ポルト Porto

●「ポルト Porto」
2016 ポルトガル・フランス・アメリカ・ポーランド Double Play Films (II) and more. 76min.
監督・(共同)脚本:ゲイブ・クリンガー 製作総指揮:ジム・ジャームッシュ
出演:アントン・イェルチン、リュシー・リュカ他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
映像詩を観ているような1時間15分。ただ映像の構成上、時制が前後するので筋を理解するのに
時間を要した。ただ、ストーリーに何か難しさがある作品ではない。ポルトガルの港町ポルトを
舞台に、その街で会った一組の男女の「愛情のヒダ」のようなものを3つのブロックに分けて
描いていく。「ジェイク」「マティ」「ジェイクとマティ」というふうに。故にシーンも重複
する。
必然の出会いの結果の愛と捉えるジェイク、束縛されることを嫌い自由を求めるマティ。珍しく
ないシチュエーションだ。一度は強く惹かれ合った二人が、再び離れていく様子を、ポルトガルの
港町を背景に描いていく。具象的なテーマであるが観念的な構成となっている。雰囲気を楽しむ
タイプの映画。このあたりジャームッシュの影響があるかもしれない。「パターソン」の匂いがする。

短い作品なので、ざっと見ることも出来るが、短いシーンに重要な意味があったりするので、
油断は出来ない。

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<ストーリー>
ブラジル出身の新鋭ゲイブ・クリンガー監督が、ジム・ジャームッシュ製作総指揮の下、記念すべき
長編劇映画デビューを飾ったラブ・ストーリー。ポルトガル第2の都市ポルトを舞台に、アメリカ人の
青年とフランス人女性が繰り広げる儚くも情熱的な行きずりの恋の顛末をほろ苦くもロマンティックに
綴る。主演は2016年6月に惜しくも他界したアントン・イェルチン。共演にリュシー・リュカ。
 
ポルトガル北部の港湾都市ポルト。26歳のアメリカ人ジェイクは家族が住むリスボンを離れ、この地で
孤独な日々を送っていた。一方、32歳のフランス人留学生マティ。考古学を学ぶ彼女は、ソルボンヌの
大学で知り合ったポルトガル人の教授ジョアンとともにこの地にやって来た。恋人でもあるジョアンから
求婚されているマティだったが、何よりも自由を大切にしたいと考えていた。
そんな2人は夜のカフェで出会い、引っ越してきたばかりのマティの新居で一夜をともにするのだったが…。
(allcinema)

<IMDb=★6.2>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:48% Audience Score:46%>
<KINENOTE=62.9点>



by jazzyoba0083 | 2018-11-29 16:00 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ブランカとギター弾き Blanka」
2015 イタリア Biennale College - Cinema,Dorje Film,Simple Truth Productions.77min.
監督・脚本:長谷井宏紀
出演:サイデル・カブテロ、ピーター・ミラリ、ジョマル・ビスヨ、レイモンド・カマチョ他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
世界を放浪していた映像作家、長谷井宏紀氏が、フィリピン・マニラの「スモーキーマウンテン」と
いうスラムで体験した感動を印象をベースに、「ヴェネツィア国際映画祭の出資のもとに映画を制作できる
プロジェクト、カレッジ・シネマ部門に応募した。1枚の企画書と15分の短編映像だけでね」(本人談:
引用元:TABI LABO) とうように、映画祭に制作費を出してもらい、完成させた中編。

盲目のギター弾きも、主役を除く子役もほとんどがストリートで見つけてきたという。これは愛に溢れた
一編だ。ブランカは捨て子。周りのストリートチルドレンも同じ境遇で、極貧の中で、窃盗やスリを
生業としてなんとか口に糊している子どもたちだ。本物をキャスティングした重さのようなものを感じる。

子供らの子供らしい考え、善悪を見極める彼らなりの目線、せっかくライブハウスで歌を披露できるように
なったのに、そこの授業員にハメられクビになってしまうなどの大人の打算の嫌らしさ、そして
何の欲もなく毎日ストリートでギターを弾いて小銭を集めているピーターというじいさんとブランカの
心の交流。やさしいのはオカマだったりする。ストリートチルドレンの問題はもちろん、障害者やLBGTへの
視点もある。そこには長谷井監督が体験で得られたことから滲み出た、人間を見つめる優しさがある。
ブランカが歌う唄が耳について離れいない。
長い映画ではないが、いろんな意味で訴えるものが多い映画だった。心を素直に保って観たい作品。

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<ストーリー>
ヴェネツィア国際映画祭2015マジックランタン賞、ソッリーゾ・ディベルソ賞受賞のヒューマンドラマ。
マニラの路上で暮らす孤児の少女ブランカは、母親をお金で買うことを思いつく。歌が得意な彼女は、
盲目のギター弾きピーターから歌で稼ぐ方法を教わる。
監督は、「モンゴル」で映画スチール写真を担当し、本作が長編監督デビュー作となる長谷井宏紀。
ブランカ役にYouTubeがきっかけで本作に出演することになったサイデル・ガブデロ、ピーター役に
実際に街角で流しの音楽家として活動していたピーター・ミラリのほか、ほとんどの出演者が路上で
キャスティングされた。

孤児の少女ブランカ(サイデル・ガブデロ)は、窃盗や物乞いをしながら路上で暮らしていた。
ある日、有名な女優が自分と同じ境遇の子供を養子に迎えたというニュースをテレビで見ると、
“お母さんをお金で買う”ことを思いつく。
そのころ、行動を共にしていた少年たちがブランカに意地悪をして、彼女のダンボールでできた
小さな家を壊す。全てを失い、途方に暮れたブランカは、流れ者の盲目の路上ギター弾きピーター
(ピーター・ミラリ)と出会い、彼に頼み込んで一緒に旅に出る。ブランカは辿り着いた街で
“3万ペソで母親を買います”と書かれたビラを貼り、その資金を得るため盗みを働く。
ピーターはブランカに歌でお金を稼ぐ方法を教える。ピーターが弾くギターの音に合わせて
ブランカが歌うと、街行く人々が足を止めた。
二人はライブ・レストランのオーナーに誘われ、ステージの上で演奏する仕事を手に入れ、屋根の
ある部屋で暮らせるようになる。ブランカの計画は順調に運ぶように見えたが、彼女の身には
思いもよらぬ危険が迫っていた……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=No data>
<KINENOTE=73.7点>





by jazzyoba0083 | 2018-11-28 22:30 | Trackback | Comments(0)

