●「カラー・パープル The Color Purple (2023)」
2023 アメリカ Amblin Entertainment and more. 141min.
監督:ブリッツ・バザウーレ 
出演:ファンテイジア・バリーノ、タラジ・P・ヘンソン、ダニエル・ブルックス、コールマン・ドミンゴ、
   コーリー・ホーキンス、ハリー・ベイリー、H.E.R.、 アーンジャニュー・エリス=テイラー他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆+α>
<感想>
今年のアカデミー賞ノミネート作を鑑賞するシリーズ。助演女優賞(ダニエル・ブルックス=ソフィア役)

スピルバーグの方は、このブログを書きはじめの頃2006年に観ている。その時ですら製作から10年近い
年月が経っていた。38年前の映画なので、ストーリーはよく覚えていなくて、今回ミュージカル版に
なって鑑賞しても、始めての映画として観た感じだ。

前作の時はウーピー・ゴールドバーグが鮮烈なデビューを飾り、オプラ・ウィンフリーの出世作とも
なったのだが、ウィンフリーやスピルバーグ、音楽のクインシー・ジョーンズは今回はプロデュース側に
回ってサポートしている。

さて、前作のストーリーを読み返して改めて今回のミュージカルを振り返ってみると、キーになる嫌な
出来事が、(例えば、冒頭のセリーの妊娠は父に犯されたもの=結果的には違うんだけど=)とか、
ソフィアが牢獄に繋がれる原因となった市長夫人を打擲するあたり、ミスターの前妻の子ハーポ
(ソフィアの旦那になる)が酒場を作る当たりでの禁酒法の絡みとか、重さを削ぐためか、かなり端折って、
というか軽く描いている感じがした。

またセリーの夫であるミスターが悔い改め人間性がころりと変わってしまう辺りは前作と同様、なにか
あっけなさ、というか天啓に打たれたか、という感じがぎこちなく感じた。天啓といえば、本作は
全体に、「神」の存在が大きい。それは辛く貧しく苦しい生活を余儀なくされた黒人(奴隷)たちが
唯一助けを求められる存在であったから、という歴史的事実は動かせないからだろうけど、日本人
からすると、相当宗教臭く感じるかもしれない。方やこの物語は1902年から47年までの出来事であり
そう大昔の話ではない。それから公民権運動が起き、黒人の地位は上がったはずだが、未だにアメリカ
における黒人の地位や生活は低いことにも私達は思いを致すべきだろう。
(それよりも大きな大分断が起きてしまっているからなあ)

全体として明るいミュージカル作品に仕上がり、スピルバーグ版の重さとは一線を画していて、それは
それで良いし、本作を何故ミュージカルにしたか、という重要な点を含んでいる。それは、抑圧された
黒人たち(同じ黒人の間でも男尊女卑の風潮にある)女性たち、特に若い黒人女性たちが、自分たちの
人間としての価値に目覚め、自立する女、人間となっていく様が、音楽と演技でストレートに伝わって
来る分かりやすさが大きいメリットとなっているからだ。人生讃歌の爆発という点ではミュージカルに
仕立てたほうがパワーは伝わってくる。

作中で歌われれる歌も、ワークソングからブルースになり、ゴスペルソングで爆発するというわかり易さ
で構成される。一方でもっともっとドロドロして悲惨な部分はたくさんあっただろうに、オブラートに
包んでしまったような中身になったことについての批判もあるだろうことは容易に想像出来る。

しかし、今の時代におけるメッセージ性というものは、こういう扱い方もありだな、と本作の持つ
力強さ、爆発力、そこから生まれる感動については肯定的に捉えたい。
しかし、黒人の歌う力強くソウルフルな歌声は素晴らしいことは間違いない。

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<ストーリー>
ピューリッツァー賞を受賞したアリス・ウォーカーの小説を、1985年のスティーヴン・スピルバーグ版に
続いて二度目の映画化。ブロードウェイで大ヒットしたミュージカル版をベースに、父に疎まれ、10代で
望まぬ結婚をした黒人女性の不屈の生き様を描く。
出演はブロードウェイ版でも主演を務めたグラミー賞受賞歌手のファンテイジア・バリーノ他。

