わらの犬 Straw Dogs

●「わらの犬 Straw Dogs」
1971 アメリカ  ABC Pictures Corp. 115min.
監督・(共同)脚本:サム・ペキンパー
出演:ダスティン・ホフマン、スーザン・ジョージ、ピーター・ヴォーン、P・T・マケンナ他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
事前に「サム・ペキンパー 情熱と美学」という彼の一生を描いたドキュメンタリー映画を
観ていたのでだいぶ理解が得られやすかった。西部劇を手がていたペキンパーが最初に
挑んだ現代劇である。

猫の死体が発見されるまでの伏線というか後半に怒涛のように流れていくまでがやや
退屈だったが、その後の展開は目まぐるしく、短いカットのモンタージュ、スローを
使った表現などから、ラストシークエンスの一大暴力破壊シーンに至るまでは息つく
暇がないスピード感である。

「むき出しのヒリヒリするバイオレンス」を通して主人公デヴィッド(ホフマン)が
表現する人間の本性と加速の表出が見事。暴力シーンなら今なら手持ちカメラを多用する
ことで心情も併せて表現するのが昨今だが、本作では敢えて固定カメラを使い、硬質な
恐怖感というものを演出している。それが窮屈な恐怖感(家屋の中という)をも
表出させていたのではないか。製作された頃のアメリカの状況をみればベトナム戦争は
泥沼で、公民権運動などで国内は荒れていた。
そんなアメリカを逃れ妻の実家であるスコットランドを訪れたデヴッドとエイミー夫妻。
彼らが居を構えた村は、「排他的なキリスト教的村社会」。その村での若者たちも
閉塞感に悶々としている。

本来平和主義のデヴィッド、車庫の屋根を修理に来ている若者たち。セックスだけが
夫との絆と思い込むそう賢くない感じの妻エイミー。修理の若者たちを自分の肉体を
晒すことで挑発。やり過ぎの程度が分からないエイミーはついには若者に輪姦されて
しまう。が、デヴィッドには言えない(言わない)。デヴィッドとエイミーの間には
冷たいものが横たわり始めていた。天文物理学者であるデヴィッドはエイミーの理解の
無さに辟易することもあった。そうした伏線のかずかずは上手い脚本である。

さて、この映画の白眉のラストシークエンス、知能が足りない大男が女の子に誘われ
洞窟に行くが、誤って殺してしまう。逃げている大男を、酒場から帰るデヴィッド夫妻の
運転するクルマがはねてしまう。家に連れて帰り医者に見せなくては、という夫と
追いかけてきた手に手に猟銃をもった娘の父親と屋根を修理していた若者たち。

大男を渡せという追手の男たちは酔も加わってまるで暴徒である。まどから石をなげ
こんで来る。大男を引き渡せ、という妻とで家の中でも対立が起きる。その間、銃でドアを
撃ち侵入しようとする。事態収集に来た判事も彼らは射殺してしまう。

そこからの一大アクションシーンは伏線であった大きな鉄製のけもの用の鰐口の罠の
存在をどうにかするのだよなあ、並べて煮始めた油は外に向かって掛けるんだよなあ、
などと推測しながら、大人しいむしろチキンのデヴィッドが、さまざまな仕掛けを
工夫し、多勢に無勢の状況を打開、容赦ない外からの攻撃、やがて彼らが家に入って
くると、暴力はさらに過激になる。西部劇から現代劇への第一歩としてはそのバイオ
レンスの表現に西部劇調を見ることが出来る。
ここにおいての最大の見ものはダスティン・ホフマンの顔を変貌だろう。本来心の奥に
あった凶暴さが目覚めて火が付き、顔つきさえ変わっていく所だ。

ラストで大男をクルマに乗せて、我が家を後にするラストシーン、大男が「家に帰る
道が分からなくなったよ」という。するとホフマンは「俺もだ」とにやりと笑って
返すのだが、相手側が悪いとは言え、何人も殺しているだけに、一体彼はどこへ行こうと
いうのか。デヴィッドに目覚めた「狂気」は、彼の本質を目覚めさせてしまったようだ。
恐ろしい結末。残してきたエイミーはどうするんだろう(知ったことではないのだろうが)。

「卒業」のラストシーンで提示された、キャサリン・ロスとのバスの中での未来に対する
不安にシークエンスは似ているが、暴力の果の全く見通せない今後とはその見え無さ加減の
方向性は全然違う。

そうしてみると、退屈と思った前半、これは後半のバイオレンスに流すためのテーゼと
して描かれたということが分かってくる。ペキンパーの構成に脱帽せざるを得ない。

ダスティン・ホフマンは、争いを避けたいとはいえ話し合いだけではつかない結論があると
いうことに目覚めてしまった。本来は(イライラはずっと感じていたが)温厚な天文宇宙学
の学者、という役どころを好演。スーザン・ジョージはものの見え方や世界観が狭く、
感情的な存在としてキャスティングされたと思うがそうした意味で言うバカっぷりは
いいんじゃないかな。

先に書いたドキュメンタリーの中で、スーザン・ジョージのダイコンぶりにダスティンや
監督は相当苦労したようだ。またダスティンは最初の頃、ペキンパーと意見が合わず、
監督から「好きに演りゃいいさ」と言われたとか。

ペキンパーにより「人間のもつオルターネイトな側面」が「ヒリヒリするような」感性を
以て描かれた傑作といえよう。ホフマンとしても代表作の一つとなった。

因みにタイトルは老子/五章『天地不仁、以萬物爲芻狗 聖人不仁、以百姓爲芻狗』
「天地は非情で、万物をわらの犬のように扱う。聖人も非情で、万人をわらの犬のように
扱う。」から取られているそうだが、「世界は所詮、非情」ということか?
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<ストーリー:結末まで書いています>
現代。アメリカの若い宇宙数学者デビッド(ダスティン・ホフマン)は、自らの平和
主義の信念に従い、暴力に満ちたアメリカの現体制に反発し、エミー(スーザン・
ジョージ)と共にイギリスに渡った。

コーンウォール州の片田舎にある農家に住み、何ものにも煩わされることなく数学の
研究に専念し、書物にしようと考えていた。エミーもコーンウォール出身で、この村に
移ってくるとたちまち村の若者の眼をひいた。デビッド夫妻は農家に落ち着くと、
早速職人たちを雇って納屋の修理をさせることにした。
ところが、その中に、エミーがデビッドと結婚する前に肉体関係のあったベナー(デル・
ヘナー)がいたのだ。
ある日、デビッドが村の若者たちにすすめられ、彼らがあらかじめ用意しておいた狩場へ
鳥を撃ちに出かけた留守中に、彼を誘いだす計画をたてたベナーとスカットがエミーに
暴行を加えた。

