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ハッピーエンド Happy End

●「ハッピーエンド Happy End 」
2017 フランス・ドイツ・オーストリア Les Films du Losange and more. 107min.
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール、ジャン=ルイ・トランティニャン、マチュー・カソヴィッツ、ファンティーヌ・アルデュアン他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
平成最後の観賞に、タイトルの響きも良い本作を選んだ。内容についての前知識は殆ど無しに。それがこの
タイトルは、皮肉で付けられていることが分かり、選んだことが正解だったかどうか分からなくなった。
つまり「Unhappy End」な映画である。ハネケ一流のアイロニーの発露である。カンヌなど欧州の映画祭
好みの作りであり、観客を内省の暗闇に放り込む決して観終わって気分の良いカタルシスの得られる映画
ではない。それはハネケ作品に常に筋の通っていることであり、この人がダダの表現者ではないことを汲み
取ることは出来る。

開巻、スマホの映像で始まるのだが、誰が誰を撮っているのかは分からない。最終的に家族構成や人間
関係が明らかになっていくのは中盤以降。それまでは何がどう運んでいるのかよくわからないところが
あった。つまるところ、フランスはカレーに住むロラン家の家族の話だ。

老父ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が経営してきた土木建築関係の会社を継いだのが、
娘のアンヌ(イザベル・ユペール)。会社の顧問弁護士を恋人として、辣腕を振るっていた。
その弟にして外科医のトマは、アナイスと再婚して最近赤ちゃんが出来た。しかし、このトマはSNSの
チャットで過激なバーチャルセックスを楽しんでいる。前妻は精神安定剤の過剰摂取で亡くなる。
その前妻との間に生まれたのが、今年13歳になる娘のエヴ。冒頭のスマホ画像を撮っていて、母親を
薬殺したような雰囲気に描かれている。母親に育てられていたが、母の死亡でロラン家に引き取られる。
彼女の立ち位置が「死」と「破滅」を伴って物語全体を俯瞰するような感じだと感じた。そしてアンの
息子ピエールは会社の専務なのだが、出来が悪い。母への反発も大きい。

全体を覆うのは死の影。それを引きずっているのが老ジョルジュと、孫娘であるエヴである。彼ら二人の
行動には常に滅亡の匂いが付きまとう。片や老いからくる絶望であり、片や若さから来る絶望であった。
普通なら若い子を希望や再生のメタファーとしたり、アイコン化したりするのだが、そうではないところが
この映画の真骨頂であり、不快な点である。(←これハネケの狙い目。それは後述)

こうしてロラン家の三世代のバラバラな生活が進む中で様々な出来事が起き、その度にそれぞれが
自分さえ良ければそれで良い、他人のことなど構っていられないという仮面家族を演じている。

ラストは母が戦略的に結婚する(と私には思えた)会社の顧問弁護士の披露パーティーに専務をクビに
された息子がアフリカからの移民の会社の労働者を連れて乱入する。一方、老ジョルジュはエヴに
車椅子を押させて海辺に出て、そのまま海の中に入っていく。それをスマホで撮影するエヴ。泡を
食って駆けつけるアンヌら・・・。そこで映画は終わる。映画全体のベクトルは「破滅」「死」で
ある。

一見家族という名の絆でつながっているように見える人々が内情はバラバラで、自分の事だけしか
考えていない、話し相手を見ずに、常に携帯を触りSNSをやっている。そいうした全員何を考えて
いるのか分からないという恐怖をこの映画から感じた。それはハネケの主張したいところと一致している
のだろうかと、調べてみてら、本人の以下のようなインタビューがあった。
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「日常を過ごすなかで、他者に対する共感や敬意がどんどん失われていると感じます。消費社会が蔓延し、
利己主義的になっています。こうした変化は今に始まったことではなくて、ニーチェが「神は死んだ」と
言った時から起こっていることかもしれません。
この映画は、難民についても少し触れていますが、この問題についても、突然始まったことではなく、
その原因は過去何十年、あるい何百年も前から存在するものです。今起こっていることは過去から続いた
ことが延々と続いた結果です。

人間同士共感を持って、人道的にやっていくことを美徳だと考えなくなっている人が増えています。
美徳が社会で意味を持たなくなり、社会がどんどん利己主義的になっていると感じますね。
(Film Goes With Netから転載・引用)
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まさに以上のような内容をロラン一家の家族を以て描いたのが本作、といえる。ハネケの描く「鬱」
世界を好む人には納得性の高い映画だろう。観終わって社会的な課題・問題の提起を肯定的に受け入れ
られる人にもいいだろう。映画はいい気分で観終わりたい、と思う向きは合わないタイプの映画である。
私個人的にはあまり得意なジャンルの作品ではない。

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<ストーリー>
難民が多く暮らすフランス北部の街カレー。瀟洒な邸宅で三世代同居するブルジョワジーのロラン家では、
建築業を営んでいた家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が高齢のため、すでに引退。
家業を継いだ娘のアンヌ(イザベル・ユペール)は、取引先銀行の顧問弁護士を恋人に、ビジネスで
辣腕を振るっていた。だが、専務を任されていたアンヌの息子ピエール(フランツ・ロゴフスキ)は、
ビジネスに徹しきれない。使用人や移民労働者の扱いに関して、祖父や母の世代に反撥しながらも、子ども
じみた反抗しかできないナイーヴな青年だった。

また、アンヌの弟トマ(マチュー・カソヴィッツ)は家業を継がず、医師として働き、再婚した若い妻
アナイス(ローラ・ファーリンデン)との間に幼い息子ポールがいた。さらに、幼い娘を持つモロッコ人の
ラシッドと妻ジャミラが、住み込みで一家に仕えている。
一家は同じテーブルを囲み、食事をしても、それぞれの思いには無関心。SNSやメールに個々の秘密や
鬱憤を打ち込むばかり。ましてや使用人や移民のことなど眼中にない。
そんな中、トマは、離婚のために離れて暮らしていた13歳の娘エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)を、
一緒に暮らそうと呼び寄せる。こうしてジョルジュは、疎遠になっていたエヴと再会。意に添わぬ場面では
ボケたふりをして周囲を煙に巻くジョルジュだったが、死の影を纏うエヴのことはお見通しだった。

一方、幼い頃に父に捨てられたことから愛に飢え、死とSNSの闇に憑りつかれたエヴもまた、醒めた目で
世界を見つめていた。秘密を抱えた2人の緊張感漲る対峙。ジョルジュの衝撃の告白は、エヴの閉ざされた
扉をこじ開けることに……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.7>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:70% Audience Score:55%>
<Metacritic=72>
<KINENOTE=71.9点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-30 22:45 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ギルバート・グレイプ What's Eating Gilbert Grape」(佳作再見シリーズ)
1993 アメリカ Paramount Pictures.117min.
監督:ラッセ・ハルストレム 原作・脚本:ピーター・ヘッジス
出演:ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイス、メアリー・スティーンバージェン他

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<評価:★★★★★★★★☆☆>
<感想>
今から26年前の作品。初見は10年前。その時の感想は本ブログにも書いてあるので参照ください。
基本的な感想は変わらないが、家族映画というよりも、やはり主人公はあくまでもギルバートであり、
彼の新しい旅立ちの物語なのだな、と理解した。

