緑の光線 Le Rayon Vert

●「緑の光線 Le Rayon Vert」
1985 フランス Ministère de la Culture et de la Communication and more.98min.
監督・脚本:エリック・ロメール
出演:マリー・リヴィエール、リサ・エレディア、ヴァンサン・ゴーティエ、ベアトリス・ロマン他
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<感想:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
ハリウッド映画から映画好きになった私として、一番欧州映画に遠かった時期に作られた作品。
ロメール監督のフィルモグラフィを見ると彼のキャリアのちょうど半ばごろの作品に当たるようだ。
「ベネチア国際映画祭」で「金獅子賞」を獲得している通り、評論家受けも良く、ネット上の各
評価サイトの評価も高い。この年になって観るとこの映画の良さは分かる気がするのだが、作られた
当時の私ならば、「たるい映画だなあ」と感じたに違いない。

監督は物語の骨子にあたる台本というかシナリオのみを与えておいて、演技については俳優に
任せた、セリフの構成も、その場でのインスピレーションで積み上げていってよし、というような
演出が取られたのではないかと思うくらい、会話のやり取りがドキュメンタリーっぽい仕上がりに
なっている。叙事詩と抒情詩の間、とも感じられる本作は、「パリに暮らす若い女性とバカンスと
異性と自分の性格(あるいは人生)」を、(おそらく)あえて16mmの粗いフィルムを使い、手持ちの
カメラで、主人公の心の揺れといったものを追い続けていく体裁だ。

自ら人付き合いや恋愛に高い壁を作ってしまい、それが自分の人生や恋愛に不利益に作用していることを
分かっていても、どうしようもない。まだ若いんだけど、自らの行き方の軌道を修正できなくて、
イライラしながらも泣いてばかりの女性が主人公のデルフィーヌだ。
肉は食べない菜食主義者で、付き合っていた男性には振られたらしい。フランス人にとって一年の
最大のイベント、夏のバカンスがやってくる。一緒にギリシアに行く約束をしていた友人から
ドタキャンをくらい、さて周りからは一人でパリにいるわけにはいかない彼女を優しくあちこちに
誘うが、あれがいやだこれがいやだとどこも気が進まない。結局誰かとバカンスを過ごすことは諦める。
自分は海があるところに行きたいのに山のほうばかり誘われるのだ(これがなんかのメタファー臭い。
後で出てくるがトップレスの女性が跋扈するビーチでワンピース水着に固執するデルフィーヌの姿も
性格の描写となっている。)

そこで彼女は一人でシェルブールへ向かう。トップレスの女性と二人の男性をナンパするが、彼女は
その場を逃げてしまう。パリに戻り、山へ行き、再び海辺にやってきたデルフィーヌ。
彼女はかなりスピリチュアルな性格でも有り、そんな中、海岸でで数人の老人がジュール・ベルヌの
小説を語る中で「緑の光線」の話を聞く。
言うまでもなく、空気が澄んだ空気の中で見られる海に沈む太陽が最後に放つ「グリーンフラッシュ」の
ことで、これを観た人には幸運が訪れる、という。

やがて、彼女は一人でパリへと戻ることにする。その駅で自分が読んでいた「白痴」に興味を持つ
青年と知り合う。再び海辺に出てきた二人。目の前には「緑の光線」という売店が。そしていましも
太陽が水平線に消えていくところだった。そしてついに現れる「グリーンフラッシュ」。
彼女の浮かなかった顔に笑顔が戻ってきた。直前までメソメソしていたデルフィーヌの突然の変化に
男はそれがどうしてなのか分からないまま、ともに笑顔を浮かべるのだった。

デルフィーヌは今日で言う「めんどくさい」ヤツだ。望みは高く、それがなかなか手に入らないと
メソメソと自分を責める。周りの友情も感じるのだが、どうも輪の中に入れない。
それが「グリーンフラッシュ」一発で、気分がガラリと変わる。まあ人生そうしたものかもしれない。
また、そんなに都合がよく行くものか、と思う人もいるだろう。

この映画を観ていると、フランス人にとってバカンスがどんなに大切かが分かる。そして若い女性に
とっては男性をゲットする大チャンスなのだということも。
allcinemaには「バカンス映画」と書いてあるけど、そうではないと思う。一人の女性がひと夏の
バカンスの過ごし方を通して、自分を見つめ、そして変化していくさまが、繊細に描かれたドラマだ。

確かにこのデルフィーヌの性格にいらついてこの映画を途中で放棄する人もいるだろう。だが、そこを
抜けると出来すぎな感じはするが、デルフィーヌにとってのカタルシスは訪れるのだ。一方で、観ている
人にカタルシスが訪れるかどうかは、極めて微妙だと感じた。
★8つは、一人の女性の心の揺れ、といったものが瑞々しく描かれた作品だと評価したいからだ。
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<ストーリー>
夏のパリ。オフィスで秘書をしているデルフィーヌは20歳も前半、ヴァカンスを前に胸をときめかせていた。
7月に入って間もない頃、ギリシア行きのヴァカンスを約束していた女ともだちから、急にキャンセルの電話
が入る。途方に暮れるデルフィーヌ。周囲の人がそんな彼女を優しく慰める。

いよいよヴァカンス。女ともだちのひとりが彼女をシェルブールに誘ってくれた。が、シェルブールでは独り、
海ばかり見つめているデルフィーヌ。太陽はまぶしく海は澄み渡っているが、デルフィーヌの心は晴れない。
彼女は、人気のないパリに戻った。
しかし、公園を独りで歩いていると、見知らぬ男が付いてきて彼女を不安にさせる。8月に入り山にでかけた
彼女は、その後、再び海へ行った。そこで、彼女は、老婦人が話しているのを聞いた。
それは、ジュール・ヴェルヌの小説「緑の光線」の話だ。太陽が沈む瞬間にはなつ緑の光線は幸運の印だと
いう……海で友達ができないわけではないが、彼女の孤独感は消えない。

パリに戻ることにした彼女、駅の待合室で、本を読むひとりの青年と知り合いになった。初めて他人と
意気投合した彼女は思いがけず、自分から青年を散歩に誘った。夕方、海辺を歩く二人は目のまえの光景に
目を見張った。太陽が沈む瞬間、緑の光線が放たれたのだ。(Movie Walker)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:92% Audience Score:85% >
<KINENOTE=74.8%>



by jazzyoba0083 | 2018-10-31 23:10 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)

●「僕とカミンスキーの旅 Ich und Kaminsiki」
2015 ドイツ・ベルギー Velvet Films,X-Filme Creative Pool and more. 123min.
監督・(共同)脚本:ウォルフガング・ベッカー 原作:ダニエル・ケールマン『僕とカミンスキー 盲目の老画家との奇妙な旅』
出演:ダニエル・ブリュール、イェスパー・クリステンセン、アミラ・カサール、ドニ・ラヴァン、ジェラルディン・チャップリン他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
何だかよく分からなかったけど、何だか面白かった映画。独特の演出、絵画的な画作り、チャプター構成に乗せて
なんか観ている方がいっぱい喰わされた感じがする。まともな人が一人も出てこない映画だ。一見まともなようで。

