●「おとなの恋の測り方 Un homme à la hauteur」
2016 フランス Gaumont and more. 98min.
監督・(共同)脚本:ローラン・ティラール
出演:ジャン・デュジャルダン、ヴィルジニー・エフィラ、セドリック・カーン、ステファニー・パパニアン他
e0040938_17165627.png
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
LGBTを始めとして、他人とは違うことをどう受け止めるか、ということをテーマにした映画がこのところ
大変目につく。ジャンルを問わずだ。それだけ世界的な規模で「ヘテロに対する不寛容」が横行している、と
いうことなのだろう。世界の政治を観ていると、そんなニュースは枚挙に暇がない。嫌な時代になったものだし、
それをそのままにしておいていいとも思わない。
映画界でもそれは同じ思いのようで、さまざまな形を借りて、人々の「不寛容」についての問題を投げかけ続けて
いる。まだ観てないが「ワンダー 君は太陽」という作品も、直球勝負での問いかけだ。

本作は、ラブコメディーの形を借りて、かなり直球気味で上記の問題を投げかける。深刻な作品ではないので、
重い気持ちにならずに、笑いもありつつ「ハンディキャップ」を背負った人々に対し、どう思うのかを問うてくる。
しかし、深刻な表現ではないだけに、ストレートに心に刺さる効果もあると見えた。

バツイチの女性弁護士ディアーヌが落とした携帯をアレクサンドルという男が拾い、彼女に電話してくるところ
から映画は始まる。アレクサンドルは携帯を返すことを条件に彼女をデートに誘う。(姿が見えない女性に対し
なかなか大胆ではあるな) 約束のレストランに現れたのは身長136センチの小男だった。
「想像していた男ではなかった?身長が40センチ足りない?」「いいえ、そんなこと」とディアーヌは云うが
明らかに気にしている。

彼は自分が低身長症であることをマイナスにしておらず、なかなかの美男子で、おしゃれ、会話は上手いし、
ユーモアもたっぷり。更に高名な建築家でもあり、立派な父親でもあった。加えて大学生の息子は父を尊敬
しているこれまたできの良い息子。別れた奥さんとは今も良好な関係を保っている。テスラに乗るお金持ちでも
あるが、金銭的なことはオクビにも出さない。すなわち身長以外は全く文句のない男性なのだ。

最初は驚いたディアーヌだったが、彼の人柄に次第に惹かれていく。だがどうしても周囲の目が気になる。
(この辺りから映画を観ている人はディアーヌを自分に置き換えて考えていくのだと思う。)愛してしまえば
身長なんか関係ない、というのは簡単である。世の中はそう寛大ではないのだ。二人でいれば奇異の目に
晒されることになる。アレクサンドルは気にしていないが、気にしているディアーヌを気にしてしまう。
やはり自分が彼女のそばにいたら迷惑なのではないか、と。
体を許す仲となるが、結局自分の心の葛藤から逃れられない。
「難しいわ。どうしても私の理想の男性と比べてしまう」「理想を植え付けたのは誰?キミだ」

ディアーヌのマイナス思考の考えを諌めるのが彼女の秘書。なかなかの正論を吐くのだ。ディアーヌの心も
固まって両親に紹介することになるのだが、両親もびっくり。まさか娘がこんな小男と結婚すると言い出す
とは!と。だが、ディアーヌの父親は耳に障害を持っていた。反対する母親は「あなたは外見は普通じゃ
ないの。耳がちょっと聞こえないだけで」というと、父親は「障害はお前の心の中にある」と憤然とする。
まさに、これだ。
さらにアレクサンドルと生涯をともにする決心がつかないディアーヌに対し、秘書が言う。
「あなたが小さい。体は普通でも心が小さいのよ。心の器が小さくて感情のキャパもちっちゃいの。
その原因は幼少期にある。私達は頭に先入観を植え付けられて、違いがある人を受け入れられない。
皆と同じがいいと思っている。分かる?これじゃ私達もナチスと変わらない」と。
心理学者だねえ。そのとおりだよ。

だが「人からどう見られても自分たちが良ければ、深い愛で結ばれていれば、何の障害にもならない」と
わかっていても人はそう簡単にそうですか、とはなれないものだ。昔の映画でシドニー・ポワチエが主演
した「招かれざる客」という作品では、黒人と結婚するといい出した白人の両親の狼狽を描いていた。
そのあたりを攻めてくる映画が本作だ。

最後にディアーヌがアレキサンドルにいう。「これからもきっと困難はある。じろじろ見る人を殴っちゃう
かも。でも分かったの。人がどう思うかは関係ない。誰を愛するかは私が決める。私の人生よ。
他の人には慣れてもらう。それが分かって自由になれた。やっと自由に。愛してる」

実はアレクサンドルに対比する存在として、ディアーヌと離婚して3年。弁護士同士で同じ法律事務所を
二人で経営していて働く場所がいつも一緒という別れた旦那の存在がある。
彼は身長もあるし、弁護士で社会的地位もある。だが、「こころが小さい」のだ。その代表選手として
描かれている。

恋愛における障害のありようを、もっと言えば人として暮らしてく中で自分と違うということをどう受け
止めるか、という結構深く重い問題をラブコメディの形を借りてさらりと描いた。
100分未満で編集したのも良いと思う。
だが、このテーマ「言うは易く、行うは難し」だ。だからたくさん映画になるのだろうけど。これが普遍的に
受け入れられる社会になったら世界はどこくらい平和になることだろう。

実際の身長182センチのジャン・デュジャルダンを低身長者として撮影するのには相当苦労したようだ。基本
CGで、あとはジャンが膝を折って演技したり、実際に身長の低い男性のバックショットを使ったり、
遠近法を使ったりと。だが、影の付け方を含め、全く違和感がない。画作りは良好だ。少ない出演者で纏めた
のも、主張が明確になってよかった。ただ、言わんとしているところがあまりにもストレートな映画なので
もう少しひねりはなかったか?上品にまとまりすぎ、と思われる向きもあるだろう。

e0040938_17170478.jpg
<ストーリー>
敏腕女性弁護士と背の低い建築家が繰り広げる恋の騒動を描く、フランス発のラブ・コメディ。
『アーティスト』でアカデミー賞主演男優賞に輝いたフランスの名優ジャン・デュジャルダンがCGで小柄な男に
変身。周囲の偏見をはねのけ、彼女に男の価値を再確認させるキャラクターをコミカルに演じる。

腕利きの弁護士ディアーヌは、女癖の悪い夫と離婚して3年が経つものの、まだ新しい恋とは出会えていない。
元夫は仕事のパートナーでもあり口論が絶えず、いらいらが募っていた。そんな中、彼女がレストランに忘れた
携帯を拾ったアレクサンドルという男性から連絡が入る。知的でユーモラスな口調にほのかにときめディアーヌ。
翌日会うことになり、胸を躍らせ待ち合わせ場所に向かったところ、やってきたのは自分よりもずっと身長の
低い男性だった。期待が外れ早々に引き上げようとしていたが、リッチで才能あふれる建築家のアレクサンドルの
話にいつの間にか魅了される。アレクサンドルはディアーヌが経験したことのないようなエキサイティングな
体験をプレゼントしたいと申し出、二人はデートすることになるが……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:36% Audience Score:48%>




by jazzyoba0083 | 2018-06-19 22:50 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

空飛ぶタイヤ

●「空飛とぶタイヤ」
2018 日本 松竹、「空飛ぶタイヤ製作委員会」 120分
監督:本木克英 原作:池井戸潤「空飛ぶタイヤ」(講談社文庫、実業之日本社文庫刊)
出演:長瀬智也、ディーン・フジオカ、高橋一生、笹野高史、岸部一徳、ムロツヨシ、阿部顕嵐、寺脇康文、深田恭子、
   升毅、佐々木蔵之介、六角精児、大倉孝二、柄本明他
e0040938_14263028.jpg
<評価:★★★★★★★☆☆☆-α>
<感想>
大ベストセラーになり池井戸の名前を一躍世に知らしめた原作は未読。ただし、「半沢直樹」「下町ロケット」
(WOWOW版、TBS版)「陸王」など池井戸原作テレビドラマは熱心に観ていた。(本作をWOWOWで
ドラマ化された時は見逃してしまった。)故に、池井戸ワールドの持つ魅力は、多少なりとも分かっている
つもり。

で、本作も、池井戸得意の経済小説を脚色、テレビドラマなら10話ほどになる話のボリュームを2時間に仕立てた。
正直、ストーリーの持つ力なのだろう、2時間緊張感を保ちつつ面白く観ることが出来た。よくこの長編を2時間に
纏めたな、という脚本(脚色)のちからと、監督の演出は評価されていいと思う。