一見不良のような風貌だが、根は真面目で、家族思い、なかでも知恵遅れのアーニー(ディカプリオ)の
世話を一手に引き受け、一度切れるが、心底いいヤツである。全て人のためで、自分の事は後回し。
それが、母の死をきっかけに、家を燃やし姉と妹もそれぞれ新しい道に進み始めたのと同時に、自分も
キャンピングカーのベッキー(ジュリエット・ルイス)と旅する人生に挑戦したのだった。もちろん
アーニーも連れて。閉塞していた気分が一気に晴れる見事なカタルシスの設定である。

この頃のハルストレム作品では「サイダーハウス・ルール」と並んで好きな映画。さりげないアメリカの
田舎町の、とある家族の中のギルバートの人生を切り取りながら、「幸せの在り処」を考えさせる佳作で
ある。

原題の英語に引っかかりを感じていたので調べてみたら、eatという言葉は「食べる」という意味では
なく、「悩ませる」「困らせる」というほどの意味に使われているという。故に、「ギルバート・グレイプを
悩ませるもの」(疑問文ではない)と解するのが正解のようだ。確かにそれなら映画の内容を表している。
今回もNHKBSでの鑑賞だったが、画面があまり綺麗ではない。4Kデジタル・リマスタリングとかしないのだ
ろうか。


<IMDb=★7.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:89% Audience Score:89% >
<Metacritic=73>
<KINENOTE=79.7点>


by jazzyoba0083 | 2019-04-29 23:00 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「グッバイ・クリストファー・ロビン Goodbye Christopher Robin」
2017 イギリス Fox Searchlight Pictures,DJ Films.107min.
監督:サイモン・カーティス
出演:ドーナル・グリーソン、マーゴット・ロビー、ケリー・マクドナルド、ウィル・ティルストン、アレックス・ロウザー他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
良作実話モノである「黄金のアデーレ 名画の帰還」「マリリン 7日間の恋」などで知られるイギリスの監督
サイモン・カーティスが、「くまのプーさん」誕生の裏に隠された親子の相克と和解を手堅く纏めたこちらも
なかなかの良作である。あの有名なキャラクターの背後にこんな話があったとは寡聞にして知らなかったので、
元来実話モノが好きな私としては、面白く鑑賞することが出来た。

第一次大戦のトラウマに悩む作家A・A・ミルンの立場、その子クリストファー・ロビンの立場、ミルンの妻
ダフネの視点、ナニーである愛称ヌーの視点、さまざまな角度から、映画が持つテーマを考えることが出来そう
だ。

結果的に一人息子クリストファー・ロビンを「くまのプーさん」を利用することになってしまったミルンと
苦労して産んだ(と自分だけ思っている)妻ダフネのクールなプロデューサーぶりで、アイドル並みの人気者に
なってしまった息子クリストファー・ロビン。幼い彼なりに親を喜ばせようと、一生懸命ピエロ役を演じる。
それを苦々しく思い、結婚を機に「自分たちのためにクリストファー・ロビンを利用することは止めて、もっと
子どもに寄り添うべき」と苦情を残してナニーを辞めるヌーことオリーヴ。それぞれが良かれと思ってやって
いたことが実はそうでもないことが、やがて分かってくる。

特に生涯プーさんのキャラクターがついて回った息子クリストファー・ロビンは、成長し寮生活が始まると
いじめの対象になり、反戦的な父に反発し、徴兵検査で不合格になったことを有名人の父のコネで軍に
入隊できるようにしてくれ、と言われる。息子の生涯を自分の成功のために犠牲にしてしまったと思っている
父ミルンは、願いを叶えてやる。

結果、クリストファー・ロビンは第二次世界大戦に加わる。冒頭のシーンは、郵便配達が息子の身になにか
起きたことを告げる手紙をもってミルン夫妻の元を訪れるところだ。観客は当然息子の戦死を告げる公報だと
思うだろう。(戦死ではなく行方不明となった、戦死と思われるという内容であったことは後で分かる)

自分が「戦争を終らせる戦争」に行って苦労したと信じていた父は悲しむと言うより怒りを覚えていた。自分の
子どもが産まれた時、「いずれは戦争にいってしまう子どもを芯から愛せない」と宣言し、世話の一切を
ナニー(乳母)に任せっきりにしてしまい、夫の童話が世界的ヒットになるとそれを更に加速させようと
するプロデュースにのめり込む母ダフネも、やはり母なりの深い悲しみに沈む。長い年月共に生活し彼女の
影響も受けたナニー、オリーヴも戦死の知らせを受けて悲しみは尋常ではなかった。

しかし、ある夜、クリストファー・ロビンが帰ってくる。公報な何かの混乱で出されてしまったものらしい。
息子は戦地で自分とプーさんが描かれた物語が戦地でも広くしられていて、この物語が第一次世界大戦で
疲弊したイギリス人の癒やしのために父が書いたことも理解できた。父と息子はそれらのことをしみじみと
語り合い、和解したのだった。実際息子は父親の莫大な印税を生涯いっさい受け取らなかったという。

戦争のトラウマを抱えつつ、イギリスの田舎で、戦争に疲れた人々に癒やしを提供するというアイデアを
思いついた父。それは息子とくまのプーさんの触れ合いの物語となり、大人気を博した。しかしそのことが
息子に大きな重荷としてのしかかったのだ。幼い頃は分からなかったが、成長するに従いそのことの認識が
進み、父に反発するようになる。母は父を督励するものの息子の立場にあまり関心がない。そこを乳母は
苦々しく思っていた。「子どもは牛でも産みます!」という捨て台詞はなかなか痛快だった。

父の思い、息子の思い、それぞれ非難したりされたりするものではなく、その時々のそれぞれの立場で
最善を尽くしたのだろう。息子を愛する余り、誕生日に軍楽隊を自宅の前につれてきて演奏させるなどは
父は良かれと思い、息子もその時は喜ぶが、後から考えてみれば自分が欲していた愛情はそういうものでは
無かったと分かるのだった。これらは形こそ違え、多くの父と息子が抱える問題なのではないか。その客観的
立場を乳母であるオリーヴの目線がリードするような感じだった。

二つの大戦の間に生まれた名作とが内包する戦争が生むものと親子の普遍的な相克が描かれ興味深く観終える
ことが出来た。そのあたりはサイモン・カーティスのシュアな手法が光る情緒豊かな良作と言える。
クリストファー・ロビンの子役から成人役があまり似てないのが難点かな。クールな妻マーゴット・ロビーも
クールさを好演していたし、ナニー、オリーヴ役のケリー・マクドナルドも良かった。そして神経質な作家で
あり、ほとんど笑わない父親役のドーナル・グリーソン、いかにもイギリス人俳優らしい存在感。年をとっても
あまり年を重ねたように見えなかったな。日本では劇場未公開となったが、キノフィルムズあたりが配給し
そうな作品ではなかったか。

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<ストーリー>
1941年、ミルン夫妻の元に悲痛な内容の電報が届いた。その詳細が明かされる前に、物語は過去へと遡る。

1916年、徴兵されたミルンはソンムの戦いに従軍していた。ソンムでは両軍合わせて100万人以上が戦死したが、
ミルンは何とか生きて帰還することができた。帰国したミルンは妻のダフネと生活を立て直そうとしたが、
空爆の音が聞こえるたびに、戦場での経験がフラッシュバックしてミルンを苦しめるのだった。
そんな中、ダフネが妊娠したことが判明する。ダフネは女の子を望んでいたが、生まれてきたのは男の子であった。
2人は息子にクリストファー・ロビンと名付け、子守としてオリーヴを雇った。クリストファーはオリーヴの
ことをヌーと呼んで懐くのだった。

