カテゴリ:洋画=ら~わ行( 211 )

●「ラグナロク オーディン神話伝説 Gåten Ragnarok」
2013 ノルウェー Fantefilm 94min.
監督:ミケル・B・サンデモーゼ
出演:ポール・スヴェーレ・ハーゲン、ニコライ・クレーヴェ・ブロック、ビヨーン・スンクェスト他

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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
ノルウェーの映画というものは(合作を除き)ほぼ見る機会がない。監督も俳優さんも知らない人。
逆に変なバイアスが掛からない分、新鮮に映るのだろうけど。というわけでWOWOWでの放映を
録画し、「本国で大ヒット」という惹句に惹かれて観てみた。

私の、古代秘宝ものだろうという先入観がいけなかったのかもしれないが、怪獣映画とは思わなかった。
何度みても覚えられない「ラグナロク」という名前は映画やテレビドラマにも使われていて、wikiを
読むと、「北欧神話」で「世界の終末の日」という意味らしい。ワグナーの「神々の黄昏」もここから
来ているようだ。邦題のサブタイトルに付いている「オーディーン」とは「北欧神話の主神にして戦争と
死の神」だという。アヴェンジャーズの「ロキ」も北欧神話だったな。

さて、お話だが、バイキングの古い船の研究をしている主人公シーグル。仲間のアランと自分たちが
発見したルーン文字の書かれた石版と博物館にある女王の副葬品の照合から、北にあるオーディーンの
眼といわれる湖に「答え」があるらしいと、「夏休みはスペインに行きたんだもん」という娘と息子を
伴い(バケーションついで?ww)に旧ソ連国境に近い北のはて、フィンマルクに向かう。

そこで女性の探検家と現地ガイドのおじいさんが合流し、湖を目指すのだった。湖は簡単に見つかり
一行は筏を組んで湖の真ん中にある島に向かう。そここそ、古代に国王が飲み込まれたモンスターが
住むところだったわけだ!
まあ、ツッコミどころ超満載、ご都合主義も極まる内容をいちいち記していてもきりがないので止め
るが、(ネット上のネタバレ詳細ストーリー紹介ブログを検索のこと)、途中でモンスター・パニック
映画だと分かってしまったが、まあラストまでお付き合いしました。全体としてみなさんが想像つく
ような内容で、私としてはモンスターの描写も含め何だかなあ、感満載の映画だった。
「え?そうなっちゃうわけ?」「なんで今、それなの」「そんなことができちゃうの」という・・ww

新鮮だったのはノルウェーの北の端は旧ソ連との国境があってかつて戦争があったので戦車とか軍事
関連のものが多数廃棄されていた、ということと、季節が夏なので、彼の地は白夜であり、夜が来ない。
故に、洞窟にいつまでいても外が明るいので、一瞬おや?と思うが、すぐに「なるほどね」と理解できた。
という具合に映画の本筋とはまるで関係のないところに感心していたのだった。

本作、アメリカでの評価が決して低くないのが分からないなあ。

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<ストーリー>
北欧神話で“世界終末の日”を意味する“ラグナロク”の研究に没頭する考古学者が、その謎の解明に
挑むアドベンチャー。
出演は「コン・ティキ」のポール・スヴェーレ・ヴァルハイム・ハーゲン、「エッセンシャル・
キリング」のニコライ・クレーヴェ・ブロック。
北欧の美しい自然をバックに、スリリングな物語が展開する。2014年5月17日より、東京・新宿シネマ
カリテにて開催された「カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2014」にて上映。
2014年6月14日より、大阪・第七藝術劇場にて1週間限定公開。

考古学者のシーグル(ポール・スヴェーレ・ヴァルハイム・ハーゲン)は長年、歴史的なバイキング
船の研究に没頭していた。ある日、発掘されたバイキング船であるオーセベリ船から、謎のルーン文字
を発見。それは、北欧神話における”終末の日”を意味する“ラグナロク”について書かれたものだった。

そこへ、同僚のアラン(ニコライ・クレーヴェ・ブロック)がルーン文字の刻まれた大きな石を
持ってやってくる。調査を進めるうち、シーグルはその暗号がバイキングの財宝が眠る場所を示す
地図であることを確信。
その場所とは、ノルウェー最北の国境の湖にある“オーディンの眼”と呼ばれる島だった。
こうして、シーグルは子供たちとともに、真実を追求する冒険へと旅立つ……。(Movie Waker)

<IMDb=★5.9>
<Metacritic=52>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:69% Audience Score:42% >
<KINENOTE=50点>



by jazzyoba0083 | 2019-11-18 22:15 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド Once Upon a Time in Hollywood」
2019 アメリカ Sony Pictures Entertainment (SPE) and more.161min.
監督・脚本:クェンティン・タランティーノ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、アル・パチーノ、ダコタ・ファニング他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
映画好きには見逃せない一作。タランティーノ好きならなお。さらにディカプリオやブラピファンなら尚尚。
ということで、全部に該当する私としては2時間40分という時間、トイレタイムは大丈夫かと、数時間前から
水分断ちしてシネコンへ。舞台として描かれている1969年頃に青春時代を送ったであろう方々が私を含めて
多かった。結構な入で。

さて、確かに豪華スター居並ぶ、まるでビバリーヒルズやベルエアの豪邸群を観るかのようで、加えて、
タランティーノの映画愛が溢れかえっている2時間40分は退屈はしないけど、やはり中盤で中だるみを感じた。
映画愛と拘りが強すぎて、カットできなくなっちゃったのか。

ストーリーはディカプリオ演じる再起を目指すスター(リック)と、彼のスタントダブルを8年間努めている
ブラピ演じるクリフ。
クリフはクルマの運転からスケジュールの世話までマネージャーのような仕事もする献身的で、リックの事を
分かっている相棒だった。彼ら二人に起きる当時の映画の世界を取り巻く様子が1つの軸。
そして実際に起きたチャールズ・マンソンらカルト信者たちによるシャロン・テート殺人事件が2つ目の軸。
その2つのストーリーが綾なしながら映画を構成していく。ラストのアッいう展開。流石にタランティーノは
脚本の人だなあ、と思わせるストーリーテリングの上手さだ。
だが、いささか前半が長すぎたと思う。ブルース・リーが登場するあたり、リックがマカロニ・ウェスタンの
ヒールとして成功し始める前までにタルミ、間延び感が感じられた。

確かに前半はタランティーノの当時のハリウッド映画に対する強い愛情に裏付けされた、当時のロスを再現した
光景、ファッション、そして当時のヒット曲、それらを背景にしたリックとクリフの次のステージを目指す行動
は、観て聞いているだけでも私らの世代にはワクワクだった。それも1時間位が限度だったわけだ。
中間点辺りをもう少し摘んで2時間10分くらいに収めたらもっと緊張感のある映画に仕上がったのではないかな。

「シャロン・テート事件」は映画鑑賞をする前にネットでいいから確認することをオススメする。タランティーノ
自身もそれを勧めている。(予習なしでも分かるといえば分かるけど)

クリフとプシーキャットの出会いと、彼女らが生活しているかつて映画のロケに使われ今は「映画牧場」となって
いるマンソン信者たちのコンミューンに行くところから始まり、ラストシークエンスでのシャロン襲撃事件の
その日、1969年8月9日に起きたことをタランティーノがどう描いたかが、知識があるとないとでは大きく変わると
思う。

特にラストのシークエンスは、そう持ってきたか!というカタルシスだ。それはタランティーノが語っている
ようにハリウッドのシャロン・テートへの愛情の表現に他ならない。