しかし、である。どこかテレビドラマを観ているような感覚から抜けきれず、面白いし、池井戸作品の特徴としての
「倍返しだ!」的勧善懲悪的カタルシスは健在。観終わって、満足感のレベルは高いと思うが、何か、心のどこかに
「映画的充足感」の不足さを感じてしまった。あくまでも個人的レベルであることをお断りしておかなくてはならないが。

色々と考えた。まず昨年の映画「怒り」の感想ブログでも書いたが、日本の役者のキャスティングシステムがテレビと
映画の境目が殆ど無いという点。洋画と比べると、茶の間に日常的にあるものがスクリーンに現れても、共感が盛り
上がりづらいのではないか。いつも観ている顔ぶれが並ぶ映画でのドラマは、ましてやあるパターンを持った池井戸
原作ものは原作未読といえども、経過結末を予想することは簡単で、それだからこそ、役者の非日常世界にあっての
インパクトが必要になってくるのではないか。逆の意味での好例は安藤サクラだ。彼女はここ5年ほど特に民放の
ゴールデンのテレビにはほぼ出ないので、映画スクリーンでの登場人物としての共感度が極めて高い。(これからも
映画中心でお願いしたいものだ)
男優であれば、佐藤浩市とか役所広司、渡辺謙は割とテレビには出ないが、逆に彼らは映画にたくさん出てくるので、
キャラクターが重なり合い、それはそれで私には良いとは思えない。それらは役者が悪いのではなく、日本の映画と
テレビが持つ構造的な問題。映画館に来る客がテレビドラマを観るようなスタンスで映画を楽しみに来る時代だ、と
いうのならそれはそれで良いのかも知れない。しかし、映画は映画の魅力を放っていて欲しい。
本作でも、テレビや他の映画でもいつも出てくるメンバーが重要な役目を果たす。主役級の三人(長瀬、ディーン、
高橋)はハンサムすぎ。(原作では長瀬役の赤松社長はずんぐり型らしい) 長瀬の妻役の深田恭子は明らかに
浮いていた。(深田が悪いのではなく、キャスティングミス)

つまり映画世界における感動の盛り上がりに損しているということ。これは役者や監督が悪いわけではなく、日本の
映画製作の文化的、システム的マイナス点といえると個人的には思っている。

もう一つ、映画づくりのシステムとは別に、池井戸作品の持つパターン化したカタルシス。中小企業の(金銭的)苦闘、
その会社内での対立と最後には孤立無縁ながら奮闘する社長を中心に結束する「仲間」たち。(ここは極めて浪花節的
である)そしてその中小企業に立ちふさがる大企業の傲慢さ、更に銀行の冷酷さ(理解する銀行マンの存在も必ず登場)
中小企業では解決出来ない事案をサポートする結果となる雑誌や新聞の登場、大企業(や巨大銀行)にも必ずいる善人
たち。こうした流れは、本作でも全く同様に展開していく。
観客は最後には巨悪が倒れ、中小企業の社長以下に凱歌が上がる、というシーンを観て快哉を叫び、溜飲を下げ、
自分の日常では起きないカタルシスを感じ、満足するのだ。そうしたパターン化(「水戸黄門」化とでも云うのか、
「勧善懲悪」というのか、「弱者が強者を打ち負かす普遍的な快感」というべきか)は、ハズれない面白さは提供するが、
さらなる感動へとはなかなか結びつきにくいのではないか。

以上、本作を観ての2つの大きな感想。「総じて映画的な深みには欠ける」。
そこに私の評価のマイナスαの意味がある。

更に、池井戸ドラマは、人間が何かアクションをする映画ではない。本作で言えば、赤松運送の事務所であり、ホープ
自動車の社内、ホープ銀行の行内、港南署の署内、そしてレストランや喫茶店の店内が舞台となり、セリフが重ねられ
ていく。一番動きが有ったのが、赤松社長が、自分のところの事故と同じような事故のリストを、事件を追っていたも
のの社内の圧力で記事がボツになった「週刊潮流」の記者(小池栄子)から貰い、それに従って、日本全国の運輸会社を
尋ね回るシークエンスくらいか。恐らく本木監督も、その辺りは苦労したに違いない。カメラを手持ちにしたり、カット
割を短くしてみたりと工夫は感じられた。が、やはり演出、演技というよりもどうしてもストーリーの展開に引っ張られ
登場人物の心の動きというものがいささか感じづらいな、と感じたのだった。それはテレビドラマにすれば10話にも
なる(WOWOWですら45分×5話だった)ボリュームをテンポよく二時間以内のしかもエンタメ性を持った作品に
求めるのは酷かもしれない。

全体として良かったのか、悪かったのか、と問われると、「良かったし面白かった」と答えたい。ただ、以上のような
事柄から、「今日的日本のテレビドラマ的面白さ」として、という条件が、私の場合は付いた、ということだ。
二時間は短く感じられ、ストーリーの面白さからぐいぐいと引き込まれることは間違いない。それはそれで「ある意味」
面白い映画の証左、ということなのだろう。

さて、本作は2000年代に入った頃に社会を賑わせた三菱自動車のリコール隠しと、横浜で実際に起きた三菱製トレーラー
のタイヤ脱輪事故で母子3人が死傷した事件をベースに、主に、「財閥系」企業の「企業統治」のお粗末さと、
そこから派生する「怖さ」を、そしてこれに潰されまいと勇気を奮い立たせる中小企業の社長らの活躍を描いている。
三菱自動車はこうした「隠蔽体質」が社長が何代代わってもつい最近の排ガス偽データ報告事件に至るまで解決されて
おらず、ついに三菱自動車は日産グループに組み込まれてしまった。
それは財閥参加にあって、「銀行」「重工」などの支援が手厚く、甘やかされた体質が未だに抜けきれいないということ
なのだろう。
そうした自動車メーカーを相手に、脱輪は運輸会社の整備不良ではなく、トラックの欠陥に由来するのではないか、との
信念で、事故の真相を見つけようとする運輸会社社長赤松(長瀬)、トラックを製造したホープ自動車の良識派社員
(ディーン、ムロら)、これまでホープ自動車を甘やかした融資を繰り返してきたホープ銀行の良識派(高橋)らと
それぞれに係る家族だったり、友人だったり、警察だったりが、絡んでドラマを織りなしていく。
実際に起きた事件や事故がベースになっているので完全に作りものでない面白さが感じられた。

三菱系の方は辛い映画だろうなあ。かつてゼロ戦を作り、パジェロという名車を作り、日本を代表する自動車メーカー
の一つでもあった三菱自動車は今や日産グループ傘下で再起を図っている。果たしてあの「隠蔽体質」は直ったのだろうか。
e0040938_14272222.jpeg
<ストーリー>
 WOWOW製作の連続ドラマ版も好評を博した池井戸潤の傑作企業小説を長瀬智也主演で映画化した社会派ヒューマン
・サスペンス大作。ひとつのリコール隠し事件を題材に、事故原因が自社の整備不良だと疑われ窮地に陥った弱小運送
会社社長が、その汚名をそそぐべくたった一人で真相究明に奔走する中で、やがて思いも寄らぬ大企業の巨大な闇に
直面していくさまを豪華俳優陣の共演で描き出す。
共演はディーン・フジオカ、高橋一生、深田恭子、笹野高史、岸部一徳。監督は「超高速!参勤交代」の本木克英。

 ある日、1台のトレーラーが脱輪事故を起こし、歩道を歩いていた子連れの母親が外れたタイヤの直撃を受け死亡
する。製造元のホープ自動車は、事故原因を所有者である赤松運送の整備不良と決めつける。社長の赤松徳郎は世間や
マスコミの激しいバッシングを受け、取引先を次々と失った上、銀行にも冷たくあしらわれ会社は倒産寸前に。
それでも自社の整備担当者を信じて独自に調査を進め、ついに車両自体に欠陥があった可能性に辿り着く赤松
だったが…。(allcinema)




by jazzyoba0083 | 2018-06-16 16:30 | 邦画・新作 | Trackback | Comments(0)

●「イースター・パレード Easter Parade」
1948 アメリカ Metro-Goldwyn-Mayer (MGM) 103min.
監督:チャールズ・ウォーターズ  製作:アーサー・フリード 作曲:アーヴィング・バーリン他
出演:フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド、ピーター・ローフォード、アン・ミラー、ジュールス・マンシン他
e0040938_17241893.jpg
<評価:★★★★★★★★★★>
<感想>
名画再見と称したが、もう何回観たかなという大好きなミュージカル映画。身近に有り過ぎで当ブログにも
アップしていなかった。市の開催する月イチの映画鑑賞会、今回の出し物がこれだった。DVDも持っている
けど、やはりテクニカラーを大画面で観てみたいと出かけてみた。果たして迫力が全然違うなあ。銀幕は。

