カテゴリ:邦画・旧作( 59 )

乱れる

●「乱れる」
1964 日本 東宝 98分
監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三
出演:高峰秀子、加山雄三、三益愛子、草笛光子、白川由美、浜美枝、藤木悠、北村和夫、十朱久雄、柳谷寛他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
成瀬巳喜男作品は先日、かなりの本数をWOWOWで特集したのだが、録画の日が決まって大雨にあたって
しまい、うまく録画が出来ず、がっかりだった。その中には「浮雲」などもあった。

その中から先日「乱れる」を再映してくれたので鑑賞した。成瀬作品は彼のたくさんの作品のほんの2本ほど
しか(「めし」「山の音」)観ていないので、成瀬ファンからすると見当違いな感想もあるかもしれないが、
ご容赦頂きたい。鑑賞のチャンスがあれば、いろいろ観てみたい監督ではある。

女性描写の巨匠とか云われているそうだが、以前観た2本もそうだが、確かにそれは言えると思う。本作も
成瀬作品に多数出演した高峰秀子の演技(演出)が素晴らしいと思った。配役で上手いな、と感じたのは
あと、三益愛子。加山雄三は当時「若大将シリーズ」が大ヒットし、この手のメロドラマのキャスティングには
東宝的には欠かせなかったのであろうが、いさかか演技が生硬い。あとになって分かる彼の態度が最初のうち
演技が下手だけなのか、と勘違いしてしまう。バタ臭い顔つきが似合っているのかどうか。

時代は東京五輪の年である。撮影はその前の年だから新幹線はまだ未開通だ。舞台は静岡県の清水市。これが
分かるのは随分あとになってからだった。清水の商店街に出来たスーパーマーケットの開店1周年特売を知らせ
る宣伝カー(トヨエース)が「高校3年生」を流しながら走るところから映画は始まる。宣伝カーが店の前に
帰ってくるところで、道路に駐車してあるクルマが、マツダキャロル、スバル360(初期)、クラウンエイト。
車好きとしてはたまらないシーンである。
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閑話休題。このスーパーが出来たことで個人商店は苦境に立たされている。そのウチの一軒が「森田酒店」
だった。この店は、戦死した跡取りの長男の嫁礼子(高峰)が18年間、ほぼ一人で焼け跡から立ち上げ直した
店だった。姑が三益愛子、この18年間の間に成長し、嫁に行った娘が草笛光子と白川由美だ。そして大学を
でたものの、商店街の店主連中と麻雀、パチンコ、バー通いというグータラ息子が加山雄三。

で、次男である幸司は、密かに義姉に恋しているわけ。時代が時代なのでなかなか打ち明けられない。それを
ぐーたらぐらしで隠していたのだ。年の差は11歳。
幸司は自分の店をスーパーにする計画を立て、義姉を重役に据えようとするが妹たちから反対にあう。妹たち
は礼子にお見合いを勧めたりして体よくこの家から出ていってもらいたいわけだ。遺産相続とかで揉めるのが
いやだから。

幸司はある日、礼子に自分が礼子がずっと好きだったと告白する。しかし古い時代の礼子は夫への操からか
幸司の愛情を受け入れようとはしない。しかし次第に自分の胸の内が苦しくなり、自分も幸司に好意を抱いて
いることを認識する。礼子はこれ以上、森田家に迷惑を掛けられないと、家を去り、秋田県は新庄市の実家
に帰ると宣言する。好きな人がいる、自分もまだ若いからやりたいことがある、と心にもないことを言う。
実家に帰る電車に幸司は乗り込み、母も家も捨てて義姉を一緒になることを選んだのだ。幸司は義姉との
愛が成就するのならどんな暮らしになってもいいとその覚悟を語るが、礼子はその愛情に心から感謝するもの
の、それを受け入れることは拒否したのだった。

ある駅で二人は降りて温泉宿の投宿する。幸司は義姉に愛情を受け入れるように迫るが、礼子はどうしても
受け入れることが出来ない。あなたはやはり清水に帰りなさい、と。

それを聞いて幸司は旅館から飛び出す。ある飲み屋から旅館に電話し、もう自分は諦めた、さよなら、と
礼子に語るのだった。翌朝、旅館の外が騒がしい。礼子が外を見ると警官らが一人の遺体を運んでいく
のが見えた。むしろから垂れ下がった指には昨夜礼子が幸司に結びつけた紙の指輪があった。必死の形相で
遺体のあとを追って走る礼子だった。
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というメロドラマ。本作はその後テレビでも何回かソープドラマとしてリメイクされている。戦死した兄嫁と
弟の恋愛とは、よく合ったことだろう。戦後20年も経過したものの、そうした影はまだ日本には残っていたの
だ。そして半年の結婚生活にしか過ぎなかった夫への貞節を守り、弟からの求愛を断ってしまったケースも
多々あっただろう。
この映画では高峰秀子の自己犠牲と忍ぶ愛の人の押さえつつも激情も感じる演技(表情)が実に時代感を
上手く表現していて見事だった。高峰を始めとして女優のこうした感情や表情を引き出す力量が成瀬には
備わっていたのだろう。これまで観た「山の音」「めし」も独特のタッチは感じた。そして本作も物語の
流れから、礼子が自害でもするのか、と思わせておいて、あのキャラの幸司が(おそらくは)自殺をする
結末とは。(自殺であったとは説明されないが、そうなのだろう。幸司のキャラには合わないけど)。
そしてラストカットの乱れ髪の礼子のアップショットの多弁なこと。
モノクロ、TOHOSCOPEなのに左右をサイドカットした映像表現に成瀬演出のコダワリを感じる。

やはり名作の呼び声高い「浮雲」あたりは観てみないといけないなと感じたのだった。

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<ストーリー>
礼子は戦争中学徒動員で清水に派遣された際、しずに見染められて森田屋酒店に嫁いだ。子供も出来ないまま、
夫に先だたれ、嫁ぎ先とはいえ、他人の中で礼子は森田家をきりもりしていた。森田家の次男幸司は、最近、
東京の会社をやめ、清水に帰っていた。何が原因か、女遊びや、パチンコ喧嘩と、その無軌道ぶりは手を
つけられない程だ。そんな幸司をいつも、優しくむかえるのは、義姉の礼子だった。再婚話しも断り、
十八年この家にいたのも、次男の幸司が成長する迄と思えばこそであった。

ある日見知らぬ女との、交際で口喧嘩となった礼子に幸司は、今までわだかまっていた胸の内をはきすてる
ように言った。馬鹿と言われようが、卑怯者といわれようが、僕は義姉さんの側にいたい」義姉への慕情が
純粋であるだけに苦しみ続けた幸司だったのだ。
それからの幸司は真剣に店をきりもりした。社長を幸司にしてスーパーマーケットにする話がもちあがった日、
礼子は家族を集め『せっかくの良い計画も、私が邪魔しているからです、私がこの店から手をひいて、
幸司さんに先頭に立ってスーパーマーケットをやって欲しい。私も元の貝塚礼子に戻って新しい人生に出発
します私にも隠していましたが、好きな人が郷里にいるのです』とうちあけた。
荷造りをする礼子に、幸司は「義姉さんは何故自分ばっかり傷つけるんだ」と責めた。『私は死んだ夫を
今でも愛してる、この気持は貴君には分からない』
礼子の出発の日、動き出した車の中に、思いがげない幸司の姿があった。
『送っていきたいんだ!!いいだろ』幸司の眼も美しく澄んでいた。(キネマ旬報)

<KINENOTE=80.4点>



by jazzyoba0083 | 2019-09-18 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