父親に疎まれ、10 代で望まぬ結婚をしたセリー(ファンテイジア・バリーノ)。夫のせいで最愛の妹とも
生き別れるが、不遇な日々の中でもユーモアを忘れない彼女は偶然、人気歌手の世話をすることになる。
最初はセリーを軽んじていた彼女だったが、セリーの中にある不屈の精神とユーモアを認め、
次第に二人は絆を強めていく。そしてセリーもまた、その絆の中で初めて自分の価値に気づいていく。
そしてある出来事をきっかけに、セリーの未来が大きく動き始める……。(キネマ旬報)

<IMDb=★7.0>
<Metascore=72>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:82% Audience Score:95%>
<KINENOTE=75.5点>
<映画com=3.8/5>



# by jazzyoba0083 | 2024-02-13 12:15 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

河 The River(1951)

●「河 The River」
1951 フランス Oriental International Films. DIst.United Artists. 105min.
監督:ジャン・ルノワール 原作:ルーマー・ゴッデン
出演:ノーラ・スウィンバーン、エスモンド・ナイト、アーサー・シールズ、サプロヴァ・マケルジー、
   トーマス・E・ブリーン、パトリシア・ウォルターズ、ラーダ、エイドリアン・コリ他

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<評価:★★★★★★★☆☆☆>
<感想>
映画史に残る名作陣の中に必ず入ってくる巨匠(と云われている)ジャン・ルノワールの
傑作とされる「河」。彼の作品は未見なれど「大いなる幻影」「どん底」などの名作と
言われる作品の名前だけは耳にしたことはもちろんある。

この所、折に触れて観ている「放送大学231オーディトリアム」で野崎歓教授の講義付きでの
「河」の放映があったので、これは一度観ておく価値はあるかな、と鑑賞した次第。

ジャン・ルノワールは言わずとしれた画家オーギュスト・ルノワールの次男。そして本作で
撮影監督をしているのがジャンの弟の息子(甥)クロード。血は争えないなあという印象。

さて映画だが、私の敬愛する評論家双葉十三郎氏は「外国映画ぼくの500本」(文春新書)の
中で『僕の採点表」8900本の中で☆☆☆☆★★(最高点)を付けたのは15本ある』とした中に
本作は「大いなる幻影」と共に入っている。

彼は本作を評して『この映画のヨサ(ママ)が全部の観客に分かってもらえるかどうか。テンポも
含め普通の映画から遠い作品だからだ』とし、本作の3つの要素を上げている。それは「色彩」
「音楽」「思想」。特に「思想」は『少女三人の物語だがそれは表面で、とどまることのない
人間の営みを描いている。それが大河で、不安や焦燥はその河面の塵芥であろうか。ルノワールは
故国フランスの戦中戦後の不安と混乱に苦悶したのであろう。それを超えた境地が「河」であった
と思う』『劇映画というより作品全体がまるで悠久の大河のようだった。(中略)ルノワールは
人間を凝視し、小説でやることを映像で表現した人だと思う。そのぶん映画としてややつまらなく
なった作品もある』(引用:「外国映画ぼくの500本」(文春新書))
しかし、本作について双葉氏はいい映画だから是非みてみろ、というので今回の鑑賞の背中を
押された部分も大きい。

一方、放送大学の野崎教授はこの映画のキーワードは「越境」だと指摘していた。それは映像の
中で具体的に描写される、数々の塀や壁や土塁を超えるシーン。これは監督自身の思いを含めた
何かの「暗喩」であろう。また「文学から映画への越境」を挙げる。原作者ゴッデンは、本作の
製作に立ち会ったのだが、ルノワールから「原作を忘れてください」と言われたそうだ。自伝的
な物語でもある原作を忘れろとは。しかしゴッデンはこれを受け入れ、結果的に文学を超える映像
の世界が広がった、というわけである。