数日後、村の教会で村人たちの懇親会が開かれ、デビッド夫妻もそれに出席した。懇親会は
なごやかな雰囲気の中で行なわれたが、エミーは楽しめなかった。彼女の記憶の中に、
ベナーたちに犯された時の恐怖と苦痛、それらの感情と矛盾した歓びに似た感情が交錯し
ていたのだ。
だがデビッド夫妻の運命を狂わせる事件は、そのなごやかな雰囲気の懇親会が発端だった。
懇親会に出席していた精神薄弱者のジョン・ナイルス(ピーター・アーン)が村の行動的な
娘エマに誘い出され、納屋に入った。エマの兄ボビーは、エマがジョンと行方をくらまし
たことを父親トム・ヘッドン(ピーター・ヴォーン)に告げるとトムは怒り狂い、次男の
バーティーも呼んで、2人を探しにでかけた。
一方納屋の中で隠れていたジョンは、彼女をヘッドン一家が探しだしにきた気配を感じ急に
あわてだした。エマは思わず悲鳴をあげた。狼狽したジョンは両手で彼女の口をふさごうと
したが、遂に首を絞め死に至らしめた。
ジョンは自分の過失の重大さに気づき、濃霧の中を道路に飛びだした。一方、デビッドと
エミーは懇親会の帰途、車が村端に差し掛かると、突然ヘッドライトの中にジョンが飛び
込んできた。デビッドは驚いて車を止めたが間に合わなかった。

ジョンは車にはねられ傷を負った。デビッドはジョンを家に連れて帰り傷の手当てをした
後、村の酒場に連絡し医師をよこすよう依頼した。ちょうどその酒場には、ジョンを探し
回っていたヘッドン一家がいたため、彼らは直ちにデビッドの家に押しかけ、ジョンの
引き渡しを要求してきた。だがデイヴィッドはこれを聞き入れようとはしなかった。
彼を渡せば、なぶり殺しにされてしまうことが火を見るより明らかだからだ。彼は戦う
決心をした。数時間の死闘がくりひろげられた。デイヴィッドの頭脳的な作戦の前に一家は
破滅した。

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:91% Audienc Score:82% >


by jazzyoba0083 | 2018-02-28 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

「ある天文学者の恋文 La corrispondenza」
2016 イタリア Paco Cinematografica 122min.
監督・脚本:ジョゼッペ・トルナトーレ
出演:ジェレミー・アイアンズ、オルガ・キュリレンコ、ショーナ・マクドナルド、パオロ・カラブレージ他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
トルナトーレ監督、「ニュー・シネマ・パラダイス」も「海の上のピアニスト」も「鑑定士と顔のない依頼人」も
好きな映画だが、本作は、ちょっとな、という感じだ。脇役というものがほぼいない、主人公二人だけの話。
そこにどう物語としての発展性を見せるか、が勝負どころだと思うのだけれど、そうそうにネタバレしつつどこか
ファンタジーを残そうとした構成にいまひとつ共感を覚えなかった。好き好きだろうけど。

イタリアの監督と製作会社がイギリスとウクライナの俳優を使って、ロンドンを舞台に映画を撮るのはなぜかな。
ロンドンという街がアカデミックな雰囲気を出すからいいのかな。ローマやフィレンツェ、ミラノ辺りでは享楽的に
なりすぎ?天文学ならイタリアもフィットすると思うのだけれど。

大学院の女子学生が博士論文を書きつつ、アクション映画の激しいスタントをアルバイトとする。彼女は担当教授
であった初老の男性と深い恋仲である。という全体像が分かるのが個人的にはエイミー(オルガ)が博士号を授与
された時であった。それまでは教授とスタントをバイトとする女子大生の恋物語であることは分かるが、論文が
博士号取得の為、というのがもうひとつ分からなかった(どこかで提示されていたのかなあ)。
博士にはエイミーと同年齢の娘(彼女が老けて見えるから奥さんかと思っちゃう)と18歳になる長男、まだ
小学校1年か2年くらいの次男だか後妻の息子だかの3人の子どもがいるが奥さんの影はない。何かの理由で
死別したか、離婚したか。どうやら女子大生とは不倫ではないようだ。そのあたりの関係性はロマンを語る上で
重要でしょう。不倫でないのはこの物語成立のための絶対条件でしょう。

そうした背景で物語が綴られるのだが、この指導教官で高名な天文学者エド(アイアンズ)は脳に腫瘍が出来、
余命幾ばくもないとされ、3ヶ月、愛するエイミーのために、「遺志を未来に残すシステム」を作ったらしい。
彼女の前から「また連絡する」と言って去ってから数日後、彼女はエドが死亡したことを知る。
その時に彼からスマホにメッセージが入る。どこかで生きているのか、混乱する彼女。それからというものエドから
まるで彼が生きているかのようにDVDで映像が送られて来たり、タイミング良く手紙や贈り物が届くのだった。
彼女は、エドの足跡を辿り、追想しながらも、彼の死を受け入れつつ、その間にも入るエドからの連絡で
次第に彼がしたかったことを理解していく。

一方彼女が激しいスタントをするのは、数年前に自分の運転の誤りで交通事故を起こし、父親を亡くしてしまった
ことに呵責を覚え、どこかに消えてしまいたいという心を抱えての負の行動であった。そしてそれが引き金で母とは
没交渉となっていた。エドの導きで母との確執も消え、エドの真心を知る。彼は別荘も彼女に遺していた。
またエドの実家の娘とは話し合いもでき、和解も出来た。また彼の導きで博士論文も上手くかけ、見事博士課程を
終了したのだった。エドは彼女の予定と行動を把握し、彼女に対してメッセージを送るシステムを作っていた。
しかし、それは「この世には10人のエドがいて、11人目が自分」というセリフに伏線があるように、
なついてくる犬や窓辺の葉っぱ、バスを並走する大きなトリというふうに、霊的な?宇宙的な?存在も匂わせ、
リアルなエドは死んだけど、あたかも「千の風になって」エイミーの周りにいて、見守っている、と言いたい
ようである。
現実的なシステムを作中に明らかにするのではなく、エドの存在を宇宙という神秘的なもので包み、実在は否定
されても、宇宙的な考えではエドは存在する、というロマンに仕上げた。そこに二人の強い愛の存在を示した
のだ。
監督の思いは分かるけど、テンション低めに推移する割と長めの本作は、たらーっと見てるには見逃せない
セリフも多く、共感共振を得づらかった。オルガはクセのあるキャラクターを上手く演じていたとは思う。

それにしても、ラッピトップPCを叩きながら使うというのは、論文を書くにあたってはクラッシュの恐れもあり
怖いんじゃないの? またエイミーが別荘がある島の、石畳を歩くときの「コッ、コッ」という足音は効果音の
選択のマチガイじゃないかな、だってあれだけ硬質の音なら硬い革靴と想像するが、彼女が履いている靴は
どうしてもそうは思えないんだけど。足音が強調されるシーンだけに凄く目に(耳に)ついた。
彼女のラストのスタントの、山道を走るワーゲンの激しい転倒シーンなど、映像的にはよく出来ているなと
思うだけに残念な箇所と思った。

本作はスマホがなければ成り立たない映画。思いは分かるがエイミーが図書館だろうが劇場だろうが、受信を
マナーモードにしていないのは如何なものか。エイミーの思いをそれで表現しようとしたのなら私には不快感しか
残らなかった。
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<ストーリー>
「ニュー・シネマ・パラダイス」「鑑定士と顔のない依頼人」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が一人の天文学者と
その恋人を主人公に贈るミステリー仕立てのロマンティック・ストーリー。主演は「運命の逆転」「リスボンに誘
われて」のジェレミー・アイアンズと「007/慰めの報酬」「オブリビオン」のオルガ・キュリレンコ。

