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●「ビューティフル・デイ You Were Never Really Here」
2017 アメリカ Why Not Productions,Film4 and more.90min.
監督・脚本:リン・ラムジー  原作:ジョナサン・エイムズ『ビューティフル・デイ』(ハヤカワ文庫刊)
出演:ホアキン・フェニックス、ジュディス・ロバーツ、エカテリーナ・サムソノフ、ジョン・ドーマン、アレックス・マネット他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
1回目でよく分からず、二回見たけど、監督が言いたいことは分からじまい。コーエン兄弟の不条理作品から
具体性を更に引き算したような、観念的作品といえるのだろう。こうした映画を観る時、アメリカの批評サイト
Rotten Tomatoesの批評家と一般の評価の差を見ると面白い。本作は批評家は88%が満足に対して、一般の方は
64%に留まっている。つまり映画鑑賞感性に優れ、芸術的側面を理解出来るプロから見たらよく出来た映画だが、
普通に映画館に足を運ぶ客にとっては、あまりピンとくる映画ではなかった、ということを示している。
大体「カンヌ」で賞を獲る映画というのはアメリカでの評価はこうしたものだ。

90分という短い時間に出ずっぱるのはホアキン・フェニックス演じるジョーという雇われ殺し屋。彼は子供の
頃にハンマーを持った父親に追い回されるというトラウマを持つ。「背筋を伸ばせ。猫背は女の子みたいだぞ」
という父親のセリフが繰り返し使われ、ジョーのトラウマの深さを語る。

一方ジョーは中東かアフガンかの戦争でもPTSDになっているらしく、とにかく感情のコントロールが上手く
行かず、激情に走りやすい。その分、ハンマーを使った殺しは徹底していて残忍だ。そのジョーが頼まれて
上院議員の娘を助けに行く。成功するが、上院議員は自殺、後ろにいる知事を殺そうと出かけるも、知事は
既に何者かにクビを掻かれて死んでいた。見えざる権力の影がチラつく。
父を亡くした娘とジョー。喫茶店で寝込むジョーに娘は「ジョー、起きてよ。外はいい天気よ」と呼びかけて
映画は終わる。

まともでない主人公は自分のアイデンティティを父親に復讐するかのようにハンマーで依頼された人物を
撲殺することでかろうじて生のバランスを得ているという、極めて歪んだ人生を歩んでいる。ラストで少女に
掛けられた言葉は恐らく彼の人生で初めて掛けて貰えた、豊かな感情がこもった言葉だったのだろう。
映画はそこに一筋の希望を見せて終わる。(事件が終わっているわけではない)

監督リン・ラムジーはインタビューの中で、「ジョーが少女を救ったのではなく、少女がジョーに人生を
取り戻してやった物語」と語っている。そのように見ると、全体の細かいことはさておいても大意として
映画の全体像は掴めそうな気がする。後述のようにラストシーンもそうだが、母を殺され、遺体を湖に
沈めようとし、自らも喪服のポケットに石を入れて自殺を目論むも、少女の幻影を見ることで自殺を
思い留まる。

映像は凝っている。全編フィルムで撮影したそうだが、殺しの瞬間は見せず、流れる血や倒れる男らの姿で
表現しているほか、(撮影時間がなかったという点もあるそうだが)娼館に少女を救いに行くシーンは
防犯カメラのモノクロ映像をそのまま使っている。
先に書いたラストカットでは、喫茶店で少女がトイレに立つシーンの連続した画面の中でジョーが自分の頭を
撃って自殺するカットが入る。観客は、あっと思うだろう。ジョーの強さの反対側にあった弱さが出たな、と。
しかし次のカットでトイレから戻って来た少女の目線は、テーブルに突っ伏して寝ているジョーの姿だったり
する。そのあたりの映像の「綾」とでもいうべき使い方(演出)は上手いなあ、と思った。

自殺したジョーの「イメージ」とそれに続く少女のラストのセリフ。この数秒こそ、本作の本筋ではなかったか、
とさえ思えたのだった。「生きる意味」を見失った男が「再生」のきっかけを掴む話。
映画に具体的カタルシスとか具象的エンタメを望む人には向かないタイプに映画だろう。

またアップの映像が多いとか、とにかく全編、映像と編集だけを見ていても飽きない映画ではある。
ラジオヘッドの音楽も効果的だ。

それにしても、本作、ホアキン・フェニックスの怪演(快演)が映画のインパクトのほとんどだと言い切れるの
ではないか。

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<ストーリー>
第70回カンヌ国際映画祭脚本賞と男優賞を受賞したスリラー。行方不明者捜索のプロのジョーは、州上院議員
ヴォットの十代の娘ニーナを売春組織から取り戻してほしいと依頼を受ける。ジョーは無事にニーナを救出するが、
思いがけない事件に巻き込まれていく。監督は、「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー。

行方不明者の捜索を請け負うスペシャリストのジョー(ホアキン・フェニックス)は、人身売買や性犯罪の闇に
囚われた少女たちを何人も救ってきた。彼はその報酬で、年老いた母親(ジュディス・ロバーツ)と静かに暮ら
している。ジョーは海兵隊員として派遣された砂漠の戦場や、FBI潜入捜査官時代に目の当たりにした凄惨な
犯罪現場の残像、そして父親の理不尽な虐待にさらされた少年時代のトラウマに苦しんでいた。

ある日、新たな仕事の依頼が舞い込む。選挙キャンペーン中で警察沙汰を避けたい州上院議員のアルバート・
ヴォット(アレックス・マネット)が、裏社会の売春組織から十代の娘ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を
取り戻してほしいという。ジョーは売春が行われているビルに潜入し、用心棒を叩きのめしてニーナを救出するが、
彼女は虚ろな目で表情一つ変えない。深夜3時、ニーナを連れて行った場末のホテルのテレビで、ここで落ち
合う予定だったヴォット議員が高層ビルから飛び降り自殺したことを知る。

その直後、二人組の制服警官がホテルの受付係の男を射殺し、無理やりニーナを連れ去っていく。窮地を脱した
ジョーは、ヴォット議員からの依頼を仲介したマクリアリー(ジョン・ドーマン)のオフィスを訪ねるが、
彼は何者かに切り刻まれて死んでいた。嫌な予感に駆られて自宅に戻
ると、2階で母親が銃殺されていた。
ジョーは1階にとどまっていた二人の殺し屋に銃弾を浴びせると、ニーナがウィリアムズ州知事のもとにいる
ことを突き止める。ニーナはウィリアムズのお気に入りで、ヴォットは日頃から娘を政界の権力者に貢いでいた
のだった。

ジョーは喪服に着替え、母親を葬るために森の奥の美しい湖に向かう。生きる気力を失った彼は母の亡骸を抱え
て入水するが、ニーナの幻影に引き戻される。ジョーは一連の事件の黒幕であるウィリアムズを尾行し、ニーナが
監禁されている郊外の豪邸へハンマー片手に踏み込んでいく。(Movie Walker)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:88% Audience Score:64% >
<Metacritic=84>
<KINENOTE=72.6点>



by jazzyoba0083 | 2019-06-06 22:35 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「パリ・嘘つきな恋 Tout le monde debout 」
2018 フランス Gaumont and more. 107min.
監督・脚本:フランク・デュボスク
出演:フランク・デュボスク、アレクサンドラ・ラミー、ジェラール・ダルモン、エルザ・ジルベルスタイン他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想:ラストのネタバレまで書いています>
人気コメディ俳優フランク・デュボスクが自ら初めてメガフォンを取ったラブロマンス。フランスでは大ヒットした
のだそうだ。観ると、なるほど、フレンチな香りがする色気とヒューモアとペーソスで出来上がった一遍。
ストーリーとしては大層なことは無いと思うのだが、大人の趣味の良い恋を意外なアイデアを持ってきて、ハッピー
エンドで適当な上映時間で纏めたところが心地よく、観た人は基本だれも嫌な思いをしない、というところがヒット
の要因ではないのか。 
それと全般に貧乏の匂いがしないので、ある種夢心地の時を過ごせる、というところも客を集める要素になっていそう
な感じだ。

