像で心象に
おいても奥行きをだそうという試みをしたのだろうか。それが成功しているのかどうかは
観てみないと判断できないが、映像、キャメラは非常に美しい。(色彩、構図、ズーム、
パン・フォーカス、緩やかに流れれるようなパン、ドリーやトラックショット、溶暗など
全てのカットが柔らかい一連の流れとして繋がるように撮影・編集されていて、それはそれ
で美しい。

一方音楽は、今年度オスカー作曲賞を「シェイプ・オブ・ウォーター」で獲得した
名匠アレクサンドル・デスプラの手に依るのだが、弦楽を主体とし、かつ主人公や
登場人物の不安を象徴するように、低音を担うチェロやコントラバスの音が強調され
通奏低音のように流れている。それと映像のマッチもよく出来ていると思う。

さて、肝心のストーリーだが、最近伸び悩む小説家のトマスは、恋人サラ(レイチェル)
ともギクシャクしている。そんな折、サラの元に向かうクルマを運転していたトマスは
雪道で急に飛び出してきた子供のソリとぶつかってしまう。放心の子どもクリストファーの
手をつないで近くの家に連れて行くと、母ケイト(ゲンズブール)は、弟はどうしたの!
と慌ててクルマのところへ走っていく。(作中、事故にあって死亡したのが弟であるとか
車の下に入ってしまって死亡したとかは説明されない。弟だったことは後半分かる)
取り調べをした警察もトマスに「事故なんだから御自分を責めないように」と言われる
ように、トマスには不可抗力で、弟は亡くなったらしい。がその詳細は説明されない。

しかしトマスの心には子どもを殺したという大きな心の傷が残り、酒浸りとなり自暴自棄
の生活に溺れてついには入院する。サラとやり直そうとはするが、トマスは一方的に
サラとの縁を切ってしまう。一方、子どもが亡くなった母ケイトは売れないイラストレーター
なのだが、彼女はとトマスを責めず、自分を責めるのだった。あの時外に出さなければ
良かったのに、と自責の念に潰されながら行きていくことになる。

ここにおいて映画の主題が「心の傷と癒やし・赦し」なのだろうな、と理解出来てきた。
作品は、それから2年、4年、4年とどんどん物語を畳んで先に進む。トマスは編集者で
アン(マリ=ジョゼ)と結婚。連れ子の娘とも上手くやっていた。ある日遊園地で遊ぶ
3人の近くで遊具が壊れ何人かが下敷きとなる事故が発生。近くにいたトマスは落ち着いて
救助に当たる。その夜、アンは本を読んでいるトマスに「あんな事故があったのにあなたは
なぜそんなに落ち着いていられるの。私の手は今でもこんなに震えているというのに」と
半ば責める口調で不満を口にする。トマスにしてみれば、かつての自動車事故から立ち直る
過程において、非常時に自分を落ち着かせるという強みをリハビリを通して獲得したのかも
しれない。

一方、トマスは子どもを亡くしたケイトと会い、一度夜を通してさまざまなことを話し合う。
「なんでもする」とトマスは贖罪を申し出るのだが、ケイトはことさらトマスを非難する
ようなことはしない。そして宗教本のようなものを渡すが、トマスは読むことはなかった。

事故当時のクリストファーも成長し大学生になっていた。しかし弟を亡くすことによる
PDSDと思わる心の傷を負っていた。彼もトマスを恨んではおらず、むしろ彼の本の
ファンであり小説を書くようになっていた。学校のカウンセリング医は、クリストファーの
心の傷はトマスと会って話すことで癒やされるのではないか、と説明、それを受けて
クリストファーはトマスに「一度会って話を聞いて欲しい」と手紙を送った。

その頃、トマスは心の傷を克服し、優れた小説を発表していて有名な作家になっていた。
その最新作の詰めの段階であったため、「今は会えない」と返信したところ、母のケイト
から「なんで会ってくれないの。なんでもすると約束したのに」と詰め寄られる。

そこでトマスはクリストファーに会って話を聞く。一応聞くだけでけっこうおざなりの
感じがする対面であった。クリスはがっかりしたに違いない。彼はその後、トマスの家に
侵入し、夫妻のベッドにおしっこを掛けるという意志の表示をしたのだった。警察も
来たが、トマスは誰の仕業かは分かっていて、その夜更け妻子を実家にクルマで送り
だしたところへクリス現れ、二人でビールを飲みながら語るのだった。クリスは「あなたは
成功し、母は苦労している不公平だ」と。
その夜が明けクリスは別れたトマスを追いかけ持っていた多数の彼の著作にサインを頼んだ。
そして自転車で大学に向かおうとしたクリスをトマスは抱きしめたのだった。(←和解か?
わざとらしい。)"Every Thing Will be Fine!"(全部上手くいくさ!)と声を掛けて。
(←無責任だろう)