 著名な天文学者エドとその教え子エイミーは恋人同士。しかし2人の親密な関係は周囲には秘密にされていた。
そんなある日、大学の講義に出席したエイミーは、エドが4日前に亡くなっていたことを知る。悲しみに暮れる
エイミーだったが、その後もエドからの手紙や贈りものが届き続ける。
その謎めいたメッセージに戸惑いつつも、彼が暮らしていたエディンバラや、かつて2人で時間を過ごした
イタリア湖水地方のサン・ジュリオ島などを巡り、彼が遺した謎に向き合っていくエイミーだったが…。
(allcinema)

<IMDb=★6.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:14% Audience Score:31%>



by jazzyoba0083 | 2018-02-26 22:15 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

スノーデン Snowden

「スノーデン Snowden」
2016 アメリカ Endgame Entertainment and more. 135min.
監督・(共同)脚本:オリバー・ストーン
出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、シェイリーン・ウッドリー、メリッサ・レオ、ザカリー・クイント他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
社会派監督オリバー・ストーンの面目躍如の佳作。スノーデンが告発に至る人生と、いままでの経過が
よく分かるし、監督の伝えたいところもよく伝わってきた。彼が、アメリカの国家による国民監視を告発した
のはリアルタイムで理解しているつもりだったが、この映画でより深い知識が得られた。ストーン監督は
映画を通じて、国家による全国民監視社会を告発したわけだが、それを映画というエンターテインメントの
要素をしっかり踏まえて、「魅せる」ものとして完成度が高い。スノーデンの生活基盤が香港、アメリカ、
ジュネーブ、東京、ハワイとそれぞれそのシーンが大きく変化するので、構成全体の変化にも富み、飽きること
無く見切ることができた。
特に日本人としては東京での自衛隊との接触などは、テンション高く観ることが出来た。

1人の愛国者の青年が、国家に身を捧げようとし、しかしそのやっていることの実態を知るに及び、考えが
変化していく。コンピューターやネットの世界を知り尽くした彼は、民主党オバマが率いる国家がやっている
ことが、全国民の監視に他ならないことを知り、自分が信じていた「テロとの対決」以上のことが行われて
しまっていることに愕然とする。それをガーディアンという新聞に告発する覚悟を決めたのだ。
後に妻となり、また今まで彼と行動をともにする(している)リンゼイという女性との交流が横軸として描かれ、
縦横の物語の構成も上手いと感じた。

サイバー空間、ネット空間でバーチャルで行われる戦争(殺人)、主要な人物の監視をしていく上で、その
人の友だちの友だちの友だちも全監視すると、地球上の全員が監視下に置かれるまではねずみ算のようにあっと
云う間だ。電話やメールはもちろん、ネット検索、また企業が持つメタデータの監視まで、それは実際に
背筋が凍るほどの権力による監視社会だ。WOWOWの「W座」で観たのだが、ナビゲーターの小山薫堂が
「ネットを使うということはプライバシーをさらけ出していると理解すべきだ」というニュアンスの事を
言っていたが、それはそれで当っているが全体像ではなく、むしろ恐ろしいのは、個人のデータが詰まった
役所、銀行、病院、学校、ホテルなどのメタデータも監視下にある(盗まれている)ということだろう。

またオバマや今のトランプにしたところで、彼を「ハッカー」と呼び、国家ぐるみの監視を正面からは
認めていない。例によってNSAやCIA、国務省の暴走などと主張し、蜥蜴の尻尾切りに走るのだ。あんなに
民主的と見られているオバマでさえ、この件に関してはウヤムヤにしたがっている。国家権力というものは
国民を全面的に信じられないのだなあ、と感じるのだ。

一方、ストーン監督は、メディア側の緊張も描くことを忘れない。凄いスクープではあるが、国の安全保障に
関わることで、スノーデンの告発をストレートに記載することは大きな覚悟を要したであろう。そのあたりの
現場と編集部との駆け引きや苦悩もきちんと提示されていく。

スノーデンという青年の行動を描きつつ、それから生じる大きな恐怖が分かりやすい構成でしっかりつたわる
ドラマである。しかし、ハワイの、東京・横田のどこかにあんな大きな監視センターがあるんだなあ。
自衛隊が米軍から「自衛隊も国民を監視したらどうか」というような誘いを受けるが、自衛隊が「違法なことは
出来ない」と断る。本当だったら心強い話だ。私はスノーデンの報道がなされた当時、彼のやったことには
勇気と正義があると感じていたが、一方でロシアや中国や北朝鮮にもそれぞれのスノーデンが現れないと
世界のパワーバランスが一方的に崩れるのではないか、と心配したのだった。かの国々のやることは米国以上に
悪質であるはずだからだ。こういう映画が作れて公開できるアメリカという国は一方で凄い。

近年の実話モノでは「似ている」のは必須のようだが、ジョセフ・ゴードン=レヴィットのスノーデンは
彼のパーソナリティをしっかり捉えて好演だった。パートナー、リンゼイ・ミルズを演じたシェイリーン・
ウッドリーも良かった。ニコラス・ケイジはやはり浮いていた。
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<ストーリー>
 アメリカ政府による大規模な監視システムの実態を暴露し世界中を震撼させた元NSA(米国国家安全保障局)
職員、エドワード・スノーデン。なぜオタクで愛国青年だった彼が、すべてを失う危険を冒してまでも内部告発を
しなければならないと決意するに至ったか、その揺れる心の軌跡を社会派オリヴァー・ストーン監督が描き出した
実録ドラマ。
主演は「(500)日のサマー」「ザ・ウォーク」のジョセフ・ゴードン=レヴィット、共演にシェイリーン・
ウッドリー。

 9.11同時多発テロに衝撃を受けた青年エドワード・スノーデンは、国家の役に立ちたいと2004年に軍への
入隊を志願する。しかし過酷な訓練で足を負傷し、除隊を余儀なくされる。その後CIAの採用試験に合格した
彼は、コンピュータの知識を高く買われ、指導教官コービン・オブライアンからも一目置かれる存在に。
一方プライベートでは、SNSで知り合ったリンゼイ・ミルズと愛を育んでいく。そんな中、ジュネーヴに
あるアメリカの国連代表部に派遣された彼は、やがてNSAの極秘検索システムの存在と、それを使った情報
収集の驚愕の実態を目の当たりにしていくのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★7.2>
<Rottentomatoes=Tomatometer:61% Audience Score:70% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-23 22:50 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

「不屈の男 アンブロークン Unbroken」
2014 アメリカ Legendary Entertainment and more 137min.
監督・(共同)製作:アンジェリーナ・ジョリー
出演:ジャック・オコンネル、ドーナル・グリーソン、MIYAVI、ギャレット・ヘドランド、フィン・ウィットロック他
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<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
内容が反日的であると問題になった作品。アンジーは社会的活動にも積極的なことは知っていたが、この
映画は彼女に反日的な思想があったかどうかは分からないけど、一面的ではある。原作があるから原作に
則ったのかもしれないが、原作は主人公目線なのでどうしてもそうなるだろう、そのあたりのバランスは
ちゃんととれているのか疑問に思った。ただ原作に忠実に映像化したのなら、ある主張として理解は出来る
けど。日本軍の描き方もちゃんと考証したのかよ、と突っ込みたくなるようなもの。渡辺伍長が伍長の身分で
収容所を仕切っているような描き方は正しいのか?彼が英語で日本軍を「Japanese Army」と言うが
大日本帝国軍じゃなのか?洋上で俘虜となった島の司令官らしき男の飯の食い方、ベルリン五輪で日本チームに
いた男は渡辺っぽい感じでアップが捉えられていたが、伏線は回収されないまま放置。などなど。
一方で「反日映画か」というとそうでは無いと思う。受け止める人の感性もあるのだろうけど、片面を強調
しすぎた結果としてそう感じられるようになったのだろう。

