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●「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ Yankee Doodle Dandy」
1942 アメリカ Warner Bros.126min.
監督:マイケル・カーティス  音楽:ジョージ・M・コーハン
出演:ジェームズ・キャグニー、ウォルター・ヒューストン、ジョーン・レスリー、ローズマリー・デキャンプ
   ジーン・キャグニー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
この時代のニュージカルは大好きで、よく観ている。本作も何回か観ている。いわゆるMGMやコロムビアの
エンターテインメントの作品とは趣を異にしていて、「ブロードウェイの父」と云われる演出家、作詞作曲家、歌手、
ダンサー、振付師、であったジョージ・M・コーハンの伝記映画という形を借りた、国威発揚、国民奮起増進型映画。

今でもアメリカ軍でよく歌われている「Over There」を作った人物としても知られる。コーハンは1878年に生まれ
1942年、つまりこの映画の完成の年にガンにより没している。一家そろって軽演劇に出演し、舞台を主な活躍の
場として、ボードビルやミンストレル、の要素を取り入れたショーを得意としていた。つまり幼い頃から舞台経験が
あり、一時期は「てんぐ」になっていて「嫌な奴」だった時期もあったようだが(その下りは映画に出てくる)、
両親の指導で、ギヤチェンジし、天才の花が開いた。

作品は1937年に10年ぶりで舞台に復帰したコーハンがフランクリン・ルーズベルト大統領を時に辛口に、時に
持ち上げて観衆を沸かせるショーを公演して当たっていたのだが、それを聞いたルーズベルト大統領本人から
ホワイトハウスに招かれ、自分の生い立ちを語りは始める・・・という形で始まる。

少年時代、妹が生まれ成長すると、親子と兄妹で、「コーハン4人組」を結成し、ジョージの作品と曲で構成された
ミュージカルを持って全米を公演して歩いたのだ。そのステージの出来の良さは評判となり、やがて伴侶となる
メアリーとの出会い、コーハンの良き理解者で優秀なプロデューサーとなったはリストの出会い、さらにコーハンの
曲を有名にしてくれた女性舞台歌手との出会い、そうした一連のサクセスストーリーで物語が進んでいく。

やがて両親も妹も亡くなり、一人になり、引退。妻メアリーと世界旅行をして、農場に引きこもっていた。そこに
冒頭で書いたルーズベルトを主役とした舞台の声がハリスからかかったのだった。ルーズベルトは「Over There」の
作曲などにより国に貢献してれたとして話を聞き終わった時に、コーハンに勲章を授けたのだった。時あたかも世界は
二度目の大戦に飲み込まれようとしていた。

実際はこの映画を作っている最中に真珠湾攻撃が起き、国民に対する戦意高揚の色彩がぐんと増した作品となった。
映画の中で打ち振られる星条旗の数は尋常ではない。この映画の本国での評価が高いことは映画の出来とは関係ない
ところの愛国者としての加点があるのではないか、と想像するのだ。
だからといってコーハンの業績が腐される筋合いのものでもないが。当時はこうした映画が沢山作られ、MGM映画や
コロムビア映画とて大同小異であった。

面白いのはこの映画、コーハン役を最初フレッド・アステアに持っていったところ断られ、ボードビリアン出身で
あるキャグニーにお鉢が回ってきて、映画会社の縛りの関係で、監督を、あの「カサブランカ」「ミルドレッド・
ピアース」「ホワイトクリスマス」のマイケル・カーティスが担当することになったのだという。
キャグニーのステージでのダンスはいかにもボードビリアン的でアステアと比較すると泥臭い。ステージの展開も
そうだ。だが、結果的にこれはアステアでなくて正解だった。

ここでコーハンの生涯とアメリカの戦争を時系列的に並べてみると、彼が生まれたときが1878年。
南北戦争が1861~65、米西戦争が1898、ハワイ併合も1898、第一次世界大戦が1914、ベルサイユ条約が1919、
(初のトーキー長編映画の上映は1927)ナチスのポーランド侵攻が1939、そして真珠湾が1942と、コーハンの
人生には何かしら戦争が付いて回っていたような時期だった。こうした中でアメリカが第一次世界大戦に参戦した
1917年に作られた「Over There」は、勇ましい戦意高揚の歌として国民に膾炙されるようになった。
この歌が大きなキッカケとなり、先に述べたように、コーハンは1940年、ルーズベルトから勲章を貰ったのだ。
芸人として「議会金勲章」を貰ったのは彼が初めてだった。

我々がアメリカのミュージカルと言うと、アーヴィング・バーリンとかリチャード・ロジャーズとか、
コール・ポーターとかという作曲家の名前が口について出てくるわけだが、映画でヒットした作品もほとんどが
元を正せばブロードウェイの舞台の成功作。この先鞭を付けてきた(pathfider)がジョージ・M・コーハン
だったのだ。彼の作った曲は日本ではそうポピュラリティを獲得たわけではないが、舞台においてミュージカル
ショーの原型を完成させた広い才能は、アメリカではパイオニアとして当然のこととして理解されているのだろう。

NYのタイムズスクエアには作詞家オスカー・ハマースタイン二世らが寄贈したコーハンの銅像が建っている。

作られた時期や彼が作った国威発揚歌などからプロパガンダの匂いがする映画になったことは仕方がないとして、
コーハンの業績は永遠なのだ。

因みに「ヤンキー・ドゥードゥル」とは、アメリカの独立戦争の時に歌われた作曲者不明の歌で、日本では
「アルプス一万尺」として知られている。「ドゥードゥル」とは「間抜け」というほどの意味らしい。
この歌は現在コネチカット州の州歌となっているという。

というわけで、本作はアメリカのミュージカル史に興味がある人にはとても面白く、そうでもない人には
モノクロだし、ちょっと、かもしれない。キャグニーは本作でオスカーの主演男優賞を獲得している。
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<ストーリー:結末まで書いてあります>
1937年、ジョージ・M・コーハン(ジェームズ・キャグニー)はほぼ10年ぶりに舞台にカムバックした。
この作品でコーハンはフランクリン・D・ルーズベルト大統領を演じたが、何とその大統領自身から
ホワイトハウスへの招待の電報が届いた。そこでコーハンは大統領と対面し、自分が歩んだ道を回想する。

彼の父ジェリー・コーハン(ウォルター・ヒューストン)、母ネリー(ローズマリー・デ・キャンプ)は
ともにボードヴィルの芸人だった。やがて妹ジョニーも生まれ、一家はコーハン4人組として巡業を続けた。

旅から旅の暮らしでコーハンも大人になり、あるとき白髪の老人役をやった。その舞台を見ていたのがのちに
結婚することになるメーリー(ジョーン・レスリー)だ。コーハンは彼女の歌を認め、劇場主に無断で自作の
歌をうたわせたことが原因で劇場主と大ゲンカ、完全にほされてしまう。そこで作詞・作曲の仕事に活路を
求めるが、買ってくれるところもなく失意のドン底をはい廻るが、のちに製作者としてコンビを組むことになる
サム・H・ハリス(リチャード・ウォーフ)とめぐり会いついに「リトゥル・ジョニー・ジョーンズ」の上演に
こぎつけた。これは初期のコーハンの代表作となり、彼はスター街道を歩み始める。