エンターテインメントとしては一流ではあるが、前作「ヘイトフル・エイト」や前前作「ジャンゴ・繋がれざる者」
に比べるといささか訴えるものが薄かったかな、と感じた次第だ。面白くないわけでは決して無いのだが。
ほとんどラストシークエンスだけで持った映画といっても過言ではない作品と感じたのだ。個人の好みとノスタル
ジーが過ぎたかなあ。

ーーーーーーーーーーーーー<以下、決定的なネタバレです>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ベルエアのロマン・ポランスキー監督(当寺37歳。「ローズマリーの赤ちゃん」が封切られたばかりで映画界の
寵児だった。シャロン・テートは彼の妻で妊娠8ヶ月だった)の家の隣に居を構えたリック。

マンソンの狂信的信者は、本来ポランスキー邸をビーチボーイズのプロデューサーの家と間違えて一度訪問し、
既にそこがポランスキー邸であることを知る。マンソンは信者4人にその家に行き、悪魔の到来、世界の終わりの
到来を知らしめるのだ、とポランスキー邸に押し込み、中にいたシャロン・テートと友人3人を残酷な方法で
殺したのだった。殺しの対象がポラスキー邸である蓋然性はあまりなかったのだ。

しかし、タランティーノは信者ら若者がリックの家に押し込むという想定にした。そこで繰り広げられるのは
やりすぎとも言える(タランティーノワールドなのだが)ヒッピーたちへの反撃。何の罪もないテートらが
無残に殺されたことに対するタランティーノの回答なのだろう。クリフが飼っている犬が銃を持つ男に飛び
かかり更に股間にガブリ! さらにクリフは自分の腰にナイフを刺した女の頭を掴み壁や暖炉の角などに
これでもか、と打ち付ける、加えて外のプールで浮き輪に浮いて台詞を覚えていたリックは銃を拾ってブラピを
撃ち、外に飛び出てきた女をプールの中で映画の小道具として取ってあった(伏線あり)火炎放射器でカリカリに
なるまで焼き殺す!という描写。マンソン一味に対するタランティーノの復讐だ!

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<ストーリー>
「パルプ・フィクション」「イングロリアス・バスターズ」のクエンティン・タランティーノ監督が、1969年の
ハリウッドを舞台に、古き良き60年代アメリカへの愛を描いたノスタルジック・エンタテインメント。
有名な“シャロン・テート殺人事件”を背景に、復活を期す落ち目のTV俳優と、長年彼のスタントマンを務めて
きた男の友情の行方を、虚実を織り交ぜつつ郷愁あふれる筆致で描き出す。
主演はこれが初共演となるレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピット。ヒロインのシャロン・テート役に
マーゴット・ロビー。

 落ち目のTV俳優リック・ダルトンは、なかなか復活の道が拓けず焦りと不安を募らせる。情緒不安定ぎみな
彼を慰めるのは、リックのスタントマンとして公私にわたって長年支えてきた相棒のクリフ・ブース。
固い絆でショウビジネスの世界を生き抜いてきた2人だったが、このままでは高級住宅地にあるリックの豪邸も
手放さなければならなくなる。
そんな彼の家の隣には、時代の寵児となった映画監督のロマン・ポランスキーとその妻で新進女優のシャロン・
テートが越してきて、彼らとの勢いの違いを痛感するリック。
一方クリフはヒッチハイクをしていたヒッピーの少女を拾い、彼女をヒッピーのコミューンとなっていた牧場
まで送り届けてあげるのだったが…。(allcinema)

<IMDb=8.0>
<Metacritic=83=Must See>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:85% Audience Score:70% >
<KINENOTE=81.0点>



by jazzyoba0083 | 2019-09-08 13:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「リグレッション Regression」
2015 アメリカ Mod Producciones,First Generation Films and more.106min.
監督・脚本:アレハンドロ・アメナーバル
出演:イーサン・ホーク、エマ・ワトソン、デヴィッド・シューリス、ロテール・ブリュトー、ダーヴッド・デンシック他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
タイトルは分かりづらいが、本作の中の主要テーマである「退行」を促す心理学的催眠療法を指し、現在、この療法は
「自己暗示」や「妄想」を惹起することが多く、行われていないという。そのことが描かれるオカルト・ホラーっぽい
心理劇である。

太陽の無い暗い画面、雨が良く降る、夜のシーンが多い、などサスペンスホラーの色合いが最初から濃い。「悪魔崇拝」
事件を取り上げますよ、とは冒頭字幕で解説される。実際に起きた事件にインスパイアされて製作したとも。
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で、南部っぽい田舎町。娘を虐待しているという容疑で一人の父親が逮捕される。担当する刑事はケナー(ホーク)。
娘は父親からセックスを強要した、彼は母も虐待し、それを苦にした母は自動車事故を起こし自殺した。
娘アンジェラ(ワトソン)は、教会に保護され、刑事は彼女に事情を尋ねる。すると一家は黒魔術に取り憑かれていて
何人かの仲間と一緒に黒儀式を何度も実行し、赤ちゃんすら殺してその肉を食らうという衝撃の告白をする。

ケナーは大学教授で心理学者のレインズに心理の解析を頼む。彼は退行を促し、父や娘の深層心理に迫まり、当時、
何が行われいたのかを催眠下で語るように誘導した。娘は祖母さえ黒儀式に参加し、赤ちゃんの肉を喰らい、沢山の
遺体が庭に埋められている。父は警察官の一人、ジョージが儀式に参加しているメンバーだと告白、ジョージは
逮捕される。

こうして悪魔崇拝の儀式は次第に解明され、娘の一家の憑依ぶりが明らかになっていくようだが、ケナーはどこか
釈然としない思いがする。彼はそのうち悪夢を見るようになる。そして夢の儀式に登場する老婆が、彼がかつて
町中で見た広告看板の人物で、事件にはまるで関係のないことを理解する。

そこから、ケナーはアンジェラが嘘をついていることを見破る。更に、退行催眠が、父や娘にやっていない儀式の
世界を自己暗示で現実のものとして捉えてしまっていることに気がつく。そう、黒儀式や仲間たちなどいないのだ。
あったのは実際に行われていた父の娘に対する不信感から娘が付いた嘘に起因するのだった。そこから集団ヒステリー
が発生したに過ぎないのだった。
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映画全般はサスペンスホラーのテイストを、後半はケナー刑事による「悪魔崇拝」「黒儀式」は、人間の頭が生み出す
ものなのだ、そんな集団は始めからいなかったのだというカタルシスの提示となっていく。

なるほどな、という考え落ちの作品ではあったが、どうも地味に過ぎる展開で、いかにイーサン・ホークとエマ・
ワトソン出演といっても作品の魅力は不足していたというほかはない。テーマとしては面白いとは思う。でも
ジョーダン・ピールの「ゲット・アウト」ほどの魅力には欠ける。脚本のチカラが弱いからだろうか。

笑顔というものが一切ない映画で、暗すぎた恨みは残るのだった。もうひと工夫!