●「聖なる嘘つき/その名はジェイコブ Jakob the Liar」
1999 アメリカ Columbia Picrtures Co.120min.
監督・(共同)脚本:ピーター・カソヴィッツ  原作:ユーレク・ベッカー
出演:ロビン・ウィリアムズ、ボブ・バラバン、ハナ・テイラー・ゴードン、アラン・アーキン、リーヴ・シュレイバー他
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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
本作を観ながらベニーニの「ライフイズビューティフル」を思い出していた。この映画は同じユーレク・
ベッカーの原作で当時の東ドイツが製作し、オスカーの外国語映画賞にノミネートされてる。

閑話休題。ポーランド人とドイツ人の会話が英語で行われるといのはどうも引っかかってしまう。
キャラクターとしてのロビン・ウィリアムズのキャスティングは正解だったと思う。ポーランドの
ゲットーで、希望を失った人々のために「ラジオを持っていて、それによるとソ連による攻撃が
近いところに来ている」というウソをつく。たまたま司令部に連れて行かれたときに聞いてしまった
ドイツのラジオ放送を自分なりに脚色して喋ったことが、情報に飢えていた収容所の人々に燎原の
火の如く広まっていく。「ラジオを持っている」元パン職人ジェイコブは、まわりから敬いの視線を
浴びるようになる。

冒頭、ジェイコブのボイスオーバーで、「我々ユダヤ人は逆境でもユーモアが好きだ。それが生きる
強さに繋がっている」みたいなことを言う。で、ジェイコブはたまたまナチ司令部に連れて行かれ、
そこで聞くでもなく耳に入ってきたのが、ソ連軍がゲットーの400キロ手前まで来ているということ。

それを身内を勇気づける意味で喋ってしまった。ところが戦況など全く知りえない収容所のユダヤ人は
情報に飢えていて、少しの明るい情報でも生きる糧にしたかった。というわけで、この噂はたちまち
収容所内に広まる。ジェイコブはラジオを持っていて、情報が入ってくる。(ラジオを持っていることが
ナチにバレたら勿論銃殺)。ジェイコブは人々が自分のウソで生きる希望を持ち始めていること、
また収容所の知恵袋的存在で世界一の心臓外科医と云われる先生に、君のしていることはいいことだよ、
と云われ調子こいて、いろんな脚色をしてウソをつく。ちょっとした音や空を行くドイツ軍の戦闘機も
いい方に捉えて皆にいう。開放が近いなら所内で組織を作ろうということになりジェイコブが選挙で
リーダーに選ばれる。その頃、皆殺しというニックネームが付いた将軍が収容所にやってくる・・・。

ジェイコブはラジオを持っていたとウソをついたことで最後には将軍に銃殺されてしまう。そして
収容所の面々は列車に乗せられ最終処分場へと送られる。しかし、その途中でソ連軍が列車を止めた。

結果、ジェイコブの言っていたことは本当だったのだ。あくまでも結果論だが。ではジェイコブが
収容所の人々にウソをいうことで勇気を持たせていた行動は肯定されるのか、意味のないたわごとで
藁をもすがりたい人々を翻弄したに過ぎないのか。ジェイコブには勿論悪意はない。扇動する気もない。
ただ、絶望の淵にいた収容所のみんなに少しの希望を与えたかっただけなのだ。だが冒頭で語って
いたように「ジョーク」のレベルで済まなくなった。ソ連が400キロまで近づいていたことは
司令部のラジオが言っていたことなので本当だったわけだが、それだけでは済まなくなってしまった所に
彼の悲劇があった。「あるはずのないラジオ」が独り歩きを始めてしまたから。

ラスト近くで床屋の親父が言う。少しの間でも希望を抱けたことは感謝する、と。彼は列車に乗ることを
拒否しクビを括って自殺を遂げてしまうのだ。列車に乗っていれば助かったかもしれないのに。
最後にジェイコブが司令部に自首しに行くと、司令部は移動するようでざわついていた。そこから
聞こえるラジオには「ノルマンディー」という言葉が聞こえいた。もしジェイコブがノルマンディーを
しっていたら、最後にゲットーのみんなの前で殺される覚悟で開放が近いことを言えたかも知れないなあ、
などと思っていた。

ジェイコブを取り巻くキャラクターとして、先の床屋以外に、列車から一人のがれ、ジェイコブの家に
匿われていた少女リーナ、ボクサーだったミーシャとその婚約者、そして心臓医のフランクフルター博士
(アラン・アーキン)らのサイドストーリーが物語に厚みを加える。

全体として興味深い映画であったが、喜劇性と悲劇性のバランスが良くないような気がして今ひとつ
観終えてスッキリしなかったというのが本音だ。
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<ストーリー>
第二次大戦中、ナチスの占領下のゲットーで、ある男の嘘による「想像のラジオニュース」が人々に生きる
勇気を与えていく感動的なヒューマンドラマ。原作はユーレク・ベッカーの『ほらふきヤーコプ』(同学社刊)で、
74年にも「嘘つきヤコブ」として映画化されている(ベルリン映画祭で銀熊賞、ウラディミール・ブロドスキが
主演男優賞)。
監督はハンガリー出身のユダヤ人で自身もホロコーストの生き残りであるピーター・カソヴィッツ。
製作総指揮は主演のロビン・ウィリアムス。