そして2年後の「ブロードウェイから45分」でも成功を納め、ブロードウェイにはジョージ・M・コーハンの
時代がやってくる。やがて第2次世界大戦が始まった。コーハンは入隊を志願したが年齢オーバーではねられ、
代りに前線慰問に情熱を注いだ。1920年代のブロードウェイは以前にも増してコーハンの時代になり、いくつもの
劇場で彼の作品が上演された。仕事の上では絶頂期を迎えたが、代りに次々と家族の死に見舞われた。
プロデューサーのサム・H・ハリスとも長年のコンビを解消、1928年の「ビリー」で引退。
妻のメーリーと世界旅行に出て、帰国後は農場で暮らすようになった。10年もたつと彼の名前すら知らない
若い人が出てくる、そんな時代になった。その頃、旧友サム・H・ハリスからカムバックの要請が来た。
それが「私はむしろ正しくありたい」だった。長い回想が終わったとき、大統領は彼に名誉勲章を授けた。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:92% Audience Score:83%>






by jazzyoba0083 | 2018-07-29 11:50 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「汚れたミルク/あるセールスマンの告発 Tigers」
2014 インド・イギリス・フランス Cinemorphic,Sikhya Entertainment,Asap Films.94min.
監督:ダニス・タノヴィッチ
出演:イムラン・ハシュミ、ギータンジャリ、ダニー・ヒューストン、ハリド・アブダラ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
まず、この映画の中に「ネスレ」という企業名が出てくる。誰でも知る世界一の食品企業である。
よくこの名前を出したな、と感心した。この映画、地上波では絶対に放送されないだろう。

本作で描かれている事件は実際に起きたもので、「スノーデン」と同様に告発者とそれを報道しようと
するメディアとの掛け合いで進行するのだが、その中で映画化を担当するプロデューサーから
「実名はまずいだろう。仮名で行こう」というセリフを言わしている。その後、本作の中では
ネスレの名前は出てこない。出てこないが故にこのひとことが強烈に記憶に残る効果を果たしている。

さらに問題をややこしくしているのは、粉ミルクに瑕疵があって乳幼児に危害が加えられたわけ
ではないことだ。欧米の一流メーカーの粉ミルクは母乳より良いに違いないという教育の不足(そのため
多くの母親の母乳が出なくなり、粉ミルクばかり飲むので免疫が弱い)と、高価な粉ミルクを無理
して買うため、水で薄めて与えるので栄養失調になり、かつパキスタンの劣悪な上水道事情から
汚い水で薄めるため感染症となり、更に免疫が低下している赤ちゃんはあっけなく死んでしまう、
という構図の事件だったからだ。ネスレが罪を認めないのは当たり前のような気もしてしまう。が、
1960年70年の東南アジアはどこも似たり寄ったりで、贈収賄を罪とも思わぬ風潮の中で、巨大企業が
金にものを言わせて医師や病院を囲い込み、母親教育も、水道事情も考えず、売らんかな、一辺倒で
あったことは、ネスレだけにとどまらず、いや今だって、金儲けのためには売ったものの結果に責任を
持たない企業は多いのではないか。そういう風潮をタノヴィッチは告発しているのだ。
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パキスタン。国産の薬を医師や薬局に売り込む営業マン、アヤンは、欧米製の薬を高価なのに
有難がる風潮の中、苦戦していた。結婚することになり家族に背中を押されたこともあり、
ライバルだった世界最大の多国籍企業の営業マンの採用試験を受けることになる。もともと
腕は良い営業マンだった上、試験のときのハッタリが効いて採用となる。

彼の仕事は、医師に袖の下を渡し、看護師らにチョコレートなどの贈り物をし、自分の会社の
製品(この場合主に産科に於ける粉ミルク)を購入してもらうことだった。あざといやり方では
あったがパキスタンでは贈収賄は当たり前の風土で、貰う方も贈る方も大した罪悪感を感じて
いない。やりてのアヤンはたちまちトップ営業となり、会社からバイクを与えられたり、
家を新築したりと羽振りが良くなった。

問題はここからだ。映画は、「アヤンが何かを告発する映画」を作ろうとするため、遠いところに
いるアヤンとテレビ電話で結び、プロデューサーやディレクターらが映画化が可能かどうか議論して
いるところから始まる。それが何か、アヤンが何をしていたのかが、さかのぼって描かれていくと
いう構造になっている。

カラチに研修に行って返ってきた医師から、アヤンの会社が販売している粉ミルクを飲む乳幼児が
母乳より欧米製の粉ミルクのほうが子供のためによいだろうと盲信する母親が、貧乏のために
水で薄めて使っており、その水が汚いので、赤ちゃんが下痢を起こして次々と死んでいるという
事実を突きつけてきた。

アヤンは自分が売っていた粉ミルクのために多くの赤ちゃんが死亡している事実に愕然とし、毅然と
会社を辞め、人権派NGOの力を借りて、事件を告発しはじめた。WHOに手紙を書いたことからアヤンと
付き合いのあった医師たちはたちまち指弾され、アヤンはパキスタン中の医師と病院を敵に回して
しまったのだ。結婚して子どもも大きくなったアヤンだったが、妻は夫の信念をあくまで支持していた。

プロデューサーらはドイツのテレビ局に話を売り込み、放送時間の確保に成功、アヤンはドイツに行き、
テレビ出演することに。そしてパキスタンではアヤンとその家族の様子、病院の様子が取材された。
ドイツでは粉ミルク企業の役員がスタジオでインタビューされ、自分たちに責任は負えない、と席を
立ってしまう光景が収録された。またNGOが出版した冊子からスキャンダルに火が付いた。事態は
いい方向に行くと思われた。しかし、アヤンが軍の病院長のところに軟禁状態であったとき、たまたま
粉ミルク企業の元上司との電話で、カネで解決する方向の事を喋ってしまったため、それがドイツの
テレビ局に知れてしまい、放送は中止となってしまう。(喋ってしまったことは企業側が誘導した
罠のような感じがした。アヤンもそう思っている)アヤンはカナダに逃げる。家族とは7年も会えて
ないし、両親の最期にも立ち会えなかった。アヤンの告発は結局空回りになってしまったのだ。

アヤンはカナダでタクシー運転手をして暮らしている。2007年には子どもや妻に会えている。
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映画の構造は「スノーデン」そのままである。結局巨大な権力や企業は、ぬくぬくと悪しき慣行を止めない。
そして社会にはそれに目を瞑る大勢がある。「物言えば唇寒し秋の風」だ。そうした大勢に対し、敢えて
告発の映画を作った製作者と監督と、出演者に拍手を送りたい。誰かが声を挙げなければいけないからだ。