開巻から凝っている。マヌエル・カミンスキーという大画家が死んだ、というニュースに続いて、カミンスキーの
生い立ちや芸術家(画家)としての半生を、実際の映像と合成し、ピカソ、ウォーホル、ビートルズ、など本物の
写真を使い、彼が如何に偉大だったかの映像を示して始まる。彼は盲目となり、筆を断ち、スイスに隠遁してしまって
いた、という。←嘘っぽさプンプン。

彼の伝記を書いて、なんとか伝記作家として名を売りたいツェルナーがスイスに出かけ、カミンスキーと合い、なぜか
気に入られインタビューを録音し始める。すると彼の人生にテレーゼというキーになる女性が存在し、死んだと
言われていたのが実は存命であったことが判明し、カミンスキーと今はベルギーにいるテレーゼを合わそうと、
カミンスキーを連れ出してドライブ旅行を始める。

ある意味ロードムービー。途中でたくさんの変人が出てくる。そしてカミンスキーは本当にもう画を描いていなかった
のか、(実はツェルナーは彼の留守中にサインのないカミンスキーの50号ほどの新作を5,6枚発見している)
そんなごっちゃな話題を抱えて、伝記を書きたいツェルナーとカミンスキー、それと彼の画を管理している娘ミリアムが
入り乱れて凸凹道中を展開する。テレーゼとカミンスキーは会うことが出来たのだが、彼女は半分痴呆が入り、
すでに過去の事を聞いても意味をなさない。彼女がなぜ突如としてカミンスキーの元から消えたのか秘密は明らかに
ならなかったのだ。

あることからツェルナーはカミンスキーの目が見えていることに気がつく。そうなるともう伝記なんかどうでも良くなり
海に行きたいといカミンスキーを連れ、海へ。そこで原稿を海にばらまいて捨ててしまう。
そんなツェルナーに、カミンスキーはツェルナーが画家の地下室から黙って持ち出した2つの作品をクルマのトランク
から持ってこさせ、自分のサインを入れたのだった。この画が売れればツェルナーは一躍大金持ちになる。
これは長いフェイクストーリーに突き合わせたカミンスキーの罪滅ぼしだったのか、お前が欲しかったのはこれだろう、
とサラリと描いたサインに込めた皮肉だったのか。

終始、何がホントで何が嘘なのか、判然としない進行。但し画作りはアーティスティックで美しい。エンドロールまで
凝っている。原作があるのでそれをどこまで映像化出来るのか、というところなのだろうけど、エンディングが少し
異なるようだけど面白さは忠実のようだ。
「人を喰った映画」「フェイクムービー」、監督の終わったあとの「なーんちゃってな!」と言う声が聞こえてきたら
正解、ということなのだろうか、いや違うな。カミンスキーがツェルナーに「達磨大師」の事を説明する下りがある。
それは「欲」に対する警句であり、畢竟「煩悩」に対する忠告だったような気がする。このあたりがこの映画のキモ
なのかもしれない。ツェルナーはカミンスキーと付き合うことで、自分を見出したのだろう。ラストはそれに
気がついたカミンスキーからのプレゼントだったのだ。虚々実々とはこのことだろう。不思議な映画だった。
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<ストーリー>
「グッバイ、レーニン!」のヴォルフガング・ベッカー監督と主演のダニエル・ブリュールが再びタッグを組んで贈る
奇想天外ロード・ムービー。美術史にその名を刻む破天荒な盲目の老天才画家と、彼の伝記本で一発逆転を狙う崖っぷちの
青年美術評論家が繰り広げる珍道中の行方を描く。
共演はイェスパー・クリステンセン、ドニ・ラヴァン、ジェラルディン・チャップリン。
 
  31歳の無名の美術評論家ゼバスティアンは、ある芸術家の伝記で一発当てようと目論む。相手はマティス最後の
弟子にして、ピカソとも親交のあった盲目の画家マヌエル・カミンスキー。60年代に一世を風靡するも、美術界から
忽然と姿を消してしまった伝説の存在。スイスで隠遁生活を送るカミンスキーを見つけ出し、接触を試みるゼバスティアン。
食えない老人、カミンスキーに振り回されながらも、彼がかつて愛した女性のもとへと一緒に旅に出るゼバスティアン
だったが…。(allcinema)

<IMDb=★6.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:--- Audience Score:29%>
<KINENOTE=68.1点>




by jazzyoba0083 | 2018-10-29 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

セールスマン Forushande

●「セールスマン Forushande」
2016 イラン・フランス ARTE FranceArte France Cinéma and more.
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
出演:シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリドゥスティ、ババク・カリミ、ミナ・サダティ他
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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
オスカー授賞式、作品賞を「ラ・ラ・ランド」と「ムーンライト」を取り間違えた2016年、外国語
映画賞を獲得したものの、トランプの中東の指定国からの入国ビザを交付しないことに抗議し、監督も、
主演女優も会場入りを拒否し、その面でも有名になった本作。

この映画の見方については敬愛する町山智浩氏の近著に詳しいが、イランという国はご存知の通りイスラム
原理主義に基づき、映画の製作に置いても政府の監視下にあり、特に体制を批判することは許されない。
そこで、監督は映画の中に批判を埋め込み、一見対米批判のような体裁をとりつつ、実はイランの実情を
皮肉っていく手法をとるのだという。本作のタイトル「セールスマン」も、勿論劇中劇で演じられるアーサー・
ミラーの有名な劇から取られている一方で、最後に登場する、キーになる老人の職業も指している。

映画は主人公たちの住むアパートが崩れ始めるというところから始まる。近くの造成工事が影響を与えた
らしいが、住民たちは慌てて避難する。これはイランの体制に対する揶揄のイメージか。
さて、ではファルハディ監督はこの映画に何を埋めたか、というと、イランにおける「男性優位主義」だと
町村氏は指摘している。主人公の高校教師エマッドは、崩れようとするアパートから寝たきりの青年を背負って
逃げたり、担任の生徒からも好かれ、ジェンダーにおける問題についても民主的な考え方をしているという
基本的な人格がまず提示される。

しかし、妻で女優のラナが自分が不在の折、何者かが侵入し、ラナは頭に怪我を負う。しかし警察には
届けないという。イランでは姦通罪は女性の方にも罪があり、罰せられるのだ。ハムラビ法典では石打で
死刑だ。そんな事情もあり、ラナの心は鬱屈してしまう。エマッドが警察に行っても結局は同じことに
なってしまうので、この事件を境にエマッドとラナの間に微妙な隙間が生まれて行く。

