⚫「第91回 アカデミー賞 授賞式 91st The Oscars」
2019年2月24日(日曜) カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド・ドルビー・シアター
司会=なし 放送=ABC 日本=WOWOW(司会:ジョン・カビラ、高島彩。現地会場リポーター:すみれ、尾崎英二郎)
放送時間:3時間13分(昨年より41分短い)

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なにかと喧しかった今年のアカデミー賞。授賞式は司会なし、という式典では二回目のトライで、本来司会に
挙がっていた黒人コメディアン、ケヴィン・ハートが務めることになっていたが、彼が前に同性愛者をおちょくる
ような発言をしていたことがあり、辞退してしまい、ABCサイドもいろいろと考えた挙げ句司会なしで行くことに
決定した。
その間も、人気映画賞の創設やら、撮影賞などテクニカルな部門の発表をCMの間にやると言い出し、俳優側
から総スカンを喰らいこれらはいずれも中止となった。

式典はQueenの"We Will Rock You"で幕が上がった。メインボーカルを努めたのはアダム・ランバート。これで
会場は一気にボルテージが上がった。「ボヘミアン・ラプソディ」がたくさんの部門に絡むかなあ、という予感も。
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最初の発表は助演女優賞だ。マーヤ・ルドルフ、ティナ・フェイ、エイミー・ポーラーの三人の女優がしばらく
おしゃべり。相変わらずアンチトランプの皮肉が飛び交っていた。こうしてプレゼンターが式典を進行し、その間に
パフォーマンスがある、という形のため、式典は順調に進行したが、いつものようなお祭り騒ぎのムードはなく、
おとなしめの「式典」だった。

今年のオスカーでの一番の注目は、メキシコ人監督アフォンソ・キュアロンがネット配信会社Netflixと組んで
製作した「ROMA/ローマ」だったろう。なにせ劇場公開を基本としないネット配信ソフトが作品賞を獲ろうもの
なら、全米の劇場を始めとする、これまでの映画の配給システムに乗って興行収入で食ってきた人たちにとっては
とんでもない事態となるからだ。さらに本作はスタッフもキャストもメキシコ、ロケもメキシコ、言語はスペイン語
と異例ずくめ。モノクロの画面はキュアロン監督自身がカメラを回して撮ったものだ。
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結果、キュアロンは「撮影賞」「外国語映画賞」「監督賞」を受賞したものの、作品賞は「グリーンブック」に
譲った。式典でプレゼンターのある女優が「ROMA」の次は電子レンジで映画ができるわよ、と皮肉っていた
ように、映画は劇場で観るもの、という考え方はまだまだ根強いと感じた。スピルバーグも、「テレビで放映する
目的で作られた作品はアカデミー賞ではなくエミー賞に該当するべきだ」と語っている。

だが、一方でNetflixは「短編ドキュメンタリー賞」を3年連続で受賞するなど、その勢いは衰えない
今、アカデミー賞は世界の多様性に対応して変わろうとしている最中で、今年も多くの白人ではない俳優や
スタッフの受賞が相次いだし、作品にしても人種差別やLGBTを扱ったものが多かった。この文脈で行くと
近い将来「配信映画部門」が出来ても不思議ではない。今あるオスカーノミネートのルールそのものの変更だ。