作品としても長すぎで、冗漫。WOWOWでの放送を録画して観たのだが、途中から(大森捕虜収容所の
途中から)早見モードだった。脚本にコーエン兄弟の名前がクレジットされているが、彼らがどれほどの
コミットをしたのか、こんな冗漫な本を許すだろうかと、こちらも疑問が残った。

出だしはいい。Bー17の爆撃シーンにアスリートとしての主人公の成長の過程がカットバックで綴られて
いく。爆弾倉の扉がしまらないまま胴体着陸するところまではなかなかの緊張感である。だが、仲間を
救助に行って撃墜され洋上で長く漂流するとこから冗漫になる。長い時間を折りたたむのは大変だが、
日本軍に捕まり、東京へ送られ、収容所での時間がまた長いので、変わり映えのしないだらだらとした
時間が流れる。そのくせラストの直江津での終わり方はエラく単純化されているし。

アメリカのオリンピックアスリートのルイ・ザンペリーニの生涯は映画にしたくなるような劇的なもので
あったことは確かであろう。冬季長野五輪に聖火ランナーとして参加し、赦すことの大切さを訴えているし
人物としても立派だったのだろう。それをあまにも時系列と経歴に忠実に描こうとして長い時間を食って
しまい、冗漫に陥ったか。アンジーが真面目過ぎたのか。VFXを含めかなりお金がかかっている感じ
なのだが、映画の出来としては残念なものになったと感じた。
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<ストーリー>
「最愛の大地」で監督デビューを飾ったアンジェリーナ・ジョリーが、第二次大戦中に海で47日間漂流し、
その後日本軍の捕虜となった元オリンピック選手のアメリカ兵ルイス・ザンペリーニ氏の不屈の人生を
映画化した監督第2作。日本軍の捕虜虐待描写などが反日的と一部で物議を醸し、一時は日本公開のメドが
立たなかったことでも大きな話題に。
主演は「名もなき塀の中の王」のジャック・オコンネル、共演に「アバウト・タイム ~愛おしい時間に
ついて~」のドーナル・グリーソン。また、サディスティックな日本兵・渡辺伍長役には世界で活躍する
日本人ギタリストのMIYAVIが大抜擢され、高い評価を受けた。

 カリフォルニア州トーランス。札付きの不良少年だったイタリア系移民の子ルイ・ザンペリーニは、兄の
おかげで走りの才能を見出され、ついには1936年のベルリン・オリンピックへの出場を果たす。第二次世界
大戦が始まり、爆撃手となったルイは1943年4月、南太平洋上で乗っていた飛行機がエンジン・トラブルで
墜落、辛うじて死を免れるも、他の生き残り2人、フィルとマックとともに過酷な漂流生活を余儀なくされる。

やがてマックが息絶える中、ルイとフィルは漂流47日目に日本海軍に発見され捕虜となる。その後ルイは
フィルと別れ別れとなり、東京の大森捕虜収容所に送られる。そこで、“鳥(バード)”とあだ名される
サディスティックな所長、渡辺伍長に目を付けられてしまうルイだったが…。(allcinma)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:51% Audience Score:70% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-22 16:30 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ストリート・オーケストラ Tudo Que Aprendemos Juntos」
2015  ブラジル Gullane 103min.
監督・(共同)脚本:セルジオ・マシャード
出演:ラザロ・ハーモス、サンロラコルベリーニ、ケイケ・ジェズース、エイジオ・ヴィレイラ
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
貧乏だったり、荒れていた子どもたちが、音楽やスポーツの活動を通して、心が
洗われ、やりとげるべきことをし、成長していく、という話は古今東西、映画やテレビで
何回作られただろうか。この手の映画はいいことをしているので文句は付けづらいし、
事実、教育者と生徒たちが力を併せ、苦労を乗り越えて成功していく様を観ていると
素直に胸が熱くなるのものだ。故にこの手の映画は、いちゃもんがつけづらい。

本作はブラジルはサンパウロのスラム街にある学校に臨時雇として勤めることになった
プロの演奏家(彼も一流になりたくてオーディションを受けているがこのところ落ちて
ばっかりで自信喪失がち。生活のために臨時教師となった)が、貧乏が故のそれぞれの
子どもたちの問題点を解決し、立派なコンサートを成功させるというもの。実話である。

縦軸にスラム街のどうしようもないクズばっかりの楽団の成長の話、横軸に教師の
オーディションに向けての話という構成になっている。

こういう成功譚を2時間そこそこの映画に閉じ込めるのは、そうとう話の折りたたみ方が
上手くないと難しいのだが、本作はやはり表層を舐めたに過ぎない点がちょっと残念。
概要は分かるけど深みに欠けるというか。そして子どもたちの上達の速度が早すぎるん
じゃないかなあとも。楽譜さえ読めなかったろくな教育も受けていない子供らがあんなに
早く上手くなるかな。スラム街の子どもたちゆえ、カード偽造グループにいたり、親の
理解がない、家族の構成の問題で、中学生が家族の面倒を観なくてはならない、などの
困難があり、街のチンピラとのやりあいもある。そこはブラジルのスラムならではの
ことで、興味は引くだろう。一番バイオリンの名手だった子が、盗難バイクを運転する
友人の後ろにのっていて、警察に追いかけられ、事故で死んでしまうと、スラム中が
抗議に出て、暴動となってしまった。子どもたちは追悼の演奏会を開くことになり、
練習を重ね、見事立派な演奏を聞かせることが出来たのだ。(舞台はスラムの屋外だった
けど)

一方で州立交響楽団の主席バイオリン部門のオーデションを受けた主人公は見事パスし
子どもたちの見守る中でオーケストラのメンバーとなり演奏したのだった。彼もまた
子どもたちからいろんなことを学んだのだった。
映画の完成度というよりも、教師とこどもらの絆の心温まる映画を期待したい人には
いいだろう。但し、子どもたちを描く上での底は浅いです。(一応ギャングに睨まれた
3人は描かれるけど)エンディングに流れるブラジリアンラップはカッコイイです。
映画全体に流れるヒップホップな音楽とクラッシクの対比が物語に上手く寄り添っていて
効果的だった。
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<ストーリー>
ブラジル、サンパウロのスラム街で生まれた子供たちによる交響楽団の実話を映画化した
人間ドラマ。
音楽教師としてスラム街の学校で子供たちに音楽を教える事になった元天才ヴァイオリ
ニストが、子供たちとのふれあいを通し、音楽への自信と情熱を取り戻し、子供たちも
音楽によって希望に満ちた日々を送るようになるさまが描かれる。

ヴァイオリニストのラエルチ(ラザロ・ハーモス)は、かつては“神童”と呼ばれていたが、
今はプレッシャーに負ける大人になってしまい、サンパウロ交響楽団の演奏者の最終審査
でも手が震えて演奏すらできなかった。このままでは両親への仕送りどころか、たまった
家賃さえ払えないと、やむなくNGOが支援するスラム街の子供たちのヴァイオリン教師に
応募する。学校は殺伐とした街並みを抜けて着いた先にあり、教室は空きスペースを金網
で囲っただけ。校長(サンドラ・コルベローニ)に促され、生徒たちが楽器を弾き始めるが、
演奏以前に座り方から教えなければならないレベルだった。