更に「国境を超える映画」とも指摘する。監督はフランス人、原作はイギリス人、俳優はインド
人の素人を含め多国籍。プロデューサーはハリウッドの花屋のチェーン店で成功した男で、
まったくの素人だった。なまじの知識があるプロデューサーでなかったことがルノワールに
インドという舞台でのロケや冒険的な内容を初のカラー作品として取り組めたのだ、とする。
ボビー少年はゴッデンの甥っ子(素人)である。
また混血であるメラニーの英国の心を持ちつつインド人として生きていこうとする姿勢は、精神的
国境の超越を語っている。

音楽でも異文化の混合が見られるとの指摘。基本はインド音楽だが、バレリーとジョン大尉との
キスシーンではウェーバーの「舞踏への勧誘」に変わる。これは私も見ていて分かった。ここの
変化は演者の心境を上手くサポート出来ている音楽の使い方と思った。

最後に野崎教授は「大人と子どもの世界の越境」を指摘する。本作は子どもらが多く描かれ、
第二次世界大戦が終わり疲弊した社会の中で、インドはイギリスから独立を勝ち取り、これから
は、子どもである彼らの時代であって、大人はその将来を邪魔してはいけない、ということ。
ゴッデンの原作にはない混血児のメラニーや少年ボビーを登場させたのもルノワール監督自身
戦争(第一次大戦)で傷ついた経験もあり、足の不自由な大尉の存在と言い、子どもへ明るい未来を
与える役目を大人は背負っているという主張を感じさせるのだ。

で私は何を感じたのか、というともう一度くらい観ないと以上のような含みは汲み取れないだろうな、
と感じたのだ。長々と書いてきたこの映画の良さがきちんと汲み取ることが出来なかった、ということ。
話は分かったが、登場人物の背後にあるものを、上記のように「考察」することは出来なかったのである。
残念な事なのか、この映画は私に向かないのかもしれない。Lives go on like a river.

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<ストーリー>
「大いなる幻影」「獣人」のジャン・ルノワールが自らインドのガンジス流域に赴いて撮り上げた
独立作品で、ケネス・マケドウニー製作の1951年色彩作品。
前年ヴェニス映画祭に出品され、「羅生門」についで1等賞をとった。
「黒水仙」の原作者ルーマー・ゴッデンの半自叙伝的な同名小説から、ゴッデンとルノワールが共同
脚色した。撮影はジャンの甥クロード・ルノワール、音楽はインドの原住民音楽を使用している。

インドを貫通する大河ガンジスの流域に当たるベンゴール地方に、製麻工場の支配人をつとめる
英人一家が住んでいた。父母(エスモンド・ナイトとノーラ・スィンバーン)の元に6人の子があり、
1人を除いて皆女の子だった。

長女のハリエット(パトリシア・ウォルターズ)は今年14歳、夢見がちな文学少女で、工場主の娘で
18になるヴァレリー(エイドリアン・コリー)と米印混血娘のメラニー(ラーダ)と3人組の仲良し
だった。
メラニーは、その生涯の大半をインドに過ごした米人ジョン氏(アーサー・シールズ)がインド女に
生ませた娘で、西欧的な教養も身につけたインド娘であった。

ある時、この平和な生活の中に、ジョン氏の甥で第二次大戦で片足を失った米将校ジョン大尉
(トーマス・ブリーン)が入ってきた。はじめてみる白人の青年に、3人の少女は各々心を奪われた。
ハリエットやラーダはその心を言い表わせぬまま、ヴァレリーだけが大胆に彼に近付き、それを傍ら
から眺めるハリエットらはひそかに心を痛め続けた。

腕白なハリエットの弟は、ある時街の手品氏の真似をして毒蛇をからかい、その牙にかかって死んだ。
肉親を失い、恋する男の心を得られぬ悲しみから、ハリエットはガンジスに身を投げたが村人に救われ、
ようやくジョン大尉も彼女の心を理解したかのようであった。