さて、プレゼンターだけでも50人以上が出演した今年だが、一番注目されたのは衣装部門でウサギがたくさん
ついた大きなマントを引きずって出てきたメリッサ・マッカーシーだろう。左手にはすっぽりとウサギの
ぬいぐるみが被っていた。
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さらにパフォーマンスでは、レディ・ガガとブラッドリー・クーパーが、その仲を怪しんでしまうほどの
くっつき方で熱唱した「Shallow」(歌曲賞を受賞した!)とベッド・ミドラーが歌ったメリー・ポピンズの
歌が良かった。ジェニファー・ハドソンの歌唱は高い音が上がりきらず、気持ち悪かったなあ。彼女らしく
なかった。
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スピーチでは、やっとオスカーを獲れたスパイク・リーの強烈なものが印象的だった。来年の大統領選に言及し
「Do the right thing!」と締めくくったのだから。
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作品賞は結局、万人受けする「グリーンブック」に行ったが、スパイク・リーはこの映画が大嫌いで、黒人運転手
と老婦人の映画「ドライビング・ミス・デイジー」を白黒入れ替えただけじゃないか、所詮白人が上から目線で
撮った映画だ、と酷評している。アメリカの人種差別の根っこは我々が想像する以上に深いのだなあ、と感じた。
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受賞作をみると大番狂わせもなく(グレン・クローズが獲れなかったことくらいかなあ)落ち着くところに
落ち着いた、という印象だった。最多受賞はラミ・マレックの主演男優賞を始めとする4部門で受賞した
「ボヘミアン・ラプソディ」。次が「ROMA/ローマ」だった。
主演女優賞は大方の予想を裏切って「女王陛下のお気に入り」のオリヴィア・コールマンの上に輝いた。
これまで6回もノミネートされながら、いつもメリル・ストリープに邪魔されてきたグレン・クローズは
またしても残念。「同情の受賞はいらないわ」と健気だった。
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Netflixは、コーエン兄弟やスコセッシなど作家性を重んじた作品を作っていくというから、来年もまた配信会社の
作品を巡りドタバタするのだろうな。

各部門受賞作はWOWOWのリンクを参照下さい。



by jazzyoba0083 | 2019-02-25 10:00 | アカデミー賞 | Trackback | Comments(0)

●「第89回 アカデミー賞授賞式 89th The Oscars」
2017 26th Feb. At Dolby Theater,Hollywood,Los Angels,Ca.
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
予想通り、反トランプ旋風が吹き荒れたステージだった。これはハリウッドの持つリベラルさの
歴史的な背景があるから、まあ当然であろう。ステージアクトとしては、この3年間で一番地味だった
ような気がする。ダイナミックなステージショーの代わりに、小ネタが並んだという感じで、いろんな
楽しい工夫・演出もあり楽しませてもらった。ステージ全体の評価としては「作品賞」発表のドタバタで
マイナスとするのだろうが、「ラ・ラ・ランド」のプロデューサーらの大人な態度に感激し、マイナスとは
しなかった。ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエイは貧乏くじだったなあ。

反トランプで一番尖っていたのが、この式典の放映権を持つABCテレビで「The Jimmy Kimmel Live!」と
いう人気番組を持つ、ジミー・キンメルだった。冒頭から辛辣なジョークを繰り広げ、大先輩メリル・
ストリープを引き合いに出し、「過大評価だけど、みなさん、大きな拍手を」と、身内もからかって
笑いを取った。「その素敵なドレスはイヴァンカかい?」とか。台本があるのかアドリブなのかその両方なのか
よくわからないけど、彼の吐く毒のあるセリフはいちいち今のハリウッドの気分を代表しているのだろう。

マット・デイモンとキンメルの「争い」(笑)は、キンメルのショーを観ていないと分からないだろう。
もちろんジョークで、仲良しなんだが、2008年以来、「いがみあい」キャラとして2人は国民に
親しまれている。今回は、マットが「マンチェスター・バイザ・シー」の製作総指揮として授賞式に参加
していて、司会がキンメルだから、アメリカ国民もなにかあるだろう、と思っていたに違いない。

案の定、スターが自分の影響を受けた映画を紹介するコーナーで、キンメル自身が登場し、取り上げた
映画はマット・デイモンの2011年作品「幸せへのキセキ」。マットが動物園を買う話だ。これを、
真面目くさって語るのだが、からかい、ジョークで構成されていたりする。すると客席を歩くキンメルを
マットが足を出してつまづかせたり、ショー全体で、2人はじゃれ合っていた。結局「マンチェスター~」は
ケイシー・アフレックが主演男優書を獲ったから、マットの面目躍如と言った感じだった。
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キンメルはスマホを使ってトランプにツィッターをリアルタイムに打ち、「メリル(ストリープ)がよろしく
ってよ」とかホントにやっている。事程左様に、ステージ演出としても、反トランプの色彩は大変濃かった。
「この会場にTIMEと名のついた会社に勤めている人がいたら出ていってください」とか。