1944年、ナチス占領下のポーランドのゲットー。外界のニュースを求めて新聞紙を追ったユダヤ人ジェイコブ
(ロビン・ウィリアムス)は、ゲットーの塀の前で衛兵に止められ、夜間外出禁止令に反したとして司令部に
出頭を命じられる。無人の司令部事務所に入って行ったジェイコブはラジオ放送から、この町から400キロ先に
あるベザニカでドイツ軍がソ連軍と交戦したというそのニュースを耳にする。

ポーランドまでソ連軍が進攻してきたことを知ったジェイコブは思わず笑みを浮かべる。やがて事務所から
帰されたジェイコブは、収容所に送られる列車から逃げ出してきたリーナ(ハンナ・テイラー・ゴードン)と
出会うい、屋根裏に彼女を匿うことにする。ゲットーの仲間たちはもうほとんど収容所に送られてしい、
ジェイコブの妻ハンナも射殺された。残された住人は外界から遮断され、ラジオを持つことも禁じられている。

ジェイコブは夜が明けると、早速咋夜のニュースを自殺願望のある床屋の友人コワルスキー(ボブ・バラバン)や
何人かの知り合いに伝えた。そのニュースは、ジェイコブがラジオを持っているという噂と共に、たちまち
ゲットー中に広まっていった。ニュースの続報をしつこく聞かれたジェイコブは、ドイツ軍がソ連に反撃する
ために東に向かっていると、口から出まかせの戦況を伝える。そのニュースを、収容所へと向かう貨車に乗って
いるユダヤ人たちに教えようとしたハーシェル(マチュー・カソヴィッツ)はナチスの兵士に射殺されてしまう。

白分は嘘がハーシェルを死に至らしめたと、ジェイコブは悩むが、住人たちはますますニュースを欲するように
なる。ジェイコブは苦し紛れに嘘の上塗りを続け、ラジオ・レポートはどんどんエスカレートしていく。
ある日、リーナが病気になり、ジェイコブはリーナを元気づけるために、良くなったらラジオを聞かせると
約束する。やがて回復したリーナに、ジェイコブは約束を果たすため、チャーチルの声色を使ってBBC放送を
演じてみせる。

ゲットーの住人たちは抵抗組織を作ることを思いつく。組織作りの集会で、ジェイコブはリーダーに選ばれる。
が、その時ゲシュタポが心臓を病んでいる将軍の命令でゲットーの医師を連れに来た。しかも、将軍は町で
語題になっているラジオの持ち主を密告するように迫る。医師は毒薬をあおって自殺するが、将軍はラジオの
持ち主の捜索に乗り出し、本人が出頭しなければ人質10人を殺すと言う。ジェイコブはラジオのニュースを
聞いたいきさつをコワルスキーに告白、そして司令部に事実を話しに行くことを決意する。コワルスキーは
真実を知って首を吊り、残された住人たちは列車へと追い立てられていく。連合軍の進攻で、町のゲシュタポは
撤退の準備を始めていたのだ。司令部でラジオのニュースを偶然聞いた事実を将校に語ったジェイコブは、
住民たちの前でラジオのニュースも抵抗運動も、みな嘘だったと言うように強要される。駅の司令台の上へと
引き立てられるジェイコブは、嘘をつき通して人々に生きる希望を与えることを選ぶのだった。(Movie Walker)

<IMDb=★6.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:29% Audiece Score:63% >



by jazzyoba0083 | 2018-11-27 23:20 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

ポワゾン Original Sin

●「ポワゾン Original Sin」
2001 アメリカ Metro-Goldwyn-Mayer Pictures.116min.
監督:マイケル・クリストファー 原作:ウィリアム・アイリッシュ
出演:アントニオ・バンデラス、アンジェリーナ・ジョリー、ジョーン・プリングル、アリソン・マッキー、トーマス・ジェーン他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆-α
<感想>
同じ原作に基づいたトリュフォーの「暗くなるまでこの恋を」のリメイクとは、観終わってから気がついた。
原作のアイリッシュはヒッチコックやトリュフォーの原作に用いられたミステリ作家で、本作のオリジナルは
未見だが、おそらく原作はもう少しまともな感じがする。また「暗くなるまでこの恋を」の粗筋をネットで拾って
読んでみると、特にエンディングあたりで大きく異なり、「品を失った」感じが推察できる。

マイケル・クリストファー監督はその後、監督としては大成していないところをみると、この程度が限度だった
のだろう。しかし、褒めておかなくてはならない点もある。画作りだ。彼は二人のトレンド俳優を使って古い
オリジナルをスタイリッシュに仕上げたいと思ったに違いない。舞台となるキューバのシーン、構図が計算され
ローキーの深みのある映像は、ステディカム、ドリー、レール移動、クレーンなど多彩な手法を使って作り上げて
いて、それは美しい。そしてテレンス・ブランチャードの音楽もカリプソを中心にして、いい感じのまとめ方だった。

だが、映画は映像が綺麗で、音楽が良くてもいい映画にはならない。どんでん返しにつぐどんでん返しだが、
多くのレビュアーが書いているように、ラストでコメディになってしまった恨みがある。それとバンデラスが
いわゆる毒婦のアンジーに、全財産を投げ売って、殺人まで犯して入れあげるモチベーションが深掘り出来てい
ないので全体に薄っぺらい。さらに主役の二人に深みを感じないので、せっかくの原作が生きなかった点が
惜しい。トータルとして観られないものではないが、「映画の出来」としては低い評価にとどまらざるを得ない。

印象的なのはRotten Tomatoesでの批評家の採点が12%なのに対し、一般鑑賞者の採点が61点という乖離だ。
まあアンジーのヌードを拝めるという点はあるとしても、大衆が求める映画とクリティックスに耐えうるものは
往往ににして一致しない、ということだ。そんな映画はいくらでもある。
当時アンジーの入れ墨はどうやって消したのだろうか。まだ入れてなかったのかな。

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<ストーリー>
ウィリアム・アイリッシュの小説をアンジェリーナ・ジョリー主演で映像化したミステリー・ロマンス。
19世紀のキューバを舞台に、欲望と犯罪に彩られた男女の愛の駆け引きを官能的に描き出す。