ひろしま

●「ひろしま」
1953 北星映画、日本教職員組合 104分
監督:関川秀雄 脚本:八木保太郎 原作:長田新
出演:月丘夢路、岡田英次、山田五十鈴、原保美、加藤嘉、岸旗江、利根はる恵、神田隆、薄田研二、三島雅夫他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
周囲の映画ファンから是非観るべきだ、と推奨されていた作品を、先日Eテレが放送。これを録画して鑑賞した。
製作されたのは原爆投下から8年しか経っていない時期で、サンフランシスコ講和条約は締結され朝鮮戦争が
始まるという、戦後の日本の最初の転換時期に差し掛かっていた頃だ。文化人が危機感を持っていたのは容易に
想像できる。そういう点に着目して本作を観ると厚みが出るだろう。

ところで広島の原爆では個人的には叔父を亡くしており、他人事ではない。また製作されたのが私が生まれた1年後
というのも何か因縁を感じる。

広島の悲惨な状況を再現するため、生徒、学生、市民、企業(広電、フジタ)も協力し迫力のある映画となった。
物語としては反戦映画であることがもちろん全面的に前に出ているが、ニュアンスとして何十万もの無辜の市民を
殺戮した米軍の責任まで言及していたのには驚いた。確かに東京裁判は戦勝国による敗戦国の一方的な裁判であり、
いまの国連にも「敗戦国規定」は生きていて、戦後レジュームはまだ終わっていないのだという現代に通じる
意味が汲み取れる。そういう点からすれば、現在世界的な右旋回、軍事拡張競争(宇宙まで巻き込んで)が進む
現状に対し、また忘れやすい人間という動物に対し、厳しい警鐘を鳴らしていると読めるのだ。

またもちろん、広島長崎に原爆が投下された事実を隠し、日本をさらに悲惨な目に合わそうとした精神論のみの
脳みそが皇軍思想で毒された軍部の姿も描かれ、いかに国民生命が軽んじられたかも描かれる。

作品は8年後の高校で一人の女生徒が鼻血を出すところから始まり、彼女の一家の原爆投下時期の生活に戻る。
原爆投下直後のシーンがこの映画の白眉とはいえ現代の人が観ると、「もういいよ」と思いたくもなるだろう。
しかし、我々は目を背けてはいけないのだ。現実はもっともっと悲惨だったのだから。
私も小学校のころ、図書館に原爆被害記録の厚い写真集があり、それを観るのがとても怖かったことを覚えている。

そして作品は当時と八年後をカットバックしながら8年後へと収斂していく。クラスメイトの一人が工場に勤め
始めたものの、そこが朝鮮戦争の爆弾を作り始めたことで彼はそこを辞め、瀬戸内の島々にある被爆死亡者の骸骨を
米軍目当ての土産物として売るというやけくそとも言うべき仕業を企て警察に捕まる。

8年後の広島は平和記念公園の整備が始まり、記念館や記念碑も建った。しかし日本人が戦争をもはや忘れて
戦前の思想が忍び寄る危機感を高校生たちは感じていたのだった。これはまさに現代に通じる警告といえよう。

戦後8年の日本の健全な平和志向の精神がこの映画にはある。これをNHKEテレが放映した意義もまた高い。
すべての中学、高校で、この映画は観るべきだと強く感じたのだった。(もちろん歴史のおさらいはしなくては
ならない。現代史も含めて)

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<ストーリー>
広島A高校三年、北川の担任するクラスで原爆当時のラジオ物語を聞いていた大庭みち子は、突然恐怖に失心した。
原爆の白血病によって前から身体の変調を来していたのだ。クラスの三分の一を占める被爆者達にとって、忘れる
事の出来ない息づまる様な思い出だった。それなのに今広島では、平和記念館の影は薄れ、街々に軍艦マーチは
高鳴っている。

あの日みち子の姉の町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始め級の女学生達と一緒にやられたのだ。
みち子は爆風で吹き飛ばされた。弟の明男も黒焦げになった。
今はぐれてしまった遠藤幸夫の父秀雄は、妻よし子が梁の下敷で焼死ぬのをどうする事も出来なかった。陸軍病院に
収容された負傷者には手当の施しようもなく狂人は続出し、死体は黒山の如くそこここに転りさながら生き地獄だった。

しかし軍部は仁科博士らの進言を認めようとせず、ひたすら聖戦完遂を煽るのだった。その戦争も終ったが、悲惨な
被爆者にとって今更降伏が何になるのか。
広島には七十年間生物は住めないと云う。病院の庭に蒔かれた大根の芽が出るまでは、人々はそれを信ぜずには
いられなかった。疎開先から引き返してきた幸夫と洋子の兄妹は、病院の父に会いにいったが、そのひどい形相に
どうしても父と思う事が出来なかった。父は死に広島には七回目の八月六日が廻ってきたのに、幸夫はその間浮浪児
収容所、伯父の家と転々して次第に荒んでゆき、遂には浮浪児を使って掘り出した死体の頭骸骨を、原爆の記念に
米人に売ろうとさえした。みち子は河野達級友に見守られながら死んだ。北川に連れられて警察を出てきた幸夫を、
今また河野達は「明日は僕らの手で」の合唱で元気づけるのだった。(キネマ旬報)

<KINEMANOTE=76.6点>




by jazzyoba0083 | 2019-09-15 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「早春 (4Kデジタルリマスター版)」
1956 日本 松竹 144分
監督:小津安二郎  脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:池部良、淡島千景、岸恵子、笠智衆、山村聡、杉村春子、浦辺粂子、東野英治郎、加東大介他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
小津作品は10本以上観ていると思うが、その中でも異色な内容だと思う。松竹専属の小津だが、本作では
池部良、淡島千景という東宝スターを起用し、「君の名は」で国民的スターとなった松竹の若手看板女優
岸恵子と組ませた。後は一連の小津組の常連さんたちがずらりと顔を並べた。小津の公開作品としては最長の
144分。いささか長すぎの感あり。モノクロ作品。

キャストと内容を眺めると、戦後も10年を超えてまだまだ敗戦の影響がそこかしこにみえるものの、次第に
生活にも変化が生まれ、男女の恋愛にも新しい描き方が出てきたな、という印象を受けた。小津といえば、
嫁に行く娘と父親に代表される古い恋愛、親子の愛情の描き方をしてきたな、というい感じなのだが、ここでは
いわゆる「不倫」を題材とし、新しい考えの娘(岸恵子)と古いタイプの嫁(淡島千景)の愛情に対する
比較を描いた。また会社の多数の同僚という設定も小津としては新しい感じを受けた。
刺激を求めて会社の若い娘と浮気をしたものの、嫁の元へと帰っていくという池部良の立場が今ひとつ
はっきりしていない。感情の起伏が少ない男なのだが、それにしても淡々とし過ぎな感じだった。
女性陣でいえば「ドライ」な岸恵子対「ウェット」な淡島千景という構図。これに昔ながらの女性観を語る
淡島の母、浦辺粂子のセリフが何気ないが結構重要だったりする。子供が生まれることが食っていけるか
どうかで悩むことになるという当時の社会、恐らく大学は出たけれど、という時代だっと思うが、厳しい
世相も伺い知れる。

小津の画像の作り方だが開巻のファーストカットが落ち着かない都会や町の風景なのだが、本作もそれで
始まる。また部屋数の少ないアパートや店舗が舞台なので、いくつもの襖を開けてパースペクティブを
演出するというシーンが少ない。一方で、トラックショットが多いのと、ワンショットのカメラ正対では
ないカットが多用され、台詞回しもあの独特の繰り返しが印象的な台詞が少ないなと感じた。