エマッド自身も劇の中で、アドリブで相手を傷つけるようなセリフを吐いてしまう。彼の性格が少し変化
してきたことを示唆している。
そして愛する妻を傷つけた犯人を憎むエマッドは自分の手で犯人探しをする。そして当時アパートの外に
あったトラックのナンバーから持ち主を割り出す。

ちょっとしたミスリードがあってそのあたりはサスペンス仕立てになっている面白さがあるのだが、犯人は
トラックで洋服を売り歩く老齢の「セールスマン」であった。エマッドは彼をアパート(崩れそうになった
やつ)に呼び出し、責める。妻を襲った時にガラスの破片で怪我をした足の包帯が揺るがぬ証拠となった。

崩れそうになったアパートから新しく引っ越してきたアパートの部屋に前に住んでいた女は売春をしており、
老人はそこに出入りしていて、まさか引っ越して他人がいるとは思わなかったのではあるが、シャワー中の
ラナについ欲情してしまったのだ。怪我をさせてしまったことはすまないがそれ以上は何もしていない、と
必死に抗弁する。が、エマッドは許さない。老人は心臓が悪く、エマッドが家族を呼べ、その前で全てあった
ことを話せ、という。老人は具合が悪くなり昏倒してしまう。そこに家族がやってきて、またさすがに
エマッドも焦り、薬を飲ませたり介護した結果、息を吹き返す。

居合わせたラナからは「家族に打ち明けさせるようなことしたら私たちは終わりよ」と宣言される。謝って
いる哀れな老人をラナは赦す気持ちになっていた。駆けつけた家族からは(老人は引っ越しを手伝う仕事を
請け負って来ているという体裁だった。それも本来、エマッドが犯人と睨んでいた娘婿でなく父親が来たの
だが彼が犯人だったのだ) ラナにそう云われて、エマッドは老人を別の部屋に連れていき、一発頬を張る。
それでもうこの事は終わりにしようと彼も飲み込んだのだ。

だが、老人は家に帰ろうとしてアパートの階段で再度昏倒、意識不明となる。救急車が呼ばれるがどうやら
老人は亡くなったようだ。救急車の脇をラナが立ち去っていく。

結局、民主的で男性優位主義者でなかったはずのエマッドが妻が被った事件により、はからずも隠れていた
男性優位主義が顔を出し、他人を赦さない狭い心も覗かせたことが図らずも露見した形になったのだ。
これは、イランの現状が、男性優位主義から抜けでようとしているようでも実際はそうではないこと、
女性の立場は法的にも社会的にもまだまだ低いということ、厳しい法律の元で女性を搾取するような
売春が行われている、という構図が、イランにおける女性の見方を表現している。
全体に人権を抑圧しているイランの現体制を批判しているのだ。それが「セールスマンの死」という
劇中劇をメタファーとして(この戦後すぐの作品にはアメリカのブルーカラーの男性優位の崩壊が謳われ
ている)その事を表現しようとしとたわけだ。

だから観ていて妻のラナの態度に、「えっ?」と思うフシもあるが、それはイランの体制を考えないと
分からないかもしれない。いい映画であるが、読み解きに鍵があるので、サラッと見ると監督の伝えたい
ことは伝わらない難解な映画ということも出来るだろう。作品中に「レイプ」や「売春」という言葉も
出てこないのに注目。

「妻のレイプ」~「妻のPTSD」~「夫の犯人探し」~「意外な真犯人登場」~「妻の心の変化と犯人を
赦さない夫」~「真犯人の思うわぬ突然死」~「結果、夫が殺してしまったことになるのか」~「夫の
元を去る妻」。カタルシスのない映画である。悪いのは誰か、まあ老人は悪いことは悪いが極悪人でも
ない、それが死んでしまう。(「セールスマンの死」は自殺だったけど)真犯人を探し責めた夫が悪い
のか?いや、夫として当然だろう。でもその元を去る妻。観ている方は今ひとつ納得行かないだろう。
それでいいのかもしれない。なぜならイランの男性優位=女性蔑視の社会は納得など出来るわけがない
のだから。
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<ストーリー>
「別離」「ある過去の行方」のイランの名匠アスガー・ファルハディ監督によるアカデミー賞外国語映画賞受賞の
心理ミステリー・サスペンス。ひと組の劇団員夫婦を主人公に、妻が自宅で何者かに襲われた事件をきっかけに、
表沙汰にしたくない妻と犯人を見つけ出すことに執念を燃やす夫の間に思わぬ感情のすれ違いが生じていくさまと、
事件の衝撃の顛末を緊張感あふれる筆致でスリリングに描き出していく。
主演は「彼女が消えた浜辺」でも共演しているシャハブ・ホセイニとタラネ・アリシュスティ。

 夫婦で小さな劇団に所属するエマッドとラナ。上演を目前に控えたアーサー・ミラー原作舞台“セールスマンの死”の
稽古で忙しいさなかに、自宅アパートに倒壊の危険が生じて立ち退きを余儀なくされる。
2人は友人に物件を紹介してもらい、まだ前に住んでいた女の荷物が残る部屋に慌ただしく引っ越す。それから間も
なく、ひとりでシャワーを浴びていたラナが何者かに襲われ、頭部を負傷する事件が起きる。
以来、心に深い傷を負ったラナは精神的に不安定になってしまう。一方、犯人を捕まえるために警察に通報しようと
していたエマッドは、表沙汰にしたくないラナの頑なな抵抗に遭い、苛立ちを募らせるが…。(allcinema)

<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:96% Audience Score:84% >
<KINENOTE=75.2点>




by jazzyoba0083 | 2018-10-25 23:30 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「イコライザー2 The Equalizer 2」
2018 アメリカ Columbia Pictures(a company of SONY) 121min.
監督:アントワーン・フークワ
出演:デンゼル・ワシントン、ペドロ・パスカル、ビル・プルマン、メリッサ・レオ、アシュトン・サンダース他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
前作から4年。同じ監督と主演で続編が作られた。前作も見ていて、ここにも感想を書いたが、基本的な感想は
前作と変わらない。一体、この手の映画の楽しさというのは、「悪い奴らを懲らしめる容赦の無さ」に対する
痛快感であろうと思うので、その点では徹底している。そのあたりが見やすくヒットするのだろう。
本作も面白かった。

前作では、部屋の中のものをビシッと揃えておかなければ気が済まない潔癖症的なデンゼルの性格が、徹底した
殺人テクニックに反映していた点で納得性が高かったが、続編では、そのあたりは分かったものとして描かれて
いるのだろうか、全体に前作を観ている条件というのが結構ついて回る。今回の相手は身内だ。かつての仲間との
死闘が描かれる。そこには何年もバディを組んだとか組まないとかの容赦は一切ない。それは相手とても同じこと。
その善悪のありようが分かりやすいので、スッキリ具合が上積みされるのでは、と感じた。

ちょっと残念だったのは、本筋が見えてくるまでにやや時間がかかること。また同じアパートに住む黒人のやや
悪い道に入りそうな黒人青年がスパイス的な役割を担うのだが、ラストシーンに結びつくカタルシスが、青年と
デンゼルの間にどのような影響のやりとりがあったのか、若干薄い感じがする。壁の画は巧すぎじゃないかな?