19世紀後半キューバ。コーヒー輸出業で成功したルイスは、新聞の交際欄で妻を求めていた。愛の存在を
信じないルイスは、この地の富の象徴であり仕事を円滑に運ぶための手段になるアメリカ人女性を求め、
そんな彼の要求に、ある女性が応えた。アメリカからやってきたその女性はジュリアと名乗り、事前に
送られていた写真とはあまりにちがう、眩しいほどに美しい女。女を外見で選ぶ男かどうか試した、
と言うジュリアだが、ルイスもまた彼女を財産目当ての女かどうか試していた。彼は手紙では、自分は
平凡な勤め人だと書いていたのだ。かくして恋に落ちたふたりの情熱の日々が始まるが……。
(Movie Walker)

<IMDb=★6.0>
<Rotten Tomatoes=12% Audience Score:61%>
<KINENOTE=58.0%>



by jazzyoba0083 | 2018-11-26 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ゴッドファーザー Part Ⅱ The Godfather Part Ⅱ(4K Digital Remastering)」
1974 アメリカ Paramount Pictures,The Coppola Company. 200min.
監督・(共同)製作:フランシス・フォード・コッポラ 脚本:コッポラ&マリオ・プーゾ 原作:マリオ・プーゾ
音楽:ニーノ・ロータ 撮影:ゴードン・ウィリス
出演:アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、ロバート・デ・ニーロ、ジョン・カザール他

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<評価:★★★★★★★★★★>
<感想>
やっぱりもっと早くに見れば良かった、と後悔した。本作は前作が封切られるやいなや製作に入り、PartⅠ公開の
2年後に封切られた。ⅠとⅡは一つの物語として捉えるのが良く、確かに前作はマーロン・ブランドのドンが
主役ではあり、本作はその息子マイケルがオヤジの後を次いでの話ではある。しかし、本作では後のゴッド
ファーザー、ヴィト・コルレオーネ=ゴッドファーザーが、その父親を初め母も兄もシチリア島で殺され、
一人アメリカに渡ったところからの話と、大きな流れを2つ置いて、構成され前作を補完しつつマイケルの
苦悩を描いていく。

アメリカ移民としては遅れてやってきたイタリア移民たちはすでに美味しいところはアイリッシュやユダヤ系に
奪われていて、闇の家業や芸能面で行きてくしかない状況は前作と同じだ。人物が2つの時制でたくさん出てくる
のでいささか煩雑ではあるが、その描くところは、非情な裏社会で生きる人間、というだけではなく、
ファミリーを守ろうとするドンの人間臭い苦悩だ。社会悪なやつらのことなど称揚する必要はない、という声も
聞こえそうだが、ここに描かれるのは善悪ではなく、苦労して他国に来た移民たちが自分らを守るために、どう
動いたか、どう心を痛めたか、だ。弟を裏切る兄がいる、マイケルの子供を世に残したくないと堕胎する妻がいる、
組織の中では当然のように裏切りがある、マイケルの時代になると国まで巻き込んでの戦いとなる、そうした
状況を、ヴィトとマイケルを対比させ二人の個性を表出させながら進んでいく。 そうしてみると、ある程度
ヴィト=オヤジさんの手で体制ができあがった上に乗っかったマイケルのほうが苦労は多いと見える。

そして、ファミリーを、自分を守るために、マイケルは周りにいる肉親や長年の相棒たちを、そして当然敵対する
相手も抹殺していく。ラストシーンは、「そして誰もいなくなった」マイケルの老いが忍び寄る横顔で終わる。
思えばマイケルの父ヴィトもアメリカに来た時はたった一人だった。それからファミリーを築き、マイケルに
後を託した。そしてそのマイケルも気がつけばひとりぼっちに戻ってしまっていた。ファミリーと称して
団結を促し華々しかった時期も、それぞれがそれぞれの思いで繋がっていたに過ぎず、それを思うとき
マイケルの心に去来するものは「虚しさ」のみではなかったか。

前作を含めヴィトとマイケルの生き方、家族愛は同じだがファミリーのまとめ方の違いがよく分かって面白かった。
前作の結婚式から始まるヴィト時代の真に家族愛で結ばれていたいわば心の時代、そして縄張りや金銭のしがらみ
から機械的に繋がっているだけのマイケル時代。親分肌のビトーと直情径行型いかにも大卒の跡取りといマイケル。
そのマイケルの暴力的だが哀しみがひしひしと伝わってきた。

本作はその年のオスカーで作品、監督、助演男優など6部門を受賞している。続編が作品賞を受賞した作品は
本作しか無い。また本作は前作同様、名手ゴードン・ウィリスの陰影を効果的に使った画作りが冴えるが、
テクニカラーとしては最後の作品になったという。最近のやらた説明くさい映画にはない物語の魅力
ふんだんに備えた名作であることは間違いない。ただニーノ・ロータのあの旋律はずっと後半にしか使われず
音楽としての魅力は前作のほうがあったと感じた。あのメロディーはやはりヴィト・コルレオーネのテーマ
なんだろ。
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<ストーリー:最後まで書かれています>
ドン・マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー湖畔に
移していた。近くに収入源のラスベガスが控えていたからだ。マイケルは、ことあるごとに父ビトー・
コルレオーネの偉大さを思うのだった。

---/ビトーはシシリー島で生まれた。ビトーが9才のとき、父と母と兄が土地のマフィアの親分チッチオに
殺された。彼は村人にかくまわれ、移民団の群れにまじって単身ニューヨークへ渡った。1901年のことだった。
ニューヨークに着いたビトーは天然痘の疑いで3ヵ月間病院に入れられた。

---/1958年。タホー湖畔にある教会ではマイケルの一人息子アントニーの聖さん式が行われていた。
ビトーが死ぬ直前、一緒に庭で遊んでいた幼児がアントニーである。城のような大邸宅では大パーティが催され、
マイケル、妻ケイ(ダイアン・キートン)とアントニー、ママ・コルレオーネ(モーガナ・キング)、
マイケルの兄フレドー(ジョン・カザール)、その妻、妹のコニー(タリア・シャイア)とその恋人(トロイ・
ドナヒュー)、相談役トム・ヘーゲン(ロバート・デュヴァル)などの顔が見える。
パーティが終わり、その夜、マイケルの部屋に何者かが機関銃を乱射した。犯人はマイアミの大ボス、ハイマン・
ロス(リー・ストラスバーグ)の腹心ロサト兄弟だった。

