●「LBJ ケネディの遺志を継いだ男」
2016  アメリカ Castle Rock Entertainment and more. 96min.
監督:ロブ・ライナー
出演:ウディ・ハレルソン、マイケイル・スタール=デヴィッド、リチャード・ジェンキンス、ビル・プルマン、ジェフリー・ドノヴァン他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
JFK暗殺を受けて急遽アメリカ第36代目大統領に昇格した男、ベトナム戦争を泥沼化させた男、といった割と
ステレオタイプの人間像として知られるリンドン・ジョンソンだが、実は、「公民権」に関する法制化に
ついては、ケネディの遺志を次いで、南部の実力政治家を説き伏せて実現させたことは意外と知られていない。

民主党院内総務まで努め、議会でも信頼感のあったジョンソンだが、大統領指名選挙では若きセンセーショナルな
JFKに負けてしまう。ケネディの弟ロバートとは仲が悪く(この下りは映画にも描かれる)JFKが大統領在任中は
南部を抑える影のような存在に終始し、印象が薄かったのだ。そんなジョンソンがJFK暗殺という大事件で
自分の意志とは関係のないところで大統領に付き、ケネディ人気のプレッシャーや、引き継いだ政策の実現に苦労する
模様が描かれる。

「スタンド・バイ・ミー」のロブ・ライナーはなぜ今この映画を撮ったのだろうか。今リンドン・ジョンソンに
光を当てることが何か意味があったのだろうか。あるいは彼がずっと温めていた素材だったのだろうか。
ジョンソンの苦悩を通して「公民権法」に焦点を当てたかったのだろうか。

映画は派手さもなく、事実に従って粛々と進む。ジョンソンは南部出身で、JFKには南部の抑えとして副大統領に
起用された部分、院内総務として議会にある程度の押さえが効くことなど、ケネデイ側の戦略に従っての起用で
あった部分が描かれ、(そうした中でロバート・ケネディのジョンソン嫌いが出てくる)そしてケネディ暗殺を
キッカケにしたジョンソンの苦悩、反人権派の南部議員との交渉、などジョンソン個人の苦悩が描かれていく。

やはりハイライトとして取り上げられるのは南部の実力者を抑えて公民権に関する法律を成立させたことだ。
一方で彼はベトナム戦争を泥沼化させた人物としての低い評価もあるのだが、それはオミットされている。
ともかく、JFK暗殺、政権からのロバートの離脱、公民権法を成立させたことに焦点が当たり、そこから
リンドン・ジョンソンの人間性をあぶり出そうとしたのだろう。だが、時間も短く、一点突破としては
あの時代のケネディ~ジョンソン時代の政治的状況を描き出すことは物足りない。むしろ誤解を生む恐れさえ
あるかもしれない。

ジョンソンを演じたウディ・ハレルソンは悩ましい男の一時期を上手く演じていたとは思うが、印象に
深く残るほどでもなく、全体として「普通」の作品となったといえよう。
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<ストーリー>
暗殺されたケネディの後を継ぎ、第36代アメリカ大統領に就任したジョンソンの知られざる一面にスポットを
当てたドラマ。大統領予備選挙でケネディに敗れ、副大統領に就任したジョンソンだったが、その職務が国政の
蚊帳の外に置かれていることに気付く……。
主演は「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」のウディ・ハレルソン。メガホンを取ったのは「スタンド・
バイ・ミー」のロブ・ライナー。

民主党の院内総務として精力的に活動していたリンドン・B・ジョンソン(ウディ・ハレルソン)は、1960年の
大統領予備選挙でライバルの上院議員ジョン・F・ケネディ(ジェフリー・ドノヴァン)に敗北。
党の大統領候補に選出されたケネディの副大統領候補になることに同意する。だが、ケネディの大統領就任後、
副大統領の執務が国政の蚊帳の外に置かれていることに気付く。

その運命が一変したのは、1963年11月22日。ケネディが暗殺されたことで、ジョンソンは突如、第36代アメリカ
大統領に就任することになったのだ。国民がケネディの死を嘆く中、ケネディの遺志を尊重して公民権法支持を
表明するジョンソン。だがこれを機に、長い間敵対していた司法長官のロバート・F・ケネディ
(マイケル・スタール=デヴィッド)ばかりでなく、師弟関係にあるジョージア州の上院議員リチャード・ラッセル
(リチャード・ジェンキンス)とも争うことに……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:57% Audience Score:56%>
<KINENOTE=75.3点>





by jazzyoba0083 | 2018-09-27 23:55 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「告発のとき In the Vallery of Elah」(名画再見シリーズ)
2007 アメリカ Warner Independent Pictures. 121min
監督・脚本・(共同)製作・原案:ポール・ハギス
出演:トミー・リー・ジョーンズ、シャーリーズ・セロン、スーザン・サランドン、ジョナサン・タッカー、ジェームズ・フランコ、
   ジョシュ・ブローリン、フランシス・フィッシャー、ジェイソン・パトリック他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
このところ、映画館に行きたい映画がないので、家で過去の気になる作品を観ている。本作は「名画」というには
ややこぶりであるが、好みであるポール・ハギスの作品で、派手さはないけど、好きな一遍だ。

2009年に初見。その時の感想は下記のリンクをお読みいだだけると幸甚だが、今回見た感想と殆ど変わらない。

製作された年代を考えると、イラクの闘いが泥沼化してきて、アメリカの欺瞞が明らかになり、派兵される
兵士は疲弊し、帰国後もPTSDを発症するなど大きな社会問題になっていた。そうした現場や帰国後の兵士の
苦悩を描いた作品はその後たくさん作られ、今も作られ続けている。
あの戦争が、いかに「国民を欺いた無益な闘い」で、戦場では以下に非人間的な闘いが繰り広げられていたか、
を映画の世界で告発し続けている。

最近の作品で印象深かったのは「ハート・ロッカー」「アメリカン・スナイパー」「アイ・イン・ザ・スカイ 
世界一安全な戦場」などであろうか。

本作では、戦場から一時帰国後の息子が休暇を過ぎても部隊に戻らず、やがて無残な遺体となって発見される、
という事件を中心に、誰が殺したか、なぜ殺したか、を、元軍警察軍曹で父親のトミー・リー・ジョーンズが
明かしていく。(明らかになっていく)これに陰ながら協力するのが地元警察の刑事シャーリーズ・セロンで
ある。

物語に派手さはない。むしろ、イラクの戦闘シーンしても、抑制された作劇により、むしろ「戦争の狂気」が
あぶり出される構造になってくる。ハギスといえばオスカーを獲った「クラッシュ」が最高作と思っている
私だが、それに通底する製作的精神構造を感じる。