キャスト、キャメラ、台詞、設定と小津としては新鮮な感じを受けはしたが、内容的には、この後に製作
される「東京暮色「彼岸花」から「秋刀魚の味」くらいまでの作劇のほうが個人的には好みだ。
とはいえ、本作はこれはこれで醸し出される世界観は嫌いではない。

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<ストーリー>
杉山正二は蒲田から丸ビルの会杜に通勤しているサラリーマンである。結婚後八年、細君昌子との仲は
倦怠期である。毎朝同じ電車に乗り合わせることから、いつとはなく親しくなった通勤仲間の青木、辻、
田村、野村、それに女ではキンギョという綽名の金子千代など。退社後は麻雀やパチンコにふけるのが
このごろでは日課のようになっていた。

細君の昌子は毎日の単調をまぎらすため、荏原中延の実家に帰り、小さなおでん屋をやっている母の
しげを相手に、愚痴の一つもこぼしたくなる。
さて、通勤グループとある日曜日江ノ島へハイキングに出かけたその日から、杉山と千代の仲が急速に
親しさを増した。そして杉山は千代の誘惑に克てず、ある夜、初めて家をあけた。それが仲間に知れて、
千代は吊し上げを食った。その模様を千代は杉山の胸に縋って訴えるが、杉山はもてあますだけであった。

良人と千代の秘密を、見破った昌子は、家を出た。その日、杉山は会社で、同僚三浦の死を聞かされた。
サラリーマンの生活に心から希望をかけている男だっただけに、彼の死は杉山に暗い後味を残さずには
いなかった。仕事の面でも家庭生活の上でも、杉山はこの機会に立ち直りたいと思った。丁度、地方工場
への転勤の話も出ていることだし、千代との関係も清算して田舎へ行くのも、一つの方法かも知れない。

一方、昌子は家を出て以来、旧友の婦人記者富永栄のアパートに同居して、杉山からの電話にさえ出よう
としなかった。杉山の赴任先は岡山県の三石だった。途中大津でおりて、仲人の小野寺を訪ねると、
小野寺は「いざとなると、会社なんて冷たいもんだし、やっぱり女房が一番アテになるんじやないかい」
といった。
山に囲まれたわびしい三石に着任して幾日目かの夕方、工場から下宿に帰った杉山は、そこに昌子の姿を見た。
二人は夫婦らしい言葉で、夫婦らしく語り合うのだった。(Movie Walker)

<KINENOTE=76.0点>



by jazzyoba0083 | 2019-07-22 23:30 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

二十四の瞳

●「二十四の瞳」
1954 日本 松竹映画 156分
監督・脚本:木下恵介  原作:壺井栄『二十四の瞳』(光文社 刊)
出演:高峰秀子、笠智衆、天本英世、夏川静江、浦辺粂子、明石潮、小林豊子、清川虹子、田村高廣、東山千栄子 他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
市の名画鑑賞会、午後の部は、久しぶりの邦画だった。名作の極み?「二十四の瞳」。80席、満席。
製作は昭和29年、小豆島のロケだ。壺井の小説には小豆島の名前は出てこないが、この映画が舞台を
小豆島に設定したため、以降、「二十四の瞳=小豆島」という図式が出来上がっった。

さて、映画にまつわる雑事は後述するとして、作品では昭和3年から21年の、日本の軍国主義が最高に苛烈に
なった時期、田舎の小豆島にもその影は大きく落ち、主人公の大石先生は、公私共に苦労、苦悩する、という
のがメインストーリーだ。
先生との師弟愛、大石先生自身の家庭のことなど、貧乏で豊かではなかったが、楽しい島の生活を一変させた
戦争の悲惨さと平和の尊さを、静かに訴えて涙を誘う。あの頃の日本人は純粋だったのだあ、とつくづく思う。

二十四の瞳、とは新任で岬の分教場で最初に担任となった大石先生の教え子12人のことである。彼ら、彼女らの
貧困ゆえの苦悩、軍人に憧れたものの悲惨な戦争に出征し、次々と戦死していく男の子の教え子たち。
小豆島の(モノクロではあるが)海と山の自然に恵まれた風景と対照的に描かれる物語は辛く悲しい。
そしてそれを一層情緒的にしているのが、多数使われる「唱歌」「軍歌」である。木下恵介の実の弟、
木下忠司の選んだ曲は全部、既存の歌だ。しかも「カラスの歌」「浜辺の歌」「仰げば尊し」は繰り返し
使われる。それはあたかも、物語の主張のメタファーかのように。

物語そのもの、凝り性というか完璧症の木下らしい、水平線を活かしたロングの構図、トラックの画像、
教科書のようなフレームイン、フレームアウト、ゆったりとしたパーンなど、凝ったキャスティングも含め、
この年、「七人の侍」を抑えて、「キネ旬」年間ベスト1位になっただけの演出、演技ではあった。

だが、私としてはいささかの異議を感じるのだ。だいたい上映時間が長すぎる。18年間の物語なので
それなりの長さは必要だろうが、フルコーラスでしかも連続して聞かせる多数の唱歌、また12人を丁寧に
描いているといえばそうだろうが、いちいちアップを個々に使い、男子生徒の戦死した3人の墓標の
アップでのパンアップは不要だと感じた。全編、もう少しカットできるシーンがあったと感じた。
そうすると156分が130分くらいになり、もう少し、締まった映画になったのではないか、もったいない、
と感じたのだ。(私より先輩の映画ファンにこれを話したら、制作当時の社会の雰囲気がこうさせたの
ではないか、と語っていた)
ラストシークエンス、昭和21年の大石先生、少し老けすぎなメイクだ。師範高女を出て新米教師として
赴任してから18年として、行ってても、40歳そこそこだと思われるのだが、おばあさんの風貌。
まあ、旦那も戦死し、娘は空腹に耐えかねて柿を取ろうとして木から落ちて死亡、教え子の相次ぐ不幸と
大変な苦労を表したのだろうか。
また、この映画は壺井栄の原作を出だしのフレーズからほぼ全編忠実に再現しているが、なぜかラスト
大石先生の歓迎会でマスノが涙ながらに歌うのが「浜辺の歌」なのだが、原作では「荒城の月」。
なぜ変えたのだろうか。修学旅行の船の上で美声を聞かせたマスノが歌ったのが「浜辺の歌」だった
から整合性を取ったのだろうか。曲としては、どっちの曲がラストシークエンスにマッチしただろうか。

太平洋戦争で中国戦線に赴き、負傷して帰国した木下監督、平和の尊さ、戦争の愚かさは十二分に理解
しているわけで、壺井の原作もあるのだろうけど、映画のなかでも、「反戦」とは言わないが、市民に
わかりやすい形での戦争の、国家の暴走の恐ろしさを抑えが効いた表現の中に描いていた。それがまた
観ている方の心にじわじわと来るのだ。日本国民、今の時代は特に、みんな(再度)見るべき映画であろう。