主人公のジョスランはスポーツ用品の会社を経営し、世界を飛び回るセレブなのだが、お調子者というか、口から
でまかせの悪気のない嘘を付くクセがある。(けっこう危ない嘘を付くのだが、セレブ故に許されてしまうところは
嫌な描き方だが)それと根っからの女好き。そんな男が、車椅子の美女と恋に落ちるのだ。
ジョスラン、亡くなった母のアパートの整理に来ていて、たまたま母の車椅子に座っていたところを、向かいの部屋の
美女の訪問を受け、思わず自分も車椅子の身である、と言ってしまった。そんな美女が、郊外の実家で姉を紹介すると
いうので、ポルシェの前トランクに車椅子を積んでいそいそと向かう。現れたのは、車いすテニスの選手にして
プロバイオリニストとしても世界を巡業するフロランスだった。

恋に落ちてしまったジョスランだったが、どうしても自分の車椅子が嘘だと切り出せない。医師の友人も、弟も
早く真実を告げろ、傷が深くなる、ホントのことを知った時の彼女の心の傷は深くなる、と盛んに忠告するのだが
どうしても勇気が出ない。これまで不自由ない暮らしをし、口からでまかせの付き合いをしてきたジョスランに
してみれば、真剣な恋を目の前にして、どうしたらいいのか分からない、というのが本音なのだろう。

彼女の後を追いかけ、食事をし、付き合いが深くなるほどホントの事が言いづらくなる。ジョスランの家には
プールの底が水面の上までせり出してくる特殊なプールがあるのだが、そこで浮力を利用したセックスまで
してしまうのだった。

観客は、にっちもさっちもいかなくなる一方のジョスランの様子に、観客はどういうオチにしてくれるのだろう、と
ハラハラする。自分からはどうしても言えない。

事は意外な方面からバレる。ジョスランの弟と、フロランスの妹が急接近。弟は妹に、「実は兄は身障者なんか
じゃない。車椅子は嘘」と言ってしまう。これを聞いて激怒した妹は「48時間以内に姉に本当のことをいわないと
私が言うわよ」といわれてしまう。妹とて姉を傷つけなくない。そこでフロランス以外の全員で一計を案じた。
それは全員でルルドの泉(奇跡をもたらすという)へ行き、奇跡を願おうというもの。そこでジョスランが奇跡で
立つことが出来たことにすればいいと。

作戦は上手くいきそうな状況だった。ルルドからの帰り、トラックにはねられそうになった車椅子のフロランスを
ジョスランはとっさに立ち上がって助けたのだ! これこそ「奇跡だ!」と皆で囃し立てるが、フロランスの
表情は冴えない。ジョスランはフロランスの前でたどたどしく歩けるように振る舞ってみせるのだが・・・。

そう、フロランスは、出会った時からジョスランは健常者だ、と分かっていたのだ。障害者は、分かるものなのだ
なあ。「嘘つきはキライ」と云われていたジョスランは、フロランスとはもうだめだとフロランスの元を去って行った。

そして日頃から鍛えていた自分の会社の靴を履いて出たマラソン大会。途中でくたばったジョスランのところに
来たのは車椅子のフロランスだった。フロランスは彼を自分の膝の上に載せ、残りの距離を車椅子で走り、ゴール
したのだった。二人は車椅子の上で熱いキスを交わしたのだった。

こんなお話なのだが、狂言回し的に登場するゲイで医者の友人と、密かにジョスランに想いを寄せていた(ように
見えた)秘書の存在が素敵だった。洒落たセリフと、仕掛け、特に車椅子の身を少しも嘆かないフロランスの
笑顔が終始、眩しくて、身障者を描いている暗さとか、重さを全く感じない。それが悪い方向に働いていない
演出が良かった。下手すると日本辺りでは身障者を笑い者にしている、おちょくっているとか云われそうだが、
この映画については、その辺りを突っ込んで来る人は少ないのではないか。下手をするとスノッブな感じに流れ
そうなところを寸止めにしているというか。

原題が凄く意味が思いと思う。ラストでも字幕で大文字で示されるのだが、「Tout le monde debout」という
のだが、「みんな立っている!」という意味だと思うが、特にフロランスの立場として、そうなんだろうなという
ことだろう。「自立している」ということ。車椅子の生活だが、「心は立って歩いている」という風に捉えると
この映画のニュアンスとぴったり来ると思うのだが。

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<ストーリー>
フランスの人気コメディアン、フランク・デュボスクが監督・脚本・主演の3役を務めたラブ・コメディ。
女性の気をひくため、車椅子生活だと嘘をついたイケメン男性が、1人の女性と出会い、真実を隠したまま本気の
恋に落ちていくさまが描かれる。
コミカルな演技を得意とするアレクサンドラ・ラミーがヒロインのフロランスを演じる。

パリの大手シューズ代理店で働くビジネスマンのジョスラン(フランク・デュボスク)は、イケメンでお金持ち、
女性にもモテるが、恋愛に求めるのは一時的な楽しさだけという軽薄な男だった。ある日、亡くなった母の家を
訪ねたジョスランが、部屋に残されていた母の車椅子に座っていたところ、偶然その場を訪ねて来た美女ジュリー
(キャロライン・アングラード)と遭遇。彼女の気をひくために「自分は車椅子生活を送っている」と嘘をついて
しまう。

すっかり信じたジュリーは、姉のフロランス(アレクサンドラ・ラミー)を彼に紹介。彼女は、以前事故に遭い
車椅子生活を送りながらも、ヴァイオリニストとして世界中を飛び回る快活でユーモア溢れる女性であった。
親友のマックス(ジェラール・ダルモン)には興味無いと言いながら、ジョスランはフロランスが出場する車椅子
テニスの試合を観戦したり、彼女が演奏するコンサートを観るためにわざわざプラハを訪れるのだった。

会うたびに新しい一面を見せてくれるフロランスに、本気で恋に落ちていくジョスラン。やがて、ふたりはデートを
重ね距離を縮めていくが、ジョスランはまだ本当のことを言えずに車椅子に乗ったままだった。そんなある日、
ついにジュリーに車椅子の嘘がばれてしまう。マックスや秘書のマリー(エルザ・ジルベルスタイン)を巻き込み、
奇想天外な計画を立てて嘘を切り抜けようとするジョスランだったが、実はフロランスの方も彼に隠し事がある
ようで……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:33% Audience Score:73%>
<Metacritic=No Data>
<KINENOTE= 74.6点>

by jazzyoba0083 | 2019-05-24 12:10 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「炎の戦線 エル・アラメイン El Alamein- La linea del fuoco 」
2002 イタリア Cattleya 113min.
監督・脚本:エンツォ・モンテレオーネ
出演:パオロ・ブリグリア、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ルチアーノ・スカルパ、エミリオ・ソルフリッツィ他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
wikiによると、この「エル・アラメインの戦い」は第二次世界大戦において、「ミッドウェイ海戦」「スターリング
ラード攻防戦」などに匹敵する激戦であり、かつこの戦争の趨勢を決めた重要な戦いであったとの説もあるという。
恥ずかしながら寡聞にして知らなかった。