「狂気は内に向かう」そして「怒りは外に向かう」それぞれの扱い方が、ハギス自身の脚本で上手く
描かれていて、「静かな進行」(銃声一つ聞こえない)が続く。父であるトミー・リー・ジョーンズが息子の
死を調べれば調べるほどに、この戦争の現場で行われている軍務の狂気、そして担当する兵士たちの精神の崩壊が
じわじわと迫ってくる。息子の兵士仲間、警察、軍、そして家族、それぞれの「イラク戦争」の関連性を上手く
まとめて物語ることで、この戦争を告発しているのだ。長男も既に戦死し、加えて次男も殺される、という事態に
その父母の怒り、疑問を観ている人は共有することが出来るだろう。

原題の由来は初見の時のブログを参照してもらいたいが、映画全体のメタファーの役割を担っているといえる。
そうして見ると、邦題のイージーさからは、何のインパクトもない

ストーリーについても初見のブログを参照頂けると幸甚だ。
2009年に初めてみたのだが、アメリカの現状は10年ほど経ってもなんら改善されていない。トランプになって
からその狂気は上積みされたさえいえるだろう。

初見の時は映画評論サイトの採点を書いていなかったので、下記に記す。
<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:73% Audience Score:77% >
<KINENOTE=71.0点>

実際に戦争を行ったアメリカでの評価と肌身で分からない日本では捉え方にずれや受け止めの温度差が出ることは
いたしかたのないことだ。

by jazzyoba0083 | 2018-09-27 11:54 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「ダイ・ハード Die Hard」(名画再見シリーズ)
1988 アメリカ Twentieth Century Fox.131min.
監督:ジョン・マクティアナン 撮影:ヤン・デ・ボン 原作:ロデリック・ソープ「Nothing Lasts Forever」
出演:ブルース・ウィリス、アラン・リックマン、ボニー・ベデリア、アレクサンダー・ゴドノフ、レジナルド・ヴェルジョンソン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
1970年台中頃から、「ロッキー」、「ジョーズ」「スター・ウォーズ」などの登場により、それまでのサブカル的
文化に裏打ちされた「アメリカン・ニューシネマ」の時代が終わり、「努力は報いられる」「正義は勝つ」「恋愛は
成就する」という以前のハリウッドの映画語法に先祖返りした作品が作られ、家族で見られる、娯楽の王道としての
映画が復活してきた。そうした中の一つの傾向として「ロッキー」のスタローンに見られるように肉体の優位さを
「正義のありようの一形態」として見せつける、「筋肉は裏切らない系」の作品も次々と作られた。それらに出演
していたのがシュワルツネッガーであり、スタローンであった。その系譜に本作も位置すると言っていいのではないか。

「ランボー」シリーズや、「ターミネーター」シリーズも1980年代前半にシリーズがスタートしている。
本作がそれらと異なるのは、特殊なマッチョではない、ということだ。自らの筋肉で隘路を打開していくのは同じだが、
人物的には「世界で一番ついていない男」と云われる、ニューヨーク市警の殺人課の刑事であるにすぎないが、その
スーパーマンぶりは、はやり普通ではない。(物語の設定や進行内容もそうとう荒唐無稽ではあるが)
同時期に登場する「リーサル・ウェポン」シリーズ、本作の4年前に封切られた「ビバリーヒルズ・コップ」などと
比較するとやはり「筋肉系」というところで一つ線が引かれる。

そう考えると本作は、独自の立ち位置を主張した、近年の刑事映画の中でも出色な作品ということが出来るであろう。
その後続編も作られたが、やはり初作の印象が一番強い。(ついてないのはいつも一緒だが)

それは「普通の刑事が、自らの手ひとつでなんとか状況を打開していく一方、見守る仲間の黒人警官とのやりとりが
加点となり、さらに、アラン・リックマンやアレクサンダー・ゴドノフ演じる悪役のしぶとさが魅力」となっている。
加えて、状況をわきまえないテレビクルー、上から目線の市警本部、さらにその上から目線のFBIといった権力側には
ラストに向かって、観客の溜飲を下げさせる役割(道化)を演じさせる。

この映画で有名なのは割れたガラスの上を裸足で走って足が血だらけになるにもかかわらず、奮闘するマクレーン刑事の
姿なのだが、なぜ裸足だったのかの伏線は開巻のシーンに埋め込まれている、という念の入れよう。

正義は苦労するけど、最後には勝ち、愛は復活し、友情は守られ、悪は徹底的に悪いのだが最後には滅び、警察上層部や
マスコミは嘲笑される、サスペンスのアイデアも満載で、という刑事ものストーリーの王道を行く物語ではあるが、その
相互の駆け引きが良く出来ている。131分が全く長く思えない。
映画史にしっかり足跡を残した作品といえる。娯楽作品として一級である。
そしてクリスマスイブの一晩の出来事なのが作劇の見事さである。エンディングテーマの「レット・イット・スノウ」も
味わい深い。また後年「スピード!」の監督を務めるヤン・デ・ボンのカメラにも注目したいところだ。また「ジャパン
アズナンバーワン」の頃のアメリカにおける日本の立ち位置も分かりやすい。
アラン・リックマンのビルからの墜落シーンでのびっくり顔が印象的だが、あれは本物らしい。予定より早く落下が
始まったため、ほんとにビックリしたのだそうだ。
wikiによれば「2010年には「エンパイア・マガジン」によって「最高のクリスマス映画」に選ばれた」のだそうだ。

しかし、悪役の双頭、アラン・リックマンとアレクサンダー・ゴドノフはもうこの世にいないのだなあ。
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<ストーリー:結末まで書かれています>
ニューヨークの刑事ジョン・マックレーン(ブルース・ウィリス)は、クリスマス休暇を妻ホリー(ボニー・
ベデリア)と2人の子供たちと過ごすためロサンゼルスへやってきた。ホリーは日本商社ナカトミ株式会社に
勤務し、夫と離れこの地に住んでいるのだった。

ジョンは、クリスマス・イヴの今日、ナカトミの社長タカギ(ジェームズ・シゲタ)の開いている慰労パーティに
出席している妻を訪ね、現代ハイテク技術の粋を極めた34階建ての超高層ナカトミビルに向かうのだった。
ホリーは単身赴任によって、結婚と仕事の両立に苦しんでいたが、再会したジョンを目にすると改めて彼への愛を
確認するのだった。

ところがパーティも盛りあがりをみせた頃、13人のテロリストがビルを襲い、事態は混乱を極める。リーダーの
ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)は金庫に眠る6億4000万ドルの無記名の債券を要求するが、タカギが
それに応じないのを見てとると、彼を射殺してしまう。そしてその現場をジョンが目撃したことにより、彼と
テロリストたちの息詰まる戦いの火ぶたが切って落とされるのだった。