さりながら、デンゼルの圧倒的な強さは健在であり、カーアクションも含めて、よく計算され演出された
アクションシーンは見ごたえがあった。
昔の家で女性もののメガネをつくづくと眺めるデンゼルを観ていると、また続編がありそうだ。彼の妻か母親の
動向を巡って。キアヌ・リーブスのやっている同じようなやつと比べてスッキリ度はこちらに軍配を挙げたい。
前作ではホームセンターの従業員だったデンゼルだが、今回はウーバーみたいなタクシーの運転手をやっている。
このクルマというガジェットが映画にいいインパクトを与えたといえる。

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<ストーリー>
昼は堅気の仕事に就き、夜は法で裁けない社会の悪を退治する仕事請負人(=イコライザー)に変身。2つの顔を持つ男の
活躍を描く、デンゼル・ワシントン主演によるサスペンス・アクションの第2弾。
CIA時代の元上司を何者かに殺されたマッコールの壮絶な復讐劇が繰り広げられる。前作に引き続きアントワーン・
フークアが監督を務める。

元CIAトップエージェントのロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)は、タクシードライバーとして真面目に働く
日々を送っていた。そんなある日、親友で唯一の理解者でもあるCIA時代の上官スーザン(メリッサ・レオ)が何者かに
殺害される。怒りに震えるマッコールは、極秘捜査を開始。しかし、スーザンが死の直前まで手掛けていた任務の真相に
近づくにつれ、彼の身にも危険が迫ってくる。その手口から身内であるCIAの関与が浮上。やがてマッコールは、かつての
自分と同じ特殊訓練を受けたスペシャリストの仕業であることを掴む……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.0>
<Rottten Tomatoes=Tomatometer:51% Audience Score:69%>
<KINENOTE=74.8点>




by jazzyoba0083 | 2018-10-24 14:15 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「クレイジー・リッチ Crazy Rich Asians」
2018 アメリカ Warner Bros.121min.
監督:ジョン・M・チュウ  原作:ケヴィン・クワン
出演:コンスタンス・ウー、ヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ヨー、オークワフィナ、ケン・チョン他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<あるいは:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
なんで評価を2種類にしたのか。それは、この映画が持つ背景を踏まえないと、評価を間違えると思ったから。
私自身、アメリカで大ヒットした、ということをネットなどで知っていて、そろそろ上映も終わり頃になってしまうので
あわててシネコンに飛び込んだ。で、物語の有り様から言えば、普通の「シンデレラ」ストーリーで、別にどうって
ことはない。そう感じて観終わればそれはそれでいいだろう。だが、ここには見落としてはいけない大きな背景が2つある。

一つはハリウッドの大手映画会社が原作から監督から出演者まで全部アジア人で固めて製作した、というかつてなかった
タイプの映画であったこと。常に白人主義であったハリウッドの方向転換として評価される体制であることは理解できるが
映画の出来が悪くてはどうしようもない。ならば、なぜアメリカでヒットしたか。それはアジア人全体に対するアジア系
以外のアメリカ人の偏見や誤解があり、その一部が間違った捉え方をしているよ、と教えたことが笑いに繋がり面白がられた
のではないかと推察している。本作の中でも「アジア人はみな貧乏」というシーン、かたやシンガポールではアメリカの
子どもたちは満足にものを食べていないとするシーンなど、アジアとアメリカのそれぞれ的外れの印象を弄った面白さが
あったといえる。タイトルの「気が狂うくらいの金持ちアジア人」とは、実はシンガポールの華僑であり、その学識や
財力を含め、ほとんどのアメリカ人はその実力を知らないであろう。また中国という家系を重視する儒教思想の文化と、
現代の即物的アメリカ文化との落差も見どころだった。 
そうしてみると、今のトランプ政権のさまざまな不寛容な政策に対する皮肉、とさえ思えてくる。それは穿ち過ぎか。

一番分かりやすい例が、主人公のレイチェル・チュウを演じるコンスタンス・ウーだ。特に美人でもなく身長も高くなく
胸もない、普通の可愛い娘。彼女はアメリカで生まれ育った中国系だ。だから頭の中は完全にアメリカ人。彼氏が
シンガポールの男で、結婚を決めてシンガポールへ行ってみてビックリ!それが大体のアメリカ人の感覚じゃないかな。

以上、2つの事柄を分かっていて見るのとそうでないのとでは、映画を観終えた印象が大きく違うだろう。原作者が
この物語を地で行くような大金持ちなので、その彼がこういう物語をなぜ書いたのか、ということなのだ。

私自身、映画としては、今ひとつ乗り切れなかった。
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<ストーリー>
ケヴィン・クワンの世界的ベストセラー『クレイジー・リッチ・アジアンズ』を、主要キャスト全員アジア系俳優と
いうハリウッド映画としては異例のキャスティングで映画化し、全米でサプライズ大ヒットを記録したロマンティック・
ストーリー。
里帰りする恋人についてシンガポールへとやって来たニューヨーカーのヒロインが、相手の実家がとんでもない大富豪
だったことから、様々なトラブルや試練に見舞われる悪戦苦闘の行方を描く。
主演はコンスタンス・ウー、共演にヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ヨー、アウクワフィナ。
監督は「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」のジョン・M・チュウ。

 中国系アメリカ人で生粋のニューヨーカー、レイチェルは、恋人ニックが親友の結婚式に出席することになり、
一緒に彼の故郷シンガポールへと向かう。これまで家族の話を避けていたニックだけに、それなりの心構えをして
いたレイチェルだったが、ニックはそんな彼女の予想とは真逆のアジア屈指の不動産王の御曹司だった。
こうしていきなりセレブの世界へ足を踏み入れることになったレイチェル。しかしそこには、激しい嫉妬に燃える
独身セレブ女子たちや、財産目当てと決めつけるニックの母親が、2人の仲を引き裂こうと待ち構えていた。
(allcinema)

<IMDb=★7.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:92% Audience Score:80%>
<KINENOTE=75.6%>








by jazzyoba0083 | 2018-10-23 17:15 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「ありがとう、トニ・エルドマン Toni Erdmann」
2016 ドイツ・オーストリア Komplizen Film and more. 162min.
監督・脚本:マーレン・アーデ
出演:ペーター・ジモニシェック、サンドラ・ヒュー、ミヒャエル・ヴィッテンボルン、トーマス・ロイブル他
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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
これは!異色というか、何というか。上映時間の長さも含め、好悪の分かれる作品だ。この監督の作品は
初見だが、独特の間、意味があるようでないようなカット(シーン)、ぶっきらぼうなエンディング、
終始手持ちのカメラ、何が起きるかわからない唐突なストーリー展開。実にユニークだ。欧州の監督らしい
タッチではある。ただ女流監督っぽさは余り感じなかった。