会場の演出としては、去年はピザの配達があったりだったが、今年は天井から小さい布の風船みたいなヤツに
オヤツを入れて投下させたり、素人の客を乗せたハリウッド周遊ツアーバスを会場に連れてきて、サプライズ
させたりしていた。
この客たちは羨ましかったなあ。だって、目の前にデンゼルやらメリルやらエマ・ストーンやマット・デイモンが
並んでいるんだからな。一生の思い出となる夢のようなひと時だったろう。

作品賞のミスは、ステージ上の役者、スタッフたちには気の毒だった。プレゼンターのウォーレン・ベイティや
フェイ・ダナウェイも含めて。封筒から紙を出した時にウォーレンは明らかにオカシイな、と気がついた。
それをフェイに確認の為に渡したら、フェイが読み上げちゃったからね。しょうがないな。
「ラ・ラ・ランド」は3人めが感謝のメッセージをスピーチしている最中だった。その後の彼らの、驚いた
だろうけど、ウラミや文句を言わず、「ムーンライト」が素晴らしい映画であることを強調し引き下がった。
あの態度は立派だった。みんなを救ったね。キンメルの「ボクが悪いんだよね」などという引き取り方も上手かった。
但し、故人を追悼するコーナーで、写真を取り違えたのはいただけない。
来年は発表の紙の管理に工夫がなされるであろう。

さて、各賞の行方である。作品賞、主演男優、主演女優、監督、作曲、歌曲、美術などは納得で、今回は
観ていない映画が多くて現在の日本での評価は難しいが、個人的には「え?なんでこの作品?」という
ものは無かったと思った。落ち着くべきところに落ち着いたと。

いろいろあったが、やはり毎年この授賞式はアメリカの映画の力、映画に対する愛情、そしてHollywoodの
多様性とリベラルさを確認出来る、夢のような興奮する時間であることは間違いない。これだけのショーを
今の地球で観ることは不可能であろう。来年は90回。素晴らしい、ミスのないwwショー(授賞式)を期待したい。

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by jazzyoba0083 | 2017-02-27 23:55 | アカデミー賞 | Trackback | Comments(0)

●「第88回 アカデミー賞授賞式 88th The Oscars
2016 28th Feb. at Dolby Theater,Los Angels,Calif.
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
ステージの内容としては昨年の方が出来が良かったが、人種差別問題で、今回ほど
騒がれた大会も少なかろう。司会は俳優、歌手、コメディアンの黒人クリス・ロック。
彼は二回目の登板だった。

冒頭から黒人の話題全開。ギャグを交えながら結構辛辣なコメントを多発していた。
「50年代も60年代も白人だけのノミネートはあったはず。なんでその時は抗議の声が
上がらなかったのか。その時代にはそれ以上に抗議することがあったからだ」
「黒人部門というのを作ればいい。だいたい男優、女優に分かれている必要があるのか?
陸上競技じゃあるまいし。だいたいデ・ニーロがメリル・ストリープに遠慮して演技するかい?」
などとぶち上げ、会場を沸かせていた。
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ことほど左様に、もし今年の作品が黒人キャストだったら、という手間の込んだ映像を
見せてみたり、ジャック・ブラックまでギャグにしてしまったり、プレゼンターもその話題に
触れるケースも多かった。 ステージ監督や構成もよく踏み込んだな、とアメリカの懐の
深さに恐れ入った。毎度の事だけど。
今年から受賞の際の挨拶でスタッフや知り合いの名前を上げるのが基本禁止され、
その代わり、テレビには事前に提出されていた受賞時の感謝の相手がスーパーされた。
が、やはりその手の名前を上げる人が後を絶たなかった。

さて受賞作だが、日本では未公開なものが多数で受賞が妥当なのかどうかは今の段階
ではどうのと言えないが、音響・美術系は「マッドマックス 怒りのデスロード」が6冠に
輝いた。また「レヴェナント 蘇りしもの」は、監督賞に二年連続でイリニャトゥ、撮影賞に
三年連続で長まわし(風)のレベツキが受賞、そしてディカプリオが念願の初オスカー、
主演男優賞に輝いた。やはりノミネート作品をながめても、主要部門は社会的なメッセージ
がないと厳しいかな、ということだ。エンタメ満載はもう作品賞は獲れないのかなあ。
映画を取り巻く社会的風潮なのだろうか。個人的には「スターウォーズ」や「マーシアン
(オデッセイ)」や「ヘイトフル・エイト」とか好きなんだけど。