しかし春が来て百花一時に乱れ咲く頃、ジョン大尉は3人の少女をそのままに帰国、ハリエットの家には
また1人妹ができた。そしてガンジスの黄色い水だけは、そのような人生の銷事も知らぬげに悠久の流れ
をつづける。(キネマ旬報)

<IMDb=★7.4>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:92% Audience Score:79%>
<KINENOTE=72.5点>
<映画com=4.5/5>





# by jazzyoba0083 | 2024-02-12 23:10 | 洋画=か行 | Trackback | Comments(0)

●「雪山の絆 La sociedad de la nieve」
2023 スペイン El Arriero Films,Misión de Audaces Films, S.L,Netflix. 145min.
監督:J・A・バヨナ  原作:パブロ・ビエルシ
出演:エンソ・ボグリンシック、アグスティン・パルデッラ、マティアス・レカルト、
   エステバン・ビリャルディ、ディエゴ・ベヘッシ、フェルナンド・コンティジャーニ・ガルシア他

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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
いい映画を観た感が鑑賞後にひたひたと来る佳作。今年のオスカー鑑賞シリーズ4弾。
国際長編映画賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の2部門ノミネート。
原作はあろうが、映像と音声の世界で、ほとんど雪山と人しか写っていない映画を作り
これだけ感動させるのは、脚本家、監督の腕前。大したものだと思う。
また多くの(私は知らない)役者陣が素晴らしかった。(ほとんどが素人という)

寒さ、食料不足、自分たちがどこにいるのか分からない不安、次々襲う雪嵐と雪崩。
乗員乗客45名のうち墜落時には29名生存していたが、救出時には16名になっていて、
亡くなった仲間がどうして亡くなったのかも作中に描かれ、生存者たちは彼らの分まで
生きることを誓っていた。
墜落が10月12日。救出は12月23日であった。

1972年、ウルグアイのラグビーチームを乗せチリに向かったウルグアイ空軍のチャーター機が
アンデス山中に墜落し、かなりの時間が経った後に発見された「奇跡」の物語は、当時大学2年生
だった私はリアルタイムでニュースに接しており、出来事そのものはよく覚えている。
当時、この事故と奇跡の生還は「人肉食」にばかり焦点が当てられていたようで、下世話な
猟奇的興味の目で見られていたと記憶している。

今回本作を観て、彼らが生存出来た裏側にあった「生きる」ことの執着と勇気、「信仰心」が
よく理解出来た。あの雪山で45名のうち16名が良くぞ生き残った、と、その勇気と信念に
感服した。また殆どがラグビーチームの大学生でチームワークが良く、更に若かったことが
奇跡を生んだ大きな要素だと感じた。医学部の学生がいたことも大きい。
フィクションだと、こうした現場には必ずいるワガママを言い募る輩が、居なかったということ
もある。もちろん考え方のズレによる論争はあったが、それああくまで建設的なものであった。

「One for All,All for One」のラグビーの精神通りの、助け合い、合議、決断、実行
行われた。よくあそこまで耐えられるな、頑張れるな、と思わざるを得ない。やはり若い、と
いうこととキリスト教による信仰心がバックアップしていたということだろう。

奇跡は自然に起きたのではないことを本作は訴えている。勇気、決断、信頼、団結、友情、信仰、
忍耐・・・。それらの結果としての「奇跡」である。私なんぞは気が触れてしまうと思う。

後から墜落したところを見ると、富士山より高い場所、人里とはかけ離れたアンデスの山中深い
場所だったことが分かる。ここがどこか分かっていたらまた生存者の考えも変わっていたかも
しれない。本作、私としては彼らは結局どこにいたのか、ということを示して欲しかったなあ、と
感じた。しかし、本作、フィクションではあるが人間ドキュメントとしての完成度、充実度の
大変高い作品である。この事故に関してはこれまでも何本かのドキュメント映画、劇映画が
製作されている。近いところだと1993年のフランク・マーシャル監督「生きてこそ」が記憶に
新しい。この作品には生還者ナンド(その後作家、テレビ番組製作者となっている)がアドバイザー
として加わっていた。