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<ストーリー:超省略版ですがラストまで書いてあります>
昭和三年四月、大石久子は新任のおなご先生として、瀬戸内海小豆島の分校へ赴任した。一年生の磯吉
、吉次、竹一、マスノミサ子、松江、早苗、小ツル、コトエなど十二人の二十四の瞳が、初めて教壇に
立つ久子には特に愛らしく思えた。
二十四の瞳は足を挫いて学校を休んでいる久子を、二里も歩いて訪れてきてくれた。しかし久子は自転車に
乗れなくなり、近くの本校へ転任せねばならなかった。
五年生になって二十四の瞳は本校へ通う様になった。久子は結婚していた。子供たちにも人生の荒波が
押しよせ、母親が急死した松江は奉公に出された。修学旅行先の金比羅で偶然にも彼女を見かける久子。
そして、子供たちの卒業とともに久子は教壇を去った。軍国主義の影が教室を覆い始めていたことに
嫌気がさしてのことであった。
八年後。大東亜戦争は久子の夫を殺した。島の男の子は次々と前線へ送られ、竹一等三人が戦死し、
ミサ子は結婚し、早苗は教師に、小ツルは産婆に、そしてコトエは肺病で死んだ。久子には既に子供が
三人あったが、二つになる末っ子は空腹に耐えかねた末に柿の実をもごうとして落下し死んだ。

終戦の翌年--久子は再び岬の分教場におなご先生として就任した。教え児の中には、松江やミサ子の
子供もいた。一夜、ミサ子、早苗、松江、マスノ、磯吉、吉次が久子を囲んで歓迎会を開いてくれた。
二十四の瞳は揃わなかったけれど、想い出だけは今も彼等の胸に残っていた。数日後、岬の道には元気に
自転車のペダルを踏む久子の姿があった。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:60% Audience Score:85% >
<KINENOTE=一般投票=82.7点>



by jazzyoba0083 | 2018-09-13 16:35 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「雲のむこう、約束の場所 The Place Promised in Our Early Days」
2004 日本 コスミック・ウェーブ 
監督・脚本・原作・絵コンテ・編集・音響監督:新海誠
声の出演:吉岡秀隆、萩原聖人、南里侑香、石塚運昇、井上和彦、水野理紗 他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
WOWOWが「君の名は。」を初放送するにあたり、深海監督の過去作品をラインナップしてくれたので、
一つだけ観てみた。この手のアニメの世界はよく知らないので、頓珍漢なことを言うかもしれませんが、
お許し下さい。「セカイ系」っていうんですか。初めて聞きました。

個人的には「君の名は。」のベースがみんなここにあるな、という感想。「平行世界」、「時空の往来」、「夢」、
「出会えそうで出えないすれ違う男女」、などなど。本作の背景には「戦争」という全く別要素が加わるが、
ローカルを舞台に据えた点も含め、「君の名は。」はもう少し分かり易くして、映画の背景もリアルワールドに
した点が多くの人に受けたのであろう。今から13年前の作品だが、光と影の使い方、ディテールへのこだわり
など、この映画からも新海監督の特徴が現れている。

全体に時制の置き方など、結構悩ましく、理解しない人は置いていくからね、的な造りを感じる。まあ
それが「セカイ系」というものかもしれないけど。
それと、ちょっと考えると分かるのだが、今はエゾと言われる「ユニオン」が占領するかつての北海道、
最終的にアメリカ軍を中心とする連合軍が「世界を書き換える」作戦に出る「ユニオン」に対抗していき、
主人公らはその作戦の中のレジスタンスとして攻撃に加わるのだが、「書き換えられた」世界はリセット
されちゃうから、映画の物語としてもリセットされちゃうんじゃないのかなあ。そうなると主人公らも
「あんた誰?」的な世界。違うのかなあ。

それは置くとしても(かなり大きな問題ではあるが)独特の世界観、描写は楽しかった。特に少年二人が
自分たちで飛行機を作っちゃうという、結構無茶苦茶な設定なんだけど、ヴェラシーラと名づけられたその
飛行機は、この映画のシンボルともなっているエゾの高い高い塔を攻撃するところあたりから面白さは
加速する。眠り続けているサユリは、この「並行世界」問題の鍵となっているらしい。そして塔を設計した
男の孫にあたるらしい。その眠りには宇宙を根底から覆すような何かがあるらしいことくらいしか分からな
かった。映画冒頭、まだ分かりやすかった時間帯、中学3年生のサユリとヒロキとタクヤは飛行機を完成させ
あの塔へ飛ぶことを約束したのだ。その約束を守るということが、実はものすごい意味を持っていたわけだ。
経過をもう少し単純にしてもらえると、おじさんは嬉しかったなあ。(←そんな人は新海作品を観なくて、
宜しいってか?w) ちなみにおじさんは「君の名は。」のタイムパラドクスも今ひとつ分かりづらかったよ。
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<ストーリー>
日本が南北に分断された、もう一つの戦後の世界。米軍統治下の青森の少年・藤沢ヒロキ(声:吉岡秀隆)と
白川タクヤ(萩原聖人)は、同級生の沢渡サユリ(南里侑香)に憧れていた。彼らの瞳が見つめる先は彼女と、
そしてもうひとつ。津軽海峡を走る国境線の向こう側、ユニオン占領下の北海道に建設された、謎の巨大な「塔」。
視界にくっきりとそびえるその白い直線は、空に溶けるほどの高みまで遥か続いていた。いつか自分たちの力で
あの「塔」まで飛ぼうと、軍の廃品を利用し、山中の廃駅跡で小型飛行機を組み立てる二人。

サユリも「塔」も、今はまだ手が届かないもの、しかしいつかは触れることができるはずのもの…二人の少年は
そう信じていた。だが中学三年の夏、サユリは突然、東京に転校してしまう…。

言いようのない虚脱感の中で、うやむやのうちに飛行機作りも投げ出され、ヒロキは東京の高校へ、タクヤは青森の
高校へとそれぞれ別の道を歩き始める。三年後、タクヤは政府諮問の研究施設に身をおき、サユリへの憧れを
打ち消すように「塔」の研究に没頭していた。
一方で目標を喪失したまま、言葉にできない孤独感に苛まれながら、東京で一人暮らしを送るヒロキは、
いつからか頻繁にサユリの夢を見るようになる。そこでのサユリはどこか冷たい場所にいて、自分と同じように、
世界に一人きりとり残されている、そう感じていた。ヒロキの元に届けられた、中学時代の知り合いからの手紙。
しばらくは開ける気がせず放っておいたその封を、偶然開いたヒロキは、サユリがあの夏からずっと原因不明の
病により、眠り続けたままなのだということを知る。
サユリを永遠の眠りから救おうと決意し、タクヤに協力を求めるヒロキ。そして眠り姫の目を覚まそうとする
人の騎士は、思いもかけず「塔」とこの世界の秘密に近づいていくことになる。
折りしも「塔」を巡る世界情勢は悪化の一途を辿り、開戦の危機も目前に迫っていた。「サユリを救うのか、
それとも世界を救うのか―」はたして彼らは、いつかの放課後に交わした約束の場所に立つことができるのか?
(Movie Walker)




by jazzyoba0083 | 2017-12-01 22:30 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「皇帝のいない八月」
1978 日本 松竹映画 140分
監督:山本薩夫  原作:小林久三 『皇帝のいない八月』
出演:渡瀬恒彦、吉永小百合、山本圭、滝沢修、佐分利信、小沢栄太郎、永井智雄、高橋悦史、三國連太郎
   丹波哲郎、鈴木瑞穂、岡田英次、山崎努、永島敏行、太地喜和子、神山繁、渥美清、岡田嘉子他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
自衛隊によるクーデターものである。その作戦名がタイトルとなっている。松竹オールスターの出演、
社会派山本薩夫のメガフォンなれど、当時の日本映画の限界を見る思いで、見ていて寂しくなって
しまった。小林久三の原作ものなんだけど、大胆に翻案する手もあったのではないか。当時、憲法改正に
ついての世論がどのくらい強かったかは分からないけど、学生運動も下火になり、割りと平和な世の中では
なかったか。(制作された当時本作は直近未来を描いたらしい)ジュディ・オングの「魅せられて」が
日本レコード大賞を獲った年だ。そうた時代にこういう映画を見てみたいという人がどのくらいいたのだ
ろうか?