本作は激戦を描くというより、北アフリカの砂漠の中に放り出されたイタリア兵士らの、戦争を見つめる目を描く
淡々とした作品だ。全体のトーンは「砂色」。日本軍の方がはるかに酷かったが、イタリアやドイツにも同じように
補給線のことを考えず、無理な精神論を振りかざして兵士を犠牲にする軍指導部はどこにもいるんだな、という事が
表現される。戦争の不条理性、非合理性の愚かしさ。
主人公的は役割は大学生の志願兵セッラ。彼が配属された中隊の上官や同僚たちと、地雷原に囲まれ英軍の砲撃に
いいようにやられ、あっちへ行け、こっちへ行け、と統一性のない命令に振り回される。兵器や銃弾どころか
食料や水さえ補給されない。優性な英仏軍は、かさにかかって攻撃してくる。精神的にも消耗していき、次第に
減っていく仲間たち。

将官たちは「撤退」を「転戦」といいくるめた日本軍と同じ論理を使い、「気持ちさえしっかり持てば何とか道は
開かれるものだ」とか行って、自分たちはさっさと戦地を離れる。こうして末端の兵士たちは、何のために戦って
いるのかすらわからなくなり、惨めな思いの中で朽ちていくのだ。こうして思うと日独伊は負けるべくして負けた
んだな、と容易に推測できる。

ラッセは語る「現実の戦争は、惨めで臭い」。救いは日本軍ほど馬鹿でないので、投降で救われた命も多い。
だが主人公ラッセと中隊長、軍曹は戦地にとどまる。ラッセがポンコツバイクで残る二人の救助を要請すべく
(あてのない)出発をするところで終わるが、彼ら3人が生き残ったという印象は受けない。ラスト、字幕で
エル・アラメインの犠牲者などが説明され、イタリア軍の被害がいかに酷かったかが説明される。そして
現代の無名戦士の無数の墓碑の映像で終わるのだが、一人の男の背中が映るが、それがラッセであってほしい、と
思ったのは私一人ではないだろう。

ながいことシャワーも浴びることが出来ない4人の兵士が海に出て裸ではしゃぐシーンは唯一の救い。しかし、
その砂浜も地雷原であったことが分かり急ぎその場を離れるのだった。つかの間の自由もあっという間に終わ
ってしまった。彼らに真の休息など無いのだ。

抑制されたトーンの中でも、末端の兵士が味わう無茶苦茶な戦争の有様がひしひしと伝わってくる作りはなかなか
良かった。冒頭の二人乗りバイクが砂漠を失踪するオープンニングも味わい深かった。ラストシーンは「プライベート
ライアン」のイメージに近い。

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<ストーリー>
1941年2月、第二次大戦中の北アフリカ。ドイツ軍はロンメル将軍を指揮官とする精鋭部隊をリビアに派遣。
この地のイタリア軍を指揮下に収め、エジプトを目指して進軍を開始する。<砂漠の狐>と謳われたロンメル
将軍の巧妙な作戦の下、ドイツ・イタリア連合軍は快進撃を続け、アレキサンドリアを目前に控えた交通の要所
エル・アラメインに到着。

イギリス軍はスエズ運河に連なるこの地を死守するため、20万にも及ぶ兵員を投入し、熾烈な攻撃が独・伊両軍を
襲った。戦闘は膠着状態に陥り、兵士たちは灼熱の太陽と圧倒的な飢えが支配する砂漠に、釘付けされる。

1942年10月、イタリア軍の歩兵陣地に、パレルモ出身の若者セッラ(パオロ・ブリグリア)が着任した。
フィオーレ中尉(エミリオ・ソルフリッツィ)は、交代要員が彼だけだと聞いて、落胆の色を隠せない。
学生志願兵のセッラは、本国での戦争報道を信じ、前線で兵士が必要と聞いて志願してきたのだった。
中尉はセッラをリッツォ曹長(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)の分隊に配属する。この陣地からは、見渡す
限り荒廃した砂漠がひろがり、鉄条網が張られている。鉄条網の向こうは地雷原で、それを挟み、イタリア軍と
イギリス軍が対峙する。

物量で勝るイギリス軍は戦闘機や追撃砲の攻撃で、イタリア軍を苦しめていた。リッツォ曹長はセッラに3つの注意を
与えた。1.頭を低くしていること。2.全員罹っているのだから、赤痢になっても報告などしないこと。3.さそりに
気をつけること。進むことも退くことも出来ないまま、灼熱の太陽に灼かれる日々が続く。1日に使える水はわずか
250CC。顔を洗うのにも、砂を使う。そして、イギリス軍の執拗な攻撃。狙撃され負傷した兵士を救うべく担架を
抱えて走る衛生兵、その兵も、銃弾を浴びて死んでゆく。
破壊された車の影から撃ってくる敵を、車の残骸ごと吹き飛ばしようやく攻撃を逃れる。過酷な戦場の日々が、
セッラの骨身に染みる。過酷な日々の末、遂にイギリス軍の総攻撃が始まった。迎え撃つ戦車もなく、援軍の飛行機も
来ぬままイタリア軍は砲弾の雨にさらされる。たこつぼにうずくまり銃を構えるセッラだが……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:no data Audience Score:80%>
<Metaciritic=No Data>
<KINENOTE=66.3点>



by jazzyoba0083 | 2019-05-22 23:30 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「フライド・グリーン・トマト Fried Green Tomatoes」(良作再見シリーズ)
1991 アメリカ Universal Pictures,Act ⅢCommunications. 131min.
監督:ジョン・アヴネット  原作・脚本:ファニー・フラッグ
出演:メアリ・スチュアート・マスターソン、メアリー=ルイーズ・パーカー、キャシィ・ベイツ、
   ジェシカ・タンディ、シシリー・タイソン、スタン・ショウ他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
今から9年前に鑑賞している。当時から好きな映画で、WOWOWで放映があったので、久しぶりに
観てみた。初見の感想は下記にリンクを貼り付けて置きますので御覧ください。

おおよその感想は変わらない。当時は映画の仕掛けの説明が下手だった。この映画は、キャシー・ベイツ
とジェシカ・タンディの現代パートと、ジェシカが語る、イギーとルースの友情パートに別れ、ぞれぞれに
カタルシスが用意されているので、楽しみは二倍という感じだった。

ジェシカが語る、イギーとルースの話に触発され、愛しているには愛しているのだが、妻のことを全く
顧みない夫を抱えたキャシー・ベイツの生き方が、変化していく。二つのストーリーに緊張感があり、
面白く観ることが出来るという仕掛けだ。

とにかく清楚なジェシカ・タンディとイギーのメリース・チュワート・マスターソンがいい。加えて
キャシー・ベイツも好演。セリフの中には「ミザリー」を彷彿させるものがあったり、ハンマーを持つ
シーンがあったりえ、洒落も効いていた。

過去の物語に登場する3人は、それぞれに愛する人との別れが何回かあり、それを乗り越えて行きて
いくのだが、そこにはいつも支えてくれる友人がいた。ラストあたりでジェシカとベイツが語るセリフの
中にジェシカの「この世に生まれて一番良かったと思えること、それは友人を得たことよ」ということに
尽きる映画だという感じだ。友達の少ない私などは羨ましい限りだ。

「人のために何が出来るか、ましてや愛している人に何が出来るか」を考えながら日々を送る幸せ
それは禁酒法時代のイギーの若い頃であっても、使用人である黒人のビッグ・ジョージやジプシー、そして
浮浪者のようなスモーキーであっても、善を施すところ必ず善で報いられるという・・・。キリスト教の
教義的な匂いがないではないが、二度目の鑑賞でも爽やかで、勇気を貰える良い映画だ、と感じた。

また舞台がアラバマであり、時代背景も似ているし、イギーとおきゃんぶりが似ているスカウトとの対比も
あり、「アラバマ物語」を思い出す人も多いかもしれない。人種やジェンダーなど今日でも通用するテーマも
あり、今見ても決して古さを感じさせない佳作といえよう。

