カテゴリ:洋画=ら~わ行( 199 )

●「リリーのすべて The Danish Girl」
2015 イギリス・ドイツ・アメリカ Working Title Films,Pretty Pictures.120min.
監督:トム・フーパー 
原作:デヴィッド・エバーショフ『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』
出演:エディ・レッドメイン、アリシア・ヴィカンダー、ベン・ウィショー、セバスチャン・
   コッホ、アンバー・ハード、マティアス・スーナールツ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
アリシア・ヴィカンダーがオスカー助演女優賞に輝いた作品として注目はしていたが、
もっとチャラい映画かと勘違いしていてこれまで鑑賞を逸していた。反省。
本作、世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人、リリー・エルベと彼を支えた妻
ゲルダの愛情物語だ。昭和の始めころにそのような手術が行われていたのを知ったのも
ビックリだったが、何よりこの映画の見どころは、手術を受ける夫を支えた妻ゲルダの
存在であろう。

画家であるゲルダのモデルを務めるため、もともと細身であった夫アイナー(レッドメイン)がストッキングを履くあたりで、彼の心の中に住む「女性リリー」が顔を出し始める。
妻ゲルダのその女装をした夫を描いたスケッチはパリで個展を開くまでに評価される。
一方で、夫アイナーの中にリリーが出現する時間が長くなり、妻も最初は単なる女装と
思っていたのだが、夫の心の中に変化が生まれたことに気づき戸惑う。ここで妻ゲルダの
偉いところは、夫としてのアイナーを愛しつつ、性同一性障害(という言葉はその当時無かっ
ただろう)で出現したリリーも愛したのだ。本当は男性である夫アイナーに助けてもらいたい
こと、抱きしめてもらいたいこと、たくさんあり苦悩もしたが、彼女はリリーを理解した
のだ。

アイナーも病気じゃないかと医師に相談すると、同性愛者だとか、精神病であるとか
決めつけられるだけ。苦しさは募るばかり。自分の中に女性が住んでいる、そして自分は
肉体では男だが、存在は女性なのだ、と確信する。
そしてゲルダの友人の紹介でドイツの高名な医師に性転換手術をしてもらう決心を固める。
それすなわち、ゲルダは夫アイナーと分かれることになるのだ。さぞ辛い思いだったろう。

手術は2回。1回目で男性器を切除し、体力が回復してきたら膣形成をする、というもの。
今でも大変な手術だろうに、いまから100年近くも前に、こうした手術を受けるリリーの
勇気とそれを支える妻ゲルダの深い愛情、それがこの映画の全てと言って良いだろう。
観客はリリーのすることはワガママと受け止めるだろう。そしてそれを受け入れるゲルダの
心のありようは一体なんなのか、と思うだろう。愛した人は男であろうが女であろうが、
構わない、むしろ、彼女の求めたところは「人類愛」なのか。それとも、あくまで女性と
なったリリーの中に夫(への愛の存在)を観ていたのだろうか。それは映画からは分から
ない。

リリーを演じたエディ・レッドメインの女性姿は綺麗だ。そして、結局2回目の手術による
感染症でリリーは命を落とすのだが、死にゆくリリーは決して不幸ではなかった、と
この映画では描いている。 

不思議な夫婦愛のお話。「英国王のスピーチ」「レ・ミゼラブル」で一躍その名を轟かせた
トム・フーパーの作劇は流石に魅せる。そして本年度のオスカーで「シェイプ・オブ・
ウォーター」でオスカー作曲賞を獲ったアレクサンドル・デスプラの音楽が詩情を掻き立て
る。
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<ストーリー>
世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人、リリー・エルベの実話を基に、ふとした
きっかけから男性であることに違和感を抱き始めた主人公の苦悩と、そんな夫を献身的に
支え続けた妻の葛藤と感動の愛の物語を描いたドラマ。
主演は「レ・ミゼラブル」「博士と彼女のセオリー」のエディ・レッドメイン。
共演に本作の演技でみごとアカデミー助演女優賞に輝いた「ロイヤル・アフェア 愛と
欲望の王宮」「コードネーム U.N.C.L.E.」のアリシア・ヴィカンダー。
監督は「英国王のスピーチ」「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー。
 
 1926年、デンマークのコペンハーゲン。風景画家のアイナー・ヴェイナーは結婚して
6年目になる肖像画家の妻ゲルダと仲睦まじい日々を送っていた。ある日、ゲルダに
頼まれて女性モデルの代役を引き受けたのがきっかけとなり、自分の中に潜んでいた
女性の存在を自覚するようになる。
最初は遊びのつもりでアイナーに女装をさせ、“リリー”として外に連れ出し楽しんでいた
ゲルダも、次第にアイナーが本気だと気づき激しく動揺するが…。(allcinema)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:68% Audience Score:72% >




by jazzyoba0083 | 2018-04-09 23:20 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「レザボア・ドッグス Reservoir Dogs」
1992 アメリカ Live Entertainment,Dog Eat Dog Productions Inc. (Dist.MIRAMAX) 100min.
監督・脚本:クェンティン・タランティーノ
出演:ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、クリストファー・ペン、スティーヴ・ブシェミ クエンティン・タランティーノ他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
タランティーノのデビュー作をずっと観てみたかった。今回機会を得たので楽しませてもらった。
いまさら何の論評が必要か、という傑作だ。私見だが、タランティーノ、本作を超えた作品(勢いという点で)が
ないんじゃないかと思えるくらいの勢いを持った作品。(「パルプフィクション」もいい作品ではあるが)
荒々しいけど、いい。洗練されてくると最近の「ヘイトフル・エイト」みたいになるのかな。

タランティーノらしさが横溢した作品で、「アクション」「暴力」「ユーモア」「下品な意味のない長い会話」
「あっという展開」、そうした中で、そこはかとなく(正面切ってということではなく)ヒューマンを感じる。

そしてハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、スティーヴ・ブシェミを始めとする役者たちが、渋くていい。
ストーリーの根幹をなすのは潜入覆面デカのティム・ロス(Mr.オレンジ)なわけだが、冒頭のダイナーでの
マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」の下らない解説についで登場する、逃走するクルマの後部座席で
腹を撃たれて血だらけになって大騒ぎしているオレンジ。何が置きたのかわからないが、どうやら強盗に
失敗して撃たれたらしい。このシーンは後でカットバックされるのだが、こういう時制の置き方もタランティーノ
らしくて好きだ。私は、この強盗グループに誰か裏切り者がいる、と確信した仲間の誰かに銃撃戦の最中に
撃たれたのか、と推察していたら、Mr.ホワイト(カイテル)と、警官に追われて逃げる途中、奪おうとした
クルマの気丈な女性運転者に銃で反撃され撃たれたのだった。これもビックリ。しかも刑事であるオレンジは
とっさに市民であるこの女性を射殺してしまうんだもの。