閑話休題。自衛隊反乱舞台の首謀者藤崎は元陸自一尉で、三島由紀夫の決起思想とほぼ同じ考えで、
右翼国粋政権の樹立を目指していた。彼は博多を中心とする西部方面隊。東北や関東にも応呼する部隊も
いて、東西から東京を目指した。映画でのメインとなるのは藤崎らが乗っ取った特急「さくら」。
彼はこれに爆弾をしかけ、乗員乗客を人質に、東京を目指しつつ要求を突きつけていた。
藤崎の妻杏子が吉永小百合。彼女は婚約者がいながら、藤崎に強引に(このあたり心情よく分からない)
結婚。でも5年間で愛情を感じるようになっていた。そこにかつての婚約者山本圭登場。

まあ物語を縷縷書いていても仕方がないのだが、オールスター映画(殆どが今や物故者)ではあるが、
なんか、締まりがない。緊張感のある物語なんだけど、カッカしているのは内閣調査室長の高橋悦史と
藤崎(渡瀬恒彦)だけ。ドタバタドタバタしていて落ち着かない。
ポリティカルミステリなのだが、内閣の裏事情が良く説明されないので、藤崎らに担ぎ出された大畑と
佐橋首相の位置関係と裏事情が明快でない。
反乱軍鎮圧本部を含む首相官邸、特急「さくら」内部、吉永小百合と山本圭、これら3つが物語を
紡ぐのだが・・・。(狂言回しの渥美清と岡田嘉子がもったいない)演技もなんかみんな下手くそだなあ。
「さくら」を鎮圧部隊がいる徳山に止めたり、送電を止めなかったり、めちゃくちゃな銃撃戦を展開したりと、
ツッコミどころも満載。自衛隊のクーデターということで自衛隊(当時の防衛庁)の協力も得られず、
美術班、大道具・小道具班は苦労したことだろう。最後には藤崎も吉永小百合も山本圭もみんな死んじゃうし。
タイトルだけがかっこいいのが寂しい。

この映画、興業的に成功したのだろうか?
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<ストーリー>
八月十四日午前一時、盛岡市郊外。不審なトラックを追っていたパトカーが機関銃の乱射を受けて炎上、
トラックは東京方面に走り去った。八月十五日午前十時半、鹿児島。陸上自衛隊、警務部長の江見は郷里で
亡妻の墓参中、内閣情報室長の利倉からの連絡で、盛岡のパトカー炎上事件を知った。
そして、自衛隊内外の不穏分子を列記したリストに昔の部下で、今は一人娘、杏子の夫である藤崎の名を発見
して愕然とする。

帰京の途中、杏子の往む博多に立ち寄るが、杏子は、藤崎が運送業に打ち込んでいることを告げる。だが、
江見が去った後、夫から東京に行くという手紙が届いた。同日午後六時半、博多駅。業界紙の記者、石森は
取材を終え、帰郷すべく、「さくら号」を博多駅で待っていると時ホームを駆ける杏子の姿を見かけた。
思いがけない再会、かつて二人は結婚を誓い合った仲なのだ。二人を乗せたブルートレインは静かにすべり
出す。

同日、東京首相官邸。佐橋総理を囲んで緊急会議が開かれていた。大規模なクーデター発生の可能性を報告
する利倉。自衛隊の軍隊化をめぐり、日本最大の黒幕、大畑との対立が再燃した。同日午後八時一分、門司。
石森は列車の下に動く怪しい男の影を発見。同日午後八時十五分、下関。石森の要請で、車輪係員が列車を
点検したが、危険物は発見されなかった。その直後、石森と杏子は一号車に連行され、そこに藤崎の姿を見た。
杏子の不安が的中したのだ。同日午後九時、東京。内閣情報室の分析でクーデターの黒幕として大畑の名が
浮かび、そこに繋がる危険人物として真野陸将の名も上がった。江見は真野を逮捕して拷問を加えるが、
真野は舌を噛み切って果てた。しかし江見は、真野の乗用車の天井からクーデターの暗号計画書“皇帝のいない
八月”を発見、全てのプランを把握した。

佐橋首相は各方面部隊に鎮圧作戦を命令し、クーデター部隊に先制攻撃を加えた。同日午後九時五十分、
「さくら号」。一斎蜂起の失敗を無線で確認した藤崎は「さくら号」制圧作戦に切替えた。各車輛に
M爆弾が仕掛けられた。無線で「大畑を出せ!」と政府に迫る藤崎。しかし、大畑の姿は忽然と東京から
消えた。この緊急事態に佐林、利倉ら政府首脳、江見ら警務部隊、国鉄関係者はどう対処して行くか!
乗客三百六十人を乗せたブルートレインは、走る爆弾と化して一路東京へ闇の中を突っ走る……。
(Movie Walker)





by jazzyoba0083 | 2017-11-06 23:10 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

血と砂

●「血と砂」
1965 日本 東宝映画 132分
監督・脚本:岡本喜八 音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、仲代達矢、伊藤雄之助 佐藤允、団令子、伊吹徹、名古屋章、長谷川弘ほか
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
岡本喜八の戦争映画3本目の鑑賞となる。だいたい彼の戦争映画の作風と、作品に通底する
感性みたいなものが、ほの見えてきたようか感じである。タイトルから予想も出来ない内容で、
音大生で編成された軍楽隊の戦争参加を通して、岡本一流の戦争感(虚無感、滑稽感、バカバカしさ、
非痛感など)が上手く表現することに成功している。そしてエンディングの衝撃。作劇全体が
岡本イズムに溢れている。「人間愛と戦争のバカバカしさ」である。

現実、軍楽隊が「聖者の行進」を演じながら満州を戦うなんてことは無いのだが、
登場人物のキャラクターも含め、戦争をアイロニカルに表現する岡本の独特のタッチがある。
結構長い作品だが、これも岡本の強さであるカット、編集、そして佐藤の音楽と、飽きることはない。

三船、仲代という当時の東宝を代表する男優を据え、骨格のしっかりした映画となっている。
「古参兵が二等兵の頬をスリッパで理不尽に殴り倒す」という分かりやすい表現を使わず、戦争の
理不尽さ、アホさ加減を演出させると、岡本の右に出るものはないのだと思う。

三船、仲代ともにいい。それに紅一点団令子の物語上の存在も光る。音楽隊の少年たちの悲哀が、滑稽な
だけに余計にせり上がって見えてくる。岡本演出の優れたところだろう。
クセのある映画なので、見る人を選ぶかもしれない。でも、日本映画にオリジナルの存在感を
示したエバーグリーンの戦争映画の一つであることは確かだ。WOWOWの放映に感謝したい。
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<ストーリー>
昭和二十年の北支戦線。陽家宅の独歩大隊に、小杉曹長と軍楽隊の少年十三人、それに小杉にほれている
慰安婦お春がやってきた。小杉は朔県の師団指令部で少年軍楽隊を最前線に送るのを反対して、転属を
命じられたのだ。独歩大隊には、小杉の弟小原見習士官がいたが、小杉のつく直前に銃殺されていた。

通称ヤキバ砦の守備隊を指揮していた小原は、八路軍の猛攻にあい、彼を除いた全員が戦死し、連絡に
戻った小原は、敵前逃亡の罪で銃殺されたのだ。怒った小杉は隊長を殴りとばし、根津憲兵曹長に逮捕
されてしまった。営倉には、戦うことがいやで、三年も入っているという志賀一等兵や見習士官殺しの
炊事係犬山一等兵などがいた。そのころ、少年兵たちは、楽器をとりあげられ、一般兵として毎日軍歌を
歌わせられていた。