<IMDb=★7.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: Audience Score: >
<Metacritic=64>
<KINENOTE=76.6点>




by jazzyoba0083 | 2019-05-14 23:00 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「フロリダ・プロジェクト The Florida Project」
2017 アメリカ Cre Film,Freestyle Picture Company and more.112.
監督・(共同)脚本:ショーン・ベイカー
出演:ウィレム・デフォー、ブルックリン・キンバリー・プリンス、ブリア・ヴィネイト、ヴァレリア・コット他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
国内外で非常に評価が高く、ウィレム・デフォーはこれでオスカー助演男優賞ノミニーとなった。
個人的には、愉快な映画ではなかった。というか、むしろ鑑賞後、不快な気分さえ残った。
(これが監督の狙いなら、まんまとハマったといえよう)

フロリダにあるディズニーワールドの側に林立する安モーテル。居住禁止、と言われてもいつく
全身タトゥーの若い母ヘイリーと、6歳になる娘のムーニー。

離婚したのか未婚の母なのかは定かではないが、仕事を持たず、昼間からグダグダしている母。
口汚く、パチモノの香水を観光客に売りつけたり、かっぱらったものを他人に売りつけたりして
モーテルの家賃や食い物代に当てている。同じような境遇の友人がいるが、彼女は地道にダイナーで
働いている。なんとかしようとあがいている姿がある。

ムーニーやモーテル住まいの子供らはフロリダの太陽のもとであどけなく遊んでいるが、しかし、
そこには大人の貧困の社会が如実に投影されている。

この作品は、貧富の差が(ディズニーのシンデレラ城が富の象徴なのだろう)厳しい社会になって
ましてやシングルマザーで行きていくのは容易でないいというアメリカ現代社会の問題性を切って
見せた、という点は理解できるし、アメリカにヘイリーとムーニーはいっぱいいるということも
分かる。しかし、である。

ヘイリーは働く気がない。困れば男をモーテルに引っ張り込んで売春をする。口汚く罵るので、
ムーニーはそれを真似するので、喋ることばは異様に大人びていていしかも下品だ。こうした
教育下で育てられた子どもは、母親と同じ道を歩むだろう。(子役は非常に上手かったが)

社会から打ち捨てられた人々の周りには悪い集団が集まり、それが更に最底辺を構成し、社会を
劣化させていくのではないか。ある日、子どもたちの起こした放火事件をきっかけにムーニーをもとに
市の児童福祉局がやってきて、このままではムーニーのためいならないと母子を離して、ムーニーを
里親いだそうとする。
しかし、ムーニーは不良でダメな母親でも母親であるヘイリーの側を離れたくない。彼女と
友人は、モーテルを抜け出て、逃げ出す。向かったところはディズニーワールドのシンデレラ城で
あった。映画はここで終わるのだが、あたかもシンデレラ城には幸せが詰まっていると信じて
いるかのようなムーニーたちだった。(ディズニーワールドの中のiPhoneショットは無許可撮影)

彼ら親子らを温かい目で見つめ何くれと無く世話をするのがモーテルの管理人ボビー(デフォー)で
ある。彼も雇われ管理人だが、暮らしに厳しい人たちへの視線は優しい。しかし優しいだけではなんら
ヘイリーたちの人生が好転するわけでもない。

総じて本作は、フロリダという陽光眩良い地において、底辺に生きる母子を中心として現在のアメリカの
底辺を描いたもので、考えさせられるところは多いはずだし、それ故の高評価であろうが、私は母親の
ヘイリーの自立しようとしない姿勢はどうしても許せなかった。それが娘ムーニーにいい効果を果たす
訳がない。真面目に働くひとを小馬鹿にするような母親に子どもを育てる資格はないのではないか。
ディズニーワールドに逃げ込んだ二人はどうなるのか。所詮引き戻されるのがオチだろう。ファンタジー
っぽくまとめたが、現実はなんにも変わらない。そこが悲しいのだろうけど。

不思議な魅力持つ独特の映画であることは確かだが、子供のために自らをを再生しようとしない母には
賛成できず、カタルシスと言うより、不快感が残ってしまった映画だった。

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<ストーリー>
全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』で注目を浴びたショーン・ベイカー監督による人間ドラマ。
フロリダの安モーテルでその日暮らしの毎日を送る女性ヘイリーと6歳の娘ムーニーの身に起きる出来事を、
現実離れしたパステルカラーの映像で映し出す。親子を見守るモーテルの管理人を名優ウィレム・デフォー
が演じる。

6歳の夏休み、ムーニーは母親のヘイリーとともに、フロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールド・
リゾートにほど近いモーテル「マジック・キャッスル」で暮らしていた。ムーニーは、真下の部屋に住む
スクーティ、隣のモーテル「フューチャー・ワールド」に住むディッキーを遊び仲間としていた。
ある日、3人は「フューチャー・ワールド」に新しい滞在者の車を見つけ、モーテルの2階の廊下から車に
向かって唾を飛ばし始める。車の所有者であるステイシーに気づかれ悪態をつきながら逃げようとするが、
ディッキーは彼の父親に見つかってその場に留められ、それ以降ムーニーやスクーティと遊ぶことを1週間
禁じられてしまう。一方、ムーニーとスクーティはステイシーの車を洗いに行き、孫のジャンシーと知り合う。

その後、ディッキーと彼の父はニューオーリンズへ引っ越し、ムーニーはスクーティ、ジャンシーと3人で
遊ぶようになる。ムーニーたちの遊びは、大人を巻き込んだひどい悪ふざけであることがある。
あるときは、配電室に入り込んでモーテル中の電源を落としてしまった。モーテルの管理人であるボビーは、
子どもたちの悪戯に手を焼きながらも、厳しい境遇にある子どもやその親たちを見守り、支えていた。

ヘイリーは定職に就かず、安い香水をブランド香水の空き瓶に移し替えて観光客に売るなどして収入を得ていた。
母子の日々の食事は、モーテルに来る福祉団体の配給や、スクーティの母親アシュリーが働くダイナーから
横流ししてくれるパンケーキでまかなわれていた。ある日、ムーニー、スクーティ、ジャンシーは廃屋に入り
込んで火遊びをし、火事を起こしてしまう。アシュリーはスクーティの様子が不審であったことから火事の
原因に気づき、自分たち母子に児童家庭局が介入することを恐れる。アシュリーは、スクーティにムーニー
たちと遊ぶことを禁じ、ヘイリーとの関係も断ち切る。

ヘイリーはインターネット上に広告を出し、モーテルの部屋で売春を始める。ヘイリーが売春行為をする間、
ムーニーはバスルームに留め置かれ、大音量で音楽が流れるなか一人で遊ばされていた。ある日、ヘイリーは
ディズニー・ワールドの「マジックバンド」を観光客に売って収入を得るが、その後、男がモーテルの部屋に
来てヘイリーを激しく罵る。男は家族連れでディズニー・ワールドを訪れ、客としてヘイリーの部屋に来たが、
そこで「マジックバンド」をなくしたため戻ってきたのだった。ヘイリーは、騒ぎに気づいて駆けつけた
ボビーの介入により事なきを得るが、ボビーにモーテル内での売春行為を咎められる。

そこでヘイリーは、アシュリーの部屋を訪れ、謝罪して家賃分の金を貸してもらおうとする。
しかし、アシュリーに売春をしていることを嘲られたことで激高し、彼女を押し倒して顔を殴打してしまう。
翌日、児童家庭局の職員がムーニーとヘイリーの部屋を訪れる。ヘイリーは子どもの養育環境に問題がないことを
主張するため部屋を片付け、ホテルのレストランへ行く。2人がモーテルに戻ると、児童家庭局と警察がムーニーを
一時的な里親のもとへ送るために待ち構えていた。ムーニーは逃げだし、ジャンシーの部屋に向かう。ジャンシーは
ムーニーの手を取り、一緒にディズニー・ワールドの中へ駆け込んでいくのだった。(wikipedia)