ハードボイルドであり、容赦ない暴力がある一方、どこか緩さがあり、その緊張と弛緩のメリハリが
たまらない魅力を出していると感じる。100分という時間もいいし、70年代のヒット曲を物語の大きなテーマに
したところも素敵だ。オレンジが強盗団に潜入するに際し、芝居を鍛えることを要求され、ビルの屋上で一所
懸命覚えるあたり、まじめなのか馬鹿なのか分からない(タランティーノの演出は終始そうなんだが)成り行きが
いいフィーリングを醸し出す。

ラストのオレンジとホワイトの血まみれの絡み、そして親分とその息子、そしてホワイトの三すくみの
銃撃戦、Mr.ピンクの漁夫の利まで最後の最後までタランティーノ世界から目が話せない。また観たくなるだろう。
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<ストーリー>
ロサンゼルスの犯罪のプロ、ジョー・カボット(ローレンス・ティアニー)は大掛りな宝石強盗を計画し、
彼の息子ナイスガイ・エディ(クリストファー・ペン)とダイヤモンド専門の卸売り業者に押し入るべく
プロの悪党たちに声をかけた。計画を成功させるため、コードネームで呼ばれるMrホワイト(ハーヴェイ・
カイテル)、Mrオレンジ(ティム・ロス)、Mrブロンド(マイケル・マドセン)、ピンク(スティーヴ・
ブシェーミ)、Mrブルー(エディ・バンカー)、Mrブラウン(クエンティン・タランティーノ)が集まった。

周到に練られた彼らの計画は、襲撃現場に警官が待ち伏せていたため失敗に終る。ホワイトと瀕死の重傷を
負ったオレンジが集合場所の倉庫に必死でり着いた時、ピンクもやって来た。そして彼らはブルーが行方不明で、
ブラウンは逃走の途中で死んだことを知った。彼らの中に仲間への不審の念が沸き上がる。そこに縛り上げた
若い警官、マーヴィン・ナッシュ(カーク・バルツ)を連れてブロンドがやって来た。

仲間に裏切り者がいたことを確信するブロンドは、この警官に裏切り者は誰か吐かせようと言う。やって来た
エディと共に、ホワイトとピンクは隠したダイヤを取りに倉庫を出て行った。サディストのブロンドは拷問を
楽しむために剃刀とガソリンを取り出した。倉庫にマーヴィンの絶叫が響き、彼の耳が切り落とされた。
血の海の中でオレンジはマーヴィンに、自分は潜入捜査官だと告白した。そしてまた倉庫に生き残った者が
集まり、それぞれの不信感が絶頂に達し、凄絶な殺し合いが始まった。
銃を手にしなかったピンクがひとり生き残り、地獄絵のような倉庫をあとにして去っていくのだった。
(Movie Walker)

<IMDb=★8.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:91% Audience Score:94% >





by jazzyoba0083 | 2018-04-05 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「レッド・スパロー Red Sparrow」
2018 アメリカ Chernin Entertainment,Film Rites,Soundtrack New York. 140min.
監督:フランシス・ローレンス
出演:ジェニファー・ローレンス、ジョエル・エドガートン、マティアス・スーナールツ
   シャーロット・ランプリング、ジェレミー・アイアンズ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆-α>
<感想>
「ハンガー・ゲーム」シリーズで、ジェニファー・ローレンスと組んでアクションを
撮っているフランシス・ローレンスが、今回は彼女をロシア人として、女性としての
武器を最大に使ったスパイとして活躍させた作品を創った。
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さてさて、ボルショイバレー団のプリマだったドミニカ(ジェニファー)は、仲間の
妬みから本番の演技中にバレリーナとしては再起不能の大怪我を負わせられる。
彼女は病の母を抱えていて、ボリショイをクビになると国家からの支援も打ち切られ、
困ることになる。そこに目を付けたのが叔父で情報局副長官のエゴロフ(スーナールツ)で
あった。母の入院とケアの継続を条件に、彼女をスパローと呼ばれるスパイ養成校に
送り込む。

彼女は天性の才能があったのだろう。スパイとしての頭角を表す。この学校では男女とも
ハニートラップなど「セックス」を大きな武器としていた。

そうした中で、ロシアに潜入中のCIAネイト(エドガートン)がロシア諜報機関にいる
アメリカへの協力者(いわゆるモグラ)との接触に失敗し、モグラの存在が浮上、
ドミニカは、ネイトに近づいてモグラの名前を聞き出す任務を与えられる。

ドミニカはネイトに好意を覚える(みたい)だし、アメリカへの母ごとの亡命を言い出すし、
実際はどちらの体制に付いているのかよく分からなくなる。

ドミニカが母国ロシアの愛国者なのか、ネイトを愛し、アメリカに協力する逆スパイに
なったのか、その辺りの見えづらさがこの映画の見せ所だろう。

結局モグラは情報局にいた将軍だったのだが、将軍は、自らの身を捨てて、自分を売れ、
そしてドミニカが出世してモグラの地位を得るのだ、と説得する。しかしドミニカは
自分をスパイの道に引きずり込んだ叔父をモグラだと垂れ込んで、ネイトと、将軍を
救う。そして将軍と共にアメリカのスパイとしてロシアに身を置くことにした。

ラストシーンはおそらくネイトからの電話で、電話口から、自分がバレリーナとして
初舞台を踏んだ時に演じたグリークだったかな?の曲が流れて来たのだった。

というふうなお話。拷問などの(しかもエロチックな)痛いシーンもたくさんあるし
血もたくさん流れる。下手するとエログロな映画になってしまう寸前。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全裸やレイプシーン、際どい水着などエロエロな今回のジェニファーだが、彼女、そう
びっくりするグラマーでもないので、まあスパイとして色仕掛けを学びましたよ、それを
実践しましたよ、という点を頑張っている様子を見せたのでしょうが、それが肉体を武器に
出来る女優ではないのが、リアリティを獲得しているメリットかも知れない。