ジョンは機転をきかせ、パトロール中のパウエル巡査部長(レジナルド・ヴェルジョンソン)に事件の重大さを
知らせ、援軍を求める。その頃テロリストの一味であるテオ(クラレンス・ギルヤード・ジュニア)が金庫の暗号の
解読に成功し、債券はハンスたちの手に握られた。また彼は、ホリーがジョンの妻であることをTV放送によって
知り、彼女を人質にビルからの脱出を企てる。愛する妻を捕えられたジョンは、2発しか残されていない銃を
片手に決死の覚悟でハンスと対決し、一瞬のアイデアの巧みさで彼を撃ち倒す。しかし安堵するジョンとホリーを、
1度は彼が叩きのめしたはずのテロリストの1人、カール(アレクサンダー・ゴドノフ)が執念に狙い撃つ。1発の
銃声が響き、地面に倒れたのは、しかしカールであった。彼を撃ったのは、かつてある事件で誤射して以来、
拳銃を放つことができなかったパウエルだった…。事件は終結し、ジョンは今、彼との友情に、そして何より
妻との愛に包まれ、クリスマスの朝を迎える喜びを噛みしめるのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★8.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:94%>
<KINENOTE=82.2点>


   

by jazzyoba0083 | 2018-09-23 23:10 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「ラブ・アクチュアリー Love Actually (名画再見シリーズ)」
2003 イギリス・アメリカ Universal Pictures (presents),StudioCanal (presents) ,Working Title Films. 135min.
監督・脚本:リチャード・カーチス
出演:ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソン、アラン・リックマン、コリン・ファース、ローラ・リニー
   キーラ・ナイトレイ、ローワン・アトキンソン、ビル・ナイ、キウェテル・イジョフォー、ジョアンナ・ペイジ他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
本作について原稿を書く必要があり、Blue-rayを買って再見。
初見の時の感想は以下のリンクにて。2006年に観ているのだな。今回まるで新作を観るような新鮮さで味わうことが
出来た。あれから13年も経っているのだから。

脚本も書いてメガフォンを取ったリチャード・カーチスには「アバウト・タイム~愛おしい時間について」という
贔屓にしている作品もある。もともと「Mr.ビーン」のTVシリーズっで名前を上げ、映画でも彼とまた、
ヒュー・グラントの作品を手がける事が多い。直近では「マンマ・ミーア/ヒア・ウィ・ゴー」の原案、製作総指揮を
務めるなど、フィルモグラフィーを観ても、コメディタッチのヒューマン・ドラマの作劇に上手さがある人だ。

本作はクリスマスの時期を上手く物語に取り入れ、その中で繰り広げられる19人9組の「愛」について描いていく。
ばらばらに語られていたそれぞれの「愛情」の物語は、やがて一つの場所に収斂していく。アルトマンの群像劇の
ような手法だ。しかしこれだけの登場人物をよくつなぎ合わせて物語を紡いだものだ。その辺りの労苦が映画の
面白さに報われている。クリスマスの5週間前から1週間づつ区切ったのが分かり易さに繋がった感じだ。

しかし、この映画を観て、悪く言う人がいるだろうか。いや、「生ぬるい」という批評もあろう。が、「性善説」に
基づくリチャード・カーチスの作劇は、「愛情にまつわる人の悩み、そして優しさ、勇気、理解、赦し」それぞれに
優しい目線と(画作りも含め)イギリスらしいユーモアを加え、暖かく、暖かく描いていていく

ラスト近くには、観ている人の多くは涙せずにはいられないだろう。基本的には「成就する」愛を描くので、先程も
書いたように「生ぬるい」と感じる方もいるだろう。それはそれでいいと思う。が、私は過去の評価より今回観た
ことで、この映画の評価を上げたのだった。製作された時すら、白人と黒人、人種、ゲイ、いじめ、働く女性など
今に通じるテーマを、硬い言葉で言ってしまえば「平等な自由と人権」を平易な物語にしたリチャード・カーチスの
脚本を買いたい。9.11の直後だったから公開当時は余計にそう感じた人が多かっただろう。
(ヒュー・グラントの首相のチャラさは如何なものか、という感じもするが、権力者とて、愛は必要だ。それは
畢竟、政治の世界にも繋がっていくのだから)

製作された2003年は、アメリカの同時多発テロから2年というまだ生々しい時期。アメリカはイラクに侵攻を
始めていた。そういう時期に、空港が多くの出会い、愛の世界が繰り広げられる場所としてファーストシーンに
持ってくるのは勇気が必要だったろう。それは逆に憎しみ合いより「愛」こそは全て、という主張に違いないのだ。

出演陣はオールスターがずらりと並び、それぞれの演技についてはまったく問題はない。加えてポップな音楽の
使われ方がとても上手い。ジョニ・ミッチェルやベイ・シティー・ローラーズ、マライア・キャリー、ビートルズ
などの歌が効果的に使われる。

浮気、片思い、身分の違い、両想いの結婚、男同士の友情、最愛の人の喪失、そして子供ごころの「恋心」=この辺、
泣かせどころなんだろうなあ。こどもが出てくるとみんな持っていってしまうからずるいんだけど、個人的には
コリン・ファースがお手伝いさんをポルトガルまで追いかけて(ポルトガル語を勉強して)求婚するカップルが
ご贔屓だったかな。あ、キーラ・ナイトレイに片思いの男がイブにドアの前で紙を読み上げ告白し去るところの
シーンも良かったなあ。
「クリスマスくらい自分の正直な気持ちをブツケてみよう」。こういう気分って西欧にはあるんだね。それがまた
たくさんの映画の題材を提供しているんだけど。このあと書く「ダイ・ハード」(初作)もそうだった。

とにかくあまたあるラブコメ系のドラマでも、多くの人が「好き」と挙げる、観て損をしないではなく、誠に心が
暖かくなる観て得をする映画の最右翼ではないか。批評家は「詰め込みすぎ、表層的、甘すぎ」と辛口だが、
多くの大衆にはしっかり支持されている作品だ。原題はLove actually is all around.(愛はいたるところにある)
から取られた。
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<ストーリー>
 「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」の製作スタッフが、クリスマスを目前にした
ロンドンを舞台に、男女19人が織りなすさまざまな恋愛模様を同時進行で描く心暖まる群像ラブ・コメディ。
「ノッティング~」「ブリジット~」などの脚本を手掛けたリチャード・カーティスが本作では脚本のみならず
監督デビューも果たす。
ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソンをはじめ、新旧の人気英国人スターを中心に豪華共演。
 12月のロンドン。クリスマスを目前に控え、誰もが愛を求め、愛をカタチにしようと浮き足立つ季節。
新たに英国の首相となったデヴィッドは、国民の熱い期待とは裏腹に、ひと目惚れした秘書のナタリーのことで
頭がいっぱい。一方街では、最愛の妻を亡くした男が、初恋が原因とも知らず元気をなくした義理の息子に気を揉み、
恋人に裏切られ傷心の作家は言葉の通じないポルトガル人家政婦に恋をしてしまい、夫の不審な行動に妻の疑惑が
芽生え、内気なOLの2年7ヵ月の片想いは新たな展開を迎えようとしていた…。(allcinema)