どう感じ取ったらいいのだろうと観ている間、こちらも戸惑っていた。娘を思う父の気持ちは、場所とか
距離とかシチュエーションは関係ない、最初迷惑に思っていた娘も父の本当の愛情を理解する、という
大きな流れは把握できるのだが、冗談好き、といっても、あまり冗談になっていなくて、ホントなのか
冗談なのか、人に迷惑を掛ける一歩手前の(掛けてしまうこともある始末)もの、これはなかなか笑えない
狙いなのかもしれない。精一杯の愛情の提示として。(町山智浩氏によると、父親の中では娘はいつまでも
こどものまま。だからその間合いを考えないで、子供に通じるような「寒いギャグ」を連発、それは
この父が悪いとかそういう問題ではない、というニュアンスの解説をされていた)

コンサルタントの切れ者の娘(近々上海に異動が決まっている)が心配でドイツからブカレストまで飛んで
いく父は、一旦帰ったふりをして、娘の近くに「トニ・エルドマン」という「ドイツ大使」を名乗って
現れる。かつらを付けて差し歯をしても、娘には父親であることはひと目で分かる。「何してくれている
のよ!」と娘が思うのは当然だ。折しも大事な商談の最中。そこにも割り込んできて、(良かれと思い
結果引っ掻き回す)。結果幸か不幸かわからないけど、父親の登場により、自分が今いるポジションは
自分が生きないということが娘には分かってくる。そして結局はマッキンゼーに転職するのだ。

この映画の面白い(と思うか腹立たしいと思う人もいるかも知れない)のは、父親の奇想天外の愛情だ。
ドイツ大使として知り合った婦人の家に行き、卵の殻に彩色する集まり会場に登場し、娘に歌を歌わせ
たり、(ホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love of All」。娘はこれを断らないし、歌わせら
れた歌の歌詞の中身が実は自分が今一番考えなくてはいけないことだったりして、娘はそれに気がついて
しまう)、親が親なら娘も娘で、誕生日のパーティーを急遽全裸パーティーにしてしまったり、恋人?
関係にある同僚に自分の前でオナニーさせて、ルームサービスのケーキにぶっかけさせ、それを食べちゃう
という・・・。観ている方は父親もオヤオヤだけど、この父親にしてこの娘ありなのだなあ、と思えてくる。

ごたごたが収斂されていく先は、父親が娘を、娘が父を思う愛情であり、その形がどうであれ、それは
無償であり、計算などはないのだ。それが最後になると霧が晴れたように分かってくる。それがこの映画の
優れたカタルシスと言えるのかもしれない。娘が抑えていた自分らしくない部分をタイミングはどうあれ
変チョコリンな父の登場で、吹っ切れた、新しい自分が見えた、という。全裸パーティー(とそこに至る
娘の衣装に関する行動)はその象徴であるのだろう。娘の貧乳が映画の主張を壊さなくて良かった。これも
大事なファクターだった。
恐らく一番の感動のシーンは、全裸パーティーに北欧の毛むくじゃらのクケリに抱きつく娘のシーンでは
ないだろうか。

時間が長いのと、もう少しカットできるシーンがあったのではないかと思わないではないが、実に異色な
「父と娘の人生と愛情の再生と別れ」の物語であった。監督インタビューを読むと、ラストのぶっきらぼうな
終わり方は、「父と娘」の別れを表現しているようだ。だから確認し再生し理解し分かれる、父と親の普遍的は
サイクルへと導かれたわけだ。いずれにせよ、こういうこれまでにない表現方法で映画を
作った監督のアイデアの発露には称揚に値するところだ。
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<ストーリー>
第69回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を始め、各国で数々の賞に輝いたヒューマンドラマ。悪ふざけが
大好きな父が、娘を心配しブカレストを訪れる。数日間一緒に過ごし父はドイツに帰るが、娘のもとに
<トニ・エルドマン>という別人になった父が現れ……。

悪ふざけが大好きな父ヴィンフリート(ペーター・シモニシェック)と、コンサルタント会社で働く娘イネス
(ザンドラ・ヒュラー)は性格も正反対。そんな二人の関係はあまり上手くいっていない。
たまに会ってもイネスは仕事の電話ばかりで、二人はろくに話すこともできなかった。ある日、娘を心配
したヴィンフリートは愛犬の死をきっかけに、彼女が働くルーマニア・ブカレストへ向かう。

父の突然の訪問に驚くイネスだったが、ぎくしゃくしながらも何とか数日間を一緒に過ごし、父はドイツに
帰って行く。だがホッとしたのも束の間、彼女のもとに<トニ・エルドマン>という別人になった父が
現れる。職場、レストラン、パーティー会場……。
神出鬼没のトニ・エルドマンの行動にイネスのイライラも募っていくが、二人が衝突すればするほど
お互いの仲は縮まっていくのだった……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:93% Audience Score:73%>
<KINENOTE=73.4点>



by jazzyoba0083 | 2018-10-22 23:55 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「シシリーの黒い霧 Salvatore Giuliano」
1962 イタリア Galatea Film,Lux Film,Vides Cinematografica. 124min.
監督:フランチェスコ・ロージ
出演:フランク・ウォルフ、サルヴォ・ランドーネ他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
第二次世界大戦終了後、独立を目指していたイタリアはシチリア島を舞台にして、独立派市民、山賊、マフィア、
警察、憲兵が入り乱れて利権を争う模様を、ロージ監督がドキュメンタリータッチ描いた社会派映画。

ところが、ご覧になると分かるが、結果、なんでもありだったのかよ、と言いたくなるような結末となる。
誰が誰と結びついているのか、現代のサルバトーレ・ジュリアーニというのは独立派を応援し、政府軍と対立
した山賊の頭目であるが、彼は裏切りにあい殺される。その死体が発見された、というのが開巻である。

独立派は結局共和国政府軍に制圧されるが、自治権は担保させることに成功する。その後山賊は共産党を
狙い虐殺事件を起こす。その裁判が本作の後半のハイライトとなる。ジュリアーノを暗殺したのは憲兵と
結託したジュリアーノの右腕だったピショッタであった。そこには山賊やマフィアの権力闘争があり、警察も
憲兵も軍も信用できない世界であった。結局ピショッタは共産党虐殺で終身刑になる。そして刑務所の中で
毒入りのコーヒーを飲まされ、殺される、10年後、ラストシーンではジュリアーノ暗殺を知っていると思われ
る男が群衆の中で銃で殺されるように、暗殺の真相は未だに分かっていない、(ラストシーンで死んだ男が
マフィアだとは分からなかった)