---/リトル・イタリアで成長したビトー(ロバート・デ・ニーロ)は、あらゆる職業を経て、次第に頭角を
現し、移民の信望を集めるようになってきた。彼のもとには弱い人々がさまざまな願いをもって訪れる。
その街を牛耳る悪玉ボスのファヌッチを仕とめたのは町をあげてのお祭りの夜だった。

---/マイケルはハイマン・ロスと一対一で会い、自分を襲ったロサト兄弟と、その事件に内通した
ペンタンジェリ(マイケル・ヴィンセント・ガッツォー)を処分することを宣言した。ペンタンジェリは
コルレオーネ一家の古参だったが、マイケルのやり方に不満を抱えていた。そんなペンタンジェリにマイケルは
ロサト兄弟と手打ちをするように指示する。ロサト兄弟のバックにいるのがハイマン・ロスだと見抜いていた
マイケルは、彼の油断を誘うべく計画を練っていたのだった。しかし手打ちの場所でペンタンジェリは暗殺
されそうになるが、一命を取り留める。更に驚くべきことに、兄のフレドーまでもが、コルレオーネ家の
情報をハイマン・ロスに流していた。
そんなある日、マイケルは、犯罪調査委員会に呼び出されたが、マフィアについてのあらゆる容疑を完全に
否定した。委員会側はそれを偽証だとしてペンタンジェリを証人として呼んだ。ペンタンジェリはマイケルに
はめられたと思い込んでいたのだった。マイケルはペンタンジェリの肉親を傍聴席に呼び、彼の証言を封じた。
その夜、妻ケイはマイケルに離婚話をもちだした。マフィアの恐ろしさと、子供の将来を想う気持ちからだった。

---/ビトーと妻との間には4人の子供が出来た。汽車がシシリー島のコルレオーネ村に着き、多勢の村人が
一家を迎えた。ビトーは両親の仇、チッチオを襲って、自分の手でチッチオの腹を十字に刺して殺した。

---/ママ・コルレオーネが病気で死んだ。ニューヨークに隠れていたフレドーも呼び戻された。葬儀の
あともフレドーはタホー湖畔にとどまって幼いアントニーと遊んだ。フレドーはマイケルに許されていると
思ったのだ。だが、船で湖へ釣りに出たところを、マイケルの命令で殺された。初老に達したマイケルは、
一人湖畔の椅子に座り、亡き父ビトーの愛情に充ちた偉大な生涯を想い、自分の孤独に胸を痛めるのだった---。
(Movie Walker)

<IMDb=★9.0>
<Rotten Tomatoes=Tomatometre:97% Audience Score:97% >
<KINENOTE=85.6点>





by jazzyoba0083 | 2018-11-25 23:50 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「皆さま、ごきげんよう Chant D'hiver」
2015 フランス・ジョージア Pastorale Productions 121min.
監督・脚本・編集:オタール・イオセリアーニ
出演:リュファス、アミラン・アミナラシヴィリ、ピエール・エテックス、マチアス・ユング、エンリコ・ゲッツィ他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆☆>
<感想>
このところ、欧州の観念的な映画を鑑賞する機会が多い。自分から進んで見ているわけではないのだが、
WOWOWやNHKBSで放映される作品で録画したあったタイトルに、そういうものが多かっただけなの
だが。ハリウッド映画育ちの私は欧州の映画は、特に1950年、60年頃の作品は苦手とするところで、
具体的なエンタテインメントが主であるハリウッド作品の対極にあるもの、という位置づけだった。
今でもそれは余り変わらないが、フランス映画やイタリア映画、カウリスマキの作品群などの中には
心打つものがあることは理解できるようになってきた。

評論家ではないので、嫌いな映画を無理して見る必要はないのだけれど、イオセリアーニの作品くらいは
映画好きとして一度は見ておくべきかな、という覚悟はあった。
で、今回の鑑賞となった。「参ったな」というのが本音。鑑賞後、ネットで感想を拾ってみたが、絶賛と
否定が半ばしていた。こういう観念的な映画が好きな人にはたまらないのだろう。個人的にも、ひとつ
ひとつのプロットに対し、え?どういうこと? どういう関連?何が目的?といちいち考えなければ
ならず、見終わって疲れた、というのが正直なところ。欧州映画の観念的表現にはだいぶ慣れてきたつもり
であったが、ひとつひとつのプロットは理解できても、それがトータルとしてどういう意味を持つのか
理解出来なかった。これを「素晴らしい!」と嘯いて以て映画通を気取るつもりはさらさらないし、
これを「素晴らしい」と感じる感性を持っている人は幸いかな、とも思う。

褒めている人は「人生賛歌」というが・・・。晩年のピカソの抽象画に抽象画である意味を求める必要が
あるのか、ということなんだろうかなあ。
冒頭のギロチン、(処刑される貴族の名前がバルタザール。このところこの名前をよく聞く。たまたま
だろうけど)次の舞台はどこか分からないけど現代の戦争シーン、続く二人の老人の生活。ローラー
スケートの窃盗団、遺言書を遺す老貴婦人、覗きが趣味の禿頭警察署長、彼らの動き(プロット)の
一つ一つは分かるし、クスリと笑いも出ることもある。これが全体としてまとまって「人生賛歌」と
なるのだろうなあ。イオセリアーニの作品は、これで十分である。つくづく自分はハリウッド映画育ちと
思い直した一編。欧州映画が観念的一辺倒だ、というのでは勿論無い。

本作にストーリーを紹介する意味はないと思うので、略します。

<IMDb=★6.6>
<Rotten Tomatoes=評価なし>
<KINENOTE=63.2 点>



by jazzyoba0083 | 2018-11-24 23:10 | 洋画=ま行 | Trackback | Comments(0)