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:63% Audience Score: 72%>
<KINENOTE=79.7点>



by jazzyoba0083 | 2018-09-22 22:50 | 洋画=ら~わ行 | Trackback | Comments(0)

●「美しき諍い女(いさかいめ) La belle noiseuse」
1991 フランス Pierre Grise Productions (presents),George Reinhart Productions (presents). 237min.
監督・(共同)脚本:ジャック・リヴェット
出演:ミッシェル・ピッコリ、ジェーン・バーキン、エマニュエル・ベアール、マリアンヌ・ドニクール、ダヴィッド・バーンスタイン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想:作品の核心に触れています>
その名前はしっていたが、作品に触れたことが無かったリヴェット監督。映画人生の長い割にには制作本数は
多くなく、本作は一番名前の知られた作品だろう。1991年のカンヌでグランプリを獲っている。ちなみに
パルムドールはコーエン兄弟の「バートン・フィンク」。不肖、私でもそういう順序にすると思う。

バルザックの「知られざる傑作」をベースにリヴェットらが脚色、画家とモデルという形而下の状況で、表現
されるものは形而上的、理念的、哲学的なので、分かりづらさは狙いだろう。というか、多くのメタファーも
含め、分かりそうで分からない、理念と説明のスレスレを表現することによって、観客にカタルシスを与えず、
むしろ「もやもや感」を残して去っていく。つまるところ、多くの謎を残すことによって、考え方を客に投げて
終わるという形を敢えて監督は選んだのだろう。それに要する時間が4時間だった、ということだ。
それは理解出来るから長い!といって責めるつもりはない。75%以上は老画家のアトリエでの展開。
そしてその大部分はボカシは入っているが全裸の女性との対峙である。10年振りに「美しき諍い女」という画を
描いて見ようと決意させたその女性との。

主たる登場人物は5人。若き画家ニコルとその恋人で新進作家のマリアンヌ(ベアール)、ニコルのパトロンで
化学者の富豪(将来金になる画なら何でもいいという俗物)、そして同じパトロンに抱えられる老画家
フレンフォーフェル(ピッコリ)、彼のかつてのモデルを長く努め、今は妻となっているリズ(バーキン)。
フレンフォーフェルは、パトロンに紹介されたマリアンヌに、ただならぬ創造力の復活を予感させられる。
すでに峠を超えた、と妻さえ思っていた老画家は、マリアンヌにモデルになってくれるように頼む。彼女は恋人
ニコルの許可も得ず承諾する。それは全裸のモデルであったにも関わらず。

老画家のアトリエの中、最初はペン画でスケッチブックに、次はカンバスへと、マリアンヌに様々なポーズを
取らせ、そこから何かを絞り出すかのように熱心にスケッチと作画に勤しんだ。だが、なかなか自分として
得心の行く作品に届かない。一方、マリアンヌは老画家によって、裸を描かれしんどいポージングをし、ペンと
筆の音しかしない世界の中で、自分が何者であるかが暴かれていくような気分になる。それすなわち、老画家と
しては10年ぶりの「美しき諍い女」という描画に、彼女の精神を移し取る、描きとることに成功しているような
感覚となるのだ。また思うように作画できない老画家に対し、マリアンヌは挑発さえしていくのだった。

かつてモデルを勤めていたリズに老画家は「君を取るか、画を取るかだ」と言って、リズを取り、愛しては
くれたが画家としての情熱は停滞してしまった。リズはそれを望んでいたのだろうか、いやそうではなさそうだ。
そうした状況で、彼女は身近にいる野生動物の剥製をアート作品とする作家となっていた。まさに剥製の動物は
形而下の象徴であり、前に進まなくなった老画家のメタファーなのではないかと感じた。
またマリアンヌの全裸が映画の殆どを占めるわけだが、客体化してしまうヌードは猥褻感などまったく感じなく
なってしまう。だから逆にボカシが卑猥さを出してしまう。

ラストで老画家は仕上がった「美しき諍い女」を壁に埋めてしまう。完成品を観たマリアンヌは、これが皆の目に
触れたら私は自分の正体が晒されてしまう、と恐怖し、リズは、カンバスのフレームに黒の絵の具で十字を書き
入れた。

そして画を所望していたパトロンには、一晩で書き上げたありきたりの画を見せた。マリアンヌもリズもなぜか
納得の表情。老画家曰く「私の遺作の第一号だ」と。パトロン「将来高く売れるな」。たちまち現出する形而下の
世界。

老画家は満足の行く結末を得(リズはそれがフレンフォーフェルの復活であることを確信したに違いない)、
そしてマリアンヌは自分の内面をきっちり描かれた画が永遠に外に出ないことに安心したに違いない。
果たしてその画はどんな画だったのか。それは明かされることはない。そして、ニコルにスペインでも回って
帰ろう、と誘われるものの、(あれだけ帰りたいと言っていたのに)、「もう少しここに居る」とその表情も
物言いも変わったのだった。老画家との対峙の中で自分の外面を剥がしてもらう結果となった彼女もまた再生
したのだ。

35ミリのフレームをローキーで使い、色彩の妙(柄は無地の使い方)、奥行きと高低の使い方など、画作りも
スムーズで非常に美しかった。味わいと深みのある映画であることは分かるけど、対峙するには相当の覚悟を
もってしなくてはならない映画だろう。とても気楽に楽しめるものではない。演者陣も適役であった。
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<ストーリー:結末まで書かれています>
画商ポルビュス(ジル・アルボナ)は彼の旧友でかつての恋仇だったフレンフォーフェル(ミシェル・ピッコリ)の
邸宅に新進画家ニコラ(ダヴィッド・ブルツタイン)とその恋人マリアンヌ(エマニュエル・ベアール)を招待した。
フレンフォーフェルは10年ほど前、妻のリズ(ジェーン・バーキン)をモデルに描いた自らの最も野心的な未完の
傑作「美しき諍い女」を中断して以来、絵を描いていなかった。

「美しき諍い女」とは17世紀に天外な人生を送った高級娼婦カトリーヌ・レスコーのことで、フレンフォーフェルは
彼女のことを本で読み、彼女を描こうと試みたのであった。ポルビュスの計らいでニコラとマリアンヌに出会った
フレンフォーフェルは、マリアンヌをモデルにその最高傑作を完成させる意欲を奮い起こした。