ミルンは文筆業に復帰しようとしていたが、反戦を訴える論考を思うように書き進めることができずに苦悩していた。
気分転換もかねて、ミルンは田舎町に引っ越すことにしたが、それに不満を抱いたダフネはロンドンの実家に
帰ってしまった。ヌーが子守以外の仕事をしている間、ミルンがクリストファーの面倒を見ることになった。
ミルンはそれを億劫に思っていたが、息子と森で散歩しているうちに、児童向け小説のアイデアを思いつくと
いう僥倖を得た。

ミルンはイラストレーターの知人アーネストと一緒に小説の執筆に取りかかった。そうして完成したのが
『クマのプーさん』である。その後、ミルンはダフネと仲直りすることができた。『クマのプーさん』はミルンが
想定していた以上の人気を博し、ミルン家の家計は一気に潤った。
しかし、この成功が原因で親子関係が悪化することになった。自分が小説の中に登場していると知ったクリスト
ファーが不快感を募らせていたのである。恋人ができたヌーは子守役を辞すことになったが、その際、ミルンと
ダフネに「クリストファーのことを考えてあげていますか」と苦言を呈した。反省したミルンはプーさんシリーズの
打ち切りを決めたが、時すでに遅かった。

寄宿学校に入学したクリストファーはいじめの対象となり、『クマのプーさん』の存在をますます疎ましく思う
ようになる。 第二次世界大戦が始まり、クリストファーは徴兵検査に落ちるが、どうしても従軍したい彼は自分の
おかげで人気作家になれたのだから願いを叶えてくれと父親に頼む。 従軍を前にクリストファーはこれまで抱え
ていた不満を父親に激しくぶつける。

1941年、ミルン夫妻の元にクリストファーが戦場で行方不明で死亡と推測されるとの電報が届き、ミルン夫妻は
絶望のどん底に突き落とされる。 ところが、しばらくしてクリストファーが無傷でミルン家に戻ってくる。
戦場で『クマのプーさん』が世界中の人々にいかに愛されているかを知ったクリストファーは父親と和解する。

その後、クリストファーは結婚し、小さな書店を営むようになるが、『クマのプーさん』の莫大な印税は一切
受け取らなかった。(wikipedia)

<IMDb=★7.1>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:63% Audience Score:71% >
<Metacritic=54>
<KINENOTE=73.9点>




by jazzyoba0083 | 2019-04-29 18:20 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「アンセイン~狂気の真実~ Unsane」
2018 アメリカ New Regency Pictures,Regency Enterprises and more. 98min.
監督:スティーヴン・ソダーバーグ 撮影:ピーター・アンドリュース 編集:メアリー・アン・バーナード
出演:クレア・フォイ、ジョシュア・レイナード、ジェイ・フェイロー、ジュノー・テンプル、エイミー・マリンズ他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想:ネタバレしています>
知っている人は知っている、撮影のピーターも編集のメアリーも、ソダーバーグの別名である。しかも今回
全編iPhoneでの撮影で、ホラー/サスペンス系の作品も本人にとっては初挑戦だという。金儲け目当ての
精神病院に強制入院させられ外界から遮断される、という不条理が生む恐怖と、殺人を人としてやっては
いけない行為とは認識できないストーカーから徹底的に追い回される恐怖と、二つの恐怖が絡まってなかなか
面白く構成されていた。(後述するがもっと締まったのではないかな、という個人的な見解は残ったが)
この手の怖いやつは進んで観ないのだが、ソダーバーグの名前と適度な短さで鑑賞した。日本では劇場
未公開だ。なんでだろう。

ただ、本作、わかりにくさもある。冒頭のボイスオーバーはストーカーの独白であることが分かるのは観終わ
ったあたりか。私は二回観て、初めて分かった。開巻の主人公ソーヤー(フォイ)の仕事場でちょっと後ろ姿を
見せるデヴィッド=ストーカー、とかも見落としがちな小ネタだ。ソーヤーが母親と離れてボストンに転居し
一人暮らしを始め、新しい仕事に付いたのもストーカーから逃れてのこと、ということが分かるのも、人に
よっては観終わってからの事ではないか。最初からソーヤーがストーカーに付きまとわれているという現状が
認識出来ないと、彼女が施設から出られなくなる施設側の動機が掴みづらいと感じた。

精神病的な施設で薬や注射を以て迫る相手に、「自分はおかしくない」と主張することが通らない恐怖は
まざまざと伝わる。外部と接触しようにも上手くコントロールされ、それは地元の警官さえ丸め込まれて
いる。いたずらに大声だしたり暴れたりしたら大人数で取り押さえられ拘束され鎮静剤を注射されればもう
抵抗は出来ない。 接近禁止措置が出ていたはずのデヴィッドがなぜソーヤーのいる施設に雇用されていたのか
は、ちょっと端折りすぎなところだし、潜入取材をしていた黒人男性ネイトを殺し、ネイトの隠し持っていた
携帯で連絡が取れて、娘を奪還しに来た母親も殺害し、施設でソーヤーといがみ合っていた女性ヴァイオレット
も殺害したデヴィッドなのだが、その一つ一つの背後や辻褄はかなり省略されている。

最後には施設から逃げ出し、追いかけて来たデヴィッドの首を、ヴァイオレットが隠し持っていた手製の
ナイフで掻き切って殺すソーヤーもなかなかな人物。一方で、デヴィッドが殺して埋めた記者ネイトの遺体が
散歩中の女性の犬が見つけ、その指紋が施設から失踪していた人物のものと一致したことから、ネイトが記者
であったことが報道されて、そちらからも事件の全容が明らかになっていく。

半年後、職場に戻ったソーヤーは出世していた。あれだけ怖い目にあっていて、人も殺しているのに、まあ
よく立ち直ったな、と思うが、その辺りの精神構造が彼女に不幸を呼び込んでいるのかもしれないが。
職場の隣で仕事をしていた元同僚に、クビをいいながらランチをしていると、殺したはずのデヴィッドの
後ろ姿が目に入った。話している内容も覚えがある。ソーヤーはテーブルからナイフを持ち、その男性の背後
から近づくが、事件になってしまう直前で男性が振り返るとそれはまったくの別人だった。ナイフをその場に
落とし、店を逃げるように出るソーヤーのストップカットで映画は終わる。

あれだけ酷いストーキングや事件に巻き込まれたソーヤーにまともな生活は戻らない、ということなので
あろうか。

映像は後からiPhoneだと言われなければわからないほど普通だが、こんなアングル?というカットは後から
思うとiPhoneだったのだなあと分かる。クレア・フォイは勝ち気なのだが、どこか心の不安を抱えている女性を
好演していた。精神的な追い込まれ方が彼女の表情に出ていた。
監督自身の編集だからスリリングなもり立ても分かっているので流れとしてはいいのだが、個人的にはもう少し
プロットの有機的な結合があったら恐怖も含めて分かりやすい映画になったのではないかと思う。観念的な映画では
ないはずだから。冒頭から相当気を付けて観ていないと面白さが減ってしまう種類の映画ではある。
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<ストーリー>
「オーシャンズ」シリーズ第1~3作の鬼才S・ソダーバーグ監督による心理スリラー。ストーカーによって
心の傷を負ったヒロインは、なぜか精神科病院に収容されてしまう。