●「ボーダー・ライン:ソルジャーズ・デイ Sicario:Day of the Soldado」
2018 アメリカ Black Label Media,Thunder Road Pictures.122min.
監督:ステファノ・ソッリマ
出演:ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、イザベラ・モナー、ジェフリー・ドノヴァン、キャサリン・キーナー他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
前作はヴィルヌーブがメガフォンを取り、エミリー・ブラントという「観客側の戸惑い」を受け止める配役があり、
また出来も良かったため、オスカーに3部門でノミネートされた秀作であった。私も★8を献呈している。
ホントに2時間息つく暇のないくらいの徹底的な緊張感の持続であった。

さて、二作目になり、脚本家は変わらないが監督がステファノ・ソッリマに変わった。緊張感の途絶えない作品と
いうのは変わらないが、エミリー・ブラントのポジションに相当する配役が無く、徹底した殺戮と暴力と陰謀の
世界を描いただけの映画になってしまった感がある。映画の底が浅くなったというか。確かにキーになる若者は
一人いて、ラストシーンでは象徴的に使われているが、本作は主に、アメリカのメチャクチャ振り(トランプへの
当てつけか、と思うほどに)のみが目立つ作品となった。悪いやつも悪くないやつも殺してしまうという。特に
メキシコ警察は可愛そうだよ。映画の中にも出てくるけど、「交戦規定は?」と問うシーンがあるが、「そんなもの
クソだ」と気にする様子もない。この事態は下手をすると国家間の戦争になってしまうような状況なのに。

さらに、今回も主人公でありなおかつ、前作よりも役としての重みがあるベニチオ・デル・トロの、経緯が一言で
片付けられてしまっていて、彼の抱える闇が深さを感じないのだ。その辺りもう少し丁寧さが欲しかった。

ただ、銃撃やヘリを使った攻撃のオンパレードはスカッとすることはする。だが、本作が本来もっていなくては
ならない国境を挟んだ人間性のようなものはどこかへ行ってしまった。前作はトランプ政権対メキシコ政府という
構図の中で、アメリカのCIAやDEAがメチャクチャをやる様がトランプの影を引きずっていて考えさせられたが、
今回は破壊だけの映画になってしまってはいないか。ベネチオ・デル・トロは相変わらずいいし、映像のカラー
トーンも荒廃した味付けでいいし、音楽もいいので、もったいないことをしているな、という感じだ。

※2019年10月28日 再見。感想不変。

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<ストーリー>
アメリカとメキシコの国境地帯を舞台にした麻薬戦争の実情を描き、アカデミー賞3部門で候補になったサスペンス・
アクションの続編。CIAの特別捜査官と一匹狼の暗殺者のコンビが、麻薬カルテル間の内戦を引き起こそうと暗躍する。
前作に引き続き、暗殺者をベニチオ・デル・トロ、CIA捜査官をジョシュ・ブローリンが貫録たっぷりに演じる。

アメリカで市民15人の命が奪われる自爆テロが発生。犯人はメキシコ経由の不法入国者と睨んだ政府は、CIA特別
捜査官マット(ジョシュ・ブローリン)にある任務を命じる。それは、国境地帯で密入国ビジネスを仕切る麻薬
カルテルを混乱に陥れるというものだった。
マットは、カルテルに家族を殺された過去を持つ暗殺者アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)に協力を要請。
麻薬王の娘イサベル(イザベラ・モナー)を誘拐し、カルテル間の内戦を誘発しようと企てる。だがその極秘作戦は、
敵の奇襲やアメリカ政府の無慈悲な方針変更によって想定外の事態を引き起こす。
そんななか、メキシコの地で孤立を余儀なくされたアレハンドロは、兵士としての任務か、一人の少女の運命か、
究極の選択を迫られる……。(Movie Walker)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:63% Audience Score:65% >
<KINENOTE=77.7点>





by jazzyoba0083 | 2018-11-23 12:30 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ジャングル ギンズバーグ19日間の軌跡 Jungle」
2017 オーストラリア・コロンビア Babber Films、Cutting Edge Group、Screen Australia、and more.115min.
監督:グレッグ・マクリーン  原作:ヨッシー・ギンズバーグ
出演:ダニエル・ラドクリフ、トーマス・クレッチマン、アレックス・ラッセル、ジョエル・ジャクソン他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
人生の目標を失った青年が冒険に活路を見出し挑戦するが、遭難、軌跡の生還を果たす。ということ
なんだけど、これが実話なのだな。もう実話の凄さ一本で引っ張って行く。ラドクリフの演技もまずます。
南米のジャングルを甘く見るな、ということなんだけど、エピソードの一つ一つが実話に基づいている、と
思うと、やはり前のめりになってしまう。当然演出も多少は入っているだろうけど。

原作者のヨッシーが一人で遭難したわけではなく、仲間3人が、「失われた部族」に会いに行くから一緒に
来ないか、となにやらワケありげな男に誘われたのが運の尽きだったわけだ。一人だけ銃を持つカールという
この男、3人に悪いことをしよういとする気はないようだ。なれない南米のジャングルの中で結構知識もあり
力強いガイドだったりする。しかし、筏を作って川下りをして、一刻も早く帰りたい3人に対し、カールは
「おれは地上を行く。3日もあれば村に着く。川下りは危険過ぎる」と主張する。結局、ヨッシーとケヴィンが
川下り、足を痛めていたスイス人教師マーカスが陸路で帰ることになった。

しかし、川下りの急流で岩に当たり、ヨッシーを助けようと岸にわたるも、かろうじて岩に乗り上げていた筏が
流され、ヨッシーはまた急流の中へ。そこからヨッシー一人のサバイバルが始まる。怪我、熱帯雨林だから湿気
などによる足のダメージ、食料の問題、方向が分からない、同じところをぐるぐる廻る、予期せぬ転落、野生の
凶暴な動物との遭遇などなど、およそジャングルで起きるであろう危険なことが次々とヨッシーを襲う。
ジャングル遭難あるあるではあるが、先にも書いたように事実がベースなので迫力がある。