最初はモデルになることを嫌がったマリアンヌは、ニコラの薦めもあって5日間で完成させることを条件にしぶしぶ
了承する。だがフレンフォーフェルの要求は彼女の考える以上に苛酷なもので、肉体を過度に酷使する様々なポーズを
要求され、さらには彼女の内面の感情そのものをさらけ出すことを求められる。
だが、フレンフォーフェルは描き続けるうちに自信をなくしはじめ、逆にマリアンヌが挑発して描かせるようにも
なっていく。画家とモデル、2人の緊張関係は妻のリズやニコラを含めた2組のカップル全体に微妙な緊張をもたらし、
ニコラのもとにやって来た妹ジュリアンヌ(マリアンヌ・ドニクール)も加わりさらに拍車がかかる。

やがて長い闘いの果てにフレンフォーフェルはついに絵を完成させるが、誰の目にも触れさせないように壁の中に
埋め込んでしまい、代わりの絵を一気に描き上げた。真の「美しき諍い女」を見たのはフレンフォーフェル以外には、
アトリエを覗いたリズだけであった。
次の日、代わりの「美しき諍い女」のお披露目が行われた。緊張感も和らぎ、2組のカップルにポルビュス、
ジュリアンヌも加わり祝いのワインが開けられた。それぞれの思いを永遠に胸に秘めながら…… 。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100%  Audience Score:84%>
<KINENOTE=71.8点>





by jazzyoba0083 | 2018-09-22 15:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「インビジブル Hollow Man」(再見)
2000 アメリカ  Columbia Pictures,Global Entertainment Productions GmbH & Company Medien KG.112min.
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
出演:ケヴィン・ベーコン、エリザベス・シュー、ジョシュ・ブローリン、キム・ディケンズ、ジョーイ・スロトニック他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
直近で同監督の「Elle」を観て、たまたまWOWOWで本作を放映していたので、観てみた。昔、一度観たのだが、
20年ほど前のヴァンホーヴェンの作風とは一体どんなものだったのか確認したかったので。

この頃の監督は「視覚効果イノチ」の傾向があった。しかし、「(特に性の部分での)理性が外れた人間の行動
エキセントリックな残虐、スプラッタな描写で描き出す」という「本性」は変わっていないのだな、と確認出来た。
確かにこの映画の人間や動物が消えたり元に戻ったりする光景の特殊効果は、見どころだと思う。お、お、とは
思う。人間を量子レベルで透明化する軍事実験を、自ら体験し、狂気を発散しまくるのが、ケヴィン・ベーコン。
でも、男のやりたいことは、隣家の美人の部屋に乗り込み、裸を眺め、透明なままレイプする、とか、居眠り
している同僚のシャツを開けて、胸を晒して揉んでみたり、透明人間になったら男は何をしたいのかを率先垂範
しちゃうのだ。変態サイコパス?(苦笑)

開巻、ネズミが見えざる手で、つまみ上げられ、見えない口(血だらけになってその形が浮き上がるのだが)で
噛み切られるシーン、そして前半のシークエンスで透明化してあったゴリラが元に戻るところで行ったり来たり
する映像などは、よく見せているが、ケヴィン・ベーコンのスケベ全開に及び、「B級臭」が漂ってくるのだ。

後半の展開は「ロボコップ」の展開と似ている。自ら透明化の人体実験に挑戦したものの、元に戻れなくなり、
しばらくはそれを楽しんでいたのだが、本当に戻れなくなるとなると、自分は神であるという狂気を発し、
元カノとその彼氏や同僚を残虐な殺し方で殺害し始め、研究所を爆破し、施設から逃亡しようと試みるのだ。
だが、結局元カノと彼氏(エリザベス・シューとジョシュ・ブローリン)にやられてしまうという結末。

ヴァーホーヴェンの魅力は、しかし、こういう映画にこそある、その洗練?されたものが「エル」になったと
思えるのだ。ストーリーに評価する点は無いけれど、(大方の評価サイトも同様)ヲタクファンには楽しい
ホラーっ気もある作品である。ビジュアル全体としては評価出来ると思う。
邦題は「見ることが出来ない」だが、原題は「空っぽの男」。こっちのほうが奥が深いタイトルだ。
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<ストーリー:省略気味ですが、結末まで触れています>
国家最高機密の研究プロジェクトのリーダーである天才肌の科学者、セバスチャン・ケイン(ケヴィン・
ベーコン)は、人間を透明にすることを目標にしている。彼は元恋人のリンダ(エリザベス・シュー)、
現在彼女と恋仲になっているマット(ジョシュ・ブローリン)、獣医のサラ(キム・ディケンズ)ら
研究メンバーと共に、既に動物実験を成功させていた。
しかしその程度で満足できないセバスチャンは、皆の反対を押し切って自ら人体実験の被験者となり、
透明人間になってしまう。

しかし元の姿に戻れず、苛立ってきたセバスチャンは、勝手に外出し、女性にいたずらしたり国防総省の
老人を殺したりしていくうち、自由と神の感覚に目覚めていく。そしてついには、同僚の研究メンバーを
次々と殺していく。なんとか生き残ったリンダとマットは、必死に抵抗。リンダがセバスチャンを火の中へ
突き落とし、ようやく事態は収拾した。(Movie Walker)

<IMDb=★5.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:27% Audience Score:27% >
<KINENOTE=64.7点>



by jazzyoba0083 | 2018-09-17 14:30 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

エル Elle

●「エル Elle」
2016 フランス France 2 Cinéma and more. 131min.
監督:ポール・ヴァーホーヴェン  原作:フィリップ・ディジャン『エル ELLE』(早川書房刊)
出演:イザベル・ユペール、ロラン・ラフィット、アンヌ・コンシニ、シャルル・ベルリング、ヴィルジニー・エフィラ
   ジュディット・マーレ、クリスチャン・ベルケル、ジョナ・ブロケ、ヴィマーラ・ポンス他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
昨年の公開時には世間を賑わした作品。癖、アクの強い作品を作らせたら天下一品のヴァンホーヴェン監督。
確かに予期せぬセリフ、予期せぬ展開、予期できる犯人(苦笑)と、見て面白い映画ではあるが、二度三度見る
名作か、と言われると、う~む、と言わざるを得ない。「視覚効果イノチ」だったヴァンホーヴェン、「ブラック
ブック」あたりを観ても、最近は人間のむき出しの本性、みたいなものをストレートに描こうという方向に転換
したのかな、という気がしている。血が出る痛さの表現は相変わらずだけど。

ヴァンホーヴェン監督は、「氷の微笑」「ロボコップ」「トータル・リコール」「スターシップ・トゥルーパーズ」
「インビジブル」などは観ていて、なおかつ、「映画秘宝」の町山&柳下コンビのサカナになることの多い人で、
史上最低映画とも言われる「ショー・ガール」も手がけるなど、何かとその作品に話題が多い人だ。