<IMDb=★7.0>
<Rotten Tomatoes=No data>




by jazzyoba0083 | 2018-07-13 22:50 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「山猫(完全復元版) Il gattopardo」
1963 イタリア Titanus (Rome)Société Nouvelle Pathé Cinéma. 187 min.
監督:ルキノ・ビスコンティ 原作:ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
出演:バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ、リナ・モレリ、パオロ・ストッパ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
イタリアの映画史に出てくる巨匠と呼ばれる監督の作品は殆ど観ていないと、かつて(「ヴェニスに死す」の時)
書いた。それを書いた時にヴィスコンティを初めて観たのだった。そして今回、NHKBSで「山猫 完全復元版」を
放送してくれたので、Rotten Tomatoesで評論家から100%という支持を貰っている作品がどのようなものであるか、
再度この巨匠に挑戦してみた。長いなあ。

19世紀中頃のイタリアはシチリア島の貴族のドラマだ。ヴィスコンティの作劇が一体どのような精神背景が
あるのか、深く観ているわけではないから分からない、というのが正直なところだが、「ある貴族の諦観」のような
ものを感じた。特にラストシーンからは強く。長い物語で日本人には馴染みのない土地や家名が出てくるので
整理にやや苦労するところはあるものの、流れとしては難しい事を描いているわけではない。むしろ、貴族の
普通の暮らし(貴族に普通の暮らしがあるのかどうかは知らないが)を粛々と描くことによって、主人公サリーナ
公爵(ランカスター)の考えや、周りを取り巻く人間の思惑が浮かび上がってくる構造ではなかったか。

サリーナ公爵、甥のタンクレディ(ドロン)、俗物である市長、その娘でタンクレーディと結婚することになる
アンジェリカ(カルディナーレ)、そしてタンクレーディを愛しつつ、彼が自分を選んでくれなかったことを悲嘆
(半ば怒り)に暮れる公爵の娘コンチェッタという人物を中心として物語は進む。

貴族として先祖から長い間シチリアに暮らし、時あたかもイタリアに自由運動が押し寄せ、ファブリッツォも流れに
身を任せるしか無いような時代となった。変わり身の早いタンクレーディは、一時自由戦線に加わったかと思うと、
世の中が落ち着くとさっさとそこを抜け王国側に付き、更に俗物市長の娘と知りつつ結婚する。それとてアンジェリカを
どの程度愛していたのかは不明である。

ファブリッツォは恐らく貴族間の政略結婚だったのだろう、愛していない妻がいた。彼は極めて常識人で口に出す
言葉はいちいちその通りだ。そうした環境で貴族院議員に推挙されるのだが、「シチリアは変化を望まない。眠りに
つきたがっているのだ」と断ってしまう。ファブリッツォとタンクレーディは対比される存在。そのままでありたいと
思うか、常に変化に柔軟に世の中を渡るか、それは「ヴェニスに死す」で描かれた初老の芸術家と美少年との対比とも
似ている。滅びゆくもの、老いて消えていくもの、それに対して、伸びゆく若いエネルギー、美しい若さ、変化して
行くもの。貴族と新興勢力、老いと若さ、それに対する主人公の絶望的な悲しみと諦観。

そして圧巻である全編の三分の一を占めるタンクレーディの結婚祝賀ダンスパーティのシーン。
「かつて、われわれは山猫であり、オオカミだった。今や羊や野犬が取って代わろうとしている・・」ファブリッツォの
このセリフを導入部とする、このシーンにこそ映画のタイトルを表すと同時に映像を通した本作のヴィスコンティの
主張があったのではないか、と感じたのだった。特にアンジェリカと踊るシーンには、就中その意味合いが深く表れて
いた。
2作しか観ていないヴィスコンティの映画だが、そうした「(性的な側面も含め)高踏的」な(ヴィスコンティ自身貴族で
ある)人生観へのアプローチを強く感じたのだった。

どのカットも一幅の絵画を思わせる計算され尽くした画角と色彩。その色彩を演出する貴族らの衣装。赤と青の対比。
映像としての「ヴィスコンティ芸術」の極致なのだろう。この映画はイタリア語がマストであるわけだが、アメリカ
人のランカスター、フランス人のドロンとも極めて上手くイタリア語を操っている。が、ネタバラシで申し訳ないが
彼らのイタリア語は吹き替えである。それがこの映画の価値を落としてはいないけれど。

ヴィスコンティ、機会があれば、名作と言われる「地獄に落ちた勇者ども」「家族の肖像」あたりは機会があれば
観てもいかもしれない。

ラストシーンで、場末の教会前にひざまずいたファブリッツォの、明けの明星、金星に向かって独り言つ
「いつになれば永遠の世界で会えるのであろうか」とは、何の意味を含んでいるのであろうか。ファブリッツォに
とって金星とは何か。「滅びゆく己の死への希求」こそ「希望」なのだ、という「諦観・達観」であったのだろうか。
人生の儚さを含みつつ映画は終わった。
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<ストーリー>
1860年春。イタリア全土はブルボン王朝から、国王ビクトル・エマニュエルの統治下に入った。シシリー島の名門を
誇っていたサリナ公爵(バート・ランカスター)にとって、政治的変動は大きなショックだった。
そんなある日、サリナ家は田舎の別荘に出掛けた。一行の中、公爵の甥タンクレディ(アラン・ドロン)は
ブルボン王朝側と戦った革命派で早くも公爵の娘コンセッタの心をとらえていた。

一家が田舎に着くと村長のドン・カロゲロ(パオロ・ストッパ)が歓迎会を開いた。彼は新興ブルジョアの一人だ。
コンセッタはタンクレディと結婚したいとまで考えていたが、村長の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)の
出現が、タンクレディをひきつけ、彼が求婚までしたと聞いて絶望した。

タンクレディが所属連隊に復帰すると間もなく公爵に手紙を送り、アンジェリカとの挙式の手配をしてくれと頼んだ。
公爵夫人(リナ・モレリ)は彼を貴族を裏切るものだとののしった。公爵にとっては、娘の心の痛手もつらいがその縁組が、
彼の貴族としてのプライドの故に嫌悪とバツの悪さを意識した。タンクレディとアンジェリカは毎日のように会い、
愛情は燃え上った。アンジェリカも平民の娘と思えぬ程の気品を初めての舞踏会で漂わせた。その席で公爵は急に自分の
老いと孤独を感じた。アンジェリカの求めに応じて踊ったものの、何となくその場にそぐわない気さえする。
時代は代ったのだ。歴史の大きな歯車は少数の人間の意思とは全く無関係に回転していくものなのかもしれない。
公爵はやがてくる自分の死を考えていた。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audience Score:89%>




by jazzyoba0083 | 2018-07-09 23:55 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「ユー・ガット・メール You've Got Mail」
1998 アメリカ Warner Bros.119min.
監督・(共同)製作・脚本:ノーラ・エフロン 戯曲原作:ミクロス・ラズロ
出演:トム・ハンクス、メグ・ライアン、グレッグ・キニア、パーカー・ポージー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
1990年代初頭ごろから映画のジャンルに「ラブコメ」「ロマコメ」という
ものが出来たような記憶がある。その女王といえば何と言ってもメグ・ライアンだった。
メグは、本作以降は「ニューヨークの恋人」に出演、後の作品は日本では殆ど劇場
未公開となりその姿を見かけることがなくなっている。まだ56歳。若い頃のキュートな
イメージから抜けられず苦労しているのだろうか。まだまだ活躍して欲しい女優さん
ではある。お相手のトム・ハンクスに比べてしまうと余計にそんな感じを受けるのだ。