因みにウルグアイは大西洋に面した南米の下にある小国で北がブラジル、西がアルゼンチンで
その間にアンデス山脈が横たわる、という位置関係だ。アルゼンチンの更に西の太平洋側が
チリである。

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<ストーリー>
ジュラシック・ワールド/炎の王国」「永遠のこどもたち」のJ・A・バヨナ監督が、1972年ウルグアイ
空軍機571便遭難事故を描いたパブロ・ヴィエルチの小説を映画化。
ラグビー選手団を乗せたチャーター機が墜落、生存者は雪のアンデス山中に取り残され……。

極限の状況から生き残った者と生き残れなかった者、両者の姿を描く。第80回ベネチア国際映画祭
アウト・オブ・コンペティション部門正式上映作品。
2024年第96回アカデミー賞国際長編映画賞スペイン代表作品。

1972年、ラグビー選手団を乗せたチャーター機・ウルグアイ空軍機571便は、目的地のチリに向かって
いたところ、アンデス山脈中心部の氷河に墜落。
乗客45名のうち生存者は29名のみだった。
大惨事に見舞われた生存者たちは、厳しい寒さの高山という過酷な環境に取り残され、生き延びる
ために究極の手段を取らざるをえず……。(キネマ旬報)

<IMDb=★7.9>
<Metascore=72>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer: Audience Score:>
<KINENOTE=78.7点>
<映画com=3.7/5>



# by jazzyoba0083 | 2024-02-09 10:10 | 洋画=や行 | Trackback | Comments(0)

●「哀れなるものたち Poor Things」
2023 イギリス Fiml4 and more. Dist.Searthlight Pictures) 141min.
監督:ヨルゴス・ランティモス 原作:アラスター・グレイ
出演:エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーク・ラファロ、ラミー・ユセフ、
   ジェロッド・カーマイケル、クリストファー・アボット他

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<評価:★★★★★★★★☆☆+α>
<感想>
今年のオスカーのいろんな部門を席巻するのではないかと云われているエマ・ストーンの映画を
観に行ってきた。過激なセックス描写でR18指定。これも故あってのセックス描写なので
見ていて不快ではない。原作がゴシック小説なので、只者ではないとは思っていたので覚悟は
出来ていたので、そう驚くことは無かった。観る人を選ぶタイプの映画であろうことは皆さん
指摘されているとおり。

私はヨルゴス・ランティモスという監督さんについては「女王陛下のお気に入り」くらいしか観て
いないので多くを語れないが、この映画はよく出来ている。私の好みのジャンルか、と問われれば
そうではないのだが、好みを措いても社会を独特のタッチで斬ってみせた演出は、上手いというか
素晴らしいと言わざるを得ない。

また主演のエマ・ストーンは製作にもタッチしているとおり、思い入れもひとしおの体当たり演技で
この映画の主人公の変貌を分かりやすく高度な次元で実現していると思った。これは主演女優賞
行っちゃうかもしれない。特に開巻の赤子のエマとラストシーンのエマの顔つきの違いがもの凄い!
映画の本質を一発で表現してしまったのではないかと思ったくらいだった。

舞台は一応19世紀なのだが、出てくるものやファッションを観ると、史実とは離れたファンタジーと
いうか絵本の世界のような塩梅で(だからこそ成立する映画ではあるのだけれど)、美術、衣装、音楽
方面でも賞を取りそうな出来上がり。その雰囲気とストーリーやキャスティングが実に調和していた。

そのストーリーはウィレム・デフォー演じる天才外科医ゴッドウィンによって自殺した妊婦であった
ベラ・バクスター(エマ・ストーン)が胎児の脳を移植され、赤子の状態から冒険を通して自我を獲得
していくさまを描く結構分かりやすいものだ。
彼女の脳の吸収度はとんでもなく早く、特にダンカン(マーク・ラファロ)とリスボンやパリを冒険
する中ではとんでもない高度の知識を獲得し成長ていく。そこに今日に通じる社会性の批判や
ジェンダーの問題が透けてみてる仕組みと感じた。