携帯電話が鳴れば出る、気に入らないと喧嘩が始まる……そんななか、サムエル(カイケ・
ジェズース)という意欲的で才能のある生徒がいたが、少年院帰りのVRが授業中にスナック
菓子を買いに行くのを見て、ラエルチは遂にキレる。
しかし、校長に給料を前払いするとなだめられ、渋々我慢する。帰宅途中、二人組の
ギャングにヴァイオリンを弾いてみせろと銃を突き付けられたラエルチは見事な演奏を
披露し、二人を黙らせる。

翌日、先生が脅されたという噂は生徒たちにあっという間に広まり、ギャングを黙らせた
音楽の力に驚く。生徒たちが楽譜も読めないという事実にラエルチは怒るが、五線譜と
ト音記号から教え始める。基礎から教えられた生徒たちはめきめきと上達する。VRにも
サムエルに負けないほどの才能があった。

ラエルチは彼らの姿を見て、純粋に演奏を愛していたころの自分を思い出す。そんな矢先、
次の演奏会で最高の演奏ができなければ学校の存続は難しいと宣告され、ラエルチは
土曜日も特訓すると子供たちに告げるが、サムエルは厳格な父の仕事の手伝いがあり、
VRはギャングに借りた金を返すため怪しげな仕事をしていた。ラエルチは彼らが音楽に
集中できるよう奔走するが、思わぬ事件が起こる……。(Move Walker)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audiecne Score:67%>



by jazzyoba0083 | 2018-02-20 22:40 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「サム・ペキンパー 情熱と美学 Passion & Poetry:The Ballad of Sam Peckinpah」
2005 ドイツ El Dorado Prod.,Manic Entertainment. 120min.
監督・脚本:マイク・シーゲル
出演(インタビュー):アーネスト・ボーグナイン、ジェイムズ・コバーン、アリ・マッグロー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
同名のペキンパー評伝を著したドイツ人映画史家、プロデューサー、マイク・シーゲルが、敬愛する
サム・ペキンパー監督の生涯を、友人、製作者、俳優、肉親らに丹念にインタビューし、当時の映像や
スティル写真をふんだんに使い、浮かび上がらせたドキュメンタリー。

ペキンパーの作品はそうたくさん見ている訳ではないが、注目しなければいけない監督の1人と思っていて、
WOWOWやNHKBSで作品が放送されれば観るようにしている。興味のある監督なので個人的には
面白く観られた。製作されたのが2005年で日本公開が2015年。まあ、映画好きの玄人受けするような
ないようなので、映画祭とかでないと観ることはかなわない性格の作品でしょう。

個人の評伝としては正統派な作りで、生まれから他界までを作品にまつわるエピソードを中心に追う。
独特の映像表現を持つペキンパーは、ありようは異なるけどアルトマンとかキューブリックとか黒澤とかと
同様、どこかうちに狂気を内在しているのだな、と再確認した。
純粋な映像表現者として、金儲けにまず目が行くハリウッドの製作会社との対立は分かりやすいし、
役者との対立、個人的な奇行、ドラッグに手を出すまで、ある意味とても分かりやすいキャラクターだ。

そうした緊張感の中で製作されていく一連の彼の作品。
「ボディ・スナッチャー」「ライフルマン」「荒野のガンマン」「昼下がりの決斗」「ダンディー少佐」
「戦うパンチョ・ビラ」「ワイルドバンチ」「砂漠の流れ者」「わらの犬」「ジュニア・ボナー/華麗なる
挑戦」「ゲッタウェイ」「ガルシアの首」「戦争のはらわた」「コンボイ」「バイオレント・サタデー」と
時系列で関係者に取材、それぞれの作品でのゴタゴタや裏話が明らかにされていく。映像はなかったが、
スティーヴ・マックィーンの肉声でのペキンパー話、インタビューに応じているアリ・マッグローの話が興味
深く、「ペキンパー組」とも言えるアーネスト・ボーグナイン、ジェームズ・コバーン、クリス・クリストファー
ソンらのインタビューも、そばにリアルタイムでいた人でなければ知り得ない話で興味深かった。

これらを通して、サム・ペキンパーという映像職人がどういう人物であったかが浮き出で来る。もうどうしょうも
なく純粋な「映像職人」であり、あまりにも人間臭い人物であったため俗世界とは対立し孤立しがちであった
こともよく分かった。そして未見の諸作品をますます観たくなったのだった。

ドラッグの影響で映画の世界から遠ざかっていた彼の最後の作品がジュリアン・レノンのPVだったというのも
ちょっとびっくりだった。
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<プロダクションノート>
「荒野のガンマン」「ワイルドバンチ」などの徹底したバイオレンス描写から『血まみれのサム』との異名を持ち、
1984年に他界したサム・ペキンパー監督の生涯に迫るドキュメンタリー作品。
独特な編集手法を用い新たな表現を求め後進に多大な影響を与えた一方、妥協を許さないその姿勢により商業主義の
スタジオやプロデューサーらとの衝突を多く招いた彼の人物像を、家族やペキンパー作品の常連だったL・Q・
ジョーンズをはじめとした関係者たちの証言から浮かび上がらせる。
監督はサム・ペキンパーの伝記ともいえる書籍『PASSION & POETRY SAM PECKINPAH IN PICTURES』を
著した映画史家・映画製作者のマイク・シーゲル。

「荒野のガンマン」「ワイルドバンチ」「戦場のはらわた」などその壮絶なバイオレンス描写から『血まみれの
サム』との異名を持つ映画監督、サム・ペキンパー。スローモーションや細かなカット割りといった独特な手法を
用いた革新者である一方、妥協を許さず商業主義のスタジオやプロデューサーらとの衝突も呼んだ。
家族や俳優・製作者といった関係者の証言から、厳格な家庭に育ち繊細な青年期を経て徹底した姿勢で作品制作に
臨み薬物に苦しんだ男の戦いや愛を浮かび上がらせる。(Movie Walker)

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Not Available>




by jazzyoba0083 | 2018-02-20 17:40 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「グレイテスト・ショーマン The Greatest Showman」
2017 アメリカ 20th Century Fox,Chernin Entertainment,TSG Entertainment. 105min.
監督:マイケル・グレイシー
出演:ヒュー・ジャックマン、ザック・エフロン、ミッシェル・ウィリアムズ、レベッカ・ファーガソン
   ゼンデイヤ、キアラ・セトル他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
「地上最大のショウ」(The Greatest Show on Earth)という宣伝文句を付けて、「サーカス」を
大衆娯楽として定着させた、日本で言うと江戸末期から明治初期にかけてのアメリカの興行師
P・T・バーナムの物語。(同名の映画は1952年、セシル・デミル監督、チャールトン・ヘストン主演で
製作され、その年のオスカー作品賞他を獲っている)だが、調べてみると本作ではバーナムの人生が大胆に
翻案されていて、映画として起承転結に則ったサクセスストーリ&娯楽作として仕上げている。

日本での触れ込みは、「ラ・ラ・ランド」のチームが手がけたとしているが、スタッフの中で同じなのは
楽曲を手掛けたベンジ・パセックとジャスティン・ポールだけで、監督もプロデューサーも異なる。
なので、楽曲を比較することはいいが、映画全体を比較することは意味がないと思う。