本作は原作があるとは言え、基本的に「人間から理性のタガを外してしまうとどういうことになるのか」という
命題を追い求めているような気がしている。本作では「セックス」に関する「理性のタガ」を外し、フランス映画に
仕立てると、ヴァンホーヴェンはこんな映画を作りますよ、という感じだ。主演のイザベル・ユペールの熱演が
ヴァンホーヴェンの作品につきまとう「B級臭」を消す効果を生み、またソフトフォーカスっぽい紗がかかった
ような手持ちカメラの映像の上手さと相俟って、原作の面白さ(未読だけど)加味され、観ている分にはなかなか
面白い作品となったのではないかと思う。だが、私の「いい映画」範疇からはやや外れている。

台本を読んだアメリカの女優から総スカンをくらい、ユペールが演じることになったのだが、やはりこの映画は
フランスを舞台にしてフランス人が演じて正解だったのだ。観はじめてしばらくして、原作が「その女アレックス」
のピエール・ルメートルかと思った。そんな雰囲気を持つ作品だ。ルメートルの方がずいぶんと出来はいいけど。

この映画を一人で支えているといってもいい、ユペール、この時63歳。びっくりだな。衰えぬ肢体。その年令で
レイプされ胸を出し、卑猥なセリフを物ともしない。大量殺人者の娘にして今はコンピュータゲームの会社の共同
経営者、(大量殺人者の娘という)出自からして「父性に対する屈折した視線」、それは男全般に及ぶ。また
親全般に及ぶ。
あまり理屈を掘り下げてしまうとこの映画は面白くなくなるのかもしれない。とにかく「性に対する理性、自律、
躊躇、恥の概念など一切とっぱらってしまうと、人間こんなになるのか」という表現のオンパレード。
その「むき出しっぷり」に驚きつつ愉しめばいい作品だ。もう出ている人間の不倫などという言葉が軽く感じる
ほどの、やりたい放題。ひたすら「ヤリたいだけ」。エイヤといってしまえば「変態」たちの生態をナマナマしく
描いたという、ある意味、ある面、ヴァンホーヴェンの面目躍如の映画であろう。
だいたいレイプされた後に、寿司?の出前に電話するかね。「ホリデー巻き」って。冒頭のこの辺りで、
「変態サスペンス」の香りプンプンだ。

イザベル・ユペール、本作でオスカーの主演女優賞にノミネートされたが、それはとても納得できるが、受賞は
出来なかったのは、やはり「ヤリたいばっかりの映画」ではイカンともし難かったのだろう。この作品に「意義」
や「意味」を見出したい評論家受けし、一般客からは「いまひとつやな」と評価されるのはよく理解できる。
ストーリーなんかはどうでもいいようなもんだ。が、「穿った見方」をしたい人にはそれなりの答えは出てくる
のだろう。でも個人的にはこの映画あまり深掘りしないほうが面白いと思う。とにかく「理性のない世界とは」だ。
この「変態ワールド」をキチンと演じ切ったイザベルは、やっぱり凄いと言わざるを得ない。

でもこうした「みんな、なに気取ってんだよ!」というヴァンホーヴェンの作風、嫌いではない。新作が出て
きたら観に行くだろうな、きっと。
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<ストーリー>
第74回ゴールデン・グローブ賞で主演女優賞と外国語映画賞をダブル受賞した、ポール・ヴァーホーヴェン
監督によるエロティックなサスペンス・スリラー。イザベル・ユペールが会社社長のヒロインを演じ、
ある事件をきっかけにその恐ろしい本性が明らかになり、周囲を巻き込んでいくさまがつづられる。

新鋭ゲーム会社の社長ミシェルは、1人暮らしの瀟洒な自宅にいたところ、覆面の男の襲撃を受ける。
その後も、差出人不明の嫌がらせメールが届き、留守中に何者かが侵入した形跡が見つかるなど、
不審な出来事が続く。自分の生活リズムを把握しているかのような犯行に、周囲に疑惑の目を向ける
ミシェル。父親にまつわる過去の衝撃的な事件から、警察との関わりを避ける彼女は、自ら犯人を探し始める。
だが、次第に明らかになっていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性だった……。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:91% Audience Score:72%>
<KINENOTE=73.2点>




by jazzyoba0083 | 2018-09-15 23:20 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

二十四の瞳

●「二十四の瞳」
1954 日本 松竹映画 156分
監督・脚本:木下恵介  原作:壺井栄『二十四の瞳』(光文社 刊)
出演:高峰秀子、笠智衆、天本英世、夏川静江、浦辺粂子、明石潮、小林豊子、清川虹子、田村高廣、東山千栄子 他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
市の名画鑑賞会、午後の部は、久しぶりの邦画だった。名作の極み?「二十四の瞳」。80席、満席。
製作は昭和29年、小豆島のロケだ。壺井の小説には小豆島の名前は出てこないが、この映画が舞台を
小豆島に設定したため、以降、「二十四の瞳=小豆島」という図式が出来上がっった。

さて、映画にまつわる雑事は後述するとして、作品では昭和3年から21年の、日本の軍国主義が最高に苛烈に
なった時期、田舎の小豆島にもその影は大きく落ち、主人公の大石先生は、公私共に苦労、苦悩する、という
のがメインストーリーだ。
先生との師弟愛、大石先生自身の家庭のことなど、貧乏で豊かではなかったが、楽しい島の生活を一変させた
戦争の悲惨さと平和の尊さを、静かに訴えて涙を誘う。あの頃の日本人は純粋だったのだあ、とつくづく思う。

二十四の瞳、とは新任で岬の分教場で最初に担任となった大石先生の教え子12人のことである。彼ら、彼女らの
貧困ゆえの苦悩、軍人に憧れたものの悲惨な戦争に出征し、次々と戦死していく男の子の教え子たち。
小豆島の(モノクロではあるが)海と山の自然に恵まれた風景と対照的に描かれる物語は辛く悲しい。
そしてそれを一層情緒的にしているのが、多数使われる「唱歌」「軍歌」である。木下恵介の実の弟、
木下忠司の選んだ曲は全部、既存の歌だ。しかも「カラスの歌」「浜辺の歌」「仰げば尊し」は繰り返し
使われる。それはあたかも、物語の主張のメタファーかのように。

物語そのもの、凝り性というか完璧症の木下らしい、水平線を活かしたロングの構図、トラックの画像、
教科書のようなフレームイン、フレームアウト、ゆったりとしたパーンなど、凝ったキャスティングも含め、
この年、「七人の侍」を抑えて、「キネ旬」年間ベスト1位になっただけの演出、演技ではあった。