140分の映画だが、そこまで長くする必要があったかなあ、というのが正直なところ。
ネイト役エドガートンは地味だったなあ。ジェニファーを引き立てる役どころだったの
かな。こうしたスパイや逆スパイが入り乱れる映画は訳が分かりづらくなるのだが、
本作は割とすんなり観られたことは観られたが、叔父をモグラにしたてる様子がよく
分からなかったのと、ジェニファーは将軍がモグラだといつ分かって叔父をモグラに
したてようと準備を始めたのか?それは、モグラがだれであろうと、叔父をモグラにして
やろうという前々からのジェニファーの計画だった、と読むのが正しいのかな。

全体的に毛色の変わったスパイ映画で飽きはしなかったが作品の出来としてはどうか、と
言われると、うーむ、となる。冒頭プリマを演じたジェニファーはバレエの素人だったが
4ヶ月の特訓を受けて一応踊れるようになったようだ。ところどころ難しいカットは
スタンドインに任せたのだろうが、こうしたことをやっちゃうのがハリウッド俳優の
凄いところだなあ。でもジェニファーはバレリーナ体型ではないな。ww

<IMDb=★6.8%>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:48% Audience Score:55%>
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by jazzyoba0083 | 2018-04-02 12:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

LOGAN/ローガン Logan

⚫「LOGAN/ローガン  Logan」
2017 アメリカ 20th Century Fox. 138min.
監督・原案・(共同)製作・脚本:ジェームズ・マンゴールド
出演:ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワート、リチャード・E・グラント、ボイド・ホルブルック他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
アメコミの快活なヒーロー感とは趣を異にした、影の部分を描くもの。しばらくは、日本の戦隊モノに
影響を受けたアヴェンジャーズのような全員集合、役者だけでみせちゃいます、的な時代が続いていたが、
このところ、それはそれとして、アメコミの分かりやすい原点回帰のような作品が続いているのでファンとしては
嬉しい。本作も私としてはヒース・レジャーが一躍その名を売った「ダークナイト」以来の、アメコミの別の
側面を切り開くものとして興味深く観ることが出来た。

「X-MEN」ウルヴァリンのスピンアウトであるが、ウルヴァリンとエクゼビアの最後の戦いとなる。ヒーローは
死なないという少年的アメコミのアプローチではなく、極めて人間的な(ミュータントだけど)、内省的とは
ちょっと違うが、うん、やはり人間的な物語として観ることが出来、その面でいわゆるアメコミ・ヒーローモノと
は一線を画した作品ということが出来よう。こうした作品を待っていたファンも多いと見えて本国の評価は極めて
高い。こんなんだったらシネコンで観れば良かったと反省した次第。

物語としても分かりやすく、ローガンとエクゼビアの「老い」と、ローガンのDNAからクローンとして誕生した
娘と息子らとの世代交代も描いていく。
時代は2029年。ミュータントはほぼ絶滅し、ローガンとエグゼビアも歳をとり、今やローガンは車椅子の
エグゼビアを匿いつつ、リムジンの運転手をして口に糊している。そこにローガンに助けを求める女性が
現れるのが物語の始まり。彼女はある組織がミュータントのDNAからクローンの子供を兵器として「製造」
していて、母体となったメキシコ人は殺されているという事実を知る。彼女が連れてきた少女はローガンの
DNAからクローン化されたミュータントで、ローガンと同じくアダマンチウムの爪を武器としていた。

逃亡した彼女らを追いかけて来た追っ手は、エグゼビアの抹殺も目論む。助けを求めに来た女性は追っ手に
惨殺されてしまう。ノースダコタに「エデン」と名付けられた、組織から逃亡した子供らがいるところがある
からそこへ行き、子供らを更に逃してほしいと頼まれていたのだった。

追っ手との壮絶な戦いを経て、自らもアダマンチウムの毒と老いでかつての力も回復力もなくなったローガンは
「エデン」へと向かう。追っ手の追跡も苛烈を極める。若い頃のウルヴァリンそっくりなクローンも襲いかかって
来る。
超能力を持った子供らの力もあり、追っ手を排除できるのだが、ローガンは回復機能がほぼなくなってしまって
いる中で深手を負い、「娘」ローラの腕の中で息絶える。子供らは国境を目指して進んでいった。

ローガンの老いたなりの戦い、そして「娘」ローラの足からも出る爪も武器にした戦い、さらに「息子」と
思しきミュータントとの戦い、そこから見えてくるのは「情」の世界。全然口をきかなかったローラがローガンの
死に際しては涙を流して悲しむ。そこにはクローンとはいえ、「親子」の「情」が通っている。それに対応
するように、同じDNAから作られたローガンそっくりな男性版の「非情さ」を際立たせている。そうした若い
チカラの誕生を見届けるように、ローガンとエグゼビアは舞台を降りるのだ。ウルヴァリンの痛快なアクションの
時代は終わり、ローラたち若い世代が、新しいX-MENを形成するようになるのだろう。
追ってから逃げる途中である家族に助けられる場面がある。なんで巻き込むのか?と怪訝に感じたが、結局家族は
殺されてしまうのだが、彼らとの交流もミュータントとしての「情」の表現に他ならない。

アラン・ラッド「シェーン」のラストシークエスをテレビでローラが観るシーンが有り、ラストもそのオマージュと
して終わっていくあたり、こりゃ、大人の映画だな、と思った次第。アダマンチウム弾の最後の活躍ぶりも
お見事である。

アメコミ映画だが、なかなか見ごたえがある。
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<ストーリー>
 「X-MEN」シリーズの中でヒュー・ジャックマンが17年にわたって演じてきた人気キャラクター
“ウルヴァリン”の最後の戦いを描くヒーロー・アクション。治癒能力を失い、老いから逃れられなくなった
ウルヴァリンことローガンが、絶滅寸前のミュータント唯一の希望となる少女を守るために繰り広げる壮絶な
死闘の行方を、迫力のアクションとエモーショナルな人間ドラマで描き出していく。
共演はパトリック・スチュワート、ダフネ・キーン。監督は「ウルヴァリン:SAMURAI」に引き続き、
「ニューヨークの恋人」「3時10分、決断のとき」のジェームズ・マンゴールド。

 すでにミュータントの大半が死滅した2029年。超人的な治癒能力を失いつつあったローガンももはや不死身の
存在ではなく、長年酷使してきた肉体の衰えは火を見るよりも明らかだった。彼はリムジンの運転手で日銭を稼ぎ、
メキシコ国境近くの寂れた荒野で年老いたチャールズ・エグゼビアの面倒を見ながらひっそりと暮らしていた。

ある日、ガブリエラという女性が現われ、謎の少女ローラをノースダコタまで送り届けてほしいと依頼する。
そんなローラを追って冷酷非情な男ピアースが武装集団を率いて迫り来る。ローガンは渋々ながらもローラ、
チャールズとともに、過酷なアメリカ大陸縦断の旅に出るのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:90% >





by jazzyoba0083 | 2018-03-27 23:20 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