<IMDb=7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:96% Audience Score:79% >
<Metacritic=92=Must See>
<KINENOTE=75.9点>




by jazzyoba0083 | 2019-05-09 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ボストン ストロング~ダメな僕だから英雄になれた~ Storonger」
2017 アメリカ Bold Films,Lionsgate and more. 119min.
監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン
出演:ジェイク・ジレンホール、タチアナ・マズラニー、ミランダ・リチャードソン、クランシー・ブラウン他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
2013年のボストンマラソン会場で起きた爆弾テロは、その後の犯人追跡劇と合わせてまだ記憶に
新しい。先日、マーク・ウォルバーグ主演でこの問題を警官側から観た実話作品をみたばかりだった。
今回は爆弾の側にいて、両足を吹き飛ばされたものの、不屈の精神で立ち直り、ボストン市民から
当時の合言葉であった「ボストン・ストロング(ボストンよ、強くあれ)」という合言葉のアイコンにも
なった実在の人物側からみたこの事件と、彼の再生、再起を描く。

アメリカ人はこの手の映画は好きなんだよなあ。パトリオット精神や友愛の精神を刺激されるから。

この作品のいいところは、主人公ジェフ・ボーマン(ジレンホール)が、ごくごく普通の、いやむしろ
普通の人よりだらしがなくてお調子者で、この事件が無かったら超平凡な一市民で一生を終えるような
タイプの人間だったことと、リハビリの過程が微に入り細を穿って描くタイプではなく、ダメはダメ
なりに考えながら格闘していく模様が淡々と綴られていくところだ。故にお涙頂戴ではないし、
変に力が入った精神論をぶちあげたような映画でもない。

普通の人が突然、奈落の底に叩き込まれるような事態になった時に、どうなっていくんだろうか、という
ことをジレンホールとタチアナの好演もあり、興味深く観ることが出来た。

それとジェフの家族が良い描き方をされていた。これ、まだご本人たちが実在しているのだろうに、良く
OKしたものだと思わせるほど、欲にまみれている状態をむき出しにする。母はもちろん息子の両足が
なくなったことを嘆くが、彼が爆発寸前に犯人を見ていて、それが元でテロ犯が見つかったことから
息子を英雄として世間にPRしたいと考え、色んなイベントや偉い人にも合わせたり、ステージママ
みたいなマネージャーぶりを発揮していた。しかし、ジェフは最初はママの言う通りにしていたが、
次第に見世物のようになり、利用されているのでは無いかと嫌気がさしてきた。

一方、彼のだらしのない性格に何度も別れたりまたくっついたりしていた恋人のエリンは、自分が
マラソンを走ったのだが、そのときは彼とは別れた状態だった。ジェフは勝手に旗を作って
ゴール近くで応援していたのだが、そこで事件にあってしまった。「今の僕には君が必要だ」と
云われ、ジェフに寄り添い、彼を助けることを決心したエリンであったが、世俗の欲望にまみれた
母と事あるごとに対立する。エリンはジェフの家に引っ越してきて彼を助ける。

しかし、エリンの献身的な気持ちはジェフには十分に理解されず、また妊娠したことを告げると
「僕には赤ちゃんなんか育てられないよ」と泣き言をわめき、またジェフの母の心ないことばの
数々に彼女は実家に帰ってしまう。

しかし、ある日、爆発現場で瀕死の彼を助けたカウボーイハットのカルロスという男性と会うことに
なった。カルロスが戦争で一人、その後自殺で一人、二人いた息子を亡くし、現場では息子を
助けるつもりでジェフを助けたと語った。これをきっかけに何かがジェフの中で変わった。
人生を見つめ、出来ることをしようと決め、義足のリハビリにも力がはいるようになった。
あれほど嫌がっていたレッドソックスの始球式にも行き、そこで多くの人に囲まれ色んな話を
聞かされることも嫌がらず聞いてハグもしたのだった。自分の人生を真正面から見つめ、どれだけの
人が自分を支え、あるいは頼りにしてくれているか、またエリンや家族の助けがどのくらい大切
だったかを理解したのだ。
母は足を失った我が子の将来を彼女なりの頭で考えたんだろう。

ジェフの強いところは、もちろん落ち込むこともあるが、絶対に絶望しなかったことだ。それには
もちろん周囲の力もあったのだろうが、彼のユーモアを解する基本楽天的な(あまり深刻にものを
考えない)性格が幸いしたのだとう。

こうした映画の場合、ラストに本人を出して見せるのだが、本作では赤ちゃんが生まれたときと
翌年彼女がボストンマラソンを完走したときに、ゴールで抱き合う二人の姿を写した2枚の写真が
示されるのみであった。
英雄とはやされた人物の没落はよく聞く話だが、ジェフとエリンの二人が普通に幸せな暮らしが
続けられるように願ってやまない。ちなみにジェフはコストコの社員だったけど、今もそうなんだ
ろうか。

全体にベトベトせず、互いの本音がぶつかりあいながらも、その時点では良い結末へと導かれた
本作は、登場人物の心理を上手く易しく見せてまとめ、興味深く鑑賞出来た。

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<ストーリー>
2013年4月15日に起きたボストンマラソン爆弾テロ事件。会場で爆発に遭い、両脚を切断する悲劇に
見舞われたジェフ・ボーマンの実話をジェイク・ギレンホール主演で映画化した人間ドラマ。
家族や恋人などの支えで、ジェフが自ら立ち上がっていくさまが描かれる。ジェフの担当医や看護師
なども出演し、物語にリアリティを与えている。

ボストンで暮らすジェフ・ボーマン(ジェイク・ギレンホール)は、元彼女エリン(タチアナ・マスラニー)
の愛情を取り戻すため、彼女が出場するマラソン会場に応援に駆け付ける。
しかし、爆破テロがゴール地点付近で発生し、巻き込まれたボーマンは両足を失う。ボーマンは意識を取り
戻すと、爆弾テロリストを特定するために警察に協力する。ボーマンの証言を元に犯人が特定され、ボーマンは
一躍“ボストンのヒーロー”として世間の脚光を浴びるが、彼自身の再生への戦いはまだ続いていた。
(Movie Walker)


<IMDB=★70>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90% Audience Score:80% >
<Metacritic=76>
<KINENOTE=72.2点>

by jazzyoba0083 | 2019-05-06 22:55 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

星に想いを I.Q.

●「星に想いを I.Q.」
1994 アメリカ paramount Pictures. 96min.
監督:フレッド・スケピシ
出演:メグ・ライアン、ティム・ロビンス、ウォルター・マッソー、ルー・ジャコビ、ジーン・サックス他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
時々肩の力を抜いて観たくなるコマコメ。最近ハリウッドでは上等なロマコメを作らなくなったのか映画館で
観なくなった。時代ではないのだろうか。力が入った映画ばかりでは疲れるのに。

思えば、1990年代の半ばから後半は、メグ・ライアンにとって幸せな時期だった。時代がロマコメを要求し、
メグ・ライアンという女優はその風貌、キュートな演技で要求に応え、「ロマコメの女王」の冠を戴いたので
あった。「めぐり逢えたら」から本作、「ユー・ガット・メール」「ニューヨークの恋人」あたりまでか。
本作製作時、メグは33歳だから、まさに女盛り。可愛いけどどこか大人の色気も感じさせる、いい女ぶりを
発揮している。また本作では、アクセサリーを一切付けず、かつシンプルなドレスがピッタリ合っていて
彼女の個性を上手く表現出来ていた。全編の色彩調整も上手い。