上映前に講師の先生からこの映画についての解説がなされるのだが、本作は製作されたのが太平洋戦争が終
わって3年後。日本公開が1950年なので、まだ焼け跡が残っていた頃で、日本がまだまだ敗戦後の貧乏の
どん底で喘いでいた頃、日本にはアメリカからカラー映画を購入するような外貨はなく、占領軍のお目
こぼしを受けて本国から2年遅れでの公開となった。そこに映し出された夢のような「総天然色」の世界は、
当時の日本人にとっては誠に夢の世界そのものであり、異国の文化に圧倒されたひとときであった、という
ことだ。当時を知っている年齢の先生なので、間違いはなかろう。さらに本作はMGMミュージカルが日本で
公開された第一号なのだそうだ。

フレッド・アステアは数々の名作ミュージカルにジンジャー・ロジャースらと出演、1946年封切りの
「ブルースカイ」をもって引退を表明、全米に「フレッド・アステア ダンススクール」を開設し
後進の指導に当たっていた。しかし、本作に当初キャスティングされたジーン・ケリーが足首を痛め
出演不可となり、急遽MGMに乞われて出演した。しかしまさに怪我の功名、本作はアステアを代表する
一作となったのだった。

相手を務めるのが、当時26歳、その歌声も脂が乗りきっていた頃のジュディ・ガーランド、そして本作
からMGM専属となったダンスの名手アン・ミラーだ。
監督は後年「上流社会」などをモノする、みずからもブロードウェイのダンサーであったチャールズ・
ウォルターズ。MGM一作目である。さすがはダンサー出身だけあってツボを心得たダンスシーンの美し
さとダイナミックさ。そしてアステアのダンスでは当時珍しかったスローモーションを使うなど、斬新な
テクニックも使われている。さらにテクニカラーがまた美しい。

ところで、本ブログのタイトルをご覧になってもおわかりと思うが、私は1930年代から60年代頃の
ハリウッド製ミュージカル映画が大好きで、特にMGMの諸作品はVHS~DVD~Blue-rayに至るまで
コレクションを持っている。また20世紀フォックスのリチャード・ロジャーズ、オスカー・ハマー
スタイン二世のペンになる楽曲が使われる「南太平洋」「サウンド・オブ・ミュージック」なども
大好きだ。
この世界に没入したのは、そもそもジャズが好きで、そのスタンダードの多くがブロードウェイ・
ミュージカルが原典となっていると知り、それならば原典に接しなければ、と観始めたら虜に
なってしまったというわけだ。

左様に、この手の映画には甘い評価となるが、本作は映画史に残る傑作といっていいと客観的に思う。

復活したとはいえアステアはまだこの時49歳。そのダンスの切れはまだまだ輝いていて、アン・ミラーを
相手にしても若いジュディ・ガーランドを相手にしても、またソロを取らせても超一流の至芸を
鑑賞できる。
まさに「That's Entertainment!」である。映画の愉しさに満ち満ちた作品といえよう。今の時代には
そぐわないかも知れないが、物語も後年「ゲームの達人」で一世を風靡するシドニー・シェルダンらが
加わって作られていて、ちゃんとしている。エヴァーグリーンの一作である。
e0040938_17244983.jpg
<ストーリー:結末まで書かれています>
「ブルー・スカイ(1946)」をお名残に引退を声明していたフレッド・アステアを花々しくカムバックさせ、
ミュージカル物の大スターにのし上っていたジュディ・ガーランドと組んで主演させた音楽映画で、
「スイング・ホテル」と同じくアーヴィング・バーリンが作詞作曲している。
ストーリーはフランセス・グッドリッチとアルバート・ハケットの夫婦脚本チームが書きおろし、チームが
更にシドニー・シェルダンと協力して脚色し、「グッド・ニュース」に次いでチャールズ・ウォルターズが
監督に当たり、「愛の調べ」のハリー・ストラドリングが撮影してテクニカラー色彩映画で、ミュージカル
場面はロバート・アルトンが演出している。
主役2人を助けて、「下町天国」のピーター・ローフォード、「恋のブラジル」のアン・ミラー、映画初出演の
舞台喜劇俳優ジュールス・マンシュイン、クリントン・サンドバーグ、ジェニー・ルゴン等が出演する。
アーサー・フリード製作の1948年作品。

1912年。イースター・サンディを明日に控えた日に、ダンサーのドン・ヒューズはパートナーのナダイン・
ヘイルが彼とのパートナーを破って、好条件の契約をしたことを知ると、折柄来合わせた親友ジョナサン・
ハーロウの止めるのも聞かず町にとび出してしまった。
ドンの後を追ったジョナサンは酒場で苦い酒をのんでいる彼を発見した。ドンは口惜しまぎれに、かつて
ナダインをコーラス・ガールの中から見つけて自分のパートナーにしてやったように、酒場のどんな踊り子
でもナダインくらいのパートナーに、直ぐ仕立ててみせると云って、折柄酒場の舞台に立った踊り手ハンナに
彼の名刺を渡した。

翌朝、ドンは昨夜のでたらめに後悔したが、ハンナが来たので仕方なく練習を開始した。然しハンナは踊りの
基本も知らず、憂欝になってしまったドンが外に出て見ると、町はイースター・パレードで賑っている。
カメラマンたちに取りかこまれている女性はナダインだった。それを見たドンは失いかけた闘志を再び揮い
起こし、来年のイースターはハンナを必ずプリマドナにして見せると心に誓った。

チームを破ってジーグフェルドと契約したナダインは大成功だった。苦労しつつハンナを訓練して、ドンと
ハンナのチームは遂にうまく行くようになり、2人が踊り歌った「ラグタイム・バンド」は大成功で、
ジーグフェルドから契約交渉が来たが、ナダインと一緒に舞台に立つことをいさぎよしとしない彼は断然けった。

興行者デリンガムと契約した2人は、ボストン、フィラデルフィヤ等でロード・ショーを行ない、イースター・
サンディの前日に、ブロードウェイに進出することになった。ロード・ショーは大成功だった。気づかわれた
ブロードウェイでもドン・ハンナのチームはうけた。その夜2人がジーグフェルドの宴に臨むと来客は2人に
祝福をおくったが、これを見て心動かされたナダインは巧みにドンをハンナから引き離すと彼を独占して
しまった。

ドンを心から愛するようになったハンナは、かねてからドンがやはりナダインを愛しているのではないかと
心を苦しめていたが、此の様を見ると1人アパートへ帰ってしまった。一方やっとナダインから解放された
ドンは、愛するハンナを探し廻りアパートに訪ねたが、彼女は鍵をかけて入れなかった。
彼は外から誤解を訴えた。初めはナダインを取り返すために君とのチームを始めたんだが、君が一番
すばらしい女性であることが判ったんだ。
一夜明ればイースターの日曜日、誤解のとけた2人は「イースター・パレード」の歌を合唱して、満都の
拍手と喝采をうけた。(Movie Walker)

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90%  Audience Score:86%>




by jazzyoba0083 | 2018-06-16 12:00 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「ラビング 愛という名前のふたり  Loving」
2016 アメリカ Raindog Films,Big Beach Films. 123min.
監督・脚本:ジェフ・ニコルズ
出演:ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ、マートン・ソーカス、ニック・クロール、マイケル・シャノン他
e0040938_15393901.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
何の前知識もなく観始めたのだが、本作はアメリカにおける異人種間結婚禁止を打ち破った画期的歴史的出来事に
基づいていた。ネットでいろいろとこの事件に関して調べてみたのだが、本作は事実にかなり忠実に再現されている
そうだ。連邦最高裁でヴァージニア州の州最高裁判所判決が覆った1967年6月12日を記念して毎年この日は
「ラヴィング・デイ」として祝われているという。

本作では、画期的判決を導き出した夫妻について描くのだが、一発の銃声もなく、投石もなく、割れるガラスの
音もせず、黒人を警棒で殴る白人警官も出てこず、ましてやKKKも出てこず、黒人を眼前で面罵する白人も出て
来ない。こうした黒人の人権開放映画はたくさんあるが、ここまで静かな映画はまれというか私個人は初めて観た
と思う。
音楽も含め、静かな物語の流れは、「愛し合う二人が家族とともに故郷で静かに暮らせること」という
たったそれだけのことを欲していた二人が、裁判という流れの中でも、その静謐さを守り続け、勝利しても英雄視
されることを好まず、「普通の暮らしがしたいだけ」という姿勢を貫く。その事が逆に、当時のアメリカ(南部)の
黒人たちの置かれた逆境を浮き彫りにし、今では当たり前であったことが、そうではなかった時代の苦悩を
あぶり出す。
特に物静かなリチャードは、声高に人種差別撤廃を叫ぶでもなく、ひたすら愛するミルドレッドと家族を守りたい
静かに一緒に暮らしたいと願うのみ。その考えや行動は映画を観ている人の胸を打つ。ひとりごとで「おかしい」
「それはおかしい」とつぶやくのみ。無鉄砲な行動には決して出ない。だから強い反体制派とも見なされない。
むしろ裁判に積極的だったのはミルドレッドの方だった。彼女とて団体に所属するとかデモをするとかオルグを
かけるとかは全くぜず、個人の問題としての裁判へと進んでいくのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
白人であるリチャード(エドガートン)と黒人とネイティブアメリカンなどの混血ミルドレッド(ネッガ)は、
若い頃から恋愛関係にあり、周囲も認めるところであった。特にリチャードは黒人の友人を多数持ち、その事を
ごくごく当たり前の日常として生活していた。ミルドレッドが妊娠したことから、リチャードは結婚を決意、
1エーカーの土地を買い、そこでプロポーズした。
ヴァージニアでは異人種間の結婚が禁止されていたため、周囲は同棲でもいいじゃないか、と諌めるが、二人の
意志は固く、二人でワシントンDCに行き、ミルドレッドの父のみ参加しての式を挙げ、結婚証明書を貰って、
ヴァージニアに帰り、ミルドレッドの家で暮らし始めた。