実際のバーナムも見世物小屋からサーカスへと発展させた興行師だが、作品を通して気分的に引っかかりを
持ってしまったのだった。それは矮人や全身毛だらけの男や、髭の生えたデブの女性歌手など、人と違うことは
決して引け目ではなく、人間はそれぞれ異なっていて当たり前、いや違っていることを武器にしよう、社会は
それを受け入れる世界観を持つことこそ大切、とする主張は分かるけど、バーナムのやっていることは所詮
見世物小屋なんだよなあ、ということ。

現代でのアメリカの風潮に対する「寛容の精神」に対する警告とも受け取れるが、サーカスの団員らが作品中で、
自分に自信を持ち、仲間を家族として受け入れて活き活きと人生にぶつかる様は立派と思うけれど、彼らを
見る目が100%、尊敬の念ではなく、やはり怖いもの見たさ、奇異なもの見たさが自分のどこかにあるのでは
ないか、思うと、素直に喜べない自分もいるのだ。
またバーナムのパートナー、カーライル(エフロン)の、空中ブランコの名人である黒人女性との(あの時代とは
言え)障害の多い恋での苦労に対しても、これまで幾千と描かれてきた同様のシチュエーション以上に、自分への
問いかけが色濃く残ってしまったのだった。まるでリトマス試験紙にさらされているように。
ということは自分の中に、「非寛容」な部分が残っているということか。それがどうも居心地の悪さとなって
残ってしまった感が拭えない。それはもしかしたらRotten Tomatoesで、一般より批評家受けが悪い評価に
現れているのかもしれない。もちろんバーナムの史実とはかなり離れた「居心地良すぎる」物語に眉根をひそま
せる評論家も多いのだろうけど。

バーナム自身が、団員たちは所詮見世物で二流、一流の芸術に憧れ欧州からジェニー・リンドをアメリカに迎えて
興業を打ったことで団員たちと自分に距離を置いてみているシークエンスもあるので観ている方は余計に追い
打ちを掛けられるのかもしれない。
それなら団員たちを普通の空中サーカスや猛獣使い、ピエロなどでまとめ、その中での恋愛譚や技術譚に
仕上げれば良かったか、というと、それなら1952年の映画と変わりなく、「今」それを作る意味が失われる
だろう。そのあたりはプロデュースサイドの悩みでもあった想像する。

一方で「ショウほど素敵な商売はない」の楽曲を彷彿とさせ、「ラ・ラ・ランド」のジャジーなテイストとは
違った雰囲気を持つ楽曲たちの出来はいいし、現代的な踊りも見事である。
またストーリーも、バーナムの少年時代、幼馴染のお金持ちのお嬢さんを妻とし貧乏に堪えつつ
二人の娘とともに、見世物小屋を作る、そしてサーカスでの成功、そこからジェニー・リンドの興業と
夫婦の危機、結びは劇場の火災からテント小屋での再スタートと家族の再生、起承転結を教科書通りにまとめ上げ、
お子様でも分かりやすい展開と主張を絡めて105分という適切な時間内に収めたところはお見事である。

本来1952年のデミル監督作品のようにスペクタクルで表現されれば、底抜けの娯楽作として出来上がった
のかもしれないが、社会性を取り込んだため、それがある種の居心地の悪さを表出させてしまったとしたら
作品としてどこかチグハグな感じを残した、と評する人もいるだろう。
片や19世紀の時代性と現代的ポップな楽曲との落差は、本作を今の映画として位置づける大きな役割を担い、
作品表現の重要なファクターとなっている。それはそれで成功していると思う。

文句なしのエンターテインメント、と言い切れない部分に個人的にマイナス面が残るミュージカルであった。
(映画のTIPSとしては、ゼンデイヤの空中ブランコは吹き替えなし。冒頭の20世紀フォックスの古いロゴは
1958年の「長く熱い夏」から4Kデジタルで抜き出したもの。最後に出てくるサーカスの象の名前は
「ジャンボ」といい、バーナムが名付けた実在の名前。大きなものを「ジャンボ」というきっかけに。
ジェニー・リンドはメンデルスゾーンとかショパンと同時代の人。スゥエーデンではお札に描かれるほどの著名人)
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<ストーリー>
19世紀半ばのアメリカ、P.T.バーナム(ヒュー・ジャックマン)は幼なじみの妻チャリティ(ミシェル・
ウィリアムズ)を幸せにしようと挑戦と失敗を繰り返してきたが、オンリーワンの個性を持つ人々を集めた
ショーをヒットさせ、成功をつかむ。
しかし、バーナムの型破りなショーには根強い反対派も多く、裕福になっても社会に認めてもらえない状況に
頭を悩ませていた。

そんななか、若き相棒フィリップ(ザック・エフロン)の協力により、イギリスのヴィクトリア女王に謁見する
チャンスを得る。バーナムはレティ(キアラ・セトル)たちパフォーマーを連れて女王に謁見し、そこで美貌の
オペラ歌手ジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)と出会う。彼女のアメリカ公演を成功させれば、一流の
プロモーターとして世間から一目置かれる存在になると考えたバーナムは、ジェニーのアメリカ・ツアーに
全精力を注ぎ込むため、団長の座をフィリップに譲る。
フィリップは一座の花形アン(ゼンデイヤ)との障害の多い恋に悩みながらも、ショーを成功させようと奮闘する。
しかし、彼らの行く手には、これまで築き上げてきたものをすべて失うかもしれない波乱が待ち受けていた……。
(Movie Walker)

<IMDb=8.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:55% Audience Score:89% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-18 11:30 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

⚫「ノッティングヒルの恋人 Notting Hill」(再見)
1999 アメリカ Polygram Filmed Entertainment,Working Title Films and more. 123min.
監督:ロジャー・ミッシェル 製作総指揮・脚本:リチャード・カーティス
出演:ジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラント、リス・アイファンズ、ジーナ・マッキー、ティム・マキナニー他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
11年ぶりの鑑賞。その時のブログは下にリンクを張っておきますが、感想としてはあまり変わりがない。
凄いストーリーではないのにすごく「居心地の良い」作品。ほのぼのとする、というか心が暖かくなると
いうか。初見も冬だったが、寒い季節に見たくなるような映画なのだろう。

やはり脚本が良いのだと思う。リチャード・カーティスというイギリスの(生まれはニュー・ジーランド)
脚本家、監督は、「ラブ・アクチュアリー」、「フォー・ウェディング」「アバウト・タイム」「ブリジット・
ジョーンズ」シリーズ、「Mr.ビーン」シリーズなどを手がけている。それぞれ観ているが、イギリスの風味を
上手く活かした手堅い作品を創っている。ヒュー・グラントとも数作共にしており、彼の使い所のツボを心得て
いる感じだ。そこに当時勢い最高潮の典型的なアメリカ生まれのハリウッド女優ジュリア・ロバーツを
女優という役柄で放り込む。周りをシュアな演技をするイギリスの俳優たちで固め、舞台も全てロンドンだ。
こうしたシチュエーション(ドラマの設定)とロケーション、イギリス流ヒューモアとウィットそして
配役の妙が、「逆シンデレラの王道的」ストーリーを、観る人に心地よいものにしていると感じる。