一方のティム・ロビンスも同じ年に製作された名作「ショーシャンクの空に」に出演し、俳優として脂が
乗り切っている頃だ。そうした二人が演じる、「一目惚れ」の世界。オチの持って行き方にいささか無理を
感じるが、ウォルター・マッソーのアインシュタインそっくりぶりの好演にも支えられ、なかなか楽しい
映画に仕上がった。ウォルター・マッソーを中心とする4人の老科学者たちの役割が鍵である。二人の
主役を輝かせる「脇」の役割をしっかりと果たしていた。

「めぐり逢えたら」も「ユー・ガット・メール」も素敵な作品で好きなのだが、本作も相手を変えて違った
メグの魅力を味わえる、なかなかな良品と言える。肩の力を抜いて楽しむ、鑑賞後の清々しさも嬉しい
一作ではないか。

邦題は、映画の内容を端的に表していてよく付けたと思うし、原題のままではロマコメらしくないので
仕方ないのかもしれないが、「星に願いを」と紛らわしいネーミングであるな。

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<ストーリー>
自動車修理工のエドは、ある日車の修理に偶然立ち寄ったキャサリンに一目惚してしまう。いてもたっても
いられない彼は、さっそく彼女にアタックしようと、彼女が忘れていった時計を返しに行くのを口実に、
住所を訪ねた。胸を踊らせてチャイムを押すエド。だが彼の前に現れたのは、驚くことに世界的な物理学者の
アインシュタイン博士だった……。恋する男女と、2人の仲をとりもとうとする彼女の叔父であるアインシュ
タインが織りなすハートフルな作品。

ストーリーだけ読むと、どこにでもありがちなラブ・コメだと思われがちだが、その出来は上々! 特に演出が
冴え、観終わった後心地よい爽快感が残る、良質のロマンティック・コメディである。
そして本作の魅力を支えるもう一つの大きな要因が、この映画の豪華なキャスティング。ティム・ロビンスや
メグ・ライアンの巧さは勿論の事、アインシュタイン役のウォルター・マッソーが素晴らしい! 名優としての
力量を思わず唸らされる。(allcinema)

<IMDb=6.2>
<Rotten Tomaotes=Tomatometer:46% Audience Score:47%>
<Metacritic=66>
<KINENOTE=65.0点>



by jazzyoba0083 | 2019-05-02 22:30 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

ハッピーエンド Happy End

●「ハッピーエンド Happy End 」
2017 フランス・ドイツ・オーストリア Les Films du Losange and more. 107min.
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール、ジャン=ルイ・トランティニャン、マチュー・カソヴィッツ、ファンティーヌ・アルデュアン他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
平成最後の観賞に、タイトルの響きも良い本作を選んだ。内容についての前知識は殆ど無しに。それがこの
タイトルは、皮肉で付けられていることが分かり、選んだことが正解だったかどうか分からなくなった。
つまり「Unhappy End」な映画である。ハネケ一流のアイロニーの発露である。カンヌなど欧州の映画祭
好みの作りであり、観客を内省の暗闇に放り込む決して観終わって気分の良いカタルシスの得られる映画
ではない。それはハネケ作品に常に筋の通っていることであり、この人がダダの表現者ではないことを汲み
取ることは出来る。

開巻、スマホの映像で始まるのだが、誰が誰を撮っているのかは分からない。最終的に家族構成や人間
関係が明らかになっていくのは中盤以降。それまでは何がどう運んでいるのかよくわからないところが
あった。つまるところ、フランスはカレーに住むロラン家の家族の話だ。

老父ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が経営してきた土木建築関係の会社を継いだのが、
娘のアンヌ(イザベル・ユペール)。会社の顧問弁護士を恋人として、辣腕を振るっていた。
その弟にして外科医のトマは、アナイスと再婚して最近赤ちゃんが出来た。しかし、このトマはSNSの
チャットで過激なバーチャルセックスを楽しんでいる。前妻は精神安定剤の過剰摂取で亡くなる。
その前妻との間に生まれたのが、今年13歳になる娘のエヴ。冒頭のスマホ画像を撮っていて、母親を
薬殺したような雰囲気に描かれている。母親に育てられていたが、母の死亡でロラン家に引き取られる。
彼女の立ち位置が「死」と「破滅」を伴って物語全体を俯瞰するような感じだと感じた。そしてアンの
息子ピエールは会社の専務なのだが、出来が悪い。母への反発も大きい。

全体を覆うのは死の影。それを引きずっているのが老ジョルジュと、孫娘であるエヴである。彼ら二人の
行動には常に滅亡の匂いが付きまとう。片や老いからくる絶望であり、片や若さから来る絶望であった。
普通なら若い子を希望や再生のメタファーとしたり、アイコン化したりするのだが、そうではないところが
この映画の真骨頂であり、不快な点である。(←これハネケの狙い目。それは後述)

こうしてロラン家の三世代のバラバラな生活が進む中で様々な出来事が起き、その度にそれぞれが
自分さえ良ければそれで良い、他人のことなど構っていられないという仮面家族を演じている。

ラストは母が戦略的に結婚する(と私には思えた)会社の顧問弁護士の披露パーティーに専務をクビに
された息子がアフリカからの移民の会社の労働者を連れて乱入する。一方、老ジョルジュはエヴに
車椅子を押させて海辺に出て、そのまま海の中に入っていく。それをスマホで撮影するエヴ。泡を
食って駆けつけるアンヌら・・・。そこで映画は終わる。映画全体のベクトルは「破滅」「死」で
ある。

一見家族という名の絆でつながっているように見える人々が内情はバラバラで、自分の事だけしか
考えていない、話し相手を見ずに、常に携帯を触りSNSをやっている。そいうした全員何を考えて
いるのか分からないという恐怖をこの映画から感じた。それはハネケの主張したいところと一致している
のだろうかと、調べてみてら、本人の以下のようなインタビューがあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「日常を過ごすなかで、他者に対する共感や敬意がどんどん失われていると感じます。消費社会が蔓延し、
利己主義的になっています。こうした変化は今に始まったことではなくて、ニーチェが「神は死んだ」と
言った時から起こっていることかもしれません。
この映画は、難民についても少し触れていますが、この問題についても、突然始まったことではなく、
その原因は過去何十年、あるい何百年も前から存在するものです。今起こっていることは過去から続いた
ことが延々と続いた結果です。

人間同士共感を持って、人道的にやっていくことを美徳だと考えなくなっている人が増えています。
美徳が社会で意味を持たなくなり、社会がどんどん利己主義的になっていると感じますね。
(Film Goes With Netから転載・引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まさに以上のような内容をロラン一家の家族を以て描いたのが本作、といえる。ハネケの描く「鬱」
世界を好む人には納得性の高い映画だろう。観終わって社会的な課題・問題の提起を肯定的に受け入れ
られる人にもいいだろう。映画はいい気分で観終わりたい、と思う向きは合わないタイプの映画である。
私個人的にはあまり得意なジャンルの作品ではない。

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<ストーリー>
難民が多く暮らすフランス北部の街カレー。瀟洒な邸宅で三世代同居するブルジョワジーのロラン家では、
建築業を営んでいた家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が高齢のため、すでに引退。
家業を継いだ娘のアンヌ(イザベル・ユペール)は、取引先銀行の顧問弁護士を恋人に、ビジネスで
辣腕を振るっていた。だが、専務を任されていたアンヌの息子ピエール(フランツ・ロゴフスキ)は、
ビジネスに徹しきれない。使用人や移民労働者の扱いに関して、祖父や母の世代に反撥しながらも、子ども
じみた反抗しかできないナイーヴな青年だった。