だが、私としてはいささかの異議を感じるのだ。だいたい上映時間が長すぎる。18年間の物語なので
それなりの長さは必要だろうが、フルコーラスでしかも連続して聞かせる多数の唱歌、また12人を丁寧に
描いているといえばそうだろうが、いちいちアップを個々に使い、男子生徒の戦死した3人の墓標の
アップでのパンアップは不要だと感じた。全編、もう少しカットできるシーンがあったと感じた。
そうすると156分が130分くらいになり、もう少し、締まった映画になったのではないか、もったいない、
と感じたのだ。(私より先輩の映画ファンにこれを話したら、制作当時の社会の雰囲気がこうさせたの
ではないか、と語っていた)
ラストシークエンス、昭和21年の大石先生、少し老けすぎなメイクだ。師範高女を出て新米教師として
赴任してから18年として、行ってても、40歳そこそこだと思われるのだが、おばあさんの風貌。
まあ、旦那も戦死し、娘は空腹に耐えかねて柿を取ろうとして木から落ちて死亡、教え子の相次ぐ不幸と
大変な苦労を表したのだろうか。
また、この映画は壺井栄の原作を出だしのフレーズからほぼ全編忠実に再現しているが、なぜかラスト
大石先生の歓迎会でマスノが涙ながらに歌うのが「浜辺の歌」なのだが、原作では「荒城の月」。
なぜ変えたのだろうか。修学旅行の船の上で美声を聞かせたマスノが歌ったのが「浜辺の歌」だった
から整合性を取ったのだろうか。曲としては、どっちの曲がラストシークエンスにマッチしただろうか。

太平洋戦争で中国戦線に赴き、負傷して帰国した木下監督、平和の尊さ、戦争の愚かさは十二分に理解
しているわけで、壺井の原作もあるのだろうけど、映画のなかでも、「反戦」とは言わないが、市民に
わかりやすい形での戦争の、国家の暴走の恐ろしさを抑えが効いた表現の中に描いていた。それがまた
観ている方の心にじわじわと来るのだ。日本国民、今の時代は特に、みんな(再度)見るべき映画であろう。

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<ストーリー:超省略版ですがラストまで書いてあります>
昭和三年四月、大石久子は新任のおなご先生として、瀬戸内海小豆島の分校へ赴任した。一年生の磯吉
、吉次、竹一、マスノミサ子、松江、早苗、小ツル、コトエなど十二人の二十四の瞳が、初めて教壇に
立つ久子には特に愛らしく思えた。
二十四の瞳は足を挫いて学校を休んでいる久子を、二里も歩いて訪れてきてくれた。しかし久子は自転車に
乗れなくなり、近くの本校へ転任せねばならなかった。
五年生になって二十四の瞳は本校へ通う様になった。久子は結婚していた。子供たちにも人生の荒波が
押しよせ、母親が急死した松江は奉公に出された。修学旅行先の金比羅で偶然にも彼女を見かける久子。
そして、子供たちの卒業とともに久子は教壇を去った。軍国主義の影が教室を覆い始めていたことに
嫌気がさしてのことであった。
八年後。大東亜戦争は久子の夫を殺した。島の男の子は次々と前線へ送られ、竹一等三人が戦死し、
ミサ子は結婚し、早苗は教師に、小ツルは産婆に、そしてコトエは肺病で死んだ。久子には既に子供が
三人あったが、二つになる末っ子は空腹に耐えかねた末に柿の実をもごうとして落下し死んだ。

終戦の翌年--久子は再び岬の分教場におなご先生として就任した。教え児の中には、松江やミサ子の
子供もいた。一夜、ミサ子、早苗、松江、マスノ、磯吉、吉次が久子を囲んで歓迎会を開いてくれた。
二十四の瞳は揃わなかったけれど、想い出だけは今も彼等の胸に残っていた。数日後、岬の道には元気に
自転車のペダルを踏む久子の姿があった。(Movie Walker)

<IMDb=★8.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:60% Audience Score:85% >
<KINENOTE=一般投票=82.7点>



by jazzyoba0083 | 2018-09-13 16:35 | 邦画・旧作 | Trackback | Comments(0)

●「トゥルー・ロマンス True Romance」
1993 アメリカ Morgan Creek Entertainment Group and more. 121min.
監督:トニー・スコット 脚本:クェンティン・タランティーノ 音楽:ハンス・ジマー
出演:クリスチャン・スレイター、パトリシア・アークエット、デニス・ホッパー、ゲイリー・オールドマン、
   ブラッド・ピット、クリストファー・ウォーケン、サミュエル・L・ジャクソン、トム・サイズモア他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
いや、久しぶりに痛快な映画らしい映画をみたぞ。ちょっと時代を感じてしまうのは仕方がないとしても、
何本かある、悪の男女ものの中でも上にランクされるものではないか、と思う。何がいいか、ヒップでポップで
とても映像的で、テンポが良くて、男女の愛情を斜に構えて観ているタランティーノ節炸裂な痛快さに溢れて
いるからだ! 加えて出演者の豪華さとハンス・ジマーの画面とは対照的なのんびりした音楽も良い!
タランティーノだから、痛いし、血が出るけど、それを了解して面白がれる人には堪らん作品といえるだろう。
タイトルの純粋イメージのアイロニーとしての立ち位置が痛快の根っこ。タランティーノは翌年「パルプ・
フィクション」で一躍名前を売ったが、前年の本作はやや影が薄くなったか。

おバカだけど、徹底的に純情。やることは危ないけど、思い込んだら命がけ、そこらへんのストレートな愛情と
これに絡むサスペンスとバイオレンスが、飲み物で言えば「濃い炭酸」的役割を果たしている感じを受けた。

お馬鹿な二人にハラハラ、スレイターが奪った大量のヤクの処分や行方にハラハラ。二時間ハラハラしっぱなし。
ラストもギャング、警官、スレイターと映画関係者三つ巴の大銃撃戦という映画の教科書みたいな持って行き方と
ツッコミどころもあるけどハッピーエンドなお馬鹿な二人。
こう書いてきて、なんか理屈で楽しむ映画ではないな、と感じてきた。とにかく観ている時間を楽しむ作品。
その後にはなんにも残らない。突き抜けた痛快さ以外にね。デビュー間もないブラピ、ヤク中のラリラリの役だが、
本当にそんなんだった、という説あり。

「映画秘宝」、町山智浩氏は絶対好きだろうな、この手の映画。「ヲタク野郎の純情恋物語」って。
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<ストーリー:一応結末まで書かかれています>
デトロイトのコミック・ブック店で働くクラレンス(クリスチャン・スレイター)は、プレスリーとクンフー映画に
夢中の若者。誕生日の夜、場末の映画館で千葉真一の映画3本立てを観ていた彼は、アラバマ(パトリシア・
アークェット)というキユートな女の子と知り合う。ベッドの中で彼女は、実はクラレンスの店のボスから、
「誕生日のプレゼントに」と頼まれたコールガールであることを明かす。だが、2人は激しく愛し合い、翌日には
結婚した。
クラレンスは、アラバマの元ヒモであるドレクセイ(ゲイリー・オールドマン)に話をつけに行くが殺されかかり、
逆に相手を殺してしまった。あわてて持ち帰ったスーツケースには、大量のコカインが入っていた。