受賞者のメッセージも注目されるが、今回光ったのは、やっとオスカーを手にした
ディカプリオの環境問題へのメッセージ。説得力があった。「(環境問題を考えると)
今の地球とこの受賞は当然とは思わない」という謙虚さも見せた。
また監督賞のイリニャトゥは「あらゆる差別が髪の毛の長さほどにに問題とならない世界に
しなければ」とアピールした。彼は昨年は移民政策を批判していた。
そして86歳にして初の作曲賞を獲ったマエストロ、エンリオ・モリコーネの姿も感動的
だった。
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ステージパフォーマンスでは昨年に続いて出演したレディ・ガガが良かった。自身の
歌った歌もノミネートされていたのではあるが、やはり彼女は一流である。
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毎年この授賞式を見ていて思うのだが、アメリカという国は多様性の国だということ。
それがトランプの出現などでアンチの意見が出てきたという危険な臭いを映画製作者たち
は敏感に感じ取っているのではないか。多様性を確保し、寛容な心を持ち合うことこそ
アメリカの土台だ、というのはどのスピーチを聞いていても伝わってくる。
「人種、宗教、性別、LGBT、出身母国、言語、政治的志向など人間の存在価値に
かかわらないものはアメリカという国の(子どもたちの)成長に関係ない」という根源的な
ものが訴えられている。こうした多様性の非寛容こそ、アメリカの危機であるのだ。
寛容な心を持ち、社会的弱者に目配せをし健康でいられる権利と自然を守っていこう、
これは日本でも全く同じことが叫ばれなければならないと痛切に感じる。

既にご存知の方も多いとは思うけど、プレゼンターが最後に開く受賞者が記入された紙
には、「and Oscar goes to・・・」というセリフが書き込まれているのだね。必ず云え、と
いうことなのだ。
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by jazzyoba0083 | 2016-02-29 23:45 | アカデミー賞 | Trackback | Comments(0)

●「第87回アカデミー賞授賞式  87th The Oscars」
2015 22nd Feb. at Dolby Theater,Hollywood,Los Angels.
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
毎年ABCテレビによって放送され日本ではWOWOWが独占放送する授賞式の模様。
毎年楽しみにして観ているが、今年も良かった。なんといっても

「そこには一流がある」

ハリウッドのお祭り騒ぎ、というスルーな見方もあるでしょう。それはそれで愉しめば
いいのですが、実はアメリカという国を観るのにこんないい舞台もないと思うのです。
いろんな意味でです。
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授賞式は華々しい舞台(CGとの合成も見事)に現れたのはトニー賞主演男優賞にも
輝いたニール・パトリック・ハリス。もちろん歌が上手い!映画の感動を歌い綴る。そこに
客席にいたジャック・ブラックが舞台に上がり、「ハリウッドの薄っぽさ」を皮肉る歌を
入れる・・・もうこの辺で私の涙腺は緩み始める。なんというエンターテインメント!
舞台装置、映像、歌、進行、出演者、音楽、どれをとっても超一流のオンパレードだ。

そこからの3時間はまるで夢の世界。綺羅星の如くいならぶハリウッド・スターたちが
プレゼンターになり、また受賞する・・・
みんな映画を心から愛しているんだなと感じる瞬間たちだ。
短編映画賞も、最後の作品賞も、もらえるのは同じオスカー像。なんとフェアなこと。
そして映画のバックグラウンドを支える科学技術や音楽、長年の名誉を表彰する
ジャンルもある。映画の端から端までもれなく受賞対象となっているわけだ。
結果的には「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が主要4冠に
輝きその強さを見せつけたが、まだ見ていない本作を始め主演男優賞の「博士と
彼女のセオリー」、助演男優賞の「セッション」、脚色賞の「イミテーション・ゲーム」、
これらはこれから公開なので絶対に観る!
複数の賞を獲得した「6歳のボクが、大人になるまで。」(3時間を超える作品で
恐れをなして見に行かなかったのだなあ)と、「グランド・ブタペスト・ホテル」は見逃して
いるので、なんとかして観たい!