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<ストーリー>
スペインの鬼才アレハンドロ・アメナーバル監督が、80年代にアメリカで起きた悪魔崇拝者による事件を基に描く
サスペンス・スリラー。父親からの虐待を告発した少女の取り調べを始めた刑事が、事件の裏に潜む巨大な闇の存在に
迫っていく姿がつづられる。刑事をイーサン・ホーク、被害者の少女をエマ・ワトソンが演じる。

990年、アメリカ・ミネソタ。父親からの虐待を告発した少女アンジェラを取り調べることになったケナー刑事。
訴えられた父親は記憶がないにも関わらず罪を認めたことから、ケナーは心理学者に協力を仰ぐことに。
アンジェラの記憶を辿りながら、事件の真相に迫っていくケナーだったが、町に秘められた巨大な闇の存在に
気付かされる。(Movie Walkre)

<IMDb=★5.7>
<Metacritic=32>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:15% Audience Score:21%>
<KINENOTE=63.6点>



by jazzyoba0083 | 2019-08-26 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ワン・フロム・ザ・ハート One from the Heart」
1982 アメリカ Zoetrope Studios.Dist.Columbia Pictures.100min.
監督・(共同)脚本:フランシス・フォード・コッポラ  音楽:トム・ウェイツ
出演:フレデリック・フォレスト、テリー・ガー、ナターシャ・キンスキー、ラウル・ジュリア、レイニー・カザン他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
「佳作」と振ったが、異議のある方もいらっしゃると思う。確かにアメリカでの評価も低いし、興行的にも失敗して
いるし、実際映画を観ても、なんだかなあ、の部分はあることは確かだ。だから巨匠コッポラの作品群の中でも
「失敗作」に分類される作品なのだろう。しかし、だ。どこか捨て置け無い愛らしさもあるのだ。気になっちゃうのだ。

今から13年前に観ていてその感想もこのブログにあるので興味のある方はブログ内検索をして頂きたいと思うが、印象
は大きく変わるものではない。トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルが歌うジャジーな歌声が映画をリードする。
ミュージカルというには出演者たちは歌わないから無理があると思われる方もいらっしゃるだろう。

全編コッポラが所有していた「ゾーイトロープ・スタジオ」セットで作った物語は、大人のファンタジーという感じで、
現実にはあり得ないシーンもあるので夢物語なのだろう。ストーリー自体はどうということはない、むしろ陳腐な
もの。5年の同棲にお互いの欠点ばかり目に付き始めたカップルがラスベガスを舞台に他の男女と付き合ってみるが、
やっぱり元サヤがいいなあ、というハッピーエンド。

色彩は鮮やかで、クレーンなどを多用した(いまならドローンがあるのになあ)カットも美しく、とにかく歌が良い。
タイトルも歌詞の一節から取られている。が、一方で歌が演技と有機的な結合に至らず浮いてしまっている感じも
受ける。さして美人でないところがいいテリー・ガーはこれ以前に「未知との遭遇」でドレイファスのエキセント
リックな妻を演じているのが記憶にある。フレデリック・フォレストはコッポラとは「地獄の黙示録」で一緒に
仕事をしている流れか。この主役の二人に存在の重さがないのが痛々しい感じ。若々しいエキゾチックなサーカス女
を演じるナターシャ・キンスキーが存在感を示している。

内容も演技もどうってことない作品なのだが、なぜか惹かれてしまう。不思議な作品なのだ。
今回観て一番感じたのは、スタジオシーンの各所にデイミアン・チャゼル監督の「ラ・ラ・ランド」が本作を
リスペクトしているんじゃないか、と思われるシーンがいくつかあったこと。ラスベガスの車道いっぱいに
広がって踊って歌うシーンとか。書き割りの前でのガーとジュリアのダンスシーンとか。
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<ストーリー>
7月4日の独立記念日を明日に控えたラスベガスの街。旅行社に勤めるフラニー(テリー・ガー)は、ごったがえす
観光客をよそにショウ・ウィンドウのディスプレーに精を出していた。同じ頃、フラニーの同棲相手ハンク
(フレデリック・フォレスト)は、モーと共同経営している自動車解体工場にいた。明日はフラニーとハンクが
5年前に出逢った日でもあった。
夜になると、フラニーはボラボラ島行きの航空券を、ハンクは家の権利書を互いにプレゼントする。どうも、
しっくりといかない。その後、ささいな事から喧嘩になり、フラニーは出ていった。ハンクはモーの所へ、
フラニーは旅行社の同僚マギーのアパートに。

翌日、またショウ・ウィンドウでディスプレイを手直ししていたフラニーに、ピアニストだというレイ
(ラウル・ジュリア)が話しかける。一方、ハンクはサーカス一座の踊り子らしきライラ(ナスターシャ・
キンスキー)に心を奪われ、9時に会うことを約束する。とあるレストランに入ったフラニー、支配人に
売春婦と間違われて憤概する。と、そこへ来合わせたウェイターこそ、レイだった。ショー・タイムの
合間はウェイターをしているのだという。2人は話し込み、おかげでレイはクビになる。

その後、2人はステージで踊り始め、そのまま沿道に飛び出し、通行人も一緒に踊り出す。ライラと会った
ハンクは工場に連れてゆき、夢のような一時をすごした。フラニーのことが気になったハンクはモーと一緒に、
マギーのアパートに。マギーとモーは互いに惹かれあう。マギーからフラニーの居所を聞き出し、モテルから
フラニーを奪取。家についたが、フラニーはカンカンで、ボラボラ島に行くと言って去る。
マッカーラン空港に駆けつけたハンクは、フラニーにもどってくるよう訴えるが、彼女は飛行機に乗り込んで
しまった。傷心の思いで家にたどりつき、暖炉の前でたたずんでいるハンク。そこへ、彼女が帰ってきた。
2人は抱きあう。(KINENOTE)

<IMDb=★6.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:50% Audience Score:62%>
<Metacritic=57>
<KINENOTE=62.9点>



by jazzyoba0083 | 2019-07-05 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ロング、ロングバケーション The Leisure Seeker」
2017 エメリカ Indiana Production Company,Bac Films,Rai Cinema. 112min.
監督:パオロ・ヴィルズィ  原作:マイケル・ザドゥリアン『旅の終わりに』
出演:ヘレン・ミレン、ドナルド・サザーランド、クリスチャン・マッケイ、ジャネル・モロニー他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
私らぐらいの年齢になると、身につまされる内容なので、エンディングは賛否が分かれるだろう。
私も、なんとなく判然としないものは残ってしまった。だが、主役2人の老名優の演技は、観ている
でだけで引き込まれるものがあり、老齢期に訪れるであろう、夫婦の戸惑いを見事に演じていた。
原作があるので、大きくは改変しずらかったとは思うが、先述のように、エンディングはそれまでの
とぼけた味を吹き飛ばすシリアスぶりである。

ボストンの元英文学教授ジョン(サザーランド)は、記憶がまだら模様のアルツハイマー型認知症。
50年連れ添った糟糠の妻エラは、末期ガンだ。ある日、2人は長年乗って家族で思い出を作ってきた
キャンピングカー、「Leisure Seeker」で、夫が一度は観たいと言っていた、フロリダはキーウェストの先端に
ある敬愛するヘミングウェイの自宅への旅行に出かけた。運転は夫(認知症だけど運転は出来るようだ。という
ことはまだそう酷くはないのだろうか)。だが彼の記憶はまだら模様で、時々一瞬普通の人に戻るのだが、
すぐに呆けてしまい、自分と初恋の女性との区別がつかなくなったり、オネショしたり。一方のエラは
ガンの痛みを薬で押さえウィッグを被っているが、もう踏ん切りを付けたのか、夫をリードして国道一号線を
南下する。

子どもたちは両親がボロのキャンピングカーで居なくなったことに大騒ぎ。だが、大学教授の娘は
やたら冷静。弟が一人であたふたとしている。娘は両親が何をしに出かけたか、を薄々分かっていた
のではないか。