これはイタリアの戦後の利権の争奪構造が分からないとちょっと難しい。所々にナレーションによる解説が
入り、説明されるのではあるが。ロージ監督の狙いは、イタリアの黒い世界の記録であって、それ以外の
何者でもないとすればそれはそれでいいだろう。が、興味のない人にはおそらく退屈だと思う。

本作を観ていて深作欣二監督の「仁義なき世界」シリーズを思い出していた。ナレーションの付け方、戦後の
闇社会、(描かれている世界や演出や表現方法はえらく違うが)を描いている。そして、結局闇社会のなんでも
アリの状況を活写している点も相似な感じだ。(若松孝二監督の手法とはいささか異なるが)
また、サルヴァトーレ・ジュリアーノ自身の事をもっと取り上げた映画ならばマイケル・チミノの1987年の
「ザ・シシリアン」の方が分かりやすいかもしれない。

もし、興味を持たれてこの映画を観てみようとされる方は、wikipedia等で、この事件の概要をおさらいしてから
観たほうが断然面白いと思う。
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<ストーリー:最後まで触れています>
1950年7月5日。シシリー島(シチリア島)のある民家の中庭でサルバトーレ・ジュリアーノという三十歳の男の、
射殺死体が発見された。話は五年前にさかのぼる。当時シシリー島には独立運動が渦まき、独立義勇軍がマフィアや
地主勢力と結んで、ファシスト政府と戦っていた。

義勇軍は匪賊サルバトーレ・ジュリアーノ一味を味方にし、独立達成の時は彼らを特赦することを約束していた。
が、連合軍上陸と同時にイタリア解放委員会第一次政府は、義勇軍を弾圧した。
そして五年後の今、中庭ではジュリアーノの検死がつづく。彼は誰に殺されたのか。再び話は1946年。政府軍は
シシリー独立義勇軍を攻撃した。だがジュリアーノは最後まで戦った。そしてシシリーには自治が認められた。

しかしジュリアーノ一味は匪賊とみなされ、特赦されなかった。そして現在、ジュリアーノの母は息子の死体に
とりすがって泣く。「彼を誰が殺したか!」と。再び1949年。第一回シシリー自治政府の選挙は人民連合派の
勝利に帰した。共産党はメーデーを祝う。その時、ジュリアーノ一味が集会を銃撃した。そして今。ジュリアーノの
死をめぐる裁判では彼の片腕ピショッタ(フランク・ウォルフ)が出廷し、奇々怪々な当時の情勢が明るみに出る。

誰が彼にメーデーを襲撃させたか。そして誰が、彼を殺したのか。話はもう一度1950年に。マフィアは憲兵隊と
組んでジュリアーノ一味を追いつめた。そして憲兵隊はかくれ家を襲いジュリアーノを殺した。死体は中庭に
引出された。そして現在。法廷で終身刑をいい渡されたピショッタは無実を叫ぶ。だが、ジュリアーノ殺しは一体、
何のために、誰の手引きでなされたのか。十年後の1960年に、当時を知るマフィア一味の一人が群衆の中で殺
れた。そして未だに、ジュリアーノ殺しの真相は解っていない。(Movie Walker)

<IMDb=7.4 >
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: 100% Audience Score:66%>
<KINENOTE=68.7点>



by jazzyoba0083 | 2018-10-21 22:55 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ A Street Cat Named Bob」
2016 イギリス Shooting Script Films, Prescience,Iris Productions. 103min.
監督:ロジャー・スポティスウッド  原作:ジェームズ・ボーエン「ボブという名のストリートキャット」
出演:ルーク・トレッダウェイ、ルタ・ゲドミンタス、ジョアンヌ・フロガット、アンソニー・ヘッド、キャロライン・グッドール他
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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
いい映画を見させてもらった。じんわりと心が温かくなる。実話なのだが、実話が持つ下駄を履いた感動とは
ちょっと違う感動だった。猫が主人公?だからだろうか。

ジェームズ・ボーエンと彼の愛猫ボブは、ロンドンに実在する「コンビ」であり、ジェームズはドラッグ中毒から
抜けようとメタドンという代用薬を服用することを義務付けられた再生プログラム中のストリートミュージシャンだ。
もし、これが創作であったなら、希望のないジェームズの元にやってきた迷い猫は、「なんらかのメタファーに
違いない」と深読みしてしまい、結果面白くなくなってしまうのだろう。だからこれが実話で良かったし、感動した
のだと思う。

両親は離婚、父親はいるのだが、再婚し、ジェームズの姿を見て見ぬふりをしている。ジェームズ自身、プロを
目指しなんとか薬を断ってまともな生活に戻りたいとあがいていた。これを助ける福祉事務所のヴァルと言う女性と、
近所に住み、その後、ジェームズの人生に深く関わってくる、兄を薬物中毒で失っているポップなビーガン娘
ベティ、この二人の支えと理解が大きかった。こうしたジェームズがヴァルの好意であてがわれたアパートの部屋に
迷い込んできたのが、ボブと名付けた茶トラの猫だった。

猫という動物は犬と良く比較されるのだが、人間との距離を置き、自由で孤高なツンデレな存在。そんなボブは
もちろん喋らないが、ジェームズの事は全部分かっているよ、という雰囲気。このボブが怪我をして来たので、
ジェームズは自分の食い扶持をはたいて動物病院で治療をさせる。すると、ボブはジェームズに心を許したのか、
ストリートの演奏にバスを追いかけて乗り込みついてくるようになった。肩に止まる猫のミュージシャンはたちまち
人気者になりチップも俄然増えてきた。雑誌売をバイトにすると、猫目当ての客が次々と雑誌を買ってくれる。
更には新聞がニュースにし、出版社は本にしようと目論んでいた。

そうした間にも、父親との問題や友人バズの薬物死、ボブの突然の失踪などいろいろと事件は起きる。
ジェームズは、ボブと二人なら薬物を断てる、とメタドンを止めることを決意する。ヴァルからはヘロインを
止めるより辛いわよ、と言われるが、ジェームズはベティの協力も得て、数日の断薬にのたうち回りながら
成功する。ボブはそっと寄り添うだけ。すり寄ったり励ましたりとい風情も見せない。(これが猫のいいところ
なんだろう)ジェームズは断薬に成功、出版社からの申し入れを受け、やったこともない原稿書きにも挑戦した。

そして完成した「ボブという名のストリートキャット」は大ベストセラーとなり、ジェームズは家を買うことも
出来たという。そしてジェームズとボブは今でも一緒に暮らしているという。ただジェームズが音楽家として
成功した、というニュースは聞いていない。ジェームズが書店でサイン会を開くのだが、その際のスピーチで
誰でもセカンドチャンスに挑戦できる」と語るが、ボブという味方がジェームズには大きな力になって
くれたし、ベティとヴァルという二人の強力な味方もいたことは彼にとってとてもラッキーだった。だから
挑戦は出来るけど、しかし・・・という感じもしてしまうのだった。