閑話休題。トムとメグは3回共演していて、本作はその最後となる作品。
「ジョー、満月の島へ行く」(日本劇場未公開 1990)、そしてこの二人と
言えばこれ、という決定版「めぐり逢えたら」(1993)、最後が前作と比べても
その出来は落ちていない本作である。

「めぐり逢えたら」の主役二人と監督は同じ。故に演出のテイストは似ている。
惜しくも2012年に病を得て亡くなってしまったノーラ・エフロンの、安定した
演出、主役二人(も上手いんだけど)の、その演技を上手く引き出す才能が早々に
失われたのは残念である。二つの映画には下敷きが有り、前作は「めぐり逢い」
であり、本作は「街角/桃色の店」(1940)である。

そしてエフロンの特徴として街角の雰囲気を取り込むこと、有名な音楽を使って
いることが上げられよう。本作でも、ロイ・オービソンやハリー・ニルソン、
ビリー・ウィリアムズといった歌手たちのシーンにフィットした歌が使われている。
さらに、背景となる季節としてハロウィンから感謝祭、クリスマスというアメリカ人には
絶対に外せないホリディシーズンをうまく話に取り入れている。このシーズンと
いうのはアメリカ人にとって感情が高揚する特別な時期なんだろう。

恋人との物語というとコミュニケーション手段を描かざるを得ず、映像に
時代の流れを感じざるを得ない。仕方のないことだけど、一方で旧作を見る上での
ファッションと並び当時の風俗を楽しむという手もある。
前作「めぐり逢えたら」でキーになるのはラジオと手紙であった。それから5年経つと
メール、テキストのチャットという時代に入っている。トムとメグはオンラインで
ハンドルネームしか知らない相手とメールを交わすという設定が物語のキモになって
いるわけで、彼らが使うメーラーが当時一世を風靡したAOLだ。AOLはメーラーを
開いてメールが来ていると男の人の声で「You've got mail」と言ってくるのだ。
実は私もこれが欲しくて、AOLに加入し、今でも使っている。今の日本版は
「メールが届いています」って、味気がない男の声になっちゃったけどね。
二人共恐らくIBMのラップトップを使っているのだが、まだ通信が懐かしき
ダイアルアップで「キュー・・・ギョロギョロ、ピー シュー・・・」という音で繋がる
やつ。

で、トムは安売りの大規模書店を経営する一家の御曹司、メグはNYの街角で
母の代から子供向けの絵本などを売る街の書店の二代目経営者。
二人はお互いを知らずにメールやチャットを続け、仕事の愚痴を言ったり
その日に起きたことを綴ったりしていた。ちなみに二人共同棲している。
トムの会社がメグの店の近くに、商売敵となる大型安売り書店を作ることに
なり、事情をしったリアル世界のトムとメグは犬猿の仲となってしまう。
しかし伏線として、書籍関係のパーティー会場でメグを見るトムの目はメグに
強く惹かれていることを示唆している。

オンライン世界の二人はやがて会おうか、ということになるのだが、トムが待ち合せした
店に行くと待っている女性が、あの街角の書店のオーナー、メグであることが判明する。
が、まさかメールの男であるとは知らない。

偶然を装ってメールの相手を待っているメグにあれこれいうが、メグは大型
書店のトムに嫌味を言いまくり、辟易したトムは退散するのだが、メグは悪口を言って
しまったことに自己嫌悪を覚え、そのことをメールに書く。それを読んだトムは
再度、会うことを決心。その頃までに二人共同棲相手とは別れていた。
トムの大型書店がメグに書店の直ぐ側にオープンしたことによりメグの店はやはり客が
減ったこともあり店を畳むことにした。それに対して責任を感じるトム。

そしていよいよ二人が会うことになるのだが。
ラストのオチがちょっとうまく出来過ぎな感じがするのだが、当時のデバイスを
使ったロマコメとしてはよく出来ていると思う。今ならスマホでのやり取りと
いうことになるのかな。この映画では、何故かガジェットとして携帯電話は全く
出てこない。今からたかだか9年前の映画だが、コミュニケーションデバイスの
進歩には驚くばかりだ。あっという間に陳腐化してしまうのだから。

ロマコメはラブコメほど、会話のやり取りのギャグやユーモアとか気の利いた
セリフとかの要求度合いが低いと思うので、トムとメグのやりとりで思わず笑って
しまうということはあまりない。それよりも全体のストーリーで持っていくという形。
ただ、ボートの中でのトムと父親のとの会話は面白かったけど。

監督の映画全体の思いとしてはオンラインより実際に会うこと、パソコンより本
という主張が見えてくるのだが、前者は今でも言えるが、本について言えば
Amazonの登場以降、本作に出てくるような書店も消えていく運命だろう。
あの時代だからこそ出来た平和な映画だったとも言える。9.11以前のNYだし。

それにしても、ショートの金髪のメグ・ライアンが輝いていること!
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<ストーリー>
監督N・エフロン、主演T・ハンクス&M・ライアンという「めぐり逢えたら」の
ゴールデン・トリオが再び顔を会わせ、Eメールといういかにも今風の題材に
挑戦したラブ・ストーリーだが、実は1940年に製作されたエルンスト・ルビッチの
「桃色(ピンク)の店」のリメイクにあたる(旧作では文通が手段となっていた)。

 ニューヨークで小さな本屋を営むキャスリーンは恋人がいるにも関わらず
インターネットで知り合ったメール友達“NY152”とのやりとりを何よりも
楽しみにしている。店の近くに大手の本屋チェーンがオープンするのが少し
気がかりだが、そんな悩みも“NY152”の存在が和らげてくれる。

その大手チェーンを経営するジョーは商才はあるものの、女性に対して今一つ
のめりこめない性格で、彼もまた“ショップガール”というハンドルネームの女性と
Eメールで話をするのが今もっとも楽しい事だった。
やがてジョーはキャスリーンの店で彼女に出会うが、自分のチェーン店が彼女の
店にとって障害になることが判っているだけに複雑な気持ちだ。
互いの立場がはっきり見えたキャスリーンとジョーは犬猿の仲になっていく。
そんな二人にとってはメール友達との会話だけが心の拠り所。そしてキャスリーンは
“NY152”から直接会う事を提案されるのだが、待ち合わせ場所に現れたのは
なんとジョーだった……。(allcinema)

<IMDb=★6.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:69% Audience Score:73%>






by jazzyoba0083 | 2017-09-25 22:30 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「ヤング・アダルト・ニューヨーク While We're Young」
2014  アメリカ Scott Rudin Productions 95min.
監督・脚本・(共同)製作:ノア・バームバック
出演:ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライバー、アマンダ・サイフリッド
   チャールズ・グローディン、アダム・ホロヴィッツ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
自分の今、置かれている立場とか年齢によって、特に年齢によって見方というか感じ方が
変わる作品だと思う。私はちょうどこれからリタイア生活に入るところなので、いろいろと
考えさせられた。「若さ×老い」という縦軸と「ドキュメンタリー映画」という横軸を上手く
絡めて構成された脚本だが、いささかこねくり回し過ぎで、よくわからないところもあった。