わらの犬 Straw Dogs

●「わらの犬 Straw Dogs」
1971 アメリカ  ABC Pictures Corp. 115min.
監督・(共同)脚本:サム・ペキンパー
出演:ダスティン・ホフマン、スーザン・ジョージ、ピーター・ヴォーン、P・T・マケンナ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
事前に「サム・ペキンパー 情熱と美学」という彼の一生を描いたドキュメンタリー映画を
観ていたのでだいぶ理解が得られやすかった。西部劇を手がていたペキンパーが最初に
挑んだ現代劇である。

猫の死体が発見されるまでの伏線というか後半に怒涛のように流れていくまでがやや
退屈だったが、その後の展開は目まぐるしく、短いカットのモンタージュ、スローを
使った表現などから、ラストシークエンスの一大暴力破壊シーンに至るまでは息つく
暇がないスピード感である。

「むき出しのヒリヒリするバイオレンス」を通して主人公デヴィッド(ホフマン)が
表現する人間の本性と加速の表出が見事。暴力シーンなら今なら手持ちカメラを多用する
ことで心情も併せて表現するのが昨今だが、本作では敢えて固定カメラを使い、硬質な
恐怖感というものを演出している。それが窮屈な恐怖感(家屋の中という)をも
表出させていたのではないか。製作された頃のアメリカの状況をみればベトナム戦争は
泥沼で、公民権運動などで国内は荒れていた。
そんなアメリカを逃れ妻の実家であるスコットランドを訪れたデヴッドとエイミー夫妻。
彼らが居を構えた村は、「排他的なキリスト教的村社会」。その村での若者たちも
閉塞感に悶々としている。

本来平和主義のデヴィッド、車庫の屋根を修理に来ている若者たち。セックスだけが
夫との絆と思い込むそう賢くない感じの妻エイミー。修理の若者たちを自分の肉体を
晒すことで挑発。やり過ぎの程度が分からないエイミーはついには若者に輪姦されて
しまう。が、デヴィッドには言えない(言わない)。デヴィッドとエイミーの間には
冷たいものが横たわり始めていた。天文物理学者であるデヴィッドはエイミーの理解の
無さに辟易することもあった。そうした伏線のかずかずは上手い脚本である。

さて、この映画の白眉のラストシークエンス、知能が足りない大男が女の子に誘われ
洞窟に行くが、誤って殺してしまう。逃げている大男を、酒場から帰るデヴィッド夫妻の
運転するクルマがはねてしまう。家に連れて帰り医者に見せなくては、という夫と
追いかけてきた手に手に猟銃をもった娘の父親と屋根を修理していた若者たち。

大男を渡せという追手の男たちは酔も加わってまるで暴徒である。まどから石をなげ
こんで来る。大男を引き渡せ、という妻とで家の中でも対立が起きる。その間、銃でドアを
撃ち侵入しようとする。事態収集に来た判事も彼らは射殺してしまう。

そこからの一大アクションシーンは伏線であった大きな鉄製のけもの用の鰐口の罠の
存在をどうにかするのだよなあ、並べて煮始めた油は外に向かって掛けるんだよなあ、
などと推測しながら、大人しいむしろチキンのデヴィッドが、さまざまな仕掛けを
工夫し、多勢に無勢の状況を打開、容赦ない外からの攻撃、やがて彼らが家に入って
くると、暴力はさらに過激になる。西部劇から現代劇への第一歩としてはそのバイオ
レンスの表現に西部劇調を見ることが出来る。
ここにおいての最大の見ものはダスティン・ホフマンの顔を変貌だろう。本来心の奥に
あった凶暴さが目覚めて火が付き、顔つきさえ変わっていく所だ。

ラストで大男をクルマに乗せて、我が家を後にするラストシーン、大男が「家に帰る
道が分からなくなったよ」という。するとホフマンは「俺もだ」とにやりと笑って
返すのだが、相手側が悪いとは言え、何人も殺しているだけに、一体彼はどこへ行こうと
いうのか。デヴィッドに目覚めた「狂気」は、彼の本質を目覚めさせてしまったようだ。
恐ろしい結末。残してきたエイミーはどうするんだろう(知ったことではないのだろうが)。

「卒業」のラストシーンで提示された、キャサリン・ロスとのバスの中での未来に対する
不安にシークエンスは似ているが、暴力の果の全く見通せない今後とはその見え無さ加減の
方向性は全然違う。

そうしてみると、退屈と思った前半、これは後半のバイオレンスに流すためのテーゼと
して描かれたということが分かってくる。ペキンパーの構成に脱帽せざるを得ない。

ダスティン・ホフマンは、争いを避けたいとはいえ話し合いだけではつかない結論があると
いうことに目覚めてしまった。本来は(イライラはずっと感じていたが)温厚な天文宇宙学
の学者、という役どころを好演。スーザン・ジョージはものの見え方や世界観が狭く、
感情的な存在としてキャスティングされたと思うがそうした意味で言うバカっぷりは
いいんじゃないかな。

先に書いたドキュメンタリーの中で、スーザン・ジョージのダイコンぶりにダスティンや
監督は相当苦労したようだ。またダスティンは最初の頃、ペキンパーと意見が合わず、
監督から「好きに演りゃいいさ」と言われたとか。

ペキンパーにより「人間のもつオルターネイトな側面」が「ヒリヒリするような」感性を
以て描かれた傑作といえよう。ホフマンとしても代表作の一つとなった。

因みにタイトルは老子/五章『天地不仁、以萬物爲芻狗 聖人不仁、以百姓爲芻狗』
「天地は非情で、万物をわらの犬のように扱う。聖人も非情で、万人をわらの犬のように
扱う。」から取られているそうだが、「世界は所詮、非情」ということか?
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<ストーリー:結末まで書いています>
現代。アメリカの若い宇宙数学者デビッド(ダスティン・ホフマン)は、自らの平和
主義の信念に従い、暴力に満ちたアメリカの現体制に反発し、エミー(スーザン・
ジョージ)と共にイギリスに渡った。

コーンウォール州の片田舎にある農家に住み、何ものにも煩わされることなく数学の
研究に専念し、書物にしようと考えていた。エミーもコーンウォール出身で、この村に
移ってくるとたちまち村の若者の眼をひいた。デビッド夫妻は農家に落ち着くと、
早速職人たちを雇って納屋の修理をさせることにした。
ところが、その中に、エミーがデビッドと結婚する前に肉体関係のあったベナー(デル・
ヘナー)がいたのだ。
ある日、デビッドが村の若者たちにすすめられ、彼らがあらかじめ用意しておいた狩場へ
鳥を撃ちに出かけた留守中に、彼を誘いだす計画をたてたベナーとスカットがエミーに
暴行を加えた。