さて、ジョンとエラは毎晩どこかのキャンピングカーのサイトに泊まり、エラが持ってきた昔の
写真のスライドをシーツに写して昔を懐かしんでいる。ジョンはそこに写っているのが誰だか分かったり
分からなかったり。いろんな人を巻き込み、主に意思が通じないことに苛つきながら我慢のエラと
「恍惚の人」状態のジョンの道中は、ついにヘミングウェイの家に到着する。だが、そこでエラは倒れ、
ジョンの知らないうちに病院に救急搬送される。病院では「生きているのが不思議」と医師に言われる。
後を追ってきたジョンはベッドに横たわるエラと再開できた。しかし、2人は病院を抜け出てキャンピング
カーに戻った。そこでエラが取った行動は・・・エラは服を着替え、寝ているジョンにメガネを付けて、
排ガスが漏れるので蓋をしていた床のビニールテープを外し、(映画の最初の方で、キャンピングカーの
床から排ガスが室内に漏れるので、エラがテープで蓋をする、という伏線がある)痛み止めの薬を全部飲んで
ジョンの傍らに横になった。ジョンを抱きしめて・・。

エラが無理心中をしたのは、最初から狙っていたのか、自分の最後が近いから、このままジョンを置いて
逝けないから連れて行く、とフロリダで覚悟を決めたたのかは分からない。子供らに残した手紙には先述の
ようなことが書かれていたが、ラストあたりの展開を観ると、ジョンがかなり長い間、自分と浮気相手の
区別が付かなくなって、「別れよう、私には愛する妻エラがいるだ」とかいうところが決定的な動機に
なったような気がする。だがそれは心中の時間を早めただけであり、エラはこの長いドライブを、己と2人の
人生の振り返りと総括の旅にするつもりだったと思えるのだ。

まだ生きる道が残されているジョンを道連れにしたことはエラの身勝手だったのだろうか。いずれにせよ
ジョンは遅かれ早かれ子どもたちの厄介になることは明らか。ならば自分が連れて行ったほうがいいのでは
ないか。エラ自身多少生きながらえられたとしても、自分を自分の妻と認識できなくなることは、エラに
取っては耐え難いことだったのだろう。何も、夫まで・・・と思うか、夫の行末を考えれれば夫に取っても
幸せなことだったと考えるか。 ラストシークエンスは重い課題を提示している。
自分が同じ立場になったら、おそらく道連れにされて文句は言わないと思ったのだった。

事実としてそうであっても、映画の表現として、同じことを言い表わそうとしたら他の表現方法があったの
ではないか、と考える人も多いだろう。それまでが結構コミカルでファニーなテイストで進行してきたから。
(ラスト近くまで、「認知症」「末期がん」という言葉は出てこない。それらは、ジョンの行動であったり、
エラのウィッグや薬の服用シーンが語るのだ。その辺りのデリケートさはうまい演出だな、と感じた。)
だからこそのラストの落差という指摘も間違いではない。難しい・・・。母親似である娘(大学教授)の
冷静さ、がなにか暗示的であるのと、作品中にたくさん使われる70年代の音楽の内、冒頭がセコハン店を
経営する息子のトラックから流れるキャロル・キングの「It's too late」、ラストのエンディングロール
バックのジャニス・ジョプリン「Me and Bobby MaGee」(元歌はクリス・クリストファーソン)も暗示
的である。
特にこのエンディングテーマの歌詞は、示唆に富む。(私がボビーにケンタッキーからカリフォルニアまで
ヒッチハイクで連れてってもらう、途中でボビーは去るっていくという話)

Freedom's just another word for nothing left to lose,
Nothing, and that's all that Bobby left me, yeah,
And feeling good was easy, Load, when he sang the blues,
Hey, feeling good was good enough for me, hmm hmm,
Good enough for me and my Bobby McGee.
自由というのは
失うものを何も持っていないという意味の
ありふれた言葉だ。
何もないということ。
それがボビーが私に残してくれたすべてだった。
かれがブルースを歌えば
いい気持ちになるのは簡単なことだった。
そうですかみさま。
いい気持ちになれたら
それで充分だった。
わたしとボビー·マッギーには
それで充分だった。
©「華氏65度の冬」ブログ

80歳を超えているサザーランド、70歳を超えているヘレン・ミレン。彼らの体現してきた実人生を含め
納得の演技である。ボストンから陽光輝くキーウェストまでのロードムービー。ストーリーは太陽の輝きと
は逆行する暗転である。

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<ストーリー>
マイケル・ザドゥリアンのベストセラー『旅の終わりに』をヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドの共演で
映画化したハートフル・ロード・ムービー。
妻は末期ガン、夫はアルツハイマーという老夫婦が、愛用のキャンピングカーで思い出の道を辿る旅の行方を、
ユーモアを織り交ぜ心温まるタッチで綴る。監督は「人間の値打ち」「歓びのトスカーナ」のパオロ・ヴィルズィ。
 
エラとジョンは50年連れ添ってきたベテラン夫婦。末期ガンを患い人生の終わりが近いことを覚悟したエラは、
病院での治療に見切りをつけ、最愛の夫とキャンピングカーで夫婦水入らずの旅に出る。目指すは、ジョンが
敬愛するヘミングウェイの家があるフロリダのキーウェスト。しかしジョンはアルツハイマーが進行中で、
道中もたびたび記憶が混乱してしまう。それでも心配する子どもたちをよそに、2人で人生を追想しながら
目的地を目指してアメリカを南下していくエラとジョンだったが…。(allmovie)


<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:37% Audience Score:56% >
<Metacritic=45>
<KINENOTE=74.6点>

by jazzyoba0083 | 2019-04-08 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「レイチェル My Cousin Rachel」
2017 イギリス・アメリカ Fox Searchlight Pictures,Free Range Films.106min.
監督・脚本:ロジャー・ミッシェル  原作:ダフネ・デュ・モーリア「レイチェル」(1951年)
出演:レイチェル・ワイズ、サム・クラフリン、イアン・グレン、ホリディ・グレインジャー、アンドリュー・ノット他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想:ネタバレしています>
今年のオスカーでオリビア・コールマンが主演女優賞を獲った「女王陛下のお気に入り」でエマ・ストーンと
2人で助演女優賞候補になっていた演技派のイギリス女優レイチェル・ワイズ。現在ダニエル・クレイグの奥様で
ある。ケンブリッジ大出身の才媛。そのレイチェル・ワイズが謎の女性を演じるサスペンス・ラブストーリー。
結局結論は出ないので、隔靴掻痒な感じを覚える人も多いと思う。日本劇場未公開・WOWOWにて鑑賞。

伏線的な光景や映像やアクションが観客のミスリードを誘う。果たしてレイチェルという女は悪女だったのか、
違うのか。ミステリとしての原作があるので、それになぞった映像表現をしたのだろうけど、物語のサスペンス
フルな進行は、イライラするけど、それはそれで面白かった。ボイスオーバーを担当するフィリップという男性の
目を通して、レイチェルという女性が語られる。ちなみに原作者のイギリス女性ダフネ・デュ・モーリアは
ヒッチコックの「鳥」「レベッカ」の原作者でもあるから、サスペンスものの書き手としては一流で物語としての
基礎は面白い出来だとは想像出来る。これを監督ロジャー・ミッシェル(「ノッティングヒルの恋人」の監督)は、
20世紀初頭のイギリスの田園地帯の雰囲気とややローキーな映像、上手い光の使い方、常道だがサスペンス気分を
盛り上げる音楽の使い方と作劇としては上手いこと構成、演出していたと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
フィリップという24歳のイングランドの海に近い田園に住む青年。両親を早くに亡くし、従兄弟のアンブローズに
育てられた。フィリップはアンブローズを父とも兄とも思い、心の底から信頼し愛して成長した。女性に関しては
まったく関心の外だった。そのアンブローズが病気療養のため暖かいフィレンツェに行くことになる。一人になる
フィリップは孤独だった。ある日、アンブローズから従姉妹のレイチェルという女性と知り合い結婚する、と
いう手紙が来た。更に、レイチェルに殺される、早く来てくれ、という危急を知らせる手紙が後を追うように
来る。急ぎフィレンツェに赴くフィリップだったが、すでにアンブローズは脳腫瘍で死んだと知らされる。