そして、感動的なのは受賞者のスピーチ。一応は用意してあるのだろうけど、
日本では絶対にしない、政治的主張が繰り返される。
「セルマ」では主題歌を歌ったジョン・レジェンドとコモンは、黒人の人権が50年前に
キング牧師がセルマを行進したころよりもひどくなっていると政治を批判した。
この歌の披露に際しては、会場の多くのスターが涙を流していた。
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脚本、監督、作品賞に輝いた「バードマン、あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは、メキシコ移民政策について訴え、移民国家と
して成功したアメリカを支える必要を説いた。
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主演男優賞を獲得したエディ・レッドメインはALSに対する理解を主張し、
長編ドキュメンタリー賞に輝いた「シチズンフォー」のマチルダとダークは退役軍人に
対する理解を訴えた。映画芸術科学アカデミー会長のシャーリー・ブーン・アイザックは
「表現の自由」対する信念を訴えた。
まさに、多民族国家アメリカの苦悩と栄光の縮図を観た思いだ。
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さらにエンターテインメントとして披露される歌の数々も今年は特に印象深かった。
映画にもなったアルツハイマーになったグレン・キャンベルが作った歌、そして
先にも書いた「セルマ」のテーマ「グローリー」、そしてそして、私が一番感動したのは
公開50年を迎えた「サウンド・オブ・ミュージック」のトリビュートとして登場した
レディ・ガガによる、同映画のメドレーだ。やっぱりそこには一流があった。
そして歌が終わると作曲賞のプレゼンターとしてジュリー・アンドリュースが登場する、
という演出!
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司会のギャグやユーモアには台本があるのだろうけど、受賞者のユーモアには、
日本人アジア人との差を感じる。そして、今回の授賞式を観てつくずく感じたのは
アメリカというのは、本当に移民国家、多様性国家だということだ。
表彰式で誰かも言っていたが、映画の中では「国籍、人種、宗教、学歴、性的嗜好、
ジェンダー、貧富は関係ない」と言っていたが裏返せば、アメリカはそういう問題を
抱え込み、かつ多様性をみとめながら国づくりをしてきたし、しているのだ、ということだ。
翻って日本を見る時、「多様性」を感じるDNAがないんじゃないか、と思えて来たのだ。
もちろん、アイヌや沖縄民族など日本も単一民族ではないけど、アメリカのように
移民が開拓した国ではない。そうしたなかでは「多様性」という概念は育ちづらいのでは
ないか、ということだ。もちろん偏狭な宗教観に名を借りて虐殺を繰り返すISなどは
論外である。

さらに踏み込んで考えると、太平洋戦争に突入した時期のこと、戦後の経済成長に
馬車馬のように突撃したこと、そして今またかつて来た間違った道を歩もうとしている
ように見える政治は、私達日本人が「多様性」ということを感じない国民だからか、と
考えてしまうのだ。一つのベクトルが示されると無批判に思考を停止し、お上のいう
ままに熱狂の渦の中に身をおく。そのほうが楽だもの。そして「煮え湯のカエル」と
なっていくのだ。「多様性」がDNAにないのなら、せめて「忘れない」ということに努力
しないとなるまい。それも日本人には不得意なのだが。
黒船の登場から明治維新を含め、先の敗戦、近年の対米追随、常にこの150年位は
外圧でしかまともな政治をしてこなかったわけで、それは取りも直さず日本の国民性の
反映に他ならない。

いずれにしても素晴らしいショーであった。アメリカという国の一面を見る思いだった。
そして感度もし、何度も胸が熱くなった。アメリカの全てが良いとは全く言えないが、
アメリカの強さ、とは確かにある、と思えたのだ。

ちょっと話が横にそれるが、以下も読んでいただきたい。今回の式から感じた国民が
「多様性」を理解出来るかどうかということから発想が繋がったのだが・・・。

先の敗戦後、映画監督の伊丹万作が言った言葉が忘れられない。
(1946年「戦争責任者の問題」より)

「しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。
だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがい
している人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、
「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
(中略)
いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は
成り立たなかつたにちがいないのである。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ
戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)
当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に
自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、
無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することが
できなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を
等しくするものである。

そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも
密接につながるものである。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。 」(攻略)
by jazzyoba0083 | 2015-02-23 21:00 | アカデミー賞 | Trackback | Comments(0)