いきなり精神科病院に収容されたヒロインがたどる不条理な運命を描くサスペンスだが、ヒロインの情緒が
不安定であるため、観客は彼女をどこまで信じていいのか困るのが緊迫感たっぷり。加えてあっと驚く急展開も
数カ所ある。ソダーバーグ自身がピーター・アンドリュース名義で撮影も担当し、全編をiPhone7Plusで
撮ったのもユニーク。
主演は英国出身でドラマ「ザ・クラウン」を出世作にし、「蜘蛛の巣を払う女」のリスベット役、「ファースト・
マン」のジャネット役など活躍が続く美人女優C・フォイ。

独身のキャリアウーマン、ソーヤーは、かつてデヴィッドというストーカーによって心の傷を負ったが、それを
治癒しようとストーカー被害者を救済している“ハイランド・クリーク行動センター”に行くが、そこで強制的に
入院させられ、しかもそんな理不尽に対して激怒し、職員らに暴力を振るったせいで24時間の入院期間が7日間に
延びる事態になる。ソーヤーは本当に心の病にかかったのか、それとも誰かが彼女に罠を仕掛けたのか?
(WOWOW)

<IMDb=★6.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:80% Audience Score:58% >
<Metacritic=63>
<KINENOTE=65.1点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-27 23:10 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「アバウト・レイ 16歳の決断 3 Generations」
2015 アメリカ Big Beach Films,InFilm Productions,IM Global.92min.
監督・(共同)脚本:ギャビー・デラル
出演:エル・ファニング、ナオミ・ワッツ、スーザン・サランドン、テイト・ドノヴァン、リンダ・エモンド他

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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
原題の「三世代」というニュアンスのほうが、作品全体が表現したいことを正確に表していると
感じた。短い作品で、エル・ファニング演じる性同一性障害のレイを巡り、彼(彼女)が男性として
社会的に認識される過程を母親世代、祖母世代それぞれの男女、あるいは性にまつわる感性を描く。

配役とテーマとしては凄く良いと思うのだが、いかんせん時間が短くてどの世代の主張も中途半端に
終わっている。役者の演技が良いだけに勿体無い。特にハイライトであるエル・ファニングの苦悩が
どうも現象面だけに留まっていて、深い心理が読み取れなかったウラミが残った。実の父が本当は
父と思っていた男の弟だった、という下りは必要だったとすれば、母ナオミ・ワッツ(年齢を重ねて
ますます綺麗だな、この人)の世代の愛と性の関係を時間を掛けて深掘りすれば良かったものを、この
時間では取って付けたみたいで、不要な感じすらした。

祖母はレズビアン、母は未婚の母としてレイを育て上げるが、娘は性同一性障害に苦しむ。全員が
一つ屋根の下に暮らす。家族はレイの「男性として生きていきたい」ということに理解を示し、特に
母親は、最初戸惑いつつも、娘の幸せを願い、ホルモン療法を継続させ、男性として社会的に認知して
もらうため、別れた夫を探し出し、書類にサインをしてもらうため、苦闘する。レイは実は夫の弟と
浮気した時に出来た子だとは分かっている母だったが。

ラストは書類上の父も遂にサインをし、レイは男性への道を歩きはじめ、人生の明るい側面を見つめて
歩き出すのだ。ハッピーエンドで良かったのだが、再度書くが、食い足らずの終了であった。
そして、エル・ファニング、ナオミ・ワッツ、スーザン・サランドン、三者の演技だけ抜き取れば
良いものだった。

※書きおわっても、どうも心にしっくりこない感じが消えなかった。この映画を本当に監督の言いたかった
ふうに観ているのかどうか。そのためもう一度観た。それで一つわかったことがあった。短い時間であるが
全編本筋に絡んでいて、(つまり全部縦軸ばっかりで横軸という観客に息つく暇を与えるスキのない
キツキツの感じを受けてしまう)息が詰まる感じ、重すぎる感じがあるのじゃないか、ということだ。
開巻のレイがスケボーしながら独白するところでは、祖母らのレズビアンなどを取り上げて「僕は普通が
いい」と言わしめる。現在の「僕」(彼女)は「普通」ではないことから、実は意味深長なセリフで
あったり、祖母らが「普通のレズビアンじゃだめなの?」というと母は「彼は普通じゃなくて本物を目指し
ているのよ」と、これまた解読が必要なセリフを吐く。
レイがストリートで青年から暴力を受けてしまうが、ひどい顔で学校へ行くと女生徒の友人が
レイに対し「女の子を殴るなんて最低」と同情してくれるが、レイは自分を女の子だと思ってほしくない
わけで、それも解読が必要だ。加えてそのシーンで映るレイのバックショット、右足の靴紐が解けている。
これも解読が必要なカットだ。
ことほど左様に本筋を畳み掛ける読み解きの必要なセリフが重なるので観終わって感想を持つというより
ただ疲れが残る、という感じを受けていたのだと思う。作劇法として、短い時間に質量だけ凄い重いものを
詰め込んだと言う結果となっているのではないか。それがずっとカタルシスを感じえないまま観終わって
しまった気持ちの悪さの原因になっているのではないか、そんなことを思った。

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<ストーリー>
エル・ファニングがボーイッシュな装いでトランスジェンダーの主人公を演じるヒューマンドラマ。
男の子として生きる決断をした主人公と、子供の突然の告白に動揺しながらも温かく見守ろうとする母親や
祖母の姿を描く。母親をナオミ・ワッツ、レズビアンの破天荒な祖母をスーザン・サランドンが演じる。

性自認が男性である16歳のレイ(エル・ファニング)は、心身ともに男の子として生きることを決断。
母親マギー(ナオミ・ワッツ)は、医師が差し出してきたホルモン治療など見慣れない資料に呆然とし、
動揺を隠せない。そしてそんな心の迷いを近くに住む青年にぶつけて、流れるままに一夜を共にするなど、
動揺は暴走していく。
一方、レズビアンであることをすでにカミングアウトし、最愛のパートナーとの暮らしを謳歌している
おばあちゃんのドリー(スーザン・サランドン)は、レイの新しい人生への一歩を密かに応援していた。

レイは髪を短く切り、トレーニングをして、本来の姿を手に入れようと努力する。そんなレイの成長を
見つめていたマギーは意を決し、治療の同意書のサインをもらうため、別れた夫クレイグに久しぶりに
会いに行く。しかし、困惑する元夫は賛成してくれない。見かねたレイは、マギーに黙って父を訪ねていくと、
そこでまさかの家族の秘密を知る……。(Movie Walker)

<IMDb=★5.8>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:33% Audience Score:45% >
<Metacritic=47>
<KINENOTE=72.9点>




by jazzyoba0083 | 2019-04-26 22:50 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「50回目のファーストキス」(邦画リメイク版)
2018 日本 日本テレビ放送網他製作委員会、Sony Picture Entertainment. 114min.
監督・脚本:福田雄一
出演:長澤まさみ、山田孝之、ムロツヨシ、、佐藤二朗、勝矢、大賀、大和田伸也他
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<評価:★★★★★★☆☆☆☆+α>
<感想>
先日、仕事の関係でオリジナル版を再見した。本国での評価はそれほど高いとは言えないが、ファンの多い
作品である。だからこそ日本でリメイクされたのだろう。興行収入も10億を超えたそうだし。
個人的には改めてリメイクは観る気は無かったのだが、オリジナル版を見たついでに、リメイクはどう
物語を構成したか、興味があって観てみた。