ラストのナオミ・ワッツのセリフ「ついに悪魔が放たれたわね」、に対し、ベン・スティーラーの
「そうじゃないよ。彼が若いというだけのことさ」、と返す。そして目の間でスマホを自由自在に
操る1歳位の男の子に刮目する二人のアップ。ここに本作の主旨が現れていたのではないか。

高名なドキュメンタリー映画監督を父に持つコーネリア(ナオミ・ワッツ)、その夫ジョシュ
(スティラー)は、ドキュメンタリー映画監督・作家だが、もう長いこと自分の作品が出来ていない。
そんな折に、知り合ったジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・サイフリッド)の
カップル。ジョシュとコーネリアには子供がいない。2度の流産を経て子作りを諦めていた。
しかし、周囲の友人たちはみな子供をもち幸せそうだ。一方ジョシュは最近関節炎だの老眼だの、
体に老いも感じるようになってきた。44歳だ。

自由気ままに生きる若いジェイミーとダービーに、ジョシュは憧れや羨ましさを感じつつ、深く
付き合うようになる。同じドキュメンタリー映画監督を目指すジェイミーは、ジョシュ夫妻の
手助けもあり、なかなか良いドキュメンタリー映画を作れそうな気配だ。一方自分の作品は
編集しても6時間半もある。

しかし、若いジェイミーには成功野心が満々で、偶然出会った良いネタも実は仕組んでいたことが
明らかに。ジョシュは憤慨するが、妻も、妻の父である大監督も、そのことを大事なことと
捉えてくれない。立場がなくなるジョシュ。ヤラセをしたにもかかわらず、成功を収めていく
ジェイミー・・・・。

結局、ジョシュとコーネリアは何を求めていたのだろう。子供に幸せを感じることが出来ず、
若いカップルの自由な才能に憧れ、妻の父の大監督にコンプレックスを感じ、まったく自分自身を
見失っていたのだ。誰になりたい?自分自身にならなくてはならないだろう。人にはなれないし
なる必要もないのだ。さまざまなトラブルの中からやがてジョシュとコーネリアは答えを見つけて
いく。

1年後、二人は養子を迎えることにした。そして雑誌には成功したジェイミーのインタビューが掲載され
ていた。彼らは負けたのか?いやいや、「ジェイミーが若い」というだけのこと。ジョシュと
コーネリアには他人と比較できないオリジナルの幸せがあるのだ。それに気がつくまでに時間が
かかったけど。若いからずるいことが許される、というのではなく、若さの可能性に、年を取った
ものが真似しようとしても、ムリな点は有る、それより自分らが重ねて来た時間から得たもののほうを
大切にしたほうが幸せだよ、そんな感想を得た映画だった。スノッブな感じを受ける人は評価が低そう。

カイロ・レンのアダム・ドライバーが憎めない小狡い若手を上手く演じていた。総じてキャスティングは
成功していたと思う。アマンダ・サイフリッド、ひっぱりだこですね。
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<ストーリー>
ニューヨークのブルックリンに住む40代のドキュメンタリー映画監督ジョシュ(ベン・スティラー)と
映画プロデューサー、コーネリア(ナオミ・ワッツ)の夫婦は、子供は作らないと決めていた。
ジョシュは新作をなかなか完成させられずアートスクールで講師を務め、コーネリアは著名な監督である
父の作品ばかりを手がけており、行き詰まりを感じていた。

ある日、ジョシュはアートスクールの聴講生である監督志望のジェイミー(アダム・ドライバー)と
その妻ダービー(アマンダ・サイフリッド)に声をかけられる。ジェイミーの作品を見てほしいと
招待され彼らの家に赴くと、LPレコードやVHSテープ、レトロな雑貨、手作りの家具に囲まれており、
常識にとらわれずクリエイティブな生活をする二人に刺激を受ける。ユニークなセンスを持つ若いカップルと
交流していくうちに、ジョシュとコーネリアはエネルギーを取り戻していく。
しかし野心を秘めたジェイミーの映画作りに巻き込まれていき、思いがけない人生の選択を迫られる。
(Movie Walker)

<IMDb=★6.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:84% Audience Score:51%>



by jazzyoba0083 | 2017-08-17 23:00 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

夜に生きる Live by Night

●「夜に生きる Live by Night」
2017 アメリカ Warner Bros.,Appian Way,Pearl Street Film.129min.
監督・脚本:ベン・アフレック 原作:デニス・ルヘイン『夜に生きる』
出演:ベン・アフレック、エル・ファニング、ブレンダン・グリーソン、クリス・メッシーナ、
   シエナ・ミラー、ゾーイ・サルダナ、クリス・クーパー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>

こちらにはプロデューサーとしてレオナルド・ディカプリオの名前がある。本作は
5年前ほどに出版されてエドガー賞などを受賞したルヘインの長編小説を映画化した
ものだ。WOWOWで放映されている「ボードウォーク・エンパイア」などと時期も
綴る大河な雰囲気も、似ている。

第一次世界大戦に出征した青年ジョー・コフリン(ベン)が、戦争で味わった
上から受ける不条理な命令に嫌気が差し、父親がボストン市警の幹部だというのに
一匹狼風な「無法者」となり、組織を組むマフィアギャングと対立、ここに恋愛を
絡めて綴るロアリングトゥエンティの恋愛+ノアールドラマということになろう。

ギャングの世界の駆け引きが面白く、ガンアクション、恋愛模様と、欲張っては
いるが、ありがちではあるがアンハッピーエンドも含めてエンターテインメントと
してそこそこ面白く見ることができた。才人ベン・アフレック、手堅く纏めてある。
ただ、人生訓とかを見出す映画ではないので、テレビドラマっぽい薄さは感じるが。
かと言ってエンタメに振り切ってもいないので、そのあたりが原作があるとはいえ
本作の弱みであろう。

全体の骨格は、「戦争から帰って身内のなかまだけで賭場などを襲うギャング時代」
「アイルランド系の親分の情婦を恋人にし、それがバレて情婦は殺され自分はボコボコに
される時代」「アイルランド系親分への復讐心にもえ、一転、イタリア系ギャングに加わり
フロリダ州タンパを任され、一大勢力を築く時代」「一大勢力になったがために
イタリア系親分からも命を狙われ、自分の手下を率いて、両勢力と戦う時期」
「フロリダ時代に知り合った女性を心から愛し、勢力争いに勝利を収め、隠居、
平和な家庭で静かに暮らそうとした矢先、妻が撃たれて死亡」、「死んだはずの
最初の女が実は生きていて、彼女に会いに行く」そして幼い息子を連れて、しかし
彼の人生は続く・・・。

こんな流れとなっている。これにタンパ時代に腐敗した警察のボスの娘が登場、
禁酒時代が終わりこれからはギャンブルだ、と思った矢先に、「神の意志に
反している」と大衆を扇動されて、中止に追い込まれるものの、彼女は自殺。
警官のボスは気が触れて「悔改めよ」と呟き続ける毎日、彼がジョー一家の
自宅前で乱射した銃の流れ弾に当たり妻が死亡したのだ。