アンブローズはレイチェルに殺されたに違いない、と確信したフィリップだったが、アンブローズの遺言は手を
加えられておらず、フィリップが25歳で相続することになっていた。

そのレイチェルがイギリスに来るという。24歳で領主となり、多くの使用人や小作人を抱えることになった
フィリップは教父の娘が彼に心を寄せいていることに気づかないまま、「レイチェルにアンブローズが味わった
地獄の思いをさせてやる」と手ぐすね引いていた。が、女性の魅力を全く知らないまま育っったフィリップは
一発でレイチェルの魅力の虜なってしまう。そしてレイチェルが毎日淹れてくれる謎のハーブティーを飲むの
のだった。次第に幻影を見始めるフィリップ。しかし彼はレイチェルへの思いが嵩じ、25歳の誕生日を期して
アンブローズから相続した全財産と先祖代々受け継いできた大量の宝石を、周囲の反対を押し切ってレイチェルに
譲る書類を作ってしまう。ただ顧問弁護士のたっての頼みで「再婚したら財産はフィリップに戻る」という
一言が付けられた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、レイチェルはアンブローズを毒殺したのか、またフィリップを財産狙いで毒のお茶で殺そうとしたのか、
その真相は最後まで謎のままで映画は終わる。アンブローズがイギリスに来てからお金を海外に送金している
とか、フィリップの関係者が内偵すると、レイチェルは金遣いが荒く、放蕩の限りを尽くす怠惰な女だ、と
いう評判が聞こえてくる、とか、アンブローズの「助けてくれ、レイチェルに殺される」という手紙の発見とか、
レイチェルの部屋からフィリップのことを心底心配している、という手紙が出てきてみたり、見ている人の
判断を迷わせるようなプロットがたくさん出てくる。

最後にレイチェルは馬に乗り散歩に出て、崖から海岸に落ちて死んでしまうのだが、なぜ死んだのか。
悪事がバレて、もはやこれまで、と悟ったか、あるいはアンブローズも実は本当に脳腫瘍で錯乱していて
レイチェルに殺される妄想を見ていただけで、レイチェルはアンブローズを心から愛していたし、彼に
そっくりのフィリップも愛していた。しかし、そのことを信じてもらえなくて絶望したのか、果たしでどう
だったのだろうか。結論は見る人に委ねられる。私は物語上の証拠やさも毒のお茶っぽいものを飲ませる
シーンなど、悪女と思わせておいて実はいい女であったというのが本当のところではないか、と推察する。
こうした性格を演じるにはレイチェル・ワイズはピッタリであった。原作があるので仕方がないが、伏線の
埋め方があざとすぎて観客を必要以上に翻弄してしまっている感じのする作品でもある。

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<ストーリー>
幼い頃に両親を亡くし、従兄のアンブローズに育てられた青年フィリップは、父親のように慕うアンブローズが
療養先のイタリアで従姉妹で未亡人のレイチェルと結婚したとの手紙を受け取る。 当初は幸せそうな
アンブローズだったが、ある日、レイチェルの目を盗んで書き送ったという手紙で、病に伏せており、助けて
欲しいとフィリップに訴える。 イタリアに駆けつけたフィリップはレイチェルの弁護士というライナルディから
既にアンブローズが脳腫瘍で亡くなったこと、そして病気が原因の妄想によってレイチェルらに対して暴力的に
なっていたことなどを知らされる。
アンブローズはレイチェルに殺されたと確信したフィリップだったが、アンブローズの遺書が書き換えられておらず、
財産はこれまで通り、フィリップが25歳になった時点で全て相続することになっていることに疑問を抱く。

フィリップが主人となった屋敷にレイチェルがアンブローズの未亡人としてやって来る。憎しみの気持ちで彼女を
迎えたフィリップだったが、彼女の美しさと淑やかさにすっかり心を奪われてしまう。 周囲の人々はレイチェルに
は欲深い裏の顔があると忠告するが、聞く耳を持たないフィリップは弁護士に依頼し、25歳の誕生日にアンブローズの
遺産を相続した時点で、その全てをアンブローズの妻だったレイチェルに譲る手続きをしてしまう。
そして、25歳の誕生日を迎える前の夜、フィリップはついにレイチェルと結ばれ、財産の譲渡契約書をレイチェルに
渡す。

その日以降、レイチェルはフィリップからの求婚を頑なに拒むとともにフィリップと距離を置くようになる。
彼女の態度の急変に戸惑うフィリップは体調を崩し、さらにアンブローズが「レイチェルに殺される」と走り書きした
メモを見つけたことでレイチェルに対する疑いの気持ちを膨らませていく。 そして、馬で遠乗りに行こうとする
レイチェルにフィリップは「今の時期ならアザラシの子が見られる」と言って以前自分が落馬して転落死しかけた
崖に行かせる。 その間にレイチェルが自分を殺そうとしていることを示す証拠がないか探すフィリップだったが、
そのような証拠は何もなく、逆にレイチェルがフィリップを心から気にかけていることが弁護士からの手紙で明らか
になる。
愕然としたフィリップはレイチェルの後を追う。しかし、既に彼女は乗っていた馬とともに崖下に転落し、息絶えていた。

フィリップは幼馴染のルイーズと結婚し、子をもうけるが、レイチェルに対する罪悪感に苛まれ続けることになる。
(wikipedia)

<IMDb=★6.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:76% Audience Score:45%>
<metacritic=63>
<KINENOTE=60.4点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-02 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

ROMA/ローマ  Roma

●「ROMA/ローマ Roma」
2018 アメリカ Esperanto Filmoj,Netflix,Participant Media.135min.
監督・撮影・脚本・(共同)製作・編集:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、カルロス・ペラルタ他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
今年のオスカーをいろんな意味で賑わした本作、Netflixでしか観られないのか、と思っていた所、
日本ではイオンシネマズで上映してくれることが決定、さっそく行ってきた。平日の朝という
こともあったのだろうが、あれだけ評判と話題になった映画の割には客の入りは悪かった。
モノクロだし、知ってる俳優さんはゼロだし、アート系の作品だし、まあ仕方のないことかも知れない。
極めて内省的な映画で、オスカーで作品賞を獲った「グリーンブック」の極北に位置すると言っても
過言ではないかもしれない。

本作はベルリン国際映画祭で金獅子賞を獲って、オスカーでも多くの部門にノミネートされたものの、
結果的には外国語映画賞、撮影賞、監督賞という結果に落ち着いた。獲るか!と言われていた作品賞は
「グリーンブック」に持っていかれた。配給がNetflixという動画配給会社で、映画館では原則上映され
ないということで、物議を醸した。オスカーのイベント後に、映画芸術科学アカデミーの役員である
スピルバーグはNetflixをオスカーから締め出す提案を役員会にしている。

本作は、映画鑑賞の読み解きにチカラのある人でないと、その良さをはっきりと読み解くのは難しいかも
しれない。評判の映画だから、と言って、おっとりがたなで劇場へ行くと、「は?これの何が面白いの?」
という結果になりかねない。私も、だいたいのアウトラインは知ってはいたが、淡々と繰り広げられる
メキシコシティのコロニアローマ地区で数ヶ月に展開される中流家庭とその家政婦の話は、その
物語の背景に、キュアロン監督の幼い頃の体験が投影されていて、その言わんとする所は、幼いころには
分からなかった、メキシコ先住民女性や母親(女性)に対する「詫び状」(町山智浩氏)だということを
知らないと、良さが読めないのではないか。