構成はびっくりするほど(カット割りやセリフ、ギャグまで)オリジナルに忠実、というかオリジナルの
まま。舞台もハワイだが、男性の職業がオリジナルでは「シーライフパーク」の獣医という設定であったが、
邦画版では、ツアーガイドをしながら、星の研究をしている男で、朝食に入った喫茶店で、女性をみそめると
いう形に置き換えてある。まあ、全部一緒ならなにもリメイクを作る必要はないわけで、星が綺麗な
ハワイという土地を上手く利用した翻案だと思う。

更に、オリジナル版にあふれる(シモネタたくさんの)アメリカンジョークをどう料理するか、と思って
いたところ、その辺りは福田雄一ワールドで上手く処理出来ていたのではないか。
ドリュー・バリモア=長澤まさみ、アダム・サンドラー=山田孝之。長澤の父(建築家)を佐藤二朗が演じて
いるのだが、ギャグを一手に引き受けている。アメリカンジョークはそのまま持ってきても日本人には受け
ないので、佐藤を使って日本流のギャグに置き換えたのは良かったのだが、いささか上滑りな感もあり、
だいたいこのお父さん、いつ仕事をしているんだ?弟も、という疑問がふつふつと湧いてくる。

オリジナル版ではラストは子どもが出来た二人がサンドラーの夢であったアラスカを航海しているところで
終わるのだが、邦画では、マウナケアだかハレアカラだかの天文台に置き換えられ、山田の長年の研究成果は
国際的に認められたところで終わる。これはこれで上手く纏めたな、と感じた。公私の幸せを掴んだ男女が
そこにいるのはオリジナルも邦画版も一緒で、ほのぼのとした心温まる終わり方であった。

本作で一番、なるほど、と思った脚本は、確かムロツヨシのセリフだったと思うが、「短期記憶障害」を
ハワイみたいな一年中同じような気候の土地だから毎日が同じようなことを言ってごまかせるが、四季が
ある日本だったらまず無理だなあ、と語っていた所。ほんとにそのとおりだ。

長澤まさみはいいとして、山田孝之のキャスティングはハマっていたのかなあ。アダム・サンドラーの
イメージが強すぎて、ちょっとキャラが濃すぎじゃないかなあ。妻夫木聡、高橋一生くらい薄い感じが
したほうが良かったような気がした。それと、オリジナルには水性動物が沢山援軍として出てくるが、
本作の場合は動かぬ星空なので、その辺りは監督としても変化に苦労したのではないか。
また、時代が下っているので、スマホで写した写真とか、DVDなどのガジェットが効果的に活かされて
いた。

オリジナルを知っている人は、ちょっとびっくりするくらいのストーリー&シーンそっくりショーであります。

50回目のファーストキス(邦画リメイク版)_e0040938_15154778.jpg
<ストーリー>
交通事故の影響で新しい記憶が1日で消えてしまう短期記憶障害を負った女性と、彼女に対し毎日思いを
伝えようとする青年との純愛を描くラブストーリー。
「勇者ヨシヒコ」シリーズなどコメディを得意とする福田雄一監督が、数々の作品でタッグを組む盟友・
山田孝之とのコンビで、長澤まさみをヒロインに迎え、ロマンチックな恋物語を紡ぎ出す。

ハワイのオアフ島。ツアーガイドとして働きながら天文学の研究に励むプレイボーイの大輔(山田孝之)は
ある日、カフェで瑠衣(長澤まさみ)という明るく、魅力的な地元の女性と出会う。たちまち意気投合する
2人だったが、翌朝、再会した瑠衣は大輔のことをまるで覚えていなかった。実は瑠衣には、新しい記憶が
一晩でリセットされるという事故の後遺症があったのだ。
そんな彼女に本気になった大輔は、毎日初対面の彼女をあの手この手で口説き落とす。2人は毎日、恋に落ち、
毎日、ファーストキスを繰り返す。
しかし、ふとした事件をきっかけに、瑠衣は自分の記憶のズレに気づき、苦しむことに……。とはいえ、
そのことすら1日で忘れてしまう瑠衣。だが、このままでは彼女の人生が失われたままだと考えた大輔は、
ある“新たな試み”を仕掛ける……。(Movie Walker)

<KINENOTE=75.6点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-24 23:25 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「ヴァレリアン 千の惑星の救世主 Varelian and the City of a Thousand Planets」
2017 フランス Europa Corp. and more.
監督・脚本:リュック・ベッソン  原作:ピエール・クリスタン(作)、ジャン=クロード・メジエール(画)
出演:デイン・デハーン、カーラ・デルヴィーニュ、クライヴ・オーウェン、リアーナ、イーサン・ホーク
   ハービー・ハンコック、ジョン・グッドマン(声の出演)

ヴァレリアン 千の惑星の救世主 Varelian and the City of a Thousand Planets_e0040938_14463285.jpg
<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
本国での評価は芳しくないが、私は面白く観た。たしかに冒頭のあたりで弛むところがないではないが、
いろいろと複雑な割には話は分かりやすく収斂し、CGバリバリのSWも真っ青な宇宙戦も観ものだったし、
ベッソン一流の話の持って行き方が、原作があるとはいえ、興味深く飽きさせなかった。出演者も
エネルギッシュな若い女性ローレリーヌを演じたカーラ・デルヴィーニュの存在感は大きかったし、
後半戦のハイライトの一つ「バブル」のリアーナも魅力的だった。大臣が何故にハービー・ハンコック
だったのは謎だけど。一方ルーカスやスピルバーグが描く宇宙の感じとは大きく違うベッソン流の
未来像、宇宙像は新鮮で見応えがあった。ただチャイナ資本が入っているのでことこどころチャイナへの
忖度?が映像に現れるのには鼻白んだが。

冒頭から素敵だ。デヴィッドボウイの宇宙船乗組員の会話を歌にしたものをバックに、1975年の宇宙
ステーション制作から2740年までを、様々な宇宙人を登場させることで表現したのは今日的だったし、
面白かった。

2時間を超える映画で、最初の内はえらく観念的なスペースものか、と思ってもう少しこんなのだったら
止めようかな、と思っていたところに俄然話は具体性を帯びてくる。おそらく本国での評価が低いのは
結論がありきたりで当たり前すぎで面白くない、というようなことだと思う。確かに全般の観念性に比べ
後半からエンディングはかなり世俗的な描き方にはなっている。

この映画のコアは、パール人が平和に暮らしていた惑星を人が住んでいることを知りつつ核攻撃を実施し
壊滅させた司令官がその証拠隠しを企むのだが、連邦兵士であるヴァレリアンとローレリーヌが見破り
生き残りのパール人も暮らす「千の惑星」と言われる人口宇宙都市アルファから、パール人に必要な
「変換器」と真珠を持って新天地を求めて返してあげようとするところだ。

自分さえ良ければ他はどうなろうと構わない、という司令官(トランプがいつも言っているようなこと)
に対し、悪事がバレた司令官ではあるが、連邦の兵士として「変換器」を回収せよ、という命令を
受けているヴァレリアンは、兵士としてパール人に「変換器」を渡すことは出来ないという。
それに対してローレリーヌが言う以下のセリフが、この映画の全体を表しているといってもいいだろう。
(ヴァレリアンはローレリーヌに結婚を迫っていたのだが・・・)