一方お春は、小杉の身を案じて、寝物語りに隊長に泣きこんで、小杉の命乞いをしていた。そのかい
あってか、数日後小杉に出動命令が下った。少年兵を指揮してヤキバ砦を奪い返せというのだ。

それからというもの、小杉の指揮のもとに、少年兵たちは猛烈な戦闘訓練に明けくれた。そして数日後、
お春に送られて出発した小杉隊は、熾烈な戦闘の末、見事ヤキバ砦をとり返した。ところが、
それから数日後、日本軍のトラックに乗った敵のゲリラ隊のために、砦は、また多くの犠牲をだしてしまった。
小杉は、少年兵を元気づけようと、お春に少年たちの筆下しをたのんだ。これに感激した少年兵たちは
今度は、敵のゲリラ隊に勇敢に立ちむかった。
しかし敵の潮のような人海戦術にはいかんともしがたく小杉をはじめとするヤキバ砦の隊員は佐久間大尉の
指揮する援軍をまたずに、全員うち死にした。日本軍の中で倒れた敵の少年ゲリラの手には、終戦を告げる
伝単がしっかりとにぎられていた。時にして、八月十五日の朝のことであった。(Movie Walker)




by jazzyoba0083 | 2017-08-23 23:20 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

独立愚連隊

●「独立愚連隊」
1959 日本 東宝映画 配給:東宝 109分
監督・脚本:岡本喜八
出演:佐藤允、中谷一郎、上村幸之、三船敏郎、中丸忠雄、南道郎、瀬良明、雪村いずみ、鶴田浩二、他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
岡本喜八の作品はだいぶ時代が下ってからの「大誘拐RAINBOW KIDS」以外に観ていないので
特に贔屓ではないが、邦画の監督を語る上で外せない人の一人ではある訳で、この夏、WOWOWで
何本か放映があったので、録画して鑑賞してみた。

この映画は題名だけは知っていたが前知識は無しで見てみた。古い映画は音が聞こえづらい。
加えて軍関係の専門用語が入るので余計に分からない。よって後半からは字幕を付けて見た。

さて、普通のことはしない岡本喜八の出世作となった本作は、勝新太郎の軍隊モノとはまた趣が
違い、ユーモアと社会を斜にみたような作り方に特徴がある。先の戦争において満州でこの映画の
ようなことはありえないのだが、そこが岡本流なんだろう。それが岡本流戦争批判なのであろう。
かれは後に「日本の一番長い日」というオーソドックスな戦争映画を撮ることになる。

冒頭登場した佐藤允が何者なのか分かるまでにしばらく時間がかかる。しかし従軍記者ってあんなに
態度でかくて大丈夫なのっていうか、周りの将校を含め兵隊が、敬意を払う存在だったのだろうか?
(実は従軍記者ではないんだけど)

主人公の大久保はある部隊から脱走し、従軍記者になりすまして、兄の心中の真相を突き止めに
やってきたのだ。その一部始終が、資料によると、戦争西部劇ふうなタッチで描かれていく。
戦争映画が持つ重々しさ、帝国陸軍の持つ陰湿さ、そいうこれまで定形とされた軍の描き方では
なく、慰安婦や、馬賊も加わり、謎解き(というほどでもない)もあり、なかなかダイナミックに
描かれている。今見るとそう面白くも感じられないが、封切られた昭和34年はまだまだ世の中には
戦争映画に対する思い入れのある人が多く、本作は大ヒットし、「独立愚連隊西へ」という続編も
作られたという。岡本喜八の荒削りながらも旧来にない演出、役者の使い方などよく分かる映画。
岡本のこのシリーズは「血と砂」までの8本とされるが、あとは「血と砂」くらい見ればでいいかな
と思っている次第。
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<ストーリー:結末まで触れています
終戦近い北支戦線を舞台に、弟の死因を究明にやって来た元鬼軍曹の活躍を描いた日本版西部劇。
「ある日わたしは」の岡本喜八が助監督時代に書いた脚本を自ら監督した。撮影は「青春を賭けろ」の
逢沢譲。

第二次大戦も末期、北支戦線の山岳地帯で敵と対峙している日本軍に、独立愚連隊と呼ばれる小哨隊があった。
正式には独立第九〇小哨だが、各隊のクズばかり集めて作った警備隊なので、この名称があった。
独立愚連隊に行くには、敵の出没する危険な丘陵地帯を行かねばならない。この死地へ、新聞記者の腕章を
巻き、戦闘帽に中国服姿の男が馬を走らせていた。大久保という元軍曹だが、愚連隊小哨長をしていた弟の
死因を究明するために、入院中の北京の病院を脱走して来たのだ。従軍記者荒木となのっていた。

彼には弟が交戦中に情婦と心中したという発表は信じられなかった。彼は生前弟が使用していた居室から、
弟の死因となったピストルの弾を発見した。心中なら二発ですむわけだが、弾はいくつも壁にくいこんでいた。
部屋で死んだのだから、敵ではなく部隊内の誰かが犯人だ。
戦況はすでに破局に達していた。死んだ梨花の妹でヤン小紅という娘が現われた。荒木は、彼女から姉の形見だ
という紙片を見せてもらった。大久保見習士官が死ぬ直前に、部隊長宛に綴った意見具申書だった。
橋本中尉の不正を列挙し、隊の軍規是正を望むものだった。橋本中尉は、自分の不正がばれるのを恐れて
大久保を殺し、心中の汚名を着せたのだ。しかし、荒木の身許が橋本にバレた。荒木の北京時代の恋人で、
今は将軍廟で慰安婦をしているトミが荒木を追って来た。そして彼女は将軍廟の橋本からかかって来た電話に
出て、荒木の本名を口走ってしまったのだ。将軍廟に向うトミと荒木を乗せたトラックは途中で敵の砲撃を受け、
トミは死んだ。荒木も将軍廟に着くと営倉に投げこまれた。しかし、脱出して橋本を撃った。

--敵の大軍が押し入った。しかし、荒木は不思議に死ななかった。彼は馬賊の群に投じ、はるか地平線の
彼方に消えて行った。(Movie Walker)



by jazzyoba0083 | 2017-08-06 23:40 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

めし

●「めし」
1951 日本 製作・配給:東宝 97分 モノクロ
監督:成瀬巳喜男 原作:林芙美子 監修:川端康成
出演:原節子、上原謙、島崎雪子、杉葉子、風見章子、杉村春子、小林桂樹、大泉滉他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>

「山の音」に次いで鑑賞した成瀬作品の2作目。「山の音」から3年前、私が
生まれる前年の作品。登場人物が重なり、男女の心のもつれを描くものだから
連続して見なければ良かったな、と反省。ストーリーが混乱してしまった。
(話としては全然違うが原と上原という夫婦の組み合わせは同じなので)

さて、本作は、林芙美子が朝日新聞に連載中に亡くなったため、監修を川端康成が
担当している。故にエンディングの創作は、川端や成瀬、脚色した田中澄江らの
思惑であって、林芙美子が、本作のようにハッピーエンドにしようとしていたかどうかは
不明である。