キュアロン監督はここに描かれている90%は真実でだと話している通り、彼自身裕福な家庭に育ち、家に
「ねえや」と言われる家政婦さんがいて、忙しくて殆ど家にいない父親がいたという。1970年から71年頃の
メキシコは、長期政権が腐敗し、農村や学生からの不満が充満していた時期で、作品中にも「血の木曜日」
と称される暴動が描かれている。主人公の家政婦クレオの彼氏だった男で、2人で映画を観ている最中、
彼女から妊娠したといわれ、姿をくらますやつは、政府に雇われた暴力集団に入ってしまう。
また一家の主人は忙しくて家にいないことが多いのだが、どうやら他の女のところにいっているらしい。

そうした背景はすべてキュアロン監督が幼い頃に何も知らずに記憶の背景にあったもので、自分はこれを
描くことで当時の母や先住民家政婦さんに謝罪し無くてはならない、何も知らなかった無知という罪を贖う
ために作ったと語っているのだそうだ。そのように、当時のメキシコの白人なのだが、母親の立場への、
また先住民女性の意識しない階級差別的な生活(妊娠した彼女は結局死産してしまう)に対し負い目を
抱えてキュアロン監督はこれまで生きて来たわけだ。ラストシーンで子供らを溺死寸前で助け出す泳げない
クレオの背後から太陽が射すシーン、ラストカット(エンドロールがかかるカット)はクレオが屋上へと
駆け上がったあとの階段を写しているなど、また重要なガジェットとして登場するクルマの扱われ方など
キュアロン監督が無知なまま育ってきた負い目に対する彼なりの回答を明示しているといえるのだ。
だが、それらを振り返って理解できたのは私は評論家町山智浩氏やライムスター宇多丸氏による解説を
熟読しなければならなかったことを告白しなくてはならない。だから、私の評価の★8つは、そこまでしか
理解出来なかったため、と理解していただいたほうが良いと思う。

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●「撮影賞」としての本作・・・
モノクロだけど、撮影に使われたのはAlexa65というデジタルカメラで撮られた65ミリのワイド画面の
作品。キュアロン自身この映画を大画面、高音響の劇場での公開を想定に製作した。だが、地味な映画で
あることから、劇場で公開してもたくさんの人に見てもらえないかも知れない、と思っていた所、Netflix
との思惑に重なり、配信という形になった。今回私が観た画面も横長の大画面で、キュアロン自身が
撮影監督をした画面は、計算されつくしていて、私のようなものでも見ていて美しいし、分かりやすかった。
基本は脚付きの水平のパーンと若干のチルトアップ、しかも極めてゆっくりした速度。ズームは使われない。
また横移動はレールを使ったもので、キュアロン独特の長回し。ところが暴動シーンとラストの海のシーンは
一転して動きが激しい。だからこの2つのシークエンスは非常に印象深く残るように出来ている。
また、冒頭のタイルを水で掃除するシーン、溜まった水に映る上空のジェット機。これはラストシーンへと
繋がっていく。つまり硬質な画面の中に柔らかい感情を埋め込むそのテクニックには唸らせれた。これは
私でも分かる本作の映画の優れた点だ。

●「外国語映画賞」としての本作・・・
日本から是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞を引っさげてノミネート。
一方、キュアロン監督の本作はフランスの映画館での上映実績がないのでカンヌを閉め出されたという経緯を
持つ。
本作は全編スペイン語で、一部には先住民の言葉が使われている。家政婦同士での会話はこの先住民族の
言葉で、日本では<>で字幕表記されている。是枝監督以外の作品を見ていないので、この部門における
本作の評価はあれこれ言えないが、事前のオスカー登竜門と言われている映画賞の受賞経緯からすると順当な
評価といえよう。

●「監督賞」としての本作・・・
キュアロン監督は、本作でのキャスティングをすべてメキシコ人で行っている。特に主演のクレオを演じて
いきなり主演女優賞にノミネートされたアパリシオさんは、全くの素人。キュアロン家にいた実際の家政婦
さんに似ていたことと、先住民の言葉を少し理解出来たことから選ばれたという。さらに、病院などは本物の
医師や看護師を使い、リアリティを創出している。また事前に台本を渡さず、シーンごとにセリフを割り振り、
自分の役が全体の中でどういう立ち位置にいる、どういう性格で役割を持った人なのかを学習しながら演出
していったという。素人を使うことに対する気の使いようでもあろう。
脚本を書き、キャメラを覗きつつ撮影し、編集まで手がけているわけだから、もう完全なるキュアロンワールド
である。「ゼロ・グラビティ」でキュアロンファンになったニワカにとっては、戸惑うものではあったのだが、
思いに通底している部分は本作でも同様なのであろう。

●Netflix配信ということ・・・
キュアロン監督は結果としてNetflixを選んだわけだが、PCやタブレットという小さい画面で見たり、途中で
止めたり、スマホを見ながら観たりする観られ方は監督の本意ではあるまい。今回持ち上がった配信会社VS
従来型配給会社のにらみ合いに対し、キュアロン監督は「私は映画館で観る映画を心から愛しているが、多様性
も認められていいのではないか」と語る。Netflix自身は、広大なアメリカにおいて、物理的に映画館に行けない
人(遠いとか体に障害があるとか)、仕事の関係で映画館に足を運ぶことがなかなか困難な人、など広い人たちに
映画を楽しんでもらえる機会を提供したい、と語る。確かにそのとおりであろうが、私見として、今回映画館で
本作を観た限りにおいては、やはり暗く集中出来大画面と高音質な環境で観る本作は、スマホ画面で観るものとは
かなりの部分で異なるのではないか、と感じたのだった。

長文になったのでストーリーなどは下記リンクを参考にして下さい。

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:96% Audience Score:71%>
<KINENOTE=80.7点>



by jazzyoba0083 | 2019-03-11 13:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ルージュの手紙 Sage Femme (The Midwife)」
2017 フランス Curiosa Films. 117min.
監督・脚本:マルタン・プロヴォ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、カトリーヌ・フロ、オリヴィエ・グルメ、カンタン・ドルメール、ミレーヌ・ドモンジョ他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
邦題は、確かにそのとおりのものが出てくるので不正解ではないが、描かれる世界は結構シリアスなものだ。
フランス2大女優のぶつかり合いが見ものであることは確か。特にフロの演技が素晴らしいと感じた。

直前に雑誌のコラムのために「愛と追憶の日々」という母娘の話を観て、あれはあれなりに、感じるところの
ある映画だったが、こちらはいかにもフランス風のドロドロな感じのする母娘(実際は継母だが)の人間性が
擦れあって火花が散るような物語に仕上がっている。

フロが演じるのは女手ひとつで男の子(もう大学生で親元を離れている)を育てた、助産師のクレール。
夜勤もあれば出産は時間を問わないので、もう結構な歳のクレールにはタフな仕事になりつつある。
彼女の生活は禁欲的で規則正しい。その病院ももうすぐ閉院となるという。彼女なりのサイクルで回って
いた生活に飛び込んできたのが、義理の母ベアトリス(ドヌーブ)。クレールが若い頃にベアトリスは
出奔してしまい、水泳の選手だった父は、銃で自殺してしまう。クレールはこの継母を嫌っていたのだ。
だが、ベアトリスはクレールの居所を突き止め、転がり込んでくる。脳腫瘍を患っていて弱気になっている。
しかし、彼女はタバコを吸い、ワインをがぶ飲みし、ギャンブルに目がない。わがままで自分勝手な女だ。
そして別れた夫が自殺をしたと聞いて、自分の罪を思う。