この手の映画は、どのくらいドラマティック(劇的)な人生として観ている方を
飽きさせず、埋めた伏線を回収しながら、ストーリーをいかに面白くしていくか、
にかかるわけだが、原作があったとはいえ、脚本にまとめ演出し主演したベンには
はやり非凡さは感じる。全体としてエンタテインメントとしては(軟派だが)面白く
仕上がったと思った。
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<ストーリー>

『ミスティック・リバー』など数々の映画化作で知られるデニス・ルヘインの
小説を、ベン・アフレックが監督&主演を務めて映画化したクライム・サスペンス。
1920年代のボストンを舞台に、犯罪者として裏社会でのし上がっていく男をベン・
アフレックが演じる。
エル・ファニングやシエナ・ミラーなど演技派女優が華を添える。


1920~30年代の禁酒法時代のアメリカ・ボストン。ボストン警察の幹部を父親に
持ち、厳格な家庭に育ったジョー(ベン・アフレック)は、父に反発して仲間と
強盗を繰り返していた。
街ではギャングの2大勢力が対立していたが、誰にも支配されたくないジョーは
組織に入る気などなかった。しかし、一方のボスの愛人エマ(シエナ・ミラー)と
出会い、恋に落ちる。欲しいものをすべて手に入れるには、ギャングとしてのし
上がるしかない。こうしてジョーの人生は激変するのだった……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.4>
<RottenTomatoes=Tomatometer:34% Audience Score:43%>







by jazzyoba0083 | 2017-05-24 14:30 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「誘拐の掟 A Walk Among the Tombstones」
2014 アメリカ 1984 Private Defense Contractors,and more.114min.
監督:スコット・フランク   原作: ローレンス・ブロック 『獣たちの墓』(二見書房刊)
出演:リーアム・ニーソン、ダン・スティーヴンス、デヴィッド・ハーバー、アストロ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
リーアム・ニーソンは最近この手の映画が多いな。本作はローレンス・ブロックによる
探偵小説 マット・スカダー シリーズのうち「獣たちの墓」を映画化したもの。
日本での評価がやたらにいいんだな。確かに渋い探偵ものであり、ケレン味で見せず
演技や演出で見せていく作りは、玄人ウケするだろう。また主人公スカダーの、過去に
心の傷を負った「辞め警官」の無登録探偵という立場も、派手さはないがじんわり来る
面白さに繋がったことは理解出来る。個人的には、そこまでかなあ、という感じがした。

おいしくなる要素はたくさんあった。TJという病気を持った貧しいけど賢い少年の登場は
もう少し面白い立ち位置があったのではないか、また本物のDEAとの関係も中途半端な
ままだったような気がした。スカダーが最初に事件を請け負う男はヤクの売人であり、
闇の事件を闇の中で片付けるというのは、正義の置き所が一段低いので、カタルシスに
やや不満が残る。悪いやつは喧嘩させて死にさらせ、って感じになってしまうのだ。

さりながら、まとめ方は上手く、見終わってがっかり、という映画ではないことは確かだ。
細かいエピソードも上手く重ねられていて、上記の不満以外は、そこそこ面白く見ることは
出来た。
リーアム・ニーソン、この手の映画が増えると何がなんだかよく分からなくなってしまう
恨みは生まれてくるなあ。本作も続編が出来るのだろうか??
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<ストーリー>
ローレンス・ブロックの“マット・スカダー”シリーズの一編『獣たちの墓』を「96時間」
「フライト・ゲーム」のリーアム・ニーソン主演で映画化したハードボイルド・サスペンス。
残忍な犯行を重ねる猟奇殺人鬼と落ちぶれた元刑事マット・スカダーの緊迫の攻防を
スリリング描く。
共演は「ザ・ゲスト」のダン・スティーヴンス。監督は「ルックアウト/見張り」のスコット・フランク。

 1999年、ニューヨーク。かつて酒に溺れ、刑事を辞めた冴えない私立探偵マット・スカダー。
ある日、ドラッグ・ディーラーの男から、“妻を誘拐して惨殺した犯人を突き止め、捕まえて
欲しい”との依頼が舞い込む。
やがて犯人は2人組で、警察に通報できない麻薬関係者の身内ばかりを狙い、猟奇的な
凶行を繰り返していることが明らかとなってくる。
そんな中、新たな誘拐事件が発生する。被害者は別のディーラーの14歳になる娘ルシア。
同一犯の仕業と確信し交渉役を引き受けると、残忍で狡猾な犯人を相手にギリギリの
駆け引きを展開し、徐々に追い詰めていくスカダーだったが…。(allcinema)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2016-05-16 23:10 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「余命90分の男 The Angriest Man in Brooklyn」
2014 アメリカ MICA Entertainment and more.84min.
監督:フィル・アルデン・ロビンソン
出演:ロビン・ウィリアムズ、ミラ・クニス、ピーター・ディンクレイジ、メリッサ・レオ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ロビン・ウィリアムズ最後の主演作となった作品。内容が、その人とダブってしまい
別の感情が生まれてしまった。それはそれなりに訴えるものがあったと思うが。
原題の通り、「ブルックリン一の怒れる男」と彼の主治医の二人の人生を交錯させながら
人生とは何か、ということを語りかけてくる、シリアス・コメディ。怒ってばかりなので
ファ○ク、ボーシット、が多発する。
内容がいささか使い古された展開で新鮮味に欠けるが、まあ90分弱で人生を考える
内容だとこういう風になるのかな。
本作を観た人は、どうしても自分の胸に手を置いて考えてしまうのではないか。
ロビン・ウィリアムズもミラ・クニスも不満の無い演技だったが、ロビンの弟役で出てきた
同じ事務所に勤める弁護士に小人症の俳優さんを配したのはあざといのではないか。
人生を考える映画なので、台詞がところどころ教訓的である。墓石に刻まれる自分の
名前を口にして、1951-2014という刻印について、ダッシュのところが大事なんだよな、
としみじみ語るのが印象的だった。ロビン・ウィリアムズ自身がその通りになってしまった
から・・・。
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毎日怒ることでしか自分の存在を確認できない初老の弁護士、ヘンリー・アルトマン
(ロビン)に、脳動脈瘤が見つかった。はっきりしたことを告げようとしない訳あり医師シャロン
(クニス)を怒鳴り倒すと、シャロンは一時の感情から彼に「余命90分」と言ってしまう。
そこから、自分が残された90分で何ができるか必死に考えて、家族と触れ合い、旧友と
会い、ケンカ中の次男にビデオを残し、という行動をとる中で、長男が猟銃事故で亡くなって
以来、大切な人生を怒りの中で生きてきたことを反省する。「人生は一秒、一秒が輝いて
二度と来ないことを知るべきだった」と。

一方、不倫相手の医師に週末の臨時担当を任されたシャロンは、精神的に安定しない
日々を送っていて薬なしではやっていけない。そんな中で怒っているばかりのヘンリーに
診断結果をパニックの中で思いつくまま告げてしまう。仲間の医師に自分がやったことを
指摘され、必死に街中を彼を求めて探し続けるシャロン。やっとのことでヘンリーを見つけるが
彼はもうすべて遅い、ということを聞かず、橋から飛び降りてしまう。