この映画の中で一番象徴的だったのは、結婚したアンとコンサートに出かけるが、心
ここにあらずで、一旦ロビーに出てくる。そこでばったり昔の恋人サラに出会う。
いろいろと言い訳めいたことをいうトマスに対し、頬にビンタを二発食らわすところだ。
その後、席に戻ったトマスは妻のアンにすり寄る行動を見せる。トマスという男の性格の
一端を垣間見た思いだ。この「自己中男」に不満を募らせていた観客はここで溜飲を下げる
に違いない。

つまりトマスという男、映画の冒頭でサラに対して自分から云うのだが、「これまでは
自分のことしか考えてこなかった。これからはすべて変わる」と。しかし、事故が
あったとはいえ、またそれによるPTSDで復帰に時間がかかったとはいえ、本質は変わって
いない、むしろ内向きに固くなってしまったのではないか。それが小説家としてはいい結果を
生んだのだが、周辺の人間たちとの関係は希薄となり、貝のようになって人生を送るのだ
ろうか。邦題の「誰のせいでもない」のではなくトマスのせいなのだ。そして彼が軽々しく
口にする ”Every thing will be fine"というのは、悟りでもなく、責任を天に任せた
便利な方便としか、私には映らなかったのだ。トマスは小説家のくせにあの事故や女性との
付き合いで人の人生をかくも変えてしまったことに気が付かないアホたれだと言われても
しかたあるまい。「誰のせいでもない」んじゃない、おまえよせいだよ、トマス!
 
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<ストーリー>
巨匠ヴィム・ヴェンダース監督によるサスペンスフルな人間ドラマ。ある雪の日に起きた
不幸な事故によって運命を狂わせてしまう人々の12年の月日を映し出す。
作家のトマスをジェームズ・フランコ、少年の母親ケイトをシャルロット・ゲンズブール、
トマスの恋人サラをレイチェル・マクアダムスが演じる。

カナダのモントリオール郊外に恋人サラ(レイチェル・マクアダムス)と住む作家トーマス
(ジェームズ・フランコ)は、仕事がうまくいかずサラとの関係もぎくしゃくしていた。
ある日ささいな喧嘩をしたトーマスが、大雪の中、目的もなく車を走らせていたところ、
車の前に何かが飛び出してくる。急ブレーキをかけ見に行くと、車の前に幼い少年が虚ろな
様子で座り込んでいた。怪我も見当たらず安心したトーマスは少年を家まで送るが、少年の
母ケイト(シャルロット・ゲンズブール)は息子の姿を見るや血相を変える。

一つの事故がトーマス、サラ、トーマスを担当する編集者アン(マリ=ジョゼ・クローズ)、そして少年の母ケイトの人生を変えていく。 (Movie Walker)

<IMDb=★5.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:28% Audience Score: 24%>



by jazzyoba0083 | 2018-03-14 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

デトロイト Detroit

●「デトロイト Detroit」
2017 アメリカ Annapurna Pictures (presents)  142min.
監督・(共同)製作:キャスリン・ビグロー
出演:ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイソン・ミッチェル、ジャック・レイナー他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
ポスターには「本年度アカデミー賞最有力」と謳ってあったが、蓋を開ければ、ノミネートなし。
「ゴールデングローブ」でも同様。一体どういうことだろう。と思いつつシネコンに足を運んだ。

キャスリン・ビグローはこれまで社会派の優れた作品を作ってきてオスカーも獲ってきた。その期待値が
大きすぎたのか、おおそれながら、私が観ても、先日観た「スリー・ビルボード」や「「ダンケルク」に
比べると、力がないと感じた。それは何故か。

取り上げたテーマは良いし、時宜にもかなっている。但し、ドキュメントに重きを置いてしまったが故に
人間を描く部分が弱かったのじゃないかと感じたのだ。取り敢えずジョン・ボイエガと白人警官代表の
ウィル・ポールターが主人公級ということなんだろうけど、登場人物の重みというかポジションもバラバラになり
焦点がボケてしまった。