性格も考え方も真逆の親子がどうやって暮らしていくのか。クレールには自分の隣の家庭菜園を持つ国際
トラック運転手ポール(ハゲの中年オヤジだが、なかなかいいヤツ。この男の存在で映画に広がりが
出ていると感じた)と次第に心を通わせるようになる。

自分の家にベアトリスを引き取ったクレールは、同時にポールとの関係も深まり始め、なかなか難しい
立場に立ったが、ポールはつかずは離れずでクレールを見つめる。ベアトリスは頭に穴を開け腫瘍を
摘出する手術を受けるが、結果はあまり良くなかった。だが退院して、再びクレールの家で生活を
始める。死期を悟ったベアトリスはクレールと色んな所に出かける。ある日、一通の手紙を残して
ベアトリスはクレールの元を去る。 クレールは病院が閉院になったことから自分で助産の学校を
開こうと決意する。ラストシークエンス、農園に来た手紙の中にベアトリスからのものがあった。
中には唇の形を捺したルージュと、形見の指輪が入っていた。そして傍らを流れるセーヌのボート
置き場にあった半ば沈みそうだったボートがほとんど沈んで下流に流されていくのが見えた。

30年も前に娘と夫の元を去った継母とそれを許さない娘の若いのストーリー。次第に心が溶け合って
行く様子をみるのは気持ちいい。決して直線的な解決ではないけれど、それがあるから映画になって
いるわけで・・・。娘を演じたカトリーヌ・フロが圧倒的に良かった。確執を抱えながら継母の変化を
読み取り、これに沿い、見つめていき、自らも変わっていく様子がよく演技されていた。演出も
よかったのだろう。同じ母娘モノでもハリウッドと欧州では、テイストが随分変わるものだなあ
(全てではないけど)と思ったのだった。

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<ストーリー>
フランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌーヴとカトリーヌ・フロが対照的な義理の母娘を演じる
人生ドラマ。助産師の生真面目な中年女性が、30年ぶりに現われた継母に戸惑いつつも、過去のわだかまりを
乗り越え、彼女の自由奔放な生き方も少しずつ受け入れていくさまを、ユーモアを織り交ぜつつほろ苦くも
心温まるタッチで綴る。
共演にオリヴィエ・グルメ。監督は「セラフィーヌの庭」「ヴィオレット ある作家の肖像」の
マルタン・プロヴォ。
 
助産師として働くクレール。真面目すぎる彼女は子育てを終えた今も、堅実で禁欲的な日々を送っていた。
そんな彼女の前に、30年前に突然姿を消した継母のベアトリスがいきなり現われる。酒とギャンブルが大好きで
自分勝手に生きてきた彼女だったが、癌になったことで、生涯で唯一愛した男性にもう一度会いたいと戻って
きたのだった。
しかし当のクレールの父は、ベアトリスが理由も告げずに去った直後に自殺していた。父と自分を捨てた憎む
べき存在のベアトリスとの思いがけない再会に、戸惑いと苛立ちを隠せないクレールだったが…。(allcinema)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:89% Audience Score:79%>
<KINENOTE=72.8点>




by jazzyoba0083 | 2019-02-22 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「掠奪された七人の花嫁 Seven Brides for Seven Brothers」(名画再見シリーズ)
1954 アメリカ MGM 102min.
監督:スタンリー・ドーネン
出演者:ハワード・キール、ジェーン・パウエル、ラス・タンブリン、トミー・ロール、ジェフ・リチャーズ他

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<評価:★★★★★★★★★☆+α>
<感想>
毎月木曜は3月まで市の映画鑑賞会で、MGMのミュージカルを上映してくれている。タダで。大画面で観る
傑作ミュージカルは、流石にいいなあ。本作はDVDを持ってはいるけど、大画面で楽しみたくて午前の回に
でかけた。同好の士で満席。まあ平日の午前中だから敬老会みたいな感じだけれど。ww

さて、本作はMGMミュージカルの4作目。監督はMGMにこの人あり、スタンリー・ドーネン。「雨に唄えば」
に続く作品だ。この映画の最大の見所は、村の祭のシーンのダンスだ。男女14人以上がもつれ、揃い、見事な
ダンスを披露する。コレオグラファーはブロードウェイを代表する名人マイケル・キッド。8曲の歌は、この
時期のミュージカル映画では本作のみの登場となるジーン・デ・ポール。末っ子を演じたラス・タンブリンは
後に「ウェストサイド物語」でジェット団のリーダー、リフを演じることになる。85歳となった今もご健在だ。

さて、この映画はテクニカラーではなく、アンスコカラー。どういうイキサツか、寡聞にして知らないが、
アンスコで撮られた映画は数少ないと思う。透明感のあるカラーだというが、保存ということでいうと
テクニカラーには敵わず、今我々が観るDVDは上映当時の色ではないし、上映当時から発色やシャープネスに
問題はあったようだ。

閑話休題。物語はプルタークが書いた古代ローマ人のサバイン婦人誘拐の故事に取材したスティーヴン・ペネの
「すすり泣く女たち」に依っているが、オレゴン山中の出来事としてブロードウェイミュージカルに翻案した
のも凄いけど、歌と踊りを配した脚色にした(オスカー脚色賞受賞)アルバート・ハケットらの脚色チームの
筆力がものを言っている。

作中、8曲を提供しているジーン・デ・ポールも日本ではあまり知られていないが、バイオグラフィーを見ると
本作が人生の最大の仕事だったようだ。ジャズファンにはおなじみスタンダード「I'll Remember April(四月の
思い出)」=アボット/コステロ主演の人気コメディ映画凸凹シリーズの一編『凸凹カウボーイの巻』
(1942年製作:原題:Ride 'em Cowboy)挿入歌の作曲者、といえばピンと来るかも知れない。
彼の本作の仕事は素晴らしい。

物語、音楽、ダンス、三拍子揃って(せっかくのシネマスコープなのでこれでテクニカラーだったら言うこと
ないのだが)、楽しい至福のときが過ごせる。今から65年も前の作品とは到底思えない質の高さだ。
全部セット、というのが当時らしいダイナミックさだ。ストーリーにツッコミを入れるなどは野暮の骨頂。

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<ストーリー:結末まで書かれています>
1850年のお話。アダム・ポンティピー(ハワード・キール)はオレゴンの山奥から町へ出てきた。
そして首尾よく料理店の女ミリー(ジェーン・パウエル)を口説き落として山の農場へ連れ帰った。
アダムのうまい口説を本気にして来たミリーは、総勢7名の荒々しいポンティピー兄弟に会い、散らかし放題の
家の中を見てすっかり幻滅の悲哀を感じてしまったが、すぐ気をとりなおしてかいがいしく働き出したから、
さすがの兄弟たちも身なりをさっぱりと改め、新しい生活にのりだした。

ある日、ミリーが弟たちと一緒に町へ買物に出たところ、彼らは町の娘に手を出してボーイ・フレンドと
喧嘩をひき起こす始末。これではならぬとミリーは弟たちに女性と交際するエチケットを教え、どうやら1人前に
して6人の弟たちを町へ連れ出した。1人1人相手を得て、至極神妙にやっていたうちはよかったが、町の男が
誤ってアダムの頭へ厚板を落としたのがきっかけとなって、おさえられていた血気が一挙に爆発し、大乱闘を
展開した。そんなことで折角のロマンスへのチャンスを失った兄弟は、冬を迎えて憂鬱な日を送っていたが、
それを見たアダムは、古代ローマ人は町を襲って各々結婚相手をさらって来たと智恵をつけてやった。