数日後、村の教会で村人たちの懇親会が開かれ、デビッド夫妻もそれに出席した。懇親会は
なごやかな雰囲気の中で行なわれたが、エミーは楽しめなかった。彼女の記憶の中に、
ベナーたちに犯された時の恐怖と苦痛、それらの感情と矛盾した歓びに似た感情が交錯し
ていたのだ。
だがデビッド夫妻の運命を狂わせる事件は、そのなごやかな雰囲気の懇親会が発端だった。
懇親会に出席していた精神薄弱者のジョン・ナイルス(ピーター・アーン)が村の行動的な
娘エマに誘い出され、納屋に入った。エマの兄ボビーは、エマがジョンと行方をくらまし
たことを父親トム・ヘッドン(ピーター・ヴォーン)に告げるとトムは怒り狂い、次男の
バーティーも呼んで、2人を探しにでかけた。
一方納屋の中で隠れていたジョンは、彼女をヘッドン一家が探しだしにきた気配を感じ急に
あわてだした。エマは思わず悲鳴をあげた。狼狽したジョンは両手で彼女の口をふさごうと
したが、遂に首を絞め死に至らしめた。
ジョンは自分の過失の重大さに気づき、濃霧の中を道路に飛びだした。一方、デビッドと
エミーは懇親会の帰途、車が村端に差し掛かると、突然ヘッドライトの中にジョンが飛び
込んできた。デビッドは驚いて車を止めたが間に合わなかった。

ジョンは車にはねられ傷を負った。デビッドはジョンを家に連れて帰り傷の手当てをした
後、村の酒場に連絡し医師をよこすよう依頼した。ちょうどその酒場には、ジョンを探し
回っていたヘッドン一家がいたため、彼らは直ちにデビッドの家に押しかけ、ジョンの
引き渡しを要求してきた。だがデイヴィッドはこれを聞き入れようとはしなかった。
彼を渡せば、なぶり殺しにされてしまうことが火を見るより明らかだからだ。彼は戦う
決心をした。数時間の死闘がくりひろげられた。デイヴィッドの頭脳的な作戦の前に一家は
破滅した。

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:91% Audienc Score:82% >


by jazzyoba0083 | 2018-02-28 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ローグ・ワン/スター・ウォーズ ストーリー Rogue One」(再見)
2016 アメリカ Lucasfilm,Walt DisneyStudios Motion Pictures and more.
監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ、ディエゴ・ルナ、ベン・メンデルソーン、マッツ・ミケルセン、ドニー・イェン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
先日、SW最新作「最後のジェダイ」を観て、新世代の物語のスタートに希望を持ったのだったが、たまたま
WOWOWで表記の作品を放映していて、(奇しくも昨年の同じ日に劇場でIMAX 3D版を鑑賞)観た直後の
感想を当ブログで見返してみた。すると、そうとう辛い感想を書いていて、自らの無知とアホさを晒すのを覚悟で
再評価をしてみなくては、と感じ、ここにアップしてみた次第。

フリークではない普通のSWファンであっても、本作は、1977年に封切られた「EPⅣ」に繋がる、いわば
「3.5」のようなスピンオフであることは理解されていることだろう。「帝国軍が完成させたというデス・
スターの(プラネットキラー)設計図を盗み出す」という4のメインストーリーに対して、本作ではそのデス・
スターを作っている(作らされている)ゲイリン・アーソ(マッツ・ミケルセン)とその娘ジン(フェリシティ・
ジョーンズ)が物語のコア。

初見のとき、いろんな新しいキャラクターが出てきて、ごちゃごちゃ話がとっちらかってしまっている、と
したのは、反乱軍の中の過激派ソウ・ゲレラ(フォレスト・ウィテカー)とその部下たちの存在が原因。
彼はジンの育ての親ではあるが、エピソードの1つでしかないので、話に入り込んでくるとややこしく
感じたのだろうし、盲目の剣士チアルートと重機関銃の名手ベイズの参加などでさらに特に彼らの背景が
わかりづらくなった恨みはやはり残った。

だが、冒頭幼かったジンの家に帝国軍が来て科学者である父ゲイリンを拉致、デス・スターを完成させる
ため帝国軍に参加させる。しかし、ゲイリンは「小さいが致命的な弱点」をプラネットキラーのデータに
入れ、その情報をシンパの帝国軍のパイロットに託して反乱軍に届ける。
父の意思を確認したジンは、同盟軍の大勢が、「そんな恐ろしい武器が出来たなら降伏すべき」という
評議会に憤然とし、反乱軍のアンドーとデータのある星に向かう。そこではすでに兵器は完成していて、
ゲイリンは殺されてしまう。そこから決死のデータ回収が始まるわけだ。

さらに、ジンとアンドー、それに率いられた「ローグワン」と称される反乱軍の一隊の行動を確認した
評議会は、ジンとアンドーのもとに援軍を差し向ける。そして反乱軍と帝国軍の激しい戦いが展開。
データは敵側のドロイドながらデータを反乱軍用に書き換えられて味方となった「K」の奮闘もあり
奪取に成功。そこにダースベイダー登場。しかしデータを記録したチップはレイア姫の元へ届けられた。

しかし、怒ったダースベイダーはデス・スターからプラネットキラーを、ジンやアンドーのいる星に向け
発射した。その星で生存できるものはいないのだ。

二度目に観ると、話の整理が簡単で、面白みが前に出てきて所見より十分に楽しむことが出来た。ただし、
最後にチルアートがスイッチを入れるコンソールが、あんな目立ちやすいところにあるか?とか、ジンが
データを送る際に、作業をアンテナから突き出た超高所にあるコンソールで作業するんだけど、あんな
場所に置くか?とかのツッコミは変わらず感じた。

この作品に登場した人物は評議会メンバー以外は4には出てこないわけだから、本作では全員を殺しておく
必要があったのだろうなあ。それにしても、盲目の剣士や自己犠牲を厭わない人間ぽいドロイド「K」のキャラを
初めとして、最後に至るまで、どこか日本の最盛期の黒澤映画の脚本を観ているが如しだった。
初回のときも書いたが、後半の戦闘シーンはよく出来ていると更に確認した。帝国軍の大型軍艦スター・
デストロイヤー同士をぶつけるシーンは白眉であった。