翌日、クラレンスは元警官の父、クリフォード(デニス・ホッパー)に会い、妻のアラバマを紹介すると共に、
警察の捜査状況を聞く。2人がロサンゼルスに向かった後で、ヴィンセンツ(クリストファー・ウォーケン)と
名乗る男がクリフォードの元へ現われ彼を拷間し、2人とコカインの行方を突き止めようとした。シラを切る
クリフォードを殺した男は、クラレンスたちの後を追う。クラレンスはヤクの取引きの話をまとめる。取引きの
当日、ダイムス刑事(クリストファー・ペン)ら捜査陣と、デトロイトから追ってきた組織の男たちが現場の
ホテルに向かう。一同が会し、激しい銃撃戦が展間したが、クラレンスとアラバマは生き延びた。
(Movie Walker)

<IMDb=★7.9 >
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: Audience Score:>
<KINENOTE=77.4>
<キネ旬1994年外国映画ベスト20位>



by jazzyoba0083 | 2018-09-12 23:20 | 洋画=た行 | Trackback | Comments(0)

●「巴里のアメリカ人 An American in Paris」(名画再見シリーズ)
アメリカ 1951 MGM 113min.
監督:ヴィンセント・ミネリ 音楽:アイラ&ジョージ・ガーシュイン
出演:ジーン・ケリー、レスリー・キャロン、オスカー・レヴァント、ニナ・フォック、ジョルジュ・ゲタリ他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
この所、市の上映会もあり、MGMの名作ミュージカルを月1本は大画面で見られるチャンスがある。
今月はジョージ・ガーシュインの交響楽「巴里のアメリカ人」を「マイ・フェア・レディ」を書いた
脚本家、アラン・ジェイ・ラーナーが脚本を担当し、ガーシュインの名曲をたくさん楽しめるMGMの中
でも音楽性の強いミュージカルになっている「巴里のアメリカ人」だった。その分、ストーリーがやや
平板というか雑な感じもする。
だが、本作、この年のオスカーで作品賞、脚本賞を始め、美術系など8部門を独占してしまったのだった。
確かに、コレオグラファーとしても参加したジーン・ケリーの踊り、タップは良いし、なにせ、ガーシュイン
の音楽がいいので、派手目な感じの作品に仕上がっていることは確かだ。

ブログでの評価には辛いものも多い。特にラスト18分の歌のないダンスシーンは、長すぎ、とか、
ジーン・ケリーの自己満足の世界、とか指摘される方も多くいる。なんでこれがオスカーを8つも獲った
のか分からない、それほど名作か?との声も聞こえる。

確かに先に述べたように、ジーン・ケリーの踊り、ガーシュインの歌ありきの世界であることは分かる。
物語性が弱い事も分かる。だが、私はそれを凌駕する、ジーン・ケリーとレスリー・キャロン(美人とは
言えないよねえ)の踊りと、プロダクションデザイン、またオスカー・レヴァントが一人複数役をこなす
ガーシュインの交響曲のシーンなどの映像効果、などを加味すると、やはり歴史に残るミュージカル映画と
いうべきではないか、と感じるのだ。

レスリー・キャロンは出っ歯だし、およそハリウッド系の美人ではない。が、何故か(スマヌ)良作に
恵まれ『足ながおじさん』ではフレッド・アステアと、『恋の手ほどき』ではモーリス・シュヴァリエと
共演し、評価を高め、更に『リリー』ではオスカーにノミネートもされている。
「巴里のアメリカ人」のクラッシックバレエシーンのためにジーン・ケリーがフランスでスカウト、本作が
デビュー作となる。確かにクラシックバレエシーンでは上等な踊りを披露している。現在87歳。お元気だ。

さらに、特殊効果で一人でピアニスト、指揮者、バイオリニスト、打楽器奏者、シロフォン、など何人
もの役をこなすオスカー・レヴァントの活躍と、彼のカフェでのコメディ役者としての演技など見る所が
多い。
イギリスで活躍のクラシック系の歌手ジョルジュ・ゲタリも独特の唱法だが、ジーン・ケリーと歌う
「ス・ワンダフル」は見ものの1つだ。

そしてラスト18分の「巴里のアメリカ人」を表現する踊り。アンサンブルダンサーも含め踊りの質の
高いことはもちろん、背景をフランスの画家、デュフィ、ルノワール、ユトリロ、ルソー、ゴッホ、
ロートレックを使い、これに美しい色彩を配して踊り、見応えは十分だった。長い!とお思いの方も
多いのだが、私は十分堪能させていただいた。これぞ、この映画の白眉であった。
とにかく観ていて平和な気分になれるのが一番いいところだ。

毀誉褒貶する作品ではあるが、アメリカミュージカルを代表する傑作であることは間違いない。

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<ストーリー:結末まで書かれています>
パリに住むアメリカ人ジェリー・ミュリガン(ジーン・ケリー)は、気ままな感じ易い青年だ。
パリに留まって一1人前の絵描きになることが宿望だが、絵の勉強は一向に進まない。だが友達は
たくさんできた。米国人のピアニスト、アダム・クック(オスカー・レヴァント)やフランス人の
歌手アンリ・ボウレル(ジョルジュ・ゲタリ)たちである。

ジェリーの絵はさっぱりパリジャンにうけなかったが、モンマルトルで開いた個展を訪れた金持ちの
米国婦人ミロ・ロバーツ(ニナ・フォック)は、彼の才能を認め保証人になってくれた。
どうやらミロは絵よりもジェリーに思し召しがあるようだ。ミロと一緒にキャバレーにいったジェリーは、
愛くるしい清楚なパリ娘リズ(レスリー・キャロン)を見染めて一目惚れ、強引に彼女の電話番号を
聞き出した。あくる日から、ジェリーとリズは逢いびきを重ね、お互いに愛し合う仲となった。

だがリズはアンリと内々に婚約していることをジェリーにかくしていた。リズは戦争中両親を亡くして
からというもの、アンリの献身的な世話を受けてきたので、彼を愛してはいなかったが深く恩義を感じて
婚約したのだった。やがてアンリはアメリカへ演奏旅行に出発することになり、彼はリズに結婚して
一緒に行こうと申し出た。リズはこれを承諾し、ジェリーにすべてを打ち明けた。ジェリーが落胆した
ことはもちろんである。だがミロは却って喜んだ。そのミロを連れて美術学生の舞踏会に出かけた
ジェリーは、そこでリズとアンリに会った。人影ないバルコニーで、ジェリーとリズは最後の別れを
惜しむのだった。アンリは偶然、2人の話を立聞きし、2人が愛し合っていることを知った。
彼は自ら身を引き、ジェリーとリズは晴れて結ばれたのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★7.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:95% Audiece Score:79%>





by jazzyoba0083 | 2018-09-10 22:45 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)