間もなく兄弟の駆る4頭立ての馬車が町を襲い、娘たちをさらっていった。町人が後を追って彼らに迫ったとき、
その間に雪崩が突発してポンティピー農場への1本道は春の雪どけまで断たれてしまった。ミリーはこの野蛮な
行為に憤慨して男たちを納屋へ追いやり、娘たちは自分と一緒に母屋においた。

ミリーの厳重な監視の下に、若者たちは、いや娘たちもうつうつと一冬を過ごした。春が来て雪がとけると、
早速町の人たちが武器をもって娘たちを取り返しにやって来たが、なんと娘たちは兄弟と手をとりあって町人に
反抗する。折もおり、ミリーに第1子が誕生し、やがて、押しよせた町びとたちを立会人に、6組の結婚式が
賑やかにとり行われたのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:88% Audience Score:87%>




by jazzyoba0083 | 2019-02-14 11:45 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ワーキング・ガール Working Girl」
1988 アメリカ 20th Century Fox 113min.
監督:マイク・ニコルズ  音楽:カーリー・サイモン
出演:メラニー・グリフィス、シガーニー・ウィーヴァー、ハリソン・フォード、アレック・ボールドウィン
   ジョーン・キューザック、フィリップ・ボスコ、ノーラ・ダン、ケヴィン・スペイシー他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
時代の雰囲気が横溢した映画だ。風俗を保存するという意味でもこの映画は貴重な存在。日本で
「私をスキーに連れてって」が製作されたのが1987年だから、まさにバブルに世界中が浮かれ気分だった
時代だ。本作に出演している女性陣のファッション、ヘアスタイル、メイク、まさに80年代のタイム
カプセルのようだ。ヤッピーということばが出てきて、ビジネス街に通う女性はスニーカーで出勤し
会社でヒールに履き替える、という風習がまさに本作でも使われている。

80年代の風俗なタイムカプセルと言えば我が国では「わたスキ」がそうであった。しかし「わたスキ」が
心底お気楽映画だったのに比べ、本作はアメリカで女性が社会に進出しはじめた頃のビジネス界の感じを、
女性をどう捉えていたかも含め見て取ることが出来、同じ時代を切り取る映画でも「上昇志向の女性」の
姿を勧善懲悪の世界で(カタルシスは平凡だが)描いているところに違いがある。

8年前の1980年には、こちらも主題歌が大ヒットした「9時から5時まで」という、働く女性を描いた
ブラックコメディがあったが、その当時と比べると、上司が女性というところからして違うし、女性が
オフィスで働く、ということの真剣さの捉え方に時代を感じる。

当時バブルで金満日本によるアメリカ企業の買収が盛んだった時代で、本作でも舞台となる証券会社の
M&A部門では日本企業による買収がさかんに話題になっている。そのような背景も含め80年台を記録
した作品である。NYにはWTCがそびえているのは当然である。

「こんな、映画のようなことがあるもんか」というセリフは映画の中でも良く使われるのだが、本作は実際
そんな感じ。ありえないシンデレラストーリーで、まあ悪く言えば「ご都合主義」なのだが、頑張った
(当時は地位が低い)女性が(ありえない)成功を手にするという、まあ観ている女性陣からすれば
スカッとする(逆に今見ると、世の中こんなに上手くいかないよ、と思われるだろうが)仕上がりになって
いる。

とにかく80年代の時代感横溢なのである。メラニー・グリフィスの役柄は少し前ならマリリン・モンローが
やったような少し頭のネジが緩いような風貌、しゃべりなのだが、彼女の違うのは(外見とは違いww)
頭がよく、アイデアウーマンだということだ。しかし5年掛けて夜学の大学を出ても、新卒で大学を出てくる
女性には敵わない。そんな同い年の上司をシガーニー・ウィーヴァーが演じる。どなたかも書かれているが
もっと意地悪く描いても良かったんじゃないかな。それにしても本作の中ではピカイチの存在感と演技。
いわゆる憎まれ役である。だが、メラニーはシガーニーの言葉(生きていく上での)にインスパイアされる
(シンプルなファッションも)のだ。だが、シガーニーのほうが上昇志向が強すぎで、信頼を裏切るという
汚い手を使うのだ。まあ、メラニーの方も、体当たりとはいえ余り褒められた行動をとるわけでもないの
だが・・・。メラニーは髪の毛を切ると風貌も切れ者風に変わるのだが、主人公がメラニーという配役で
本当に良かったのかどうかは評価が分かれるところだろう。

シガーニーの恋人で、最後にはメラニーに取られてしまうハリソン・フォードは、「スター・ウォーズ」
「インディ・ジョーンズ」シリーズで油が乗り始めてきた頃。「何を演じてもハリソン・フォード」と
悪口を言われるが、まあここでもそんな三枚目的な役柄で、最後に美味しいところを持っていく。役柄に
合っていたキャスティングだと思う。

全体の作劇は、名匠マイク・ニコルズらしく見せ場をつくりきちんと纏めている。楽しい映画に仕上がって
いることは間違いない。またオスカーを獲ったカーリー・サイモンによる主題歌、また名手ミヒャエル・
バウハウスによる冒頭の自由の女神の空撮を始めとし、エンディングのビルの一部屋からの引きの画といい
映像もここちよく仕上がっている。

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<ストーリー>
ニューヨークのマーシュ証券会社で秘書として働くテス・マクギル(メラニー・グリフィス)は、頭が
切れるものの学歴不足が原因で証券マン養成コースからはずされ、おまけに好色な上司をポン引き呼ば
わりしてしまい、ボストンから転勤してきた女性重役キャサリン・パーカー(シガニィー・ウィーヴァー)
の秘書に配置変えされてしまう。洗練されたキャサリンに圧倒されるテスであったが、トラスク産業の
ラジオ局買収の情報を提供し、成功したら養成コースに入れて欲しいと彼女に頼む。

恋人との結婚でうきうきするキャサリンであったが休暇を過ごしたスキー場で足を骨折、回復までの間、
すべてを任されたテスは、彼女のパソコンの中の「トラスクの件はテスを通さぬ事」という一節を読み
ショックをうける。さらに彼女は恋人ミック(アレック・ボールドウィン)の他の女との情事の現場を
目撃してしまい、怒り心頭、そしてワープロの中にあったジャック・トレイナーという男を訪ね彼の
主宰するパーティにもぐり込むが、そこでダンディな紳士(ハリソン・フォード)に誘われ飲んでゆく
うちに酔いつぶれ、彼のマンションに泊まってしまう。

翌朝、ジャックの勤めるデューイ社を訪れたテスは、昨夜の紳士こそ彼であることを知り驚くが、
ジャックはトラスク社のラジオ局買収に乗り気で、トラスク社長(フィリップ・ボスコ)の娘の
結婚式にふたりしてもぐり込み社長に接近、彼に気に入られたテスは合併問題で会ってもらえる
約束をとりつける。この仕事を通してジャックはテスが気に入り、恋人との婚約を取り消すと言い
出すが、その恋人こそキャサリンだった。

そして彼女の退院の日、トラスク産業の重役会議出席のためキャサリンを巻いてテスとジャックは
会場にすべり込むが、キャサリンは彼女の部屋に忘れたテスのスケジュール帳を盗み読み、
事の成り行きを知る。そして契約調印の直前、キャサリンが、「テスはアイデアを盗んだ秘書」と
言ってどなり込み、話は一時延期される。窮地に立たされたテスであったが、後日エレベーターで
出会ったトラスク社長が真相を知るや、逆に彼女の着眼点の良さ、行動力が評価され、改めて
合併に調印、そしてキャサリンはクビ、トラスク産業の重役に引き抜かれたテスは、ジャックとの
愛も手に入れるのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:85% Audience Score:67% >
<KINENOTE=70.2点>





by jazzyoba0083 | 2018-12-17 23:05 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)