いや、前言撤回も含め、(ジンの存在が曖昧とかいた事は全くの見誤りだった=反省)★を8に訂正させて
頂いた。
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初見の(恥ずかしいけど反省のため晒しておきます)感想はこちらのリンクから。


by jazzyoba0083 | 2017-12-18 23:55 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ラスト・ショー The Last Picture Show」
1971 アメリカ Columbia Pictures Corporation,A BBS Production. 118min.
監督・(共同)脚本:ピーター・ボグダノヴィッチ
出演:ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、ベン・ジョンソン、エレン・バーンステイン、
   クロリス・リーチマン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
IMDbでは★8.1,Rotten Tomatoesでは、批評家からの支持100%、オスカーではベン・ジョンソンが助演
男優賞、クロリス・リーチマンが助演女優賞を獲得している。そして我が国では1972年キネ旬外国映画ベスト1と
いう輝かしい高評価の作品。

だが、個人的には、いい映画であるな、とは認めつつも、この暗さ、閉塞感は堪らなく胸ふたぐものであった。
観終えて残る心の「澱」をどうしてくれよう、と爽快感の残らない鑑賞後感。この時期の底辺で苦悩する若者の
決して幸せな未来が約束されているわけではない世界観は、「アメリカン・ニューシネマ」の残照に映る。
「性・セックス」を、ストーリーのコアに据えて、そこから放射線状に広がる、数組の男女の物語を、テキサスの
片田舎、底辺に生きる若者たちの、青春の懊悩を捉えて見事であるが、この雰囲気って、アメリカに実際生活した
ことのない人、この時代をリアルに生きて来た人以外には真には分かりづらいのではないかな、と思う。
この後に観る「フィラデルフィア物語」でもそういう感じを受けたわけだが。

感情をモノトーンの映像の中に更に押し込めて鬱屈した気分を増幅させ、かつ、分かりやすい男女の
組み合わせと、それぞれの間にある問題。処女性であったり、不倫であったり、この時期の若いやつの頭の
中の90%はセックスで占められていることはよく分かるのでそのあたりの描写とそれぞれの役者の演技は
見事。更にオスカーを獲得した俳優らが演じた大人のありようも、かつては自分もそうであったことから
「この街」では抜け出ることの出来ないある種の「諦観」を表現していてこれも分かりやすかった。

そう、全体に話はいいだ。しかし、この暗さはどうだ。頭の弱い仲間がトラックに轢かれ死んでいるのに
自分は悪くないという大人。状況は好転しない。若者たちのたまり場であり社交場であった映画館が閉鎖される。
街が更に廃れていく。ラストは親友同士が和解し、それぞれの道を歩むことになる姿で終わるのだが、彼らの
未来に明るさがあるとは到底思えない。それは映画「卒業」の、あの教会から逃げたベンとエレーンのバスの
中の雰囲気にも通底するものを感じたのだった。

いい話なのに暗くてやりきれない。この手の映画は観ている時間が長く感じてしまう。
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<ストーリー:結末まで書かれています>
テキサスのある小さな町を舞台に、多感な青春の夢とその終わりを主題として、アメリカという国の失われた夢の終わりを
も描き出す。音楽は1951年から52年にかけて流行したハンク・ウィリアムス、エディ・アーノルドなどのヒット曲を
30枚のレコードから選出した。

1951年、テキサスの小さな町アナリーンのたったひとつの映画館では「花嫁の父」を上映していた。高校生のソニー
(ティモシー・ボトムズ)と親友デュアン(ジェフ・ブリッジス)にとって、ロイヤル映画館は唯一のデートの場所
だった。ソニーはガールフレンドのシャーリーンとつきあい始めて1年目を迎えたが、最後のところで逃げてしまう
彼女に不満を持っていた。デュアンとジェイシー(シビル・シェパード)も恋人同士だったが、町一番の美人といわれる
ジェイシーにとってデュアンはどこか物足りない相手だった。

ある日、フットボールのコーチに、彼の妻ルース(クロリス・リーチマン)を、病院まで送り迎えするように頼まれた
ソニーは、ルースの心の優しさに惹かれた。そしてクリスマス・パーティーで初めて口づけを交わしてしまう。
ジェイシーもまたデュアンと共にパーティーにでかけてきたが、友だちが〈素っ裸の水泳パーティー〉を楽しんでいると
聞いて、デュアンを放り出し、その方に行ってしまう。その頃、ソニーもルースとベッドを共にしていた。夫に無視され
続けてきたルースは、少女のように恋に燃えていた。

一方、ソニーは父親以上に尊敬しているサム(ベン・ションソン)と、弟のように可愛がっているビリー(サム・
ボトムズ)と一緒に湖畔で釣りを楽しみながら、サムの昔話に耳を傾けていた。
サムはこの小さな町で映画館とビリヤード場とスナックを経営する中年男だった。失われたアメリカの開拓時代の夢の
名残りを思わせるこの男に、ソニーばかりか、町中の男の子が憧れていた。サムは、少年たちの夢のヒーロー、
カウボーイだったのだから……。
サムはソニーに、昔、彼が経験した悲しい恋の物語と、移り変わっていく自分たちの町の話を聞かせたのだった。
それから数日後、小型トラックでメキシコまででかけたソニーとデュアンが町に帰ってきたとき、サムの死が知らされた。
ソニーとデュアンの友情に亀裂が生じたのは、それからしばらくしてだった。デュアンは、処女を捧げるという
ジェイシーと結ばれたが、彼女はそのことによって徹底的にデュアンを嫌いになってしまい、更にその上、ソニーと
ジェイシーがお互いに好意を持ち始めてしまったのだ。ソニーとデュアンはなぐり合いをして、血だらけになった
ソニーは入院した。傷のいえたソニーはジェイシーから求婚され、かけおちしようとハイウェイをとばしたが、
パトカーに捕まってしまい、ジェイシーの気が変わってしまった。

ソニーは彼女の求婚が気まぐれにすぎなかったことを知った。2人を引き取りにきたジェイシーの母ルイス(エレン・
バースティン)と言葉を交すうちに、ソニーは、彼女と亡きサムの若き日の愛の世界を垣間見るのだった。
デュアンは町を出る決心をした。朝鮮戦争へ出征するという彼とソニーは一緒にロイヤル劇場の閉館上映を見にでかけた。
デュアンをバス停留所で見送ったソニーがビリヤード場に戻ったとき、ビリーが路上でひき殺されていた。悲しみに
くれたソニーが行き着いたのはルースの所だった。彼女は自分を棄てたソニーに向かって怒りを投げつけたが、その怒りの
声はいつしか泣き声に変わり、彼女の手は静かにソニーの手の上に置かれていた。
1952年ロイヤル劇場が閉館の夜に上映したのは「赤い河」だった……。(Movie Walker)