ジェームズは断薬に成功し、しかも書いた本が大ベストセラーになり、相当のお金が入ったに違いない。
そんな幸運を招いたボブではあったが、それはあくまでジェームズが努力した部分が大きい事も確かだし、
猫とコンビを組んだ、という状況は確かに幸運だったこともまた確かだ。こんなラッキーもあるのか、と
どこか羨んでいる自分が居ることも確かだ。世の中、ジェームズとボブのように上手くは行かない
上手く言ったから映画にもなったのだろう。

ボブは本人が出演している。おりこうな猫だなあ。猫には演技を付けられない、としたものだが、おとなしく
肩に止まったり、大した猫だ。ギャラもいらないし。またジェームズの作った実際の歌が映画にも使われて
いるのだが、確かにこれはヒットしそうもない曲だなあ、と思わせる。詩はジェームズの心の叫びなので
共感できるのだが、曲がいまいち。でも、それがこの映画には幸いしている

さらに気がついたのだが、この映画には携帯電話のシーンが一つもない。最近の映画では珍しいのではないか。
もちろん猫は携帯を使わないし、ジェームズには携帯を買う金もないのは確かであるが、基本、会話は対面だ。
これが人間臭くて良かったと思う。狙ったのかどうかは分からないけど。

ブロックバスターな映画では無いけど、こういう映画もいいなあ。レンタル屋に行ってこの映画が目についたら
お借りすることを強くお勧めします。
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<ストーリー>
どん底のストリート・ミュージシャンと一匹の野良猫の驚きと感動の実話を綴った世界的ベストセラーを映画化
したハートウォーミング・ストーリー。
主演は「タイタンの戦い」のルーク・トレッダウェイ、共演にルタ・ゲドミンタス、ジョアンヌ・フロガット、
アンソニー・ヘッド。また、猫のボブ役にはボブ本人が起用され、映画初出演とは思えない見事な演技を披露して
いる。監督は「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」「シックス・デイ」のロジャー・スポティスウッド。

 イギリス、ロンドン。プロのミュージシャンを目指すも、夢破れてホームレスとなった青年ジェームズ。
薬物依存からも抜け出せず、父親にも見放されて、その日の食事にも事欠くどん底の日々を送っていた。
そんなある日、茶トラの野良猫と出会ったジェームズ。ケガをしていたその猫を、なけなしの金をはたいて
助けてあげると、すっかり懐いてジェームズから離れようとしない。
野良猫はボブと名付けられ、ジェームズの肩に乗ってどこへでもついていくようになる。すると、これまで
ストリートで演奏しても誰も立ち止まってくれなかったジェームズの周りに人だかりが出来るようになる。
そんな一匹の猫とストリート・ミュージシャンのコンビは、たちまち世間の注目を集めるようになるのだったが…。
(allcinema)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:77%  Audience Score:76%>
<KINENOTE=74.7点>








by jazzyoba0083 | 2018-10-20 23:15 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ナチスが愛したフェルメール A Real Vermeer」
2016 オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ Rinkel Films and more. 115min.
監督:ルドルフ・ヴァン・デン・ベルフ
出演:ユルン・スピッツエンベルハー、リゼ・フェリン、ルーラント・フェルンハウト他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
折しも上野の森美術館では、世界中から8点もの作品を集めて「フェルメール展」開催中。
この画家が好きな私も、先日行ってきた。アムステルダム国立美術館に展示されている
ものに日本で再会したり、なかなか魅力的な展覧会だった。
世界に真贋が決定していない2点を含めても37点しかその画の存在が知られていない
フェルメールは「光の魔術師」と称され、日本にも多くのファンを持つ。

本作はそのフェルメールの物語ではなく、彼の贋作を制作し、戦後世界中を驚かせた男、
ハン・ファン・メーヘレンの物語である。
映画は、彼がフェルメールの画をナチスに売った罪で告発された裁判から始まる。彼は
「あの画はフェルメールではない。私が描いた。私は贋作者であっても売国奴ではない」と
無罪を主張、検察は国家反逆罪で死刑に持っていきたいところ。そのあたりに興味を置きつつ
話は過去に戻っていき、その後法廷と過去と時制が行き来しながら進んでいく。

当時は今ほどフェルメールは有名ではなく、知られた画以前に彼が描いた、と称してメーヘレンは
主に宗教画を中心に贋作を描き、フェルメール好きで有名なナチスのゲーリングに高価な対価で
売ったのだった。その他、「エマオの食事」(1936年)は、当時のフェルメールの研究家たちから
「本物」と認められ、ロッテルダムのボイマンス美術館が54万ギルダーで買い上げたという。
この画は、贋作への戒めとして、今でもボイマンス美術館に展示されている。

映画はメーヘレンがいかにして贋作者となったか、また彼を応援してくれていた画廊経営者の妻を
横取りした色恋沙汰も含め、史実に忠実に描いていく。大きな破綻なくなかなか上手く描かれて
いると思う。惜しまれるのは、忠実過ぎるという点と、画廊経営者の妻との恋愛がいささかクローズ
アップされすぎで、売国奴と言って責められる彼が、法廷で実際にフェルメールの贋作を描いて
見せるまでのドラマチックな展開に、水を指した感じがした。色恋沙汰もメーヘレンの一生の一部で
あったことは確かだけど、ちょっと大きなテーマ2つを追いすぎたのではないか。

メーヘレンは裁判後ほどなくして心臓発作で亡くなり、あまり話題に上らなくなってしまうのだが、
フェルメールの贋作を作るとは、よほど自分の腕に自身があったに違いなく、また17世紀の画に見せる
ため、科学的な処理をしたり芸術面だけではなく、「贋作者」として天才・一流であった。

裁判は結局、確かにメーヘレンがフェルメールの画を描いたということがレントゲン写真の判定なども
あり証明され、詐欺罪(国やナチスから多額の売買代金を詐取した)でも訴追されたが無罪となり、
フェルメールの署名を偽造した罪のみ問われ懲役1年を言い渡された。世論も「売国奴」から一転、
「ナチスを騙した英雄」となったのだった。

映画はこうした数奇な人生を歩いたメーヘレンについて知るにはいい参考書であろう。ただ映画としての
出来は、先述のようにいまひとつな感じ。実際、日本では封切られておらず、ビデオスルーになっている。
フェルメールがお好きな方は一度見てみるといいかもしれない。