L「だから結婚はいや。愛をわかってない」
V「愛とは関係ない」
L「そこが間違いよ。愛は何よりも強いの、ヴァレリアン」
 「規則や法律も破れるし、どんな軍や政府も圧倒する。彼女(パール人)を見て」
 「彼女は惑星の人たちも、自分の子どもも失ったのよ」
 「なのに許そうとしている。それが本当の愛よ」
 「自分以外の誰かを信じること。私もあなたの"誰か"になれるかと。でも・・・」
V「なれる、なってる。君のためなら死ねる」
L「そんなこと頼んでない」
 「私を信じてほしいだけ」
V「分かった。渡してやれ」
L「ありがとう」

こうして、「変換器」はパール人に渡され、その後、司令官側の攻撃に遭うものの、無事に
アルファを飛び立つことが出来たのだ。

フランスのコミックが原作なので、物語としてそう深いものになりえなかったのだろうか、ベッソンなりに
苦労はしたのだろう。圧倒的なVFXの使用やフランス映画なのに英語で制作したことなどにより、本作は
フランス映画史上最高の制作費を掛けた映画となった。が、興行的には失敗した。大衆はもっともっと
分かりやすい方が良かったのだろう。たしかに物語性の薄っぺらさは感じるし、血肉踊る冒険譚かといえば
そうでもない。かなり思索的な部分もある。そういう中途半端性が仇になったのかもしれない。

ヴァレリアン 千の惑星の救世主 Varelian and the City of a Thousand Planets_e0040938_14463978.jpg
<ストーリー>
長年拡張され続けた国際宇宙ステーションの質量が地球にとって危険になり、一千もの種族が居住する"千の
惑星の都市"「アルファ宇宙ステーション」として外宇宙に射出される。
西暦2740年、アルファの連邦捜査官ヴァレリアンとその相棒ローレリーヌは任務で惑星キリアンへと向かう。
旅の途中、ヴァレリアンは惑星ミールに住むヒューマノイド型種族が、巨大な宇宙船の墜落で滅亡する夢を見る。
ヴァレリアンはローレリーヌに求婚するが断られる。

二人は惑星キリアンに着き、ヴァレリアンは別次元にあるバザールに潜入して、あらゆるものを複製できる、
ヴァレリアンが夢で見た小型生物の形態をしたコンバーターとパールを手に入れる。宇宙船に戻ったヴァレリアンは、
ミールが30年前に破壊されたことを知る。

二人はアルファに戻る。危機的な汚染の問題を話し合うための種族間のサミットに出る司令官のフィリットを、
二人は護衛する。サミットはヴァレリアンが夢で見たヒューマノイドに襲われてフィリットは誘拐され、
ヴァレリアンは誘拐犯を追跡する途中で行方不明になる。ローレリーヌは上官であるオクト=バー将軍の命令に
背きヴァレリアンを捜索して発見するが、直後に原始的な種族に捕えられる。ヴァレリアンは可変種のバブルの
協力を得てローレリーヌを救出するが、バブルは死ぬ。

ヴァレリアンとローレリーヌは汚染区域に入ってヒューマノイドたちに会う。彼らの皇帝は、ミールの滅亡で
娘が死んだときに魂をヴァレリアンに送ったと言う。フィリット率いる人類連邦が敵と交戦した時、敵の宇宙船が
墜落してミールの滅亡を招き、ヒューマノイドの生存者たちは人類の宇宙船に乗って逃れ、アルファに来たという。
彼らは人類の技術を手に入れて宇宙船を建造しており、コンバーターとパールさえあれば自分たちの世界を再建する
惑星に行けると言う。フィリットも自分がミールの滅亡を招いたことを認める。

ヴァレリアンはパールを、ローレリーヌはコンバーターをヒューマノイドに返す。皇后は娘の魂を取り戻す。
オクト=バー将軍の兵士がヒューマノイドたちを取り囲むが、ヴァレリオンとローレリーヌは昔のアポロ宇宙船
から将軍に連絡して真実を伝える。フィリットのロボット兵士たちが将軍の兵士とヒューマノイドを攻撃して退け
られ、ヒューマノイドの宇宙船は発進し、フィリットは逮捕される。
ヴァレリオンとローレリーヌは宇宙空間を漂うアプロ宇宙船の中で救助を待つ。(wikipedia)

<IMDb=★6.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:48% Audience Score:53% >
<Metacritic=51>
<KINENOTE=71.5点>



by jazzyoba0083 | 2019-04-23 23:20 | 洋画=は行 | Trackback | Comments(0)

●「ザ・マミー/呪われた砂漠の女王  The Mummy」
2017 アメリカ Universal Pitures,Dark Universe.110min.
監督:アレックス・カーツマン
出演:トム・クルーズ、アナベル・ウォーリス、ソフィア・ブテラ、ジェイク・ジョンソン、ラッセル・クロウ他

ザ・マミー/呪われた砂漠の女王  The Mummy_e0040938_14471900.jpg
<評価:★★★★☆☆☆☆☆☆>
<感想>
これは・・・。出来の悪いインディ・ジョーンズ? ユニバーサルが過去にヒットしたダークモンスターをリブートし
制作するダーク・ユニバーサル作品の第1作、にしてはトホホだったなあ。トム・クルーズ、墜落する軍用機での
脱出シーン以外には見せ所なし。ラッセル・クロウも勿体無い。アナベル・ウォーリスという女優さん、申し訳
ないが、初見だと思うが、華も存在価値も感じなかった。コミック観ているみたいだし、全編お笑いの匂いが
してしまうのが残念。原案から脚本化する過程が悪くて、ラジー賞にノミネートされるB級作品となってしまった。
案の定、今年に入ってからのハリウッド情報によれば、ダーク・ユニバースは本作を以て終わりのようだ。
次作を予定していた「透明人間」はリー・ワネル監督自身が脚本も書いて製作されるようだ。

ストーリーが分かりすいのが助かった(それだけ捻りもないのだろうけど)が、冒頭、ロンドンの地下鉄工事
現場で十字軍の大きな地下墓地が見つかる、というあたりは、おお、と思わせるが、その後があきません。
エジプトにより封印されメソポタミアに生きたままミイラにされて埋められた悪魔に心を売った女王アマネットも、
怖くもないし哀れでもないし、強くもないし、キャラクターが曖昧。メソポタミア(イラク)に派遣されていた
アメリカ軍の兵士ニック・モートン(トム)は、空爆で開いた穴から偶然エジプトの墓穴を見つける。そこに現れる
女性考古学者ジェニー(アナベル)。二人は既にカイロで一夜を過ごしていたのだな。そこでニックは彼女から
古地図を盗んでいる。さてさて、その穴にあったミイラこそ、生きたままミイラにされたアマネットだったのだ。

これを空輸してロンドンへ運ぶことになった。しかしアマネットを守る多くのカラスの襲撃に会い、輸送機は
墜落。ジェニーは辛くもパラシュートで脱出したが、ニックは墜落を免れなかった。しかしニックは死なない。
どうやらアマネットの呪いに掛けられているらしい。アマネットはニックを自分が選んだ人と決め、自分の
再生と悪魔に変身するはずのニックとの現世支配を企んでいた・・・・。それは数千年前に生きながらにして
ミイラにされ、エジプトを支配すべき女王の道を絶たれた彼女の復讐戦だったのだ。そしてジェニーを派遣した
ボス(ラッセル・クロウ)が実はジキルとハイドという二重人格者であるというのもグリコのおまけ風で迫力が
ない。何やら続編があるような匂いで終わるが、続編は無くなった。