しかし、二人が結婚して暮らし始めているという噂が警察の耳に入り、ある日保安官が寝込みを襲う。二人は
別々に収監されてしまう。白人であるリチャードは早々に釈放されるが、ミルドレッドは父が保釈金を積んで
やっと開放された。依頼した弁護士が判事と取引し、有罪を認めれば懲役1年に執行猶予をつけてやる、ただし、
25年間は州外に退去すること、という条件が付けられた。若い二人は故郷を離れ、DCの知り合いの家に
転げ込み、そこで生活することになる。

だが、ミルドレッドの、義母の家で産みたいという、たっての願いで、二人は別々に決死の思いでヴァージニアの
リチャードの家に帰る。無事にシドニーという男の子が産まれたが、どこからか噂を聞きつけた保安官がまた
やってきて、二人を逮捕する。州内に戻ったことで裁判となったが、弁護士が「私が、出産時には一時帰ることが
出来る、という勘違いの情報を教えたことが間違いだった。ミスだった。判事殿、申し訳ない」とその場を
取り繕い、なんとか難を逃れることが出来た。

DCに帰った二人にはその後3人の子どもが出来、リチャードは腕のいい左官工として真面目に働き家族を守って
いた。しかし特にミルドレッドはすさんだ黒人街のDCでは満足に子育ても出来ないと悩んだ。ある日、子供の
一人が遊んでいて車にハネられるという事故があり、幸い大事には至らなかったが、ミルドレッドは姉の
アドバイスも有り(姉は1963年のワシントン大行進の光景をテレビで観て、そう言った)当時のロバート・
ケネディ司法長官に、自分たちの置かれた境遇の理不尽さを訴える手紙を書いてみた。それがケネディの目に
止まり、長官は手紙をアメリカ自由人権協会(ACLU)という団体に渡し、そこのボランティア弁護士コーエンから
ミルドレッドに電話が掛かってくる。そこからラビング夫妻の長い裁判の時間が経過するのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
e0040938_15402954.jpg
当時、キング牧師らの公民権運動はピークに差し掛かっていて、ACLUも連邦最高裁で黒人の人権を差別する
法律を撤廃させるための裁判材料を探していた。このことは別の映画でも観た記憶がある。
彼ら人権派弁護士らは、二人が受けている刑罰についての違法性をなんとか連邦最高裁に判断させようと
リチャードとミルドレッドと話し合いをする。まずは郡の判事に訴え、却下されたら州最高裁へ上訴、そこでも
負けるだろうから、そうすれば連邦最高裁へ上告出来る、と。当時ケネディ政権下の最高裁判事はおそらく
リベラル派で固められていただろうから、人権派弁護士としても、ヴァージニア州の「異人種間結婚禁止法」が
合衆国憲法に違反しているという判決を勝ち取りたかったのだ。

そして冒頭にも書いたとおり1967年6月12日、連邦最高裁はヴァージニア州最高裁が出したラビング夫妻への
有罪判決を取り消す判決を判事全員一致の意見として出した。二人は勝ったのだ。マスコミは殺到するが、
二人は、田舎で静かに暮らすのみ。やっと愛する二人と家族が一緒に暮らせる日が来たのだ。二人が望んで
いたのはそのことだけだったのだから。

この時点までで南部を中心に異人種間の結婚を禁止する州はまだ結構存在した。が、この判断で、連邦レベルで
そうした法律が無効となったのだ。思えばつい最近のことだ。
神は白人、黒人、黄色人、マレー人、赤色人に分け、それぞれの大陸に住まわせた。だから異人種が混交する
ことは神の摂理に反するのだ、という当時のヴァージア州などが規範としたキリスト教的倫理観はいまでも
アメリカに根強く存在する。私たちアジア人は人種である前に人間である、という大前提を割と簡単に理解出来
るが、キリスト教的な世界観の倫理観は私たちにはなかなか理解が難しいところがある。
アメリカでは現在ヒスパニック系が増え、アフリカ系、アジア系、らも増加し白人はマイノリティになりつつ
ある。そこらあたりにも強い白人の危機感がある。アメリカは白人の国でなければならないと。

ついこの前まで、普通に愛し合う二人が普通に暮らせない社会があった、ということを静かに訴えた本作、
当たり前の真実を曲げない信念を夫婦で分かち合っていたラビング夫妻の訴えは静かに、しかし多面的に
観る人の心を打ち、問題を投げかけてくるのである。
こうした映画は、次の場面で何かが起きる何かが起きるとドキドキするのだが、この映画はそういうことはない。
主演の二人の演出意図を踏まえた抑制の効いた演技は観るべきものが多かった。(ルース・ネッガは本作で
オスカー主演女優賞ノミネート)

ところで、裁判が進むに連れ、名前が知られ、夫妻の元に雑誌やテレビの取材が入るのだが、ライフ誌の記者を
演じたのがマイケル・シャノン。この人が出てくると、何かが起こりそうな予感がする。彼は夫妻一家と食事し
夜の団らんまで取材、「結婚という名の犯罪」という記事を書き、これがタイム誌に大きく掲載された。
どういう記事であったのか、読んでみたいものだ。

<IMDb=★7.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90% Audience Score:76% >








by jazzyoba0083 | 2018-06-14 23:10 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「私はダニエル・ブレイク I,Daniel Blake」
2016 イギリス・フランス・ベルギー Sixteen Films,Why Not Productions,Wild Bunch,and more 100min.
監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ディラン・フィリップ・マキアナン、ブリアナ・シャン他
e0040938_15475112.jpg

<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
本作は2016年のカンヌ国際映画祭・パルム・ドール受賞作。イギリスの社会派監督ケン・ローチが二度目の同賞を
獲得したものだ。そして、今年のパルム・ドールが是枝裕和監督の「万引き家族」。なぜ二作を並列したか、というと
同じような内容を言わんとしているのだな、と感じたからだ。カンヌはこういう作風が好きなんだろう。以前感想を
書いた「たかが世界の終わり」が、本作と同年同時にパルム・ドールを獲っているから、極めて内省的だったり、社会を
告発するドラマとしての作りの良さなど評価軸になっているな、と思った次第だ。

「万引き家族」が極めて日本的な仕掛け(直接的告発をしない)で、社会が内在する「不寛容」や「機能不全」を指摘
していたのに比べ、本作「私はダニエル・ブレイク」は、ど直球で、イギリス社会のある側面を告発する。
「万引き家族」と似ていたな、と思われたのは、最後のシークエンスで問題点の明快な提示がなされるという手法。

是枝監督は「万引き家族」において、現代日本の『「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され
不可視の状態になっている人たち』の有様を突きつけることにより、観ている人に問題点を投げかける。
ケン・ローチの本作とアプローチは違えど、主張は通底している。是枝監督の『(前略)社会は排他的になり、
多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う』という文書に
触れるにつけ、その考えは確証へと変る。
2つの映画の根っこにあるものは「怒り」であり、ほとんど乱暴なくらいのエンディングはハッピーエンドではなく
鑑賞後の心には「重く」「切なく」「やりきれない」「怒り」が渦巻くのも共通だ。ただ、描き方がローチ監督の
本作の方が直截的で、是枝監督の作品は間接的、といえるだろう。

ダニエル・ブレイクはパソコンが使えない。しかし手当の申請はPCからしかできない。苦労しながらPCを学び
なんとかオンライン申請しようと苦闘するのだが、そのさまは、「自己責任」という便利な言葉で、社会的弱者を
疎外する現代社会の極めて深刻な問題のメタファーに他ならない。

本作では、イギリスの北にあるニューカッスルという街が舞台となり、心臓病を患い医師から就業を禁止されている
その道40年の大工であるダニエル・ブレイクが、職安で職につけない間の手当を、小役人の前例主義、ことなかれ
主義の前にたらい回しにあうさまを中心に、警察も含め、公権力という匿名性に守られ、結局税金で食っている役人
たち公僕が、公僕たる役目をなしてない実情を活写していく。
ダニエル・ブレイク本人の苦労と並走するように、彼の友人となるロンドンの施設から追いやられて来た幼い子供
二人を抱えたシングルマザー、ケイティの周辺も描くことにより、100分という決して長くない映画の中に、一般
市民が持つであろう社会の「理不尽」「融通・温情の無さ」「自分事と出来ない役人の冷たさ」を重層的に描いていく。