<ストーリー>
自分の画家としての才能を認めない母国オランダに復讐すべく、フェルメールの名画を何度も贋作した実在の
画家ファン・メーヘレンの数奇な半生を、“真実に限りなく近い”とうたって再現した異色の伝記ドラマ。
実は贋作であるフェルメールの絵画をナチスドイツの高官たちに売ったことで訴えられたファン・メーヘレンの
実像に、ふんだんな回想場面を駆使して肉薄。ファン・メーヘレンと愛し合った人妻、ヨーランカ役の
L・フェリンがとても美しく、彼女のヌード姿も大きな見ものだろう。WOWOWの放送が日本初公開。

1945年、オランダ。画家ファン・メーヘレンは戦時中、ゲーリングらナチスの高官たちにフェルメールのものと
される絵画を売ったことを問題視され、反逆罪と詐欺罪の両方で訴えられる。
1920年代、若かりし日のファン・メーヘレンは才能をなかなか認められず、フェルメールなどの贋作で生計を
立てる。一方、そのころ出会った貴族の妻で女優でもあるヨーランカの美貌に魅了され、彼女をモデルにし、
彼女との関係を深めていく。(WOWOW)

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<IMDb=6.1>




by jazzyoba0083 | 2018-10-19 22:30 | 洋画=な行 | Trackback | Comments(0)

●「インクレディブル・ファミリー Incredibles 2」
2017 アメリカ Pixar Animation Studios,Walt Disney Pictures. 117mi.
監督:ブラッド・バード
(声の)出演:クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サラ・ヴォーウェル、ハック・ミルナー、サミュエル・L・ジャクソン他
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<評価:★★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
アメリカで公開直後から大ヒットしていたことは知っていたが、1作目を見ていないので、敬遠していたが
ハワイから帰ってくるJAL機内で観るものがなかったので、気楽な気分で観始めた。

PIXARのフルCGアニメは「トイ・ストーリー」を全作観ていて、劇場公開から随分経ってから何気なく観始め
たら面白くてハマってしまい、シリーズを全部観たという「前科」が私にはある。
このデンで行くと、一作目の「Mr.インクレディブル」も機会があれば観ることになるだろう。そのくらい
面白かった。アニメーションの世界なので、描かれる世界はなんでもありなので、要はストーリーがどのくらい
面白いか、が評価の大きなポイントとなると思うのだが、本作はその点、老若男女、誰にでも受け入れられる
ように設計されている。
かつ家族ものとしての愛情と結束など、心に訴えかけるもの、一方、家族あるある、赤ちゃんあるある、などに
基づいたギャグもふんだんにまぶしてあって、アメリカ映画の基本である、勇気と愛情の典型として優等生的な
出来上がりとなっている。逆に言えば「尖った」物語ではないということだ。そうしたステレオタイプな内容を
「退屈」と見る人もいるだろうことは想像に固くない。が、私は面白く観た。

1作目はどういう物語かは知らないが、故あって超能力を禁止されているボブ一家。そこに世界を電波で洗脳し支配
しようとする悪が登場し、ボブ一家の、中でもママであるイラスティガールの活躍が中心に描かれる。と同時に、
赤ちゃんジャック・ジャックの超能力が明らかにされる。(これがまた半端ないものだったりするのだが、いかんせん
まだ使い方が分からないのがコミック的) 超能力の使い手の集まりの活躍はアヴェンジャーズやジャスティス・
リーグなどで既視感はあるが、エキセントリック具合はアニメの得意とするところで、更に家族というアイデアが
上手く機能して面白く見せている。今回は子守に徹しなくてはならないパパのボブ、娘のヴァイオレットは学校で
デートの約束を取り付けた子にスーパーガールの姿を見られてしまった上、ボーイフレンドが怪電波の力で
ヴァイオレットの事を頭から消されてしまったりで、日常的なことをネタに危機を描いてみせるところがPIXAR
らしいというかディズニーらしい。

また1作目から存在したらしいフロゾンの活躍も目覚ましい。そしてさまざまな超能力者が出てくるから、三作目は
アヴェンジャーズみたいなものになるのかもしれない。とにかくプロットを構成するアイデアが秀逸でアニメと
侮れないPIXARの実力が発揮された、優秀なフルCGアニメ、ということが出来るだろう。それは「トイストーリー」
の製作思想に通底している。
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<ストーリー>
スーパーパワーで世界の平和を守るヒーロー家族の活躍を描く、ディズニー/ピクサーによる人気アニメーションの
続編。スーパーヒーローの復権のため、家事を夫のボブに任せて謎の敵と戦う妻ヘレンがトラブルに巻き込まれ、
家族総出で困難に立ち向かっていく。末っ子の赤ちゃん、ジャック・ジャックの能力が覚醒し、大騒動に!

ヒーローたちの驚異的なパワーは人々の生活にダメージを与えてしまうことがあるため、今はその活動を禁じられ、
能力を隠して生活していた。かつてのヒーロー界のスター、Mr.インクレディブルこと怪力パパのボブ
(声:クレイグ・T・ネルソン)もその一人で、彼の家族もスーパーパワーを持つヒーロー一家だった。

妻ヘレン(ホリー・ハンター)はゴムのように伸縮自在のボディを持つイラスティガール、長女ヴァイオレット
(サラ・ヴァウエル)は身体を透明にしたり鉄壁のバリアを張ることができ、長男ダッシュ(ハック・ミルナー)は
ハイスピードで走ることができる。そして、能力未知数の赤ちゃんジャック・ジャックもいた。そんなある日、
地底からアンダーマイナーが出現。活動禁止のルールよりも人々を守ることを優先したMr.インクレディブルと
イラスティガールが街を救う。
しかし、戦闘中にビルを破壊したため、感謝されるどころか警察で事情聴取されてしまう。現実の厳しさを知った
ヘレンは、仕事を見つけて家計を支えようと決意する。一方ボブは、ヒーロー復活の夢を追い続けていた。
そんなとき、復活をかけたミッションが舞い込む。しかし任されたのは、建物などを破壊する恐れのないヘレン
だった。ボブはショックを隠し、ヘレンの代わりに家庭を守ることを約束するが、慣れない家事や育児に悪戦苦闘。

おまけにジャック・ジャックのスーパーパワーが覚醒し、振り回されたボブは疲労困憊に。そのころ、イラスティ
ガールは“ある事件”に遭遇していた。リニアモーターカーが暴走したかと思えば、テレビ番組がジャックされる。
乗客たちを救った彼女は、人々を操る、スクリーンスレイヴァーと名乗る謎の存在に辿り着く。そこには、世界を
恐怖に陥れるさらなる驚愕の陰謀が待っていた。ヘレンの身にも危険が迫り、異変に気づいたMr.インクレディブルが
駆けつける。さらに、両親の危機を知ったヴァイオレットとダッシュも、ジャック・ジャックを守りながらある
決意をする。(Movie Walker)

<IMDb=★8.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:94% Audience Score:87% >
<KINENOTE=75.2点>



by jazzyoba0083 | 2018-10-09 14:50 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)