皆さんご指摘のように「ハムナプトラ」の方が遥かに出来は良い。

ザ・マミー/呪われた砂漠の女王  The Mummy_e0040938_14472602.jpg
<ストーリー>
 ユニバーサル・スタジオが同社の誇るクラシック・モンスターたちを豪華キャストとスタッフで甦らせる
一大プロジェクト“ダーク・ユニバース”の記念すべき第一弾として、1932年の「ミイラ再生」を1999年の
「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」に続いて、今度はトム・クルーズを主演に迎えてリブートした
アドベンチャー・ホラー大作。砂漠の地下深くに封印された邪悪な“王女”の恐るべき復活劇を壮大なスケールで
描き出す。
共演はアナベル・ウォーリス、ソフィア・ブテラ、ラッセル・クロウ。監督は「M:i:III」「スター・
トレック」など数々のヒット作の脚本や製作を務めてきたアレックス・カーツマン。
長編の監督としては本作が2作目となる。

 貴重な遺物の横流しに手を染める米軍関係者のニック・モートンは、激しい戦闘の続く中東で、地中に埋もれ
ていた古代の遺跡を偶然発見する。それは何世紀も昔に、この世への激しい憎しみを抱えたままミイラとなった
王女アマネットの墓だった。さっそく考古学者のジェニー・ハルジーと棺の調査に乗り出したニックだったが、気
づかぬ間に封印されていたアマネットの呪いを解放してしまう。やがて棺をイギリスへと輸送するため一緒に
飛行機に乗り込んだニックとジェニーだったが…。(allcinema)

<IMDb=★5.5>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:16% Audience Score:35% >
<Metacritic=34>
<KINENOTE=64.2点>





by jazzyoba0083 | 2019-04-22 23:05 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)

●「オリーブの樹は呼んでいる El Olivo」
2016 スペイン Morena Films and more. 99min.
監督:イシアル・ボジャイン
出演:アンナ・カスティーリョ、ハビエル・グティエレス、ペップ・アンブロス、マヌエル・クカラ他

オリーブの樹は呼んでいる El Olivo_e0040938_13511773.jpg
<評価:★★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
直情径行型だけど心は純粋なお嬢さんのやらかしたことを描く。
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舞台はスペイン・バレンシア。ここで先祖代々オリーブの収穫をする農家、最近の安い外国産のオイルなどで
市場が押され、経営は苦しい。なので今は養鶏に転じ、たくさんのブロイラーを生産している。
そこで主人公の20歳の娘の父は、オリーブの樹を売ることにする。祖父は反対するが、結局町の園芸店に
3万ユーロで売った。その中に樹齢2000年の大木があった。娘アルマは幼い頃から祖父とこの樹の太い
幹の中で遊んだり枝に登ったりして楽しく過ごしてきた。しかし、樹が自分が反対したにも拘わらず売られて
しまい、祖父は一気に呆けたようになり廃人のようになってしまった。

祖父思いのアルマ(父とは中が悪い)は、売られた樹を取り戻し、祖父に元気を出して貰おうと一計を
案じる。それは、巨木を買い戻すということだった。アルマの友達の応援で、その樹はドイツの
デュッセルドルフにある大きな環境企業のエントランスホールに移植され会社のシンボルとなっていて、
その姿は会社のロゴにもなっていた。アルマは事情をCEOに「買い戻したい」と手紙を書くが相手にされない。
そこで、周囲に嘘を付いて、教会の庭にあり、教区の人々に聞いたら戻しても良いといってるという手紙を
でっち上げ、一か八かで取り戻し作戦を決行する。アルマのことを一定程度理解する叔父とアルマに好意を
寄せる青年を騙して大型クレーン付きトラックを黙って借り出し、3人はドイツを目指す。

一方、アルマはドイツの環境運動支援をする女性グループと接触、共感を得るが、グループのメンバーは
「むちゃでしょ」と否定的だった。だがアルマが動き出すと、SNSで買い取った環境企業は実は裏で環境
破壊をしているようなとんでもない企業だ、と拡散、それはムーブメントになっていく。

スペインからフランスを抜けてドイツにやってきた3人は買い取られたオリーブの巨木が本社ビルの
エントランスに鎮座しているのを確認した。運転してきた二人の男はアルマに騙されたことを知り、激怒
するが、乗りかかった船、付き合うことにするが、SNSの方が大きな動きになり、企業には多くのデモ隊や
マスコミが来るようになった。しかし、企業が返還に応ずることはなかった。

騒動はマスコミの報道でスペインでも知られるところとなり、その頃、祖父が亡くなったというニュースも
飛び込み、アルマは運動を終わらせ、巨木から分けてもらった苗を一株もって故郷に帰った。
祖父を喜ばせることはできなかったが、娘の行動に父も自分が間違っていたと覚醒し、仲間と一緒に
その苗を畑に植えるのだった。「2000年後はどんな樹になっているだろう」。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

祖父への愛、オリーブの樹への愛、友情、見知らぬ人の手助け、アルマは色んなことを学んだのだろう。
最後には父との確執も解消され、アルマは新しい人生を歩いていく。アルマがチャレンジしたことは
普通に考えても無謀だし、無計画だが、それ故、祖父への、そのメタファーとして?のオリーブの巨木への
愛情はまっすぐで分かりやすい。女性監督をジェンダーの側面からどうこうは言わないが、女性ならでは
の目線を感じる作品だった。
それにしても樹齢2000年のオリーブの樹なら、国の天然記念物に指定されるようなものではないのか?
だってキリストが生まれる前からあったわけですよね?あまりにどストレート過ぎて綾みたいなものが
少なかったかなあ、というキライは残ったが、音楽と合わせて、スペインの空気感を楽しませて貰った。

オリーブの樹は呼んでいる El Olivo_e0040938_13512491.jpg
<ストーリー>
ケン・ローチ監督とのコンビで知られるポール・ラヴァーティ脚本、その妻イシアル・ボジャイン監督に
よるヒューマンドラマ。祖父が大切にしていたオリーブの樹を取り戻すため、スペイン・バレンシアから
ドイツへと向かう20歳の孫娘と仲間たちの旅を映し出す。
出演は、本作が映画初主演のアンナ・カスティーリョ、「マーシュランド」のハビエル・グティエレス。
音楽は「マルメロの陽光」のパスカル・ゲーニュ。

20歳のアルマ(アンナ・カスティーリョ)は、気が強くて扱いにくい女の子。スペイン・バレンシア州
カステリョン県カネットにある養鶏場で働いている。同世代のスペイン人の例にもれず、アルマも経済危機と
荒廃した町を背負わされた若者の一人だ。この国の土地は隅々まで投機売買と開発で破壊され、アルマの家庭も
また崩壊していた。