ケイティ一家とダニエルが「フードバンク」という貧しい人に食料や日用雑貨を提供する施設で、子どもに食事をさせる
ことを何日も優先してきたケイティが思わず棚の缶詰を開けて口に入れるというシーンが有る。ここはこの映画の中でも
極めて重いシーンだ。フードバンクのボランティアの親切な態度と役人らの冷徹さが自ずと浮かび上がらざるを得ない。

上記は観た人殆どが思うだろうが、イギリスのある町だけの話だけではなく、現在の日本でも、世界中で蔓延している
「不寛容」の実態だろう。本作にはいい人もたくさん出てくる。他人を心配する人も出てくる。だが、そうした個人の
善良さに寄りかかって、対応する福祉関係の税金を削りつづけることは許される社会ではないはずだ。
日本の役人にすべからく観ていただきたい作品だ。

本作のエンディングで亡くなってしまうダニエルの葬儀でケイティが、手当の不服申立のための書いた文章を読み上げる。

「私は依頼人でも、顧客でもユーザーでもない。怠け者でも たかり屋でも 物乞いでもない。国民保険番号でもなく、
エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。地位の高い者には媚びないが、隣人には手を
貸す。施しは要らない。私はダニエル・ブレイク。人間だ 犬ではない。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度と
いうものを。私はダニエル・ブレイク 一人の市民だ。それ以上でもそれ以下でもない。」

さあ、これをどう受け止めるのか。
一旦引退を決意したローチ監督が、復帰してまで作らなければならなかった映画の重みが、ラストのダニエルの文章に
ある。

e0040938_15493854.jpg
<ストーリー>
社会派の名匠ケン・ローチ監督が、格差と分断が進む世の中で切り捨てられようとしている社会的弱者の心の叫びを
代弁し、カンヌ国際映画祭で「麦の穂をゆらす風」に続く2度目のパルム・ドールを受賞した感動のヒューマン・
ドラマ。実直に生きてきた大工職人が、病気をきっかけに理不尽な官僚的システムの犠牲となり、経済的・精神的に
追い詰められ、尊厳さえも奪われようとしていた時、同じように苦境に陥っていたシングルマザーとその子ども
たちと出会い、互いに助け合う中で次第に絆が芽生え、かすかな希望を取り戻していく姿を力強い筆致で描き出す。
主演はイギリスの人気コメディアンで、本作が初の映画出演となるデイヴ・ジョーンズ。

 イギリス北東部ニューカッスル。59歳のダニエル・ブレイクは、長年大工として働き、妻に先立たれた後も、
一人できちんとした生活を送り、真っ当な人生を歩んでいた。ところがある日、心臓病を患い、医者から仕事を
止められる。仕方なく国の援助を受けるべく手続きをしようとすると、頑迷なお役所仕事に次々と阻まれ、ひたすら
右往左往するハメに。すっかり途方に暮れてしまうダニエルだったが、そんな時、助けを求める若い女性に対する
職員の心ない対応を目の当たりにして、ついに彼の堪忍袋の緒が切れる。彼女は、幼い2人の子どもを抱えた
シングルマザーのケイティ。これをきっかけに、ケイティ親子との思いがけない交流が始まるダニエルだったが…。
(allcimena)

<IMDb=7.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:85% >



by jazzyoba0083 | 2018-06-13 23:30 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

万引き家族

●「万引き家族」
2018 日本 AOI Promotion,Fuji Television Network,GAGA. 120min.
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、城桧吏、佐々木みゆ、樹木希林、高良健吾、池脇千鶴、柄本明他
e0040938_13172080.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>(暫定)
<感想:完全にネタバレしていますから未見の方はご注意ください>
個人的な好み、嗜好から是枝監督の作品は一本も観たことがなく、本作が初めて。なぜならば、カンヌでパルムドールを
獲得し、絶賛されたというから、少なくとも映画のコラムやラジオで喋っている人間としては観ておかなくてはならない
だろう、と封切り初日に出かけた。なかば義務感のようなものだ。

さて、2時間が経ちエンドロールも終わり、今観た映画に何を感じたのだろうか、としばらく座って考えていた。私に
とってはとても難しい映画(描いている世界は特に難しいことはないのだが)だった。監督は何を思ってこの映画を
作ろうと考えたのか、観ている人は何を受け取れば良かったのか。

そこで、是枝監督のブログに長文の受賞における感想があったので、熟読してみた。
(以下は、監督の公式ブログ6月5日付「『invisble』という言葉を巡って」からの引用。引用順は監督が書かれた順番
とは一部異なっています。太字は当ブログ筆者)

『映画は何かを告発するとか、メッセージ伝えるための乗り物ではない』

なるほど。

「あくまで私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本は地域共同体が
壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる
家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の
状態になっている人たちである。これが物語の内側。
そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な
価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を
失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」は
そのような言葉と視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。」

「正直な話、ネットで『万引き家族』に関して作品を巡ってではなく飛び交っている言葉の多くは本質からは
かなり遠いと思いながら、やはりこの作品と監督である僕を現政権(とそれを支持している人々)の提示している
価値観との距離で否定しようとしたり、逆に擁護しようとしたりする状況というのは、映画だけでなく、この国を
覆っている「何か」を可視化するのには多少なりとも役立ったのではないかと皮肉ではなく思っている。
1本の映画がそんな役割を社会に対して果たせるなんて滅多にないことですから。」

「今回の『万引き家族』は喜怒哀楽の中でいうと〈怒〉の感情が中心にあったとプレスやパンフレットには書い
ている。だから余計に何かを告発した映画だと受け取られたのかもしれない。ただこの怒りというのは、例えば
マイケル・ムーアが『華氏911』でブッシュを、スパイク・リーが今回の新作の中で展開している(らしい。未見)
トランプを批判しているようなわかりやすいものではない。作品内にわかりやすく可視化されている監督の
メッセージなど正直大したものではないと僕は考えている。映像は監督の意図を超えて気付かない形で「映って
しまっている」ものの方がメッセージよりも遥かに豊かで本質的だということは実感として持っている。」
(引用終わり)

こうした監督の考えを踏まえると、鑑賞後に見えてくる世界がある。それはどうやら監督が初作から一貫して
持っている映画づくりに通底している考えのようであり、それは今後も不変のようである。(次作はフランス人女優を
使ってフランスで撮影する家族の話らしい)

「社会から落ちこぼれ、隠れてしまっている人々の生活を映画により可視化し、社会に投げてみる」、ごくごく単純に
言ってしまうとそのようなことになるのではないか。家族(のようなもの)の主人、治は日雇い。しかし現場で足に
怪我を負い、暫く働けなくなる。以前の夫を「痴情のもつれ」から「正当防衛で」殺してしまった治の妻信代は
クリーニング店のパートとして働いている。信代の妹亜紀は、風俗で働く。それだけでは食っていけないので治の
母初枝の年金を当てにし、それでも足りない部分は治と、信代がどこからか拾ってきた(のか奪ってきてのか)祥太が
万引きして暮らしている。

映画の前3分の2は、家族にさらに「ゆり」という女の子が加わり、初枝が亡くなるくらいまで、この家族が日々
どういう暮らしをしているかの提示に費やされる。そして残り3分の1は、祥太が起こした事件で家族がバラバラに
なっていき、それぞれの警察署での事情聴取を正面から切り取った画面と独白で、家族ややってきたことについて語って
いく、という構成。その後について何かの暗示があるわけではないのでオープンエンドということになる。
(祥太少年に少しの望みを見出すことは出来るが)

この映画は様々な批評家も指摘している通り、家族の誰を主人公にして見るかにより、見方が変わる。主人、治
なのか、祥太なのか、初枝なのか、それとも妻信代であるか。映画を見る多くの人からすれば、自堕落で犯罪に手を
染め、勝手に?人をさらってきて、学校へも行かせず、万引きを教える家族を観て、また一番の金づるである母初枝の
急死にあっては、火葬代をケチり、年金を黙って貰い続けるために、家の床下に遺体を埋める、そうした「家族のような
もの」は「犯罪グループ」と(母初枝さえパチンコ屋で他人の玉をくすねてほくそ笑む)しか映らないかもしれない。
私が違和感を感じたのもその辺りにあるのかもしれない。