<IMDb=★8.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audience Score:90%>



by jazzyoba0083 | 2017-12-13 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ロング・トレイル! A Walk in the Woods」
2015 アメリカ Route One Entertainment,Wildwood Enterprises. 104min.
監督:ケン・クワピス  原作:『ビル・ブライソンの究極のアウトドア体験 北米アパラチア自然歩道を行く』
出演:ロバート・レッドフォード、ニック・ノルティ、エマ・トンプソン、メアリー・スティーンバージェン他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
本作も実話に基づくが、アメリカにはこういう国土を縦断するような超長距離のトレイルコースが3つあり、
西のパシフィック・クレスト・トレイル(全長4260km)を走破に挑戦した実在の女性を描いた「わたしに会う
までの1600キロ」が有名なところ。
主演はリース・ウィザースプーンとローラ・ダーンでオスカー候補にもなった。この映画を観ると、パシフィック
クレストにはロッキー山脈があり、ニューメキシコからカナダ国境まで、歩くわけで、かかる日数と過酷さと覚悟は
アパラチアよりは大きいと思う。(だからアパラチアがダメというわけではないが)

閑話休題。その東側にあるアパラチアントレイルは全長3498km。14州ジョージア州から出発して途中には
グレートスモーキー山脈、ブルーリッジ、シェナンドーという日本人にも馴染みのある風光明媚なところを
通る。年間2000人あまりが挑戦するが、踏破できるのはわずか10%ほどだという。過酷なのだな。

そんなアパラチアトレイルに、老体を鞭打って出かける成功した紀行作家ビル・ブライソン(レッドフォード)。
国外はいろいろ出かけたが国内を知りたいと。で悪友カッツ(ノルティ)も同行することになる。
まあ、だいたい珍道中になることは予想できるわけで。出発するとすぐに音を上げるカッツ、(デブなんだもの)
川にハマる、グリズリーに出会う、崖から転落する、途中でずるしてレンタカーをかりようとする、などなど、
ブライソンの思いとは相容れない行動ばっかり。しかし彼はカッツを決して足手まといだ!とは言わない。

そう、見れば分かるが、カッツはブライソンの人生の負のメタファーにほかならないわけだ。年寄りには中々
過酷なトレイルだがそれでも何とか歯を食いしばってやれるところまではやってみる。でも途中でブライソンは
妻が恋しくなったり、カッツは気力が萎えてしまったりで、それでも3ヶ月歩いてちょうど中間点あたりまで
来たあたりで、ついに、リタイア。でも二人には後悔の念は無かった。むしろ自分なりにやり遂げ、それなりに
旅をする中で思うところも多かった。二人は意義を得て旅を終えることにしたのだった。肉体的には若い人には
叶わないが、カッツとの語らいの中で、また自分との語らいの中で肉体的なもの以上の心の満足を得た旅となった
のだ。現代通り、トレイルを歩くことが目的ではなく、森を歩いて得たこと、なのだ。

「私にであうまでの1600キロ」でも主人公は最後まで踏破出来ない。でも、その過程に描かれる過酷さは
今回の映画の比ではない。そのあたり、お気軽映画に仕上がっているので、どこかいっちょ上がり的な雰囲気は
拭えないところだ。レッドフォードはお年を召したがクール。ノルティが終始暑苦しく映画をかき回す役だ。

最後にモーテル軒ダイナーの女主人として登場するメアリー・スティーンバージェンとブライソンちょっとした
恋心?あたりが良かったかな。
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<ストーリー>
ユーモアあふれる旅行エッセイで知られる作家ビル・ブライソンの実話を基に映画化。ロバート・レッドフォード
が製作兼主演を務め、見た目も性格も正反対のシニア二人組が3500キロに及ぶ北米の自然歩道“アパラチアン・
トレイル”踏破を目指す旅を綴る。

60歳を超えた英国の紀行作家ビル・ブライソン(ロバート・レッドフォード)は、家族と共に故郷アメリカに戻り、
いまでは穏やかな生活を送っている。
だがそんな毎日に物足りなさを感じていたビルは、ある時ふと目にした一枚の写真がきっかけで全長3500キロと
いう北米有数の自然歩道“アパラチアン・トレイル”踏破を思いつく。
旅の同行者として名乗り出たのは40年ぶりの再会となる旧友カッツ(ニック・ノルティ)だった。

“酒浸りのバツイチ”で絵に描いたような彼の破天荒っぷりに心配を隠せないビルの妻(エマ・トンプソン)を
よそに、二人は意気揚々と出発。しかしシニア世代のビルとカッツの前に、大自然の驚異と体力の衰えという
現実が立ちはだかる。やがて彼らの冒険は、思いがけない心の旅へと進路を変えていく……。(Movie Walker)

<IMIDb=★6.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:46% Audience Score:48%>





by jazzyoba0083 | 2017-11-15 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「われらが背きし者 Our Kind of Traitor」
2016 イギリス・フランス Studio Canal,Film 4. 107min.
監督:スザンヌ・ホワイト  原作:ジョン・ル・カレ「われらが背きし者」
出演:ユアン・マクレガー、ステラン・スカルスガルド、ダミアン・ルイス、ナオミ・ハリス他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
なかなか面白く観た。ジョン・ル・カレの小説が上手く出来ているんだろうなあとは
思うが、長編二作目のイギリスの女性監督、なかなか頑張っているんじゃないか?
もともとテレビ畑のディレクターとして育ってきた人だが、フィルモグラフィーを
見ると結構ハードボイルドな作品を手がけている。得意なんだろう。本作も同様だ。

さてサスペンスには「巻き込まれ型」、というタイプがあるが、これはその典型。
大学の先生が、というのもリーアム・ニーソンのものを含め何本か観たような
気がする。本作ではモロッコを舞台に、たまたま知り合った大学教授(ユアン)が
ロシアマフィアの会計係(スカルスガルド)が、教授の妻(弁護士)と、マフィアの
家族を巻き込みつつ、自分もまともに事件に関わっていってしまうというお話。

ロシアマフィアの会計係が、家族を助け、イギリスに亡命するために、教授が結果
手助けすることになるのだが、自分が握るイギリスの議員連中とマフィアの関わり
を示す銀行口座などのデータを土産にイギリス政府に保護を求めるのだが、
MI6はまともに関わろうとせず、たった二人の担当官が教授の味方となってくれる。