結局ケヴィンは川に再び流されて人のいるところへ着いて先に助けられ、地元民からヨッシーはもう無理だと
言われるがボートをチャーターして何日も捜索を繰り返した。空からも見てみた。だがヨッシーの姿はない。
その頃、再び川辺にいたヨッシーは殆ど動けなかったが、ケヴィンらのボートを見つけ叫ぼうにも声がでない、
そのうちケヴィンがヨッシーの姿を見つけてついに19日間の孤独な冒険は終わりを告げたのだ。

映画からしかヨッシーの性格を推し量ることは出来ないが、結構落ち着いていたこと、家族の幻影が彼を助けた
こと、そしてケヴィンの執念が奇跡を呼んだとしか言えない。いろんな偶然が重なって助かったとしか。

最後の字幕で知ることになるのがが、楽勝で村に帰っていると思われたカールとマーカスは帰っていなかった。
今だに行方不明のままだという。だから余計にヨッシーとケヴィンの闘志と運が際立つことになる。

ラドクリフはこの作品のために凄い減量を敢行したのだそうだ。確かに救助された時のラドグリフはアバラも
浮いたガリガリだった。全編ジャングルという移動の少ない画面づくりだが、そこには様々な危険や未知なる
ものが潜んでいて、単調さは感じなかった。WOWOWでの放映がなければ絶対に見ないような作品、
特にケレン味がある映画ではないが、なかなか魅せたくれた一編だった。

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<ストーリー>
ヨッシー・ギンズバーグの遭難体験をまとめた手記をもとにした、ダニエル・ラドクリフ主演のサバイバル・
スリラー。バックパッカーのヨッシーは友人やガイドとともに秘境を目指しジャングルへ。しかしトラブルが
重なり、未開の地にたった一人取り残される。

三年間の兵役を終えたヨッシー・ギンズバーグは、刺激のある人生を求めて各地を旅していた。ボリビアの
ジャングル奥深く、先住民が住むと言われる秘境を目指し、二人の友人とガイドとともに険しいジャングルを
進むヨッシー。しかし友人の怪我や意見の対立からグループは二組に分裂し、別行動することに。
さらにトラブルに見舞われ、ヨッシーは一人きりになってしまう。たった一人で自然の脅威にさらされた
ヨッシーは、心身ともに追い詰められていく。(Movie Walker)

<IMDb=★6.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:60% Audience Score:57% >
<KINENOTE=70.6点>



by jazzyoba0083 | 2018-11-22 23:15 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「バルタザールどこへ行く AU HASARD BALTHAZAR」
1966 フランス・スウェーデン Argos Films and more.96min.
監督・脚本:ロベール・ブレッソン
出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー、フィリップ・アスラン、ナタリー・ショワイヤー、ヴァルテル・グレーン他

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<感想:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
ブレッソン作品に初めて触れた。「小学生でもわかりそうな物語」でもあり「相当の映画好きでも難解な
物語」でもあるような作品だ。バルタザールという東方三博士の一人の名前をつけられたロバを鏡のようにして
人間の業を描いていく。時々使われる、ロバの目のアップが印象的だ。

セリフが多くなく、「画を以て語らしむ」という監督の主義なんだろう。それだけ朴訥というか、ゴツゴツした
出来の映画だが、観た人に置いていく感情は多いのではないか。いかにも欧州映画らしい内容だ。一つ一つの
演技が何かのメタファーに通じているような映画は観ていて疲れる。ある程度のリテラシーがないと分からない
からだ。
たとえばなぜロバが使われたのか、ロバとバイクとクルマという3つの「乗り物」が、時代のメタファーなのか、
遺産が入ってくるもものすぐに死んでしまうアルノルドという男は何のメタファーか、バルタザールを終始
可愛がるマリーと、幼馴染のボーイフレンド、ジャックと不良ジェラルド、ジェラルドに暴行され自殺するマリー、
そのことで憤死してしまうマリーの父、そして最後にはジェラルドらの密輸品運びに使われ、税関の銃撃の
流れ弾に辺り、羊の群れの中で死んでいくバルタザール。羊の群れは絶対に何かの暗喩だ。

全体にキリスト教の倫理というか考え方が流れているのだな、という感じは受ける。ややもすると聖書の
どこかの節を切り取って映像化したような印象で、国際的に非常に高い評価の映画だが、私にはその良さは
あまり伝わって来なかった。画を以て語らしむということは美しい映像、ということではない。説明的な映画が
多い昨今、こうした観念的、形而上的な映画は、最近は作られなくなった。特にネオリアリスモやヌーベルバーグ、
カイエ・デュ・シネマのような欧州の映画は私としては「過去遺産」となっているような印象を受けるのだが。

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<ストーリー:結末まで書かれています>
 ピレネーのある農場の息子ジャック(W・グレェン)と教師の娘マリー(A・ヴィアゼムスキー)は、ある日
一匹の生れたばかりのロバを拾って来て、バルタザールと名付けた。

それから十年の歳月が流れ、いまや牧場をまかされている教師とマリーのもとへ、バルタザールがやって来た。
久しぶりの再会に喜んだマリーは、その日からバルタザールに夢中になってしまった。これに嫉妬したパン屋の
息子ジェラール(F・ラフアルジュ)を長とする不良グループは、ことあるごとに、バルタザールに残酷な
仕打ちを加えるのだった。
その頃、マリーの父親と牧場王との間に訴訟問題がもち上り、十年ぶりにジャックが戻って来た。しかし、
マリーの心は、ジャックから離れていた。訴訟はこじれ、バルタザールはジェラールの家へ譲渡された。

バルタザールの身を案じて訪れて来たマリーは、ジェラールに誘惑されてしまった。その現場をバルタザールは
じっとみつめていた。その日から、マリーは彼等の仲間に入り、バルタザールから遠のいて行ってしまった。
もめていた訴訟に、マリーの父親は、敗れたが、ジャックは問題の善処を約束、マリーに求婚した。
心動かされたマリーは、すぐにジェラールたちに話をつけに行ったが、仲間四人に暴行されてしまった。
その日から、マリーの姿は村から消え、父親は落胆のあまり、死んでしまった。