やがて彼女はダンカン(マーク・ラファロ)が退屈なただのエロオヤジにしか見えなくなってくるのだ。
まさにベラ(エマ・ストーン)が人間としての人生を獲得していく過程が2時間に収まった作品といえる
と思う。最後のプロットももう一山あって全体を締めた。(結婚式のシーンから夫の登場、ヤギ男まで)

ベラの成長(というか覚醒)の過程に置いてセックスが重要なファクターになっているのは、象徴的。
観ていると彼女が性行為において絶頂を獲得するたびに女性として開放され、人間として覚醒し、成長
していくような感じ。女性が縛られていた19世紀的時代設定もピッタリとフィットしていた。
これに対し、ベラ(エマ・ストーン)に絶頂を与える役目(道具)としての男としてダンカン
(マーク・ラファロ)は描かれているようで、彼女の成長の糧であり役目を済めば不要となる運命で
あることは容易に理解できる。客船の中で出会うマーサやハリーといった「自分とは違う知見のある誰か」
と知り合うという一般人の人生でも重要な局面で一段と成長を遂げるのだ。

赤子であったベラが実に成長したオトナの女、いや人間になる様は目撃者(観客)にとって痛快ですら
ある。彼女を作ったゴッドウィン(ウィレム・デフォー)、冒険に連れ出したものの結局は彼女
にセックスを通して人間の開放と成長を与える踏み台の役目をしたダンカン(マーク・ラファロ)、
デフォーの助手としてエマ・ストーンと結婚するマックス(ラミー・ユセフ)の、それぞれの男らの
ベラへのスタンスを通して人間としての男とは、という問いも感じるたのだった。

監督としての演出だったかどうかは分からないのだが、ベラの髪の毛がエンディングが一番長いのは
なにか(ベラの成長の尺度?)のメタファーかとも感じた。

フランケンシュタイン的見世物小屋的映画と取るか、ベラ(と周辺の男)の行動「人生に対し主張を
獲得しつつ覚醒していくこと」に「何かしらの受け止め」を感じるか。そんなタイプの映画だろうと
感じたのだった。そしてタイトルの「哀れなるものたち」とは誰を指すのか、と。

PS:もう一つ印象的だったのは開巻のクレジットとエンドクレジット。「誰が出ていて誰が演出した
映画か」なんて関係ない作品でございます、といっているようなデザインであった。

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<ストーリー>
「女王陛下のお気に入り」のヨルゴス・ランティモス監督がエマ・ストーンと再び組み、
2023年第80回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したSFロマンス。
外科医ゴッドウィン・バクスターの手により蘇生したベラは、大陸横断の旅に出て貪欲に世界を吸収する。
スコットランドの作家アラスター・グレイによるゴシック小説を基にしている。

不幸な女性ベラ(エマ・ストーン)は若くして自らの命を絶ったものの、天才外科医ゴッドウィン・
バクスター(ウィレム・デフォー)の手により奇跡的に生き返る。
蘇ったベラは世界を自分の目で見たいという欲に突き動かされ、放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・
ラファロ)の誘いに乗り、大陸横断の旅に出る。
ベラは貪欲に世界を吸収するうちに平等と自由を知り、時代の偏見から解き放たれ……。(キネマ旬報)

<IMDb=★8.4>
<Metascore:87>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:92% Audience Score:79%>
<KINENOTE=78.3点>

<映画com=3.9/5>




# by jazzyoba0083 | 2024-02-08 12:10 | 洋画=あ行 | Trackback | Comments(0)

●「我等の生涯の最良の年 The Best Years Of Our Lives」(再見)
1946 アメリカ The Samuel Goldwyne Company 170min.
監督:ウィリアム・ワイラー  製作:サミュエル・ゴールドウィン
出演:フレデリック・ローチ、マーナ・ロイ、テレサ・ライト、ダナ・アンドリュース,
ヴァージニア・メイヨ、ナンシー・オドネル、ホーギー・カーマイケル、ハロルド・ラッセル他