しかし、監督は彼らが罪を犯しているとかそうでないとか、断罪をすべきかどうか、とかを問題としているわけでは
なく、こうした生き方しか出来ない社会から無視された人々を、ある視座から見つめたものに過ぎないのだろう。
万引きや遺体を家の床に埋めることは犯罪であるから、許されることではない反社会的な所業だ。もちろん誰かの
子どもを黙って持ち帰ることも。ただ、取り調べで信代は言う「棄ててあったのを拾ってきただけ。棄てた人がいた
んですよ」と。しかし、祥太には「お前を拾ったのは、○○の〇〇スーパーの前で、習志野ナンバーのヴィッツだった。
今から父さん母さんを調べる事はできるよ」と白状するのだ。最後に家族に加わった「ゆり」は実の父母のDVから
逃れてきたのだが、治らの家族が崩壊するに及び本来の両親のもとに戻されるのだ。しかし、マスコミの前では神妙な
母のDVが再び待っていたのだった。

「なにが家族か」「家族とはなにか」「底辺で看過できない所業をして生きている人をどうみるのか」。
一番クリアだったのは、祥太が家族離散のきっかけを作る「わざとやる万引き」。彼が「ゆり」を連れて近くの
駄菓子屋で万引きをさせるのだが、駄菓子屋の親父(柄本明)から「妹にはやらせるなよ」と言われる。知っていたのだ、
親父は。
これがきっかけとなり、祥太はワザと万引きをして捕まる。高いところから飛び降り足の骨を折ってしまう。当然警察
沙汰になり父母が呼ばれる。そこから一家にほつれが出てきて母信代は逮捕される。

本作は監督の目論見通り、監督の「可視化される監督のメッセージなんて大したことはないと思っている」ように
映画は完成し、結果論として監督も認めている通り、今の日本の社会の何か(見えていない人々)を可視化できたのだ。
その物語るものは極めて饒舌なのかもしれない。

さて、演者たち。家族の演技が(セリフが)非常にナチュラルで、作り物感がなくドキュメンタリーを観ている
ような感じ。それはこの前に観た「レディ・バード」でも感じたこと。特に安藤サクラが物凄い。彼女はテレビに出ないが、
その役者としての心構えが映画の中で生きている。特にラスト近く取調室での髪を掻き上げながらの涙は、圧巻だ。
かつて殺人を犯したとかの身ではあるが、その心根は優しく全うであり、彼女を今の暮らしに追いやったものは何か、と
グイグイ投げかけてくる。
そして樹木希林の怪演ともいうべき芝居。

監督は本作において、役者からの意見も納得がいけば取り入れ、それが成功したと語っているが、演技には相当その場の
雰囲気でのアドリブのセリフが入っていると思う。それが出来るのは、自分の演技に自信と演出意図の理解がなければ
出来ないこと。そうした意味でいうと、子役まで含め、この「家族のようなもの」を形作った役者連は、素晴らしいという
他はない。
末筆になったが、細野晴臣の音楽もいい。特にエンドロールに乗る音楽は本作の雰囲気をよく捉えていると感じた。

評価を(暫定)としたのは、今の時点で本作の価値を自分ではまだキチンと捉えきれてないのではないか、と思うからだ。
二度三度見るうちに、それは固まって来るのかもしれない。パルムドール受賞で鑑賞者が増えることはいいことだけど、
評価は分かれると思う。おそらくネット上は絶賛の嵐だろうけど、私は、もう少し距離を置いてこの映画のことを考えて
みたいと思っている。一回目では「こういう形でしか生きていけない家族のような集団に対する監督の愛情」みたいな
ものは感じ取ることは出来た。
e0040938_13175007.jpeg
<ストーリー>
第71回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた、是枝裕和監督による人間ドラマ。祖母の年金を頼りに、
足りないものを万引きで賄っている一家が、ひとりの少女を迎え入れたのを機にバラバラになっていくさまが
つづられる。一家の主をリリー・フランキー、その妻を安藤サクラが演じるなど、個性派たちの熱演が物語を
より一層味わい深いものにしている。

再開発が進む東京の下町のなか、ポツンと残された古い住宅街に暮らす一家。日雇い労働者の父・治(リリー・
フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は、生活のために“親子”ならではの連係プレーで万引きに励んでいた。
その帰り、団地のベランダで凍えている幼い女の子を見つける。思わず家に連れて帰ってきた治に、妻・信代
(安藤サクラ)は腹を立てるが、ゆり(佐々木みゆ)の体が傷だらけなことから境遇を察し、面倒を見ることに
する。
祖母・初枝(樹木希林)の年金を頼りに暮らす一家は、JK見学店でバイトをしている信代の妹・亜紀(松岡茉優)、
新しい家族のゆりも加わり、貧しいながらも幸せに暮らしていたが……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audience Score:100%>
※Rotten Tomatoesは母数が少なく正しい評価とは現時点ではいえない






by jazzyoba0083 | 2018-06-08 14:15 | 邦画・新作 | Trackback | Comments(0)

レディ・バード Lady Bird

●「レディ・バード Lady Bird」
2017 アメリカ Scott Rudin Productions and more. 94min.
監督・脚本:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ他
e0040938_14175809.jpeg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
今年のアカデミー賞の主要部門にノミネートされ、俄然話題沸騰の本作。女優グレタ・ガーウィグが
初めて本格的にメガフォンを取り、脚本もものした青春ドラマだ。もともと脚本とか演出に興味があった
彼女だが、今回はいわゆる「私小説」っぽい自分の体験を自伝的に映像化したもの。本作の次に何を作るのか
大変興味深いものがある。主演は本作でオスカー主演女優賞にノミネートされたシアーシャ・ローナン。
彼女のキャスティングもこの映画の大きな収穫だ。彼女もいずれ近い内に必ずやオスカーを獲る女優さんに
なるだろう。(ゴールデングローブでは作品賞と主演女優賞は獲った)

物語としてはそう驚く話ではなく、カリフォルニア州の州都サクラメントのカソリック系女学校に通う
3年生。青春ものの常道として、両親との対立、体制への反発、セックスやドラッグへの興味、親友や
友人たちとの心の駆け引き、プロムなど、誰もが通る(日本ではドラッグは通らないけど)「青春の関門」を
自分を「レディバード」と呼ばせる女性が通解していく過程を、みずみずしいタッチで描いている。

この「瑞々しい」というセリフ、映画を評する時にとても便利な単語であるのだが、とても抽象的だ。
この映画を観ている人はレデイバードの日々の暮らしや変化を、あたかもガラス張りのこちらから眺めて
いるような自然な、どこかドキュメンタリーを観ているような感覚で受け止めることが出来る。
そこには作り物としての不自然さはなく、アドリブを使った映画に興味がある監督の演出らしく、極めて
ナチュラルに観客の心に入ってくる。だが観客がレディバードから何か教訓的なものを受け取ろうとすると
それは叶わないかもしれない。最後もカットアウトのように終わっていくし、レディバードの感性を共有する
ひとときを持てればそれで満足出来る映画なのではないだろうか。少女が大人の女性として羽ばたく過程を。

規律の厳しいカソリック系の学校で反発をしたり先生にイタズラしたりするのだが、レディバードは基本的には
きちんとしたいい子だ。サクラメントなんて田舎、カリフォルニアは嫌い、と(これも青春の特徴)東部の
大学への入学を志し、母親には内緒に、父親からは推薦状などで世話になり、(レディバードは父親は失業、
母は病院看護師、養子の兄とその恋人の二人を抱え、お金はない。ニューヨークに行くにしても奨学金を貰いかつ
バイトもしなくてはならないだろう。理解する父、娘を地元に置いておきたい母(それはエゴでもなんでもない
単純な母の愛情ではあるのだが)。そしてレディバードは東部の大学に補欠で合格する。でも地元のUCLA
デイヴィス校に行くということにしてある・・・。

一方性に関する知識欲も旺盛でボーイフレンドが出来るが、彼がゲイ(実際はバイだと思うけど)であることが
分かり、落ち込む。その後に出会った男の子は童貞だ、といいつつレディバードのバージンを頂いちゃうわけだが、
実は6人くらいの経験を済ませたヤツで、そうしたふしだらな男にも幻滅・・。
さらに親友の女生徒とのあれこれも描かれていくが、レディバードは強く生き抜いていく。ヒリヒリするような
青春の時間を彼女は確実に羽ばたきのエンジンと燃料としているのだなあ、と観ていて思った。
演技をしているなあ、という感じがごく薄い映画であり、他の共演者の演技も上手いので、観客は演者たちの
感情がストレートに伝わってくる。そこがこの映画の魅力であり、「瑞々しい」と形容出来る内容に仕上がったの
ではないか。まるで「レディバード=てんとう虫」の小さな羽ばたきのように!