また、アンヌの弟トマ(マチュー・カソヴィッツ)は家業を継がず、医師として働き、再婚した若い妻
アナイス(ローラ・ファーリンデン)との間に幼い息子ポールがいた。さらに、幼い娘を持つモロッコ人の
ラシッドと妻ジャミラが、住み込みで一家に仕えている。
一家は同じテーブルを囲み、食事をしても、それぞれの思いには無関心。SNSやメールに個々の秘密や
鬱憤を打ち込むばかり。ましてや使用人や移民のことなど眼中にない。
そんな中、トマは、離婚のために離れて暮らしていた13歳の娘エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)を、
一緒に暮らそうと呼び寄せる。こうしてジョルジュは、疎遠になっていたエヴと再会。意に添わぬ場面では
ボケたふりをして周囲を煙に巻くジョルジュだったが、死の影を纏うエヴのことはお見通しだった。

一方、幼い頃に父に捨てられたことから愛に飢え、死とSNSの闇に憑りつかれたエヴもまた、醒めた目で
世界を見つめていた。秘密を抱えた2人の緊張感漲る対峙。ジョルジュの衝撃の告白は、エヴの閉ざされた
扉をこじ開けることに……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:70% Audience Score:55%>
<Metacritic=72>
<KINENOTE=71.9点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-30 22:45 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ヴァレリアン 千の惑星の救世主 Varelian and the City of a Thousand Planets」
2017 フランス Europa Corp. and more.
監督・脚本:リュック・ベッソン  原作:ピエール・クリスタン(作)、ジャン=クロード・メジエール(画)
出演:デイン・デハーン、カーラ・デルヴィーニュ、クライヴ・オーウェン、リアーナ、イーサン・ホーク
   ハービー・ハンコック、ジョン・グッドマン(声の出演)

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
本国での評価は芳しくないが、私は面白く観た。足しかに冒頭のあたりで弛むところがないではないが、
いろいろと複雑な割には話は分かりやすく収斂し、CGバリバリのSWも真っ青な宇宙戦も観ものだったし、
ベッソン一流の話の持って行き方が、原作があるとはいえ、興味深く飽きさせなかった。出演者も
エネルギッシュな若い女性ローレリーヌを演じたカーラ・デルヴィーニュの存在感は大きかったし、
後半戦のハイライトの一つ「バブル」のリアーナも魅力的だった。大臣が何故にハービー・ハンコック
だったのは謎だけど。一方ルーカスやスピルバーグが描く宇宙の感じとは大きく違うベッソン流の
未来像、宇宙像は新鮮で見応えがあった。ただチャイナ資本が入っているのでことこどころチャイナへの
忖度?が映像に現れるのには鼻白んだが。

冒頭から素敵だ。デヴィッドボウイの宇宙船乗組員の会話を歌にしたものをバックに、1975年の宇宙
ステーション制作から2740年までを、様々な宇宙人を登場させることで表現したのは今日的だったし、
面白かった。

2時間を超える映画で、最初の内はえらく観念的なスペースものか、と思ってもう少しこんなのだったら
止めようかな、と思っていたところに俄然話は具体性を帯びてくる。おそらく本国での評価が低いのは
結論がありきたりで当たり前すぎで面白くない、というようなことだと思う。確かに全般の観念性に比べ
後半からエンディングはかなり世俗的な描き方にはなっている。

この映画のコアは、パール人が平和に暮らしていた惑星を人が住んでいることを知りつつ核攻撃を実施し
壊滅させた司令官がその証拠隠しを企むのだが、連邦兵士であるヴァレリアンとローレリーヌが見破り
生き残りのパール人も暮らす「千の惑星」と言われる人口宇宙都市アルファから、パール人に必要な
「変換器」と真珠を持って新天地を求めて返してあげようとするところだ。

自分さえ良ければ他はどうなろうと構わない、という司令官(トランプがいつも言っているようなこと)
に対し、悪事がバレた司令官ではあるが、連邦の兵士として「変換器」を回収せよ、という命令を
受けているヴァレリアンは、兵士としてパール人に「変換器」を渡すことは出来ないという。
それに対してローレリーヌが言う以下のセリフが、この映画の全体を表しているといってもいいだろう。
(ヴァレリアンはローレリーヌに結婚を迫っていたのだが・・・)

L「だから結婚はいや。愛をわかってない」
V「愛とは関係ない」
L「そこが間違いよ。愛は何よりも強いの、ヴァレリアン」
 「規則や法律も破れるし、どんな軍や政府も圧倒する。彼女(パール人)を見て」
 「彼女は惑星の人たちも、自分の子どもも失ったのよ」
 「なのに許そうとしている。それが本当の愛よ」
 「自分以外の誰かを信じること。私もあなたの"誰か"になれるかと。でも・・・」
V「なれる、なってる。君のためなら死ねる」
L「そんなこと頼んでない」
 「私を信じてほしいだけ」
V「分かった。渡してやれ」
L「ありがとう」

こうして、「変換器」はパール人に渡され、その後、司令官側の攻撃に遭うものの、無事に
アルファを飛び立つことが出来たのだ。

フランスのコミックが原作なので、物語としてそう深いものになりえなかったのだろうか、ベッソンなりに
苦労はしたのだろう。圧倒的なVFXの使用やフランス映画なのに英語で制作したことなどにより、本作は
フランス映画史上最高の制作費を掛けた映画となった。が、興行的には失敗した。大衆はもっともっと
分かりやすい方が良かったのだろう。たしかに物語性の薄っぺらさは感じるし、血肉踊る冒険譚かといえば
そうでもない。かなり思索的な部分もある。そういう中途半端性が仇になったのかもしれない。

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<ストーリー>
長年拡張され続けた国際宇宙ステーションの質量が地球にとって危険になり、一千もの種族が居住する"千の
惑星の都市"「アルファ宇宙ステーション」として外宇宙に射出される。
西暦2740年、アルファの連邦捜査官ヴァレリアンとその相棒ローレリーヌは任務で惑星キリアンへと向かう。
旅の途中、ヴァレリアンは惑星ミールに住むヒューマノイド型種族が、巨大な宇宙船の墜落で滅亡する夢を見る。
ヴァレリアンはローレリーヌに求婚するが断られる。

二人は惑星キリアンに着き、ヴァレリアンは別次元にあるバザールに潜入して、あらゆるものを複製できる、
ヴァレリアンが夢で見た小型生物の形態をしたコンバーターとパールを手に入れる。宇宙船に戻ったヴァレリアンは、
ミールが30年前に破壊されたことを知る。

二人はアルファに戻る。危機的な汚染の問題を話し合うための種族間のサミットに出る司令官のフィリットを、
二人は護衛する。サミットはヴァレリアンが夢で見たヒューマノイドに襲われてフィリットは誘拐され、
ヴァレリアンは誘拐犯を追跡する途中で行方不明になる。ローレリーヌは上官であるオクト=バー将軍の命令に
背きヴァレリアンを捜索して発見するが、直後に原始的な種族に捕えられる。ヴァレリアンは可変種のバブルの
協力を得てローレリーヌを救出するが、バブルは死ぬ。

ヴァレリアンとローレリーヌは汚染区域に入ってヒューマノイドたちに会う。彼らの皇帝は、ミールの滅亡で
娘が死んだときに魂をヴァレリアンに送ったと言う。フィリット率いる人類連邦が敵と交戦した時、敵の宇宙船が
墜落してミールの滅亡を招き、ヒューマノイドの生存者たちは人類の宇宙船に乗って逃れ、アルファに来たという。
彼らは人類の技術を手に入れて宇宙船を建造しており、コンバーターとパールさえあれば自分たちの世界を再建する
惑星に行けると言う。フィリットも自分がミールの滅亡を招いたことを認める。

ヴァレリアンはパールを、ローレリーヌはコンバーターをヒューマノイドに返す。皇后は娘の魂を取り戻す。
オクト=バー将軍の兵士がヒューマノイドたちを取り囲むが、ヴァレリオンとローレリーヌは昔のアポロ宇宙船
から将軍に連絡して真実を伝える。フィリットのロボット兵士たちが将軍の兵士とヒューマノイドを攻撃して退け
られ、ヒューマノイドの宇宙船は発進し、フィリットは逮捕される。
ヴァレリオンとローレリーヌは宇宙空間を漂うアプロ宇宙船の中で救助を待つ。(wikipedia)