この映画を観ていると、「一目惚れ」「住む世界の、価値観の違い」などを感じる。ロンドンにやってきた
ハリウッドの人気女優はロンドンの旅行書専門店を訪れるのだが、その店主(ヒュー・グラント)に
一目惚れ。作品の経過と共に分かるのだが、彼女が置かれた不自由な生活の反動もあったのだろう。
権謀術数渦巻くハリウッド生活で心が荒んでしまった女優にとって、ロンドンの普通な心地よい男性は
心に空いた穴にすっぽりハマったのだろう。

そして気はいいが、ハリソン・フォード似の男に女房を寝取られた、結構チキンな男。住む世界も、持っている
物差しも全然違う女性に恋し、傷つき、悩む。一方の女優も、男を好きになるのだが、周囲の事情がなかかなか
彼女を好きにさせず、その状況が男を傷つけ、また自身をも傷つけてしまう。

初デートが妹の誕生祝いをする友人宅のディナーで、男はそこで結構自分のことを女優に教えるのだが、彼女は
ラストまで、ハリウッド女優としか分からない(観ている人は)。ということは、この映画はどちらかというと
男性側の目線の映画である、といえるのだろう。

男女の抱える落差からお互いが悩む、ぞれぞれの心境に観客はシンパシーを感じつつ、もどかしさを感じたり
共感を覚えたりしていく仕組みだ。さらに、男を取り巻く家族や友人たちが、サイドストーリーを展開しつつ
男を支え、あるいは男に愛情が如何にあるべきかを教え、それがまた心を暖かくしているのだ。ラストには
ちゃんと彼らの幸せも示唆されているところがニクい。

女優は2度めの男のとのすれ違いの後に、オスカーを獲るという設定だが、ジュリア・ロバーツ自身も翌年の
作品「エリン・ブロコビッチ」で主演女優賞を獲得する。
個人的にはあまり得意でない女優さんだが、所見のときも書いたが、本作ではいい味が出ている。キャスティングの
妙、ということかもしれない。イケメン、ヒュー・グラントは彼の持ち味はこうでしょ、という良い側面が
出ている。両者とも年齢を重ね、それぞれベテラン中のベテランになっているが、主役を張るというより、
主役級が集まる映画のメンバー的ポジションとなっている。

女優は、最初のデートの時、老いた女優の惨めさを切々とみんなに披露するのだが、それが現実となりつつある
ジュリア自身、今、どう思うのだろうか。

本作で触れておかなければならないのは音楽だろう。主題歌でありエンディングで効果的に使われる"She"。
冒頭は作者自身でもあるシャルル・アズナブール、ラストはエルビス・コステロが歌い上げる。
また男の心を表現する手段として、ビージーズ「傷心の日々」のアル・グリーンバージョン、などなど
いい曲がいいタイミングで(別の言葉で言うと「ベタな感じで」)効果的に使われている。

また映像の構成としてみた場合、屋内と屋外、アップとロングのリズムがいい。またドローンが無かった時代に
俯瞰のズームバックをどうやって撮ったんだろう?というショットなど、画の方もなかなか魅せた。

ジュリアの役どころが女優なので、デミ・ムーアやパトリック・スウェイジ、メグ・ライアンなどが実名で
出てくるところもニヤリポイント。

ところで、この映画を観た方はみなさん気がつくと思うけど、ヒュー・グラントのアパートの玄関に置かれた
振り袖女性の等身大パネル。誰でしょう?ネットを調べてみると、当時の富士フィルムの「お正月を写そう!」
の宣伝でカメラ屋さんの店頭に置かれたパネルらしく、女性はスティーヴン・セガールの娘さん、藤谷文子さん
らしいですね。それにつけてもこの映画では、サボイホテルのなかなかセンスの良いフロントマンのおじさんの
頬にキスをする「タキヤマ」なる日本人らしき人物も描かれていますが、脚本家は何を意図して日本を
入れ込んだのか、マーケティングなのか、そのあたりはよくわからなかったですね。
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<ストーリー:結末まで触れています>
アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)はハリウッドの大女優。そんな彼女がロンドンのノッティングヒルに
ある書店に足を運ぶ。店主のウィリアム(ヒュー・グラント)は突然のことにびっくり。さらに彼は買物の
帰りに偶然アナとぶつかり、ジュースをかけてしまう。慌てた彼は服を乾かすよう申し出て、アナを家に招く。

何とか彼女を送り出して間もなく、彼女が戻って来てウィリアムにキスをして立ち去る。夢のような時が
過ぎて数日後、ウィリアムに電話があったとルームメイトのスパイク(リス・エヴァンス)から聞かされる。
早速アナが宿泊しているホテルに向かい、雑誌記者と偽り部屋に入る。ウィリアムは妹の誕生日パーティーに
アナを誘い、彼女も誘いに応じる。その後もデートを重ねる二人。

ところがある晩二人がアナの部屋に行くと、有名俳優の恋人が彼女の帰りを待ち構えていた。彼氏の存在に
ショックを受けたウィリアム。そして半年後。マスコミのほとぼりが冷めるまで家に置いて欲しいとアナが
突然やって来る。だがそれも同居人スパイクが口を滑らせたことでマスコミが殺到。アナは二度と会わないと
言い残し、雑踏の中へ消える。
一年後。アナの撮影現場を訪れたウィリアムは気持ちを伝えられない。彼女が店に来てもつれない態度を
取ってしまう。それを見かねた友人たちは一丸となってウィリアムをホテルに送り届ける。記者会見場に
もぐりこんだ彼は、再び記者になりすまし彼女に告白。アナもプロポーズに応え、会場は結婚会見に早代わり。
二人はロンドンでゆったりと時を過ごすのだった。

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:83% Audience Score:79% >





by jazzyoba0083 | 2018-02-15 22:55 | 洋画=な行 | Trackback | Comments(0)

●「アラビアの女王 愛と宿命の日々 Queen of the Desert」
2015 アメリカ・モロッコ Benaroya Pictures,H Films,Raslan Company of America. 128min.
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
出演:ニコール・キッドマン、ジェームズ・フランコ、ダミアン・ルイス、ロバート・パティンソン、ジェイ・アブド他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
「アラビアのロレンス」ことT.E.ローレンスが活躍していた同時期に同じ場所に、こういう英国女性がいた
ということを初めて知った。オスマン・トルコ帝国の衰退と欧米列強による蚕食、それからの現在の中東の混乱の
歴史に興味があるものとしては、とても面白いお話だった。
もっと女傑が登場するのか、とも思ったが、恋愛譚に振った構成は、映画の出来としては興味は薄かったが。
中東の歴史やアラブ世界のことに興味がないと2時間を超える映画は退屈かもしれない。
主人公ガートルード・ベルがものすごく危険な目に遭うとか、その手の活劇的魅力より、二人続けて愛する人を
失うと言う悲恋の人の側面が大きく描かれ、アラビアの砂漠の奥深くで女1人で頑張るさまは大したものだ、とは
思うけど、本当は最後のシークエンス、アラブの部族の様子をイギリス政府に連絡したように政治的側面が大きの
ではないか。本作は叙情的、ハーレクイン的性格に振ったのだね。ヘルツォーク監督起用はプロデュースサイド
からみて当たったのだろうか?ニコール・キッドマンの起用も含めもう少しアクティブであってもいいかな、と
感じる。
wikiなどによればローレンスのより20歳年上でアラブでのキャリアも長いベルの活動は、もっともっと政治的な
側面が大きいことが分かる。