ラスト、ニューヨークでボーイフレンドが出来るのだが、かれがサクラメントがどこにあるのか知らない。アメリカって
そんなものなのだろうなあ。94分間という無理のない時間だが、切れ目ない話題がゴチャ着くことなく並び、見やすい。
とてもいい映画を観た。
e0040938_14180619.png
<ストーリー>
片田舎のカトリック系高校からニューヨークの大学を目指す17歳の少女の揺れ動く心情を繊細に描き、
第75回ゴールデン・グローブ賞で監督賞など2冠に輝いた青春ドラマ。『20センチュリー・ウーマン』の
個性派女優グレタ・ガーウィグが自伝的なエピソードを織り込み単独での監督に初挑戦。主演は若手実力派
として注目されるシアーシャ・ローナン。

2002年、カリフォルニア州サクラメント。高校生活最後の年を迎え、東部の大学に行きたいクリスティン
(シアーシャ・ローナン)は、地元の大学に行かせたい母(ローリー・メトカーフ)と大ゲンカに。
クリスティンは癇癪を起して走っている車から飛び降り、右腕を骨折する。
失業中の父ラリー(トレイシー・レッツ)、看護師の母マリオン、スーパーで働く養子の兄ミゲルと
その恋人シェリーの5人暮らしのクリスティンは、自分を“レディ・バード”と名付けて周りにも呼ばせている。

親友ジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)と一緒に受けたミュージカルのオーディションで、ダニー
(ルーカス・ヘッジズ)と出会う。ダニーと高校のダンス・パーティーでキスをするが、帰宅して母に叱られ、
また衝突する。それでも恋は順調で、感謝祭には彼の祖母の家に招待される。夜はそのまま、ダニーや
ジュリーたちとクールなバンドのライブに行く。帰宅すると、寂しかったと母に告げられる。ミュージカルは
成功を収めるが、アフター・パーティーでダニーが男子とキスしているのを見つけ、彼と別れる。

一方、東部の大学に入るための助成金の申請書を母に内緒で父に頼む。年が明け、アルバイトを始めた
カフェにダニーたちと見た
バンドの美少年カイル(ティモシー・シャラメ)がやってくる。彼とまた会う約束をしたクリスティンは、
学校ではカイルと同じ人気者グループのジェナとつるむようになり、ジュリーと疎遠になる。ある日、
ジェナの家のパーティーでカイルとキスした後、母に「初めてセックスするのって、普通は何歳?」と尋ねる。
ところが母の意見も聞かず、カイルとすぐに初体験を済ませるが、彼の言葉で傷つき、母が迎えに来た途端
泣き出してしまう。
その後、東部の大学からの不合格通知の中に一通だけ補欠合格があったが、まだ母には言えなかった。
高校卒業が近づき、プロムのドレスを選びながら、再び母とぶつかり合う。自分の将来について、
クリスティンが出した答えとは……。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:99% Audience Score:79% >




by jazzyoba0083 | 2018-06-06 16:00 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「パトリオット・デイ Patriots Day」
2016 アメリカ CBS Films and more.133min.
監督・(共同)原案・脚本:ビーター・バーグ
出演:マーク・ウォルバーグ、ケヴィン・ベーコン、ジョン・グッドマン、J・K・シモンズ、ミシェル・モナハン他
e0040938_15301695.jpg
<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
2013年4月15日のボストン・マラソンでの爆弾テロ事件は記憶に新しい。本作は、この事件をベースに7割を実話、
3割を創作で作り上げた、ドキュメンタリー風ドラマだ。マラソンの日は合衆国のマサチューセッツ、メイン、
ウィスコンシンの3州で独立戦争緒戦の戦捷を記念して「愛国者の日」と定めており、当マラソン大会もその日に
開催される。毎年4月第三月曜日だ。映画のタイトルは、この日の名前と、まさに爆弾テロに立ち向かう、あるいは
被害に遭ってもそれに負けずに人生に立ち向かう「英雄」たちを掛けている。

さて、この事件はまだ記憶に新しく、犯人逮捕にいたる経過も仔細ではないが、概要は覚えているので興味深く、かつ
緊張感を引っ張る構成が上手くて最後まで(最後は実際の人物のインタビューが出てくるなど、ドキュメンタリーと
なっているが)ドキドキしながら観ることが出来た。それにしてもマーク・ウォルバーグ、このところ立て続けに観て
いる。

何か国難のような事件や戦争が起きると、アメリカという国は人種や宗教を超えて一致団結する傾向があり、9.11の時も
そうだったし、この事件の時も、愛国者だらけとなる。本国での公開ではおそらく拍手が起きるような映画だろうし、
評価も高い。それが悪いとは言わないが、犯人の兄弟の背景は狂信的なムスリムとして描かれ、その背景はオミット
される。

主犯格は死亡しているので、本当はどうなのかは分からない。彼らのセリフに「9.11は政府が仕掛けた芝居であり、
目撃者はみんな俳優だ。お前らはマスコミに騙されている」と語るが、実際にそう信じていたとすれば、イスラムの信条、
ムジャヒディンとしての戦いというのではなく、彼らこそ洗脳された狂信者と言わねばなるまい。また、FBIの
特別捜査官(ケヴィン・ベーコン=渋くて良かったけど)が、初動で、この事件がテロであるかどうかにも慎重で
あったり、防犯カメラから特定されかかった犯人の写真を公開することを知事や市長、県警本部長らが主張するなか、
「もし犯人でなかったらイスラムを敵に回すことになり、一大事だ」と慎重となる。
それは観ている方は一方の救いではあるが、どこか作品中の免罪符臭い感じがした。

殺人課の刑事であるが、チョンボをやって現場のパトロール警官の仕事をさせられるマーク・ウォルバーグは、実際の
警官3人をまとめてキャラクターを作り出したという架空の人物。だが、地元に詳しい彼が防犯カメラから犯人に迫る
映像を見つけ出す。

次第に自分たちの周辺に操作の手が伸びてきたことを感じた兄弟は、中華系の男のベンツのSUVを乗っ取って、
圧力鍋爆弾を積んでニューヨークでの新たなテロを目指して東上するが、人質になった中華系の男がガソリンスタンドで
給油中に逃亡し、それから犯人と警察の大追跡劇が展開される。追い詰められた兄弟は発砲し、爆弾を投げまるで
戦争のような光景が展開する。ここがアクションとしての最大の見所。ほんとにこんなに爆弾を投げて、戦争のような
ことがあったのかな。脚色された感じはするが、迫力は物凄かった。

地元警察、FBI、州兵らの苦闘、テロに巻き込まれて足を失った人を冒頭から伏線として入れて、構成し、後半20分位は
彼らがテロ後のマラソン大会に義足で出場し完走するシーン、フェンウェイボールパークで開催されたレッドソックスと
市民と警察のイベントなども実写で見せ、主要演者たちが努めた実在の知事、市長、市警幹部、FBI特別捜査官、犠牲者
らが実名で登場し、インタビューでこの事件の意義などを語る。

マーク・ウォルバーグが先輩の警官に語るセリフで「愛の力だけが勝つ」というのだが、まあ、これがこの映画の主張
と見ていいだろう。この映画を観た人は、登場人物らの勇気と愛情と愛国精神、不屈のアメリカ魂を追体験するのは
誠に結構だし、無辜の市民が足を吹き飛ばれつつ、負けない人生を歩むのシーンは心打たれる。それは素晴らしいことだ
と思う。一方でその背後にあるアメリカがこれまで世界中でやって来た、決して自慢できない行為の数々にも思いを
致してみるべきだろう。そういうバランス感覚を日本人には持ってもらいたいものだ。

因みにマラソンシーンは実際に行われた後年のマラソン大会に協力を求めた他、爆発シーンの再現には完璧なセットを
作り、床のタイルも実際のものを使い、ガムのシミすら忠実に再現したという。そのプロダクションデザインの苦労は、
映画の質を上げるものとして大いに評価されるべき。
e0040938_15310215.jpg
<ストーリー>
2013年に起きたボストンマラソン爆弾テロ事件の裏側に迫る実録サスペンス。犯人逮捕に挑むボストン警察殺人課の
刑事の目を通して、事件解決までの過程が生々しく描かれる。刑事のトミーをマーク・ウォールバーグが演じ、
『バーニング・オーシャン』など3度目のタッグとなるピーター・バーグ監督による息詰まるドラマを盛り立てる。