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<評価:★★★★★★★★★☆>
<感想>
2007年に初見。この度、「放送大学 231オーディトリアム」で宮本陽一郎教授の講義付きで再見。
言わずとしれたアメリカ映画を代表する「名作」として評価が定まった一作。今回の宮本教授の
講義では、先日ここでも書いた同年のフランク・キャプラ「素晴らしき哉、人生!」との比較も加えつつ、
終戦直後に移民である製作者ゴールドウィンとワイラー(キャプラもイタリア移民)によって創られた
復員兵をテーマにした映画に背後にあるアメリカ文化を分析した。

本作はアカデミー賞 最優秀作品、監督、脚本、主演男優、助演男優、特別、音楽、編集の8部門での
受賞に輝くなどたくさんの賞を獲得しているし、内外の評論家からの評価も高い。宮本教授曰く
こうした高評価の一方で、左翼系の文化人からは、本質の指摘を逃し表面をなぞったメロドラマという
厳しい意見もあり、教授は双方の意見とも理解は出来ると語る。

映画の出来についてはどんな映画も毀誉褒貶ついて回るものだ。国にとってのこれ以上無い一大事で
ある戦争後のシリアスなテーマを扱った勇気と作劇に称賛の声が挙がったわけだが、私なんかは下に
リンクをお読みになってもお分かりになるとおり、好意的に受け止める以外にない映画と感じていたが、
アメリカ人ではない日本人にとっての受け止め方は、ずれがあるのだろう。

日本人映画評論家では淀長さん、町山智浩さんはべた褒めだが、私が敬愛する双葉十三郎さんの著書
「外国映画ぼくの500本」には入ってない。また1988年に文春文庫から出た「大アンケートによる
洋画ベスト150」では194位となっている。人により振幅の大きい映画なんだ、ということを改めて
思う。特に日本人には分かりづらい米国人の国民性、国民感情が底にあるのだと思う。

一見帰還兵の社会復帰の難しさをきちんと描いているように見えても、そうではない(甘い)、という
声もあるのだということを私達もちゃんと知っておかなくてはならないのだろう。
そうであっても私にはいい映画であることは違いないのだけれど。

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さて、今回はワイラーの映像技術「ディープフォーカス(パンフォーカス)」について興味深い講義
あった。2つのシーンが挙げられていた。一つはアルが家に帰ってきた時の玄関から奥の夫人を捉え
手前にアルと2人の子どもを配したカット。奥から手前まで焦点が合い、ワンシーンで夫の帰宅、子ども
らの表情を掬い取る。もう一つは、ブッチの店。アルがフレッドに対し娘のペギーと手を切れと迫り、
フレッドが店の電話からペギーに別れの電話を架けるシーン。このカットでは手前にブッチ(ホーギー・
カーマイケル)とホーマーがピアノを弾き、傍らにアル。奥に電話するフレッドがいて、全部にピントが
合っている。(上の写真)
このワンカットの中で様々なことを語らせている、という訳だ。この事は今回知り、大変勉強になった。
この他にも本作にはディープフォーカスを使ったカットが見られる。多弁である、ということだ。
(パンフォーカスはもちろん知っていましたが)

※今回の「231オーディトリアム」での本作では、英語がそんなに得意でない人でも分かってしまう
決定的な誤訳があった。フレッドが町を去ってから両親が勲章の説明を読むシーン。空軍の爆撃手だった
フレッドにドゥーリットル中将からの感状があったのだが、それを父が読み上げるシーンで、ドゥーリットル
を「中尉」と訳していた。ルーテナントは確かに中尉だが、よく聞けばルーテナント・ジェネラルと言って
いるよ。

<IMDb=★8.1>
<Metascore=93>
<Rotten Tomatoes=Tomatometer:97% Audience Score:93%>
<KINENOTE=75.4点>
<映画com=4.3/5 Alltime Best>

(以下は2007年の初見の際の感想)




# by jazzyoba0083 | 2024-02-07 23:30 | Trackback | Comments(0)