例えば「ハートロッカー」ならばジェレミー・レナーであり、「ゼロ・ダーク・サーティ」であれば、ジェシカ・
チャスティンにより、個人的な懊悩や希望を通して社会に訴えるものが優れていたと思うのだが、本作は
「デトロイト騒乱」という事象そのものが「主人公」になっていて、それにからむ群像を通して「事象」絡む
人間を描こうとしたのだろう。それはそれで狙い目なのだろうけど、作劇のフォーカスとしては、ぼやけてしまった
のでは無いか。(日本に住む日本人がアメリカの黒人問題を肌身で感じることは不可能だろうとはいえ、だ)

ビグロー監督は、デトロイト騒乱の中でも悲劇的だった「アルジェ・ホテル」の惨劇を極めて克明に描き、
(おそらく関係者への取材などは半端じゃなかったと思う。また存命の人も多いので、法的に注意する
事柄も多く、脚色を余儀なくされる場面も多かったと聞く)さらに、裁判の過程では白人警官が無罪になって
行くさまを通して、この時代の黒人が置かれた理不尽さを訴えている。1960年代の黒人公民権運動については
毎年といっていいほどさまざまな映画で描かれていくが、今も黒人に対する被差別的なアメリカの国内事情は
変わっていない、と言いたかったのだ。それはそれで分かる。

それならば、実際の映像を使用してのドキュメンタリーを作ってしまったほうがパワーがある場合もあるのだが、
ビグローが敢えて、映画の世界で挑戦しようとした目論見は、騒乱に関わった人間模様を通して訴えようと
したのだろう。が、その目論見は事実を忠実になぞることに力点を感じさせる作品となってしまっているようだ。

アカデミー賞受賞が全てではないが、最近のアカデミー会員が作品賞にかける思いというものは、いかに
人間が描かれているか、という点のような気がする。話が回りくどくなったが、そういうことならば、今回の
オスカーにノミネートされなかったのも分かる。本作HPで姜尚中が行っているように、この騒乱の中において
黒人にもいろんなポジションの人がいて、白人にもいろんな立場の人がいて、それが群像劇のように描かれて
いたのが良かった、とする指摘もある。(確かに州兵の中には黒人を逃がす兵士もいるし、救助する兵士も
描かれる)なるほどと思うが、私の目には、登場人物のキャラクターが散ってしまい主張が薄れたと思えて
ならないのだ。

ただ、作品全体の出来としては決して悪くはない。長い映画だが緊張は続くし、手持ちカメラと固定カメラの
使い方も効果的だ。キャストでは、暴行を主導する若い白人警官を演じたウィル・ポールターが断然光った。
白人の(失礼だが)教育もそれほどでない差別主義者の若い警官のおぞましさを好演。
それにしても不思議なのは、事件の発端となった、ホテルの窓から撃ったのがスターター用のおもちゃの銃だと
いうことを、警官に捕まり暴行を受ける黒人たちはなぜ説明しなかったのだろうか。映画からはそこが今ひとつ
理解しきれなかった。
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<ストーリー>
キャスリン・ビグロー監督が「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」に続いて再び脚本にマーク・
ボールを迎え、1967年の“デトロイト暴動”のさなかに起きた衝撃の事件を映画化し、今なお続く銃社会の
恐怖と根深い人種対立の闇を浮き彫りにした戦慄の実録サスペンス。黒人宿泊客で賑わうモールを舞台に、
いたずらの発砲騒ぎがきっかけで、警察官に拘束された黒人宿泊客たちを待ち受ける理不尽な悲劇の一部始終を
圧倒的な臨場感で描き出す。
主演は「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のジョン・ボイエガと「メイズ・ランナー」のウィル・ポールター、
共演にアルジー・スミス、ジョン・クラシンスキー、アンソニー・マッキー。

 1967年7月、デトロイト。黒人たちによる暴動が激化し、鎮圧に乗り出した軍や地元警察との衝突で街は
まるで戦場と化していた。そんな中、運悪く暴動に巻き込まれ身動きできなくなった人気バンド
“ザ・ドラマティックス”のメンバー、ラリーが宿泊していたアルジェ・モーテルで銃声が鳴り響く。
それは黒人宿泊客の一人がレース用の空砲をふざけて鳴らしたものだった。しかし、それを狙撃手による発砲と
思い込んだ大勢の警察官がモーテルになだれ込んでくる。やがて、偶然居合わせただけの若者たちが、
白人警官のおぞましい尋問の餌食となっていくのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:84% Audience Score:79%>





by jazzyoba0083 | 2018-02-05 14:20 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)