<IMDb=★6.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:48% Audience Score:53% >
<Metacritic=51>
<KINENOTE=71.5点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-23 23:20 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ホース・ソルジャー 12 Strong」
2018 アメリカ Alcon Entertainment,Black Label Media,Jerry Bruckheimer Films,Lionsgate and more.130min.
監督:ニコライ・フルシー 原作:ダグ・スタントン『ホース・ソルジャー 米特殊騎馬隊、アフガンの死闘』
出演:クリス・ヘムズワース、マイケル・シャノン、マイケル・ペーニャ、ナヴィド・ガネーバン、トレヴァンテ・ローズ他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
プロデューサーの一人にジェリー・ブラッカイマーが入り、彼のプロダクションも製作に加わっているが、
ストーリーの展開とアクションはブラッカイマーのニオイがする。さて、本作は実話に基づいているが、
原作の"米特殊騎馬隊"というのに惑わされると、おや?と思うだろう。これは騎馬隊という既成の部隊の
話ではない。9.11以降、タリバン、アルカイーダらの掃討作戦に一番乗りした部隊が移動の手段が馬しか
無くて、しかたなく騎馬になったが、その活躍が目覚ましかった、ということなのだ。だから邦題も、良く
付けたとは思うけれど、原題の「12人のツワモノ」という方がストーリーには沿っているだろう。

この部隊の活躍は長く秘密扱いにされていて、完成したワンワールドトレードセンターの前に騎馬像が出来るに
及んでアメリカ市民の知るところとなり、その英雄的活躍は小説となり映画となったのだった。

物語はまず9.11前に発生した大型テロを紹介し、遂に起きた9.11へと繋ぐ。そして主人公ネルソン大尉(ヘムズ
ワース)の登場だ。彼はグリーンベレーの中東担当のある部隊を率いてきた隊長だが、事件直前に内勤に異動に
なっていて、それを機に隊は解散の命令が出ていたのだった。だが、アメリカへの攻撃にネルソンは元へと戻る
ことを願い出る。一旦は却下されるが、長い間チームに居た准尉スペンサー(シャノン)の進言もあり、部隊は
元へと戻される。そして、タリバン掃討のいわゆるアフガン戦争の一番乗りとしてアフガニスタンに乗り込んだ
のだった。その部隊12人の過酷な戦いを描いたのが本筋だ。

当時のアフガニスタンは北部連盟の支えとして戦ってきたマスード将軍が暗殺され、複数の軍閥とタリバンが
覇権を争うという複雑な状況になっていた。そこに投入されたネルソンの部隊はドスタム将軍の部隊と合流し
アルカイダとタリバンに占拠されている重要都市マザーリシャリーフを奪還するために出撃した。雪が降り
始める前に片付け無くてはならない。その期間はたった3週間だ。

そこからこの映画の真骨頂が始まる。つまりハイライトに至るまでがやや長い気がした。物資が不足している
米軍は移動手段には北部同盟が使う馬しかない。ネルソンこそ牧場育ちだが、他のメンバーは殆ど馬など
乗ったことがない兵士ばかりだ。しかし、彼らは何とかしていくのだ。何を考えているのか分からない北部
同盟、言葉の問題、格好からは誰が味方で敵なのか分からない、山が厳しくて衛星通信とかGPSが役にたたない
などの逆境を乗り越えて、次第にマザーリシャリーフに近づく。タリバンを率いるのはドスタムの家族を殺した
男、ドスタムには復讐心が燃え上がっている。

戦いは基本、テロリストらの基地の座標をドローン爆撃機やB52に伝え、攻撃してもらい、漏れた部隊を
地上から攻撃する、という繰り返しだった。割と地味なのだが、現代の戦いというのはそうしたもので、
テロリストは山肌の洞窟などに隠れて接近戦を展開する作戦だ。バラバラに散っているテロリストを掃討する
のは容易ではない。しかもテロリストたちの武器は近代的である。そうした派手さのない戦いの中に今の
戦いの消耗ぶりが浮かぶ。ドスタム将軍が語った「アメリカ軍とてアフガンの一部族に過ぎない。逃げれば
卑怯者、留まっても追われる。」という言葉が印象的だった。
そして兵士の一人が言う、「この地はアレキサンダー大王の昔から外からの勢力の占領にさらされてきた」と
いう言葉も。事実、直前にはソ連の侵攻があったばかりだ。そうした土地に世界平和を信じる国民が育つとは
思えないのは確かだ。タリバーンやアルカイダは歪んだ世界のパワーゲームが生み出した悲しい怪物だとう
ことが出来る。ムジャヒディーンたちは死を恐れず、死のあとに待つ天国こそ行くべき所と考えている。
ドスタムはネルソンに胸を叩いて、我々はココで戦う。兵士でなく、戦士だ。お前も戦士になれ、と語る。
そこは太平洋戦争時の日本軍の過度の精神主義に似たものを感じた。

結果、一人の死者も出さずに米軍とドスタム将軍の部隊はマザーリシャリーフを解放し、ネルソンとドスタムは
長い友情を誓ってそれぞれの故郷に戻っていった。だがアフガンでは今でも平和は訪れていない。
映画の底辺を流れるのはグリーンベレーたちの英雄譚であり、米国にとっての正義の戦いを描くものなので、
アメリカ人の愛国心を刺激する内容だ。今回WOWOWでの鑑賞であったが、「W座」の小山薫堂も指摘して
いたように「正義の戦いと称する戦闘で殺人を肯定することは出来ない」。
その辺りの本作の「米軍バンザイ」の論調に引っかかりを覚えて観終わったのだった。

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<ストーリー>
アメリカ同時多発テロの直後、最初の反撃作戦に挑んだ陸軍特殊部隊の実話を映画化した、ジェリー・ブラッ
カイマー製作による戦争ドラマ。最新の兵器を備えたタリバンに対し、現地の武装勢力とともに馬を操った
戦術で果敢に戦いを挑む特殊部隊の隊長を、『アベンジャーズ』シリーズのクリス・ヘムズワースが熱演する。
(Movie Walker)

2001年9月11日、アルカイダによるアメリカ同時多発テロ事件のその翌日、アメリカ軍は反撃することを
決定する。そこで元アメリカ軍特殊部隊のODA595だったが内勤を志望したとによってODA595を解散させて
しまったミッチ・ネルソン大尉は、最も危険な対テロ戦争の最前線部隊に志願し、解散状態から復活した
ODA595での特殊作戦の隊長に任命される。

しかしわずか12人でアフガニスタンへ乗り込むのはほぼ死にに行くようなものであったがネルソン大尉は
生きて帰ることをマルホランド大佐に約束した。アフガニスタンに詳しい反タリバンの地元勢力を率いる
ドスタム将軍と手を結び、テロ集団アルカイダの拠点マザーリシャリーフを制圧することを命じられた。
しかし天候の問題から制圧は3週間という極めて少ない期間だった。
だが、現地に着いた彼らに、次々と予期せぬ危機が襲いかかる。敵の数はまさかの5万人、最新の武器も
揃えており装備でもアルカイダのほうが勝っていた。しかも彼らは米兵の命に高額の懸賞金をかけていた。
さらに、将軍から険しい山岳地帯で勝利を収めるための最大の武器は、ほとんどの隊員が1度も乗ったことの
ない“馬”だと言い渡される。(wikipedia)

<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: Audience Score: >
<Metacirtic=54>
<KINENOTE=71.4点>


by jazzyoba0083 | 2019-04-15 23:20 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)