2013年4月15日。殺人課の刑事トミー(マーク・ウォールバーグ)は、朝からボストンマラソンの警備に駆り出され
ていた。オリンピックの次に歴史の古いこのマラソン大会は、毎年祝日である「パトリオット・デイ(愛国者の日)」
に開催され、117回目を迎えるこの日も50万人の観衆で賑わっていた。
そんななか、次々と走者がゴールし、最高潮の盛り上がりの最中、トミーの背後で突如大爆発が発生。歓声は悲鳴に
変わり、煙が立ち込める中に血を流した負傷者たちが折り重なって倒れていた。トミーらボストン警察の面々は
事態が飲み込めないまま救護活動を開始。
やがて到着したFBI捜査官リック(ケヴィン・ベーコン)が現場を慎重に観察すると「これはテロだ」と断定。
管轄はFBIへ移るが、犯人に対する怒りが沸々と湧き上がっていたトミーは、病院を回って負傷者たちの話を丁寧に
聞いてまわるのだった。9.11同時多発テロ以降の事件にアメリカは震撼、爆発時の映像はまたたく間に世界中に
配信される。やがて監視カメラに映る不審な“黒い帽子の男”と“白い帽子の男”が容疑者として浮上する……。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:80 Audience Score:87%>





by jazzyoba0083 | 2018-06-05 23:20 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「シャロン・ストーン バースデー狂騒曲 All I Wish(A Little Something for Your Birthday)」
2017 アメリカ ETA Films,MRB Productions. 95min.
監督・脚本:スーザン・ウォルター
出演:シャロン・ストーン、トニー・ゴールドウィン、ファムケ・ヤンセン、エレン・バースティン他
e0040938_16190058.jpg
<評価:★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
出演者からしてB級臭プンプン。シャロン・ストーン、久しぶりに観たなあ。御年60歳。それにしては
キュートな役柄をそこそこ上手く演じていた。ビキニもご披露されていたし。体鍛えてあるな。
このところ息が詰まるような映画が多かったのでWOWOWで放映された本作を、寝転びながら観てみた。
(日本劇場未公開)

主人公のファッションデザイナー、セナ(シャロン)の46歳の誕生日からの数年間を誕生日ごとに
(53歳まで)切り取って何か変化が起きているかを見せる構成は、短い作品ではあるがテンポを
キープする効果としてはまずまずいい感じ。ただ、それに伴う内容が少々イタい。毎年最初に祝って
くれるのが母親(エレン・バースティン)で、彼女が「人生訓」的な存在。娘を理解し、毎年気の
利いたプレゼントをくれる。
イタいデザインしかできず勤めていたブティックをクビになったり、毎年友人が開催して
くれるサプライズパーテイーもだんだん乗れなくなってきた。
そんな折に親友の根回しでボストンの弁護士アダム(トニー)と出会う。惹かれ合う二人だが、
結婚したいアダムと自由でいたいセナとの間に次第に寒い風が吹き始める。ついにはアダムは怒って
ボストンに帰り、新しいガールフレンドを見つける。

結局セナとアダムの愛は運命的であり、二人は再びくっつくことなり、かつセナはデザイナーとして
遅ればせながら成功、パリに店舗を移し活動を始める。ずいぶんと遅いデビューであったが、名声と
(富も)最愛の人をゲットし、めでたしめでたし、というお話だ。

新手のアメリカンドリームということも出来るが、母の金で自分のブティック開店とかも含め、
結末がどうもご都合主義に感じられる。そこに持っていくための全編かよ、という。
セナもずいぶんと自己中だったし、母親やアダムをはじめ友人たちに支えられ(こんなに良い状況に
なることはあまりないよね)遅咲きの成功を勝ち取れたわけだ。チャレンジに遅すぎることはない、
というけど、心底成功したセナに共感できない自分がいるのだった。
まあ、そう目くじら立てずに気楽に観ようよ、とい映画なんだろうなあ。
e0040938_16191173.jpg
<ストーリー>
「氷の微笑」などで一世を風靡した美人女優S・ストーンが新境地に挑むロマンティックコメディ。
大人になれない女性ファッションデザイナーの数年にわたる各誕生日を描く。

ロサンゼルス。46歳の誕生日を迎えた独身女性セナはファッションデザイナーとしての自立を
目指すが、勤務先のブティックを解雇されて大ショック。その夜、友人たちがサプライズ
パーティーで誕生日を祝ってくれるが気は晴れず、向かったバーで弁護士アダムと出会う。

それから数年間の誕生日、セナはアダムと出会っては彼との関係を発展させていくがデザイナーの
仕事は失敗続きで、アダムとの真剣な交際になかなか踏み切れず……。(WOWOW)

<IMDb=★5.3>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:16% Audience Score:53%>



by jazzyoba0083 | 2018-06-04 22:40 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「デッドプール 2 Deadpool 2」
2017 アメリカ Marvel Entertainment,20th Century Fox and more.120min.
監督:デヴィッド・リーチ
出演:ライアン・レイノルズ、ジョシュ・ブローリン、モリーナ・バッカリン、ジュリアン・デニソン、ザジー・ビーツ他
e0040938_22080507.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
一作目をWOWOWで観て、こういうMARVELもあるのか、とその面白さに感激し、続編が作られるというので
楽しみにしていた。公開早々いそいそとシネコンに。今回も面白かった!笑った!

「おふざけ指数」は一作目を上回る。他の映画やヒーローをおちょくったり、ヒーローがカメラ目線で監督や客に
語りかけたり。だいたい、冒頭のスタッフクレジットからして、真面目ではない。実際の名前を挙げず、ジョーク
一杯だ。例えば、監督は「『ジョン・ウィックで犬を殺したヤツ』とかいう感じ。
アクションがかなり過激なので、バランスを取っているのだろうが、かなり大人向けのMARVEL作品(R指定)。
また、1作目で、主人公がなぜあのような容貌になったのかとか、今回、悲劇的な結末となるヴァネッサとの
関係などが語られているので、観ていないとわからない部分はある。観ているひとは、面白さが倍加される。

さて、CG満載のMARVEL作品、つい最近までは、大量に出演者を出したり、ありえない組み合わせの対決を
したりとそのストーリー性に不満があったのだが、最近はシンプルさが戻ってきて、物語性の重要視と分かり
やすさが心がけられていると思われ、その点は少し安心ではある。が、本作でも恒例の自作に関する予告みたいな
ものがあるわけだが、本作で「Xフォース」なる超能力集団を作ったデッドプール、XーMENたちとの乗り入れが
気になるところ。彼の独特の「おふざけ」が他のXーMENたちとどう融合するのか、いささか心配でもある。
まあ、アヴェンジャーズがガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとコラボしたことを思うと、正々堂々とやって
くるだろと推測は簡単だろうけど。

今回のデッドプールの物語上の肝は、ヴァネッサの悲劇と未来からやってきたケーブル(ブローリン)という超人、
また彼が抹殺しようとするミュータントの少年ファイヤフィストことラッセルの存在。そしてデッドプールが
ケーブルに対抗すべく集める「Xフォース」という集団。(この中の”バニッシャー”という常に見えていない超人が
実はブラッド・ピットで、ワンカットだけ顔が出てくる)また、公募した「Xフォース」のあっけない末期も
見どころだ。ww
1作目の単純さからすると、登場人物も増えて、話が複雑になりかかっているが、現段階ではまだまだ単純な範疇に
はいる。デッドプール自身が他のMARVELのヒーローや特にミュータント系のXーMENを意識しているので、彼らに
まつわるセリフが多く出てくる。また様々な映画のオマージュも含まれていて、それらがこの映画の魅力の一つでも
あるので、字幕や、ストーリー進行上の工夫を見逃さないことだ。
主役を務めるライアン・レイノルズはプロデューサーと脚本にもタッチしているところを見ると、このキャラクターが
相当気に入っていると見える。

さて、おふざけ度が高いとはいえ、ヒーロー物ではあるので、物語として語らんとしている点はしっかりと感じ取って
やるべきだろう。町山智浩氏も指摘しているように、デッドプールが最後にまとめて語っているのだが、この映画から
受け取れることは「多様性に対する寛容」であり「暴力の否定」(かなり無理があるけど)であり、「友情や愛情への
信頼」であるのだ。おバカ度が高いこそ、逆に人間性に訴える部分がクローズアップして感じられるのは他のMARVEL
群とちょっと違う点であると感じるのだ。

上半身と下半身が真っ二つに裂けてしまっても死なないデッドプール、(足の再生シーンは笑える)MARVELの中でも
お気に入りのキャラクターであるので、ぜひ次作も、洗練されたおバカ度の向上と、わかりやすくシンプルな
ストーリーを期待したい。ラストの予告カットを見ると、どうやら時制をコントロールする道具がキーになりそうな
感じがする。
e0040938_22083535.jpg
<ストーリー>
マーベルの中でも異色ヒーローとして人気のデッドプールの活躍を描くアクションの第2弾。未来からやってきた
マシーン人間ケーブルからミュータントの少年ラッセルを守るため、デッドプールが特殊能力を持つ仲間と共に
戦いを挑む。前作に引き続き、X-MENのメンバーが登場するほか、デッドプールにひけをとらない強烈キャラクターも。

最愛の恋人ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)を取り戻し、お気楽な日々を過ごすデッドプール(ライアン・
レイノルズ)。そんな彼の前に未来から来たマッチョな機械人間ケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れ、謎の力を
秘めた少年の命を狙う。
ヴァネッサの希望もあり少年を守ることにしたデッドプールは、ケーブルに立ち向かうため、仲間を集めることに。
特殊能力を持つ者たちとスペシャルチーム『エックス・フォース』を結成するが……。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:83% Audience Score:86%>





by jazzyoba0083 | 2018-06-02 16:20 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)