父ルイス(ミゲル・アンヘル・アラドレン)は、家族で細々と経営するオリーブ農園に価値を見いだせず、国が
好景気の最中に樹齢2000年のオリーブの樹を売り払ってしまった。ローマ時代に植えられたその樹はアルマに
とって最も神聖なものであり、アルマの祖父ラモン(マヌエル・クカラ)は、先祖代々伝わる土地からオリーブの
樹が引き抜かれた時から口をきかなくなっていた。
好景気も今は昔、経済危機によってルイスは、祖父の家へ戻らざるを得なかった。ぎくしゃくした父と祖父の
関係が続くなか、祖父はついに食べることすらしなくなった。祖父を救うことができるのは、祖父の意思に
反して売ってしまった樹齢2000年のオリーブの樹だけ。アルマはそんな思いに取り憑かれる。

友人達はこの突拍子もない挑戦を諦めさせようとするが、アルマは逆に変わり者の叔父アーティチョーク
(ハビエル・グティエレス)と同僚のラファ(ペップ・アンブロス)を嘘八百で丸め込み、さらには友人のウィキと
アデレ、小さな町カネットの住人らまでも説き伏せてしまう。
ヨーロッパのどこかに移植されたオリーブの樹を取り戻してカネットへと持ち帰る。そんな途方もないミッション
を皆が受け入れてしまったのだ。

こうして彼女は誰にも事実を告げることなく、計画も持たず、ほとんど無一文のままラファに50万ユーロの
トラックを借りさせ、彼とアーティチョークに運転を任せてドイツのデュッセルドルフに向かう。
アルマと友人達は、手放したオリーブの樹が持つモンスターのような独特の枝の形からその樹が今どこにあるか
突き止める。食事をしなくなった老人と、樹齢2000年の樹を元の場所へ持ち帰るためならどんなことも
いとわない孫娘のニュースは、ソーシャル・ネットワークを駆け巡り、カネットの人々を驚かせた。

一方、アルマの魂胆に気づいていないアーティチョークは、自らの不運な運命に対して悪態をつきながらも
楽しげにトラックを駆る。ラファはそんな彼の話に耳を傾けつつ、自らを傷つけずにいられないアルマの複雑な
心境を理解しようとしていた。やがてデュッセルドルフに到着したアーティチョークとラファは、アルマが嘘を
ついていたことを知る。オリーブの樹を返すために3人を待っている人間などいなかったのだ。
しかし同時に、この挑戦に乗り出したのが自分達だけではないことにも気づくのだった……。(Movie Walker)

<IMDb=★6.9>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:88% Audience Score:64%>
<Metacritic=No data>
<KINENOTE=64.6点>







by jazzyoba0083 | 2019-04-21 22:50 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

シャザム! Shazam!

●「シャザム! Shazam!」
2019 アメリカ Warner Bros.,DC Entertainment,DC Comics,New Line Cinema and more.132min.
監督:デヴィッド・F・サンドバーグ
出演:ザカリー・リーヴァイ、アッシャー・エンジェル、ジャック・ディラン・グレイザー、マーク・ストロング他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
例えば、「レッドプール」とか「キック・アス」などの変則型コミックベースではあるが、内容のびっくり
具合は、前述のタイトルの作品の印象が強烈すぎて、子どものまま瞬時に大人のヒーローになるというアイデアの
当たり前感がやや強かった。が、面白い映画ではある事は確かだし、アメコミ・ヒーロー物の抑えるべき正義や
友情といった点もきちんと描けている。上映時間が2時間10分を超えるが、前半の下りがやや冗長な感じを受けた。
シャザム誕生までもう少し短くすると全体が締まったのではないか。体だけ大人でヒーローになっちゃったビリー君
の、はしゃぎ具合ももう少し押さえ加減のほうが良かったなあ。アメリカではあの位やらないと受けないのだろうか。

コミック誌やテレビドラマの設定では「シャザム!」と唱えると、ビリー君は「キャプテン・マーベル」になるんじゃ
なかったっけ?「SHAZAM」とは6人の神々の力(ソロモンの叡智、ハーキュリーズの剛力、、アトラースの体力、
ゼウスの全能、アキレスの勇気、マーキュリーの神速)の頭文字を並べた言葉であり、この言葉を口にすると
6神のチカラが使えるスーパーヒーローに変身する。まともに行けば最強のヒーローなはずだが、幼いビリー君、
魔術師シャザムに召喚され、自分の跡を継ぐものと認識され、スーパーパワーを授かるのだ。だがなにせ幼い子どもの
こと。自分が使えるチカラを正義のために使うとかに考えが及ばず、通行人の携帯を瞬時に充電したり、金儲けの
算段に使おうとしたり、YouTubeにアップして皆を驚かせたり、はしゃいでばかり。

だが、ビリー君の前に魔術師シャザムに召喚されたものの、不適格とされたシヴァナが、魔宮に行く方法を見つけ
魔物のチカラを自分の目に入れることに成功、シャザムの前に立ちはだかる。

こうして少年の心で体がスーパーヒーローというビリー君は自分がシャザムとしてやるべきことに目覚めていく。
この過程で、親友との友情、里子として育てられた家庭の義兄弟たちとの信頼、実の母とのこと、そして自分が
スーパーパワーを得た意義と責任について、次第に目覚め成長していくのだ。
ラストは義兄弟にも変化が起きて、お、戦隊ものか!?と思わせるフシも。そしてラストシークエンスには
胸にSマークの人物が写っていたり、シャザムがDCのヒーロー軍に入っての作品も用意されていることを
匂わす。
最近のアメコミものは、メインのキャスト、スタッフのあとにワンシーンのおまけ、エンドロールの終わりに
更にワンシーンついているので、最後の最後まで席を立てない。
シャザム!はかくして出来上がった、という一章はこれで終わったので、次作はすでにシャザム!ありきで
作品が展開されるはずだ。一層面白いアイデアを期待したい。

シャザム! Shazam!_e0040938_21301924.jpg
<ストーリー>
DCコミックスの異色スーパーヒーローを映画化した痛快アクション・コメディ。ひょんなことからスーパー
パワーを手に入れ、ヒーローマニアの友人とその力で悪ふざけを繰り返していた少年が、真の敵を前にスーパー
ヒーローとして目覚めていく姿をコミカルなタッチで描き出す。
主演はザカリー・リーヴァイ、共演にアッシャー・エンジェル、ジャック・ディラン・グレイザー、マーク・
ストロング。監督は「ライト/オフ」「アナベル 死霊人形の誕生」のデヴィッド・F・サンドバーグ。

 身寄りのない孤独な里子の少年ビリー・バットソン。ある日突然、謎の魔術師に“選ばれし者”と認められ、
スーパーパワーを授けられる。魔術師に言われたとおり“シャザム”と唱えると、本当に筋肉ムキムキのスーパー
ヒーローに変身してしまうのだった。さっそく同じ里子でヒーローオタクのフレディといろいろな能力を試し
始めるビリー。
しかし見た目は大人のヒーローでも、中身は思春期真っ只中の少年のまま。フレディと一緒に悪ノリ全開で、
せっかくのスーパーパワーを無意味なことにばかり使ってはしゃいでいた。ところがそこへ、彼のスーパー
パワーを狙う謎の科学者Dr.シヴァナが現われ、フレディがさらわれてしまう。大切な仲間と街を守るため、
ヒーローとしてDr.シヴァナに立ち向かっていくビリーだったが…。(allcinema)

<IMDb=★7.6>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:90% Audience Score:88%>
<Metacritic=71>
<KINENOTE=76.5点>




by jazzyoba0083 | 2019-04-18 11:55 | 洋画=さ行 | Trackback | Comments(0)