教授夫妻、マフィアの会計係とその家族、マフィアの新しいボスにのし上がった
プリンスという男、そしてロシアマフィアと関わりがあるイギリス政府(の一部)や
議員たち、これらが織りなす様々なシチュエーションがダイナミックに描かれ、
緊張感も最期まで引っ張ってくれるし、ラスト、これでは終わらないよなあ、と
思っていると、やはりキチンとカタルシスは用意されている。
ちょっと描ききれてないのは(本筋に余り関係ないからか)教授と妻の関係と、
妻は弁護士なのにそれなりの活躍が描かれないのは不思議だった。(教授と妻は
二人の関係の修復にモロッコに来ていたのだから)

キャスト的にはロシアンマフィアの会計係を演じたステラン・スカルスガルドが
魅力的だった。原題も邦題も分かりづらい。原作がそうだから仕方ないけど。
なかなか楽しめるサスペンス映画となっていると思う。
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<ストーリー>
モロッコでの休暇中、イギリス人大学教授ペリー(ユアン・マクレガー)とその妻ゲイル
(ナオミ・ハリス)は、偶然知り合ったロシアンマフィアのディマ(ステラン・スカルスガルド)から、
組織のマネーロンダリング情報が入ったUSBをMI6(イギリス秘密情報部)に渡して欲しいと
懇願される。
突然の依頼に戸惑う二人だったが、ディマと家族の命が狙われていると知り、仕方なく
引き受けることに。だが、その日を境に二人は世界を股に掛けた危険な亡命劇に巻き込まれ
てゆくのだった……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:73% Audience Score:51% >



by jazzyoba0083 | 2017-10-11 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「ロビンとマリアン Robin and Marian」
1976 イギリス Columbia Pictures Co.107min.
監督:リチャード・レスター
出演:ショーン・コネリー、オードリー・ヘプバーン、リチャード・ハリス、ロバート・ショウ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ご存知、ロビン・フッドの物語である。監督はリチャード・レスター。みなさんは
彼の名前でどの作品を想起するでしょうか?「ビートルズがやってくる/ヤァ!ヤァ!
ヤァ!」「HELP! 四人はアイドル」あたりでしょうか、「スーパーマンⅡ、Ⅲ」
あたりでしょうか。スーパーマンは置くとしても、この人の映画ってどこか脱力的な
雰囲気がある。ことばが悪ければほんわかしているというか。

この映画も、10世紀のイングランド、リチャード獅子心王など実在の人物も
出てきて、また配役もロビンの相棒リトル・ジョンにニコル・ウィリアムソンを、また
獅子心王にサー・リチャード・ハリス、悪代官にロバート・ショウを配し、
「暗くなるまで待って」以来の大きな役を演じることになった50歳ちょっと手前の
オードリー・ヘプバーンを据え、音楽にジョン・バリー(ここの音楽がいい)と、
凄いスタッフキャストを迎えたのだが、全体の作りは悪くないんだけど、脱力系で
ある。シリアスなんだけどシリアスじゃないみたいな。悪代官との一騎打ちは
そうとうちゃんとした格闘になっていたし。

なんか年取っちゃってあっちが痛いの、息が切れるの、みたなマイナーなことばかり
いうロビン・フッド。恋人マリアンも「私も年を取ったわ」なんて、熟年向けの
映画か?とツッコミを入れたくなるような感じだ。かといってダメ映画なのかと
言われるとそうでもないのだなあ、これが。今では絶対に作れないような幸せな映画。

ヘプバーンを画面でキチンと観られるのはおそらく本作が最後じゃないかな。
「オールウェイズ」では天使さまみたいな役柄で全面フィーチャーじゃなかったし。
またエンディングがかっこいいというかなんというか。なんじゃこれ、という人も
多かろうが、私は結構好きですね。

それにしても、ラストカットの腐ったような3つのリンゴは何を意味しているんだ
ろうか。ロビンとリトル・ジョンとマリアンか?
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<ストーリー:最後まで触れています>
ある事情で十字軍の一員としてヨーロッパに渡ったロビン・フッド(S・コネリー)と
親友リトル・ジョン(N・ウィリアムソン)の二人は、獅子王(R・ハリス)の死によって、
十八年ぶりに故国イギリスに帰ることになった。久しぶりにイギリスに戻った二人を
出迎えたのは、緑したたる森と田園、そしてシャーウッドの森の仲間たちだった。

すべてが十八年前のままで、ロビン・フッドとリトル・ジョンの心をなごませた。
一方、変わっていないといえば、ジョン王(I・ホルム)のもと、イギリス国民はふたたび
悪政に苦しんでいたこと、ロビン・フッドの宿敵ノッチンガム(R・ショウ)が未だ
権力をふるい、良民を苦しめていたことだった。
ただひとつ、ロビン・フッドの美しい恋人マリアン姫(A・ヘップバーン)が、今は
カークリーの近くの修道院長になっていたのが思いがけないことだった。

しかし、長い歳月の隔りも、二人の深い愛を妨げることはできなかった。しばらくして、
マリアンは尼僧たちとともにシャーウッドの森に移り、ロビンとの愛の日々を送るの
だった。森林の木もれ陽の下に、小川の流れのほとりに、黄金色に輝く花畑の中に、
寄りそったふたりのみちたりた姿があった。だが、その間にも民衆の、ロビン・フッドを
待つ声は大きくなる一方だった。
そして、村の、町の有志たちが森へやってきた。少年もいた。老人もいた。ロビン・
フッドは来るべき日のために、彼らを訓練した。マリアンと尼僧たちにとっても忙しい
毎日だった。

国王と教会とが正面からぶつかった日、ついにロビン・フッドはマリアン、シャーウッドに
集まった人々と共に立ち上った。ジョン王とノッチンガムの軍勢に立ち向かうシャーウッドの
男たち。ノッチンガム代官とロビン・フッドの一騎打ちは凄絶だった。両軍の見守る中、
ロビン・フッドはついにノッチンガムを倒した。だがロビン・フッドも深手を負ってしまう。
マリアンはリトル・ジョンの助けを得て、重傷のロビン・フッドを修道院へ連れ帰った。
ロビン・フッドの命が明日をも知れぬことは、マリアンが見ても一目瞭然だった。彼女は
意を決した。毒入りのワインをロビン・フッドにふくませたマリアンは自分も一気にその
ワインを飲みほした。(Movie Walker)

<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:76% Audience Score:53% >




by jazzyoba0083 | 2017-09-19 22:40 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)