シャロンは必死に川に入ってヘンリーを助け、二人で病院に行くことになる。途中で次男が
働くダンススクールに寄る。法律家になって欲しいと自分の価値観を押し付けてきた。次男は
幼いころに自分が教えたダンスの道で生きていきたいと主張、一家で法律事務所をやることを
夢見ていたヘンリーと喧嘩状態になっていたのだ。次男とは和解することが出来た。

結局、ヘンリーは入院して8日間生きた。その間家族と十分に触れ合い、怒らず、だった。
残された家族やシャロンたちは、川に遺灰をまくのであった。
そんなお話です。
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次男にメッセージを残そうとやってきた中古の電器店。主人は吃音で、パナソニック、フジ、
フジツウ、サムソンなどのメーカー名を必死に言おうとしていいて、フジとフジツウとどっちがいいか
と尋ねられ、「ファ○クユー」と返すところ。ラスト近く、川から飛び降りたヘンリーを助けた
シャロンはタクシーを拾うが、そのタクシーが冒頭でヘンリーの車とぶつかった移民の男で、
車内に缶詰めにさせられそうになると、シャロンがからしスプレーを浴びせ、けたぐってタクシーを
奪う。そのタクシーは警官に止められるのだが、事情を話すと理解され、後に続け、と
パトカーが先導するが、シャロンたちはそれを無視して次男のダンススクールに向かう、などの
コメディシーンが多数あるので、人生を扱っている暗さとかはほとんど感じない。

この映画の詳細はこちら
まで。
by jazzyoba0083 | 2015-09-23 22:45 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「よりよき人生 Une vie meilleure」
2011 フランス Les Films du Lendemain.111min.
監督・脚本:セドリック・カーン
出演:ギョーム・カネ、レイラ・ベクティ、スリマン・ケタビ、ブリジット・シィ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆>
<感想>
邦題の響きが切ない。そういう映画だ。その意味でこの邦題は良くつけたと
思う。どこにでもありそうな普通の生活を描きながら、人生の転生と、どん詰まった
男が、結構あきらめずに「生きよう」とするところが感動を呼ぶ(と思う)。
観る人によっては退屈でラストも「なんだ、これ」という感じだろうし、片や「素晴らしい
人生ドラマ」と称賛するだろう。単館系の評価の難しい映画だ。如何にもフランス
映画らしいので、暗めのフランス人生ドラマが好きな人にはいいだろう。私個人と
しては、面白くもあり、そんなでもなしの中途半端な印象だった。

男の借金に関する考えが甘過ぎ、というのはストーリー上分かっていて織り込まれ
たキャラクターだと思う。それで破綻し、普通ならやけになるところ、なんとカッパライを
敢行し、海外に高飛びするという・・・。こいつ、貧乏なのにあきらめんやっちゃなあ、と
いう側面に明るさを見つけることもできる。 しかも、自分らを捨てて海外に行ったその
女の息子を預かってしまうのだから。彼女になるのがレバノン人というのも今っぽい。

大学の学食でコックをするヤンは独立を夢見てシェフの仕事を探していた。断られた
あるレストランでウェイトレスをしていたナディアと出会いたちまち恋に落ち、二人で
暮らし始める。彼女には9歳になるスリマンという男の子がいた。
家族でラジコンヘリなどで遊びに訪れたパリ郊外の湖畔で、売り物のレストランを見つけ
自分の物にして開業しようと取得に乗り出す。銀行は融資に応じたが条件に融資先は
一本に絞れ、と条件が付いていた。しかし、頭金がたりないので、サラ金6件から高利の
金を借りてしまった。銀行は激怒する。

古い家の改装は進み、すべてが順調に進んでいるように見えたが、完成直前の消防
査察をパスせず、大幅な改築が必要に。さらに金が要るヤン。二人の間もギスギス
し始める。相談所に行くと「全部売却し多少益が出るから、もう少し小ぶりな店で
再スタートを」と至極当たり前のことを進められるが、ヤンはあくまで今の建物にこだわった。
しかし事態は好転せず、一部の営業権を売ることになる。マチ金のやくざみたなやつと
関わるようになり、40万ユーロもする建物を足元を見られて1万ユーロで手放す運命に。

この期に及んで、ナディアとヤンの間は絶望的になり、ナディアは今勤めている店の
店主の勧めもありカナダのホールマネージャーとしてパリを離れる決心をした。
金がないので自分だけ先に行き、金が貯まったら息子を呼ぶからそれまで預かっていて
欲しいと頼まれる。引き受けるヤン。しかしスリマンは靴を万引きしたりして足をひっぱる。
やがて追い詰められたヤンはマチ金をつけて殴りつけ、財布を奪って、スリマンを
学校から連れ出し、オルリー空港から一路モントリオールへと向かったのだ。

しかし、ナディアは刑務所にいた。就労許可証を持たないので働けない。そこで南米の
男の甘言につられ化粧品販売員になったが実態は麻薬の運び屋。たちまち逮捕され
収監されてしまったのだ。二人は刑務所に面会に行くが、ナディアは会いたくないという。
恥ずかしいのだ。しかし最初はヤンと、次いでスリマンとも対面を果たし、謝るのだった。
あれだけ喧嘩していたヤンはナディアを深く愛していたのだった。
モントリオールでコックの働き口を見つけたヤン。これから親子3人で貧乏ながらも
幸せに生きていくのであろう・・・。

というようなお話。だまってフランスを出てきてしまったスリマンの学校はどうするんだろう、
とか現実的なことを考えてしまったが、ラストのスノーバイクで遊ぶ光景は何を言おうと
したのだろうか・・・。逆行でとらえられた光景の中にはナディアはいたのだろうか?
レストラン起業の話が途中から切ない人生ドラマになるんだが、そのあたりのどっち付かずの
テーマが、映画が今一つ、ということになった気がする。
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<ストーリー>
シェフを目指す35歳のヤン(ギョーム・カネ)は、採用面接に行ったレストランでウェイトレスの
ナディア(レイラ・ベクティ)と出会い、初めてのデート後、一夜を共にする。翌朝、彼女は9歳の
息子スリマン(スリマン・ケタビ)と暮らすシングルマザーだとヤンに打ち明ける。ヤンは
スリマンと直ぐに打ち解け、友達のように仲良くなる。ある日三人で出かけた湖畔で、ヤンは
廃屋を見つけ、自分たちの新たな人生のためにこの場所でレストランを開業したいとひらめき、
その場で不動産会社に電話、物件を押さえにかかる。

だが、二人の手持ち資金は僅かだった。ヤンは頭金を捻出するため、数社の消費者金融に
手を出し、瞬く間に多重債務者となってしまう。さらに業者に必要な設備を省かせたために、
消防署から営業認可がおりず、レストランも開業できないでいた。
相談所のカウンセラー(ブリジット・シィ)は、借金地獄に陥る前に即刻土地を手放すよう
ヤンに忠告、しかし彼は開業の夢を諦めきれなかった。