それにしても、現代の女性の考えと大きく違う当時の「夫婦」という状況や「女性」
というものの社会における立場を考えないと、大きな違和感が残るだろう。

東京出身者が転勤で大阪に暮らす。恋愛結婚とはいえ、証券マンとしての旦那の
稼ぎは良くなく、長屋に住まい、やりくりは大変。夫は帰れば「めし」。
妻・三千代(原節子)は、「このような女中のような暮らしが自分が求めていた
ものでは無いはずだ」と日々の夫婦生活に不満が溜まっている。
そこに、夫の姪っこ、里子(島崎雪子=いい演技だと思う)の登場、夫にシナを
作る姪、それをあまり憎からず思う夫、それを見てまた不満や怒りが湧く三千代。

臨界点に達した三千代は里子を東京に送っていくと称して、実家に帰る。母と
過ごす時間はストレスから開放され、次第に自分も独立して何かをしたいと
考えるようになる。これを打ち砕くのが、職安で偶然出会う旧友の山北けい子
(中北千枝子)であった。戦地から夫の帰還を待つ身であるが、小さい子供と
なんとか食っていかなくてはならない。「あなたのような幸福な奥さんにこんな
惨めな話ばかりしちゃって」と言われてしまう。

と、三千代は大阪に残した夫に手紙を書く。
「あなたの傍を離れるということが、どんなに不安に身を置くことか、やっと
分ったようです・・・」
後日、山北とその子が、駅頭で新聞売をしている姿を見てしまう。こんな女性も
いるのに、自分は・・。

自分は夫のそばにいてこそ幸福をつかめるのだ、それでいいのだ。と考えるように
なっていく。

そんなある日、夫が出張と称して三千代を迎えに来た(らしい)。くたびれた
革靴が玄関にあった。外出して、店でビールを飲む。
夫はお金のこともあり転職を考えていたらしく、妻と相談する、と言ってある、
という。三千代は「いいのに、あなたがお決めになって」というが、夫は
「そりゃね、ボクだって君が苦労しているのはわかっているんだけど」と返す。
そんな会話の中で、三千代は、自分の幸せは、この人と添い遂げることにあるのだ
と納得していく。帰りの列車の中、居眠りしている夫の横で、三千代は夫に書いた
手紙を破いて窓から捨てたのだった・・・。

この映画は主人公三千代のナレーションが入るのだが、ラストはこうだ。
「私の傍に夫がいる。眼を瞑っている。平凡なその横顔。生活の川に泳ぎに疲れ、
漂って、しかもなお闘って、泳ぎ続けている一人の男。その男の傍に寄り添って、
その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことにした。
そのことは、私の本当の幸福なのかも知れない。女の幸福とは、そんなものでは
ないのだろうか」

懸命に生きようとする男の姿に、自分の幸せを重ねることで自身の幸福を見出した
三千代だったのだ。(あるいは何処か覚めた諦め、であったか)

どうだろう、現代の女性がこの結論めいたナレーションを聞くと、「そうじゃない
でしょ?」と言いたくなるのではないだろうか。しかし、時代は昭和26年である。
冒頭書いたように、女性、妻、嫁、という当時の社会的立場を考慮すれば、三千代の
ような結論が間違いであると誰がいえよう、というか、その結論こそ、ハッピーエンド
であると、観客には受け入れられたのではないか。(夫のヘタレぶりはもう少しなんとか
せいよ、という指摘は今でも通じるが)
もうひとり、男性で、夫の従兄の一夫(二本柳寛)が、里子とは逆の意味で、三千代
夫婦の愛情をもつれさせるファクター(メタファー)として重要である。

ラストのセリフはどうも川端康成の匂いがする。
それにつけても、主役の二人、いいです。成瀬監督は演技に対してほとんど細かいことを
指示しなかったそうだ。故に、原の顔の表情に伴う目線の上げ下げ、などは原自身の
演技だったようだ。小津作品の原とは違い、2作しか見ていないが、成瀬作品の原は
「艶」というか、もっと言えば「性的」さらに言えば「エロ」を感じる。この作品に
原が適切かどうか、は意見が別れるかもしれないが、原ならではの「めし」が出来た、
といえよう。同じ年に小津作品の「麦秋」が作られているが、同じ原節子でも、成瀬
作品のほうが、圧倒的に色っぽい。
そして上原のヘタレぶり。「山の音」でもそうだったが、天下の二枚目スターだった
んでしょ?この馬鹿っぷりはいい味です。

黒澤作品には欠かせない早坂文雄の音楽。この映画では饒舌過ぎると感じた。終始
流れっぱなしという感じ。一瞬音楽なしになるところでのショック的効果が感じとられる
ところもあるが、やはり饒舌ではなかったか。

成瀬作品、更に見てみたくなりました。
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<ストーリー>

林芙美子の未完の絶筆を映画化した成瀬巳喜男の戦後の代表作のひとつ。繊細にして
リアルな女性描写は、成瀬演出の真骨頂と言われている。
ノーベル賞作家・川端康成が監修を担当。


 恋愛結婚をした岡本初之輔と三千代の夫婦も、大阪天神の森のささやかな横町に
つつましいサラリーマンの生活に明け暮れしている間に、いつしか新婚の夢もあせ果て、
わずかなことでいさかりを繰りかえすようにさえなった。
そこへ姪の里子が家出して東京からやって来て、その華やいだ奔放な態度で家庭の
空気を一そうにかきみだすのであった。
三千代が同窓会で家をあけた日、初之輔と里子が家にいるにもかかわらず、階下の
入口にあった新調の靴がぬすまれたり、二人がいたという二階には里子がねていた
らしい毛布が敷かれていたりして、三千代の心にいまわしい想像をさえかき立てる
のであった。
そして里子が出入りの谷口のおばさんの息子芳太郎と遊びまわっていることを
三千代はつい強く叱責したりもするのだった。家庭内のこうした重苦しい空気に
堪えられず、三千代は里子を連れて東京へ立った。

三千代は再び初之輔の許へは帰らぬつもりで、職業を探す気にもなっていたが、
従兄の竹中一夫からそれとなく箱根へさそわれると、かえって初之輔の面影が
強く思い出されたりするのだった。その一夫と里子が親しく交際をはじめたことを
知ったとき、三千代は自分の身を置くところが初之輔の傍でしかないことを改めて
悟った。その折も折、初之輔は三千代を迎えに東京へ出て来た。平凡だが心安らかな
生活が天神の森で再びはじめられた。(Movie Walker)


この映画の詳細はhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=135568こちらまで。


by jazzyoba0083 | 2017-04-28 22:30 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

山の音

●「山の音」
1954 東宝 95分
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄 脚本:水木洋子 原作:川端康成『山の音』
出演:原節子、山村聰、上原謙、長岡輝子、杉葉子、丹阿弥谷津子、中北千枝子、金子信雄他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>

日本を代表する映画監督、小津、黒澤、溝口、成瀬、と、この四人は基本的に洋画が
好きな私としては、食わず嫌い状態だった。3年ほど前に、WOWOWで「黒沢作品」の
大特集があり、それこそ片っ端から観て、(作品によるが)その素晴らしさに唸る一方、
未だに「どですかでん」や「乱」「デルス・ウザーラ」などは見る気には至っていない。
(理由を書くと長いので省略)
そして、割りと昔から好意は持っていて何作品かは観ていた小津作品も、機会があれば
鑑賞していて、好きな作品も多い。
ところが、成瀬と溝口は未見であった。映画という主観的な好みが大きい芸術・文化は、
本人に興味が無かったり嫌いなものを無理して見ることはない。ジャズで言えばフリージャズ
嫌いがオーネット・コールマンを我慢して聞くように。