個人的には、映画の中に出て来るT.E.ローレンスとの絡み、アラビア砂漠の部族間の揉め事による混乱と
英仏独の介入の様子が面白かった。イスラムの世界に女性が立ち入ることの難しさを考えれば、その当時としては
彼女の活動は、特異なものであったのだろう。アラブの世界には同じイスラム教でもスンニ派とシーア派が
対立していて、その上にクルド人、ユダヤ人、キリスト教徒などと一筋縄では行かないところに、細かい部族が
多数対立、オスマン・トルコの存在がどうにかそれに蓋をしていたところ、これが衰退しそこに
英仏独が植民地政策として乗り込んでくる。有名な英国の三昧舌外交に代表されるように、第一次大戦前後に
開かれた中東のパンドラの箱はいまだに閉じることがない混乱のままである。
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<ストーリー>
ニコール・キッドマンがイラク建国の立役者で、イラクとヨルダン両国の国境線を引く偉業を成し遂げた女性、
ガートルード・ベルを演じる実話を基にした人間ドラマ。アラビアの砂漠をひとりで旅し、度重なる危険にも
ひるまずに現地の人々と交流を重ねる勇敢なベルの人物像に迫る。ドイツの巨匠ヴェルナー・ヘルツォークが
監督を務める。

イギリス鉄鋼王の家に生まれた才女ガートルード・ベル(ニコール・キッドマン)は、イギリス上流階級の
生活を捨てて各地を旅してまわり、砂漠の民を研究する考古学者として、そして諜報員として活躍。
2 度の悲恋をはじめ度重なる困難が立ちはだかり運命に翻弄されながらも、砂漠に魅せられた彼女はアラビアの
和平を目指し、各地の部族と交流を続ける。やがて時代は大きな転換期を迎え、彼女はイラク建国の立役者と
して尽力していく。(Movie Walker)

<IMDb=★5.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:17% Audience Score:36% >



by jazzyoba0083 | 2018-02-13 22:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「素晴らしきかな、人生 Collateral Beauty」
2016 アメリカ New Line Cinema 97min.
監督:デヴィッド・フランケル
出演:ウィル・スミス、エドワード・ノートン、キーラ・ナイトレイ、マイケル・ペーニャ、ナオミ・ハリス
   ジェイコブ・ラティモア、ケイト・ウィンスレット、ヘレン・ミレン
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
凄いタイトルと凄い出演者。名作「素晴らしき哉、人生!」は1946年に製作されたフランク・キャプラの
作品。それと同じタイトルを戴くとは、どんな映画か、という邦題でハードルを上げすぎて損した形。
さりながら、原題をそのまま日本語にするのは難しかったとは思う。英語の世界での成句であり、日本語には
しづらい。セレンディピティーを訳すみたいに。映画の中では「幸せのオマケ」と訳されている。
子どもの死に苦しむ母に、誰かが語りかけた言葉で、「どんな辛く苦しい状況でも、いいことがある。
絶望するな」というニュアンスで使われる。この言葉が映画全体のキーワードになるので、邦題は全く難しかった
だろう。しかし、つけるに事欠いて、という感じは残ってしまう。

本作には二段の「そうだったのか!」が用意されていて、考え落ちだったり、伏線回収だったりするわけだが、
言いたいことは、そう大げさなことじゃないけど、これだけの名優をたんまり使ってまでやるか、という
too much感は漂う。しかし、嫌な映画ではない。見て損した、という類でもない。清々しい思いをするものでも
ないのだが、それぞれ心に響くものはあるのではないかという映画だ。

広告代理店のカリスマ的共同経営者ハワード(ウィル・スミス)が、難病で娘を失い、人生に絶望する中、
会社の同僚たちが、3人の俳優を使い、ハワードがいつも主張していた「愛」「時間」「死」をそれぞれ
演技させ、彼が抽象概念で悩むのなら、抽象概念で当たってみるしかないと考えた末の行動だったのだ。

さて、その3人は1人2万ドルで仕事を引き受けるのだが、なかなか難しい立場を気の利いたセリフでハワードに
対峙する。役者の登場から最後まで、様々な伏線は張られていて、冒頭キーラ・ナイトレイの登場にしても
彼女が赤い帽子を被っていて、ハワードの大親友にして共同経営者ホイット(エドワード・ノートン)が
追いかけやすくしてたな、とか、取締役会でハワードの経営統治能力が欠如している証拠のビデオには
3人の役者と会話しているハワードが1人だけしか写っていなかったり(これは友人らが撮って編集したのかな
と最初は思った。高等技術だななんてね)、役者のセリフが脚本家がいないのによく出来過ぎているな、とか。

つまり、この三人の役者は、本当にそれぞれが「愛」「時間」「死」であったわけだ。それはラストあたりに
ネタバラシが用意されている。それにしても、その作戦を思いついたエドワード・ノートン、ケイト・
ウィンスレット、マイケル・ペーニャの仲間3人は、その事実を知っていたのだろうか、あるいはある時点で
知ったのだろうか、そのあたりが分からなかった。

メインにハワードの再生の話を据え、脇にホイットと幼い娘との再生、更に、同僚サイモン(マイケル・
ペーニャ)の不治の病、精子バンクで子どもを得ようとする同僚クレア(ケイト・ウィンスレット)の
ことが加わっていく。

お話としてはよく出来ていると思うし、繰り返すが悪い映画ではない。しかし評価はあまり高くはない。
思うに、ストーリーを物語るには役者が重量級過ぎて、本来重い話が更に重くなってしまい、見ている方が
疲れてしまうというデメリットが生まれたのではないか、と考えてみた。
名優たちは声を掛けられこの本を読んでみれば、特に舞台を経験している役者であれば、やりたくなるんじゃ
ないだろうか。抽象的概念の演技は魅力であると思う。
配役では久しぶりにしっかり観たエドワード・ノートンが魅力的であった。

観る人によって凄く心を突き動かされるか、疲れてしまうか、受け止め方が異なる映画であろう。
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<ストーリー>
ウィル・スミスが最愛の娘を失い絶望の淵に立たされた男を演じる異色のヒューマン・ドラマ。深い喪失感から
すべてを投げ出してしまった会社経営者が、自分の前に現われた奇妙な3人の男女との交流によって立ち直って
いくさまをミステリアスな語り口で綴る。
共演はエドワード・ノートン、マイケル・ペーニャ、ケイト・ウィンスレット、キーラ・ナイトレイ、ヘレン・
ミレン。監督は「プラダを着た悪魔」のデヴィッド・フランケル。

 ニューヨークで広告代理店を経営するハワード。彼の手腕で会社は業績を伸ばし、公私ともに順風満帆な
人生を送っていた。ところが突然、6歳の愛娘が不治の病でこの世を去る。ハワードは深い悲しみで自暴自棄と
なり、仕事を放り出して自宅に閉じこもる日々。
ハワードに頼り切りだった会社は急速に傾き始める。残された同僚役員ホイット、サイモン、クレアはそれぞれの
事情も相まって、ハワードをどうにかして救わなければと思っていた。そんな時、ある奇策を思いつく。
やがてハワードの前に、性別も年齢もバラバラな3人の奇妙な舞台俳優が現われるのだったが…。(allcinema)

<IMDb=★6.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:14% Audience Score:64% >




by jazzyoba0083 | 2018-02-12 22:50 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)