そんな中、ナディアはこの状況を抜け出すために好条件で働ける職場を紹介されるが、
その職場はカナダであった。単身で海外へ行くことを決意したナディアは、1ヶ月で帰国
する約束でスリマンをヤンに託し旅立つ。ヤンとスリマンは、怪しげな融資屋が斡旋した
安宿で貧しい共同生活を送ることになったが、二人の間にはいつしか父と子の絆が芽生え
始めていた。だがつてを頼って奔走しても一向に解決の糸口が見えない借金問題に加え、
スリマンに血縁の保護者がいない事実を小学校の福祉委員に知られてしまう。
二人の関係が引き裂かれかねない状況の中、遂にはナディアと連絡が取れなくなってしまった。

ここまで何とか転売を拒んできたレストランだったが、融資屋のあくどいやり口のために
二束三文で売るしかなくなってしまう。融資返済まで給料差し押さえを宣告され、追い詰め
られたヤンは、融資屋を襲い、金を奪いスリマンを連れてカナダへと旅立つ。
とにかく消息を絶ったナディアを探そう。希望を胸に抱きながら雪に覆われた厳寒の地に
降り立つヤンとスリマンであったが、ナディアの消息は一向に突き止めることが出来なかった」
(Movie walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2014-08-11 22:55 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

野蛮なやつら Savages

●「野蛮ななつら Savages」
2012 アメリカ Ixtlan,Onda Entertainment,Relativity Media.131min.
監督・脚本:オリバー・ストーン
出演:テイラー・キッチュ、アーロン・ジョンソン、ブレイク・ライヴリー、ジョン・トラボルタ、ベニチオ・デル・トロ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆s>
<感想>
社会派と称される巨匠オリバー・ストーンもこういう「スタイリッシュ」なクライムムービーを
作るんだなああ、って感じ。監督の名前だけに釣られて鑑賞したが、社会派は影を潜め
まったくのエンターテインメント作品だ。そいういう面からみればラストシーンの2重構造と
いい、面白く観ることができた。

まず、純度の高い大麻の製造に成功し大金持になった大卒インテリと人殺しを生業とする
傭兵の親友コンビと彼ら二人から愛し、愛される女性の存在という、まずは浮世離れした
設定がエンタメ気分たっぷりだ。

メキシコはティファナで後ろ盾を亡くしたバハ・カルテルという麻薬組織から提携を持ちかけ
られるところから事件は始まる。ナレーションを二人から愛される女性が務める。
カルテルの女ボスにサルマ・ハエック、部下の非情な殺し屋にベニチオ・デル・ロト。
そして、二人組の味方をしていると思っていたのに実はカルテルと結びついていた
胡散臭い刑事にジョン・トラボルタ、とそれぞれキャラクターが嵌っていた。

冒頭の7人の首ちょんぱの映像はえげつないが、カルテルの非情さ残酷さの伏線だ。
組織との提携を呼びかけられた二人組は、もう大麻からは足を洗うつもりで事業を
カルテルに譲り国外逃亡を企てるが、全面的に言うことを聞かなかったため、組織は
二人の間の恋人O(オー)を誘拐する。 すべての要求を求めてきたのだが、彼女が
誘拐されたことに怒った二人組は、反撃に出る。

結局、組織の中の裏切りで組織がボロボロになるのだが、エンディングはドンパチで
悲惨な終わり方か、と思わせておいて、実はトラボルタの登場で組織は逮捕され、
トラボルタの裏の取引を知っている二人組と彼女は、どこかに消えて行った。
インテリの方は太陽エネルギーとかバイオマスとかで儲けるとかこれまた大麻とは
全然違うジャンルでの金儲けを計画しているんだから可笑しい。

エンディングの2重構造は新鮮で面白かった。お調子者のトラボルタが最後の
美味しいところを全部持って行ってしまったのも笑えた。

映像は全体にオシャレに出来上がっていてフレーミングやカットなどもオシャレに
出来上がっていた。長い割にスピード感があり、だれるということも無かった。
一つよく分からなかったのが二人組にも傭兵仲間が付いていて
結構強い軍団になっていること。こいつら誰?彼らが居なければ二人だけでは
出来ない組織との一戦であった。ベニチオ・デル・トロのメキシコ系悪人面はまじで
ピッタリだ。 女ボスエレナも、あんなに非情だったのに、娘が気になる母親なのね、
ってあたりも、ストーリーとしては弱いかなあ。
まあ、エンタメとしてリラックスしてみるにはいいんじゃないでしょうか。
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<プロダクションノート&ストーリー>
3人の男女の無軌道な生き様を描いたベストセラー小説を、オリバー・ストーンが期待の
若手を主演に迎えて映画化したクライム・サスペンス。
麻薬の売買で成功を収めた2人の男が麻薬組織に恋人を拉致されたことから、闘争を
繰り広げる。主演は『バトルシップ』のテイラー・キッチュと『キック・アス』のアーロン・ジョンソン

カリフォルニア州の高級リゾート、ラグーナ・ビーチに暮らす心優しい平和主義の植物学者
ベン(アーロン・テイラー・ジョンソン)と元傭兵のチョン(テイラー・キッチュ)。性格も経歴も
正反対だが10代から親友同士の2人は、チョンが戦地から持ち帰った最高級の大麻を
育てる共同事業で大成功。共通の恋人オフィーリア(ブレイク・ライヴリー)、通称“O(=オー)”
とともに、優雅な生活を送っていた。

だがある時、彼らにメキシコの巨大麻薬組織バハ・カルテルが提携を迫ってくる。身の危険を
感じたベンとチョンは、事業を丸ごとカルテルに渡して国外逃亡を計画。しかし、冷酷な
カルテルの女ボス、エレナ(サルマ・ハエック)は、オフィーリアを誘拐して脅迫してくる。
やむなく指示された仕事を処理したベンとチョンだったが、エレナがさらに3年契約を要求して
きたため、反撃を決意。麻薬取締局の悪徳捜査官デニス・ケイン(ジョン・トラボルタ)と仲間の
金庫番スピン(エミール・ハーシュ)の協力を得て、カルテルから300万ドルの現金を奪うと、
エレナの弁護士アレックス(デミアン・ビチル)の犯行を装う。
エレナの腹心の部下ラド(ベニチオ・デル・トロ)から拷問を受けたアレックスが命乞いのため、
死んだと言われていたエレナの娘マグダ(サンドラ・エチェベリア)の名前を口にするのを聞いた
ベンは、エレナの弱点に気付く。
一方、カルテルを裏切ったラドはメキシコ大統領候補エル・アズール(ホアキン・コシオ)と手を
組み、エレナ抹殺を計画。その計画に巻き込まれてマグダに関する情報を入手したベンと
チョンは彼女を誘拐し、オフィーリアとの交換交渉を成立させる。そして訪れた人質交換の時。
オフィーリア救出のために命懸けで砂漠を訪れたベンとチョン。エレナを陥れる機会を狙うラド。
娘を想う母の顔を隠したエレナ。果たしてベンとチョン、オフィーリアは、無事に生き延びることが
できるか……?」(Movie Walker)

この映画の詳細はこちらまで。
by jazzyoba0083 | 2014-04-10 23:20 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)