そんな状態であったところに、最近NHKBSが原節子がらみで、成瀬巳喜男名作の誉れも
高い「山の音」を放映するという。さっそく録画し、鑑賞してみた。趣味に合わなければ
途中でやめればいいと思い。
製作されたのは1954年。この年、黒澤は「七人の侍」を製作し油が乗り切っていた。
また「ゴジラ」の第一作が作られたのもこの年である。小津は前年に名作「東京物語」を
ものしている。

そうした邦画が生き生きとしていた時期、成瀬巳喜男という人は一体どんな映画を作った
のだろう、そんな思いが去来しつつ、物語の展開を追っていった。

舞台は小津映画にも多く出てくる鎌倉。(小津は北鎌倉だけど)原節子も小津映画で
私としてはおなじみの女優さんである。
ところで、原作となった川端康成の「山の音」(川端文学の最高峰と指摘する人も多い
のだそうだ)と比べると、骨子は押さえてあるものの、結末も含め、大きく脚色されて
いるのだそうだ。私は原作は未読であるが。映画を観てからネットで原作の事をいろいろと
調べてみたが、たしかにストーリーも主人公も原節子のイメージからしてだいぶズレて
いるが、作品が言わんとするところの「大意」みたいなものは大きくは外れていないの
ではないか、とは感じた。
上原謙の冷たさがどこから来ているのか、などの背景は端折られているし、一番大きいのは
「山の音」という題名の由来が、映画からは全くわからない、という、不親切な点は
指摘されなければならないが。

黒澤や小津と並び、成瀬にも、コアなファンが沢山いらっしゃるので、トンチンカンな
ことは滅多に言えないが、川端文学の持つある種の「背徳的性的描写」は、しっかりと
受け止めることが出来た。すなわち、嫁・菊子(原節子)と、舅・信吾(山村)との
「危ない関係」の匂い、それは、原節子の目線の演技が一番強く訴えていた。さらに
山村自身、今の妻の姉を本当は好いていたのだが、妹の方と結婚することになったと
いう屈折した結婚事情から、その姉と面影が似ている菊子に恋慕の思いが本作のベースと
なっている。またダメ男と結婚し、嫁ぎ先から帰ってきてしまった娘の存在も、山村を
して原節子に心を傾けさせる要因の一つになっているようだ。

舅思いの嫁、嫁思いの舅、という太平楽のドラマではないのだ。男女の関係を「エロ」の
(というか下品になってしまう)一歩手前で、高度な恋愛観に昇華させて描いた成瀬の
力量に、私は惚れた。そのためこの映画の直後「めし」を見ることになるのだが、その
話は後日に。

菊子(原節子)の夫・修一を演じるのが上原謙である。実際の年齢は上原のほうが山村より
1つ上なのだが、ここでは上原は山村の息子である。これが不自然でないのが不思議だ。
夫・上原謙は、父親が専務をしている会社のサラリーマンであるのだが、結婚して2年と
いうのに、もう戦争未亡人の妾を持っている。それを父も母も知っている。何故嫁思いの
舅は息子を叱責しないのか、と観ている人は思うだろう。ここが原作にあって映画にない
息子修一の戦争を体験したことから来る心の傷というやつが横たわっているらしい。
原作はもっと「戦争」というものの影が落ちた構成になっているようだ。
修一は菊子が子ども子どもしていて女としての魅力に欠けると感じていて、(原節子は
凄い肉感的で大人っぽいと思うけどなあ。原作の菊子はほっそりの痩せ型)性のはけ口を
妾に求めているフシがある。

菊子は妊娠するのだが、修一へのあてつけから、周囲に知らせず堕胎してしまう。
このままではいけないと思う真吾(山村)は、自分らとは離れて暮らすことを提案するの
だが、菊子はお父様と離れては暮らせない、と切ないことを言ってくれる。
このあたりの影のある原節子の表情は、小津作品でもそうだが、一級品だなあ、とつくづく
思わせる。
原作では、真吾が能面を菊子に付けさせると、その面のしたから涙が筋となって流れて
くるところが非常に重要なメタファーとして描かれているのだそうだが、映画では能面を
付けるシーンはあるが、作品の内容のベクトルを示すほどの重要性を持っては扱われて
いない。映画のハイライトはやはりラストの新宿御苑での、真吾と菊子が語る未来への
展望だろう。vistaだっけ?

成瀬の画作りは、パースペクティブと、黄金律を活かした計算された画面。人物を重ねて
奥行きを出したり、(ナメとはちょっと違う)フレームインフレームアウトもリズムが良い。
小津のような特徴は無いが、計算された画面は落ち着いていて、作劇と作画がうまく
シンクロ出来ていると思う。「めし」は見たから「浮雲」とか他の作品も観てみたくなった。

作品にはまったく関係ないが、真吾が専務車で菊子を(堕胎するとは知らず)病院に送る
東京の当時の光景に四ッ谷の上智大学・イグナチオ教会が写っていたと思うのだが、違うかなあ。
成瀬監督、生まれは四ッ谷だし。
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<ストーリー:映画のストーリーとは少し違います>
六十二という齢のせいか、尾形信吾は夜半、よく目がさめる。鎌倉の谷の奥--満月の
しずかな夜など、海の音にも似た深い山の音を聴いて、彼はじぶんの死期を告げられた
ような寂しさをかんじた。
信吾は少年のころ、妻保子のわかく死んだ姉にあこがれて、成らなかった。息子修一
にむかえた嫁菊子に、かつての人の面影を見いだした彼が、やさしい舅だったのは
当然である。

修一は信吾が専務をつとめる会社の社員、結婚生活わずか数年というのに、もう他に
女をつくり、家をたびたび開けた。社の女事務員谷崎からそれと聴いて、信吾は
いっそう菊子への不憫さを加える。
ある日、修一の妹房子が夫といさかって二人の子供ともども家出してきた。信吾は
むかし修一を可愛がるように房子を可愛がらなかった。それが今、菊子へのなにくれと
ない心遣いを見て、房子はいよいよひがむ。子供たちまで暗くいじけていた。
ひがみが増して房子は、またとびだし、信州の実家に帰ってしまった。
修一をその迎えにやった留守に、信吾は谷崎に案内させ、修一の女絹子の家を訪ねる。

谷崎の口から絹子が戦争未亡人で、同じ境遇の池田という三十女と一緒に自活していること、
修一は酔うと「おれの女房は子供だ、だから親爺の気に入ってるんだ」などと放言し、
女たちに狼籍をはたらくこと、などをきき、激しい憤りをおぼえるが、それもやがて
寂しさみたいなものに変っていった。女の家は見ただけで素通りした。帰ってきた
房子の愚痴、修一の焦燥、家事に追われながらも夫の行跡をうすうすは感づいている
らしい菊子の苦しみ--尾形家には鬱陶しい、気まずい空気が充ちる。菊子は修一の
子を身ごもったが、夫に女のあるかぎり生みたくない気持のままに、ひそかに医師を
訪ねて流産した。大人しい彼女の必死の抗議なのである。と知った信吾は、
今は思いきって絹子の家をたずねるが、絹子はすでに修一と訣れたあとだった。
しかも彼女は修一の子を宿していた。めずらしく相当に酔って帰った信吾は、菊子が
実家にかえったことをきく。菊子のいない尾形家は、信吾には廃虚のように感じられた。
二、三日あと、会社への電話で新宿御苑に呼びだされた信吾は、修一と別れるという
彼女の決心をきいた。菊子はむろんのこと信吾も涙をかんじた。房子は婚家にもどる
らしい。信吾も老妻とともに信州に帰る決心をした。(Movie Walker)

この映画の詳細はhttp://movie.walkerplus.com/mv23724/こちらまで。


by jazzyoba0083 | 2017-04-26 22:50 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)