一方バルタザールは、ジェラールの密輸の手仕いをさせられていた。しかし、ピレネー山中で税関員に
みつかりバルタザールは逃げおくれ、数発の弾丸をうけてしまった。翌湖、ピレネーの山かげを朝日が染める
ころ、心やさしい羊の群の中に身を横たえ、バルタザールは静かに息をひきとるのだった。(Movei Walker)

<IMDb=★7.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:100% Audience Score:86%>
<KINENOTE=70.8点>



by jazzyoba0083 | 2018-11-21 22:50 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ブルーム・オブ・イエスタディ Die Blumen von gestern(The Bloom of Yesterday)
2016 ドイツ・オーストリア Dor Film-West Produktionsgesellschaft and more. 126min.
監督・脚本:クリス・クラウス
出演:ラース・アイディンガー、アデル・エネル、ヤン・ヨーゼフ・リーファース、ハンハー・ヘルシュプルンク他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆>
<感想>
見る前、ないし観た後に、日本人にはかなり解説を必要とする映画じゃないか。基本ナチズムを取り上げた
作品だが、「ナチズム」が「性」の関わり合いをベースに、脚本も書いたクリス・クラウスの独特の視線で描かれる。
一般受けはしない映画だ。底辺に「ナチズム」と「性」があり、その上に乗って、とても精神がまともでない(まともで
無くなってしまった経過はあるのだが)男女の「恋愛」というより「お互いが補完しあうような愛情」が築かれ、
結果として、ホロコーストの犠牲者と被害者の「赦し」が見えてくる、そんな映画と捉えていいのだろうか、
私はそう感じた。

描かれる世界と状況が複雑なので、観終えてのカタルシスは一応提示されるが、とても疲れた。

設定は祖父にナチスの大佐を持つトトというドイツ人のホロコースト研究家。彼が祖父に取材した書籍の評価は高いが
家族からは総スカンを食っている。そんな彼は2年前から「アウシュビッツ会議」の開催に向けて頑張ってきた。
家庭には妻と養子の黒人の女の子がいる。(なぜ養子をとっているのかは、あとで明かされる。つまり彼はインポであり
妻が他人の男と寝るのは公認なのだ。妻がそれを好んでいるとは思えない。でインポになった経緯を洞察すれば
究極には自分はナチスの末裔であること、更に若い頃ネオナチに関係していたことが、罪滅ぼし的にホロコーストの
研究家として求道者的な存在に自らを置き、それが性的なポテンシャルを壊していたらしい)

ところが会議のもう一方のリーダー、バルタザール(ロバではない。←分かる人には分かるww)という男。こいつは
絵に描いたような俗物で性的にも鬱屈している。バルタザールとトトは会議の考え方で大喧嘩し、(男性器の名称が
飛び交うような)トトはバルタザールに大怪我を負わしてしまう。更に主催者の研究所の教授が突然死してしまう。

そんなところにフランスからやってきたザジという若い女性の研修生。彼女の祖母はホロコーストの犠牲者で
トトが迎えに行ったベンツに乗らないとか、教授の愛犬を窓からほっぽり出すとか、全編予測のつかない行動を取る
自傷の常連者でもある心病みの女。エキセントリックで「あー言えば、こう言う」タイプの攻撃的戦闘的な女性だ。

このトトとザジの会話はまるで噛み合わない。それが少しくユーモラスだったりする。ホロコーストの話題というより
「セックス」に関する話題が多いが、ふたりとも何を考えているのか分からないようなすれ違いというか、噛み合わ
ないことばかり。このあたり、観ていてイライラしてくる人もいるだろう。

やがてトトとザジの祖父母は同じラトビアの学校で机を並べていた仲、ということがわかり、二人でラトビアの
リガへと飛ぶ。そこで次第に二人の会話が噛み合い始める。加害者と被害者、それぞれの闇を理解できるようになり
それが二人の愛情へと繋がっていく。そしてついに二人は体を重ねる。(インポが治ったというのはメタファーっぽい)
トトは妻の元に帰り、ザジはフランスに帰っていった。

「アウシュビッツ会議」は「ベンツ」がスポンサーになって開かれる見通しとなったが、二人は会議から離脱した。
そして5年後。舞台はNYとなる。クリスマスで賑わう店で偶然ザジを見かけるトト。そこには可愛らしい子供が。
今はインド人の女性と暮らしているのと。子供は3歳よ、というが、横で観ていたトトの養女が指摘する。
「あの子、女の子よ。5歳だわ」と。そうだ、あの子はトトの子だ。ホロコーストの被害者と加害者の子だ。
つまり「赦し」の象徴ということでいいのだろうか。その子の名前に秘密があった。そんな余韻を持って映画は
終わる。ザジが連れていたトトとの子が「The Bloom of Yesterday」つまり「昨日の華」ということか。

ラスト30分ですべてが解消出来るタイプの映画だが、最初のシーンから細かい伏線とメタファーが固まっている
ような作品でもある。脚本としてはよく出来ているが、疲れるし読み解くのに苦労する手の映画は私個人の好み
ではない。

先のナチスの台頭あるいはホロコーストの発生は、当時のドイツにおける「性」の抑圧の反動に要因の一部にある、
と云われ、70年代になると、性の開放こそ「反ファシズム」に結びつくというムーブメントもあった。
そんな背景を思ってみるとわかりは早いのかも知れない。また、テンションの高いところで、「ナチズム」や
「ホロコースト」を描くことで、ややもすれば「陰鬱一辺倒」になりがちな作品に魅力を与えようとした監督の
目論見があったのかもしれない。
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<IMDB=★6.8>
<Rotten Tomatoes:評価なし>
<KINENOTE=69.7点>



by jazzyoba0083 | 2018-11-20 23:00 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)